茨城大学人文学部 真柳 誠
日本の医学は古くから中国や朝鮮半島の医学を受容し続け、それを取捨選択・発展させて日本化してきた。今更いうまでもないが、これら大陸・半島の医学の多くは、書物を介して島国日本に伝わっている。それゆえ幕末までに厖大な数におよぶ中国・朝鮮等の医薬書が日本で手厚く保存され、また日本人による医薬書も万を越えて著述されてきた。
しかし明治政府による近代医学の採用と伝統医学の廃止政策により、千年以上かけて蓄積され続けてきた医薬古典籍は突如として臨床価値を失い、一部は海外に購入されて現在にいたる。同様の現象は戦後間もなくにも軽度ながらあった。筆者は当現象に注目し、これまで調査と研究を重ねてきた。この結果、かつて日本に所蔵されていた日本・中国・朝鮮等の医薬古典籍が、概数で五千点以上は中国・台湾・韓国・欧米に現存していると推定するにいたった。
それらの中には臨床上・文化上・歴史上・書誌学上など、多方面において貴重性が認められる書も少なくない。だが多くは利用も研究もされることなく、各国の書庫奥深く眠り続けているのが現状といっていい。とはいえ、かつて東アジアにおいて流通し、相互に影響を及ぼしていたそれら医薬書個々の書誌調査による流通経緯の研究は、東アジアの医療文化史を検討する上でも大きな意味があるといえるだろう。
そこで各国・各地域の所蔵機関にて古典籍を手に取り、実地に調査する研究を昨年八月より本格的に開始した。台湾については本年九月まで通計五ヶ月ほど滞在し、主要な三蔵書機関の調査をほぼ完了させることができた。当調査記録は今後さらに検討を加え、書物の流通過程、旧蔵者の研究などを行う予定である。しかし、それ以前に調査記録を公表し、諸賢の批判を仰ぐことも必要と考え、今回からの連載を開始することにした。全記録ゆえ厖大な量におよぶ無味乾燥な書誌の羅列となるが、なにとぞご寛容願いたい。
なお台湾所蔵の医薬古典籍は、二〇〇一年五月段階で計一五三八点につき、目録レベルの書誌情報がインターネットで公開されている。所蔵先は故宮博物院図書文献館が八一〇、国家図書館(旧中央図書館)が六四八、中央研究院図書館が六四、台湾大学図書館が一四、中央図書館台湾分館が二だった。つまり台湾で最大の古医籍蔵書は故宮にある。
これまで台北故宮所蔵医薬書の旧蔵先は、第一が楊守敬の観海堂、第二が文淵閣『四庫全書』、第三が旧北平(北京)図書館等であることは分かっていた。また観海堂旧蔵医書の大多数は、楊守敬が明治の来日時に購入したことも知られていた。そして今回の調査により、かつて日本に所蔵されていた書は約四〇〇点に及び、ほぼ全てが観海堂旧蔵書であることが分かった。
調査の当初は目録で目星をつけて閲覧したが、目録に記載がなくても日本旧蔵書はかなりある。よって『四庫全書』本以外のほぼ全てを調査することにし、たとえ日本旧蔵書でなかろうと書誌は記録した。それらについては当面の研究目的から外れることになるが、公開することに何らかの意義はあろうと考え、あえて削除しないことにした。
以下に当訪書記録の凡例を記すが、長期にわたる本調査にあたり、多量の古典籍、しかも宋版・元版など国宝レベルの書も実物を閲覧させていただいた台北故宮博物院図書文献館、および館員の諸氏のご厚意に深甚の謝意を申し上げる。
一 当訪書志は台北・故宮博物院図書文献館(台北市士林区外双渓至善路二段二二一号)所蔵の医薬書のうち、主に『四庫全書』本以外を調査した記録である。
二 各書の分類および記載順次は、基本的に『国立故宮博物院善本旧籍総目』(台北・国立故宮博物院編刊、一九八三年)に従った。ただし各属に分記された叢書所収本・全書本は彙編部に一括、また分類等が不適切な一部の書については、僭越ながら妥当と思われる分類に改めて配置した。
三 漢字は特殊な文字を除き、JISコード漢字の範囲内で正字に統一した。このため、一部の漢字は必ずしも正確な正字ではない。
四 各書の冒頭には太字で、「阿部志○○頁、故宮新目下册○○頁(書名 ○卷○册。著者ないし編注者。刊本・写本の書誌、識語等の有無)箱號○○、觀字○○號、天字○○號、故觀號○○~○○」のように記した。
「阿部志○○頁」は阿部隆一『増訂 中国訪書志』(東京・汲古書院、一九八三年)に当該書の記載がある場合の所在頁を示すが、宋元版・古活字版等の一部貴重書に限られる。
「故宮新目下册○○頁」は、『国立故宮博物院善本旧籍総目』下册の○○頁に当該書の記載があることを示す。以下の( )内には当目録による当該書の記載を整理して転録した。これ以下の「箱號・觀字號・天字號・故觀號」等は当該書ないし当該册につけられた歴代の整理番号で、基本的には「箱號」が現在の配架番号に相当する。
五 改行して始まる文は真柳の記録で、主に以下の内容と順次で記載した。
装訂法、表紙の質、書の寸法、帙の有無等、外題・書根の記載等の外観。
次に書物の各葉を順に開いて分かる情報として、蔵書票の様子、序文の年・タイトル・作者・葉数、目録等の葉数、刊記等、本文巻頭に記載の書名・著編注者名等、本文の巻数、跋文の年・タイトル・作者・葉数、刊記・木記・奥附等。
次に全体の書誌情報として、料紙の状態、補修の様子、界の有無、匡郭の種類、版心の黒口・白口、魚尾の種類、版心内の文字、每半葉匡郭の内側寸法、行数と每行の字詰め、小字の字詰め等。
次に全書に捺された蔵書印記を列記したが、楊守敬の印記だけはその種数のみを記した。また書き入れの概略、識語のほぼ全文を記録したが、判読に疑問が残る文字には(?)を附記した。さらに当該書全体の虫損状態等の現状を記した。
最後に改行し、真柳の私見、および故宮目録の記載に問題があれば、その訂正を記した。
醫家類
故宮新目下册六八四頁(新刊補注釋文黄帝内經素問 十二卷六册。(唐)王冰注。明成化十年熊宗立種德堂刊本)箱號不詳、觀字號なし、天字〇六七七號、故觀號なし
後補中國四鍼眼裝。濃紺色薄手表紙、書高二五・〇×幅一四・三㎝。帙なし。外題なし。書根に「一凡六(~六) 元槧素問」を墨書。扉部位に楊氏寫眞藏書票を插み貼る。林億等「校正黄帝内經素問序」二葉、寶應元年の王冰「黄帝内經素問序」三葉、總目三葉、その末行に「元本二十四卷今併爲一十二卷刊行」とある。卷首に「新刊補註釋文黄帝内經素問卷之一/啓玄子次註林億孫奇高保衡等奉敕校正孫兆重改誤」と題し(卷一一のみ「新刊補註釋文黄帝内經素問卷之十一/啓玄子次註 鼈峰勿聽子熊宗立點校重刊」)、以下本文一二卷。跋なし。料紙は竹紙で黄變し、薄葉日本楮紙で裏打ち。有界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「素問幾フ」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・一×横一二・三㎝、一三行・行二三字、小字雙行・行二三字。「小文齋(?)」「森氏開萬/册府之記」および楊氏藏印記四種。全書に朱點・朱引き、欄上に朱墨の舊書き入れあり。識語なし。蟲損やや大。
故宮目は「明成化十年熊宗立種德堂刊」と著錄するが、そのような刊記等なし。「明〔成化十年〕熊宗立刊」が適切。
故宮新目下册六八四頁(補註釋文黄帝内經素問 十二卷・遺篇一卷七册。(唐)王冰注。明趙府居敬堂刊本)箱號一四四二、觀字號なし、天字〇六六一號、故觀號なし
中國四鍼眼原裝。香色薄手原表紙(裏打ち)、書高二六・七×幅一七・四㎝。外題なし。書根に「一(~七)内經素問」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。書頭に林億等「校正黄帝内經素問序」三葉、寶應元年の王冰「黄帝内經素問序」五葉、總目四葉(末尾に「元本二十四卷今併爲一十二卷八/十一篇」)。卷頭に「補註釋文黄帝内經素問卷之一/啓玄子次註林億孫奇高保衡等奉敕校正孫兆重改誤/(小字の新校正注一八行)」と題し、以下本文一二卷。書末に「黄帝内經素問遺篇」四八葉を附錄、跋なし。料紙は厚葉白棉紙で部分的に黄變。有界、四周雙邊、版心白口・白雙魚尾、象鼻に「趙府居敬堂」、魚尾間に「黄帝素問卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・六×横一三・九㎝、八行・行一七字、小字雙行。「見鳥/鳴館/之記」および楊氏藏印記四種。一部欄上に朱藍筆で校異の書き入れ、識語なし。僅かに蟲損。後記の「補注釋文黄帝素問靈樞經 十二卷三册」と同帙本。
日本舊藏本に非ず。
故善七七九九~七八〇八『素問』
故宮新目下册六八四頁(重廣補注黄帝内經素問 二十四卷十册。(唐)王冰注。明嘉靖二十九年武陵顧從德復宋刊本)舊景陽宮本、箱號三四一、故善七七九九~七八〇八
後補中國四鍼眼裝。淡靑色錦布中手表紙、書高二八・〇×幅一八・七㎝。外題は四周單邊の白絹題簽に「黄帝素問 目錄 卷一之二(~二十二之二十四)」を墨書。林億等「重廣補注黄帝内經素問序」二葉、寶慶元年の王冰「重廣補注黄帝内經素問序」および孫兆・高保衡・孫奇・林億の官銜三葉、目錄四葉。卷首に「重廣補注黄帝内經素問卷第一/(新校正注、小字雙行で一〇行)/啓玄子次註林億孫奇高保衡等奉敕校正孫兆重改誤/篇名(四篇)」と題し、以下本文二四卷。顧從德の仿宋刊跋文なし。卷二四末葉(一〇葉)ウラ五行目に顧定芳の校記なく、埋め木による補刻や修刻もない。料紙はやや黄變した白棉紙で、中國襯紙を插む。有界、左右雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「内經幾 葉次」、一部下象鼻に刻工名なし。每半葉匡郭、縱二一・二×横一五・六㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行・行三〇字。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
當本は文字・刻工名の特徴から、顧從德本(B本)および無名氏本(C本)の雙方が交じっている。C本はB本の海賊版で、顧從德の跋文と顧定芳の校記を模刻しないのは、宋版と偽るためだろう。B本・C本とも料紙は白棉紙のため一見似るが、兩者を比較するとC本の刻字は明白に劣る。そこでB本・C本各一組の特定葉を相互に交換して裝釘し、宋版と偽り易い二組としたものだろう。詳細は下掲一二册本を參照。故宮目は「明嘉靖二十九年武陵顧從德復宋刊本」に作るが、「明仿宋刊本〔嘉靖二十九年武陵顧從德本與明無名氏本混合〕」が適切。
故善七七六一~七七七二『素問』
故宮新目下册六八四頁(重廣補注黄帝内經素問 二十四卷十二册。(唐)王冰注。明嘉靖二十九年武陵顧從德復宋刊本)舊古董房本、箱號三四一、故善七七六一~七七七二
後補中國四鍼眼裝。クリーム色縱縞模樣銀箔散らし薄手表紙、書高二八・五×幅一八・九㎝。外題なし。林億等「重廣補注黄帝内經素問序」二葉、寶慶元年の王冰「重廣補注黄帝内經素問序」および孫兆・高保衡・孫奇・林億らの官銜三葉、目錄四葉。卷首に「重廣補注黄帝内經素問卷第一/(新校正注、小字雙行で一〇行)/啓玄子次註林億孫奇高保衡等奉敕校正孫兆重改誤/篇名(四篇)」と題し、以下本文二四卷。顧從德の刊行跋なし。卷二四末葉(一〇葉)ウラ五行目の顧定芳校記部分のみ切り拔き、裏に同一白紙をあてる。料紙はやや黄變した白棉紙で、中國襯紙を插む。有界、左右雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「内經幾 葉次」、一部下象鼻に刻工名なし。每半葉匡郭、縱二一・三×横一五・六㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行・行三〇字。「文淵/閣印」「李本/文庫」「桂坡/安氏/家藏」「南濤/董氏」「長州/呉氏」「柏皇孫氏(回文印)」ほかの藏印記。一部に朱點あるが識語・書き入れ等なし。やや蟲損。
當本は文字の特徴から、顧從德B本と無名氏C本の雙方が交じっているが、當本と上掲「明仿宋刊本〔嘉靖二十九年武陵顧從德本與明無名氏本混合〕」一〇册本とは交ぜかたが相互に正反對で、異常なほど作爲的(當一二册本:目錄B、卷一は一葉C・二~五葉B・六~一四葉C・一五~二四葉B、卷二は一~一五葉B・一六葉C、卷三は一葉C・二~四葉Bなど。上掲一〇册本:目錄C、卷一は一葉B・二~五葉C・六~一四葉B・一五~二四葉C、卷二は一~一五葉C・一六葉B、卷三は一葉B・二~四葉Cなど)。つまりB本・C本各一組の特定葉を相互に交換して裝釘し、宋版と偽る二組としたことは明らか。その各々が流轉して景陽宮の上掲一〇册本、古董房の當一二册本となり、いま台北故宮本として一括所藏されている。まさに奇遇というしかない。故宮目は「明嘉靖二十九年武陵顧從德復宋刊本」に作るが、「明仿宋刊本〔嘉靖二十九年武陵顧從德本與明無名氏本混合〕」が適切。
故宮新目下册六八四頁(重廣補注黄帝内經素問 二十四卷五册。(唐)王冰注。明嘉靖間覆宋刊本。近人楊守敬手書題識)箱號一一六二、觀字號なし、天字〇六七三號、故觀號一一四七二~一一四七六
後補日本四鍼眼裝。靑色中手表紙、書高二六・六×幅一七・六㎝。外題は白紙題簽に「補註内經 自一至五(~自廿一至廿四終)」、書根に「素問 壱(~五終)」を墨書。補綴扉に楊氏寫眞藏書票を貼り、紅欄罫紙に楊氏の題識一葉あって「當本は嘉靖頃の無名氏仿宋本だが、自藏の宋本(臺北國家圖書館藏)に及ばない」という(「明刊仿宋素問廿四卷/無名氏重刊宋本素問體式與顧/從義(ママ)本同。唯中縫刻工人姓名有載/有不載、稍異。顧氏書刻於嘉靖時、此本相檢其紙質、當亦同時出。工拙亦/在伯仲、間雜□、不及余所蔵宋本。然以視/熊宗立、周曰校諸刻、則有雅俗之辨/矣。光緒癸未(一八八三)八月宜都楊守敬記」)。林億等「重廣補注黄帝内經素問序」二葉、寶慶元年の王冰「重廣補注黄帝内經素問序」および孫兆・高保衡・孫奇・林億の官銜三葉、目錄四葉。卷首に「重廣補注黄帝内經素問卷第一/(新校正注、小字雙行で一〇行)/啓玄子次註林億孫奇高保衡等奉敕校正孫兆重改誤/篇名(四篇)」と題し、以下本文二四卷。料紙は白棉紙、有界、左右雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「内經幾 葉次」、下象鼻に刻工名をしばしば缺く。每半葉匡郭、縱二一・三×横一五・五㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行・行三〇字。「伊澤/書藏」「三橋演辞(?)/堂圖書記」および楊氏藏印記六種。卷一・二・一二に朱點ある以外、識語・書き入れ等なし。卷一三第三葉は補寫で、さらに斐紙で顧從德本の同葉を影寫して補寫葉を包み綴じる。蟲損なし。
當本は無名氏C本。C本の卷一三第三葉は同卷第五葉を轉用するため本來の第三葉を缺くので、上記の補寫・影寫がなされている。
故宮新目下册六八五頁(重廣補注黄帝内經素問 二十四卷四册。(唐)王冰注、熊宗立句讀。日本寬文三年京師風月堂翻刊明萬暦甲申周氏本)箱號一四四二、觀字號なし、天字〇六五三號、故觀號なし
後補日本四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二七・八×幅二〇・〇㎝。外題なし。書根に「元(~貞) 素問校本」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。扉は四周雙邊花紋で「新刊官板補註(大字)/萬暦甲申夏月周氏對峯刊行(小字)/黄帝内經素問(大字)」。林億等「重廣補註黄帝内經素問表」四葉、寶應元年の王冰「重廣補註黄帝内經素問序」三葉、校訂宋臣の高保衡・孫奇・林億・孫兆の列銜および「明 新安 呉勉學 重校梓」を附記して一葉、目錄四葉。卷首に「重廣補註黄帝内經素問卷之一/唐 啓玄子王氷 次註/宋(跨行) 林億 高保衡/孫奇等奉 敕/校正/宋 孫兆 改誤/明 熊宗立 句讀」と題し、以下本文。書末に寬文三年の吉弘玄仍子の寫刻體跋一葉あり。料紙は薄葉楮紙、無界、四周單邊、版心黑口・雙花魚尾、魚尾間に「素問次註卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・七×横一五・七㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「頼/□(?)」「紹/翁」「元/胤」「起桑(?)」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記五種。全書に朱藍點、欄上に諸本を引く墨筆注多し。どうも太素も參照している。識語なし。蟲損やや大。
故宮目は「日本寬文三年京師風月堂翻刊明萬暦甲申周氏本」とするが、そのような刊記等なし。「日本寬文三年跋翻刊明萬暦甲申周氏本」が適切。
故宮新目下册六八五頁(重廣補注黄帝内經素問 二十四卷十二册。(唐)王冰注、熊宗立句讀、日本寬文三年京師風月堂翻刊明萬暦甲申周氏本)箱號五〇三、觀字五八六號、天字號〇六六九、故觀號〇三二八七~〇三二九八
日本四鍼眼原裝。香色厚手表紙、書高二五・四×幅一八・三㎝。外題は四周雙邊の題簽に「内經素問 次註/新校正 一二(~二十三/二十四)」を印刷。書根に「内經素問 一二(~二十三/二十四)」を墨書。扉を補綴し楊氏寫眞藏書票を貼る。見返しは四周雙邊花紋で「新刊官板補註(大字)/萬暦甲申夏月周氏對峯刊行(小字)/黄帝内經素問(大字)」。林億等「重廣補註黄帝内經素問表」四葉、寶應元年の王冰「重廣補註黄帝内經素問序」三葉、校訂宋臣の高保衡・孫奇・林億・孫兆の列銜および「明 新安 呉勉學 重校梓」を附記して一葉、目錄四葉。卷首に「重廣補註黄帝内經素問卷之一/唐 啓玄子王氷 次註/宋(跨行) 林億 高保衡/孫奇等奉 敕/校正/宋 孫兆 改誤/明 熊宗立 句讀」と題し、以下本文。書末に寬文三年の吉弘玄仍跋一葉。卷二四末で前記本にある「重廣補注黄帝内經素問卷第二十四終」を削り落とし、「京師二條街風月堂莊左衛門梓行」の刊記を埋め木で修刻。料紙は薄葉楮紙、無界、四周單邊、版心黑口・雙花魚尾、魚尾間に「素問次註卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・七×横一五・七㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「蘭/庭」「藤原/信義」および楊氏藏印記四種。全書に藍點・朱引きあり。朱墨の眉注・校異に宋槧・古抄本・甲乙・活版・元槧本等を引く。本文には朱筆で太素との校異あり。卷二末に藍筆で「嘉永二己酉七月十有八日、加藍/筆終」の識語。僅かに蟲損。
當本に呉勉學本の序があり、各卷頭に「熊宗立句讀」を記すのは書肆の僞造で、實際は周曰校本の翻刻。故宮目は「(唐)王冰注、熊宗立句讀、日本寬文三年京師風月堂翻刊明萬暦甲申周氏本」と著錄するが、上述の經緯より「(唐)王冰注、林億等次註、日本寬文三年跋翻刊、京師風月堂後印明萬暦甲申周氏本」が適切。
故觀13210-13212『素問』
故宮新目下册六八五頁(重廣補注黄帝内經素問 二十四卷三册。(唐)王冰注。日本安政四年翻刊明嘉靖二十九年武陵顧氏覆宋本)箱號不詳、觀字五八四號、天字〇六五一號、故觀號一三二一〇~一三二一二
日本五鍼眼原裝。紺色薄手表紙、書高三一・一×幅二一㎝。外題は白紙の題簽に「仿宋本素問(~仿宋本素問運氣七篇) 從一至八〔實は九〕(~完)」、書根に「仿宋本素問 從一至九 天(~仿宋本素問運氣七篇 完 人)」を墨書。第一册表紙に「上古天真論 止 逆調論〔以先祖考櫟窓先生手澤本校讀之/大城直舎〕」を朱書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼り、見返しに四周單邊に篆書で「仿宋本/黄帝内經素問/占恒堂臧版」の封面。安政二年の丹波元堅「序」三葉、嘉靖庚戌年の顧從德「供奉」跋文二葉、林億等「重廣補注黄帝内經素問序」二葉、寶應元年の王冰「重廣補注黄帝内經素問序」および孫兆・高保衡・孫奇・林億の官銜三葉、目錄四葉。卷首に「重廣補注黄帝内經素問卷第一/(新校正注、小字雙行で一〇行)/啓玄子次註林億孫奇高保衡等奉敕校正孫兆重改誤/篇名(四篇)」と題し、以下本文。書末に「明修職郎直 聖濟殿太醫院御醫上海顧定芳校」を刻し、「仿宋槧本素問校譌」一五葉を附錄する。末に度會常珍の寫刻跋(安政丙辰~三年、一八五六)ありて版本のこと、森・澁江のことをいう。「仿宋版素問、運気七篇」を別册に綴じる。料紙は楮交じり斐紙、有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、魚尾下に「内經幾 葉次」、下象鼻に刻工名を刻す。每半葉匡郭、縱二一・八×横一五・六㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行・行三〇字、一二點・レ點も刻入。「棠/邊」「丹波/元佶」「多紀氏/臧書印」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記六種。序文頭に朱筆で「棠邊珍藏」の書き入れ。卷一二第八葉まで朱點・朱引き、欄上に周本との朱筆校異あり。識語なし。少々蟲損。
多紀元佶(一八二五~六三)舊藏書。故宮目は「日本安政四年翻刊明嘉靖二十九年武陵顧氏覆宋本」と著錄するが、安政四年の刊記等はなし。「日本安政三年跋翻刊明嘉靖二十九年武陵顧氏覆宋本」が適切。ただし顧從德本の一部誤字を修刻する(「裏」を「裹」など)。
周曰校本『素問』
故宮新目下册六八四・六八五頁(重廣補注黄帝内經素問 二十四卷四册、(唐)王冰注、明萬暦十二年周曰校刊本。新刊黄帝内經靈樞 二十四卷二册、明萬暦甲申(十二年)周曰校刊本)箱號五〇三、觀字號なし、天字〇六六八號、故觀號なし
當二書は同帙本。後補日本五鍼眼裝。ともに丹表紙、書高二六・六×幅一六・三㎝。外題は表紙に「黄帝内經素問 自一至八(~自廿一至廿四)」「黄帝内經靈樞 自一至十二(自十三至廿四)」、また全册に「共六」を墨書。書根に「素問一之八(~廿一之廿四)」「靈樞一之十二(十三之廿四)」を墨書。
素問は扉部位に楊氏寫眞藏書票を插み貼る。見返しは四周雙邊花紋で「新刊官板補註(大字)/萬暦甲申夏月周氏對峯刊行(小字)/黄帝内經素問(大字)」。林億等「重廣補注黄帝内經素問序」二葉、寶應元年の王冰「重廣補注黄帝内經素問序」三葉、目錄四葉。卷首に「重廣補注黄帝内經素問卷第一/(新校正注、小字雙行一二行)/啓玄子次註林億孫奇高保衡等奉敕校正孫兆重改誤/繡谷書林周曰校刊行/篇名(四篇)」と題し、以下本文。跋なし。料紙は中國楮紙、有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「黄帝内經素問」、魚尾下に「卷之幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・三×横一四・八㎝、一一行・行二三字、小字雙行。
靈樞は書頭に紹興乙亥年の史崧序一葉、目錄四葉、卷頭に「新刊黄帝内經靈樞卷第一/繡谷書林周曰校重刊」と題し、以下本文。料紙は中國楮紙、有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「黄帝内經素問」、魚尾下に「靈樞卷之幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・三×横一四・七㎝、一一行・行二三字、小字雙行。
兩書に「桂氏圖書記」「千象亭文庫」「西川氏藏書記」「瑞乾家藏」および楊氏藏印記五種。素問卷二まで藍點、朱筆校正、朱墨注記の書き入れ引用書。靈樞は書き入れ等一切なし。僅かに蟲損。
故宮新目下册六八五頁(重廣補注黄帝内經素問 二四卷四册。(唐)王冰注、(宋)林億等校正。光緒甲申(十年)金陵文成堂仿宋刊本)箱號一四四二、觀字號不詳、天字〇六五二號、故觀號〇一三二一三~二一六
中國四鍼眼原裝。香色薄手原表紙、書高三〇・五×幅一八・一㎝。帙なし。外題なく、書根に「元(~貞) 仿宋素問」を墨書。黄色の扉に四周雙邊で「校對無訛/内經(大字)/京日文成堂摹刻宋本」の封面、裏に四周單邊で「光緒甲申年/孟龝開雕 〔文/成〕印」の木記。道光己酉年の丹徒趙杉「摹刻宋本素問序」二葉あって、末行に「金陵宋仁甫刊刻」の刊記。寶應元年の王冰「重廣補注黄帝内經素問序」三葉あって、末尾に孫兆・高保衡・孫奇・林億の列銜を記す。無記年の林億等「重廣補注黄帝内經素問序」二葉、目錄四葉。卷首に「重廣補注黄帝内經素問卷第一」と題し、以下本文二四卷。各卷末に釋音あり、跋なし。料紙は薄葉宣紙。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、魚尾下に「内經幾 葉次」を刻し、刻工名なし。每半葉匡郭、縱二〇・六×横一五・四㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行・行三〇字。「玄」を缺筆する。「飛青/閣臧/書印」の藏印記のみ。識語・書き入れ等なし。やや蟲損。
當本は仿宋版というほどでもなく、「金陵文成堂摹刻宋本」が適切。
故宮新目下册六八五頁(補注釋文黄帝素問靈樞經 十二卷三册。(宋)史崧校正竝音釋。明趙府居敬堂刊本)箱號一四四二、觀字號なし、天字〇六六一號、故觀號なし
中國四鍼眼原裝。香色薄手原表紙(裏打ち)。書高二六・八×幅一七・六㎝。外題なし。書根に「八(~十)靈樞經」を墨書。紹興乙亥年の史崧「黄帝素問靈樞經敍」二葉、「黄帝素問靈樞經目錄」六葉。卷首に「黄帝素問靈樞經卷之一」の内題、以下本文一二卷。跋なし。料紙は白棉紙で一部黄變。有界、四周雙邊、版心白口・白雙魚尾、象鼻に「趙府居敬堂」、魚尾間に「靈樞經卷幾 葉次」、下象鼻に刻工名を刻す。每半葉匡郭、縱一九・九×横一四・〇㎝、八行・行一七字、小字雙行。「見鳥/鳴館/之記」および楊氏藏印記一種。識語・書き入れなし。僅かに蟲損。
前記「補註釋文黄帝内經素問 十二卷・遺篇一卷七册。明趙府居敬堂刊本」と同帙本。日本舊藏本に非ず。
故宮新目下册六八五頁(黄帝内經靈樞二十四卷六册、(唐)王冰注。日本刊本)箱號五〇三、觀字五八九號、天字〇六七二號、故觀號〇三三〇八~〇三三一三
日本四鍼眼原裝。香色厚手表紙、書高二五・五×幅一八・一㎝。外題は四周雙邊の題簽に「内經靈樞 史崧音釋 一之/四(~廿一/廿四)」を印刷。書根に「内經 一四(~二十一二十四)」を墨書。紹興乙亥年の史崧「黄帝内經靈樞序」二葉、目錄四葉。卷首に「新刊黄帝内經靈樞卷第一/繡谷書林周曰校重刊」と題し、以下本文。料紙は薄葉楮紙、無界、四周單邊、版心黑口・雙花魚尾、象鼻に「黄帝内經素問」、魚尾間に「靈樞卷之幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・九×横一五・六㎝、一〇行・行一八字、小字雙行。楊氏藏印記一種のみ。底本は周曰校本で、欄上に「一本」による校異を刻す。道藏本靈樞・熊本靈樞・太素・京本靈樞による朱筆の校勘、素問・活字本(靈樞?)・甲乙・千金・外臺による墨筆の校勘、墨筆で張の説を引く。書末に朱筆で「右靈樞經。天明丁未(七年、一七八七)秋、佐伯源公抄于道藏中以/惠余。道藏其製如梵筴、凡四千四百本公之外、未/聞收儲之者、則此書可奇重也。元簡識」の轉寫識語あり。蟲損ないが、糸切れ。
故宮目は「黄帝内經靈樞、日本刊本」と著錄するが、「新刊黄帝内經靈樞、日本翻刻明周曰校重刊本」が適切。
箱號503・23册本『黄帝内經太素』
故宮新目下册六八五頁(黄帝内經太素存二十三卷〔缺卷一、四、七、十六、十八、二十、二十一凡七卷〕二十三册。(隋)揚上善撰。日本影古鈔本。楊守敬(彼の識語等は実際はなし。下記二四册本にある)、日本小島質、孤尚絅等手書題記)箱號五〇三、觀字五九六號、天字〇六六七號、故觀號〇三二五七~三二八〇
日本包背原裝、香色中手表紙、書高二六・五×幅一九・〇㎝、角布つき。外題は表紙に「黄帝内經太素卷第二(~三十)」を墨書。第二三册の見返しを剝がし、楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし、各卷頭每に目錄あり、卷首に「黄帝内經太素卷第二 攝生之二/通直郎守太子文學臣楊上善奉 敕撰注」と題し、以下目錄・本文。料紙は薄葉斐紙、無界、無邊、無版心、無魚尾。每半葉、七行・行一四字、小字雙行・行一九字。缺卷あれば各册表紙に墨筆し、本文所々に寶素が朱筆で甲乙・靈樞・素問による校異、また按語を記す。第一册(卷二)書腦に「一缺」「見存廿三册」を墨書、ヲコト點なし。末葉に寶素が朱筆で「天保壬寅(十三年、一八四二)四月廿八日、與澁江籀齋(一八〇五~五八)、伊澤柏軒(一八一〇~六二)、同照素靈二經一校、於葆素堂中。質/弘化二年(一八四五)九月二日、參素問・靈樞・甲乙經校勘」、後表紙書腦に「二月十四日郵來」の墨記。第二册(卷三)はヲコト點と朱筆等の校異なし。書末に墨筆で「太素經見存廿三卷。家先君從尾張國傳鈔卷第三、先兄在日、爲人借失。茲以丹波元堅本手自補寫、尚不負先君捜索古經之意云。明治三年庚午八月、不肖孤尚絅謹識」の識語あり。第三册(卷五)は書腦に「四缺」を墨書、本文は楷書化した字樣で、藍界線とヲコト点、寶素の朱筆で靈樞等との校異あり。書末に墨筆で「文政庚寅(一三年、一八三〇)八月廿九日、得之於尾張淺井正翼。校讀一過、謹藏于寶素堂、小島質誌」、欄外に「文政十三年八月六日書寫之。冢(塚)原植」の墨記あり。第四册(卷六)はヲコト點なく、本文を靈樞本神にあて、後表紙書腦に「三月七日郵來」の墨記。第五册(卷八)は表紙書腦に「七缺」を墨書、本文を靈樞經脉第十にあて、ヲコト点あり。仁和寺原本と比較するに、模寫レベルは故觀〇三三一四號本におよばす、當本は淺井家の第一次寫本系、故觀〇三三一四號本は第二次寫本系だろう。第六册(卷九)はヲコト點なく、やや楷書化した字樣で、後表紙書腦に「辛卯正月廿四日郵來」の墨記。第七(卷一〇)・八册(卷一一)はヲコト點なく、かなり楷書化した字樣で、後表紙書腦に「正月五日來」を墨書。第九(卷一二)・一〇(卷一三)はヲコト點なく、行書・楷書化した字樣で、後表紙書腦に「三月七日到來」の墨記。第一一册(卷一四)はヲコト點なく、やや忠實な字樣で、後表紙書腦に「二月七日」の墨書。第一二册(卷一五)はヲコト點なく、行書・楷書化した字樣で、「二月十四日寄來」の墨記。第一三册(卷一七)は書腦に「十六缺」、ヲコト點なく楷書化した字樣で、末尾に「本云。保元元年潤九月廿六日、以家本移點校合了、蜂田藥師船(?)人本云々 憲基」の奧書あり。書末に蜂田藥師について續日本記・本草和名・類聚苻宣抄・古鈔本和名抄をひき、簡單に考證する。第一四(卷一九)は書腦に「十八缺」、後表紙書腦に「四月望前一日郵來」の墨書あり。本文にヲコト點なく、行書・楷書化する。第一五册(卷二三)は書腦に「廿 廿一 廿二 缺」、後表紙書腦に「四月望前一日來」の墨書あり。本文にヲコト點なく、行書・楷書化する。第一六册(卷二四)は後表紙書腦に「二月廿七日郵來」の墨書あって、本文にヲコト點なく、行書・楷書化する。第一七(卷二五)・一八册(卷二六)本文にヲコト點なく、行書・楷書化し、後表紙書腦に「二月十四日郵來」の墨書。第一九册(卷二七)はヲコト點あり、頭一〇葉ほどは當本中でもっとも原本に忠實な模寫。書末に「天保辛卯三月望、據尾張淺井正翼三經樓鈔本、鈔補斯一張。質 花押」の墨書あり。第二〇(卷二八)・二一(卷二九)・二二册(卷三〇)はヲコト點なく、楷書化・行書化した字樣で書寫する。第二三册(卷第闕)はヲコト點なく、やや行書化した字樣で、書腦に「淺井正封云、是當卷第廿二」、後表紙書腦に「四月十四日來」を墨書。この「淺井正封云、是當卷第廿二」の墨記により、故宮目は計七卷を缺とする。「小嶋氏/圖書記」「尚質/校讀」「字/學古」「小島質/精校/醫經」および楊氏の藏印記五種。僅かに蟲損。
故宮目の「(隋)揚上善撰」は「(唐)楊上善撰」が適切。
故宮新目下册六八六頁(黄帝内經太素 存殘一卷一册〔存卷十四〕。(隋)揚上善撰。日本大醫博士福井丹波守影寫仁和寺藏殘卷本)箱號一四六八、觀字號なし、天字號なし、故觀號〇三二八〇
日本包背原裝、香色薄手表紙、書高二六・五×幅一九・〇㎝。外題は表紙に「黄帝内經太素 零殘一十三張」を墨書。序・目錄・内題・編著者名なく、本文の殘片。料紙は薄葉斐紙、楮紙で襯裝し、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉匡郭、七行・行一六~一九字、小字雙行・行二一~二三字。全體は忠實な寫本で、ヲコト點も寫す。第六葉オモテに寶素の朱筆で、「上文故爲陽明注云。甲乙景丁、又云景丁屬□、又云景爲五月。案李唐人避太祖諱、丙爲景、可見上善是唐時人也。天保癸卯小春望前一日記。質」あり。書末に墨筆で「天保十四年十月十五日一校了。件本者、大醫博士福井丹波守、以仁和寺宮御所藏之殘本所影寫也。片紙零卷拾綴如是、倶尾張國鈔本所無云」、また朱筆で「同日移朱點了」「嘉永三年八月廿日 校讀訖。花押」あり。藏印記は「小嶋氏/圖書記」のみ。小蟲損、裝訂破れ。
當本は元來上記二三册本と同帙本。寶素が上洛した時に福井家の影写本から重鈔したもの。故宮目に「日本大醫博士福井丹波守影寫仁和寺藏殘卷本」「存殘一卷(存卷十四)、(隋)揚上善撰」と著錄するが、「日本小島尚質再影鈔、大醫博士福井丹波守影寫仁和寺藏殘卷本」「〔黄帝内經太素〕零殘一十三張、(唐)楊上善撰」が適切。
故宮新目下册六八六頁(黄帝内經太素考異 不分卷一册。(日本)學晦寬撰。日本考古齋鈔本)箱號五〇三、觀字六〇一號、天字〇六七一號、故觀號〇三三〇七
日本假綴じ本。外題は假表紙に「太素經考異 全」、書根に「全 太素經考異」を墨書。序なし。卷首に太素から「黄帝内經太素卷第二 攝生之二/通直郎守太子文學臣楊上善奉 敕撰注」を引錄、以下目錄・本文(太素から素問・靈樞への對經)。「黄帝内經太素攷(太素・楊上善に關する史書記載を引錄)」二葉、「對經篇續錄(素問・靈樞から太素への對經)」八葉を附錄。末に天保一三年の學晦于叟寬跋一葉。料紙は楮稿紙、有界、左右雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「卷」を刻す。每半葉匡郭、縱一七・五×横一三・〇㎝、一〇行・行二一字、小字雙行に寫す。楊氏藏印記二種のみ。識語・書き入れ等なし。江戸末期の筆寫。僅かに蟲損。
當本は北京圖書館の對經篇と全同で、「續錄」も附す。跋文末に「天保一三年壬寅六月朔、學晦于叟寬識于半松軒中」とあり、恐らく喜多村直寛が續錄の作者。北京圖書館本は尚眞が直寛本を重鈔し、素靈對應文の所在卷葉を朱筆で加注する。台北故宮本は幕末無名氏が直寛本を重鈔するが、所在卷葉の朱筆注はない。故宮目は「日本考古齋鈔本」と著錄するが、上記「〔黄帝内經太素〕對經篇、日本〔江戸末期〕鈔本」との混亂につき、削除すべし。書名は「太素經考異(對經篇・同續錄)」が適切。
故宮新目下册六八六頁(素問病機氣宜保命集 三卷八册。(金)張元素撰。明初寧王朱權刊本)昭仁殿舊藏本、箱號五七、故善號〇〇四〇二~〇〇四〇九
後補中國四鍼眼裝。桃色絹布薄手表紙、書高二九・七×幅一八・一㎝。緑色錦布貼り木製一帙に收める。外題は黄色四周雙邊の絹布題簽に「元版保命集」を墨書。辛亥年の楊威「素問病機氣宜保命集序」一葉、大定丙午年の劉完素「守眞先生自序」一葉、「玉連環詩」一葉、目錄一葉。卷首に「素問病機氣宜保命集(跨行)上/神 醫 劉 守眞 撰」と題し、以下本文三卷。跋なし。料紙は竹紙で薄茶に變色し、中國襯裝。有界、四周雙邊、版心大黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「保幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二三・〇×横一五・八㎝、一二行・行二二字、小字雙行・行約三〇數字。「謙收/堂藏/書記」「謙收/堂書/畫記」「天祿/繼鑑」「天祿/琳瑯」「乾隆/御覽/之寳(楕円印)」「天上/皇帝/之寳」などの藏印記。識語・書き入れ等なし。補修後の蟲損・破損なし。
故宮目は「明初寧王朱權刊本」と著錄するが、當本中にそのような刊記・木記・序跋なく、「明初〔寧王朱權〕刊本」が適切。
故宮新目下册六八六頁(黄帝内經經素問注 二十四卷八册。(明)呉崑撰。明萬暦己酉(三十七年)刊本)箱號五〇三、觀字五九二號、天字〇六七〇號、故觀號〇三二九九~〇三三〇六
中國四鍼眼原裝。香色薄手原表紙、書高二四・七×幅一五・八㎝。帙なし。外題は表紙に「呉注 一之二(~廿二之廿四)」を墨書。書根に「一(~八)内經呉注」を墨書。黄色の見返しに四周單邊で「呉鶴臯先生註/黄帝内經素問/石室藏板」、扉に小島尚絅が墨筆で「鶴臯山人傳」を醫方考附載より、また汪昂の本書評を轉錄。萬暦己酉年の無名氏「刻内經素問呉註」四葉、楊氏寫眞藏書票(插み貼り)、萬暦甲午年の呉崑「註黄帝内經素問序」五葉、目錄八葉。卷首に「黄帝内經素問第一卷/新安(跨行)/醫家子鶴臯呉 崑 註/太醫院菊潭江子振參閲」と題し、以下本文二四卷。跋なし。料紙は薄葉棉紙。有界、左右雙邊、版心白口・單白魚尾、象鼻に「内經呉註」、魚尾下に「卷之幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・〇×横一三・二㎝、八行・行一七字、小字雙行。「綸豐蘭垢/諹誦弗置」「小嶋氏/圖書記」「寶素堂/收臧醫/書之記」「江戸小/島氏八/世醫師」および楊氏藏印記四種。識語・書き入れ等なし。少々蟲損、糸切れで大破。
故宮新目下册六八六頁(黄帝内經靈樞注證發微 九卷六册。(明)馬蒔撰。日本寬永乙丑(二年)豬子梅壽活字翻印明萬暦間山陰王氏本)箱號一四四二、觀字號なし、天字〇六六二號、故觀號一三二五一~五六
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二八・七×幅二〇・八㎝。外題なし。書根に「十三(~十八)馬注靈樞注證發微」を墨書。見返しに原本翻刻の扉(整版)があり、上約四分の一の上欄に有界で「内經一書…四方君子認寶命堂原板爲記柳宗模識」、下約四分の三に「○靈樞自古無明註(中字)/刻馬玄臺先生内(大字)/萬暦戊子孟春寶命堂梓(中字)/經靈樞註證發微(大字)/○後學于今有指南」の五行が刻される。以下は章憲文の無記年「註靈樞經序」三葉(四周雙邊、半葉縱二一・七×横一六・五㎝、無界八行一七字、版心大黒口・雙花魚尾)、無記年の「刻馬玄臺先生内經靈樞註證發微引」五葉(四周雙邊、半葉横一六・五×縱二一・七㎝、無界一〇行二二字、版心大黒口・雙花魚尾)、「黄帝内經靈樞註證發篇目」三葉(四周雙邊、半葉縱二一・七×横一六・五㎝、有界一〇行二二字、版心大黒口・雙花魚尾)。卷首に「黄帝内經靈樞註證發卷之一/大明大醫院正文 會稽庠生玄臺子馬蒔仲化註證/庠生孫又玄子馬存順校正」と題し、以下本文。料紙は楮紙、有界、四周雙邊、版心大黒口・雙花魚尾、魚尾間に「靈樞幾 葉次」を印す。每半葉匡郭、縱二一・五×横一七・〇㎝、大字は一〇行・二二字、小字は雙行で低一格の二二字。一部上欄に音注が活字で刷られる。第九卷末に「寬永第二歳舍乙丑季春良日梅壽刊行」の刊記あり。藏印記は書頭に「朱師/轍觀」のみ。上欄に張志聰・素問識を引く墨筆書き入れと藍筆の讀點が第一册にあるが、他册になし。いささか蟲損。
當本は下記の素問注證發微と裝訂も同じ同帙本。
阿部志二九九頁、故宮新目下册六八七頁(黄帝内經素問注證發微 九卷補遺一卷十二册。(明)馬蒔撰。日本寬永戊辰(五年)豬子梅壽活字翻印明萬暦間山陰王氏本)箱號五〇三、觀字五九三號、天字〇六六三號、故觀號〇三二三三~四四
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二八・七×幅二〇・八㎝。外題なし。書根に「十(~十二)馬注素問發微」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。見返しに原本翻刻の封面(整版)があり、四周雙邊で上約四分の一の上欄に一四行・行八字の小字で「内經一書…素問四方君子須認/寶命堂原板爲記/門人石 通謹識」、下約四分の三に「闡五千年神聖之祕旨(中字)/刻馬玄臺先生内(大字)/萬暦丙戌仲春寶命堂記(中字)/經素問註證發微(大字)/開億萬載醫學之群疑」の五行が刻される。萬暦丙戌年の馮行可「序」三葉(末に校正庠友・門人の名六行)、萬暦一四年の王元敬「序」三葉、篇目三葉。卷首に「黄帝内經素問注證發微卷之一/大明太醫院正文 會稽庠生玄臺子馬蒔仲化註證/兄擧人梅梁子馬蘊仲易素校」と題し、以下本文。跋なし。卷九末に「寬永第五歳舍戊辰初秋良日豬子梅壽齋宗和重刊」の刊記あり。料紙は楮紙、有界、四周雙邊、版心大黑口・雙黑花魚尾、魚尾間に「素問卷幾 葉次」を印す。每半葉匡郭、縱二一・七×横一六・一㎝、一〇行・行二二字、小字雙行。販書時に記入のレ點・一二點、欄上の一部に墨筆の書き入れあり。「朱師/轍觀」および守敬藏印記五種。いささか蟲損。
當本は古活字本。阿部志は「〔元和末〕刊」とするが、當本第九卷末の刊記を見逃している。
故宮新目下册六八七頁(素問釋義 十卷四册。(清)張琦撰。日本鈔本)箱號一四四二、觀字六〇二號、天字〇六五五號、故觀號一三二三〇~二三三
後補中國四鍼眼裝。茶色薄手表紙に「素問釋義」を墨書。書高二三・七×幅一六・四㎝。書頭に卷一目錄一葉半、道光九年の張琦自序一葉、序ウラに「京都琉璃厰中間路南文德齋史鴻德鑴」の刊記。卷首に「素問釋義卷一/陽湖張琦宛鄰甫學」と題し、以下本文。第一册に卷一・二、第二册に卷三~五、第三册に卷六・七、第四册に卷七~一〇。料紙は薄葉斐紙で精寫、匡郭ほかなし。卷二・三のみ版心に卷次・葉次あり。半葉に大字一一行・行二三字、小字雙行・行二三字。「江戸醫學/臧書之記」「多紀氏/臧書印」「茝庭」「樂眞院」「丹波/元堅」および楊守敬の藏印記三種。識語・書き入れ等なし。江戸後期寫本。小蟲。
故宮新目下册六八七頁(素問識 八卷三册。(日本)丹波元簡撰。日本天保丁酉(八年)丹波氏聿修堂刊本)箱號不詳、觀字六〇四號、天字〇六五七號、故觀號一三二三四~二三六
日本四鍼眼原裝。藍色厚表紙、書高二五・九×幅一七・二㎝。見返しなし、扉に「櫟窗多紀先生著/素問識/天保丁酉晩秋新刊」。文化三年の丹波元簡自序一葉、元簡の「素問解題」五葉、「素問彙攷」一〇葉、「素問諸家註解書目」五葉、「附全元起本卷目」二葉。卷首に「素問識卷一/東都 丹波元簡廉夫 學」と題す。天保八年の元堅跋二葉、同年の刊本。料紙は斐紙、有界、四周單邊、版心白口、黑魚尾下に「書名 卷次 葉次 聿修堂藏版」。每半葉匡郭、縱一七・八
×横一三・九㎝、一〇行・行二三字。「弘玄院文庫(金澤文庫印に似た形で四周雙邊)」「斅」「斅印」等と楊守敬の藏印記。卷二末葉に「嘉永己酉季冬朢(望)前七日燈下讀過了 無爲識」、卷八末葉に「嘉永第三庚戌年十月上澣一讀朱批了 斅」の朱筆識語。欄上に太素との校異、楊上善注の引用、「斅按」などの書き入れあり。蟲損なし。
故宮新目下册六八七頁(素問紹識 四卷一册。(日本)丹波元堅撰。日本嘉永四年小菅翼手鈔本)箱號一四四二、觀字六〇六號、天字〇六五八號、故觀號一三二三七
日本四鍼眼原裝。灰靑色厚手表紙、書高二三・五×幅一六・三㎝。見返しに楊守敬の寫眞藏書票。料紙は薄葉斐紙。弘化三年の元堅序一葉、本文は卷一が三五葉、その末葉に「嘉永四辛朔陽月下九日…謄寫畢/小菅翼千里藏本」。卷二が三七葉、末尾(書末)に「嘉永四年歳次重光、大淵獻、孟冬旬有六日、夜…謄寫於存誠熟(塾)北窗燈下…小菅翼識之」の識語。書き入れ等なし。序部分に楊氏藏書印記三種あり。
故宮新目下册六八七頁(素問紹識 四卷二册。(日本)丹波元堅撰。日本鈔本)箱號六一、觀字六〇五號、天字〇六五九號、故觀號〇一一五六・〇一一五七
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二六・〇×幅一七・〇㎝。元堅の弘化三年序一葉。本文卷一首に「素問紹識卷第一/江戸侍醫法印副尚藥兼醫學敎諭丹波元堅學」と題す。料紙は楮紙の罫紙、有界、左右雙邊、版心白口・無魚尾。每半葉匡郭、縱一九・二×横一三・八㎝、一一行・行二四字。序文葉に「飛靑閣藏書印」の藏印記のみ。第一册末葉に藍筆で「嘉永 六月十四日校讀一過 椿庭(山田業廣)」の自筆識語。また當册には藍筆で讀點、朱筆で誤字訂正がされるが、第二册には朱の訂正のみ。筆寫者は業廣でも業精でもない。
故宮新目下册六八七頁(素問明義 一卷一册。(日本)田揚撰。日本文政三年鈔本)箱號一四六八、觀字六二四號、天字一〇四一號、故觀號一四〇八六
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二四・九×幅一六・四㎝。外題は「素難明義」に作る。序・跋なし。卷首に「素問明義/田揚子顕父述」と題す。料紙は中葉楮紙、無界・無邊・無版心・無魚尾。每半葉、一一行・行二七~二九字に筆寫。楊氏の藏印記四種のみ。書末に「文政三年庚辰正月廿六日抄竟」の識語。以下は「難經明義/田 揚子顕父著」を記す難經明義一卷一册で、兩書の合册となっている。書末に「文政三年庚辰首春念有三日抄了」の識語。全書に朱の讀點あるも、書き入れ・引用書などなく、舊藏者・筆寫者は不詳。
故宮目は書名を「素問明義」と著錄するが、「素難明義」が適切。
故宮新目下册六八七頁(素問記聞 三卷三册。(日本)玄輿中野撰。日本鈔本)箱號一四四二、觀字六〇七號、天字〇六六〇號、故觀號一三二三八~一三二四〇
日本四鍼眼裝。薄灰靑緑色厚手表紙、書高二三・三×幅一六・一㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序文なし。卷首に「素問記聞卷之一」の内題、著者名は三册とも假綴じの元表紙外題に「多記(ママ)桂山先生」を記す。料紙は中葉楮紙、界、邊、版心、魚尾、匡郭等なし。每半葉一二行・行二四字。楊氏の藏印記四種のほか、陰刻「□記(?)鼎印」の方印記あり。書末に「天明戊申夏五月會申於躋壽館書/水戸醫官 杉山策撰」が記す「題中野君素問記聞後」一葉があり、中野玄輿が不明年の二月から五月までの約一〇〇日、都で多紀公の講説を筆錄してこの素問記聞若干卷としたと記す。
故宮目は「玄輿中野撰」と著錄するが、「多紀桂山(元簡、一七五五~一八一〇)講説、中野玄輿筆錄」の著錄が適切。
故宮新目下册六八八頁(難經集注 五卷五册。舊題(周)秦越人撰。清嘉慶間阮元進呈日本活字佚存叢書本)箱號・觀字號・天字號・故觀號すべてなし
中國四鍼眼裝。藍色布表紙、題簽は黄色布に「難經」と墨書、書高二六・二×幅一七・四㎝。楊玄操「集註難經序」二葉、「集註難經目錄」一葉、本文卷首書に「王翰林集註黄帝八十一難經卷之一/盧國秦越人撰 呂廣 丁德用楊元(もと玄とあったらしいのを全卷とも切り取り、手書きの「元」を裏から張り込んでいる。清の避諱だろう)操/…」と題す。料紙は中葉上質楮紙、有界、四周單邊、版心小黑口、黑魚尾。每半葉匡郭、縱二一・三×横一四・三㎝、一〇行・行二〇字。舊藏印記は「嘉慶御覽之寶」のみ。楊氏本ではないので、もと宮中の藏本か。書き入れ等一切なく、美本。
故宮目に書名を「難經集註」と著錄するが、他本からしても「王翰林集註黄帝八十一難經」が適切。
故宮新目下册六八八頁(王翰林集注黄帝八十一難經 五卷二册。舊題(周)秦越人撰。日本慶安五年武村市兵衛刊本、日本小島質手校竝題記)箱號一四六八、觀字六一五號、天字號一〇三四、故觀號一四〇八〇・八一
日本五鍼眼裝。藍色薄手表紙、書高二六・八×幅一七・六㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。刊本書誌は下記の書に同じ。「森氏」「小嶋氏/圖書記」と楊氏の藏印記二種。卷五末葉に「小島質精校醫經」。欄上に墨筆で弘決外典鈔・萬葉集・漢書藝文志・隋書經籍志・日本國見在書目錄・荘子・伊澤憺甫・脈經・周などを引用した書き入れ、欄上・匡郭内に朱筆で讀點と古本・釋名・甲乙・丹波茝庭・(難經)正義・千金・聖惠方などを引用した校異あり。卷一末葉に朱筆で「文化十三年歳次丙子十月四日、與丹波茝庭、清原經中、源吉人、同讀訖。小島質記」、卷三末葉に朱筆で「文化十三年十二月十四日、與多紀茝庭、船橋(清原)經中、曁清川(源)吉人同讀於存精(ママ)藥室。質記」、卷五末葉に朱筆で「文化丙子陽月初六、以舊鈔補註脈訣一校了。小島質記、時在于船橋氏雨絲書屋」の識語。武村市兵衛の木記の後に一葉を加え、墨筆で聿修堂架藏志の引用と、その後に朱筆(寶素の字)で「右聿修堂架藏志、案四明高武鍼灸節用曰、宋王惟一集五家之説、而醇疪相亂、惟虞氏粗爲可觀。丙子十月六日記」の識語。
故宮新目下册六八八頁(王翰林集注黄帝八十一難經 五卷五册。舊題(周)秦越人撰。日本慶安五年武村市兵衛刊本、日本元治甲子森立之手書題識、附三部九候圖一卷・難經考注一卷)箱號一四六八、觀字六一六號、天字一〇三二號、故觀號なし
日本四鍼眼裝。淺藍色厚手表紙、書高二七・〇×幅一七・五㎝。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。楊玄操の序文三葉、目錄一葉。卷首に「王翰林集注黄帝八十一難經卷之一/盧國秦越人撰 呂廣 丁德用楊玄操/…/…/王惟一 校正附音釋」と題し、以下本文。書末に「慶安五歳孟夏日/武村市兵衛刊行」の大木記あり。料紙は薄葉楮紙、無界、四周雙邊、白口・黑魚尾で、版心に「難經集注 卷次 葉次」を刻す。每半葉匡郭、横一五・五×一九・九縱㎝、一一行・行二一字。「森氏」「弘前毉官澁/江氏藏書記」「朱師/轍觀」および楊氏の藏印記三種。森立之の筆で楊玄操序頁欄上に墨筆「釋幻雲宋本史記扁倉傳標記引、大有異同」、朱筆「舊鈔本以朱筆校、每半面九行、行廿字、注文雙行」、また別人らしき墨筆で「史記正義引、乃作仍、弘决外典鈔同」などの書き入れ。朱筆で第一册末葉に「元治甲子小春十三夜、以家藏舊鈔本校合了、時在昌平直舍 森立之」、二册末葉に「甲子十月十七日、以舊鈔本校 源立之」、三册末葉に「甲子十月十七日校了森立之」、四册末葉に「甲子十月十九日、以舊抄本一校竟 源立之」、第五册末葉に「元治元年甲子十月十九日夜燈下、以舊鈔本校合訖/速讀翁養竹森立之」、また同部左に墨筆で「此本、澁江籒齋全善道純舊藏。弘化間、余在相州津久井縣之日所贈致、界欄上有籒齋筆記、其後得古鈔本、以朱筆校之。則子孫宜永保 枳園老人」の識語あり。また當部には立之宛(神田元巖井町四拾番地)の「朝野新聞代價受取之證(金五拾錢也 明治十年六月分)」の領收書を挾む。
當本に故宮目は「附三部九候圖一卷・難經考注一卷」と著錄する。これは立之自筆の難經攷注稿本の假綴じ(一部は未綴、また切り紙のメモを挾む)で、第一綴じに「難經楊玄操注本」の書誌考證三葉、次に「難經攷注」の書名以下に集注難經序の字句の注を一葉、「王翰林集注黄帝八十一難經綱目」一葉、「王翰林集諸家補注黄帝八十一難經卷一」一葉、「一難曰…」一三葉、および未綴じ殘紙七枚(圖解など)を挾む。第二綴じは「三部九候圖 二難楊注」と標記する四紙に「二難圖解」一紙が挾まれ、ともに圖解。「二難圖解」一紙末には「丁卯十一月初八日書立之」の識語あり。
小島尚絅手校『王翰林集注黄帝八十一難經』
故宮新目下册頁六八八(王翰林集注黄帝八十一難經 五卷五册。舊題(周)秦越人撰。日本慶安五年武村市兵衛刊本、日本慶應丙寅(三年)小島尚絅手校竝題識)箱號一四六八、觀字六一七號、天字一〇三三號、故觀號一四〇六八~〇七二
日本四鍼眼裝。濃紺厚手表紙、書高二七・〇×幅一七・七㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。刊本書誌は前記本と同。表紙に「尚絅/校讀」の陽刻方印記、本文中に「小嶋氏/圖書記」と楊氏の藏印記三種あり。第一册の楊玄操序文部欄外に藍筆で「森立之所藏舊鈔本、以藍筆校、半面九行二十字、注文二行書」とあり、以下は森舊藏前記本から轉錄する。第一册末葉に「慶應丙寅六月十一日、照森枳園所藏舊鈔本一校了、醫庠舍長南窗下識、小島尚絅」、二册末葉に「丙寅六月廿三日、據古抄本校于醫庠舍長局鐙下、尚絅」、三册末葉に「丙寅七月三日、醫庠窗下校了、□」の識語あり。
故宮新目下册六八八頁(王翰林集諸家補注黄帝八十一難經 五卷二册。舊題(周)秦越人撰。日本影寫古鈔本)箱號一四六八、觀字六一四號、天字一〇三五號、故觀號一四〇七八・七九
後補中國四鍼眼裝。藍色薄手表紙、書高二六・一×幅一八・六㎝。外題は題簽に「難經集註 影古鈔本」を楊守敬が墨書。扉に楊氏寫眞藏書票。楊玄操序二葉、目錄「王翰林集注黄帝八十一難經綱目」一葉、ここのタイトル行以下に「盧國秦越人撰 東京道人石友諒音釋/呂廣 丁德用 楊玄操 虞庶 楊康候註解/翰林醫官殿中省尚藥奉 御王惟一校正」を記す。本文卷頭に「王翰林集諸家補註黄帝八十一難經卷一」の首題。各卷の題は「王翰林集註黄帝八十一難經卷一」、卷二頭「王翰林集註黄帝八十一難經卷之二」、同末「王翰林集注黄帝八十一難經卷二」、卷三頭「王翰林集註黄帝八十一難經卷之三」、同末「八十一難經第三」、卷四頭「集諸家註黄帝八十一難經卷四」、同末「黄帝八十一難經卷之四」、卷五頭「王翰林集註黄帝八十一難經卷五」、同末「王翰林集註黄帝八十一難經卷五終」と記す。料紙は薄葉斐紙で、薄葉楮紙で襯裝する。無界、無邊、無版心、無魚尾。本文、文字部天地約二〇・三㎝、九行・行二〇字。目錄部分に楊氏の藏印記四種。明治日本人の精寫で、書き入れ等一切なく、筆寫年等不詳。
故宮目は「王翰林集諸家補注黄帝八十一難經」と著錄するが、「王翰林集註黄帝八十一難經」を副題に附けるのが適切。
故宮新目下册六八八頁(難經注 不分卷一册。舊題(周)秦越人撰、(金)紀天錫注。日本考古齋鈔本)箱號一四六八、觀字六一八號、天字一〇三六號、故觀號一四〇八二
日本四鍼眼裝。極香色薄手表紙、書高二三・一×幅一六・一㎝。見返しに楊氏寫眞藏書票。序文「進難經表 臣天錫聞…」を「釋月舟史記扁鵲倉公傳標記及俗解抄」より引く。卷首に「難經註/金 紀天錫 註」と題し、以下本文。「一難…天錫言…」があり、計一・二・三・四・五・七・一二・一三・一四・一八・一九・二三・二六・二八・三〇・三一・三三・三六・三七・四〇・四二・四九・五一・五三・五六・五八・六二・六三・六五・六六・六七・六八・七八・七九・八一難を輯佚している。ただし各難とも全文ではない。料紙は「攷古齋鈔本」を左下欄外に刻す中葉楮紙の罫紙で、有界、左右雙邊、版心白口、黑魚尾。每半葉匡郭、縱一七・五×横一二・五㎝、一〇行に二三字で筆寫。序部分に「小嶋氏/圖書記」および楊氏の藏印記三種。識語・跋文ほか、記年など一切なし。朱で讀點あるのみ。輯佚者は寶素か。
故宮目の「日本考古齋鈔本」は「日本考古齋輯佚鈔本」が適切。
故宮新目下册六八八頁(鍥王氏祕傳圖注八十一難經評林捷徑統宗 六卷二册。(明)王文潔撰。明萬暦二十七年建陽劉氏安正堂刊本)箱號五〇三、觀字六八一號、天字〇七三四號、故觀號〇三四五七・〇三四五八
中國四鍼眼原裝、香色薄手原表紙(裏打ち)、書高二四・九×幅一四・九㎝。帙なし。外題は表紙に「難經 上(下) 三(四)」を朱書。書根に「三(四)難經評林」を墨書。萬暦己亥年の魏時亨「新刊圖註難經統宗序」二葉、目錄なし。卷首に「鍥王氏祕傳圖註八十一難經評林捷徑統宗卷之一/○春秋齊渤海扁鵲 秦越人 著撰/○撫東無爲子 氷鑑 王文潔 圖註/○書林安正堂 雙松 劉朝琯 繡梓」と題し、以下本文六卷。書末に「萬暦己亥歳孟冬/劉氏安正堂舍梓」の木記を持った小兒の繪圖あり。跋なし。料紙は竹紙。有界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、象鼻に「王氏註釋評林」、魚尾間に「難經幾卷」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一七・四×横一二・四㎝、九行・行二一字、小字雙行。層格を設け、縱約二・三㎝、無界、一八行・行四字。「數原家藏」「与住藏書」および不詳圓印記。卷一に朱點あるが、識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損、版心切れ、やや破損。後記の「鍥王氏祕傳叔和圖注釋義脈訣評林捷徑統宗」と同帙本。
故宮新目下册六八九頁(傷寒卒病論集、又名傷寒論 不分卷一册。(漢)張機撰。日本鈔本)箱號五〇三、觀字六四一號、天字〇六八二號、故觀號〇三三二八
日本四鍼眼康煕裝。茶色薄手表紙、書高二一・〇×幅一五・一㎝。楊氏寫眞藏書票を貼る。張機の序文三葉、次に目錄八葉(處方の所出部)。本文卷首に「辨太陽病脈證幷治上」の内題のみ。料紙はやや不透明の微黄斐紙、有界、四周單邊、版心白口・單黑魚尾の罫紙を使用。每半葉匡郭、縱一三・六×横九・九㎝、九行・行一八字、小字注は雙行。楊氏の藏印記四種あるのみ。識語・跋文なし。文中の小字雙行注に成無己本・張卿子本・宋版(趙開美本)・金匱・外臺・玉函・千金翼・全書との校異、欄外・空行に朱墨の筆で衡山・惟忠・爲則・(素問玄機)原病式・藥徴・(傷寒論)集成・(傷寒論)辨正を引用した書き入れあり。
當本は吉益流の人物(あるいは衡山)が、多紀氏校訂の小刻傷寒論を筆寫した上に書き入れしたものか。
故宮新目下册六八九頁(定本傷寒論一卷 附金匱玉函要略方一卷 一册。(日本)吉益辰撰。日本鈔本)箱號六一、觀字六五四號、天字〇六九七號、故觀號〇〇八九三
日本四鍼眼裝。薄黄色押し目紋樣薄手表紙、書高二七・四×幅一九・〇㎝。文化九年壬申冬十一月の吉益辰「定本傷寒論序」二葉、文化癸酉冬十二月の男・靖の序二葉、凡例二葉。卷首に「定本傷寒論/蠃齋吉益先生撰次 男 靖子恭記」と題し、以下本文計二一葉。これに續け金匱玉函要略方(書名以外に記載なし)一二葉。料紙は上質楮紙、界・邊・版心・魚尾なし。每半葉、一一行・行二〇字。「朱師/轍觀」と楊氏の藏印記三種のみ。識語・書き入れ等なし。
吉益東洞の説を発展させ、仲景の原文を復元しようとした書。
故宮新目下册六八九頁(補正輯光傷寒論 二卷一册。(日本)吉益東洞撰。日本鈔本)箱號未詳、觀字六五八號、天字〇六八五號、故觀號〇三三三二
日本四鍼眼裝。灰緑色の木の葉模樣を印刷した厚手表紙、書高二三・〇×幅一七・〇㎝。文政四年の梶忠「補正輯光傷寒論序」四葉、同年の藤田大信「補正輯光傷寒論凡例」三葉。卷首に「補正輯光傷寒論卷上/東洞吉益先生 遺敎/貉丘岑 先生 閲/門人 〔常陸 藤田大信/上毛 鶴田 眞/東都 向田 廸〕(以上三行) 補正」と題す。壬午秋八月の土田禮「補正輯光傷寒論跋」一葉、文政五年の椿齋「附言」一葉、その末尾に四周雙邊で「終古堂藏」の木記を寫す。料紙は薄葉楮紙、界・邊・版心・魚尾なし。每半葉、一〇行・行一九字。「喦□」の圓印と楊氏の藏印記四種のみ。書き入れ引用書等なし。
『國書總目錄』『古典籍總合目錄』は吉益南涯の著とし、文政五版・天保九版の同名書二卷二册および江戸寫の輯光傷寒論二卷一册を著錄する。當本は文政五版からの轉寫(荒川綠氏のご指摘による)。故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「江戸〔後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册六八九頁(改正傷寒論 五卷二册。(日本)中嶋國光撰。日本明治間鈔本)箱號六一、觀字六五五號、天字〇六九九號、故觀號〇〇八九四・八九五
日本四鍼眼裝。墨黑色薄手表紙、書高二四・六×幅一六・八㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。明治二年の中嶋國光「改正傷寒論序」一葉、凡例一葉、「改正傷寒論目錄」一葉。卷首に「改正傷寒論卷之一/東京桃林中嶋國光著〔門人聖籓紫原辰/男 謙光(以上雙行)同校」と題し、以下本文。料紙は上質楮紙、界・邊・版心・魚尾なし。每半葉、一〇行・行二一字。「朱師/轍觀」と楊氏の藏印記一種のみ。識語・書き入れ等なし。全書に朱點あり。
當本は吉益南涯流で傷寒論の原文を復元し、注釋した書。
故宮新目下册六九五頁(金匱玉函經 存四卷二册。(漢)張機撰。清康熙五十五年上海陳世傑校刊本)箱號未詳、觀字六二五號、天字〇七二三號、故觀號〇三四四〇・〇三四四一
後補中國四鍼眼裝。濃紺色中手原表紙、書高二七・〇×幅一七・五㎝。帙なし。外題なし。書根に「上(下) 金匱玉函經」を墨書。見返しに四周雙邊で「(小字)漢張仲景先生著/(大字)金匱玉函/經眞本/(小字)本衙藏板」の封面、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。治平三年の林億等「校正金匱玉函經疏」二葉、康煕丁酉年の何焯「後」二葉、丙申年の汝楫「重刻金匱玉函經序」三葉、康煕丙申年の陳世傑「重刻張仲景金匱玉函經序」三葉、目錄一〇葉。卷首に「金匱玉函經卷第一/上海陳世傑懐三重校/漢仲景張機著/門人張邵煥有文參/晉王叔和撰次/平江余謙牧心恭重校/宋林億等校正/門人張 嵩峻天閲」と題し、以下本文存四卷。料紙は白棉紙で黄變し、中國襯裝。有界、四周雙邊、版心白口・單白魚尾、象鼻に「金匱玉函經」、魚尾下に「卷幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・二×横一四・六㎝、八行・行一八字。「桂川□□(朱塗り抹消で讀めず)」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記二種。卷三まで藍點あり、藍筆で卷一末に「文化乙亥中元日讀過。質識」、卷二末に「中元日燈下訖。攷古齋書」、卷三末に「十一月七日讀于考古/齋中。尚質燈下書」の識語。一部欄上に墨筆書き入れあり。蟲損なし、糸切。
故宮目は「康熙五十五年上海陳世傑校刊本」と著錄するが、「康熙五十六年跋刊上海陳世傑重校本」が適切(荒川綠氏のご指摘による)。
故宮新目下册六九五頁(金匱玉函經 八卷四册。(漢)張機撰。日本延享三年平安成美堂翻刊清康熙陳世傑校本)箱號未詳、觀字六二六號、天字〇七一五號、故觀號〇三四一一~〇三四一四
日本四鍼眼原裝。押し目紋樣茶色厚手表紙、書高二六・一×幅一八・四㎝。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。扉に四周雙邊で「清本翻刻/金匱玉函經/平安成美堂藏版」の封面、そのウラに原封面が四周雙邊で「漢仲景張先生著(以上小字)/金匱玉函/經眞本(以上大字)/本衙藏板(以上小字)」とある。以下は延享三年の清水敬長「翻刻金匱玉函經引」二葉、康煕丙申の陳世傑「重刻張仲景金匱玉函經序」三葉、丙申年の汝楫「重刻金匱玉函經序」三葉、治平□(印刷かすれるが「三」)年の林億等「校正金匱玉函經疏」二葉、「金匱玉函經目錄」一〇葉。卷首に「金匱玉函經卷第一」の内題、以下本文。書末に康煕丁酉年の何焯跋文二葉。奧附は四周單邊で「成美堂藏/延享五年戊辰季春/発行所 中川藤四郎/和蘭内外分合圖(以下小字雙行)解體臓腑男女ヲ分チ/懐胎ノ象マテヲ出ス」。料紙は中葉楮紙、有界、四周雙邊、象鼻に「金匱玉函經」、單黑魚尾下に「卷幾 葉次 成美堂藏」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・一×横一四・三㎝、八行・行一八字。「九折堂山田/氏圖書之記」「伊澤氏/酌源堂/圖書記」および楊氏藏印記三種。本文のおおむねに藍筆で讀點を打つが、識語・書き入れ等はなし。
故宮目は「日本延享三年平安成美堂翻刊」と著錄するが、これは成美堂の初版年につき、「日本延享五年平安成美堂後印」が適切(荒川綠氏のご指摘による)。
故宮新目下册六八九頁(註解傷寒論 十卷四册。(漢)張機撰。明嘉靖庚申(三十九年)新安汪氏校刊本)箱號未詳、觀字號なし、天字〇七一二號、故觀號なし
後補中國四鍼眼裝。濃藍色中手表紙、書高二二・八×幅一五・三㎝。帙なし。外題なし。書根に「傷寒 全」を墨書。見返しに「張仲景論」(大字)/京本註解 明德堂梓(小字)/傷寒全書(大字)」の封面、扉部位に楊氏寫眞藏書票を貼る。嘉靖三八年の鄭佐「新刻傷寒論序」二葉、甲子年の嚴器之「註解傷寒論序」二葉、「圖解運気圖」九葉。卷首に「註解傷寒論卷第一/漢張仲景著 晉王叔和撰次/宋成無己註 明汪濟川校正」と題し、以下本文一〇卷。書末に「庚午年孟春熊氏/種德堂春軒刊行」の木記あり。料紙は薄葉竹紙、有界、四周單邊(一部左右雙邊)、版心白口・單白魚尾、卷三以降に亦・璁・玘・六・琇・茲などの刻工名。每半葉匡郭、縱一七・八×横一二・四㎝、一〇行・行一九字。小字なく、成無己注は低一格。「伊澤氏/酌源堂/圖書記」「九折堂山田/氏圖書之記」および楊氏の藏印記五種。一部に朱點・朱引き、欄上に朱墨の書き入れあり。
故宮目は「明嘉靖庚申(三十九年)新安汪氏校刊本」とするが、「明隆慶庚午(四年)熊氏種德堂刊本」が適切。次本も同版。
故宮新目下册六八九頁(註解傷寒論 十卷三册。(漢)張機撰。明嘉靖庚申(三十九年)新安汪氏校刊本)箱號五〇三、觀字號なし、天字〇七一一號、故觀號なし
後補中國四鍼眼裝。濃藍色中手表紙、書高二二・七×幅一五・三㎝。見返しに「張仲景論」(大字)/京本註解 明德堂梓(小字)/傷寒全書(大字)」の封面、扉部位に楊氏寫眞藏書票を貼る。嘉靖三八年の鄭佐「新刻傷寒論序」二葉、甲子年の嚴器之「註解傷寒論序」二葉、「圖解運気圖」九葉。卷首に「註解傷寒論卷第一/漢張仲景著 晉王叔和撰次/宋成無己註 明汪濟川校正」と題し、以下本文。料紙は黄變した薄葉竹紙、有界、四周單邊(一部左右雙邊)。版心白口・單白魚尾、卷三以降に亦・璁・玘・六・琇・茲などの刻工名。每半葉匡郭、縱一七・八×横一二・四㎝、一〇行・行一九字。小字なく、成無己注は低一格。書末に文政壬午年の「蕐本成氏注解傷寒論四册、余獲之友人僧商山。商山一日携此書來曰、是…文政壬午中元後二日、谷其章記」の識語。全書に朱點、欄上に宋板・玉函・金匱・脈經による墨筆校異あり。刊記等なし。「其/章」「可/貞」および楊氏の藏印記五種のみ。
故宮目は「明嘉靖庚申(三十九年)新安汪氏校刊本」とするが、前記「註解傷寒論 十卷四册」と同版につき、「明〔隆慶庚午(四年)熊氏種德堂〕刊本」が適切。
故宮新目下册六九〇頁(註解傷寒論十卷 論圖一卷 四册。(漢)張機撰。明應天徐鎔步月樓刊本)箱號未詳、觀字號なし、天字〇六七八號、故觀號なし
後補日本四鍼眼裝。中手香表紙、書高二四・二×幅一五・三㎝。帙なし。外題は表紙に「注解傷寒論」を墨書。見返しを剝がし楊氏寫眞藏書票を貼る。そのウラに四周雙邊で「成無己先生註解(小字)/傷寒論(大字)/附明理論 歩月樓梓行(小字)」、欄上に「張仲景先生著」の封面。甲子年の嚴器之「注解傷寒論序」二葉、仲景「傷寒卒病論集」二葉、目錄二葉、藥方目錄七葉、運気論圖一三葉。卷首に「注解傷寒論卷第一/漢張仲景述 王叔和撰次 成無己注解/明新安呉勉學師古閲 應天徐鎔春沂校」と題し、以下本文一〇卷。跋なし。料紙は白棉紙でやや黄變。有界、四周雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「傷寒論」、魚尾下に「卷幾」、下象鼻に葉次、しばしば刻字數を刻す。每半葉匡郭、縱一九・七×横一三・五㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。楊氏藏印記五種のみ。全書に朱點・朱引き、欄上に朱筆で古本・全書本・醫方類聚、墨筆で宋本との校異あり。朱筆で卷一末尾に「天保七年丙申四月廿六日校合了 敦敎 花押」、卷二末尾に「丙申五月朔校讀/子厚」、卷三末に「天保丙申九月十九日三更、燈下句了」、卷五末に「九月廿一日句了」の識語。卷一〇末尾に朱筆で「注文參作叁、與作与、獨作独、熱作热、實作实、無/作无、處作処、變作変、劑作剤、關作関、貳作弐、/雖作…聲作/声。連字下者作ゝ之類、无係文異同、故每字/不尽記載。然字帯行體者、古本之一證也。/今攅錄附于此」、次葉に墨筆で「桂山劉先生藏古本傷寒論、字體帯行、畫/勢盈界、且簽色稍黑、頗類胡元之物。然筆/法軟弱、更無氣韻、則其爲明初之刻本、不/復有疑。/蓋徐春沂校本之所原也。但余未見/傷寒論刻有舊焉者、故稱古本校之徐本。/文化十一年甲戌正月十日伊澤恬記/(二印記の枠のみ模寫)」、裏に朱筆で「借伊澤氏酌源堂之校本、今又校于此。/天保七年丙申九月廿五日/瀧波敦敎」の識語。蟲損なし。
故宮新目下册六九〇頁(註解傷寒論 十卷三册。(漢)張機撰。日本天保乙未(六年)躋壽館翻元刊本)箱號五〇三、觀字六三七號、天字〇七〇五號、故觀號〇三三六八~〇三三七〇
日本四鍼眼裝。藍色厚手表紙、書高二五・七×幅一七・八㎝。封面に四周單邊で「元版模刻(小字)/註解傷寒論(大字)/躋壽館(小字)」。甲子年の嚴器「註解傷寒論序」二葉、張機の「傷寒卒病論集」二葉、「傷寒十卷排門目錄」二葉。卷首に「註解傷寒論卷第一/仲景述 王叔和撰次 成無己註解」と題し、以下本文。目錄末葉に四周雙邊で「天保乙未秋/躋壽館刻梓」の木記。料紙は厚葉楮紙、有界、左右雙邊、版心小黑口・雙黒魚尾、一部は三黑魚尾。上象鼻の多くに刻字數、魚尾間に「方幾 葉次」。每半葉匡郭、縱一九・三×横一二・五㎝、一一行・行二〇字。「田中藏書」「朱師/轍觀」および楊氏の藏印記三種。識語・跋なし。第一册後半に藍點あるが、他に書き入れ引用書などなし。
故宮新目下册六九〇頁(註解傷寒論考異 一卷一册。(日本)丹波元昕撰。日本鈔本)箱號一四六八、觀字六五三號、天字一〇〇四號、故觀號一四〇一四
後補中國四鍼眼假裝。楮紙假表紙、書高二七・六×幅二〇・〇㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。丁未(誤寫で實際は天保乙未の一八三五年)年の丹波元昕「注解傷寒論攷異」序(「元版は訛字が頗る多く、この仿元出版(前記躋壽館翻元刊本)にあたり醫統正脈全書の徐鎔校本と汪濟川校本、また張卿子仲景全書本、醫方類聚本、宋板傷寒論と校異して訂正、また異同を書き出した」という)あり。以下本文計一五葉。料紙は上質楮紙、有界、左右雙邊、版心白口、魚尾なし。每半葉匡郭、縱一九・五×横一二・四㎝、一一行・行二〇字、小字雙行。楊氏の藏印記三種のみ。識語・跋なし。朱筆による行中の訂正、上欄への書き入れ、墨筆による上欄書き入れあり。
『國書總目錄』『古典籍總合目錄』に著錄なし。
故宮新目下册六九〇頁(傷寒論條辨八卷 附本草鈔一卷 四册。(明)方有執撰。日本享保丁酉(八年)京都書林翻刊明萬暦本)箱號五〇三、觀字六四三號、天字〇七〇三號、故觀號〇三三六〇~〇三三六三
日本四鍼眼裝。厚手香表紙、書高二六・四×幅一八・六㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。封面は四周雙邊で「方有執先生著(小字)/傷寒論條辨(大字)/平安書林梓行(小字)」。享保丁酉の大炊周迪の跋文二葉、圖説四葉、萬暦癸巳の方有執「傷寒論條辨引」二葉、「削傷寒例」一葉、萬暦壬辰年の方有執「刻傷寒論條辨敍」三葉、萬暦戊戌年の方有執「痙書敍」三葉。以下「痙書」本文二二葉、「痙書或問」三葉、萬暦己亥年の方有執「痙書跋」二葉、「傷寒論條辨跋」二葉(以下は底本とした唐本にもともと闕、と左下欄外に刻す)、辛卯年の方有執「傷寒論條辨後序」四葉、萬暦己丑年の方有執「傷寒論條辨前序」三葉。卷首に「傷寒論條辨卷之一/歙人 方有執中行甫條辨」と題し、以下本文卷一~八。卷八以後に「傷寒論條辨或問」一七葉、「傷寒論條辨本草鈔」三八葉、「平安書舗玉枝軒醫書藏板目錄」二葉、最後に奧附「享保八年癸卯立秋秋吉日 八木梅庵 訓點/(以下に「京都書林」四店の同刻を刻す)」。料紙は薄葉楮紙、無界、四周雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「傷寒條辨」、魚尾下に卷次(ないし「本草」等)、下象鼻に「○葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・三×横一四・六㎝、九行・行一九字、小字雙行。「伊澤氏/酌源堂/圖書記」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記二種。識語・書き入れ等なし。いささか蟲損。
故宮目は「傷寒論條辨八卷 附本草鈔一卷 四册」と著錄するが、「傷寒論條辨八卷 附本草鈔一卷・痙書一卷 四册」が適切。
故宮新目下册六九〇頁(傷寒論注四卷 附翼二卷 六册。(漢)張機撰。清乾隆甲寅(五十九年)金閶經義堂刊本)箱號五〇三、觀字六四七號、天字〇七一〇號、故觀號〇三三七二~〇三三七七
中國四鍼眼原裝。薄手原香表紙、書高二四・〇×幅一五・二㎝。帙なし。外題なし。書根に「元(~貞)傷寒來蘇集」「上(下)傷寒附翼」を墨書。見返しに四周雙邊で「古呉葉天士評批(小字)/傷寒來蘇集(大字)/金閶經義堂藏板(小字)」、欄上に「慈谿柯韻伯先生原本」の封面。無記年の衛延璞「序(寫刻體)」四葉、乾隆乙亥年の馬中驊「序」二葉、凡例三葉、己酉年の柯琴韻伯「自序」三葉、甲寅年の柯琴「傷寒論註自序」三葉、張機「傷寒論雜病論原序」二葉、目錄五葉。卷首に「傷寒論註卷之一/南陽 張機 仲景原文/慈谿 柯琴 韻伯編註/崑山 馬中驊驤比較訂」と題し、以下本文四卷。跋なし。附錄は丙戌年の葉桂序一葉、卷頭に「傷寒附翼卷之上/慈谿 柯琴 韻伯編/崑山 馬中驊驤比較」と題し、以下本文二卷。料紙は薄葉白棉紙でやや黄變。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「傷寒論註」、魚尾下に「卷幾 篇名」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・〇×横一二・六㎝、一〇行・行二一字。小字なく、注は低一格。「養安院藏書」(養安院部分を朱で塗りつぶす)および楊氏藏印記三種。識語なし。一部に朱點あるが書き入れ等なし。蟲損なし、表紙破れ。
故宮目は「(漢)張機撰」と著錄するが、「(清)柯琴編註」が適切。
故宮新目下册六九〇頁(傷寒論注四卷 附翼二卷 四册(誤認、正しくは六册)。(漢)張機撰。清乾隆甲寅(五十九年)金閶經義堂刊本)箱號五〇三、觀字六四六號、天字〇七〇七號、故觀號〇三三九四~〇三三九九
中國四鍼眼原裝。薄手原香表紙、書高二四・七×幅一五・三㎝。帙なし。外題なし。書根に「一(~四)傷寒論註」「五(六)傷寒附翼」(この六本の册順に混乱あり)を墨書。以下、書誌事項は前記「傷寒論注四卷 附翼二卷 六册」に同。楊氏藏印記二種のみ。識語なし。全書に中國人の筆で墨點、書き入れあり。蟲損なし、表紙破れ。
日本舊藏書に非ず。故宮目は「(漢)張機撰」と著錄するが、「(清)柯琴編註」が適切。
故宮新目下册六九〇頁(傷寒論註 八卷八册。(漢)張機撰、(清)柯琴注。日本文政辛巳(四年)刊本)箱號未詳、觀字六四五號、天字〇七〇八號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。灰色厚手表紙、書高二〇・〇×幅一八・一㎝。封面は四周雙邊で「慈溪柯韻伯先生著(小字)/傷寒論註來蘇集(大字)/清 乾隆丙戌之原本(小字)」、その上欄に「大日本文政四年辛巳歳重刻」を刻す。楊氏寫眞藏書票を插み貼る。文化甲戌の丹波元胤「傷寒來蘇集序」三葉、文化七年の鈴木素行良知「翻刻柯氏傷寒論註來蘇集序」三葉、衞廷璞筠園「傷寒論註序」二葉、乾隆乙亥年の馬中驊「傷寒論註序」一葉、李諾楚重「傷寒論註序」二葉、己酉年の柯韻伯「傷寒論註自序」三葉、凡例三葉、「傷寒雜病論原序」二葉、卷一目次一葉。卷首に「傷寒論註卷之一/南陽 張機 仲景原文/慈溪 柯琴 韻伯編註/崑山 馬中驊驤北較訂」と題し、以下本文。料紙は中葉楮紙、有界、四周單邊、版心大黑口・線魚尾、象鼻に「傷寒論註卷幾」、下象鼻に篇名・葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・〇×横一三・九㎝、一〇行・行二一字。卷五・六は「傷寒附翼卷之五・六」、卷七・八は「傷寒論翼卷上・下」。卷七頭に甲寅年の柯琴「自序」三葉、卷八末に春園高野休子逸の「翻刻傷寒論註跋」二葉。奧附は四周單邊で上部に「書舗/発行所」、下部に「京都…/須原屋平左衛門/大坂…/松村九兵衞/江戸…/須原屋平助/同…/前川六左衛門/同…/大和田安兵衞/同…/山田佐助」。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種のみ。第五册(傷寒附翼卷五)末に藍筆で「天保九年十一月廿一日讀了。信重(伊澤柏軒)」の識語。書き入れ等なし。
故宮新目下册六九〇頁(再重訂傷寒集註 十五卷二册。(清)舒詔撰。清乾隆庚寅(三十五年)重刊本)箱號五〇三、觀字六四四號、天字〇六九〇號、故觀號〇三三三八・〇三三三九
中國四鍼眼原裝。薄灰色薄手表紙。帙なし。外題なし。書根に「上(下)傷寒論集註」を墨書。見返しの黄色紙に四周雙邊で「進賢舒馳遠先生著(小字)/新增傷寒集註(大字)/(以下小字)六經窆法 答門人問 痢門挈綱 女科要訣/後附麻痘眞詮 瘟疫論 眞陽論 附辨肺癰肺痿/吐血論 芪朮不固表論 脉圖 辨訛 辨脉」の封面。無記年の雷鉱「原序」一葉、乾隆三五年の舒詔「再重訂傷寒集註自序」三葉、凡例二葉、總目八葉。卷首に「再重訂傷寒集註/進賢舒詔馳遠著」と題し、以下本文一五卷。跋なし。料紙は薄葉竹紙。無界、四周單邊、版心白口・黑單魚尾、象鼻に「傷寒集註」、魚尾下に「卷幾 篇名」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・二×横一三・二㎝、一〇行・行二二字、小字雙行。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。一部に墨讀點あるが識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
日本舊藏本に非ず。
故宮新目下册六九〇頁(張仲景傷寒論辨證廣注十四卷・中寒論辨證廣注三卷、五册。(清)汪琥纂輯。清康熙間呉郡蔭槐堂刊本)箱號五〇三、觀字六六一號、天字〇七〇〇號、故觀號〇三三五三~〇三三五七
中國四鍼眼原裝。薄手香表紙。帙なし。外題なし。書根に「一(~五)傷寒辯註(~中寒辯註)」を墨書。見返しの黄色紙に四周單邊で「長洲苓友纂輯/傷寒論辨註/呉郡蔭槐堂藏板」の封面。康煕庚申年の汪琥「自序」二葉、凡例五葉、採輯古今諸家傷寒書目(各書に解題あり)一五葉、目錄九葉、無記年の李逢春跋一葉。卷首に「張仲景傷寒論辯證廣註卷之一/長洲汪 琥苓友辯註」と題し、以下本文一四卷。中寒辯註は凡例三葉、引用書目二葉、「辯中寒爲眞寒論」三葉、目錄三葉、卷頭に「張仲景中寒論辯證廣註卷之上/長洲汪 琥辯註 門人周松楙校」と題し、以下本文三卷。各卷末に「奇陽李子/東辟藏板」の木記あり。料紙は竹紙、有界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「傷寒辯註卷幾/篇名 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・七×横一五・二㎝、一〇行・行一九字、小字雙行。楊氏藏印記三種のみ。識語・書き入れ等なし。やや蟲損。中に日本楮紙に墨書した奔・賁に關する和文メモあり。
故宮新目下册六九〇頁(張仲景傷寒論貫珠集 八卷七册。(清)尤怡撰。日本文政丙戍(九年)稽古齋刊本)箱號五〇三、觀字六六〇號、天字〇六九二號、故觀號〇三三四三~〇三三四九
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二六・〇×幅一六・九㎝。封面は四周單邊で「清尤在涇註釋(小字)/傷寒貫珠集(大字)/稽古齋藏版(小字)」、上欄に「文政丙戌新鎸」を刻す。楊氏寫眞藏書票を挾み貼り、文政丁亥の樗園良「傷寒貫珠集敍(寫刻體)」二葉、文政十年の丹波元胤「傷寒貫珠集敍(寫刻體)」二葉、文政九年の小川汶庵「刻傷寒貫珠集序」二葉、嘉慶庚午の朱陶性序一葉、「張仲景傷寒論貫珠集目錄」一〇葉。卷首に「張仲景傷寒論貫珠集卷之一/清 尤在涇 註釋/日本 小川汶庵 校梓」と題し、以下本文。卷八以後に「附載」として呉醫彙講より尤在涇の傳三葉、文政丙戌の石塚尹汶上「飜刻傷寒貫珠集跋(寫刻體)」二葉。奧附は文政一〇年で、四周單邊に神田・北嶋順四郎ほか三都計六書林を刻す。料紙は中葉楮紙、有界、四周單邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「傷寒貫珠集」、魚尾下に「卷之幾 篇名 葉次」、下象鼻に「稽古齋藏梓」を刻す。每半葉匡郭、縱一六・二×横一三・〇㎝、本文一〇行・行二〇字。四周單邊・陽刻・長方形の「爲春齋/藏書記」および楊氏の藏印記三種。識語・書き入れ等なし。
故宮目は「日本文政丙戍(九年)稽古齋刊本」と著錄するが、「日本文政丁亥(十年)江戸書林北嶋順四郎等刊、稽古齋藏梓本」が適切。
故宮新目下册六九一頁(傷寒雜病論集解 三卷三册。(日本)高亨元貞撰。日本鈔本)箱號六一、觀字六六六號、天字〇六九六號、故觀號〇〇九三二~九三三
日本四鍼眼裝。薄手香表紙、書高二五・八×幅一七・七㎝。書頭に「傷寒雜病論集解題言/高亨元貞父記」一葉、「傷寒雜病論疏」一葉、「金匱玉函經疏」一葉、「金匱要略方論疏」一葉、卷上目錄一葉、以下本文。第一册・卷上には統一書名なく、各篇名(證治總例・辨脉法・平脉法・傷寒例・藏府經絡…五藏風寒積聚…玉函附遺方・雜療方・禽獸魚蟲禁忌・菓實菜穀禁忌・熱病陰陽交併死證・方藥炮製・以下可不可等計一六篇)を記す。第二册・卷之中は目錄(三陰三陽各篇および金匱の諸篇)、卷首に「傷寒雜病論集解卷之中/漢 張仲景論著/晉 王叔和撰次/宋 林億等校正/大日本 高元貞注解」と題し、以下は張機の序文一葉。第三册卷之下は處方集で、桂枝湯類・麻黄湯類・柴胡湯類・瀉心湯類・呉茱萸湯類などに分類、方名・構成藥・分量・調製法を記す。料紙は薄葉楮紙、界・邊・版心・魚尾なし。每半葉、一六行・行二七字。「□□□□□(陰刻、「貞元/高/亨印」か)」「朱師/轍觀」および楊氏藏書記二種。羽柴純安の名を記した紙片を各册に挾む。識語・書き入れ等なし。
精寫本につき、あるいは著者稿本か。故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「江戸〔後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册六九一頁(傷寒總病論六卷 附音訓一卷 三册。(宋)龐安時撰。日本鈔本)箱號五〇三、觀字七三六號、天字〇六八八號、故觀號〇三三三四~〇三三三六
日本四鍼眼原裝。厚手香表紙、書高二三・四×幅一五・八㎝。元符三年の黄庭堅「傷寒總病論序」一葉、「傷寒總病論目錄」四葉。卷首に「傷寒總病論卷一/蘄水龐安時撰」と題し、以下本文。料紙は中葉楮紙、界・邊・版心・魚尾なし。每半葉、一〇行・行二一字。卷三まで本文の筆寫者同一。卷四本文は別筆。第三册の卷五・六および附錄の跋文・音訓・修治藥法等はまた別筆。見返しに小紙を貼り、「此總病論、三先生校訂標記三册、元治乙丑四月/及門三橋通明模謄全了(以上墨筆、森立之の自筆)五月九日卒業(以上朱筆、立之の自筆)/岡西道久亦了。慶應乙丑七月了(以上墨筆、森約之の自筆)」とある。黄庭堅序の前後各半葉に二識語あり、前者は墨筆で「山谷作龐安常傷寒論後序云。前序海上道人/諾爲之、故虛右以待、道人指東坡也。今又書聖散/子傳、若安常所謂得二公而名彰者耶。淳煕/庚子正月十四日。/右必大跋山谷書東坡聖散子傳」、後者は朱筆で「桂山多紀先生曰。案、海上道人蓋指東坡、此時坡謫在儋耳、/故稱海上道人。坡答龐書亦有當爲作題首一篇、寄去/方苦多事之語。山谷作此序、明年建中靖國元年坡/于常州。故不序及之乎、殊可惜矣(以上は三橋通明の筆か)。/森約之案所云。東坡序、即本書卷六與音訓卷之中間、/所插刻之。東坡啓一篇者、即黄山谷所云之海上道人、/前序者是也。故宋本之體、本書開卷最第一有東坡/啓眞行絶美、字大於錢、凡三頁。其次有黄序、次有目/錄、次有卷第一。可知蘇啓乃所謂前序也(以上は約之自筆)」。第一册(卷一、二)末葉に朱筆で立之自筆「元治甲子小春廿六夜、以黄丕烈覆刻/宋本校正一過。/藥翁 森立之」、すこし空け朱筆で「文政庚辰榴月八日、訖業。恬(伊沢蘭軒)」、次行に藍筆で「癸未二月十四日、句讀一過。善(澁江抽齋の自筆)」あり。卷三末葉に朱筆で「庚辰六月五日一校訖。信恬(伊澤)」、次行に藍筆で「文政六年二月十六日對讀一過了(澁江か)」、次行に立之の朱筆で「元治元甲子望十一月朔旦、以宋本校」の識語あり。卷六本文末尾に立之の朱筆で「宋本前文後有如此草字一葉、蓋東坡自書之模本耳。今此本、以此文插入前文中間者、誤宋本右啓文。及又白文竝在此書首黄庭堅序之前、即古之面目也」とあり、その下に東坡の文を模寫する。附錄の修治藥法末尾に墨筆で「辛亥仲春初四日校/櫟蔭精舍午後訖/元簡記」、また宛丘張氏跋文を補記した後に「右張文濳跋、見馬氏經籍考。聊錄于此、以俟得宛丘集而訂之。元簡識」の識語。書末に立之の朱筆で「元治甲子十一月六日三更、燈下以宋本校竟、時在昌平直樓。/養竹森立之」、また伊澤の朱筆で「庚辰六月斗現日、信恬校/於酌源堂北軒。時靑木/掟藏贈靑裳一株、命家/僮栽之」、その次行以下に澁江の藍筆で「文政六年二月十八日、與家大人對讀一校畢卒。善」あり。「弘前毉官澁/江氏藏書記」「森氏」、また四周單邊陽刻の「鈔寫旡/畢讀/誦亦遍」(澁江の印か)および楊氏藏書印記三種あり。全册に朱點・藍點、朱筆の文字訂正、朱筆・藍筆による頭注多し。
故宮目は單に「日本鈔本」と著錄するが、「日本江戸末鈔本、伊澤・澁江・森等朱藍筆校訂」が適切。彼らの研鑽過程を知らしめる資料。
故宮新目下册六九一頁(重雕宋刻傷寒總病論札記 一卷一册。(清)黄丕烈撰。日本影鈔清道光黄氏士禮居刊本、森約之墨筆手校)箱號五〇三、觀字七三七號、天字〇六八九號、故觀號〇三三三七
日本四鍼眼裝。薄手香表紙、書高二三・五×幅一五・三㎝。卷首に「重雕宋刻傷寒總病論札記」の内題、以下に黄丕烈の識語、諸本との校勘札記全一三葉。末尾に四周單邊で「道光癸未歳呉門黄氏士/礼居開雕同邑施南金書」の木記、道光癸未の黄丕烈「題宋刻龐安常傷寒總病論後」二葉。料紙は薄葉楮紙、界・邊・版心・魚尾なし。每半葉、一〇行・行二〇字。「森氏」および楊氏の藏印記三種。書の上欄諸處に森約之の自筆按語、書末に「右總病論札記十三頁、跋二頁、慶應乙丑閏五月十五日、精校一過了。森約之梫逆養眞齋丶」の自筆識語。
故宮目は「日本影鈔清道光黄氏士禮居」と著錄するが、「日本慶應元年(一八六五)影鈔清道光黄氏士禮居」が適切。
故宮新目下册六九一頁(仲景傷寒補亡論 二〇卷三册。(宋)郭雍撰。清道光元年長洲徐氏太平軒重刊本)箱號五〇三、觀字七四〇號、天字〇六九一號、故觀號〇〇三三四〇~三四二
中國四鍼眼原裝。香色薄手原表紙、書高二四・八×幅一五・五㎝。帙なし。外題なく、書根に「上(~中・下)傷寒補亡論」を墨書。見返しに四周雙邊で「宋河南郭雍撰次/傷寒補亡論/道光元年重刊心太平軒藏板」の封面、萬暦甲戌年の劉世延「明重刊補亡論序」二葉、淳煕八年の郭雍「仲景傷寒補亡論自序」四葉、道光元年の徐錦「序」一葉、凡例二葉、目錄四葉。卷首に「仲景傷寒補亡論卷第一/河 南 郭 雍 譔 次」と題し、以下本文二〇卷。書末に「呉郡胥門内/張金彪局刻」の刊記、慶元元年の朱熹「朱子跋郭長陽醫書」二葉、無記年の范洵「跋」一葉。料紙は竹紙。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「仲景傷寒補亡論」、魚尾下に「卷幾 篇名 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一六・八×横一二・一㎝、九行・行二〇字、小字雙行・行二〇字。楊氏藏印記三種のみ。識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損。
阿部志三〇一頁、故宮新目下册六九一頁(類證增注傷寒百問歌 四卷四册。(宋)錢聞禮撰。元至大二年刊本)箱號六四、觀字號・天字號なし、故觀號〇〇六七六~六七九
後補日本四鍼眼裝。藍色厚手表紙、書高二四・三×幅一五・一㎝。至大己酉の詹清子敬序二葉(四周雙邊、大黑口、雙黑魚尾、上魚尾下に「序」、下象鼻に葉次。每半葉匡郭、縱一八・一×横一二・六㎝、七行・行一四字)、「類證增註傷寒百問歌目錄」二葉。卷首に「類證增註傷寒百問歌卷之一」の内題、卷二・三・四の書頭次行に「建寧府通守銭 聞禮 撰」。卷一末に淳煕壬寅年の韓玉序文あり。料紙は薄葉竹紙で黄變し、有界、四周雙邊、版心・魚尾は序に同じ。每半葉匡郭、縱一七・七×横一二・五㎝、一一行・行二一字、小字雙行。「讀杜/艸堂」(寺田望南)と「飛靑閣藏書印」の藏印記あり。識語はないが、序文葉上欄のみ二箇所に古い墨筆で字音の書き入れがあり、彙に「イ」、析に「セキ」のルビを振る。かなり古くに破損部を修訂、のち中國宣紙で襯裝するが、大部分の葉は版心切れ。小蟲損。
故宮目は「元至大二年刊本」と著錄するが、「元至大二年序刊本」が適切。森志・阿部志は明初刊本とし、眞柳も字樣からそう見る。
故觀〇〇二六九新刊仁齋傷寒類書活人總括
阿部志三〇二頁、故宮新目下册六九一頁(新刊仁齋傷寒類書活人總括 七卷二册。(宋)楊士瀛撰。宋末建安環溪書院刊本)箱號六二、觀字號なし、天字〇七九一號、故觀號〇〇二六九・二七〇
後補日本五鍼眼裝。藍色中手表紙、書高二九・五×幅一九・五㎝。外題は「傷寒類書活人總括」。書根に「宋槧傷寒活人總括」を墨書する完本。見返しを剝がし、楊氏寫眞藏書票を貼る。序文なし。第一册「新刊仁齋傷寒類書活人總括目錄」二葉、卷首に「新刊仁齋傷寒類書活人總括卷之一/三山名醫仁齋楊 士瀛 登父撰次/建安儒醫翠峯詹 宏中 洪道校定」と題す(卷二以降はなし)。卷一全六葉、卷二全五葉、卷三全一三葉、卷四全一九葉。第二册は卷五全二〇葉、卷六全一五葉、卷七全六葉。料紙は黄變竹紙で、綴じ目附近の蟲損著しく、楮紙で裏打ち。有界、左右雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、上魚尾下に「仁活 幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・六×横一三・一㎝、一四行・行二四字、小字雙行。「武田文庫」「江戸醫學/臧書之記」「多紀氏/臧書印」「東京溜池靈/南衢第六號/讀杜艸堂主人/寺田盛業印記」「讀杜/艸堂」および楊氏の藏印記三種。識語なし。卷一・二に朱筆讀點、上欄に江戸前期以前の墨筆書き入れあり。
故宮目は「宋末建安環溪書院刊本」と著錄するが、阿部志の「〔元〕刊(〔環溪書院〕)」が適切。森志・楊續譜五に著錄。もと後揭の「新刊仁齋直指小兒方論 五卷二册。(宋)楊士瀛撰。宋末建安環溪書院刊本」「醫學眞經察脈總括 一卷一册。(宋)楊士瀛撰。宋末建安環溪書院刊本」「新刊仁齋直指方論 二十六卷六册。(宋)楊士瀛撰。宋末建安環溪書院刊本」と同帙。
故宮新目下册六九二頁(傷寒明理論 三卷一册。(金)成無己撰。日本傳刻宋開禧間張孝忠刊本)箱號五〇三、觀字六四二號、天字〇六九五號、故觀號〇三三五一
日本四鍼眼裝。濃藍色薄手表紙、書高二七・八×幅一九・七㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。壬戌年の嚴器之「傷寒明理論序」、無記年の無記名〔成無己〕「〔傷寒明理藥〕方論序」、開禧元年の張孝忠〔跋〕文、以上計五葉。「傷寒明理論目錄 幷方論」一葉(方論目錄は缺)。卷首に「傷寒明理論第一/聊攝成無己」と題し、以下本文。卷一・二五葉、卷二・二五葉、卷三・二〇葉。さらに傷寒明理方論不分卷二八葉を合綴。古活字版。料紙は上質楮紙、有界、四周雙邊、版心白口、雙花魚尾間に「傷寒明理論(一は缺くが、二・三、および傷寒明理方論) 葉次」を印す。每半葉匡郭、縱二〇・五×横一六・〇㎝、一〇行・行一八字。陽刻・四周單邊長方形の「小文□(齋か)」、「小嶋氏/圖書記」、陽刻・四周單邊長方形の「豈待開春看/□□亦欣然」、および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。小蟲損。
森志著錄本。宋以前醫籍考四八一頁で日本享保十三年刊本に分類する故宮本、また觀海堂書目で朝鮮活字本と著錄するは、みな當本たること疑いなし。活字は約一㎝四方で肉太、堂々たる字體。故宮目は「傷寒明理論 三卷一册。(金)成無己撰。日本傳刻宋開禧間張孝忠刊本」と著錄するが、「傷寒明理論三卷 附傷寒明理方論不分卷 合一册。(金)成無己撰。日本古活字印宋開禧間張孝忠刊本」が適切。
故宮新目下册六九二頁(新刊圖註傷寒活人指掌 五卷二册。(元)呉恕撰。明萬暦庚子(二十八年)劉龍田閩喬山堂刊本)箱號五〇三、觀字八二一號、天字〇七〇一號、故觀號〇三三五八・〇三三五九
後補日本四鍼眼裝。薄靑色中手表紙、書高二四・七×幅一四・四㎝。帙なし。外題は表紙に「傷寒活人指掌 乾(坤)」を墨書。書根に「傷寒活人指掌 乾(坤終)」を墨書。萬暦庚子年の無名氏「傷寒活人指掌引」二葉、目錄なし。卷首に「新刻圖註傷寒活人指掌卷之首/浙江省醫蒙齋 呉 恕 撰」と題し、以下本文五卷。書末に四周雙邊で「萬暦庚子孟冬良旦/閩喬山堂劉龍田梓」の木記。料紙は竹紙で黄變し、版心切れ。有界、四周雙邊、版心白口・雙黑魚尾、象鼻に「圖註活人指掌」、魚尾間に「幾卷」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・四×横一二・九㎝、一一行・行二五字、小字雙行。各册後表紙に「足立氏」を墨書、また「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/私印」「學/古氏」および楊氏藏印記三種。書末に墨筆で「天保辛丑小春十日直舍讀畢。質識」、また後表紙見返しに「此書乃明正統初、熊道軒以李知先活人書、括呉/恕指掌圖彙合爲一、以李氏十勸列諸篇端各/條、增入歌括釐爲十卷、名曰類編傷寒活人書。括/指掌圖論者、是本改正標題分爲五卷、不知何謂。/然比之古呉陳長卿刊本、稍存舊觀則、雖/坊刊之書、亦不可廃也。乙卯冬月、檢宋代傷/寒諸方時識。尚眞」の識語あり。全書に墨點・朱點・朱引き、欄上に朱墨の書き入れあり。いささか蟲損、糸切れ、破損大。
故宮目は「新刊圖註傷寒活人指掌」と著錄するが、「新刻圖註傷寒活人指掌」が適切。
故宮新目下册六九二・六九三頁(傷寒六書 七卷四册。(明)陶華撰。明嘉靖乙酉(四年)明德書堂刊本):(新刊傷寒瑣言傷寒 一卷一册)箱號五〇三、觀字八二二號、天字〇六九四號、故觀號〇三三五〇。(新刊傷寒家的祕本 一卷一册)箱號一四六八、觀字八二三號、天字〇九七一號、故觀號一三九〇八。(新刊傷寒家祕剎車搥法方一卷・傷寒一提金一卷・傷寒證脉藥截江網一卷合一册)箱號一四六八、觀字八二四號、天字〇九七三號、故觀號一三九一〇。(新刊傷寒明理續編 二卷一册)箱號一四六八、宏字〇〇一七八號、天字〇九七二號、故觀號一三九〇九
中國四鍼眼原裝。薄手香表紙に日本で裏打ち、書高二二・九×幅一三・六㎝。帙なし。外題は各册表紙に「傷寒鎖言 禮」「家祕的本 樂」「殺車槌法 一提金 截江網 射御」「明理續論 書數」を墨書。第一册の見返しを剝がし楊氏寫眞藏書票を貼る。正統十年の節庵「新刊傷寒鎖言序」一葉、目錄なく、卷首に「新刊傷寒鎖言卷之一 禮集」の首題、以下本文一卷。第二册に序・目錄なく、卷首に「新刊傷寒家祕的本卷之二 樂集/節庵 陶 華 述」と題し、以下本文一卷。第三册に序・目錄なく、卷首に「新刊傷寒家殺車槌法卷之三 射集/陶 節庵 述」と題す本文一卷、「新刊傷寒一提金卷之四 御集/節庵撰陶華」と題す本文一卷、「傷寒證脉藥截江網/節庵陶華」と題す本文一卷からなる。第四册に無記年の序二葉、目錄なく、卷首に「新刊傷寒明理續論卷之五」の首題、以下本文二卷、跋なく書末に四周雙邊で「嘉靖乙酉歳/明德書堂刊」の木記あり。料紙は粗い繊維交じりの竹紙でやや黄變、一部を補修。有界、四周雙邊、版心大黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「幾卷」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一六・二×横一一・〇㎝、一〇行・行二一字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記五種。識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損。
故宮新目下册六九四頁(傷寒審證表 一卷一册。(清)包誠撰。清同治十年湖北崇文書局刊本)箱號五〇三、觀字六六二號、天字〇七〇六號、故觀號〇〇三三七一
中國四鍼眼裝。香色薄手原表紙、書高三〇・二×幅一八・〇㎝。帙なし。外題・書根の記載なし。扉に四周雙邊で「傷寒審/證表」、裏に「同治十年湖北/崇文書局開雕」の木記あり。同治九年の李瀚章「傷寒審證表序」二葉、同治九年の包誠「傷寒審症表序」一葉、目錄なし。卷首に「傷寒審症表 涇縣包誠興言纂輯」と題し、以下本文一卷三二葉。跋なし。料紙は宣紙で僅かに黄變する。有界、四周雙邊、版心白口・單黑魚尾、魚尾下に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・九×横一五・一㎝、表形式につき字の大小および行・字數を決めがたいが、中字は二二行。楊氏藏印記二種のみ。識語・書き入れ等なし。やや破損するが、蟲損なし。
故宮新目下册六九四頁(傷寒論正義 一卷一册。(日本)吉益猷撰。日本鈔本)箱號六一、觀字六四八號、天字〇六八六號、故觀號〇〇九二〇
日本四鍼眼裝。薄緑靑色中手表紙、書高二四・〇×幅一六・六㎝。外題は「傷寒論正義」。康煕字典より神・鬼・裏・表・外・内の引用二葉、自序五葉、次に本文(傷寒論とのみ題す)。料紙は三椏紙、界・邊・版心・魚尾なし。本文每半葉、八行・行二〇字、小字雙行。楊氏の藏印記三種のみ。全書に朱點あり、墨筆で「一本」との異同を上欄に注記する。識語等なし。中に「日本橋通四丁目十番地/和漢書籍賣買所/東京 松田幸助」の陽刻印を捺す領收書を挾む。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本江戸〔中期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册六九四頁(傷寒論逢源 十六卷 附考證一卷 四册。(日本)中榮信撰。日本鈔本)箱號六一、觀字六五六號、天字〇六七九號、故觀號〇〇九一四~九一七
日本四鍼眼裝。薄靑色厚手表紙、書高二三・一×幅一六・八㎝。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。寬政元年の奧田元繼「傷寒論逢源序」二葉、天明二年の田中榮信「傷寒論逢源序」二葉、〔張機〕「傷寒雜病論集(序)」と「按語」二葉、田中榮信「傷寒論逢源凡例」五葉、田中榮信「附言」六葉、「傷寒論逢源目錄」三葉。卷首に「傷寒論逢源卷之一/漢張仲景著/日本 播磨 田中榮信愿仲甫 撰次」と題し、以下本文。料紙は中葉楮紙、界・邊・版心・魚尾なし。每半葉、九行・行一八字、小字雙行。第四册は傷寒論逢源考證で、卷首に「傷寒論逢源考證/日本 播磨 田中榮信愿仲甫 著/男(以下雙行)榮恒 永治/榮忠順三/(以下單行)校」と題し、以下本文。楊氏藏印記三種。識語・筆寫年なし。舊藏者不明。頭注に墨筆で千金翼方・千金方・脈經・外臺祕要方・玉函・宋板を引く校異、および「信按」の按語あり。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本江戸〔後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册六九四頁(傷寒六經析義 一卷一册。(日本)喜多村直寬撰。日本嘉永四年江都學訓堂聚珍本)箱號六一、觀字六六四號、天字〇六八一號、故觀號〇〇九一九
日本四鍼眼裝。濃紫色厚手表紙、書高二二・五×幅一五・五㎝。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。封面は四周雙邊で「(以下中字)疏義附錄/(以下小字雙行)傷寒論箚記/經方權量略説/(以下大字)傷寒六經析義/(以下中字)學訓堂藏版」。嘉永四年の喜多村直寬(一八〇四~七六)「傷寒六經析義序」二葉、卷首に「傷寒六經析義/江戸 喜多村直寬士栗 籑」と題し、以下本文一二葉。書末に四周單邊で「學訓堂傷寒叢書藏版目/傷寒論疏義七卷 活字版/傷寒論箚記一卷 疏義附錄嗣刻/傷寒六經析義一卷 同上刻成/傷寒論彙攷十卷 嗣刻/傷寒論攷異四卷 同上/傷寒雜病類方一卷 刻成/廣傷寒雜病類方二十卷嗣刻/古方藥議四卷 同上/金匱要略疏義六卷 同上」とある。以上は江戸・萬笈堂英吉郎獨特の字樣の整版。料紙は中葉楮紙、有界、左右雙邊、版心白口、黑魚尾で、象鼻に「傷寒六經析義」、魚尾下右に章名、その下に葉次、下象鼻に「學訓堂藏版」とある。每半葉匡郭、縱一五・五×横一一・一㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「九折堂山田/氏圖書之記」、および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。
同書以後に傷寒論箚記一卷を合綴する(原裝)。序跋等なし。卷首に「傷寒論箚記/江都 喜多村直寬士栗」と題し、以下簡単な識語(無記年)と本文、計二七葉。近世木活字本。四周單邊、每半葉匡郭、縱一六・六×横一二・一㎝、一〇行・二〇字、小字雙行。版心白口、象鼻に「傷寒論箚記」、單黑魚尾下に葉次、下象鼻に「學訓堂聚珍版」。
故宮目は「日本嘉永四年江都學訓堂聚珍本」と著錄するが、「日本嘉永四年序刊、學訓堂藏版本。附傷寒論箚記一卷 日本學訓堂江戸〔後期〕聚珍版」が適切。
故宮新目下册六九四頁(傷寒論疏義 存五卷二册。(日本)喜多村直寬撰。日本鈔本、存卷一、二、五、六、七凡五卷)箱號未詳、觀字六五〇號、天字〇六八四號、故觀號〇三三三〇~〇三三三一
日本四鍼眼裝。中手香表紙、書高二三・〇×幅一五・五㎝。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。嘉永辛亥の丹波元堅序二葉、天保十五年の喜多村直寬自序二葉、庚辰年の喜多村直寬凡例二葉、「引據諸家傷寒簽釋姓氏」四葉、「傷寒論總評」一〇葉、「傷寒雜病論集〔疏義〕」一三葉。卷首に「傷寒論疏義卷第一/江都 喜多村直寬士栗 學」と題し、以下本文。料紙は中葉楮紙、界・邊・版心・魚尾なし。每半葉、一〇行・行二〇字。楊氏藏印記三種のみ。識語・書き入れ等なし。蟲損やや大。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本江戸〔後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册六九四頁(傷寒論疏義七卷 首一卷 十一册。(日本)喜多村直寬撰。日本嘉永五年江都學訓堂聚珍本)箱號未詳、觀字六四九號、天字〇六九三號、故觀號〇〇九二一~〇〇九三一
日本四鍼眼原裝。濃赤茶色厚手表紙、書高二二・六×幅一五・一㎝。見返しを剝がし楊氏寫眞藏書票を貼り、見返しの封面は四周雙邊で「栲窗喜多村先生著(以上小字)/傷寒論疏義(以上大字)/學訓堂聚珍版(以上小字)」を整版で刻す。嘉永辛亥年の丹波元堅「傷寒論疏義序」二葉、天保十五年の喜多村直寬「傷寒論疏義序」二葉、甲辰年の喜多村直寬「凡例」二葉、「引據諸家傷寒簽釋姓氏」四葉、「傷寒論總評」一〇葉、「傷寒雜病論集〔疏義〕」(版心に「原序」)一三葉。卷首に「傷寒論疏義卷第一/江都 喜多村直寬士栗 學」と題し、書末に嘉永五年の堀川濟「傷寒論疏義後序」。料紙は薄葉上質楮紙、無界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「傷寒論疏義」、魚尾下に「卷幾 葉次」、下象鼻に「學訓堂聚珍版」を刻すが、卷「幾」と葉次は木活字。每半葉匡郭、縱一六・七×横一二・一㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。楊氏藏印記三種のみ。識語・書き入れ等一切なし。
故宮目は「日本嘉永五年江都學訓堂聚珍本」と著錄するが、「日本嘉永五年序、江都學訓堂聚珍本」が適切。
故宮新目下册六九四頁(傷寒論輯義 七卷二册。(日本)丹波元簡撰。日本文政壬午(五年)東都丹波氏聿修堂刊本)箱號未詳、觀字六五一號、天字一〇〇五號、故觀號一四〇一五~〇一六
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二六・六×幅一八・六㎝。見返しに四周雙邊で「櫟窗多紀先生著(以上小字)/傷寒論輯義(以上大字)/文政壬午初夏新刊(以上小字)」の封面、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。享和元年の丹波元簡「傷寒論輯義序」二葉、「傷寒論輯義/凡例」二葉、寬政辛酉年の元簡「傷寒論綜概」七葉、張機「傷寒卒病論集(序)」四葉。卷首に「傷寒論輯義卷一/東都 丹波元簡廉夫 學」と題し、以下本文。書末に文政五年の多紀元堅跋文二葉、醫學館御用御書物師・萬笈堂英平吉の「醫學館御藏版」一葉あって「衛生彙編初集」として黄帝蝦蟇經・本草衍義・嚴氏濟生續方の解題・廣告。また「江戸本石町十軒店萬笈堂英平吉郎藏版醫書目錄」五葉あって金匱要略輯義・古方丸散方・〔丸散兼用〕方機・一本堂醫事説約・上池祕錄・同續編・同三編・同四編・外科上池祕錄・傷寒方・救急選方・醫略抄・廣惠濟急方・傷寒論輯義・脉學輯要・醫賸・素問識・靈樞識・醫方挈領・麻疹心得(および麻疹輯要方・麻疹纂類 合刻二册)・櫟窗類鈔・櫟蔭先生文集・醫籍考・疾雅・名醫公案・難經疏證・名醫彙論・傷寒論述義・傷寒廣要・證治通義・傷寒六經志・產科指南序の解題・廣告あり。書末の奧附は四周雙邊で、「文政五年歳在壬午夏四月刻成/京都書肆 〔三條通升屋町〕出雲寺文次郎/東都書肆 〔本石町十軒店〕英大助」。料紙は斐紙、有界、四周單邊、版心白口、單黑魚尾下に「傷寒論輯義卷幾 葉次 聿修堂藏版」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・三×横一三・八㎝、一〇行・行二三字、小字雙行。陽刻・楕圓長方形の「□□(醫學か)書庫」、また金澤文庫印風の「弘玄院文庫」、および楊氏藏印記三種あり。全書に朱點・藍點あるが、識語・書き入れ等なし。
故宮目は「東都丹波氏聿修堂刊本」と著錄するが、「英大助等刊、東都丹波氏聿修堂藏版本」が適切。
故宮新目下册六九四頁(修正傷寒全論考敍 一卷一册。不著撰人。日本天保辛丑(元年)鈔本)箱號未詳、觀字六五六號、天字〇六八三號、故觀號〇三三二九
日本四鍼眼裝。灰色薄手表紙、書高二三・〇×幅一六・〇㎝。序文なし。楊守敬の筆で外題に「修正傷寒論」、卷首に「修正傷寒全論考敍」と題し、以下本文。料紙は中葉楮紙、界・邊・版心・魚尾なし。每半葉、九行・行二〇字。楊氏藏印記三種あるのみ。書末に「辛丑仲春十九日夜燈下錄了。中川啓/七十五」、また別字で「此書欄外に出し玉ハす天保辛丑のとし、瀧子をして/難波なる師のもとへ行かしめて寫さしむ/嵐山主人しるす」の識語。全書に朱點あるのみ。
故宮新目下册六九四頁(傷寒廣要 十二卷四册。(日本)丹波元堅撰。日本文政丁亥(十年)東都丹波氏聿修堂刊本)箱號未詳、觀字六六五號、天字〇七〇二號、故觀號〇〇八九六~八九九
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二六・一×幅一八・二㎝。扉に四周單邊で「文政丁亥鐫(以上小字)/傷寒廣要(以上大字)/存誠藥室叢書(以上小字)」の封面、そのウラに楊氏寫眞藏書票を貼る。文政丁亥年の多紀元胤「傷寒廣要序」二葉、文政乙酉年の多紀元堅「傷寒廣要凡例」四葉、「傷寒廣要採摭書目」五葉、目錄六葉。卷首に「傷寒廣要卷第一/東都丹波元堅亦柔撰」と題し、以下卷一二まで本文。跋文なく、書末に「醫學館御用御書物師 萬笈堂英平吉」の「醫學館御藏板」一葉あって「衛生彙編初集」として黄帝蝦蟇經・本草衍義・嚴氏濟生續方の解題・廣告。また奧附位置に萬笈堂英平吉藏版の經穴籑要の解題廣告あり。料紙は中葉楮紙、有界、四周單邊、版心白口、單黑魚尾下に「傷寒廣要卷幾 葉次 聿修堂藏版」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・二×横一三・六㎝、一〇行・行二四字、小字雙行。「朱師/轍觀」および藏印記三種のみ。識語・書き入れ等なし。
故宮目は「日本文政丁亥(十年)東都丹波氏聿修堂刊本」と著錄するが、「日本文政丁亥(十年)序、東都萬笈堂英平吉刊、丹波氏聿修堂藏版本」が適切。
故宮新目下册六九四頁(傷寒論考 不分卷一册。不著撰人。日本文化十五年鈔本)箱號未詳、觀字六五七號、天字〇六八七號、故觀號〇三三三
日本裝假綴じ本。書高二四・〇×幅一七・二㎝。外題に「傷寒論考 增續」、内題なし。序文らしき小文と例言が一葉、以下本文で全册計三七葉(うち二葉は無記入)。「太陽主表」など十數のキーワードで傷寒論を解説。後半は脉診。古方派らしき内容。料紙は中葉楮紙の罫紙(二種)で、前半は有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾で版心に無記入、每半葉匡郭、縱一八・六×横一四・一㎝、一一行・行二〇~二三字前後、小字雙行。後半は有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に本文記載の脈名を記入、下象鼻に「乾乹堂藏」を刻し、每半葉匡郭、縱一八・六×横一三・三㎝、一〇行・行二八字前後、小字雙行。前半末葉に「乙亥秋晩錄 由齋」、後半末葉に「文化十五年歳次戊寅仲春念一日抄了 伏堂」の識語あり。全書に朱筆で讀點等、また上欄に墨筆の書き入れあり。楊氏藏印記三種のみ。
故宮新目下册六九四頁(傷寒考 一卷一册。(日本)山田正珍撰。日本安永八年靑黎閣刊本)箱號五〇三、觀字六五九號、天字〇六九八號、故觀號〇三三五二
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二六・二×幅一八・一㎝。安永乙亥年の雨森榮茂宗益「傷寒考序(寫刻體)」二葉、同年の宮田明「傷寒考序」一葉、「附錄新訂序論」二葉、卷首に「傷寒考/東都 山田正珍(~一七八七)宗俊父著」と題し、以下本文三五葉。書末に「圖南先生嗣出書目/傷寒考續編/傷寒考外編/傷寒温疫一病辯 附 脉經辯/行餘漫筆/賣□(紙切れ)所 江戸池端書肆須原屋伊八」の奧附。料紙は中葉楮紙、有界、四周雙邊、版心白口、單黑魚尾。象鼻に「傷寒考」、魚尾下に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・七×横一四・一㎝、九行・行一八字。「朱師/轍觀」と楊氏藏印記一種のみ。跋文・識語・書き入れ等なし。
故宮目は「日本安永八年靑黎閣刊本」と著錄するが、「日本安永八年序、須原屋伊八刊本」が適切。
故宮新目下册六九四頁(傷寒例考文 不分卷一册。(日本)喜多村直寬撰。日本天保十年考古齋鈔本)箱號六一、觀字六六三號、天字〇六八〇號、故觀號〇〇九一八
日本四鍼眼原裝。茶色中手表紙、書高二二・九×幅一五・九㎝。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。序文なし。卷首に「傷寒例考文/江都 喜多村直寬士栗學」と題し、以下本文。料紙はやや薄葉の楮紙に界・左右雙邊・單黑魚尾と「攷古齋鈔本」を刻した罫紙で、これに筆寫。傷寒例を外臺・成本・病源・千金の類文と對校し、考察を加える。本文全一五葉。每半葉匡郭、縱一七・四×横一二・五㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。書末欄外に「己亥孟秋念四日稿畢」、また次葉に「王太醫傷寒例、從來未有旁證互引以爲/之簽釋者、故世醫多置而不講。今若斯書、/逐條詳釋、無復餘蘊、其有裨後學、豈鮮少/乎哉。歳秋月、恭侍/家大人、齋頭得遭士栗先生、携此册以相/質、因請謄錄、以資他日之攷鏡焉。夫亦/大人之志也矣。庚子十月既望、沂(尚眞)誌」の識語あり。他に書き入れ等なし。
故宮目は「日本天保十年考古齋鈔本」と著錄するが、「日本天保十年考古齋〔小島〕沂鈔本」が適切。
日本影鈔明趙開美本『金匱要略』
故宮新目下册六九五頁(新編金匱要略方論 存一卷一册。(漢)張機撰。日本影鈔明趙開美本、存上卷)箱號五〇三、觀字六二七號、天字〇七一八號、故觀號〇三四二二
日本四鍼眼原裝。淡靑色薄手表紙、書高二三・九×幅一六・七㎝。鄧珍序二葉、林億等序二葉、目錄一一葉。卷首に「金匱要略方論卷上 仲景全書二十四/漢 長沙守 張 機仲景述/晉 太醫令 王叔和 集/宋 (以下小字雙行)尚書司封郎中/充祕閣校理臣(以下大字)林億詮次/明 廬山人 趙開美 校刻」と題し、以下本文。有界、四周單邊、版心白口・黑(一部白)魚尾。每半葉匡郭、縱一八・三×横一三・一㎝、一〇行・行一九字。藏印記なし。書末に朱筆で「安政二年乙卯仲冬廿二日、以原刊對勘畢。尚眞」の識語。また上欄等所々に朱筆で字形等の注記あり。
當本は紅葉山文庫藏「仲景全書」所收本を影寫したもの。故宮目は書名を「新編金匱要略方論」と著錄するが、「金匱要略方論」が適切。
故宮新目下册六九五頁(金匱要略正義 二卷四册。(漢)張機撰、(清)朱光被注。烏絲欄舊鈔本。日本丹波元堅手書題記)箱號五〇三、觀字六三二號、天字〇
七一四號、故觀號〇三四〇七~〇三四一〇
中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二八・〇×幅一七・九㎝。序文なし、目錄一一葉。卷首に「金匱要略正義上卷/張長沙仲景氏著 後學朱光被峻明氏註」と題し、以下本文。跋文なし。料紙は宣紙で烏絲欄を引き、四周單邊。版心は白口・無魚尾で「正義上(下)卷 篇名 篇每葉次」を記す。每半葉匡郭、縱一九・四×横一四・四㎝、一〇行・行二二字。精寫本で、襯紙に清刊「詩紀」(白棉紙、四周雙邊、九行一九字、匡郭半葉、縱二〇・一×横一三・三㎝)を裏折りにして入れる。「多紀氏/臧書印」「九折堂山田/氏圖書之記」「丹波元堅」「茝庭」「奚暇齋征」「至樂在□裏」および楊氏藏印記三種。第四册(下卷雜病篇一二葉ウラ)に天保辛卯年の丹波元堅識語あり。全體に墨筆で中國句讀點を打つ。所々に朱筆で誤寫文字を訂正するは元堅の所筆か。これ以外に書き入れ引用書なし。
當本は清鈔本ならん。襯紙は日本に輸出の際、書册を厚くして高價に販賣する目的か。
故宮新目下册六九五頁(金匱要略心典 三卷三册。(清)尤怡撰。日本影鈔清尤氏本。文政四年邨田章朱筆手校竝題記)箱號不詳、觀字號なし、天字〇七一七號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。澁引き薄茶色厚手表紙、書高二三・五×幅一五・七㎝。見返し上部に横書きで「張仲景先生原文」、以下に縱書きで「呉門尤在涇纂注(以上小字)/金匱要/略心典(以上大字)/遂初堂藏版(以上小字)」の封面、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。雍正一〇年の徐大椿(一六九三~一七七一)序四葉、雍正己酉年の尤怡(在涇)自序二葉、「金匱心典卷上目錄」一葉。卷首に「金匱心典卷上/漢張仲景著 呉門尤怡在涇集注」と題し、以下本文。料紙は斐紙、無界・無邊・無版心・無魚尾。每半葉、一〇行・行二一字。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「杉垣簃/珍藏記」「江戸小/島氏八/世醫師」「邨田/氏臧/書印」および楊氏藏印記三種。朱筆で上册末葉に「文政四年歳次辛巳晩春望、校讐/邨田章識」、中册末葉に「文政辛巳初夏七日、校一過/章昌誌」、下册末葉に「文政辛巳四月念一日對校、/章記」の識語。全書に藍點、朱引きがある以外、書き入れ等無し。蟲損大。
故宮新目下册六九五頁(金匱要略方論本義 二十二卷四册。(清)魏荔彤撰。清乾隆間鄉魏氏家刊本)箱號五〇三、觀字六三一號、天字〇七一六號、故觀號〇三四一五~〇三四一八
中國四鍼眼原裝。香色薄手原表紙、書高二五・三×幅一六・三㎝。帙なし。外題なし。書根に「一(~四)金匱本義」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。林億等「金匱要略方論序」と萬暦戊戌年の「徐鎔序」計五葉、目錄九葉。卷首に「金匱要略方論本義/松江何 炫嗣宗/(跨行)評定/廣平冀 棟隆吉/栢鄉魏荔彤念庭釋義/男士敏/士説校 刊」と題し、以下本文二二卷。跋なし。料紙は竹紙。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「金匱要略方論本義」、魚尾下に「卷之幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一七・五×横一四・三㎝、九行・行二一字、小字雙行。欄上にも行五字で注を刻す。楊氏藏印記四種のみ。識語・書き入れ等なし。蟲損・破損なし。
日本舊藏書に非ず。
故宮新目下册六九五頁(金匱玉函要略述義 三卷二册。(日本)丹波元堅撰。日本嘉永七年刊存誠藥室叢書本)箱號不詳、觀字六三五號、天字〇七二〇號、故觀號〇三四二六・〇三四二七
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二五・七×幅一七・九㎝。見返しに四周單邊で「嘉永甲寅鎸(以上小字)/金匱述義(以上大字)/存誠藥室叢書(以上小字)」の封面、扉部位に楊氏寫眞藏書票を挾み貼る。天保壬寅年の丹波元堅「金匱玉函要略述義題辭」一葉、卷首に「金匱玉函要略述義卷上/丹波元堅 學」と題し、以下卷上・中・下。下卷末葉に甲寅年の元堅跋一葉、嘉永七年の堀川濟跋文二葉。さらに「江戸本石町十軒店萬笈堂英平吉郎藏版醫書目錄」五葉に、金匱要略輯義・古方丸散方・〔丸散兼用〕方機・一本堂醫事説約・上池祕錄・同續編・同三編・同四編・外科上池祕錄・傷寒方・救急選方・醫略抄・廣惠濟急方・傷寒論輯義・脉學輯要・醫賸・素問識・靈樞識・醫方挈領・麻疹心得(および麻疹輯要方・麻疹纂類 合刻二册)・櫟窗類鈔・櫟蔭先生文集・醫籍考・疾雅・名醫公案・難經疏證・名醫彙論・傷寒論述義・傷寒廣要・證治通義・傷寒六經志・產科指南序の解題・廣告あり。奧附は四周單邊、「發行書林」として京都の出雲寺文次郎から江戸の英平吉郎(藏版)まで計一二書肆を記す。有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「金匱述義卷幾 葉次 存誠藥室叢書」を刻す。每半葉匡郭、縱一七・八×横一三・五㎝、一〇行・行二四字。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種のみ。讀點・識語・書き入れ等なし。
故宮目は「日本嘉永七年刊存誠藥室叢書本」と著錄するが、「日本嘉永七年萬笈堂英平吉郎等刊、存誠藥室叢書本」が適切。
故宮新目下册六九五頁(金匱玉函要略方論輯義 九卷十册。(日本)丹波元堅撰。日本文化壬申(九年)東都丹波氏聿修堂刊本)箱號五〇三、觀字六三三號、天字〇七二二號、故觀號〇三四三〇~〇二四三九
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二六・三×幅一八・一㎝。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。寬政甲寅年の丹波元簡「金匱玉函要略綜概」四葉、「金匱玉函要略方論序」一〇葉。卷首に「金匱玉函要略方論輯義卷一(以上大字)原文一依徐鎔本(以上小字)/東都 丹波元簡廉夫 著」と題し、以下本文。書末に文化辛未年の元胤跋二葉。奧附は四周單邊で「文化九壬申年十月/聿修堂金匱輯義刻成/發兌書帕江戸/本石町十軒店 英平吉(以下計一〇店)」。料紙は中葉楮紙、有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「金匱輯義 卷幾 葉次 聿修堂藏版」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・一×横一三・九㎝、一〇行・行二三字、小字雙行。「小野氏/圖書記(陽刻・四周單邊)」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。わずかに朱筆の書き入れあるも、讀點・識語等なし。
故宮目は「九卷」「日本文化壬申(九年)東都丹波氏聿修堂刊本」と著錄するが、「六卷」「日本文化壬申(九年)江戸英平吉等刊、丹波氏聿修堂藏版本」が適切。
故宮新目下册六九五頁(金匱玉函要略輯義 六卷二册。(日本)丹波元堅撰。日本文化八年聿修堂刊本)箱號不詳、觀字六三四號、天字號なし、故觀號〇三四二八・〇三四二九
日本四鍼眼原裝。藍色薄手表紙、書高二六・六×幅一八・五㎝。見返しに四周單邊で「櫟窗多紀先生著(以上小字)/金匱要略輯義(以上大字)/聿修堂藏版(以上中字、以下小字三行)發兌/書帕 宮商閣 好文軒/北林堂 衆星閣/逍遥堂 萬笈堂」の封面。以下に寬政甲寅年の丹波元簡「金匱玉函要略綜概」四葉、「金匱玉函要略方論序」一〇葉。卷首に「金匱玉函要略方論輯義卷一(以上大字)原文一依徐鎔本(以上小字)/東都 丹波元簡廉夫 著」と題し、以下本文。書末に文化辛未年の元胤跋二葉、その裏に文化八年辛未の萬笈堂英大助の刊記。また「醫學館御用御書物師 萬笈堂英平吉」の「醫學館御藏板」一葉ありて、「衛生彙編初集」として黄帝蝦蟇經・本草衍義・嚴氏濟生續方の解題・廣告。さらに「江戸本石町十軒店萬笈堂英平吉郎藏版醫書目錄」五葉に、金匱要略輯義・古方丸散方・〔丸散兼用〕方機・一本堂醫事説約・上池祕錄・同續編・同三編・同四編・外科上池祕錄・傷寒方・救急選方・醫略抄・廣惠濟急方・傷寒論輯義・脉學輯要・醫賸・素問識・靈樞識・醫方挈領・麻疹心得(および麻疹輯要方・麻疹纂類 合刻二册)・櫟窗類鈔・櫟蔭先生文集・醫籍考・疾雅・名醫公案・難經疏證・名醫彙論・傷寒論述義・傷寒廣要・證治通義・傷寒六經志・產科指南序の解題・廣告あり。料紙は斐紙、有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「金匱輯義 卷幾 葉次 聿修堂藏版」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・一×横一三・九㎝、一〇行・行二三字、小字雙行。陽刻・楕圓長方形の「□(醫?)□書庫」、金澤文庫印風の「弘玄院文庫」、および楊氏藏印記一種あり。全書に朱・藍の讀點、上欄に各種文献を引く精緻注と元堅・元胤の按語あり。
當本の書き入れは、江戸醫學での受講錄を門人が清書したものか。故宮目は「金匱玉函要略輯義」「日本文化八年聿修堂刊本」と著錄するが、「金匱玉函要略方論輯義」「日本文化八年萬笈堂英大助刊、聿修堂藏版本」が適切。
故宮新目下册六九六頁(華氏中藏經 三卷三册。舊題(漢)華佗撰。清嘉慶間阮元進呈鈔本)箱號三五四、舊養心殿本、故觀號〇〇九八七八~八八〇
中國四鍼眼裝、角布つき。濃紺絹布色薄手表紙、書高二九・一×幅一九・一㎝。帙なし。外題は四周雙邊の黄色絹布題簽に「中藏經」を墨書。書根の記載なし。甲寅年の鄧處中「華氏中藏經序」二葉、目錄なし。卷首に「華氏中藏經卷上/漢 譙 郡 華 佗 元 化 撰」と題し、以下本文三卷。跋なし。料紙は中國薄葉楮紙に朱筆した罫紙で、襯紙に中葉楮紙を插む。有界、左右雙邊、版心白口・雙線魚尾、魚尾間に「中藏經幾」、下象鼻に葉次を寫す。每半葉匡郭、縱一七・七×横一二・三㎝、九行・行二〇字、小字雙行・行二〇字。藏印記・識語・書き入れ等なし。蟲損・破損なし。
故宮新目下册六九六頁(華氏中藏經 三卷二册。舊題(漢)華佗撰、(清)孫星衍校。清光緒十一年呉縣朱氏刊平津館業書)箱號・觀字號・天字號不詳、故觀號〇一八七三~八七四
中國四鍼眼裝。香色薄手原表紙、書高二四・五×幅一五・五㎝。帙なし。外題なく、書根に「九(~十)物理論 古史攷 伏博士始末 中藏經
(中藏經 素女方)」を墨書。物理論・古史攷・伏博士始末の各書あって、扉に四周單邊で「嘉慶十三年太歳戊辰春/華氏中藏經/平津館孫氏刊版」の封面、裏に「光緒乙酉夏白堤八字/橋朱氏槐廬家塾珍藏」の木記。嘉慶一三年の孫星衍「重校華氏中藏經序」二葉、光緒甲申年の朱記榮校刊・劉文楷模鐫の木記、甲寅年の鄧處中「華氏中藏經序」二葉、目錄なし。卷首に「華氏中藏經卷上/賜進子…孫星衍校」と題し、以下本文三卷。跋なし。料紙は中國中葉楮紙で黄變。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、魚尾下に「華氏中藏經卷上(中・下) 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一五・五×横一一・二㎝、一一行・行二〇字、小字雙行。藏印記・識語・書き入れ等なし。蟲損・破損なし。
故宮新目下册六九六頁(華氏中藏經 三卷一册。舊題(漢)華佗撰。清嘉慶十三年蘭陵孫氏刊平津館業書。小島質手筆校注)箱號一四六八、觀字號なし、宏一七九號(もと天字一〇四三號)、故觀號一四〇八七
中國四鍼眼原裝。香色薄手表紙、書高二三・八×幅一四・四㎝。見返しに左右雙邊で「(以下大字)平津館/業書(以下小字雙行)第二集/(以下小字單行)蘭陵孫氏藏版」の封面。扉に楊氏寫眞藏書票を貼り、そのウラに四周單邊で「(以下小字)嘉慶十三季太歳戊辰春/(以下大字)華氏中藏經/(以下小字)平津館孫氏刊版」を刻す。戊辰年の孫星衍「重校華氏中藏經序」二葉、甲寅年の鄧處中「華氏中藏經序」二葉。卷首に「華氏中藏經卷上/賜進士及第授通奉大夫……孫星衍校」と題し、以下本文。料紙は竹紙、有界、左右雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「華氏中藏經卷上(中・下) 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一五・九×横一一・〇㎝、一一行・行二〇字。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」および楊氏藏印記四種。鄧處中序後に朱の小島寶素筆で「鄧序及至下脈要論第十短人脈短、趙寫二本皆脱、故周氏及星衍倶從呉勉學本補入。然校之呉本、有一二不同者、何哉。乙巳十一月十日、棄踈閑人記」、上卷末葉にも朱筆で「弘化二年歳、在栴蒙大荒落冬十一月十四日、從呉師古周錫瓚二本、/校於寶素堂。時雨雪始晴、月色正明呵筆誌 質/兒沂及門大内弘濟侍」の識語あり。上卷のみに藍筆の讀點、上欄に朱筆で別版との校異あり。
故宮新目下册六九六頁(重刊巢氏諸病源候總論 五十卷十二册。(隋)巢元方等奉敕撰。明嘉靖間歙縣汪氏主一齋校刊本)舊景陽宮本、箱號不詳、故善號〇一三七三~〇一三八四
後補中國四鍼眼裝。艶出し赤茶色薄手表紙、書高二三・〇×幅一四・二㎝。緑色錦布貼り二帙に收める。外題なし。無記年の宋綬等「重刊巢氏諸病源候總論序」二葉、綱目二葉、目錄五六葉、以上第一册。卷首に「重刊巢氏諸病源候總論卷之一/隋太醫博士巢元方撰」と題し、以下本文五〇卷。料紙は白棉紙で黄變し、中國襯裝。有界、左右雙邊、版心白口・單白魚尾、魚尾下に「病源卷之幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・二×横一二・三㎝、一〇行・行一九字。藏印記なし。識語・書き入れ等なし。蟲損・破損なし。
日本舊藏本に非ず。故宮目は「明嘉靖間歙縣汪氏主一齋校刊本」と著錄するが刊記等なく、「明〔嘉靖間歙縣汪氏主一齋校〕刊本」が適切。
故觀號00324本『巢氏諸病源候論』
故宮新目下册六九六頁(巢氏諸病源候論 五十卷八册。(隋)巢元方等奉敕撰。日本影宋鈔本、近人楊守敬手書題記)箱號六二、觀字七一三號、天字〇九八八號、故觀號〇〇三二四~〇〇三三一
日本四鍼眼原裝。ベージュ色中手表紙、書高二五・六×幅一七・二㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼り、次に楊氏の題記三葉(三椏紙)、宋臣「巢氏諸病源候論序」一葉、目錄三七葉。本文卷首に「諸病源候論卷一/大業六年太醫博士臣巢 元方 等奉敕撰」と題し、以下本文。跋・刊記等なし。料紙は薄葉斐紙、楮紙で襯裝する。無界、四周單邊、版心白口・雙黑魚尾、刻工名なし。おおむね魚尾間に「巢幾(卷)」、下象鼻に葉次の書式だが、下魚尾上に葉次の場合もある。每半葉匡郭、縱一八・二×横一三・一㎝、一四行・行二三字。「九折堂山田/氏圖書之記」「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記三種、また四周雙邊の「金澤文庫」印記を模寫。卷一第五葉まで藍筆の讀點、卷二第一二葉まで缺筆・誤字等に嘗め簽を貼り、ごく一部に朱筆訂正あるが、他に識語・書き入れ等なし。
當本影鈔底本の南宋版はもと曲直瀬養安院懷仙閣本で、のち山田氏九折堂・森氏開萬册府を經て現宮内廰書陵部にある。當本にある「九折堂山田/氏圖書之記」の印記は、九折堂本より影鈔した證據として鈐されたのだろう。
故宮新目下册六九七頁(儒門事親 存十三卷五册。(金)張子和撰。明嘉靖辛丑(二十年)介后齋刊本、缺卷一、二。日本文政十三年小島質讀記)箱號四六九、觀字七九〇號、天字〇九二八號、故觀號〇二七一二~〇二七一六
日本四鍼眼裝。ベージュ色薄手表紙、書高二五・六×幅一七・〇㎝。嘉靖辛丑年の復元道人邵輔の序(末尾半葉のみで、以前は缺)、目錄なし、卷一・二缺。卷首に「儒門事親卷之三/戴人張子和著」と題し、以下本文。跋なし。料紙は竹紙で、日本楮紙で裏打ちし、その上に小島氏の藏印を捺す。有界、四周單邊、版心白口、雙線魚尾、魚尾間に「儒門事親卷之幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・七×横一四・九㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「字/學古」「尚質/之印」「壽菴」「朱師/轍觀」、および楊氏藏印記一種あり。卷七末葉に「四月廿七日加一見畢 花押(寶素のもの)」、卷十末葉に「文政十三年孟秋四日、與奈須菊庵同校讀一過。時炎蒸催眠、拭目記之。觀棊生質、識於寶素閣」の識語あるのみ。やや蟲損。
故宮目は「明嘉靖辛丑(二十年)介后齋刊本」と著錄するが、「明嘉靖辛丑(二十年)序〔介后齋〕刊本」が適切。
故宮新目下册六九七頁(儒門事親 存一卷〔存卷十五〕一册。(金)張子和撰。明萬暦二十九年新安呉氏刊古今醫統正脈全書本)箱號四六九、觀字七九二號、天字〇九三〇號、故觀號〇二七一八
日本四鍼眼裝。香色薄手原表紙、書高二六・八×幅一七・〇㎝。帙なし。外題は表紙に「儒門事親」、綴じ目下部に四十八を墨書。書根に「儒門事親六終」を墨書。序・目錄なし。卷首に「儒門事親卷之十五/戴人張子和著/新安呉勉學校」と題し、以下本文で卷一五のみ。料紙は薄葉楮紙で黄變。有界、四周雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「儒門事親」、魚尾下に「卷之十五 葉次」、下象鼻にまま刻字數を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・一×横一三・五㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「本(?)井氏/圖書」および「朱師/轍觀」の藏印記。全書に藍點、書き入れ等なし。識語なし。蟲損・破損なし。
故宮目は「明萬暦二十九年新安呉氏刊古今醫統正脈全書本」と著錄するが、「明〔萬暦二十九年新安呉氏古今醫統正脈全書〕刊本」が適切。
故宮新目下册六九七頁(太醫張子和先生儒門事親 三卷一册。(金)張子和撰。日本影鈔元刊本)箱號一四六八、觀字七九三號、天字〇九四三號、故觀號一三八五六
日本四鍼眼康煕裝。香色中手表紙、書高二六・一×幅一八・〇㎝。不明年九月三日の高鳴序二葉、淳祐三年の順齋序三葉、目錄二葉。卷首に「太醫張子和先生 儒門事親卷第一」の首題、以下本文。書末に甲辰年の寓齋居士「儒門事親書後序」四葉。料紙は薄葉斐紙、無界、無邊、無版心。每半葉、一一行・行二五字。楊氏藏印記三種のみ。外題は楊守敬筆。
當本は楊氏が能筆家に依頼し、下揭本を明治初期に模寫したもの。故宮目は「日本影鈔元刊本」と著錄するが、「日本〔明治初〕影鈔元刊本」が適切。
故宮新目下册六九七頁(太醫張子和先生儒門事親 三卷一册。(金)張子和撰。日本鈔本。日本天保間小島質手書朱校)箱號四六九、觀字七九一號、天字〇九二九號、故觀號〇二七一七
日本四鍼眼裝。灰色薄手表紙、書高二四・九×幅一六・六㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。不明年九月三日の高鳴序二葉、淳祐三年の順齋序三葉、目錄二葉。卷首に「太醫張子和先生儒門事親卷第一」の内題、以下本文。書末に甲辰年の寓齋居士「儒門事親書後序」四葉。料紙は薄葉斐紙、無界、無邊、無版心。每半葉、一一行・行二五字。「小嶋氏/圖書記」「葆素堂/臧驚/人祕笧」「寶素堂」「江戸小/島氏八/世醫師」「朱師/轍觀」および楊氏の藏印記三種。卷一末葉に寶素の朱筆で「辛卯十月廿一日夜、從聿修原寫本對校。間有一二不可讀、傍參/插架嘉靖刊本、朱記於上方。友人奈須菊庵爲予同讀。質記」、卷二末葉に「辛卯十月廿二日、照聿修堂藏本、與奈須菊庵校於奈須氏之/久昌院。質記」、本文末尾に「天保二年十月廿三日、照聿修堂藏元版影鈔原本一校、更參架藏嘉靖/刻本、是正脱誤。友人奈須菊菴予助校。後學小島質 記於寶/素堂」の識語あり。全書に藍筆の讀點、朱筆の誤字訂正等あり。蟲損なし。
前揭本の底本。故宮目は「日本鈔本、日本天保間小島質手書朱校」と著錄するが、「日本天保二年小島質手書朱校鈔本」が適切。
故宮新目下册六九二頁(蘭室祕藏 三卷三册。(金)李杲撰。明刊黑口本)箱號六一、觀字號なし、天字號なし、故觀號なし
日本四鍼眼裝。後補薄手丹表紙、書高二五・二×幅一四・四㎝。四周雙邊の題簽に「蘭室祕藏 上(中・下)」、書根に「上(中・下) 蘭室祕藏」を墨書。序文なし、目錄一一葉。卷首に「蘭室祕藏卷上/東垣老人 李杲 撰」と題し、以下本文。料紙は白棉紙、有界、四周雙邊、版心小黑口、雙黑魚尾、魚尾間に「蘭室祕藏卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・三(外郭は二〇・四)×横一二・二(外郭は一二・八)㎝、一〇行・行一八字。「竝蓲(?)/堂印」「膽大/心小」「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種あり。識語・書き入れ等なし。
上册の外題下部に楊氏の墨筆で「元刊本」と記すが、誤認。明・遼藩刊「東垣十書」の第二版本。
故宮新目下册六九二頁(蘭室祕藏 三卷二册。(金)李杲撰。明萬暦二十九年新安呉氏刊古今醫統正脈全書之一)觀字號、箱號、天字號、故觀號すべてなし
中國四鍼眼康煕裝。香色薄手表紙、書高二五・〇×一六・三幅㎝。序文なし、目錄一〇葉。卷首「蘭室祕藏卷上/東垣老人 李 杲 撰/明 新安 呉勉學 校」と題し、以下本文。料紙は竹紙、有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「蘭室祕藏」、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・九×横一三・三㎝、一〇行・行二〇字。奈須恒德の「久昌院藏書」(陰刻)の藏印記のみ。第一册末(卷上末葉)に「戊辰三月戊午校、奈須恒德」、卷下末葉に「戊辰三月庚申校、奈須恒德」の識語。全體に藍筆で讀點、一部に朱の點と訂正。一部欄外に墨筆の注記あって、醫門丘垤集卷下を引き、本書は東垣の眞作ではなく、羅天益が師に託名して編じたものという。
故宮新目下册六九七頁(衛生寶鑑 二十四卷九册。(元)羅天益撰。明永樂十五年太醫院判韓夷刊本)箱號不詳、觀字號不詳、天字號不詳、故觀號なし
日本四鍼眼裝。日本補修香色薄手原表紙、書高二五・九×幅一五・八㎝。帙なし。外題は表紙に「衛生寶鑑 序目錄(~卷廿之四終)」、また目次を墨書。綴じ目下部に「共九册」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。永樂一五年の胡廣「重刊衛生寶鑑序」三葉、永樂一五年の蔣用文「重刊衛生寶鑑序」三葉、永樂一五年の金幼孜「書衛生寶鑑後」二葉、至元辛巳年の硯堅「衛生寶鑑序」一葉、至元癸未年の玉惲「敍」一葉、「上東垣李先生啓」一葉、目錄二六葉、補遺目錄八葉。卷首に「衛生寶鑑卷第一」の内題、以下本文二四卷。書末に永樂一五年の太醫院判韓夷の刊行跋あり。料紙は薄葉楮紙で一部黄變。有界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「衛生寶鑑卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二二・二×横一三・七㎝、一〇行・行二四字、小字雙行。版木割れ、刷印不鮮明な後印本。「養安院藏書」および楊氏藏印記四種。一部に朱點・朱引きあり。識語なし。蟲損なく、版心切れ多し。
故宮新目下册六九七頁(衛生寶鑑 二十四卷八册。(元)羅天益撰。日本天保間傳鈔明弘治汝南劉廷瓚修補永樂本)箱號一四六八、觀字七九九號、天字〇九八三號、故觀號なし
日本四鍼眼裝。澁引き薄手表紙、書高二六・二×幅一七・〇㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。永樂一五年の胡廣「重刊衛生寳鑑序」三葉、至元辛巳年の硯堅「衛生寳鑑序」一葉、至元癸未年の王惲序一葉、無記年の(羅天益)「上東垣李先生啓」一葉、目錄三四葉。卷首に「衛生寳鑑第一」の内題、以下本文。卷第二十四末葉に永楽一五年の韓夷公達の跋、以下に「補遺」一卷一册、書末に弘治七年の劉廷瓉宗敬「補刻衛生寳卷後序」三葉。料紙は斐紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。本文每半葉、一〇行・行二四字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記三種。複數人の筆寫。卷三の途中まで朱で讀點等を打つ。朱筆で卷一末葉に「正保壬寅六月十二日、照永楽原刊、兼參醫方類聚/所引、與劉敎諭元昕幷助敎敏校于/柳北庠舍。質識」、卷二末葉に「同日又校此卷」の識語。小蟲損。
故宮目は「二十四卷八册」と著錄するが、「二十四卷七册、附補遺一卷一册」が適切。
故宮新目下册六九七頁(醫壘元戎 十二卷六册。(元)王好古撰。明嘉靖壬戍(四十一年)鈞陽魏氏覆刻顧遂刊後代修補本)箱號一四六八、觀字七九六號、天字〇九八六號、故觀號一三九五二~一三九五七
日本補修四鍼眼裝。日本補修香色薄手原表紙、書高二五・七×幅一七・二㎝。帙なし。外題は無邊の題簽に「醫壘元戎 一(~六止)」を墨書。書根に「元戎 一(~六止)」を墨書。嘉靖二二年の餘姚顧遂「醫壘元戎序」二葉、丁酉年の王好古「醫壘元戎序」一葉、目錄六葉。卷首に「醫壘元戎卷第一/趙州敎授兼提擧管内醫學王好古進之筌次」と題し、以下本文一二卷。書末に「本書は辛卯年に成ったが丁酉年に原稿を盗まれ、その八、九割まで復原した」という王好古の文、嘉靖壬戌年の魏尚純の刊行跋二葉。料紙は白色中葉楮紙で一部黄變。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「醫壘元戎」、魚尾下に「卷之幾 葉次」を刻す。版木割れ、刷印不鮮明な後印本。每半葉匡郭、縱二一・五×横一四・三㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「森氏開萬/册府之記」および楊氏藏印記五種。ごく一部に朱點あり、書き入れ等なし。丙子(一八七六)年の森立之自筆識語「右嘉靖板醫壘元戎十二卷。西京百々/氏及福井崇蘭館所藏、與此本同。/躋壽館有鈔本、未得板本。天保中於/京師活字刷印、以傳于世世、因得覯全卷。/呉勉學正脈中、僅收一卷、而四庫全/書亦云、萬暦癸巳鄞縣屠本畯重刻嘉靖本、體/例頗爲參差。今無原本可校、亦姑仍屠/本錄之。然則此本、可最貴重耳。/丙子夏日 五禽散人立之」あり。やや蟲損・破損。
故宮新目下册六九八頁(醫壘元戎 十二卷十二册。(元)王好古撰。日本弘化年間木活字本)箱號一四六八、觀字七九七號、天字〇九七五號、故觀號一三九一二~一三九二三
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二六・四×幅一八・五㎝。外題は四周單邊・整版。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。嘉靖二二年の姚顧遂「醫壘元戎序」二葉(整版)、丁酉年の王好古「醫壘元戎序」一葉(木活)、目錄六葉(木活)。卷首に「醫壘元戎卷弟(ママ)一/趙州敎授兼提擧管内醫學王好古進之筌次」と題し、以下本文(みな木活)。卷一二末に王好古の跋文(ここまで、木活。辛卯年に成書し、丁酉年に盗まれた云々)、書末に嘉靖壬戌年の魏尚純「醫壘元戎跋」二葉。刊記・奧附なし。料紙は薄葉楮紙、有界、四周單邊(整版部分は四周雙邊、黑魚尾)、白口・無魚尾、版心は「醫壘元戎卷幾 葉次」で、文章が整版部分は整版、木活部分は木活で版心を刷る。本文每半葉匡郭、縱一九・二×横一四・一㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種のみ。識語・書き入れ等なし。少々蟲損。
故宮目は「日本弘化年間木活字本」と著錄するが、書中に弘化年間刊行の證據はなく、「日本〔弘化年間〕木活字本」が適切。
故宮新目下册六九八頁(脈因證治 四卷。(元)朱震亨撰。清光緒十七年池陽周氏刊醫學叢書初集之一)箱號不詳、觀字號なし、天字號なし、故觀號一三二〇四~一三二〇七
中國四鍼眼裝。四册。茶色薄手表紙(破損甚大)、書高二四・三×幅一五・八㎝。外題は四周雙邊で「脈因證治」。扉に四周單邊で「脈因證治」の封面、見返しに「光緒辛卯仲冬/池陽周氏校刊」の刊記。乾隆乙未年の呉趨繆序一葉、目錄一葉。卷首に「脈因證治卷一/元丹溪朱震亨著」と題し、以下本文。書末に辛卯年の周學海跋一葉。料紙は宣紙、有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「脈因證治」、魚尾下に「卷幾」、下象鼻に「葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一五・九×横一二・〇㎝、一一行・行二一字、小字雙行。楊氏「飛靑閣藏書印」の印記のみ。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
日本舊藏書に非ず。
故宮新目下册六九八頁(醫經溯洄集 一卷一册。(元)王履撰。明刊黑口本)箱號六二、觀字八〇七號、天字〇九八五號、故觀號〇〇〇七一
日本四鍼眼裝。香色中手表紙、書高二六・一×幅一五・一㎝。扉部位に楊氏寫眞藏書票を挾み貼る。序なし、目錄二葉。卷首に「醫經溯洄集/魏博 王履著」と題し、以下本文。料紙は白棉紙、有界、四周雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「溯洄集 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・一(外郭二〇・一)×横一二・一(一二・七)㎝、一〇行・行一八字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「與子鐙/前共/讀書」および楊氏藏印記四種。朱點、および朱墨で淮南子・周禮・李時珍・素問・老子・朱子・傷寒論・三因方・古今醫統・醫學正傳・醫學綱目などを引用した書き入れが欄上と欄内にある。蟲損なし。
前揭の「蘭室祕藏 三卷三册。(金)李杲撰。明刊黑口本、箱號六一」と同版で、遼藩第二版「東垣十書」本。故宮目は「明刊黑口本」と著錄するが、「明〔前期〕刊黑口十行十八字本」が適切。
故宮新目下册六九九頁(玉機微義 五十卷十二册。(明)徐用誠撰。明刊白口九行本)箱號四六九、觀字八一六號、天字〇九三五號、故觀號〇二七三七~〇二七八四
日本四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二七・八×幅一七・六㎝。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。無記年の李維楨「合刻二種醫書敍」(本書と醫學正傳を合刻という)六葉、目錄九六葉。卷首に「玉機微義卷之一」の内題、以下本文。料紙は中國薄葉楮紙、有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻下に「玉機微義」、魚尾下に「幾卷 葉次」、また卷頭葉下象鼻に版下筆寫者を「布政司吏葉春芬寫」のように刻す。每半葉匡郭、縱二三・二×横一五・八㎝、九行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「與子鐙/前共/讀書」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記四種。序文末葉に古今醫統より劉純傳を引く以外、識語・書き入れ特になし。蟲損やや大。
故宮新目下册六九九頁(玉機微義 五十卷十二册。(明)徐用誠撰。日本寬永戊辰(五年)蘆甚左衛門活字本)箱號四六九、觀字八一五號、天字〇九三四號、故觀號〇二七二六~〇二七三六
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二八・五×幅二一・〇㎝。外題なし。正德丙寅年の汪舜民「重刊玉機微義序」二葉、正統己未年の楊士奇「玉機微義序」二葉、洪武丙子年の莫士安「玉機微義序」三葉、洪武丙子年の劉純「玉機微義序」二葉、目錄七四葉。卷首に「玉機微義卷之一」の内題。書末に正統庚申年の郭堅等「書玉機微義後」二葉。卷五〇末葉に「新町通町頭 蘆甚左衛門/室町藥師町 宇野善五郎/寬永第五戊辰暦八月吉辰 繡梓」の刊記。料紙は中葉楮紙、無界、四周雙邊、版心大黑口、上に花魚尾、中下に黑魚尾、上魚尾下に「玉機微義卷幾」、中下魚尾間に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・九×横一七・七㎝、一一行・行二〇字、小字雙行。一本・異本などによる校異の頭注も木活字。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記二種。所々に藍筆讀點、朱引きあり。識語・書き入れ等なし。蟲損やや大。
故宮新目下册六九九頁(新刊明醫雜著 三卷一册。(明)王綸撰。日本鈔本)箱號四六九、觀字八三六號、天字〇九〇一號、故觀號〇二五二二
日本四鍼眼裝。靑色薄手表紙、書高二三・三×幅一六・三㎝。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。弘治一五年の王綸「明醫雜著序」二葉、弘治癸亥年の徐弼「重刊明毉雜著序」二葉、目錄なし。卷首に「新刊明醫雜著卷之一/慈谿 節齋 王綸 着(ママ)」と題し、以下本文。卷二は「新增{彳+瞿}(ママ、臞)仙神隱傳卷之二」、卷三は「新刊孫眞人養生延壽書卷之二」の内題。料紙は薄葉斐紙、無界、無邊、無魚尾。每半葉、一〇行・行二二字、小字雙行。楊氏藏印記三種のみ。一部に朱筆あるが、識語等なし。江戸後期の筆寫。蟲損なし。
故宮目は「新刊明醫雜著 三卷一册」「日本鈔本」と著錄するが、「新刊明醫雜著一卷。附 新增臞仙神隱傳一卷、新刊孫眞人養生延壽書一卷、合一册」「日本〔江戸後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七〇〇頁(神應經 一卷一册。(明)陳會撰。日本正保二年翻刊明成化十年本)箱號一四六八、觀字八二五號、天字〇九六七號、故觀號一三九〇三
中國四鍼眼裝。薄茶クリーム色薄手表紙、書高二七・八×幅一八・四㎝。外題「神應經 陳會撰」は楊守敬の墨筆。成化一〇年の韓繼禧「重刊神應經序」三葉、洪煕乙巳年(一四二五)の無記名「神應經序」三葉、丹波・和介「八穴灸法」一葉、「梓桑君鍼道傳宗圖」一葉、目錄なし。卷首に「神應經/宏綱先生 陳 會 善同 撰/醫士 臣 劉 瑾 永懐 重校」と題し、以下本文。跋文等なし。書末に「正保二年五月吉日 二條鶴屋町田原仁左衛門 開板」の刊記。料紙は薄葉楮紙、無界、四周單邊、版心大黑口・雙花魚尾、魚尾間に「神應經 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・六×横一五・六㎝、一二行・行二三字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」、四周雙邊方印の「□□□(文?)庫」(故意に印記を擦り落とす)、および楊氏の藏印記三種。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
故宮目は「日本正保二年翻刊明成化十年本」と著錄するが、「日本正保二年翻刊朝鮮成化十年刊本」が適切。
故宮新目下册七〇〇頁(新鍥太醫院鰲頭諸症辯疑 六卷二册。(明)呉球撰。明萬暦丁酉(二十五年)余秀峰刊本)箱號四六九、觀字八三八號、天字〇九三三號、故觀號〇二七二三~〇二七二四
後補中國四鍼眼裝。日本補修香色中手原表紙、書高二三・六×幅一三・四㎝。帙なし。外題は表紙に「諸症辯疑 一之三(四之六)」を墨書。書根に「諸症辯疑 乾(坤)」を墨書。見返しに四周雙邊で「新鍥太醫院鰲/萬暦丁酉歳書林余秀峯梓/頭諸症辯疑」の封面、扉に松下の二文人・一少年・一虎等の繪圖を刻す。序・目錄なし。卷首に「新鍥太醫院鰲頭諸症辯疑卷之一/呉球 著撰/秀峯 刊行」と題し、以下本文六卷。跋なし。料紙は薄葉竹紙で黄變。有界、四周單邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「諸症辯疑」、魚尾下に「幾卷 葉次」を刻す。每半葉下匡郭、縱一四・五×横一二・四㎝、一二行・行一九字、小字雙行、上匡郭、縱五・一×横一二・四㎝、一五行・行九字。「小嶋氏/圖書記」「尚眞/之印」「抱沖/氏」および楊氏藏印記四種。一部に朱點、欄上に朱筆訂字あり。識語なし。かなり蟲損・破損。
故宮新目下册七〇一頁(呉醫彙講 十一卷四册。(清)唐大烈撰。清乾隆壬子(五十七年)長洲唐氏刊嘉慶十九年印本)箱號四六九、觀字八五一號、天字〇九二三號、故觀號〇二六三六~〇二六三九
後補中國四鍼眼裝。香色薄手原表紙、書高二四・〇×幅一五・三㎝。帙なし。外題なし。書根に「一(~四)呉醫彙講」を墨書。黄色の見返しに四周雙邊で「唐笠山纂輯/呉醫彙講/(以下小字)凡屬醫門…/如有高論竝望光增 附各書校訛 傷寒辨症歌/週身經絡總訣」、欄上に「乾隆壬子歳新鐫」の封面。乾隆五七年の繆遵義「序」四葉、乾隆癸丑年の蔣楩「序」三葉、乾隆壬子年の唐大烈立三「自序」二葉、凡例二葉、卷一目錄一葉。卷首に「呉醫彙講卷一/長洲唐大烈立三氏纂輯/門人沈文爕玉調氏校訂」と題し、以下本文一一卷。書末に壬子年の朱克柔「書呉醫彙講後」二葉。料紙は薄葉楮紙。有界、四周雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「呉醫彙講」、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻し、下象鼻のみ黑口。每半葉匡郭、縱一六・八×横一一・五㎝、九行・行二〇字、小字雙行。楊氏藏印記三種のみ。書き入れ等なし。識語・蟲損・破損なし。各醫家の醫論を集成し、各頭に醫家の略傳を記す。
故宮新目下册七〇一・七〇二・七〇九頁(瘟疫傳症彙編〔治疫全書六卷・痢瘧纂要八卷・辯孔瑣言一卷・痘麻紺珠六卷〕 二十一卷八册。(清)熊立品撰。清乾隆四十一年西昌熊氏家塾刊本)箱號不詳、觀字八五五號、天字〇九五七號、故觀號一三八七四~一三八八一
中國四鍼眼原裝。香色薄手原表紙、書高二二・六×幅一四・八㎝。帙なし。外題なし。書根に「一凡八(~八)瘟疫傳正(症)彙編」を墨書。黄色の見返しに四周雙邊で「西昌熊松園先生編次/瘟疫傳症彙編/治疫全書/痢瘧纂要/痘麻紺珠 家塾藏板」の封面。乾隆四二年の爲霖「傳症全編序」三葉、乾隆屠維年の爲霖「序」二葉、乾隆四一年の松園老人熊立品「傳症彙編總序」二葉、乾隆四一年の劉芬「痢瘧纂要序」二葉、無記年の希堯「呉又可先生醒醫六書原序」二葉、康煕五四年の補敬堂主人「醒醫六書原序」二葉、呉有性「醒醫六書瘟疫論原引」二葉、乾隆屠維年の夏朝紳「治疫全書序」一葉、乾隆乙未年の熊立品「(痢瘧纂要)自序」二葉、無記年の松園老人「(治疫全書)自序」一葉、乾隆丙申年の松園老人「(痘麻紺珠)自序」一葉、目錄三葉、乾隆乙未年の熊熊立品「辨孔瑣言自序」四葉、「辯孔瑣言/新建邑庠熊立品聖臣甫辨」と題する本文八葉、「治疫全書凡例」三葉。卷首に「傳症彙編卷之一 第壹種/治疫全書一 醒醫六書/新建邑庠熊立品聖臣甫編輯/…」と題し、以下本文六卷(以上四册)。第五册に乾隆四二年の安茂遠「痘麻紺珠序」二葉、熊立品「引言」一葉、「痢瘧纂要目錄」五葉、「問答」一四葉、卷頭に「傳症彙編卷之七/痢瘧纂要 痢脉 因 第二種/新建邑庠熊立品聖臣甫編輯/…」と題し、以下本文八卷(以上第七册途中)。以下は痘麻紺珠六卷。料紙は薄葉楮紙で黄變。有界、左右雙邊、版心白口・雙黑魚尾、象鼻に「治疫全書」、魚尾下に「(書名)卷之幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一七・一×横一三・三㎝、一〇行・行二三字、小字雙行。「朱師/轍觀」の藏印記のみ。書き入れ等なし。蟲損なし、第一・二册の破損大。
日本舊藏書に非ず。故宮目は「乾隆四十一年西昌熊氏家塾刊本」と著錄するが、「乾隆四十二年西昌熊氏家塾序刊本」が適切。
故宮新目下册七〇二頁(松峰説疫 六卷二册。(清)劉奎撰。日本影鈔清乾隆間原刊本)箱號不詳、觀字八五二號、天字〇九三一號、故觀號〇二七一九~〇二七二〇
日本四鍼眼裝。黄色薄手表紙、書高二四・二×幅一五・六㎝。外題なし。乾隆五一年の王樹孝「序」三葉、乾隆丁未年の劉嗣宗「敍」二葉、乾隆丙午年の谷臻筠「序」三葉、乾隆己酉年の松峯説劉奎自序三葉、目錄一葉、「發凡」二葉、松峯「述古小序」一葉。卷首に「松峯説疫卷之一/諸城 奎松峯著輯 男劉秉錦濯西纂述/福山劉嗣宗南瑛參閲 表姪李逢虔謹菴錄較」と題し、以下本文。卷二頭に松峯の「論治小序」一葉、卷三頭に松峯「雜疫小序」一葉、卷四頭に松峯「辨疑小序」一葉、卷五頭に松峯「諸方小序」一葉、卷五頭に松峯「運氣小序」一葉あり。跋文なし。料紙は斐紙で精寫。無界、無邊、無版心。每半葉、九行・行二二字、小字雙行。「多紀氏/臧書印」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
故宮新目下册七〇二頁(痢疾論 四卷二册。(清)孔毓禮撰。清乾隆三十七年謙益堂刊本)箱號四六九、觀字八五三號、天字〇九三二號、故觀號〇二七二一~〇二七二二
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二四・六×幅一五・四㎝。帙なし。外題は表紙に「痢疾論」を楊氏が墨書。書根に「上(下)痢疾論」を墨書。乾隆一六年の孔毓禮「序」二葉、乾隆三七年の楊大任「序」一葉、目錄六葉。卷首に「痢疾論卷之一/後學楊大任占儀參閲/…」と題し、以下本文四卷。書末に無記年の孔毓禮「跋」一葉。料紙は薄葉楮紙で一部黄變。無界、四周單邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「痢疾論」、魚尾下に「卷之幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一六・一×横一二・二㎝、九行・行二〇字、一部欄上に注を刻す。楊氏藏印記三種のみ。書き入れ等なし。識語・蟲損・破損なし。
日本舊藏書に非ず。
故宮新目下册七〇三頁(外科精要 三卷三册。(宋)陳自明撰。日本寬政九年津輕健壽刊本。日本小島質手書題記)箱號四六九、觀字九五〇號、天字〇九二二號、故觀號〇二六三三~〇二六三五
日本四鍼眼原裝。薄灰靑色押し目花紋厚手表紙、書高二六・七×幅一七・六㎝。外題は四周雙邊で「眞本外科精要 上(中・下)册」。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。無記年の趙汝序二葉、景定癸亥年の陳自明「外科精要序」三葉、開禧丁卯年の「伍起予序跋」と慶元年の「李嗣立序跋」計二葉、目錄八葉。卷首に「外科精要卷上」の内題、以下本文。書末に己未年の健壽識語一葉、寬政丁巳(一七九七)年の津輕意伯健壽「新雕外科精要跋」三葉。料紙は楮紙、有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻下に「外科精要卷幾」魚尾下に葉次、下象鼻に「津輕氏藏版」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・〇×横一三・七㎝、九行・行二二字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記三種。書末に小島の朱筆で「此書刻寬政九年、在余生之後三月。而刷行未廣、版入醫學。文化丙/寅之災、其版忽爲灰燼。爾來三十年、間傳本漸罕、都下書灘絶無。凍(?)/列者、余家往藏一本、校勘未完、早被爲人持志。訪求多年、遂無復得焉。/頃靑藜老書估、捜索持來、以充余十年之需。可謂治渇之寒露飲/也。自今當把筆、校讐終篇耳。兒孫能讀此書者、庶(?)當十襲/寶惜、以勿忘爾父之志矣。佞宋學人質、記於寶素南樓。時春雨輕寒、杏/花未開」の識語。小島の朱筆欄上書き入れ二處。蟲損なし。
故宮目は「日本寬政九年津輕健壽刊本」と著錄するが、「日本寬政九年津輕健壽跋刊本」が適切。和刻漢籍醫書集成に收錄。
故宮新目下册七〇三頁(癰疽辯疑論 二卷二册。(宋)李世英撰。日本舊鈔本。日本小島質手校竝題識)箱號一四六八、觀字九五一號、天字〇九六〇號、故觀號一三八九二・一三八九三
上册は日本四鍼眼原裝。澁引き焦げ茶色厚手表紙、書高二八・五×幅二二・二㎝。外題に「癰疽辯疑論 全」を墨書。見返しに「宋末聞人耆年著備急灸法一卷、載治癰疽騎竹馬灸法。且云/、分陰陽服藥説、備載紹興官庫所刊、李迅與明州醫家所/刊、李世英癰疽方論(以下小字)。癸卯正月廿九日起記」の(寶素)墨記。淳祐癸卯年の陳卓「癰疽辨疑論序」四葉半、目錄なし。卷首に「癰疽辨疑論卷上/四明保義郎權殿司主管機宜文(ママ、李)字/世英編」と題し、以下本文。卷末に淳祐二年の李世英跋文。本册末葉に朱筆で「天保二年重光單閼重陽前一夜、據宗鑑撮要集/所引校訂。撮要集跋題云。此辨疑論、天文七年仲夏/之頃、借於尾州學客杉江喜三所持之本、幷外科/醫人慶祐緇衣所持之本而寫之。其兩本同文、字不/正。其所亂誤、予以愚意正之書之。恐後日有正本、而削/予愚文矣。此書予曾獲之於慶祐後人曾谷伯安、則/知猶宗鑑所據本。而撮要集、今借於尾張儒毉/淺井正翼。因以校訂此書、抑亦奇矣。校讀甫畢、聊記/卷尾。江戸小島質識於 西城之直舍」、また墨筆で「天保五年九月背裝」とある。册中は所々に朱筆で校異を頭記する。本書自体は室町の筆寫と判断される。料紙は楮紙で、全書を裏打ちし、無界、無邊、無版心。每半葉、約八行・行一八字。
下册は中國四鍼眼裝。澁引き赤茶色厚手表紙、書高二六・九×幅一八・七㎝。外題は題簽に「癰疽辯疑論卷下 (以下小字雙行)天文七年節抄本/宗鑑撮要集卷□(蟲損)三」を墨書。序・目錄なし。卷首に「癰疽辯疑論卷下/(以下は小島の書き入れで)不寫佗方、只寫癰疽陰證之治方耳」と題し、以下本文。書末に墨筆で「私云。此辨疑論、天文七年仲夏之頃、借於尾州學客杉江喜三/所持之本、幷外科醫人慶祐緇衣所持之本而寫之。其兩本/同文、字不正、其所亂誤、予以愚意正之書之。恐後日有正/本、而削予愚文矣。又下卷内不寫膏貼藥、止寫治陰/證之方者、以雜方中無比類也。老眼不耐細字、故此所書寫、/兼大於舊之雜方、尤可恥也」、また朱筆で「此册、去歳尾張淺井紫山所錄寄也。今年又借宗/鑑撮要集於淺井氏、參照校讀。辛卯菊節前/一夜、記於 西城直舍。此夜公事頗閑、因有此事」を記す。册中は所々に朱筆で校異を頭記する。料紙は楮紙、無界、無邊、無版心。每半葉、一〇行・行二〇字、小字雙行。兩册とも「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および守敬の藏印記二種。蟲損なし。
故宮目は「日本舊鈔本」と著錄するが、「上卷一册日本舊〔室町〕鈔本、下卷一册江戸〔後期〕鈔本」が適切。大陸亡佚書だが、日本の内閣文庫にも當本の江戸寫本が現存する。
故宮新目下册七〇三頁(外科精義 二卷二册。(元)齊德之撰。明馬雲卿校刊黑口本)箱號一四六八、觀字九五二號、天字〇九五三號、故觀號一三八六六・一三八六七
外題は表紙に「外科精義 上(下)」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし、目錄六葉。卷首に「外科精義卷上/醫學博士選充御藥院外科太醫齊德之纂集/宣授保全郎陝西等路醫局提擧馬雲卿校正」と題し、以下本文二卷。跋なし。料紙は竹紙で黄變する。有界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「外科精(義)幾」、多くは下象鼻下に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一七・〇×横一一・〇㎝、一〇行・行一七字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。全書に朱點、欄上に朱筆の書き入れあり。識語なし。僅かに蟲損、版心切れ。
當本の版式・匡郭は『東垣十書』遼藩第一版本および熊氏本と同。ただ字體・紙質は遼藩本と異なり、熊氏本に似るが、熊氏本は書名に「新刊東垣十書」を冠するので別版本。『脾胃論』の正徳頃建刊本(台北・国家図書館蔵。真柳誠「『内外傷弁惑論』『脾胃論』『蘭室秘蔵』解題」『和刻漢籍医書集成』第六輯所収、エンタプライズ、一九八九年九月)と同帙本か。
故宮新目下册七〇三頁(外科集驗方 二卷二册。(明)周文采撰。明嘉靖二十四年南京禮部刊黑口本)箱號一〇五一、觀字九五三號、天字〇八〇〇號、故觀號一〇八〇六・一〇八〇七
後補日本四鍼眼裝。濃紺色薄手原表紙、書高二五・六×幅一六・五㎝。帙なし。外題は四周雙邊の題簽に「外科集驗方 上(下)」を墨書。書根に「上(下)外科集驗」を墨書。見返しに目錄を墨書、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。弘治戊午年の明興王「外科集驗方序」四葉、無記年の「外科集驗方序」二葉、嘉靖二三年の費宷等「進外科集驗方疏」七葉、上卷目錄四葉。卷首に「外科集驗方卷上/良醫副臣周文采集」と題し、以下本文二卷。書末に無記年の純一道人「跋外科集驗方後」の補寫二葉。料紙は楮紙で黄變する。有界、四周雙邊、版心大黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「集驗方上(下) 葉次」、まま下象鼻に刻工名を陰刻する。每半葉匡郭、縱二〇・九×横一五・五㎝、一〇行・行二一字、小字雙行。楊氏藏印記五種。全書に朱點、欄上一面に朱墨の書き入れ。識語なし。かなり蟲損。
故宮新目下册七〇四頁(金瘡治事 不分卷一册。(日本)不著撰人。日本天正七年重應手鈔本)箱號四六八、觀字九五四號、天字〇九八二號、故觀號一三九四三
日本二目鍼眼原裝、横判。澁引き焦げ茶色薄手表紙、書高一八・五×幅二四・五㎝。外題に「金瘡治事」を墨書。序なし、目錄三葉。卷首に「金瘡撲損療治之部/一 生死吉凶之脈事」の内題、以下本文。書末は「五十七 禁好物之事」までで、跋文なし。厚葉楮紙の兩面に假名交じり文を書寫し、無界、無邊、無版心。每半葉、約七行。「小嶋氏/圖書記」「聽/雨(陰刻)」および楊氏藏印記二種。書末に「天正七年己卯八月廿一日、重應書之畢。/江刕坂田郡八幡宮妙光坊持主之」の識語。書き入れ引用書等なし。蟲損甚大。
故宮目は「日本天正七年重應手鈔本」と著錄するが、「日本天正七年坂田郡〔滋賀県近江町〕八幡宮妙光坊持主鈔本」が適切。
故宮新目下册七〇四頁(祕傳眼科龍木總論 十卷三册。不著撰人。日本傳鈔狩谷望之躋壽館藏應永年鈔本、天保二年小島質手書題識)箱號一四六八、觀字號なし、天字一〇〇六號、故觀號なし
日本包背原裝。藍色薄手表紙、書高二六・六×幅一〇・〇㎝。外題は題簽に「應永本眼科龍木論 一之三(四之六、七之十)」を墨書。見返しに本書の書誌(趙希弁「讀書後志」、「宋藝文志」、「幼幼新書」卷四〇、「三因方」太醫習業、「醫方類聚」卷六四~七〇・一四二、「萬安方」卷二八を參照)を墨書、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし。目錄一〇葉半、また總論一三葉半を前附する。卷首に「祕傳眼科龍木緫論卷之一」の内題、以下本文。料紙は斐紙、無界、無邊、無版心。每半葉、七行・行一八字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記三種。總論末葉に朱筆で「照隆慶本再審、質誌」、卷一末葉に朱筆で「天保癸卯正月十三日、退自 儲闈直詣 劉敎諭/曉湖齋頭與谷邊子(?)行(?)、同(因?)對崇蘭館所藏隆慶/刊本一校、兼參劉氏家藏萬暦刊本、質記。是歳秋閏/九月十八日、早起隆慶本覆校、質又記」「天保二年十月四日、照家藏本祕本、一校畢」、卷二末葉に朱筆で「天保十二(?)二年秋九月十八日、照隆慶刊本審校、兒沂對讀、質識於燈下。時(?)方眼昏、書不成字」、卷三末葉に朱筆で「癸卯九月廿日、隆慶本校過。質記」「辛卯孟冬初五日、一校了」、卷四末葉に「癸卯九月廿三日、西城棭庭公暇、照/隆慶刊本校字。質記」、卷五末葉に朱筆で「癸卯九月廿三日、隆慶本對校。末一行作眼科精要龍木方論卷之五、/恐係後人所改刊。質識於 西城棭庭醫署」、卷六頭に朱筆で「隆慶作眼科精要龍木方論卷之六、相其版式、初四字及方字位置參差、似後人所改刊」、卷六末葉に朱筆で「天保二年歳、在重光單閼十月五日、照插架古鈔本、與奈須菊菴信悳、/同校於寶素堂。質誌。 十四年癸卯閏九月七日夜、照福井四品需/崇蘭館藏隆慶刊本、校於 西城奧醫師部屋。質又識」、卷七末葉に朱筆で「正保十四年閏九月、參照隆慶刊本、校於 西城棭庭醫局。質題」「辛卯十月十三夜、參所引原書、是正誤脱」、卷八末葉に朱筆で「小春十三夜、據銅人經改訂誤字」、卷九末葉に朱筆で「天保十四年癸卯閏九月十七日晨記、照隆慶刊本/一校畢。佞宋道人、識於寶素堂」「天保二年歳次重光單閼十月丙戌、照家藏應永廿七年季古鈔本、/與奈須菊菴信悳、同校於寶素堂、後學小島質誌。 /是月空(?)前一日、參大德本證類本草審訂、質又記。/十四年閏九月十七日、據隆慶本校勘。隆慶本卷第前題刊校/姓氏如左、質記」の識語、および朱筆で「隆慶改元陝西布政司刊/都 事 邵 武 丘鳴鶴校/甘州左衛右所正千戸宋寳同校」を書き入れる。全書に朱筆で校異の書き入れあり。蟲損わずか。
故宮目は「日本傳鈔狩谷望之躋壽館藏應永年鈔本」と著錄するが、識語の誤讀。「小島質傳鈔日本應永廿七年鈔本」が適切。
故宮新目下册七〇五頁(產寶 三卷一册。(唐)咎殷撰、日本烏絲欄鈔本)箱號四六九、觀字九三二號、天字〇八七九號、故觀號〇二四九〇
日本四鍼眼原裝。澁引き香色薄手表紙、書高二六・三×幅一八・七㎝。外題ないが、書口下方に「新輯本產寳」の墨書あり。見返しなし。扉に楊氏の寫眞藏書票を貼る。宋版風字體の精寫本。丁巳年等の「產寶序」三篇三葉、目錄を前附する「產寶卷上(中下)」から直接本文に連續。料紙は薄葉上質楮紙の罫紙、有界、左右雙邊、小黑口(下象鼻)・黑魚尾、版心には無記入。每半葉匡郭、縱二〇・一×横一四・六㎝、一三行・行二三字、小字雙行。楊氏藏印記三種のみ。識語なし。所々の文頭に藍點や朱丸、また文の横に細い朱線あるが(出版前提の校正か)、書き入れ引用書等なし。少々蟲損。
下揭本の文字を宋版風に書き改めたもの。明らかに出版前提の版下と思われるが、結局刊行したのは原本たる宋本によった當婦產科之屬筆頭の清光緒七年影宋刊本だった。故宮目は書名を「產寳」、また「咎殷撰」「日本烏絲欄鈔本」と著錄するが、「〔新輯本〕產寳」「昝殷撰」「日本〔明治初〕烏絲欄鈔本」が適切。
故宮新目下册七〇五頁(產寶 三卷二册。(唐)咎殷撰、日本鈔本)箱號三八九、觀字九三一號、天字〇八七八號、故觀號〇一四七一・〇一四七二
日本四鍼眼原裝。灰薄緑靑色厚手表紙、書高二六・六×幅一八・九㎝。外題なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。江戸醫學館が利用した版元・英氏的字體の精寫本。丁巳年の〔周氏〕「產寳序」二葉、「產寳目次」四葉。卷首に「產寳卷上/唐 昝 殷 撰」と題し、以下本文。料紙は上質楮紙の罫紙、有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「產寳卷之上(中下) 葉次」を墨書する。每半葉匡郭、縱二〇・三×横一五・三㎝、一一行・行二三字、小字雙行。四周單邊陽刻の「□木氏家/臧圖書」と楊氏藏印記二種のみ。識語なし。上欄に誤字・誤寫の訂正墨筆、卷下の途中まで全文に朱の讀點あり。蟲損なし。
故宮目は「咎殷撰、日本鈔本」と著錄するが、「昝殷撰、日本〔江戸後期〕鈔本」が適切。前揭「經效產寶 二卷一册。(唐)咎殷撰、日本影宋鈔本。小島質朱墨合校」本での小島の校訂に從い、產寳の古態を復元しようと整理した書だろう。
故宮新目下册七〇五頁(產經 二卷一册。(唐)時賢撰、日本傳鈔明施沛校刊本。日本安政四年恬齋居士朱墨合校竝題記)箱號四六九、觀字九三五號、天字〇八八〇號、故觀號〇二四九一
日本四鍼眼原裝。茶色薄手表紙、書高二六・七×幅一八・五㎝。外題なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼り、見返しに四周單邊で「施笠澤先生祕本/(以下大字)產經/(以下又小字)嗇齋藏板」の封面を模寫。序なし、目錄七葉。卷首に「產經卷之上/唐翰林學士賜紫金魚袋時賢撰/明奉政大夫南康府同知施沛較」と題し、以下本文。書末に嘉定戊辰年の鄭汝明の跋文一葉半。料紙は薄葉三椏紙、無界、無邊、無版心。每半葉、九行・行二〇字、小字雙行。「森氏」および楊氏藏印記三種。書末に森の墨筆で「安政四丁巳八月廿日夜二更燈下、與祖母君相對/坐、而校比一過卒。產經下卷及附錄、共以墨校。/產經上卷、以朱丹校耳。原本酌源堂(伊澤氏)藏本、頗多/誤文、今不改易之。存其舊面、而疑誤書與字置、/新羼書正字之下、且舊字左房點白及黑也。/梫遅(?)恬齋居士(森)、書于圓山速讀書屋南窗下」の識語。江戸後期の筆寫。書き入れは誤字訂正が主。少々蟲損。
故宮目は「日本安政四年恬齋居士朱墨合校竝題記」と著錄するが、「日本安政四年恬齋居士〔森立之〕朱墨合校竝題記」が適切。
故宮新目下册七〇五頁(產經 二卷一册。(唐)時賢撰、日本鈔本)箱號四六九、觀字九三六號、天字〇八八三號、故觀號〇二四九四
日本四鍼眼原裝。クリーム色薄手表紙、書高二三・三×幅一六・一㎝。題簽に「產經 全」の墨書。見返しを剝がして楊氏の寫眞藏書票を貼り、見返しに前揭本と同樣の封面を模寫。序なし。目錄八葉。本文卷首・書末跋文も前揭本に同。料紙は上質楮紙の罫紙、有界、四周雙邊、白口・無魚尾、版心に葉次のみを墨書する。每半葉匡郭、縱一八・五×横一三・五㎝、九行・行一六字、小字雙行。陽刻・楕圓長方形の「□(醫?)□書庫」および楊氏藏印記四種。書末に「唐時賢所撰產經二卷幷附錄、希世所傳。今/得野間氏珍藏謄寫、以具架藏云。/勉齋 安道一書」の識語あり。上欄に書き入れ少々。やや蟲損。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本〔江戸後期〕安道勉齋鈔本」が適切。
故宮新目下册七〇六頁(新編婦人大全良方 二十四卷九册。(宋)陳自明撰、日本傳鈔朝鮮活字本。日本文化乙亥小島質、文政辛巳邱田章朱筆手校、清宣統庚戍楊守敬手書題識)箱號六四、觀字九三七號、天字〇八七三號、故觀號〇〇七二一~〇〇七二九
日本五鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高三一・七×幅二一・三㎝。題簽に「婦人大全良方」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。書頭に楊氏の宣統庚戌識語二葉を插入する。以下、嘉煕元年の陳自明序二葉(寫刻體)、「新編婦人大全良方綱目」一葉、「新編婦人大全良方目錄/醫學臨川陳自明良補甫編」三九葉、「辨識修製藥物法度」八葉。卷首に「新編婦人大全良方卷之一/醫學臨川陳自明良甫編註」と題す。跋なし。料紙は斐紙に印刷した罫紙で襯紙に厚葉竹紙をあて、有界、四周雙邊、版心白口・雙花魚尾、魚尾間に「婦人良方」を刻し、それ以下に幾(卷)と葉次を墨書する。每半葉匡郭、縱二一・〇×横一五・五㎝、一二行・行一九字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「邨田/氏臧/書印」「與子鐙/前共/讀書」および楊氏藏印記四種。第一册末葉に朱筆で「文化乙亥三月廿四日、燈下校訖。/文政辛巳十一月九日、朝鮮活字原本影鈔對校畢。章記」、第二册末葉に朱筆で「四月廿二日、早起校過。質記。/文政四年歳次辛十一月朔、彥菴對校。章誌」、墨筆で「天保辛丑仲冬二十三夜、西城侍醫直舍一讀。質識。曩/余得此書爲乙亥三月、屈指殆廿六年。後數年家貧、/不能克藏、轉帰村田博古。十四年前、又從博古得之。/噫書之聚散、無常如是。後世子孫、宜朝夕保惜、以爲架中之寳事(?)」、卷四末葉に朱筆で「文政辛巳清祀十有二日、原本對讀。/章誌」、墨筆で「辛丑仲冬廿三夜、直舍讀之。花押」、卷七末葉に朱筆で「文政辛巳五月念一日校訂。章記」、卷十一末葉に朱筆で「文政辛巳季夏十日校了。章記」、卷十四末葉に朱筆で「辛巳孟秋念一日對校。邨田章識」、卷一七末葉に朱筆で「文政辛巳仲秋念五日校讐。章記」、卷二一末葉に朱筆で「文政四年歳次辛巳初冬初九日校過。章識」、墨筆で「天保十二年 十一月廿四日讀完。佞宋」、卷二四末葉に朱筆で「文政第四年歳在辛巳十一月七日、/原本對校畢。/邨田章識」、墨筆で「弘化二年十月十四日、因校經效產/寳、披讀一過。佞宋題」の識語。書き入れ引用書、蟲損なし。
故宮目は「邱田章朱筆手校」と著錄するが、「邨田章朱筆手校」が適切。
故宮新目下册七〇六頁(校正婦人大全良方 存一卷存八頁一册。(宋)陳自明撰、日本寬政四年菁莪園翻朝鮮刊本)箱號三八九、觀字九四一號、天字〇八七六號、故觀號〇一四六八
假綴じ包背裝。薄クリーム色薄手表紙、書高二六・〇×幅一七・八㎝。外題に「眞本婦人良方 (以下小字雙行)典藥頭橘朝臣/正福校刊本」を墨書。見返しに四周單邊で「朝鮮本翻刻/(以下大字)校正宋陳自明/婦人大全良方/(以下小字)菁莪園藏版」の封面、寬政壬子年の橘正福「校正宋婦人大全良方序」二葉、嘉煕元年の陳自明序二葉(寫刻體)、「新編婦人大全良方綱目」一葉、「辨識修製藥物法度」八葉。以下缺。有界、四周雙邊、版心白口・黒魚尾、魚尾間に「婦人良方藥物法類 葉次」、下象鼻に「菁莪園」を刻す。每半葉匡郭、縱二一・二×横一五・三㎝、一二行・行一九字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記二種。識語・書き入れ引用書等なし。蟲損なし。
故宮目は「存八頁」と著錄するが、「存十三頁」が適切。
故宮新目下册七〇六頁(新刊婦人大全良方 存卷二十三・二十四、一册。(宋)陳自明撰、日本舊鈔本)箱號三八九、觀字九四〇號、天字〇八七五號、故觀號〇一四六七
日本四鍼眼原裝。藍色薄手表紙、書高二五・五×幅一七・八㎝。題簽に「古鈔本婦人大全良方 廿三 廿四」を墨書。序・目錄なし。卷首に「新刊婦人大全良方卷之二十三」の内題、以下本文。跋文・識語・書き入れ等なし。料紙は楮紙で裏打ちの罫紙、有界、四周單邊、白口・無魚尾、無版心。每半葉匡郭、縱二〇・五×横一三・一㎝、一二行・行約二三~二五字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記二種あり。やや蟲損。
故宮新目下册七〇六頁(新刊婦人良方補遺大全 二十四卷五册。(宋)陳自明撰、明熊宗立補遺、明初刊黑口十行本)箱號一一六二、觀字號なし、天字〇八八七號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。澁引き茶色厚手表紙、書高二二・一×幅一四・一㎝。外題に「婦人良方」を墨書。宣統庚戌年の楊守敬解題一葉、嘉煕元年の陳自明序二葉(寫刻體)、「新編婦人良方補遺大全目錄/臨 川 陳 自明 良甫 編集/鰲峯 熊 宗立 道軒 補遺」、次に「新刊補遺大全婦人良方卷首」、次に「新編婦人良方補遺大全卷之一/醫 學 臨 川 陳 自明 良甫 編集」と題し、以下本文。跋なし。料紙は竹紙で破損著しく、有界、四周雙邊。版心は大黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「良方卷幾」、下象鼻に「葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・四×横一二・四㎝、一二行・行二二字、小字雙行。楊氏藏印記二種のみ。識語はないが、随所に朱筆で文字の校正、また缺落葉を日本楮紙に墨筆で補填する。蟲損ないが、料紙自體の破損は危險狀態。
故宮目は「明初刊黑口十行本」と著錄するが、「黑口十二行本」「清宣統庚戌楊守敬手書題識」が適切。
故宮新目下册七〇六頁(新刊婦人良方補遺大全 二十四卷四册。(宋)陳自明撰、明熊宗立補遺、日本鈔本)箱號三八九、觀字號なし、天字〇八七四號、故觀號なし
中國四鍼眼新裝。濃紺色薄手表紙、書高二七・二×幅二一・五㎝。外題なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。各册頭に舊裝訂の表紙目次(日本墨書)を裏打ちして插む。嘉煕元年の陳自明序二葉、「總目」二四葉、「辨識修製藥物法度」五葉。卷首に「新刊婦人良方補遺大全卷之一 仁集/醫學臨川 陳 自明 良甫編集/鰲峯 熊 宗立 道軒 補遺/松 軒 葉 玄昊 顕章 類校」と題し、以下本文。跋文なし。料紙は楮紙で、蟲損著しい部分を薄葉斐紙で裏打ちする。無界、四周單邊、白口・無魚尾、版心には無記入。每半葉匡郭、縱二〇・三×横一七・九㎝、一三行・行二七字、小字雙行。楊氏藏印記四種のみ。識語等一切なし。蟲損大。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本舊〔室町後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七〇六頁(濟生產寶論 二卷二册。(明)雷大震撰。日本傳鈔明嘉靖間雷鳴文會堂刊本)箱號三八九、觀字九四二號、天字〇八七七號、故觀號〇一四六九・〇一四七〇
日本四鍼眼原裝。香色薄手表紙、書高二六・三×幅一八・四㎝。題簽剝がれ、第二册目に守敬の筆で「濟生產寶論」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。嘉靖乙未年の王(壬?)子沖雙峯「濟生產寶方序」二葉、目錄三葉。卷首に「濟生產寶論方卷上/邵陽縣學訓導徐明善校正/金陵書 林 雷 鳴刊行」と題し、以下本文。書末に「呉郡均克明家藏宋板書/也、其問所載效驗治方、既廣評論、/問答且備。鳴、恐知醫者、雖有未知/者、尚多家有產婦、臨難倉托、誤失/性命、 痛惜。用是命工翻刊、以/廣其傳。四方君子、若能詳論、據方/預爲製藥、亦濟生之一助、云爾。/嘉靖乙□(元々無記) 夏吉旦、文會堂雷氏新刊」の跋文。料紙は楮紙、無界、無邊、無版心。每半葉匡郭、一〇行・行二〇字、小字雙行。「邨田/氏臧/書印」「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記四種。讀點・識語・書き入れなく、わずかに朱筆で誤字訂正あるのみ。少々蟲損。
故宮目は「濟生產寶論」「(明)雷大震撰」と著錄するが、「濟生產寶論方」「(宋)無名氏撰」が適切。
故宮新目下册七〇六頁(女科經論 八卷四册。(清)蕭壎撰。清康熙間燕貽堂刊本)箱號四六九、觀字九四四號、天字〇八八五號、故觀號〇二四九六~〇二四九九
後補中國四鍼眼裝。薄クリーム色薄手原表紙、書高二四・三×幅一五・四㎝。帙なし。外題は表紙に「女科經 一(~四)」を印刷。書根に「一凡四(~四) 女科經」を墨書。黄色の見返しに四周雙邊で「携李蕭賡六著/女科經綸/文淵堂藏板」の封面。康煕甲子年の蕭壎賡六「自序」三葉、目錄なし。卷首に「女科經綸卷一/携李蕭 壎賡六纂著 (跨行)男鋐律黄/鏳蠡濤 (跨行)壻 李含渼南溟/薛之屏翰周 (跨行)仝校/…」と題し、以下本文八卷。跋なし。料紙は薄葉竹紙でやや黄變。無界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「女科經綸」、魚尾下に「卷幾 篇名 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・九×横一二・八㎝、九行・行二四字、小字雙行。楊氏藏印記一種のみ。一部に墨筆書き入れあり。蟲損なし。わずかに破損。
日本舊藏に非ず。故宮目は「女科經論」と著錄するが、「女科經綸」が適切。
故宮新目下册七〇七頁(胎產要錄 二卷一册。(朝鮮)不著撰人、日本鈔本)箱號四六九、觀字九四五號、天字〇八八四號、故觀號〇二四九五
日本四鍼眼原裝。香色薄手表紙、書高二四・二×幅一六・八㎝。題簽に「胎產要錄 上下卷」の墨書、また守敬の墨筆で「一一匁(兩)」(購入價格か)を記す。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし、目錄四葉。卷上二七葉、卷下三八葉。卷首に「胎產要錄卷上」の内題、以下本文。書末に弘化四年の小島質學古跋一葉。三椏交じりの薄葉斐紙、無界、無邊、版心部位に葉次を墨筆。每半葉、八行・行一八字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「臣尚質」「與子鐙/前共/讀書」「尚質/校讀」および楊氏藏印記三種。朱筆で原本目錄の蟲損部位數所に書き入れ。蟲損やや大。
故宮目は「(朝鮮)不著撰人」「日本鈔本」と著錄するが、「(朝鮮)〔盧重禮〕」「日本〔江戸後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七〇七頁(少小嬰孺方 不分卷。(唐)孫思邈撰。日本文政庚寅(十三年)偸閑書屋刊本)箱號三八九、觀字九二九號、天字〇八七二號、故觀號〇一四六二
日本四鍼眼原裝。香色薄手表紙、書高二三・七×幅一五・〇㎝。四周單邊の題簽に「少小嬰孺方 全」を刻し、下方に楊守敬が「二兩」を墨書(購入價格か)。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼り、扉に四周雙邊で「文政庚寅新鎸/(以下大字)少小嬰孺方/(以下小字)偸閑書屋藏」の封面を刻す。文政庚寅年の岡了充(勁齋)「刻少小嬰孺方序」四葉、以下本文で卷首に「少小嬰孺方/唐孫思邈著」と題す。書末に文政庚寅年の不肖鳳の跋文一葉。奧附なし。料紙は楮紙、無界、四周單邊。版心は白口・黑魚尾、象鼻に「嬰孺方」、魚尾下に葉次、下象鼻に「偸閑書屋藏」を刻す。每半葉匡郭、縱一二・五×横一〇・一㎝、八行・行一八字、小字雙行。欄上に外臺・巢源・千金・千金翼、元版・正德本との校異を刻す。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。「刻少小嬰孺方序」第一葉の欄外に文政丙戌年の丹波元胤「少小嬰孺方序」(當版の出版に際し、幼科侍醫・岡勁齋に依頼されて記したもの)を墨書し、「丙午初夏念八、錄出。于柳沜文稿中、是本不載、何哉。檉園」の識語。また上欄に朱筆で「寳按」の書き入れ、全書に朱の讀點あり。書末に朱筆で「天保十二年歳次重光、灶奮若秋八月下旬、岡氏被惠之。春沂識」「弘化丙午、閏五月上澣、校肘後方小兒門之時、再讀此卷。檉陰生識、時在攷古塾中」「丁未晩秋念五三讀。寳記」の識語あり。蟲損なし。
故宮新目下册七〇七頁(顱顖經 二卷一册。(宋)不著撰人。日本傳鈔四庫全書本)箱號六一、觀字六八六號、天字〇八九八號、故觀號〇一一六五
日本四鍼眼原裝。香色厚手表紙、書高二六・五×幅一七・二㎝。外題に守敬の筆で「顱顖經」の墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞票を貼る。乾隆五十年「欽定四庫全書/顱顖經/提要」二葉、無記年の「原序」二葉、目錄なし。卷首に「顱顖經卷上」の内題、以下本文。料紙は上質楮紙、無界、無邊、無版心。每半葉、八行・行二一字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。書末に朱筆で「治孩子脱肛方」二首を書き入れ、それ以下に「右移抄、柳沜先生據明人寫字劉氏幼幼新書/所援文、所校勘者。證一則方二道(首?)、亦係因之神/者。庚辰十月廿七日。 寧煕識」の識語。以下に書き入れ引用書なし。蟲損なし。
故宮目は「日本傳鈔四庫全書本」と著錄するが、「日本江戸〔後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七〇七頁(錢氏小兒藥證直訣 三卷二册。(宋)錢乙撰。日本影鈔清道光間起秀堂仿宋本)箱號一四六八、觀字九二四號、天字〇九七〇號、故觀號一三九〇六・一三九〇七
日本四鍼眼原裝。ベージュ色薄手表紙、書高二六・六×幅一八・四㎝。題簽に「錢氏小兒藥證直訣 上中卷(下卷附方)」の墨書。見返しに四周雙邊で「照宋本重刊/(以下大字)錢氏小兒直訣/(以下小字)起秀堂梓」の封面を寫し、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。已亥年の汝楫「重刊錢氏小兒藥症直訣序」二葉、目錄七葉、附方目錄三葉、宣和元年の閻孝忠「錢氏小兒藥證直訣序」三葉。卷首に「錢氏小兒藥證直訣上/閻孝忠集」と題し、以下本文。書末に「錢仲陽傳/河間劉跂撰」六葉。料紙は薄葉三椏紙、無界、無邊。版心部に「錢方上(下) 葉次」を墨筆。每半葉、八行・行一六字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「小島尚質」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/校讀」および楊氏藏印記三種。扉ウラに、醫方類聚卷二三九に引用の「錢氏」文を守敬が小紙に墨書して張り込む。第一序文末に墨筆で「眞按、陳懐三世傑玉函經序、記康煕丙申。此書在玉函之後、則茲稱已亥、當/康煕五十八年矣。乙卯夏五、校此書時記」、第二序末に朱筆で「閻序、初二夏及老者、陽之郎、幹六字、小字/別本錄補、於 西城棭庭侍醫局之/樓上。時癸未十月廿一日。質題從」、卷上末葉に墨筆で「天保四年十月初五、原本對校」、卷中末葉に朱筆で「十一月十八日、原刊本照校。質」の識語あり。全書に朱墨書き入れあり。蟲損なし。
小島は幼幼新書・小兒衛生總微論と熊本、守敬は醫方類聚で校異、さらに遺文を小紙に書き出して張り込む。あるいは下揭本の作成と關係あるか?
故宮新目下册七〇七頁(錢氏小兒藥證直訣 三卷一册。(宋)錢乙撰。鈔本、近人楊守敬及柯遜菴手書題記)箱號一一六二、觀字九二五號、天字〇八七〇號、故觀號一一五二七
中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二三・〇×幅一四・八㎝。外題なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。光緒二〇年の守敬序三葉、その後尾に柯遜菴の識語で「此據陳世傑本、用 四庫輯本校過重寫。言宋本者、惺吾之飾詞也。遜菴」という。以後、宣和元年の閻孝忠「錢氏小兒藥證直訣序」二葉半、以下本文。目錄なし。卷首に「錢氏小兒藥證直訣上/閻孝忠集」と題す。書末に「錢仲陽傳/河間劉跂撰」六葉を附す。跋文なし。三椏紙の升目罫紙、罫線は紫、四周單邊、白口・紫魚尾、版心に記入なく、下象鼻に「鄰蘇園」を刻す。每半葉匡郭、縱一四・五×横一一・七㎝、八行・行一六字、小字雙行。楊氏藏印記二種のみ。全書に朱の讀點、および四庫全書本との校異が守敬の朱筆で記される。蟲損なし。
本文墨字は明らかに日本人の所筆。守敬が來日後に作製した罫紙に、日本人に筆寫させ、それに自ら校異を加えたもの。 故宮目はただ「鈔本」と著錄するが、「日本〔明治初〕鈔本、楊氏朱筆校本」が適切。
故宮新目下册七〇七頁(類證注釋錢氏小兒方訣 十卷一册。(宋)錢乙撰。日本鈔本)箱號三八九、觀字九二三號、天字〇八六六號、故觀號〇一四四六
日本五鍼眼裝。靑色厚手表紙、書高二六・六×幅一八・七㎝。外題に「小兒方訣」の墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。正統五年の熊宗立序三葉、目錄一三葉。卷首に「類證注釋錢氏小兒方訣卷之一/門 人 閻 孝忠 集/鰲 峯 熊 宗立 註」と題し、以下本文。料紙は楮紙、無界、四周單邊、白口・無魚尾、版心には無記入。每半葉匡郭、縱二二・七×横一六・一㎝、一一行・行二〇字、小字雙行。「森氏」「弘前醫官澁/江氏藏書記」および楊氏藏印記三種。朱引き・讀點以外に書き入れ引用書なし。やや蟲損。
書風・紙色・本の大きさ等からして江戸前期の筆寫。故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本〔江戸前期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七〇八頁(小兒衛生總微論 二十卷五册。(宋)不著撰人。日本鈔本、日本小島質朱筆手校)箱號三八九、觀字九二七號、天字號なし、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。澁引き茶色薄手の紙帙(裏紙は「新編婦人大全良方」目錄部分の精寫本)入り。クリーム色薄葉手表紙、書高二五・七×幅一六・五㎝。題簽に「小兒衛生總微論方 一之三(四之七、八之十一、十二之十五、十六之廿)」の墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。弘治二年の范吉以(?)「保幼大全序」二葉(四周雙邊、有界、五行・行約一四字〔寫刻體〕の模寫、大黑口、黑魚尾)、嘉定丙午年の何大任「小兒衛生總微論方序」一葉(四周雙邊、有界、八行・行約一七字〔寫刻體〕の模寫、小黑口、黑魚尾)、弘治己酉年の朱臣時佐「保幼大全序」二葉(四周雙邊、有界、六行・行一四字〔寫刻體〕の模寫、大黑口、黑魚尾)、目錄三葉半。卷首に「小兒衛生總微論方卷第一」の内題、以下本文。書末に「乾隆四庫全書總目卷一百三」の引用一葉を附す。跋文なし。料紙は薄葉斐紙、無界、無邊、無版心。每半葉、一〇行・行一八字、小字雙行。「□(嚴?)氏藥室」(模寫)、「小嶋氏/圖書記」「寶素堂」「尚質/校讀」「尚質/之印」「字/學古」「江戸小/島氏八/世醫師」「(鼎型印胴に)佞宋」および楊氏藏印記三種。尚質の朱筆で卷一末葉に「天保五年甲午、花朝前一夕、校於 西城直舍。案此書、未詳成何人手。/何序稱、家藏六十餘載、而書(其を消して書に改めている)中往々引聖濟經、則知此書之成、當/在南渡之後矣。質併題」、卷二末葉に「天保甲午、佛涅般後一日、校讀。質」、卷三末葉に「甲午二月十九日、校訖。質」、卷六末葉に「天保五年二月卜浣、每早晨起、校讀」、卷七末葉に「二月廿九日、校畢」、卷八末葉に「三月朔日、校」、卷九末葉に「天保五年、閼逢敦祥(?)春三月四日、校。是日晩饗、/敕使 院使於 柳營猿樂能舞、侍于大廣間恭觀。晡時/退出。質記」の識語。卷九まで朱筆で誤字訂正や校異の書き入れあり。僅かに蟲損。
故宮目は書名を「小兒衛生總微論」と著錄するが、「小兒衛生總微論方」が適切。
故宮新目下册七〇八頁(全嬰方論 存二十一卷。缺卷一・二。四册。(宋)鄭端友撰、日本文政二年鈔本。日本小島質手校竝題識、及過錄丹波元胤跋)箱號三八九、觀字九二六號、天字〇八六八號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。澁引き茶色中手表紙、書高二四・二×幅一六・〇㎝。題簽に「全嬰方論 影宋本一二缺 三之七(八之十三、十四之十七、十八之二十三)」の墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「全嬰方論卷第三」と題し、以下本文。書末に文政三年の丹波元胤跋文を轉寫する。料紙は中葉斐紙、無界、無邊、無版心。每半葉、一一行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「寶素堂」「尚質/校讀」「尚質/之印」「字/學古」「江戸小/島氏八/世醫師」「小島尚質」「(鼎型印の胴に)佞宋」および楊氏藏印記三種。卷三末葉に靑筆で「天保二年孟冬廿五起、校句」、卷四末葉に「天保癸巳小春廿六日、校句、及門相庭元煕對讀。質記于寶素堂」、卷五末葉に「十月二十六日、又校此卷。〔小島尚質〕の朱印」、卷六末葉に「十月廿六日晡時、校此卷。〔尚質校讀〕の朱印」、卷七末葉に「天保四年小春、廿有六日、校句卒業。質。〔佞宋〕の朱印」、卷一〇末葉に朱筆で「第八第九第十三、友人小森叔方、及門三浦文戴、爲予對校」、卷一三末葉に靑筆で「天保四年十月廿六夜、與及門相庭元煕、對校併加藍句。案/斯卷末不題卷第幾字、當是脱若干行若干字。卷/第十一至斯、小森叔方爲予影寫。子孫其永珍惜」、卷十四末葉に「癸巳復月戊辰、與劉氏叔方同校、於寶素堂」、卷一五末葉に朱筆で「十一月二日、校句。今夜有愛知晩香宅同飲之、約/獨奈寒風爲雨。老夫病懶、不得無簔笠踏泥/之患、寄書將謝未決。偶遇一病僧招、倉皇/往救、半夜帰家。小樓聽雨、燈下把筆記校/時勤苦。佞宋道人質」。卷一六に識語なし。卷一七末葉に朱筆で「天保四年十一月二日、夜半酔後未眠、把筆/校句。時天將明、挑燈又記。老夫病懶、鉛/槧不釋手。後世子孫、勿怠稽古之勞」、卷一八末葉に「癸巳復月初八日辰興、校句」、卷一九・二〇・二一・二二なし、卷二三後の元胤跋文以下に墨筆で「劉宗厚玉機微義第五十卷、戴本論諸方、間述立方之旨。且云、世俗治傷寒、多不本/仲景初法、矧小兒乎。惟近代鄭友端、集全嬰方、於傷寒多採其例。言桂枝湯、自西/北二方居人、四時行之、江淮間春夏加減之法、可謂得其旨趣。唯改端友爲友端、未/詳執是。乙未三月比校已畢、併記卷尾。後學小島質識、於西丸直舍。/李仲南永類方、往々援用此書諸方、亦宜參勘可(?)。庚子秋八月/佞宋道人又誌」の識語。全書に靑の讀點、所々に朱墨で誤字等の指摘や朱引きあり。蟲損なし。
故宮目は「日本文政二年鈔本」と著錄するが、「日本〔江戸後期〕鈔本」が適切。
阿部志三〇二頁、故宮新目下册七〇八頁(新刊仁齋直指小兒方論 五卷二册。(宋)楊士瀛撰。宋末建安環溪書院刊本)箱號六二、觀字號なし、天字〇七八九號、故觀號〇〇二六・〇〇二七
後補日本五鍼眼裝。藍色中手表紙、書高二九・四×幅一九・四㎝。題簽に「仁齋直指小兒方論 一之二(三之五)」の墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。景定庚申年の楊士瀛自序二葉、「新刊仁齋直指小兒方論目錄/環溪書院刊行」九葉。卷首に「新刊仁齋直指小兒方論卷之一/三山名醫仁齋楊 士瀛登父撰次/建安儒醫翠峯詹 宏中 洪道校定」と題し、以下本文。跋なし。卷一・二は藁紙、有界、左右雙邊。版心は小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「仁小兒幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・六×横一二・九㎝、一四行・行二四字、小字雙行、處方名を黒地に白字で刻す。卷一・二は破損中程度で、全葉を楮紙で裏打ちする。江戸以前の墨筆頭注と朱筆書き入れが少々ある。卷三~五は薄葉斐紙にほぼ同寸匡郭を印刷し、それに模寫(江戸後期)、また襯紙に楮紙をあてる。自序部および卷三冒頭に四周雙邊陽刻の「武田文庫」、「多紀氏/臧書印」「江戸醫學/臧書之記」「東京溜池靈/南衢第六號/讀杜艸堂主人/寺田盛業印記」「天下/無雙」「讀杜/艸堂」および楊氏藏印記三種。書末欄外に「右卷三以下、家本缺。癸卯冬、以京師崇蘭館所藏宋槧本/補抄。原本漫滅不少、及尾半葉缺。今依朱崇正本、及醫/方類聚填補、加朱匡以別之。抽齋善」の識語あり、この識語部分の半葉は朱線で囲む。裏打ち後の蟲損なし。
故宮目は「宋末建安環溪書院刊本」と著錄するが、阿部志は「〔元〕刊(環溪書院)」に判断する。版式(處方名を黒地に白字、門名を跨行の大字に記して墨蓋子を載せる點)・字體・紙質より、「〔元〕建安〔環溪書院〕刊本」が妥当。もと「故宮新目下册六九一頁、類證增注傷寒百問歌四卷四册」「故宮新目下册七一五頁、醫學眞經察脈總括一卷一册」「故宮新目下册七二二頁、新刊仁齋直指方論二十六卷六册」と同帙本。
故宮新目下册七〇八頁(嬰童百問 十卷五册。不著撰人。明麗泉堂刊本)箱號三八九、觀字九二八號、天字〇八六九號、故觀號〇一四五六~〇一四六〇
後補中國四鍼眼裝。日本後修香色厚手原表紙、書高二四・〇×幅一四・〇㎝。帙なし。外題は表紙に「嬰童百問 卷之一二(~十)」を墨書、また目錄も墨書。書根に「百問 卷一二(~十)」を墨書。遊紙ウラに楊氏寫眞藏書票を貼る。嘉靖壬寅年の嚴嵩「新刊嬰童百問序」二葉、嘉靖一八年の「進嬰童百問疏」一葉、目錄四葉。卷首に「嬰童百問卷之一 魯伯嗣學/○第一問初誕 麗泉堂梨(刊?)」と題し、以下本文一〇卷。書末二葉は日本補寫。全書の料紙は中葉竹紙で、やや黄變、有界、四周雙邊。版心は白口・雙黑魚尾、象鼻に「嬰童百問」、魚尾間に「幾卷」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・一×横一三・〇㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。全書に朱引き、朱墨の書き入れあり。僅かに蟲損・破損。
故宮新目下册頁七〇九(類證陳氏小兒痘疹方論 二卷一册。(宋)陳文中撰。日本寬政五年傳鈔明成化間種德堂刊本)箱號三八九、觀字九二二號、天字〇八六五號、故觀號〇一四四五
日本四鍼眼原裝。黄色厚手表紙、書高二四・五×幅一六・八㎝。四周單邊の題簽に「類證陳氏小兒痘疹方論」の墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。無記年の陳文中「小兒痘疹方序」一葉、目錄二葉。卷首に「類證陳氏小兒痘疹方論卷之上/大 醫 陳 文中 著述/鼇 峯 熊 宗立 類證」と題し、以下本文。跋文なし。目錄末葉に四周雙邊で「成化己丑孟冬鼇峯熊氏種德堂刊」の木記。料紙は薄葉上質楮紙、無界、無邊、無版心。每半葉、一一行・行二一字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記三種。書末に「寬政癸丑冬十月、就于臺州荻先生家藏本寫了。/下毛 松茂松珍藏」の墨筆、卷上末葉に小島の朱筆で「天保辛卯九月望後一日、校讀於寶素堂之南。友人/小森叔方、爲予照對。質秉燭記」、卷下末葉に「天保二年、歳次重光單閼九月廿日、小森叔方、見過同校卒業、兼參元祿刊本、朱書校訂。此書/去歳喜多邨士栗藏鈔本、倩小野孤竹謄錄、多事忽忽、到今校訖。喜題卷末、 質記。元祿/本係正德戊辰存德堂校刊、誤謬頗多。是猶從熊氏原刊傳鈔者、他日當據此、以訂彼也。又記」の識語。上眉に朱筆で元祿本との校異等あり。蟲損なし。
本書は荻野元凱本→松茂松本→喜多村直寬本→小島の當本と轉寫されており、天保元年の筆寫。故宮目は「日本寬政五年傳鈔」と著錄するが、「日本天保元年傳鈔」が適切。
『痘辨』
故宮新目下册七〇九頁(痘辨 二卷二册。(清)管玉衡撰。日本弘化三年影鈔清康熙間刊本)箱號不詳、觀字九三〇號、天字〇九三八號、故觀號一三八四四・一三八四五
日本四鍼眼原裝。薄靑色薄手表紙、書高二六・五×幅一八・一㎝。四周單邊の題簽に「痘辨 上(下)」の墨書。丙午年の周南岐來序三葉、康煕丙午年の管侗石(玉衡)「痘辨敍」三葉、周南「凡例」一葉、目錄三葉。卷首に内題・編著者名なし。跋なし。料紙は斐紙、無界、無邊、無版心。每半葉、八行・行二三字、小字雙行。「□田瑞仙/書籍之記」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記一種。書末に「弘化三丙午三月念四日 霧溪識」の識語。書き入れ引用書なし。蟲損なし。
當本は長崎に來訪した清醫・周岐來が所藏していた稿本からの轉寫本。日本で刊行させるために周氏が序と凡例を記したらしいが、日本・中国刊本ともに現存せず、写本の現存も當本が唯一の大陸佚書。故宮目は「二卷二册。日本弘化三年影鈔清康熙間刊本」と著錄するが、「不分卷二册。日本弘化三年影鈔清醫周岐來所藏稿本」が適切。
故宮新目下册七一〇頁(痘瘡集要 二卷一册。(朝鮮)許浚撰。日本鈔本)箱號一四六八、觀字九五五號、天字號一〇〇三、故觀號一四〇一三
日本四鍼眼原裝。ベージュ色薄手表紙、書高二六・二×幅一八・〇㎝。題簽は剝離して書中に挾み込まれ、「痘疹(後で疹を瘡に訂正)集要」と墨書。假綴じ表紙に「痘疹集要 全」の墨書外題。序なし。目錄五葉。卷首に「痘瘡集要卷上(下) 朝鮮國/御醫臣(臣は小字)許浚奉 敎撰」と題し、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、無界、無邊、無版心。每半葉、一一行・行二〇字、小字雙行。「多紀氏臧書印」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記二種。識語・讀點・書き入れ引用書なし。僅かに蟲損。
『新刊黄帝明堂灸經』
故宮新目下册七一〇頁(新刊黄帝明堂灸經 三卷一册。不著撰人。日本傳鈔本元皇慶壬子(元年)燕山活濟堂刊本)箱號一四六八、觀字六一一號、天字一〇三九號、故觀號一四〇八四
日本四鍼眼裝。楊氏守敬後補の濃藍色薄手表紙、書高二五・〇×幅一九・七㎝。外題は四周雙邊の題簽に「古鈔黄帝明堂灸經」の楊氏墨書、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。至大辛亥(1311)春月の序一葉、序末尾に「燕山活濟堂刊」の刊記、また「新刊黄帝明堂灸經目錄/太平聖惠方 編類(?)/建安 竇桂芳 校正」六葉、その末尾半葉に四周單邊で「皇慶壬子(1312)中元/燕山活濟堂刊」の木記。卷首に「新刊黄帝明堂灸經卷上(下)」の内題、以下本文。跋文なし。料紙は楮紙、無界、四周單邊、白口・無魚尾、無版心。每半葉匡郭、約縱二〇・二×横一五・五㎝、一二行・行二一~二五字、小字雙行、經穴繪圖あり。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記三種。識語なし。室町後期の墨筆眉注、および朱筆で小島の萬治刻本との校異あり。蟲損わずか。
故宮目は「日本傳鈔本」と著錄するが、「日本〔室町後期〕傳鈔本」が適切。
故宮新目下册七一〇頁(鍼灸甲乙經 存〔卷一・二〕二卷一册。(晉)皇甫謐撰。日本影抄明正統二年刊本)箱號一四六八、觀字九五八號、天字〇九五〇號、故觀號一三八六三
日本四鍼眼原裝。澁引き薄茶色厚手表紙、書高二五・八×幅一七・九㎝。四周雙邊の題簽に「明正統刻本甲乙經」の墨書。〔皇甫謐の〕「黄帝三部鍼灸甲乙經序」三葉、卷一目錄一葉。卷首に「鍼灸甲乙經卷之一」の内題、以下本文。序文裏半葉(序例)以下に四周雙邊で「正統丁/巳重刻」の木記あり。料紙は厚葉斐紙、序・目錄は無界、四周單邊、版心白口・無魚尾、版心に無記入。每半葉匡郭、縱二一・七×横一四・六㎝、序は七行・行一四字、目錄は九行で行末まで記す行なくて字詰め不詳。本文部分は無界、無邊、無版心。每半葉、九行・行二四字、小字なし。楊氏藏印記二種のみ。識語・書き入れ引用書なし。蟲損なし。
故宮新目下册七一〇頁(鍼灸經考異 不分卷一册。不著撰人。清光緒間宜都楊氏飛靑閣鈔本)箱號一四六八、觀字九七〇號、天字一〇四〇號、故觀號一四〇八五
日本四鍼眼原裝。灰薄藍色薄手表紙、書高二四・〇×幅一六・〇㎝。題簽に「鍼灸經考異」の楊守敬自筆墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄・題署・跋なし。料紙は宣紙に藍罫の升目稿紙、有界、白口・無魚尾、下象鼻に「飛靑閣」を刻す。每半葉匡郭、縱一六・八×横一三・二㎝、一二行・行二三字、小字雙行。楊氏藏印記四種のみ。識語なし。書き入れ引用書なし。蟲損なし。
當本は日本人の筆寫で、「新刊補註銅人腧穴鍼灸經」の校異のみ書き出した書。記述部分計二一葉。中國から持参した當稿紙に、日本人に依頼して本内容を筆寫させ、日本で裝訂したもの。故宮目は「鍼灸經考異」「清光緒間宜都楊氏飛靑閣鈔本」と著錄するが、「〔銅人腧穴〕鍼灸經考異」「日本〔明治初期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七一〇頁(讀甲乙經丙卷要略 不分卷一册。不著撰人、日本藍川愼校。日本鈔本)箱號三八九、觀字八九四號、天字〇八五八號、故觀號〇一四三六
日本四鍼眼原裝。靑色中手表紙、書高二四・四×幅一六・四㎝。外題に楊守敬自筆で「讀甲乙經丙卷要略」の墨書。序・目錄・跋なし。卷首に「讀甲乙經丙卷要略/藍川愼校」と題し、以下本文。料紙は斐紙で、襯紙に下質紙を插み、無界、四周單邊、白口・無魚尾、版心に記載なし。每半葉匡郭、縱一七・〇×横一二・九㎝、九行・行一九字、小字雙行。楊氏藏印記一種のみ。識語なし。全書に朱引きと朱の讀點あるが、書き入れ引用書なし。蟲損なし。
甲乙經の經穴について、千金・外臺・銅人等で校異を施したもの。故宮目は「不著撰人、日本藍川愼校」と著錄するが、「日本藍川愼編」が適切。
故宮新目下册七一〇頁(論骨度篇 不分卷一册。不著撰人。日本鈔本。與讀甲乙經丙卷要略合册)
架藏番號・書誌は前揭本に同。序・目錄・跋なし。卷首に「讀骨度篇/藍川愼」と題し、以下本文。全書に朱引きと朱の讀點あるが、書き入れ引用書なし。蟲損なし。
楊上善・楊玄操・張景岳・甄権・銅人・王冰・服部子温・恕公等を引き、「骨度篇」條文に註釋する。故宮目は「論骨度篇」「不著撰人、日本藍川愼校」に作るが、「讀骨度篇」「日本藍川愼撰」が適切。
(鍼灸四書 合一册。明成化九年羅氏竹坪書堂刊)箱號五六七、觀字號なし、天字〇七五二號、故觀號なし
以下の當叢書全体は中國四鍼眼裝。藍黑色薄手表紙、書高二一・九×幅一四・〇㎝。外題に「鍼灸四書」を朱書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。見返しに「鍼灸四書」の封面。至大辛亥年の活濟堂刊「新刊黄帝明堂灸經序」一葉(これに一、二點と送り假名あり)。不明朱印二種・墨印一種および楊氏藏印記四種。
其一。故宮新目下册七一一頁(新刊子午流注鍼經 三卷。(南唐)何若愚撰)
書頭に「新刊子午流注鍼經目錄/南 唐 何 若愚 撰集/建 安 竇 桂芳 校正」二葉(この末尾に「成化癸巳(九年)羅氏竹坪書堂新刊」の四周雙邊木記)。卷首に「新刊子午流注鍼經卷之上/南 唐 何 若愚 撰/常 山 閻 明廣 註」と題し、以下本文。跋なし。料紙は竹紙、有界、左右雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「鍼坙上(中・下)」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一六・二×横一〇・九㎝、一〇行・行二二字(一一・一二行・二〇・二一字の部分も)、小字雙行。經脉圖あり。未刻の墨丁多し。識語なし。上欄に墨丁の該當文字を墨筆、誤字を朱筆で補記。書き入れ引用書なし。やや蟲損。
其二。故宮新目下册七一〇頁(新刊黄帝明堂灸經 三卷。不著撰人)
序は册頭に前附。目錄なし。卷首に「新刊黄帝明堂灸經卷上(中・下)」の内題、以下本文。跋なし。版式同上。版心は魚尾間に「灸上(中・下)」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一七・〇×横一一・一㎝、一二行・行二二字。經穴の正・背人形圖あり。墨丁あり。文中で穴名は黑地に白字。卷中で缺落二葉を日本鈔で補配。
其三。故宮新目下册七一二頁(新刊竇漢卿編集鍼經指南一卷、附鍼灸雜說一卷。(金)竇漢卿撰)
序・目錄なし。卷首に「新刊竇漢卿編集鍼經指南/古 肥 竇 漢卿 撰次」と題し、以下本文。版式同上。版心は魚尾間に「鍼坙」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一六・六×横一一・二㎝、一二行・行二二字、小字雙行。上欄に墨筆で誤字訂正あり。墨丁ややあり。以下に「墨丁(卷末からすると附入「鍼灸雜説」一卷)」/建安後學竇 桂芳 類次」と題し、以下本文。卷末に壬辰年の「竇漢卿流注指要後序」一葉。
其四。故宮新目下册七一二頁(新刊莊季裕編灸膏肓腧穴法 一卷。(宋)莊季裕編)
序・目錄なし。卷首に「新刊莊季裕編灸膏肓腧穴法/清 源 莊 綽 季裕 編」と題し、以下本文。取穴法の繪圖あり。墨丁多し。書末に建炎二年の莊綽跋文あり。版式は同上。版心は魚尾間に「穴法」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一六・九×一〇・八横㎝、一〇行・行二二字、小字雙行。欄上に墨丁の該當文字や誤字を墨筆で書き入れる。
朝鮮舊活字 新刊補註銅人腧穴鍼灸
阿部志三〇〇頁、故宮新目下册七一一頁(新刊補註銅人腧穴鍼灸圖經 五卷五册。(宋)王惟一撰。朝鮮舊活字翻元崇化余志安勤有書堂本)箱號五六七、觀字九五九號、天字〇七四六號、故觀號〇四二一四~〇四二一八
日本四鍼眼原裝。クリーム色厚手表紙、書高三〇・三×幅一八・八㎝。題簽に「補註銅人腧穴鍼灸圖經 卷一(二~五)」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。天聖四年の夏竦「新刊補註銅人腧穴鍼灸圖經序」二葉、「新刊補註銅人腧穴鍼灸圖經目錄」六葉。卷首に「新刊補註銅人腧穴鍼灸圖經卷一/翰林醫官朝散大夫殿中省尚藥奉 御騎/都尉賜紫金魚袋臣王 惟一奉/聖旨編脩」と題し、以下本文。目錄末尾に「崇化余志安刊于勤有書堂」の刊記。料紙は朝鮮楮紙、有界、活字葉は四周單邊・左右雙邊、整版葉は四周雙邊、大黑口・雙花魚尾、魚尾間に「銅人經幾(卷) 葉次」を印す。每半葉匡郭、縱二〇・八×横一五・三㎝、一二行・行一九字、小字雙行。繪圖部分は文字・匡郭すべて整版。「小嶋氏/圖書記」「森氏開萬/册府之記」「弘前醫官澁/江氏藏書記」「占恒室圖書(久志本藏書)」「尚質/之印」「學/古氏」「與子鐙/前共/讀書」「懐僊樓印(曲直瀬養安院)」「節縮/百費日(?)/印積之」および不詳印四種・楊氏藏印記三種。書末に「嘉亥臈月、再歸于不求(原寫の「解」字を訂正)書室」の墨書あり、その上に「小島氏圖書記」樣字體でより抽象化した正方形陽刻四周單邊大印を捺す。讀點・書き入れ引用書等なし。僅かに蟲損、但し裝訂破損やや大。
本書は宮内廰書陵部藏の萬曆六年(一五七八)甲辰活字本と同版。
故宮新目下册七一一頁(新刊補註銅人腧穴鍼灸圖經 五卷五册。(宋)王惟一撰。日本鈔本)箱號五六七、觀字號なし、天字〇七四五號、故觀號なし
中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二九・七×幅一九・〇㎝。外題なし。前揭本の模寫、書誌・構成も同。料紙は斐紙樣の未詳紙(非日本・朝鮮紙)、無界、無邊、白黑口・無版心。藏印記・識語・書き入れ引用書・蟲損なし。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、紙・所筆・裝訂ともに日本のものではない。「〔清末〕鈔本」とすべきか。
故宮新目下册七一一頁(銅人腧穴鍼灸圖 五卷附錄一卷四册。(宋)王惟一撰。日本寄所寄樓烏絲欄鈔本)箱號五六七、觀字號なし、天字〇七四九號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。澁引き薄茶色厚手表紙、書高二六・三×幅一八・四㎝。外題は題簽に「銅人經彙攷 天(地)(銅人經彙攷附錄 上〔下〕)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。當書としての序なし。「新鑄銅人腧穴鍼灸圖經目錄/宋 翰林…尚藥奉御/騎都…王惟一奉聖旨/編修/日本/江都法眼侍醫兼(缺筆する)醫學鍼科敎諭臣山/崎次善 奉/敎補註」の目錄八葉。次に「銅人腧穴鍼灸圖經序」四葉。卷首に「新鑄銅人腧穴鍼灸圖經卷上/宋 翰林…尚藥奉御/騎都…王惟一奉聖旨/編修/日本/江都法眼侍醫兼醫學鍼科敎諭臣山崎次/善奉/敎校正補註」と題し、以下本文。跋文なし。料紙は中葉~薄葉斐紙に印刷した罫紙、有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「銅人圖經」、魚尾下に「卷」、下象鼻に「寄所寄樓(是山崎氏書室號)藏」を刻すが、版心に書き入れなし。每半葉匡郭、縱二〇・五×横一四・八㎝、九行・行一八字、小字雙行。楊氏藏印記三種のみ。識語なし。稀に上欄に朱筆で誤字・補足を書き入れる。蟲損なし。
本書の目錄は全九卷の内容を列記するが、本文内容とは部分的に不一致。「附錄」上册・下册は各々目錄の卷三・卷九に該當し、目錄の「附錄 銅人攷/凡例」や「○○圖」も本書中にない。本書の精寫ぶりからすると、あるいは刊行を前提に清書したかに見えるが、目錄と内容の不一致から、未完成と思われる。故宮目は「銅人腧穴鍼灸圖 五卷附錄一卷四册。(宋)王惟一撰」と著錄するが、「銅人腧穴鍼灸圖補註 五卷附錄二卷四册。(宋)王惟一撰、(日本)山崎次善補註」が適切。
故宮新目下册七一一頁(鍼灸資生經 七卷三册。(宋)王惟一撰。日本寬文九年刊本、小島質朱手筆校竝題記)箱號五六七、觀字九六七號、天字〇七四八號、故觀號〇四二二一~〇四二二三
澁引き紙帙入り、日本四鍼眼裝。藍色薄手表紙、書高二六・七×幅一七・六㎝。外題は題簽に「鍼灸資生經 上(中・下)」を墨書(上には「葵所閑人手校/東井文庫本」も墨書)。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。嘉定庚辰年の徐正卿「鍼灸資生經序」三葉、嘉定庚辰年の徐正卿「鍼灸資生經序」二葉(小島質が正統重刊元版より模寫)、大德丁未年の蒲登辰「序」四葉、「鍼灸資生經目錄上/廣勤堂新刊」七葉、鍼灸資生經目錄下」五葉(第二葉ウラに四周雙邊で正統十二年の葉景達の木記あり)。卷首に「鍼灸資生經第一/大 監 王 公 編」と題し、以下繪圖と本文。第七卷末葉に「正統丁卯歳孟子吉日/三峯廣勤葉景達重刊」の刊記、および「寬文九年仲春日/村上勘兵衛刊行」の木記あり。さらに紹定四年の趙綸「後序」一葉を寬文十三年に葵所閑人が模寫補入する。料紙は楮紙、無界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「資生經幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・五×横一四・八㎝、一二行・行二四字、小字雙行。「東井文庫」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/校讀」および楊氏藏印記三種。卷一末葉に藍筆で「文政十三年八月廿八日、據養安院藏朝鮮國活字/配印本、一校併加句讀。中間往々有不可句者、旁參/以甲乙千金外臺銅人諸書、記校語於上方首卷。/序目至腹第二行、及門佐藤誠求對讀(「尚質/校讀」の捺印)」。卷二末葉に「八月廿八日夜半校讀畢」の識語あり。卷三の途中まで全體に朱引き・朱筆校正・藍筆讀點あり。また紙帙内面に「此書刻寬文九年。而此本卷後附趙綸跋一篇題云、寬文十三/年癸丑重九日、葵所閑人書。蓋從宋槧本補入者。閑人名親俊、典藥頭橘/朝臣也。趙跋、金澤文庫本及朝鮮本不載。而卷中/間有校正文字、是亦據紹定刊本是正者。可謂讀書/者之舊本、洵可珍而寶之也。文政十三年孟夏、命/小川富造是帙。是月廿五日、題於寶素堂」の書き入れあり。やや蟲損。
阿部志三〇一頁、故宮新目下册七一一頁(鍼灸資生經 七卷四册。(宋)王惟一撰。日本傳鈔明正統丁葉氏廣勤書堂刊本)箱號一四六八、觀字九六六號、天字〇九六一號、故觀號一三八九四~一三八九七
日本四鍼眼裝。赤茶色薄手表紙、書高二六・二×幅二〇・八㎝。外題は題簽に「資生經 一(二之三、四之五、六之七終)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし。總目一葉、「鍼灸資生經目錄上/廣勤堂新刊」七葉、「鍼灸資生經目錄下」四葉。卷首に「鍼灸資生經第一/大監 王 公 編」と題し、以下本文(圖を缺く)。第七卷末葉に「正統丁卯歳孟冬吉日/三峯廣勤葉景達重刊」の刊記あり。料紙は楮紙、無界(卷四・五のみ有界、四周單邊、白口・無魚尾、無版心、每半葉匡郭、縱二二・五×横一七・六㎝)、一二行・行二四字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「學古氏印」「江戸小/島氏八/世醫師」「寶素堂所臧醫書之記」「等喜」および楊氏藏印記三種。一部に朱引き、朱の讀點あり。少々蟲損。
識語等はないが、字體・古びより室町後期から江戸初期の筆寫。故宮目は「日本傳鈔」と著錄するが、「日本舊〔室町末・江戸初〕鈔」が適切。
阿部志三〇一頁、故宮新目下册七一一頁(鍼灸資生經 存一卷〔存卷五〕一册。(宋)王惟一撰。日本鈔本)箱號一四六八、觀字九六八號、天字號〇九六二、故觀號一三八九八
日本四鍼眼裝。黑茶色中葉古表紙(別書からの再利用?)、書高二七・五×幅二〇・二㎝。外題は「資生經」を朱書。内に舊假綴じの表紙あって「資生經五 全八册之内」と墨書する。卷首に「鍼灸資生經第五」の内題、以下本文。料紙は厚葉斐紙、有界、四周單邊、無版心。每半葉匡郭、縱二一・五×横一六・一㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。楊氏藏印記一種のみ。識語・書き入れ引用書等なし。少々蟲損。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本〔江戸初期〕鈔本」が適切。
阿部志三〇〇頁、故宮新目下册七一一頁(鍼灸資生經 存一卷〔卷上半卷〕一册。(宋)王惟一撰。日本舊鈔本)箱號六一、觀字九六九號、天字〇七四七號、故觀號〇〇八九二
日本四鍼眼裝。楊守敬裝訂の濃藍色薄手表紙で、書高二八・一×幅一九・八㎝。外題なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。嘉定庚辰年の徐正卿「鍼灸資生經序」二葉(前揭の日本寬文九年刊本にある、小島質が正統重刊元版から模寫したものとは違う)、目錄上九葉、目錄下四葉。卷首に「鍼灸資生經第一」の内題、以下彩色繪圖。料紙は厚葉楮紙を上質楮紙で補修。有界、四周單邊、白口・無魚尾、無版心。每半葉匡郭、縱二二・八×横一六・〇㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「金澤文庫」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。書末に墨書で「二校畢/亥卯□□廿五(?)」の識語。上欄に墨筆で音韻を注記する。蟲損なし。
現存一册は「腹(第)二(行)」までで、ここは卷一の途中に當る。當本は室町後期筆寫の金澤文庫舊藏本と思われ、前揭の日本寬文九年刊本に小島が金澤文庫本と呼ぶ書に該當するだろう。故宮目は「日本舊鈔本」と著錄するが、「日本舊〔室町後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七一一頁(備急灸法一卷、附騎竹馬灸法一卷、竹閣經驗備急藥方一卷 一册。(宋)聞人耆年撰。宋淳祐五年刊本)箱號一四六八、觀字九七四號、天字〇九四七號、故觀號一三八六〇
楊守敬裝訂の中國四鍼眼裝。金箔散らし紫藍色薄手表紙、書高二四・六×幅一六・六㎝。外題なし。構成・書誌は後揭の日本影宋淳祐五年鈔本に同。料紙は中國楮紙、日本楮紙で裏打ちする。每半葉匡郭、縱二〇・二×横一三・七㎝。「小嶋氏/圖書記」「尚絅/之印」および不詳陽刻九字印一種・楊氏藏印記三種。欄上に江戸前期以前の墨筆音注、「騎竹馬灸法」末葉ウラに室町後期ないし江戸初期らしき「益智湯 松井 …祕伝/…」の書き入れあり。蟲損少々。
當本には意圖的に泥水に浸した如き紙色の變化があり、日本で裏打ち→泥水→再裝訂→蟲損→楊氏再裝訂の經緯が推測される。文字・紙質等に宋版の風格は窺えず、調査時に偶然居合わせた昌彼特氏と共に檢討し、明・嘉靖間仿宋版の結論に達した。故宮目は「宋淳祐五年刊本」と著錄するが、「明〔嘉靖間仿宋淳祐五年序〕刊本」が適切。もとは幕府鍼醫官・山崎家寄所寄樓藏と思われ、幕末に小島尚絅が入手している。『經籍訪古志』著錄本。
故宮新目下册七一一頁(備急灸法 一卷一册。(宋)聞人耆年撰。日本十瓣同心蘭室刊本)。故宮新目下册七一二頁(鍼灸擇日編集 一卷。不著撰人。日本十瓣同心蘭室刊本。附備急灸法後)。兩書は箱號一四六八、觀字九七五號、天字〇七五四號、故觀號なし
備急灸法は中國四鍼眼假裝。書高三〇・一×幅一七・七㎝。外題なし。構成は下揭本に同。淳祐乙巳年の孫炬卿「序」二葉、寶慶丙戌年の李聞人耆年「序」と目錄で一葉、以下本文計一一葉。附「騎竹馬灸法」一一葉、附「竹閣經驗備急藥方」九葉。跋文なし。料紙は中國の宣紙、有界、左右雙邊、版心小黑口・黑魚尾、魚尾下に葉次を刻す。右欄外に「十瓣同心蘭室藏版」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・〇×横一三・六㎝、一〇行・行二五字、小字雙行。不明藏印記一種および楊氏藏印記一種。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
故宮目は「備急灸法一卷一册」と著錄するが、「備急灸法一卷、附騎竹馬灸法一卷、附竹閣經驗備急藥方一卷、附鍼灸擇日編集一卷、合一册」が適切。また「日本十瓣同心蘭室刊本」と著錄するが、日本十瓣同心蘭室は清國横濱領事官・羅嘉杰の藏書室號。彼が入手した朝鮮の金循義ら編撰『鍼灸擇日編集』(成立は自序の正統一二年、一四四七。入手したのは曲直瀬養安院舊藏書からの寫本〔多紀氏舊藏、李朝版の存在は未詳〕だった)、および清國公使館随員の陳榘が日本で入手した「伊澤氏/酌源堂/圖書記」の旧蔵印記ある嘉靖仿宋版『備急灸法』(上掲故觀一三八六〇本)の影鈔本を底本に日本で影刻、両書を合冊して羅氏十瓣同心蘭室の名で刊行している。この羅氏十瓣同心蘭室刊本は中國で光緒一七年に江寧藩署から再版され、同一八年の計二回刊行されている。當版は清末復刻本につき「清〔光緒間〕刊本」が適切。
鍼灸擇日編集は序・目錄・跋文なし。卷首に「鍼灸擇日編集」の内題、引用文獻半葉、以下本文。書誌は同上。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。故宮目は「日本十瓣同心蘭室刊本」「不著撰人」と著錄するが、「清〔光緒間〕刊本」「〔朝鮮李朝世宗二十九年全循義等編〕」が適切。
故宮新目下册七一一頁(備急灸法一卷、附騎竹馬灸法一卷 一册。(宋)聞人耆年撰。日本影宋淳祐五年鈔本、日本森約之養眞墨筆題記)箱號一四六八、觀字九七三號、天字〇九四八號、故觀號一三八六一
日本康煕綴原裝。薄藍色薄手表紙、書高二五・八×幅一八・〇㎝。外題は題簽に「影宋本備急灸法」を墨書。淳祐乙巳年の孫炬卿「序(寫刻體、刻工名も模寫)」四葉、寶慶丙戌年の李聞人耆年「序」と目錄で一葉、以下本文計一一葉。附「騎竹馬灸法」一一葉一卷、附「竹閣經驗備急藥方」九葉。跋文なし。料紙は薄葉斐紙で襯紙に楮紙を入れ、無界、左右雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「竹閣 葉次 刻工名(沈□(莘?)・馬溓・李芑)」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・四×横一三・七㎝、一〇行・行二五字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「與子鐙/前共/讀書」「□□所藏」「尚質」「觀棊生」「尚質/校讀」「森氏開萬/册府之記」および楊氏藏印記二種。書末欄外に墨筆で「宋本審校。以下原缺、無他本可校、殊恨耳 (尚質校讀)印」、また「慶應戊辰七月六日、小嶋春澳尚絅贈焉。按是蓋終文、固非末缺歟。森約之養眞識」の識語。朱引きと朱筆校字あり。「備急灸法 錯簡敢呈管見如左…管見如右、敢乞/高裁。源晉」の一紙を插む。蟲損なし。
故宮目は「備急灸法一卷、附騎竹馬灸法一卷、一册」「日本影宋淳祐五年鈔本」と著錄するが、「備急灸法一卷、附騎竹馬灸法一卷、竹閣經驗備急藥方一卷、一册」「日本影鈔明〔嘉靖間仿宋淳祐五年序〕刊本」が適切。當本は小島尚質が上掲の故觀一三八六〇山崎家原本を影鈔したもの。のち尚絅の時代に原本を入手したため、慶應四年(一八六八)に森約之に贈呈したらしい。插紙にある鑑定を依頼した源晉は京都の宮廷醫・福井棣園(一七八二~一八四九)なので、あるいは福井家にも同版本があったとも推測される。
故宮新目下册七一二頁(四花灸法 不分卷一册。不著撰人。日本享和元年丹波元簡影鈔本、小島質朱筆手書題記)箱號五六七、觀字九七六號、天字〇七五六號、故觀號〇四二四五
日本での中國式四鍼眼裝。茶色中手表紙、書高二七・〇×幅二〇・〇㎝。外題に「四花灸法(以下小字雙行)丹波長基傳影鈔/丹波元簡手寫本」を墨書。扉に十二支・離坤兌乾坎艮震巽・十干を大筆、そのウラに脈診の要訣を記す。序・目錄なし。卷首に「四花灸」の内題、以下本文。假名交じり文と取穴圖を記す。料紙は黄變の薄葉斐紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉八~一〇行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記三種。書末に「建久五年四月日、鍼博士丹波長基在判」、そのウラに「右之書、享和元年辛酉六月廿一日、因/白川少將耑价見借、手書寫畢。/鍼博士後人 元簡識」、また朱筆で「文政十一年十一月十一日、據京刻蘇沈良方訂正五(誤のミスタイプか)字。而今本良方譌頗多、/圖亦有誤。據此訂彼所得尤夥、益足以證此册之眞矣。質記」、また墨筆で「文政戊子十月十九日、夜半一校了(花押)」の識語あり。
故宮目は「不著撰人」と著錄するが、「丹波長基撰」が適切。
故宮新目下册七一二頁(新刊莊季裕編灸膏肓腧穴法 一卷一册。(宋)莊季裕編。日本鈔本、小島質朱筆手校竝題記)箱號五六七、觀字九六四號、天字〇七五五號、故觀號〇四二四四
日本四鍼眼原裝。桃色中手表紙、書高二七・一×幅一八・八㎝。外題に「新刊莊季裕編灸膏肓腧穴法」を墨書。見返しに小島の朱筆で、莊季裕「編灸膏肓腧穴法」の書誌・解題を資生經・書錄解題・醫學源流より轉寫し、それを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「新刊莊季裕編灸膏肓腧穴法/清 源 莊 綽 季裕 編」と題し、以下本文。取穴法の繪圖あり。書末に建炎二年の莊綽跋文あり。料紙は斐紙で楮紙の襯紙を插む。無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一二行・行二二字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記四種。書末に墨筆で「旹 天正二年甲戌春三月 日 書。/大明國王氏月軒書」、朱筆で「右灸法、從聿修堂影寫王氏本傳錄。己丑秋/八月三日、校于博愛堂。小島質記」の識語あり。僅かに朱筆で誤字訂正あり。蟲損なし。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本〔江戸後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七一二頁(新刊活人妙法鍼經 存一卷〔卷二〕一册。(明)徐廷璋撰。明弘治甲子(十七年)魏氏仁實堂刊本)箱號五六九、觀字九七二號、天字〇七五三號、故觀號〇四二四二
中國四鍼眼裝。香色表紙、書高二一・七×幅一三・五㎝。卷首に「新刊活人妙法鍼經卷之二/南州 徐『庭』璋 著」と題し、以下本文計七五葉。書末の弘治甲子年「新刊鍼經序」に「邑之右族、徐君『廷』璋、字中德者、…、故序之云爾。/醫學訓科葉珪廷器書/南州徐『廷』璋著/」とある。當序末に四周雙邊で「書林魏氏仁實/堂新刊發賣」の木記。料紙は竹紙、有界、四周雙邊、版心大黑口、雙黒魚尾、上魚尾下に「鍼經二」、下象鼻に葉次。每半葉匡郭、縱一七・六×横一〇・九㎝、九行・行二〇字。「東都鍼醫官山崎氏藏書」および楊守敬の藏印記。後表紙に「全貳卷、此書籍仁科叔方家藏」の墨書。破損甚。
故宮目は「(明)徐廷璋撰。明弘治甲子(十七年)魏氏仁實堂刊本」と著錄するが、「(明)徐庭〔廷〕璋撰。明弘治甲子(十七年)序魏氏仁實堂刊本」が適切。本書は大陸亡佚書で、日本他にもない孤本。
故宮新目下册七一二頁(鍼灸大成 十卷十册。(明)楊繼洲編。明萬暦二十九年山西巡按趙文炳刊本)箱號五六七、觀字九七一號、天字〇七五〇號、故觀號〇四二二八~〇四二三五
日本四鍼眼裝。澁引薄茶色薄手表紙、書高二九・一×幅一八・一㎝。外題は題簽に「鍼灸大成 一(~十)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。萬暦辛丑年の趙文炳「刻鍼灸大成序」二葉、無記年の王國光「衛生鍼灸玄機祕要敍」三葉、目錄六葉、仰人・伏人經穴圖一葉。卷首に内題・編著者名なし。跋文なし。料紙は白棉紙、有界、四周雙邊、版心白口・無魚尾、象鼻に「幾卷」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二一・一×横一五・四㎝、一〇行・行二二字、小字雙行、讀點を刻す。「東都鍼醫官/山崎氏藏書」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れなし。表紙の蟲損大。
故宮目は「明萬暦二十九年山西巡按趙文炳刊本」と著錄するが、「明萬暦二十九年山西巡按趙文炳序刊本」が適切。
故宮新目下册七一三頁(經穴彙解 八卷八册。(日本)原昌克撰。日本嘉永甲寅(七年)叢桂亭重刊本)箱號不詳(六一?)、觀字六八四號、天字號なし、故觀號〇〇九〇〇~〇〇九〇七
日本四鍼眼原裝。黄色厚手表紙、書高二五・七×幅一七・五㎝。外題は四周雙邊に「經穴彙解(以下小字)卷之一(~八)/目次」を印刷の題簽。見返しに四周雙邊で「南陽先生徧輯(以下小字)千里必究/(以下大字)經穴彙解全八卷/(以下小字)書肆 江都 靑藜閣/水戸 東壁樓/發」の封面があり、これを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。文化四年の丹波元簡「經穴彙解敍」四葉、享和癸亥年の原昌克「經穴彙解自序」二葉、凡例三葉、目次一葉、引書目錄一葉、卷之一目次三葉。卷首に「經穴彙解卷之一/水戸 侍醫 南陽 原昌克子柔 編輯」と題し、以下本文。繪圖あり。書末に嘉永七年再刻「須原屋平左衛門等」の奧附あり。料紙は楮紙、有界、四周雙邊、版心白口・無魚尾、上象鼻に「經穴彙解卷之幾」、下象鼻に「葉次 叢桂亭藏」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・七×横一五・一㎝、一一行・行二〇字、小字雙行。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ引用書なし。蟲損なし。
故宮新目下册七一三頁(脈經 十卷七册。(晉)王淑和撰。明童文舉翻刊袁表本。小島質手書題識)箱號五六七、觀字六六九號、天字〇七四一號、故觀號〇四一三七~〇四一四三
日本四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二六・一×幅一六・〇㎝。外題は題簽に「脈經 一(二三、四五、…、九十 終) 校訖(朱筆)」を墨書。見返しに藍筆で「嘉定中何大仁校本 明代翻雕鈔本 成化中淮陽□(錢?)刊本」から成化十年の協正兼「淮陽重刊王氏脈經序」を引用。これを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。煕寧元年の林億等「宋校定脈經進呈剳子」三葉半、紹聖三年の龔用等「宋刻脈經牒文」一葉半、無記年の陳孔碩「宋廣西漕司重刻脈經序」一葉、泰定四年の柳文林「元刻脈經移文」一葉半弱、泰定四年の東陽柳賢(?、{綮-糸+貝}の文字)「元刻(藍筆で「泰定新刊廣氏脈經序/東陽柳賢(?)述」)脈經序」一葉半强、泰定四年の謝縉序一葉半强、萬曆三年の袁景從宛て徐中行「校脈經手札」一葉弱、王叔和「脈經序」一葉、目錄七葉。卷首に「脈經卷之一/明晉安袁表景從甫類校」と題し、以下本文。書末に萬曆三年の袁表「書脈經後」五葉、その末尾に四周單邊で「書林童文舉」が覆校重梓する旨の木記あり。料紙は白棉紙系中國楮紙、有界、左右雙邊。版心は白口・單黑魚尾、魚尾下に「脈經卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・三×横一四・一㎝、九行・行一八字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」および楊氏藏印記三種。萬曆三年の徐中行手札の末尾餘白に墨筆で、「建仁寺僧幻雲、宋槧史記扁倉傳卷首記云、幻雲…。案幻雲、名月舟、文明大永間人、/而其校草(?)與傳鈔成化本、少有異同、宜速校讐也。予嘗得幻師手澤三體詩抄、/今贈之狩谷望之。棭齋云、辛巳中秋初八、志于柳北之富居」。卷一末尾に墨筆で「甲戌冬十一月初二夜半、與村君(村田)昌章同校一過。質記」、朱筆で「明日與内經、難經、及仲景書參對訖。燈下書」「文化甲戌夏四月廿四日、與(船橋)清經中、張(山本)恭庭、同煕寧三年官刊小字/原本比對校勘。質識」、また墨筆で「按此卷中、文字異同、每所注煕寧本者、即嘉定丁丑/濠梁何大仁刻本。係于碧雲閣藏本、而誤稱/煕寧、故詳書于斯矣。甲戌夏日、質又記」の識語。卷二末尾に墨筆で「文化甲戌仲冬初六、與村君昌章同、兩窗讀過。攷古學人、質記于叢碧山房」、朱筆で「文化甲戌五月四日、與船橋經中、張恭庭同、從宋槧攷對比勘」の識語。卷三末尾に藍筆で「文政辛巳孟冬十一月、與野間玄璡、谷邊子行、多紀安良、/小野意安、村田博古、同讀」、墨筆で「文化甲戌夏五九日、與船橋經中、張恭庭、從宋槧本校過。是歳/十一月與村梥(松)老、同於脩竹讀書之堂、披閲畢。挑畫殘燈、聊書于末。維時雨/雪霏霏、質又識」。卷四末葉に墨筆で「辛巳十月十一日、與諸子同、又校此卷。質燈下記」「文化甲戌五月望前一日、與張恭庭、船橋經中、同中宋本校過」、朱筆で「是歳十一月廿一日、與村君昌章、燈下讀完。質又記」。卷五末葉に朱筆で「文化甲戌五月十九日、與張恭庭、船經中、從宋槧同校」、墨筆で「是年十二月十四日、與村君同讀一過」、その裏面に墨筆で「文政四年十一月二十四日、與野間仁亥(支?、玄?)、多紀安良、/谷邊子行、小野彥(意?)安、村田博古、同校。源質志」。卷六末葉に墨筆で「文化甲戌六月九日、與張恭庭、同從宋槧比對校勘。攷古學人質識」、朱筆で「是歳十二月十四日、與村松菴讀完。時在于叢碧山房、質又記」。卷七末葉に墨筆で「文化甲戌季夏望後四日、與船經中、張恭庭、從宋本校過」、朱筆で「是歳十二/月廿日、與村君、同讀于杏林書院。質燈下記」。卷八末葉に墨筆で「文化甲戌重七後二日、與清經中、張恭庭、從宋槧校于松屏書樓」。卷九末葉に墨筆で「文化甲戌七月十日、與船橋經中、山本恭庭、從宋本校過」。卷十末葉に墨筆で「文化十一年歳次甲戌、秋七月二十日、讀訖。質識」の識語。全書に朱の讀點、欄上に煕寧本・千金による朱筆の校異、鈔本・別書との校異を藍筆、別書の關連記載を墨筆で引用。蟲損わずか、裝訂の破損嚴。
故宮新目下册七一三頁(脈經 十卷二册。(晉)王淑和撰。明覆刊宋嘉定間何大任本)箱號五九、觀字號なし、天字號なし、故觀號なし、律一二二一
木製帙入り、中國四鍼眼裝。クリーム色薄葉錦布表紙、書高二六・八×幅一七・三㎝。外題は四周單邊の錦布題簽に「脉經 序 目錄 卷一之六(卷七之十)」を墨書。無記年の林億ら「校定脉經序」二葉、王叔和「脉經序」一葉、目錄なし。卷首に「脉經卷第一/朝散…護軍臣林 億 等類次」と題し、以下目次と本文。書末に煕寧元年の林億ら「鏤版施行」文一葉、煕寧二年の王安石ら四名の署銜一葉、紹聖元年・紹聖三年の敕命指揮施行文一葉、何大仁「王氏脉經後序」二葉。料紙は宣紙樣で有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、魚尾下に「脉經卷幾 葉次」を刻す、刻工名なし。每半葉匡郭、縱二〇・二×横一五・〇㎝、一二行・行二〇字、小字雙行。識語・書き入れなし。蟲損なし、美本。
故觀004131
故宮新目下册七一三頁(脈經 十卷、附脈影歸指圖說 二卷、六册。(晉)王淑和撰。明末沈際飛重刊本)。故宮新目下册七一四頁(人元脈影歸指圖說 二卷一册。(晉)王叔和編輯。明末沈際飛刊本)。兩書は箱號五六七、觀字號なし、天字〇七四〇號、故觀號004131-004136
日本四鍼眼裝。香色書套に「沈際飛刊本/脈經六冊/林氏讀耕齋舊藏」「巻末有桂華臧書圖、記爲/當月甫庵舊本矣。甫庵者鹿門/先生之高祖也。天保五年九月廿/二日題之」を墨書。澁引き横模樣中手表紙、書高二五・四×幅一五・三㎝。外題は「脈經 沈際飛刊本 序目一(二之四、五六、柒、八之十、人元脈影歸指圖說 上下)」、書腦に「共六」を墨書。見返しに四周雙邊で「晉太醫令王叔和著/(以下大字)脉經/(以下小字)金閶龍紹山重梓」の封面、それを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。無記年の沈際飛「脈序」八葉、王叔和「脉經序」一葉、煕寧元年の林億ら「宋校定脉經進呈箚子」、紹聖元年~三年の「宋刻脉經牒文」あり。嘉定年間後の沈孔碩「宋廣西漕司重刻脉經序にこうある。「碩少時、母多病、課醫率不効。因自誓學爲方、求古今醫書而窮其原。得所謂王叔和脈訣者、怪其詞俚而指淺。更訪老醫、得脈經十卷。蓋祖黄帝・岐伯・扁鵲經、以及張氏傷寒論、條貫甚明、眞王氏書也、驗之乃建本。自是求之建陽書坊、絶無鬻者、板亦不存。嘉定己巳歳、京城疫、朝旨命孔碩、董諸醫治方藥、以拯民病。因從醫學、求得脈經。復借各本校之、與予前後所見者、同一建本也。乃知脈訣出、而脈經隱、醫者不讀、鬻者不售、板遂亦不存。今之俗醫、問以王氏書、則皆誦脈訣以對。蜀人史堪以儒生名、能依其所著方書、脾胃條引脈訣中語、而議之曰。此叔和知之、而未盡也。予毎歎曰。冤哉、叔和如史載之之工、尚引訣而罪經、餘亦何怪焉。因思今世俗醫、知有朱氏傷寒百問、而不知有傷寒論、俗儒知誦時文、而不知誦經史、其過一律也。因取所錄建本脈經、略改誤文、寫以大字刊之、廣西漕司。庶幾學者知有本原云。然恨無他本可校、以俟後之仁者。侯官沈孔碩序」。泰定四年の朶列禿ら「元刻脉經移文」「元刻脉經序」、萬曆三年徐中行「序」計一二葉(以上序の撰者・年代は前揭の「脈經十卷七册、明童文舉翻刊袁表、小島質手書題識本」を參照)、萬曆三年の袁表「脉經後序」五葉、目錄七葉。卷首に「脉經卷之一/晉 太醫令王叔和編輯/明 晉安 袁 表類校/鹿城 沈際飛重訂/雲林 龔居中鍳定」と題し、以下本文。跋文なし。料紙は竹紙、一部は日本薄葉上質楮紙で裏打ち、また補寫。有界、四周單邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「脉經」、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻す。多く版心切れ。每半葉匡郭、縱一九・八×横一三・八㎝、九行・行一八字、小字雙行。人元脈影歸指圖說は「脈影圖說目錄卷之上」三葉、「人元脈影歸指圖說卷之上/晉 太醫令王叔和編輯/明 鹿城 沈際飛重訂」と題し、以下本文。脈狀の圖あり。版式は同上。「桂華臧書」「仁君堂審」「讀耕齋之家藏」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/校讀」「佞宋」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記三種。識語なし。書き入れ等なし。やや蟲損。
故宮目は「附脈影歸指圖說」と著錄するが、「附人元脈影歸指圖說」が適切。
故宮新目下册七一三頁(脈經 十卷四册。(晉)王淑和撰。清嘉慶間阮元進呈影鈔宋嘉定何大任刊本)箱號・觀字號・天字號・故觀號なし
これ非楊氏本。清嘉慶間に阮元が進呈の宋嘉定何大任本系による影鈔本だが、影鈔のレベルは低い。
故宮新目下册七一三頁(脈經 十卷二册。(晉)王淑和撰。日本影鈔明成化十年淮陽畢玉刊本)箱號五〇三、觀字六六七號、天字〇七二五號、故觀號〇三四四四・〇三四四五
日本六目康煕綴原裝。押し目龜甲紋茶色厚手表紙、書高三四・七×幅二四・一㎝。外題は題簽に「脈經 元泰定本 乾(坤)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。成化十年の錢溥「淮陽重刊王氏脈經序」三葉、目錄五葉、泰定四年の東陽柳賢({綮-糸+貝}の字)述「泰定新刊王氏脈經序」一葉、泰定四年の謝縉序一葉、煕寧元年の林億等「宋校定脈經序」一葉强、紹聖三年の龔用等「宋刻脈經牒文」一葉强、泰定四年の柳文林「元刻脈經移文」一葉弱、無記年の謝縉序半葉、無記年の陳孔碩「宋廣西漕司重刊脈經序」一葉、王叔和「脈經序」一葉。卷首に「脈經卷第一/朝散大夫…上護軍林億」と題し、以下卷一目錄に續けて本文。書末に成化十年の姑熟畢玉「書王叔和脈經後」二葉。料紙は斐紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。本文每半葉、一四行・行二〇字。「醫學提擧」「聿修堂」「多紀氏/臧書印」「江戸醫學/臧書之記」「白飯充腸聊/當肉好書/致手不論錢」「元胤」「日徦分後人」「弌字奕祺」および楊氏藏印記三種。書末に墨筆で「文政甲申孟秋、借鈔寮友越子棟隆、懐仙閣/所藏朝鮮國刊本。(元胤の印記)」、朱筆で「文政甲申孟秋十又八日、校訖。元昕」、藍筆で「天保甲辰、季秋念三日夜二更、從宋槧史記扁倉傳大永間僧幻雲附標/所引成化原刊本、藍筆校過。元昕」の識語。所々の上欄に朱筆で誤寫訂正、藍筆で校異を書き入れる。蟲損なし。
故宮目は「日本影鈔明成化十年淮陽畢玉刊本」と著錄するが、「日本影鈔朝鮮刊本」が適切。
故宮新目下册七一三頁、楊氏日本訪書志を參照のこと(脈經 十卷四册。(晉)王淑和撰。日本影宋刊朱印本)箱號五〇三、觀字六六八號、天字〇七三〇號、故觀號〇三四五〇~〇三四五三
中國四鍼眼原裝。香色薄手表紙、書高二九・九×幅一八・二㎝。外題なし。見返しと書根に「影宋本脈經 一(二、三、四)」を墨書。無記年の林億ら「校定脉經序」二葉、王叔和「脉經序」一葉、目錄なし。卷首に「脉經卷第一/朝散…護軍臣林 億 等類次」と題し、以下に目次と本文が續く。書末に煕寧元年の林億ら「鏤版施行」文一葉、煕寧二年の王安石ら四名の署銜一葉、紹聖元年、紹聖三年の敕命指揮施行文一葉(何大仁の跋文なし)。卷六末葉に四周雙邊單行の「養安院藏書」の印記を模刻、卷九第九・一〇葉を缺落して裝訂、後で當部分に插み入れている。卷一〇第九葉(「煕寧二年の王安石ら四名の職名・姓名一葉」部分)末行下部に小字雙行で「鄂省三佛閣/陶子麟承刻」の刊記あり。白色宣紙に朱で印刷、有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に刻字數、魚尾下に「脉經卷幾 葉次」、下象鼻に刻工(少、山、麐、古、仁、文甫、文、云山、長發、煥、介、惟、法、兮、太、炳、林、里千、石、麟、福、呂、貴、寬、岩、長、昌、全、心、采、界、甫、今、臣、詠)を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・〇×横一五・〇㎝、一二行・行二〇字、小字雙行。楊氏「飛靑閣藏書印」の藏印記一種のみ。識語なし、全書の欄内・欄外に楊氏等の墨筆で袁表景從本・宋本千金方・素問・史記扁倉傳正義・難經集注・千金翼方等による校異あり。版心に「日本訪書志 飛靑閣」とある藍色欄の稿紙に楊氏が光緒癸未年に記した「易傳六卷附繋辭精義二卷」の草稿一枚、紅欄の稿紙に無名氏が上揭本等との校異を清書した一枚を書中に插む。蟲損なし。當版には何大仁「王氏脉經後序」二葉を缺き、版心に刻工名・刻字數を刻するが、明仿宋何大仁本と版式は全同。また卷一のみの調査だが宋諱を避けず、缺筆は清朝の「玄・弦」のみ。
當本の刻工名で王重民『中國善本書提要』附錄の「刻工人名索引」に見えるのは文・林・呂のみ。また一般に姓を含めた二字・三字が多いが、かくも一字のみは不自然。楊氏の捏造、ないし當清版の刻工名か。故宮目は「日本影宋刊朱印本」と著錄するが、「清末〔光緒間楊守敬〕模宋刊朱印本」が適切。
故宮新目下册七一三頁(新刊王叔和脈訣 一卷二册。(晉)王淑和撰。明嘉靖庚寅(九年)集義書堂刊本)。故宮新目下册七一四頁(新刊勿聽子俗解脈訣 六卷一册。(晉)王叔和撰。日本鈔本)。箱號五六七、觀字六七一號、天字〇七四二・〇七四三號、故觀號〇四一四四・〇四一四五
中國四鍼眼裝。押し目菱紋黄色厚手表紙、書高二四・〇×幅一四・〇㎝。外題に「俗解脉訣大全 一之三(四之六) 乾(坤) 二匁(價格?)」を墨書。正統丁巳年の道軒「序」一葉、「新刊王叔和脉訣圖目錄」二葉、「新刊脉訣圖説」九葉。卷首に「新刊勿聽子俗解脈訣大全卷之一/西晉大醫令王叔和譔 鱉峰勿聽子 熊 宗立 俗解」と題し、以下本文。跋文なし。書末に四周雙邊で「嘉靖庚寅歳季冬/集義書堂校正重梨」の木記。料紙は竹紙、有界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「脉訣幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一六・九×横一一・七㎝、一三行・行二七字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「葆素/所臧」および楊氏藏印記三種。識語なし。卷一の一部に朱の讀點、上欄に一、二、墨筆で文字訂正あるのみで、他に書き入れ引用書一切なし。ごく一部に蟲損。
當兩本を故宮目は別書として著錄するが、本來は合刊本で、「新刊勿聽子俗解脈訣大全六卷 附新刊脈訣圖説一卷 二册。(晉)王叔和撰、(明)熊宗立解。明嘉靖庚寅(九年)集義書堂刊本」とするのが適切。
故宮新目下册七一三頁(新刊註王叔和脈訣 三卷一册。舊題(晉)王淑和撰。日本鈔本)。故宮新目下册七一四頁(新刊補注通眞子脈要祕括目錄 二卷。(宋)劉元賓撰。日本鈔本。與王叔和脈訣合册)箱號五〇三、觀字六七二號、天字〇七三二號、故觀號〇三四五四
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二七・〇×幅一九・〇㎝。外題は題簽に「通眞子注脉訣/脉要祕括」、書根に「脉訣注 脉要祕括」を墨書。元祐五年の通眞子劉元賓「序」と「通眞子集註王叔和脉訣目錄」で二葉、「左手臟腑脉現相圖」二葉。卷首に「新刊註王叔和脈訣卷之一」の内題、以下本文卷三まで。ついで煕寧九年の通眞子自序一葉、「新刊補注通眞子脈要祕括目錄(卷四、五のみ)/宋通眞子劉 元賓 撰」二葉、本文頭に「新刊補注通眞子脈要祕括卷四」と題し、以下本文卷五まで。料紙は上質楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。前半は每半葉、九行・行二〇字、小字雙行。後半は每半葉、一〇行・行一九字、小字雙行。「奚暇齋讀本記」および楊氏藏印記二種。卷三末葉に朱筆で半葉の記入あり、その末尾に「右通眞子注脉訣、從伊澤憺甫藏古鈔本/傳錄、校以成化己丑翠巖精舍刊本。元堅/四倉玄豹校字」、卷五末葉にも朱筆で「四倉玄豹校/右脉要祕括二卷、成化己丑刊本影寫」の識語。前半(卷一~三)に朱筆で讀點、文中・眉に詳細な校異あり。蟲損なし。
多紀元堅舊藏手澤本。故宮目は前半を「舊題(晉)王淑和撰」、後半を「新刊補注通眞子脈要祕括目錄」と著錄するが、各々「(宋)劉元賓撰」「新刊補注通眞子脈要祕括」が適切。
故宮新目下册七一四頁(鍥王氏祕傳叔和圖注釋義脈訣評林捷徑統宗 八卷二册。(明)王文潔撰。明萬曆己亥(二十七年)劉氏安正堂刊本)箱號五〇三、觀字六八一・六八二號、天字〇七三三號、故觀號〇三四五九・〇三四五〇
書根に「脉訣評林一(二)」とあり、後揭本と同帙本。中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二四・九×幅一四・九㎝。第一册の外題は題簽に「脉訣 乾坤完」を墨書、第二册は「脉訣 地 二」を朱書。見返しの封面に四周雙邊で、右上欄に横書きの「安正堂梓」、右中欄に「伏羲皇帝/神農炎帝/…藥王兪慈藏」、右下欄に上述人物が一堂に會した圖、左欄に「□(併?)脉訣難經太素評林」あり、これを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。萬曆己亥年の魏時亨「新刻圖註脉訣統宗敍」一葉、目錄なし。卷首に「鍥王氏祕傳叔和圖注釋義脈訣評林捷徑統宗卷之一/○西晉國醫 王叔和 著撰/○撫東後學 氷鑑 王文潔 釋評/○閩建書林 雙松 劉朝琯 鋟梓」と題し、以下本文。跋なし。書末に石碑樣で「萬曆己亥孟冬/書林安正堂梓」の木記あり。料紙は竹紙、有界、四周雙邊、上下二欄、版心黑口・雙黑魚尾、象鼻に「叔和注釋評林」、魚尾間に「脉訣幾卷」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・一(内郭一六・九)×横一二・五㎝、九行・行二一字、小字雙行、上欄は一八行・行四字。「數原家臧」「三(?)径(?)藏書」および不詳圓印記・楊氏藏印記三種。識語・書き入れ・蟲損なし、裝訂やや破れ。
故宮新目下册七一四頁(鍥大上天寶太素張神仙脈訣玄微綱領宗統 七卷二册。(明)王文潔撰。明萬曆己亥(二十七年)劉氏安正堂刊本)箱號五〇三、觀字六八二號、天字〇七三五號、故觀號〇三四五五・〇三四五六
書根に「脉訣評林五(六)」とあり、前揭本と同帙本。中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二四・九×幅一四・九㎝。外題は「大素 乾(坤) 五(六)」を朱書。萬曆己亥年の魏時亨逢泰「新刊太素脉訣統宗序」二葉、目錄なし。卷首に「鍥太上天寶太素張神仙脈訣玄微綱領宗統卷之一/○靑城山 神仙 張太素 著述/○閩汀州 醫列 伯祥 註解/○撫東邑 氷鑑 王文潔 編校/○ 堂 繡梓」と題し、以下本文。跋文なし。書末に石碑樣で「萬曆己亥歳孟秋/安正堂劉雙松梓」の木記あり。料紙は竹紙、有界、四周雙邊、上下二欄。版心黑口・雙黑魚尾、象鼻に「太素註釋評林」、魚尾間に「脉訣幾卷」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・五(内郭一七・三)×横一二・六㎝、九行・行二一字、小字雙行、上欄は一八行・行四字。「數(?)原家臧」「三(?)径(?)藏書」および不詳圓印記。識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損。
故宮目は「(明)王文潔撰」と著錄するが、「王文潔編校」が適切。
阿部志二九九頁、故宮新目下册七一四頁(新刊廣成先生玉函經解 二卷一册。(唐)杜光庭撰。元刊本)箱號六二、觀字號なし、天字九九一號、故觀號〇〇二五八
中國四鍼眼裝。香色中手表紙、書高二二・四×幅一四・二㎝。外題は四周雙邊の題簽に「黎註杜光庭玉函經 三兩(價格?)」を守敬が墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「新刊廣成先生玉函經解/傳眞大師…(印字不可讀)/□ 江 □ 月(?) 黎氏壽註」と題し、以下本文。跋文・刊記等なし。料紙は竹紙で、襯紙に日本楮紙を插む。有界、左右雙邊、版心黑口・三黑魚尾、上魚尾下に「玉函上(下)」、下二魚尾間に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一七・九×横一一・三㎝、一二行・行二三字。「養安院藏書」「越恒明印」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。識語・書き入れ・蟲損なし。
故宮目は「元刊本」と著錄するが、字體・版式は嘉靖以前の明版特有のもので、非元版は明らか。森志・阿部志に從い「明〔前中期〕刊本」とするのが適切。
故宮新目下册七一四頁(脈粹 一卷一册。(宋)蕭世基撰。日本永正十五年鈔本、近人楊守敬手書題識)箱號五〇三、觀字六七四號、天字〇七二七號、故觀號〇三四四七
日本四鍼眼原裝。澁引き茶色中手表紙、書高二四・四×幅一七・九㎝。外題は題簽に「蕭世基脈粹 (以下小字雙行)診脈要捷重鈔永正/十五年舊鈔本 六匁(これのみ守敬の書き入れ)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。見返しに朱筆で趙希弁讀書後志から本書の記事を引用。治平三年の姚誼「序」一葉弱、嘉定癸未の李撰「序(跋?)」一葉弱、「診脈要捷目錄」一葉半、以下續けて内題なく本文。跋文なし。料紙は中葉斐紙で、襯紙に楮紙を插む。無界、無邊、黑魚尾、無版心。每半葉、九行・行一九~二一字。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「(鼎型印胴に)佞宋」および楊氏藏印記四種。書の末行に「夜々燈□孩(?)謬誤不少也。□傳書(?)哲而已」、また書末に「永正十五年戊寅(一五一八)三月七日、申剋 寫之畢」あり。これに楊氏の手書識語半葉が後附される。序文部分に朱筆で誤字訂正あるが、他に書き入れ引用書なし。蟲損わずか。
本書の脈狀圖は「察病指南」の圖・説明と共通點が多く、關連あり。故宮目は「日本永正十五年鈔本」と著錄するが、「重鈔日本永正十五年鈔本」が適切。
故宮新目下册七一四頁(脈粹 一卷一册。(宋)蕭世基撰。日本永正十五年鈔本)箱號五〇三、觀字六七五號、天字〇七二六號、故觀號〇三四四六
中國康煕綴(楊氏)裝。藍色中手表紙、書高三二・二×幅二二・〇㎝。外題は四周雙邊の題簽に「蕭世基脈粹」を守敬が墨書。料紙は三椏紙で中國襯紙を插む。當書は前揭本の模寫につき、楊氏の手書識語半葉がない以外、その他書誌は同前。楊氏藏印記一種のみ。蟲損なし。
故宮目は「日本永正十五年鈔本」と著錄するが、「重鈔日本永正十五年鈔本」が適切。
阿部志三〇二頁、故宮新目下册七一五頁(醫學眞經察脈總括 一卷一册。(宋)楊士瀛撰。宋末建安環溪書院刊本)箱號六二、觀字號不詳、天字〇七九〇號、故觀號〇〇二六八
後補日本五鍼眼裝。藍色厚手表紙、書高二九・五×幅一九・四㎝。外題は題簽に「醫學眞經察脈總括」を墨書。景定壬戌年の楊士瀛「序」半葉、「醫學眞經察脈總括」目錄一葉半(目錄末尾は「醫脉眞經目錄終」と刻す)。本文卷首缺二葉、以下書末の第二一葉まで存。書末に「新刊仁齋直指方論醫脉眞經卷終」の尾題を刻す。料紙は竹紙、日本楮紙で裏打ち。有界、左右雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾下に「仁永夬(仁齋脉訣)」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・七×横一三・二㎝、一四行・行二四字、小字雙行。「武田文庫」「多紀氏/臧書印」「江戸醫學/臧書之記」「東京溜池靈/南衢第六號/讀杜艸堂主人/寺田盛業印記」「天下/無雙」「讀杜/艸堂」「薩摩國鹿兒島郡寺田盛業臧書記」(以上四印は寺田望南のもの)および楊氏藏印記一種。識語なし。欄内に朱筆の讀點、ルビ、欄外に墨筆の書き入れあり。もと蟲損大、裏打ち後の蟲損なし。
故宮目は「宋末建安環溪書院刊本」と著錄するが、森志・阿部志に從い「〔元建安環溪書院〕刊本」が適切。藏印記より當本は武田文庫→(澁江抽齋→)多紀氏江戸醫學館→寺田望南→楊守敬と移動している。もと前揭の故宮新目下册六九一頁「類證增注傷寒百問歌 四卷四册。(宋)錢聞禮撰。元至大二年刊本」・同下册七〇八頁「新刊仁齋直指小兒方論 五卷二册。(宋)楊士瀛撰。宋末建安環溪書院刊本」、および後揭の同下册七二二頁「新刊仁齋直指方論 二十六卷六册。(宋)楊士瀛撰。宋末建安環溪書院刊本」と同帙。
一三八五八 傳家祕寶脈證口訣幷方
故宮新目下册七一五頁(傳家祕寶脈證口訣幷方 缺卷上、存二卷一册。(宋)孫用和撰。日本天保年間鈔本、日本靑雲館主人手書題記)箱號一四六八、觀字六七六號、天字〇九四五號、故觀號一三八五八
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二四・二×幅一五・九㎝。外題は題簽に「傳家祕寶脈證口訣幷方三卷〔上卷缺/堅題/=匁(二兩)〕」を墨書し、印記「寶素堂/臧驚/人祕笧」あり。また右上に貼る附簽に「東五十八」を墨書。扉に墨筆で、陳直齋書錄解題・晁氏讀書志・宋史藝文志から孫用和・孫兆と本書に關聨する記事・著錄を引用。序・目錄なし。卷首に「(跨行)家祕寶脈證口訣幷方卷中/宣德郎守殿中省尚藥奉御權太醫令充醫師上騎都尉賜紫金魚袋孫用和集」と題し、以下本文。丸劑に圓字を用いず、方後の調劑文上に墨蓋子を冠する。跋なし。料紙は薄葉上質楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一三行・行二四字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「伎火(?)/記(?)印/光晁(炅?)」「曼(?)□/齋/之印」および楊氏藏印記二種。書末に墨筆で「靑雲館主人(伊良子光通)識。/嘗聞、孫用和之祕寶方、傳在于日東、/不敢見其書矣。一日聞、某家藏是書、/頻請求之、惜闕脉雜病諸方、非全帙。/然予積年微意、在欲上梓、仍不俟全/書、開板焉。他日得全書、而更欲補闕/漏、云爾。/壬寅十一月、據舊題。佞宋」を記す。卷中末葉に墨筆で「壬寅十一月廿二二日、於寧樂光傳寺、與喜多由之同校。質燈下記。/時風雨凄然」、卷下末葉に朱筆で「按檢目錄、治小兒諸方後、有治雜/病諸方。而原鈔本、此以後佚去、殊/可惜耳」の識語あり。卷中の一部で誤寫文字を雌黄で消し、墨筆訂正する。朱筆による誤字訂正、雞峯普濟方・活人事證方後集・證類本草による校異あり。蟲損ごく僅か。朱筆記入後の裝訂で、上下が切り落とされており、一部文字も切れている。
當本にみえる版式・文字からすると、原本は北宋中後期の建刊本らしい。故宮目は「日本靑雲館主人手書題記」と著錄するが、當本は宋版に基づく寫本(伊良子光通藏)の小島再轉寫本なので「有日本靑雲館主人題記」が適切。以下に同一寫本が二點あり、當本はその祖本。森志および留眞譜に著錄。
故宮新目下册七一五頁(傳家祕寶脈證口訣幷方 缺卷上、存二卷一册。(宋)孫用和撰。日本鈔本。日本靑雲館主人手書題記)箱號一四六八、觀字六七八號、天字〇九四六號、故觀號一三八五九
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二五・二×幅一六・六㎝。外題は題簽に「傳家祕寶脈證口訣幷方 上卷缺 =匁(二兩)」を墨書。見返し・扉に記述なし。料紙は中葉楮紙、楊氏藏印記二種のみ。少々蟲損。
當本は前揭本を完成後、それを轉寫したもの。故宮目は「日本靑雲館主人手書題記」と著錄するが、これは小島の轉寫なので「有日本靑雲館主人題記」が適切。
故宮新目下册七一五頁(傳家祕寶脈證口訣幷方 存卷中一卷一册。(宋)孫用和撰。日本鈔本)箱號五〇三、觀字六七七號、天字〇七三七號、故觀號〇三四六二
日本四鍼眼原裝。澁引き茶色中手表紙、書高二七・二×幅一九・〇㎝。外題は題簽に「傳家祕寶脈證口訣幷方 卷中下/上缺」を墨書。見返し・扉に記述なし。料紙は薄葉楮紙。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記二種。「靑雲館主人」識語の後に「丁卯(一八六七)七月、謹摹、不肖尚絅」あり。蟲損なし。
當本は前々揭本を一八六七年に轉寫したもの。故宮目は「存卷中、一卷一册。日本鈔本」と著錄するが、これは小島の轉寫なので「存卷中下、二卷一册。日本慶應三年小島尚絅鈔本」が適切。
故宮新目下册七一五頁(瀕湖脈學 一卷。(明)李時珍撰。明萬曆癸卯(三十一年)刊本。與奇經八脈考合册)。故宮新目下册七一五頁(奇經八脈考 一卷一册。(明)李時珍撰明萬曆癸卯(三十一年)刊本)箱號五〇三、觀字六八三號、天字〇七三六號、故觀號〇三四六一
中國四鍼眼裝。原表紙破碎して殘存せず。書高二五・六×幅一六・二㎝。外題不明。隆慶壬申年の呉哲「題奇經八脈攷」および萬曆丁丑年の「奇經八脈攷引」計一葉、目錄なし。卷首に「奇經八脈攷/蘄人瀕湖李時珍撰輯」と題し、以下本文三六葉。書末に「釋音」一葉、癸卯年の張鼎思「重刻脉學奇經八脉序」二葉、「考證諸書目」二葉。以下「瀕湖脈學」の題で、冒頭に「明嘉靖甲子上元日謹書于瀕湖薖所」の小序あって本文に續き、計二九葉。料紙は竹紙、破損部を中國宣紙で補修。有界、四周單邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「奇經攷(脉學)」、魚尾下に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二一・〇×横一四・七㎝、九行・行二〇字、小字雙行。楊氏藏印記一種のみ。識語・書き入れ等なし。いささか蟲損。
日本舊藏の證據なし。故宮目は「明萬曆癸卯(三十一年)刊本」と著錄するが、「明萬曆癸卯(三十一年)序刊本」が適切。
臟象之屬
故宮新目下册七一六頁(玄門脉訣内照圖 二卷一册。題(漢)華佗撰。日本鈔本)箱號五〇三、觀字六七三號、天字〇七二九號、故觀號〇三四四九
日本四鍼眼原裝。澁引き茶色中手表紙、書高二四・二×幅一六・九㎝。外題は題簽に「玄門脉訣内照圖 =匁(二兩、楊氏の筆で購入價格か)」を墨書。書根に「玄門脉訣内照圖」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「玄門脉訣内照圖卷第一/華 佗 編集」と題す。以下本文で、内照圖の正面・背面(ともに喉に二穴)、各臟腑圖、脉診部位圖、「第五明藏府應五藏藥名」等、卷二末尾に紹聖二年(一〇九五)年の沈銖の校書文あり。これ以下は「經驗婦人產育名方幷小兒名方卷第三」で、五運六氣圖もあり、卷末に「玄門脉訣内照圖卷終」と記す。書末に不詳年・無名氏の跋文あり。料紙は薄葉上質楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「江戸小/島氏八/世醫師」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。やや蟲損。
故宮目は「二卷一册、日本鈔本」と著錄するが、「三卷一册、日本〔江戸後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七一六頁(耆婆五臟經 二卷一册。不著撰人。日本天保癸巳(四年)小島質門生相庭熙鈔本)箱號一四六八、觀字六八七號、天字一〇一七號、故觀號一四〇四八
日本包背裝。澁引き茶色薄手表紙、書高二六・七×幅一八・八㎝。外題・書根に「耆婆五臟經」を墨書。序・目錄なし。卷首に「耆婆五臟經卷之上/鍼灸明唐圖凡三百六十穴」と題し、以下本文。部分的に假名交じり文、彩色五藏内照圖・蟲圖・神圖等多し。跋文なし。料紙は薄葉上質楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一一行・行一九~二四字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記一種。見返しに「奈須柳邨云、當今漢唐經方ノ學ヲ志スモノ、此等ノ書ヲ見ハ棄/捨スヘケント。是亦一種ノ古傳ニテ、足利時代ノ密家ノ僧ノ手ニ出ル/モノナラン。喫茶養生記、祕?玄?良方ノ如キモ皆梵字ヲ以テ五智ヲ五/藏ニ配當セリ。其説釋氏ノ論ノミナラス、道家ノ言モアルヘキ。書中灸穴/明堂ノセサルモノアリ。頓醫福田ノ兩書ヲ引用セルニ因テ此書ノ時代、有/隣ノ後タルコト知ニ足レリ。大傳法院我窃申、灸法ヲモ引用セリ」、書末に「門下晩生、相庭煕奉/寶素先生命、謹寫於塾中。時維/天保四年癸巳十二月也」の識語あり。書き入れ等なし。蟲損わずか。
故宮目は「不著撰人」と著錄するが、「(日本)不著撰人」が適切。
『五藏次第圖』
故宮新目下册七一七頁(五藏次第圖 不分卷一册。(日本)不著撰人。日本鈔本)箱號一四六八、觀字號なし、天字一〇二一號、故觀號一四〇五四
日本四鍼眼裝。薄靑色薄手表紙、書高二一・〇×幅一五・三㎝。外題は四周單邊の題簽に「五藏次第圖 永正五年書入(?) 一兩(守敬書の價格か)」を墨書。見返しを剝がした扉位置に楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「五藏次第圖一卷十二章」の内題、以下本文、假名交じり。書末に「應永八年十二月十三日、センテウシハ舌ツキ、實/此本/永正五年夘(?)四月吉日 書之」の奧書あり。以下、脉診部位圖・脉取樣・五藏脉形圖(察病指南に似る)・五藏虛實法・上中下醫の説あり、總三〇葉。料紙は楮紙、楮紙で裏打ち。無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、八行、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。藥名上に朱點、穴名・藏府等に朱引きあり。蟲損なし。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本永正五年鈔本」が適切。
〔唐代醫方書〕
故宮新目下册七一七頁(千金方 存卷一、一册。(唐)孫思邈撰。日本天保三年松本幸彥摹刻古鈔本)箱號一〇五一、觀字七一六號、天字〇七七四號、故觀一〇六九七號
日本五鍼眼原裝。澁引き赤茶厚手表紙、書高三〇・五×幅二一・二㎝。外題は題簽に「眞本千金方」を印刷。書根に「古鈔千金方」を墨書。天保三年の丹波元堅「序」二葉、目錄なし。卷首に「千金方第一 幷序/處士 孫思邈撰」と題し、以下本文。書末に天保壬辰年の松本幸彥「書眞本千金方後」一葉。奧附なし。料紙は上質楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。本文每半葉、八行・行一六字、小字雙行。四周雙邊一行の「勝鹿(庶?)文庫」および楊氏藏印記二種。刊行後の書き入れはないが、刊行時に原本と同樣に朱の書き入れとヲコト點、朱引きを記入している。蟲損少々。
阿部志七二三頁、故宮新目下册七一七頁(重刊孫眞人備急千金要方 三十卷三十四册。(唐)孫思邈撰。元刊本。沈贈)箱號不詳、天字號なく、沈氏贈本につき觀字號・故觀號なし
紅紋樣錦布裝の四帙。中國四鍼眼裝。濃紺色絹布表紙、書高二六・一×幅一六・八㎝。外題・書根に書名なし。「重刊孫眞人備急千金要方綱目」五葉、林億等の「校正備急千金要方序」二葉、「校正備急千金要方凡例」五葉、無記年の無名氏「孫眞人備急千金要方序」二葉、「重刊孫眞人備急千金要方目錄(卷六下まで)」一二葉、以上第一册。以下各卷・上下各一册、第一〇册は卷七~三〇の目錄、末葉に七行・一四字の木記(墨圖記)あり。卷首に「重刊孫眞人備急千金要方卷之一/朝奉郎守…林億□校正」と題し、以下本文。書末に治平三年の林億等「□□□□(經 進校定)備急千方(ママ)要方後序」一葉。料紙は竹紙、日本楮紙で裏打ちし、有界、左右雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「金方幾フ 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一七・八×横一二・二㎝、一二行・行二二字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「寶素堂/所藏醫/書之記」「寶素堂/臧驚/人祕笧」「與子鐙/前共/讀書」「(鼎型印の胴に)佞宋」「研易樓」「山陰沈/仲□珍/藏祕籍」、不詳陰刻古印記「□□家印」(一行四字)。識語なし。書き入れなし。裏打ち後も少々蟲損。元建刊後印本。缺葉・破損部の文字を墨筆補記、印字不明部を朱筆補記。當本の臺湾影印本あり。
故宮目は「元刊本」と著錄するが、「元刊黑口十二行本」が適切。
阿部志三〇三頁、故宮新目下册七一七頁(重刊孫眞人備急千金要方 存十卷(存卷二、三、五、七、八、十六、十七、十八、十九、三十凡十卷)十册。(唐)孫思邈撰。元刊黑口十二行本)箱號六二、觀字號・天字號・故觀號なし
日本四鍼眼裝。赤茶色横紋厚手表紙、書高二五・七×幅一八・一㎝。外題なし、書根に「元槧千金要方」を墨書。序・目錄なし。卷二首に「重刊孫眞人備急千金要方卷之二 婦人方」と題し、以下本文。卷三は第三〇葉まであり、以下缺。卷三〇は第一・二葉缺。書末に治平三年の林億等「經 進校定備急千方(ママ)要方後序」一葉。料紙は竹紙、日本楮紙で裏打ち。版本書誌は前揭本に同、ただし當本は初印本に近い。「杉垣簃/珍藏記」および楊氏藏印記一種。識語なし。所々に墨筆で欄内外に一二點や書き入れあり。裏打ち後にも少々蟲損。
故宮新目下册七一七頁(孫眞人備急千金要方 九十三卷十二册。(唐)孫思邈撰。明萬曆癸卯(三十一年)新安方中聲校刊本。日本寬政十二年丹波元簡手校竝題記)箱號一〇五一、觀字號なし、天字〇七七七號、故觀號なし
日本五鍼眼原裝。薄茶(もと黄)色厚手表紙、書高二六・〇×幅一六・四㎝。外題は四周單邊の緑靑題簽に「重校千金方 ○之○」、また各册の目次を墨書。書根に「千金方 一(~十二終)」を墨書。扉位置に楊氏寫眞藏書票を插み貼る。萬曆戊子年の陳文燭「新刻千金方序」二葉、嘉靖二十三年の馬理「千金方序」四葉、嘉靖二十二年の喬世寧「又」二葉弱、林億等「本序」二葉半、不詳序約二葉、「孫眞人備急千金要方凡例」七葉半、「眞人列伝」三葉、目錄三六葉。卷首に「孫眞人備急千金要方卷之一」の内題、以下本文。書末に萬曆癸卯年の方中聲「跋重校千金方後」三葉。料紙は中國薄葉楮紙、有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「千金方」、魚尾下に「卷幾 葉次」、下象鼻に刻工名・刻字數を刻す。每半葉匡郭、縱二一・〇×横一四・五㎝、一〇行・行二四字、小字雙行。「廣(?)□院/□藏(?)記」「躋壽館記」「多紀氏/臧書印」「江戸醫學/臧書之記」「瑞乾家藏」および楊氏藏印記三種。朱筆で第二册見返しに「元 元大德本/正 明正德本/嘉 明嘉靖本 小丘山房本」の校勘本略稱、卷五八末葉に「從肺痿第六止于斯、寬政戊午冬十月十三日、校於/直舍、夜三更訖」、卷六一末葉に「戊午冬十一月初三日、夜三更、校于/梬堂。簡記」、卷七九末葉に「庚申九月晦日、校于直舍。元簡記」、卷九三末葉に「寬政十二年冬十月望、校訖、/直舍記。元簡」、書末に「享和紀元辛酉臘月廿一日夜、與及門諸子對校/始訖。是歳十月廿一日、見斥就 外班。元簡誌」の識語。見返し識語の三版本以外に、婦人良方・病源・外臺・醫心方・活人・金匱・證類・千金翼方・傷寒論・肘後方・衛生易簡方・本草和名・本草綱目・國刻本などによる校異の朱墨注記が全書にある。缺葉は補寫。やや蟲損。
故宮新目下册七一七頁(備急千金要方 三十卷・附考異一卷三十二册。(唐)孫思邈撰。日本嘉永二年江戶醫學館影刊宋治平三年本)箱號一〇五一、觀字七一七號、天字〇七七八號、故觀一〇七一一~七四二號
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二七・二×幅一九・二㎝。外題は四周雙邊の題簽に「備急千金方 一(~三十、攷異)」を墨書。書根に「一~卅、攷異」を墨書。補足扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。封面に四周單邊、大字で「備急千金要方」、その裏に「江戸醫學/影北宋本」。嘉永二年の多紀元堅・多紀元昕・小島尚質「影宋備急千金要方序」三葉、目錄一一葉。林億等「新校備急千金要方序」二葉、「新校備急千金要方例+備急千金要方序」六葉、卷首に「備急千金要方卷第一序例/朝奉郎…林億等校正」と題し、以下目次+本文。「金澤文庫」印記も模刻。書末に治平三年の林億等「校定備急千金要方後序」一葉、歐陽修等四名の列銜一葉、その裏に四周單邊で「嘉永紀元江戸醫學/北宋槧本景摹開彫」の木記。末册「影宋千金方攷異」は全一八葉、末葉に總閲として多紀元堅・多紀元昕・小島尚質、校勘として奈須信德・森當璧・伊澤信重・堀川濟・森立之の名と職名を列記。奧附なし。三椏紙、有界、左右雙邊、版心白口(一部小黑口)、雙黑魚尾、魚尾間に「千金方幾」、下象鼻に「葉次 刻工名」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・三×横一四・七㎝、一三行・行二三字、小字雙行。「棠邊」「丹波元佶」「多紀氏/臧書印」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記四種。識語は治平三年林億等後序の末行に藍筆で「丁巳良月初五、元佶點讀」とあるのみ。全書に藍筆の讀點、藍朱墨筆の校異(對校書は前揭本と同じで、さらに宋版外臺・脉經が加わる)、人名に朱引きあり。防蟲香を一部の書に插む。やや蟲損、むれ。
故宮目は「江戶醫學館影刊宋治平三年本」と著錄するが、底本の金澤文庫舊藏本は南宋版と後に判明しているので、「江戶醫學館影宋刊本」が適切。
故宮新目下册七一七頁(備急千金要方 三十卷・附考異一卷三十四册。(唐)孫思邈撰。日本嘉永二年江戶醫學館影刊宋治平三年本)箱號一〇五一、觀字七一八號、天字〇七七三號、故觀一〇六六三~六九六號
日本五鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二九・六×幅一九・九㎝。外題は四周單邊の題簽に「千金方 卷篇名 一(卷次)(+卷上下)」を印刷。書根に「千金方卷第幾(+上下)篇名(+上中下)」を墨書。第一扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。第二扉に四周單邊、大字で「備急千金要方」の封面、その裏に「江戸醫學/影北宋本」。以下、版本書誌は前揭本と全同。「尚絅/校讀」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記四種。第一册末葉に墨書で「丙寅十月四日 尚絅校讀の印記(上記の印)」、第二册末葉に朱筆で「己酉(嘉永二、一八四九)五月廿一日、以宋槧對校本校。尚眞」、その裏に墨筆で「七月三日。尚絅校讀の印記」。第三册末葉に墨書で「八月十五日。尚絅校讀の印記」、第四册末葉に墨書で「八月廿日。尚絅校讀の印記」、第五册末葉に朱筆で「己酉閏四月十一日、以森立之宋槧對校本校。尚眞」、その裏に墨筆で「九月十日。尚絅校讀の印記」。第六册末葉に朱筆で「己酉閏四月十一日、以森立之宋槧比校本校。尚眞」、その裏に墨筆で「九月十五日。尚絅校讀の印記」。第七册末葉に朱筆で「己酉後四月十二日、以森立之宋槧比校本一校。尚眞」、その裏に墨筆で「九月十九日。尚絅校讀の印記」。第八册末葉欄外に朱筆で「己酉後四月十二日、以森立之宋槧對校本比校。尚眞」、その左に墨筆で「丁卯九月廿日。尚絅校讀の印記」。第九册末葉に墨筆で「九月廿五日。尚絅校讀の印記」。第一〇册末葉に墨筆で「十月二日□□/時在醫庠。尚絅校讀の印記」。第一一册末葉に墨筆で「十月十二日、庠中校了。尚絅校讀の印記」。第一五册末葉に朱筆で「己酉五月廿二日、以森立之宋槧對校本校。尚眞」、第一六册末葉に朱筆で「己酉五月廿三日、以森立之宋槧原帙對校本校。尚眞」、第二五册末葉に朱筆で「己酉閏四月十一日、以森立之宋槧對校本校。尚眞」、第二六册末葉に朱筆で「己酉閏四月十一日、以森立之宋槧原本對校本校。尚眞」、第二九册末葉に朱筆で「嘉永庚戌三月廿四日、據森立之宋槧對校本校勘。尚眞」、第三〇册末葉に朱筆で「嘉永庚戌三月廿四日、據森立之校本比校、尚眞」、第三一册末葉に朱筆で「嘉永庚戌三月廿四日、據森立之校本比對。尚眞」、第三四册末葉に藍筆で「己酉四月十二日、讀過。尚眞」年の識語あり。欄上に墨朱藍筆の書き入れあり。蟲損なし。
當本の墨筆眉注は前揭本の頭注を一律に轉錄したように見えるが、前揭本に後で記入された注は未轉錄。すると前揭本に注が加えられているある段階で轉錄したものか。あるいは當本と同じ注を色分けで記した別本があり(森立之宋槧對校本か?)、當本はそれを墨筆で轉錄、さらに獨自の校異を朱と藍で書き入れた。前揭本は同色で轉錄の後、さらに新注を加えた可能性もある。故宮目は「江戶醫學館影刊宋治平三年本」と著錄するが、「江戶醫學館影宋刊本」が適切。
故宮新目下册七一七頁(備急千金要方 存一卷一册、存鍼灸禁忌第三。(唐)孫思邈撰。日本鈔本)箱號不詳、觀字七二一號、天字〇七七五號、故觀一〇六九八號
中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二七・二×幅一七・五㎝。外題は「千金方」を墨書。序・目錄なし。卷首に「備急千金要方」の内題、以下本文。跋・識語なし。薄葉斐紙に筆寫し、中に薄葉斐紙をあてる。無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行二四字、小字雙行。「多紀氏/臧書印」「江戸醫學/臧書之記」を墨筆模寫、および「楊守敬印」の朱印記を捺す。書き入れ等なし。蟲損なし。
楊守敬が來日後、誰かに依頼して醫學館本を筆寫させたものか。筆寫レベルは低い。
故宮新目下册七一七頁(千金翼方 三十卷八册。(唐)孫思邈撰。明萬曆乙巳(三十三年)王肯堂校刊本。卷一~十四抄配、日本小島質手書題識)箱號一〇五一、觀字七二四號、天字〇七八〇號、故觀一〇七五六~七六三號
日本五鍼眼裝。薄灰色薄手表紙、書高二七・〇×幅一七・〇㎝。外題に「千金翼方 一之二(三之七、八之十一、十二之六(ママ)、十七之廿、廿一之三、廿四之六、廿七之卅)」を墨書。また各篇名を墨書。書根に「千金翼 一之二(以下同上)」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。萬曆乙巳年の王肯堂「新刻千金翼方序」四葉、無記年の林億等「校正千金翼方敍」二葉、孫思邈「千金翼方敍」二葉、「重刻孫眞人千金翼方綱目」四葉、「重刻孫眞人千金翼方目錄」四七葉。卷首に「千金翼方卷第一(以下小字)藥錄纂要/宋朝奉郎…林億等校正/明翰林…王肯堂重校/孫雲仍王延廷鑑同校」(當部分に「内閣撰文中書舍人加四級金匱華希閎校刻」を模寫した斐紙一片を插む)と題し、以下本文。跋なし。料紙は竹紙、有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「千金翼方」、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・七×横一四・五㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行(卷一~一四の補寫部分は、薄葉三椏紙、無界、四周單邊、白口、無魚尾、版心に「千金翼方 卷幾 葉次」を筆寫)、また所々の卷末の缺葉を日本楮紙で補寫。「張孟丙甫/家藏毉書」「尚眞/之印」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「醫師/臣尚質/印」「尚質/之印」「字/學古」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。卷三〇末葉に朱筆で「天保十年四月十六日、與諸友同讀。質識、兒沂侍」の識語。卷九までの上欄に朱筆で元版との校異あり。やや蟲損。
故宮目は「明萬曆乙巳(三十三年)王肯堂校刊本」と著錄するが、「明萬曆乙巳(三十三年)王肯堂序刊本」が適切。
故宮新目下册七一七頁(千金翼方 三十卷十二册。(唐)孫思邈撰。日本文政十二年覆刊元大德梅溪書院本)箱號三八九、觀字七二三號、天字〇八一七號、故觀〇一三〇八~三一九號
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二六・五×幅一八・五㎝。外題は四周單邊の題簽に「千金翼方」を印刷。書根に「千翼 一(~十二)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。林億等「校正千金翼方表」二葉、孫思邈「千金翼方序」二葉、目錄一八葉、無記年の無名氏「校正千金翼方後序」一葉、當後序末尾に四周雙邊で「大德丁未良月/梅溪書院刻梓」の木記。卷首に「千金翼方卷第一/朝奉郎…林億等校正」と題し、以下本文。書末に文政己丑(一八二九)年の杉本良「千金翼方後序」一葉(功労者は船橋經中・野間任夫・小島學古という)。また「文政十二年歳次己丑冬十二月、校刻竣功/姓氏」として、中川常晉院・山本啓俊院・半井策庵・岡本玄冶・舟橋宗迪・余語古庵・多紀安良・曽谷長順・數原清庵・井上俊良・森宗竹・池田瑞泉・大膳亮好庵・野間玄璡・津輕玄意・小島喜庵・木下道琢・畑中分中・宮崎立元・橘隆庵・小川汶齋・小島昌倫・曲直瀬正貞・武田壽安・久志本隼人・喜多村安齋・多紀安叔・伊東玄瑞の名を二葉に列記する。料紙は上質楮紙、有界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「翼方幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・〇×横一三・一㎝、一三行・行二三字、小字雙行。「武田文庫」「出雲國/藤山氏/藏書記」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。書き入れ等なし。
故宮新目下册七一八頁(千金翼方 三十卷・考異一卷十三册。(唐)思邈撰。日本文政十二年覆刊元大德梅溪書院本。日本小島質手校竝題記)箱號一〇五一、觀字七二二號、天字號不詳、故觀一〇七四三~一〇七五五號
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二六・五×幅一八・四㎝。外題は四周單邊の題簽に「千金翼方」を印刷、欄内に「一之三」等を墨書。書根に「千金翼方 一(~十二、攷異)」を墨書。扉(後補)に楊氏寫眞藏書票を貼る。以下、構成・書誌は前揭本に同。ただし上記の「嘉永二年江戶醫學館影宋刊本備急千金要方」と同じ「影宋本千金方攷異」一册を交える。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印」「字/學古」「神谷藏書」および楊氏藏印記四種。第一册見返しに朱筆で「舊校宋本、/驪恕公忠據井關玄東家影宋本校、/藍川玄愼翼方校異所引。今直稱宋本」「王本、/萬曆乙巳王肯堂原刊。家藏張孟丙甫舊藏本」、同册首葉に墨筆で「目黒恕公手校王本、照梅溪書院本對勘。其本首版猶存、今據以改訂。直稱元本」、同册末葉に藍筆で「丁亥十二月五日、句讀一過」。第二册末葉に朱筆で「天保九年、歳在戊戌夏四月之朔、照明翰林院檢討國史編修官王肯堂重校本、/曁目黒忠恕公校宋本、比對校勘。後學小島質、識於寶素堂。是日又採新/修本草、本草和名再校。新修本草獸禽部卷第十五、爲天平三年歳次辛未/七月十七日、書生田邊史書本。洵絶世之寶籙也」。第三册卷四末葉に朱筆で「四月十日早起、照王肯堂本校勘畢。佞宋道人」、卷五末葉に藍筆で「戊戌四月廿日、宋本校畢。質」、卷六末葉に藍筆で「文政丁亥四月草創、是歳十二月、六/卷刻成」。第四册卷八末葉に朱筆で「戊戌夏五朔、同校一過。質記」、卷九末葉に朱筆で「戊戌五月廿六日、校讀畢」。第六册・卷一五末葉に朱筆で「天保九年小春廿一日、同校畢。質志」、藍筆で「戊子嘉平月刻成」。第七册卷一六末葉に朱筆で「戊戌至□月十一日讀」、卷一七末葉に朱筆で「戊戌仲冬廿一日、讀畢」、卷一八末葉に朱筆で「天保九年復月廿六日、與諸子同讀於寶素堂中。質誌」。第八册卷一九末葉に朱筆で「天保九年戊戌嘉平月初六、與奈須菊庵、大淵元東、小森叔方、曁丸山了順及門諸子同校。質志」、卷二〇末葉に朱筆で「己亥正月廿六日、與諸子同讀。質、/兒沂侍」。第九册卷二一末葉に朱筆で「天保十年屠維大淵獻、仲春十有一日、同諸子讀/於寶素堂。佞宋道人質誌」、卷二二末葉に藍筆で「天保十年己亥仲春既望、與諸子同校讀於寶素堂。所據二本、/一梅谿書院原刊本、一王肯堂校刻本也。兼參以巢元方解/散病諸候、及醫心方訂正文字。質記」。第一〇册卷二三末葉に朱筆で「正保己亥二月廿二日、與諸友同讀、於寶/素堂之藥室。質誌、兒沂侍」、卷二四末葉に朱筆で「正保己亥草(?)春之朔、與諸友同校讀、於葆素草堂。佞宋質」。第一一册刊卷二五末葉に朱筆で「天保十年己亥草春十日、與諸友同照梅溪原刻及王肯堂本校讀、於/葆素小堂。佞宋道人誌」、卷二六末葉に朱筆で「天保十年春三月廿一日、與諸友同照梅溪原刊本及王校本、畢」。第一二册卷二七末葉に朱筆で「天保十年四月朔、與諸友同照梅溪原刊及王肯堂校本/校讀。質記於寶素堂」、卷二八末葉に朱筆で「己亥孟夏之朔、與諸友又校此卷。質記、兒沂侍」、卷二九末葉に朱筆で「天保十年初夏既望、與諸友同讀於寶/素堂。□時兒沂侍側對讀、質識」、卷三〇末葉に朱筆で「天保十年歳次屠維大淵獻、孟夏既望、據大德丁未梅溪書院原刻、及王肯堂校/刊原本、與奈須菊庵信德、大淵元東常範、大膳亮竹巖道斅、小森西倫頼常、/丸山了順信、及佐久間宮下二醫生、同校于保素堂。兒沂侍、質題」、同册末尾に藍筆で「文政庚寅閏三月校刊始/畢。是月廿三日、新刻頒行」の識語。全書に藍筆の讀點、朱墨による校異あり。やや蟲損。
故宮目は「千金翼方 三十卷・考異一卷十三册」と著錄するが、「千金翼方 三十卷・附備急千金要方考異一卷十三册」が適切。
故宮新目下册七一八頁(重訂唐王燾先生外臺祕要方 四十卷三十二册。(唐)王燾撰明崇禎庚辰(十三年)新安程氏經餘居刊本。近人楊守敬手書題識、日本小島質朱墨手校)箱號一一六二、觀字七二六號、天字〇八八八號、故觀〇一一五三三~五六四號
日本四鍼眼裝。ベージュ色薄手表紙、書高二四・七×幅一五・六㎝。表紙に外題「外臺祕要方」を墨書、また「宋本校過、宋本校訖」等を朱記。書根に卷次のみを墨書。見返しに四周雙邊で「新安程敬通訂梓(以上小字、横書き)/重校唐王燾先/生外臺祕要(以上大字)/此書…購得/寫本…用爲/醫家…一助云歙西槐塘經餘居藏版」(模寫だが、この前に黄紙に印した大字のみ(「本堂藏板」の小字もある)の見返しも綴じ込む)の封面、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。光緒癸未年の楊守敬解題一葉、崇禎庚辰年の呉孔嘉「外臺祕要序」四葉、無記年の唐暉「重刻外臺祕要方序」四葉、程衍道自序八葉(以上、すべて模寫)、無記年の方逢年「序」五葉(整版)、無記年の陸錫明「重刻外臺祕要方序」六葉、張天祿「重刻外臺祕要方序」四葉(以上、模寫)、無記年の金聲「重刻外臺祕要方序」六葉(整版)、無記年の呉士奇「外臺祕要序」四葉(模寫)、孫兆「較正王燾先生外臺祕要方序」二葉、皇祐三年の剳子「重訂唐王燾先生外臺祕要方」一葉(以上、整版)、天寶一一年の王燾「外臺祕要方序」三葉(一部模寫)、目錄六〇葉(整版)。卷首に「唐王燾先生外臺祕要方第一卷/宋朝大夫…林億等 上進/中憲大夫…陸錫明校 閲/新安後學程衍道敬通父訂梓」と題し、以下本文。書末に煕寧二年の剳子一葉。料紙は中國薄葉楮紙(補寫部分は日本薄葉三椏紙)、有界、上下雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「外臺祕要」、魚尾下に「幾卷 葉次 經餘居」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・五×横一三・九㎝、一〇行・行二二字、小字雙行。「元喆架藏記」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印」「字/學古」「尚眞/校讀」「養安院藏書」「常範/之印」「九折堂山田/氏圖書之記」および楊氏藏印記五種。卷一末葉に朱筆で「天保二年重光單閼六月己丑、同井上廷明亮、及小島有隣悳、讀於山本氏/之松屏書院。小島質識」、また紫筆で「庚戌夏五念九、據澁江道純宋刻對校本、是正/誤刊。尚眞」。卷二末葉に藍筆で「天保辛卯八月廿九日、與井上廷明亮、及小島有隣悳、同讀於山本氏/之松屏書院。質識」、朱筆で「五年甲午二月廿二日讀。十四年癸卯二月十六日、據福井/晉校宋本、朱筆校勘、於西城直舍。質又記」、紫筆で「嘉永庚戌中夏朔、以澁江全善宋槧對校本、赭筆校讐。尚眞」。卷三末葉に朱筆で「天保辛卯夏五、據多紀菖軒校宋本一校。質志」「癸卯春三月十日、照玄蕃權助福井晉宋槧對校本、覆校。客秋入京/與晉會、晤聞宋本殘册在荻野/典藥家。累求借抄、不果爲憾耳」「曉窗掃几、把筆校畢。質又誌。/三月十二日校讀。質識」、また紫筆で「庚戌六月二日、以澁江籒齋氏校宋本、再審。尚眞」。卷四末葉に朱筆で「甲午三月一七日、早起校。是歳灌佛。前日與諸子同讀」。卷五末葉に朱筆で「甲午四月廿七日、校畢。質記」「丁卯初冬于柳北醫庠、以宋本校了。信也記」。卷六末葉に朱筆で「天保五年五月廿六日、校讀。質記」「光緒十四年六月朔、校讀至。邑周漱夫誌」。卷七末葉に朱筆で「天保五年六月二日校、是日細雨送楳、質記。 十四年二月/望照、福井晉宋本對校本校勘一過。又記於澁江氏之樓上/校書。須靜淵、在家衆事雜沓。夜間眼昏、不能作蠅(?)頭/書。故今日來此樓也」。卷八末葉に藍筆で「天保五年閼逢敦辨(?)、六月十七日校讀。質志」。卷九末葉に朱筆で「天保五年閼逢敦辨(?)、秋九月初二日、同校了。質志。同讀者三人、爲奈須菊庵、小森叔方、/及弟子相庭元煕也」。卷一一末葉に藍筆で「天保五年十一月十二日、校讀於葆素南樓。質記」。卷一二見返しに朱筆で「宋本 醫博士福井需臧本、從淺井翼鈔本傳寫、臧于家」、末葉に藍筆で「天保甲午十月廿七日、讀畢」。卷一三末葉に藍筆で「甲午十一月廿七日、讀訖」。卷一四末葉に朱筆で「天保五年甲午臘七、與諸子同讀於寶素小樓。質記」。卷一五末葉に朱筆で「天保六年三月廿六日、與諸子同校於寶素堂。質誌」。卷一六末葉に朱筆で「天保六年孟夏七日、與井上廷明、奈須子則、小森叔方、曁/及門子弟同讀。質誌於寶素堂。十四年二月/次(?)望、直舍於西城公暇、據福校宋本校字。質又誌、時/夜二更」。卷一七末葉に朱筆で「天保乙未五月十七日、與奈須菊庵、小森橘井、曁及門諸生、同讀於寶素/堂中。質。十四年癸卯、花朝後一夕、直舍。照福校宋本一校。又誌」。卷一八末葉に藍筆で「天保六年乙未五月廿七日、與奈須菊庵、小森叔方、同校於寶素堂、/及門生同讀。質誌」。卷一九末葉に藍筆で「天保六年乙未六月七日、與奈須菊庵、小森叔方、曁及門二三子同讀、/於寶素樓上。質志」、朱筆で「十四年三月、直據福四品宋槧對/校本校於西城直舍。質又誌」。卷二〇末葉に藍筆で「天保六年、歳次栴蒙協洽夏六月廿有二日、校讀於寶素南樓。時炎熱無/風、友人奈須菊庵、及門相庭元煕、津島彥逸、同讀。質誌」。卷二一末葉に朱筆で「天保六年歳在乙未、秋九月十有二日、與奈須小森兩子/同校讀。是日早晨、送 准三后法親王之日光、到/法王本妨、帰家讀此卷」。卷二二末葉に朱筆で「天保六年栴蒙協洽九月廿七日、與井上廷明、奈須菊庵、小森叔方、曁/弟子津島佶、同校於寶素堂。質志」。卷二三末葉に朱筆で「天保六年乙未小春念七日、校過。友人井上廷明、奈須菊/庵、小森叔方、弟子津島佶、同讀。後學小島質、識/於寶素堂」。卷二四末葉に朱筆で「天保七年、歳次柔兆涒灘春三月七日、校讀。質記」。卷二五末葉に朱筆で「天保丙甲春三月廿一日、同諸子讀於寶素堂」。卷二六末葉に墨筆で「天保七年丙甲孟夏廿七日、讀於寶素堂。質誌。奈須菊庵、/津島佶同讀」。卷二七末葉に朱筆で「天保七年歳次丙申五月八日、與井上廷明、奈須菊庵、小森叔方、及從/遊諸子同校寶素堂中。質誌」。卷二八末葉に朱筆で「天保丙申五月十九日、與奈須菊庵、小森叔方、及□□諸/子同校、於寶素堂。質志」。卷二九末葉に朱筆で「天保七年歳次丙申夏六月廿四日、與井上、奈須、小森三醫官、及/從遊子弟、同校於寶素堂中。質」。卷三〇末葉に朱筆で「天保八年歳次疆梧作噩春二月十一日、與丹波叔方、源子則、源元東、/源宗元、及及門津島佶、同讀於寶素堂。質識」。卷三一末葉に朱筆で「天保丁酉三月五日、與小森、大淵、片山、奈須、及及門諸子、同校於寶素堂。質志。時細雨霏霏」。卷三二末葉に朱筆で「天保八年乙酉三月廿日、與奈須片山兩子、及門/津島佶、同讀於寶素堂。佞宋處士質。 十二經年/三月八日、據福井玄蕃權助晉、宋槧校對本、是正文/字。質又記。時在西丸廣處(?)醫師部屋樓上」。卷三三末葉に朱筆で「天保八年乙酉孟夏十日、與奈須菊庵、大淵元東、片山宗元、小森叔方、及及門津島彥逸、校讀一過。質識於寶素堂」。卷三四後表紙見返し部位に朱筆で「天保八年乙酉夏五月、與小森叔方、奈須菊庵、片山宗元、同校於寶素堂。質記」。卷三五末葉に朱筆で「天保八年乙(後で丁に訂正)酉夏六月初六日、與小森叔方、奈須玄竹、大淵元東、同校於葆素南/樓。佞宋道人質記。 十四年癸卯春三月九日、借福井玄蕃權助晉校宋本、對校」。卷三六末葉に朱筆で「天保八年乙酉九月五日、與奈須玄竹、小森叔方、大淵元東、及及門三子、同讀於/寶素堂」。卷三八末葉に朱筆で「丁酉小春十日、與小森叔方、大淵元東、片山宗元、及二三子/弟、同讀於寶素堂」。卷三九末葉に墨筆で「丁酉復月十日、讀於(?)寶素堂中。質誌。小森叔方、奈須玄竹、/大淵元東、片山宗元、及及門生同讀」。卷四〇後表紙見返し部位に朱筆で「天保丁酉十一月廿五日南至、與井上廷明、奈須菊庵、/小森叔方、片山宗元、大淵元東、及弟子津島佶、柳下寬、同讀於寶素堂、質識/癸卯三月八日、借玄蕃權助福井晉校宋本、對勘於直舍」の識語あり。全書に藍の讀點、欄上に諸本による朱墨の校異あり。蟲損少々。
故宮新目下册七一八頁(重訂唐王燾先生外臺祕要方 四十卷三十二册。(唐)王燾撰。明崇禎庚辰(十三年)新安程氏經餘居刊本。日本小島質及清光緒癸未楊守敬各手書題識)箱號一五〇四、觀字七二八號、天字〇八九〇號、故觀〇一五三〇一~三三二號
四鍼眼裝。ベージュ色薄手表紙、書高二五・三×幅一六・二㎝。外題は四周雙邊の題簽に「外臺祕要 序目錄(一~四十)」を印刷。書根に「一(~三二) 外臺祕要校本」を墨書。黄紙の見返しに四周雙邊で「新安程敬通訂梓(以上小字、横書き)/重校唐王燾先/生外臺祕要(以上大字)/此書…購得/寫本…用爲/醫家…一助云 歙西槐塘經餘居藏版」の封面、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。光緒癸未年の楊守敬解題一葉、無記年の方逢年「序」五葉、無記年の金聲「重刻外臺祕要方序」六葉、程衍道自序八葉、孫兆「較正王燾先生外臺祕要方序」二葉、天寶一一年の王燾「較正王燾先生外臺祕要方序」三葉、目錄六〇葉(整版)。以下、版本書誌は前揭本と同。補寫部分なし。「菅家圖書」「朱師/轍觀」「□□/之印(陰刻)」および楊氏藏印記三種。蟲損少々。
當本は前揭本の書き入れ校異・識語等を完全に轉寫しているが、讀點は轉寫しない。小島氏の印記はないが、何かの目的で尚質ないし尚眞か弟子が再清書したものか。
故宮新目下册七一八頁(外臺祕要方 四十卷四十一册。(唐)王燾撰。日本嘉永癸丑(六年)影鈔南宋紹興兩浙東路茶鹽司刻本。清光緒癸未楊守敬手書題識)箱號六二、觀字七二七號、天字〇八八九號、故觀號〇〇二八三~〇〇三二三
日本四鍼眼原裝、計四帙。濃紺中手表紙、書高二五・二×幅一七・四㎝。外題は題簽に「外臺祕要方」を墨書、別に目次紙を貼る。書根に「目錄(一~四十) 影宋本外臺祕要」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。光緒癸未年の楊守敬題識三葉あり、紀州藩竹田氏藏より林億ら經進の北宋原刻本(これ守敬の過言)を嘉永己酉に醫學に郵致させ、五人で分書して三年を費やして影鈔したという。目錄四七葉(以上、目錄册)、孫兆「校正外臺祕要方序」一葉、天寶一一年の王燾「外臺祕要方序」二葉。卷首に「外臺祕要方卷第一(以下、小字雙行)傷寒上/十二門/(大字)朝散…林 億等上進」と題し、以下卷一目錄に連續して本文。書末に皇祐三・四年の「剳子」一葉、嘉永六年の多紀元堅・喜多村直寬・多紀元昕覆刻跋にこうある。「右外臺祕要方四十卷、唐鄴郡太守王燾撰。〔臣〕等謹按燾自序、稱便繁臺閣二十餘載、久知弘文館圖籍方書等、……。皇國從來亦少傳本。正德中、山脇尚德取程本覆刻以行、然校勘不能精、學者頗有遺憾焉。〔臣〕等欽惟/大府仁治文教之隆、資諸聖經賢傳、而無不臻。金匱玉版之富、比於瑯嬛二酉而無不備。至於是書、往有北宋槧本、嘗許〔臣〕等拜閲。其本文字端雅、紙刻精良、足以訂程刻沿誤。惜僅存十一卷、不獲見其全。平安荻野元凱家亦藏有同種宋本、憾猶屬零殘、不足以補其缺佚也。仍更物色之、仄聞 紀藩醫員竹田道純家藏有足本、係其祖昌慶入明時所齎歸。〔臣〕等因疏請、從其本補完之、而大府亟下 教使進之、兼 命〔臣〕等以校訂之任。〔臣〕等不堪感躍、取而閲之、其本亦一與 官庫所貯同、而首尾完全、無一缺脱、眞爲希購之珍亟也。仍倩巧手、影寫二部。其偶文字漫漶不可讀、及一二差違不得不待點勘者、則又更從 官庫本及荻野元凱本・巢氏病源・孫氏千金等書校之、別作攷異、以附後。其一納于 官庫、以補舊本之缺。其一弆于醫學、以備子弟講誦。庶幾乎、始得窺嘉祐之眞矣。顧嘉祐之眞、即王氏之眞。而王氏之眞、即南陽以降古經方之眞、則豈可不謂之醫家之至寶也耶。蓋此本既佚于海外、而復顯於/皇國。〔臣〕等以菲才、叨預期盛擧、何其幸也。抑/大府好生爲政、屢刊醫書、以助拯濟。曩歳己酉、使〔臣〕等刊布宋板千金方。天下之言、方術者均蒙 厚澤、倘使是書、亦得附之梨棗、與孫氏之書同傳不朽、則豈非醫林之盛事、生民之大幸耶、此〔臣〕等之至願也。〔臣〕等不勝惶恐之至、謹附書卷末、並以志企望之意焉。/嘉永六年、歳在癸丑四月己卯。侍醫尚藥醫學教諭法印〔臣〕多紀〔元堅〕、侍醫醫學教諭法眼〔臣〕喜多村〔直寬〕、西城侍醫醫學教諭兼督務法眼〔臣〕多紀〔元昕〕等謹跋」。料紙は厚葉斐紙で襯紙に楮紙を插む。有界、左右雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「外臺方幾 葉次 刻工名」を寫す。出現順の刻工名は董、時明、趙宗、王成、應權、陳浩、徐侃、丁珪、余靑、林俊、董明、明、呉江、葉邦、弓成、阮于、樓謹、婁謹、周皓、黄季常、章楷、朱明、李忠、時明、徐政、徐高、余全、鄭英、徐昇、葉明、余珵、董昕、李昱、王介、陳茂、王安、張永、楊廣、徐杲、徐顔、徐、丁、章、方、徐彥、施蘊、林、周、方彥成、陳、兪昌、李碩、陳文、丁圭、方產成、高、徐但、宋明、施、黄、李(徐の誤寫?)杲、俊林、英、弓、應、王、朱、呉邵。每半葉匡郭、縱二〇・二×横一四・五㎝、一三行・行二四字、小字雙行。楊氏藏印記四種。書き入れ等ほとんどなし。蟲損なし(所々にタバコの葉を插む故か)。
跋文に「仍倩巧手、影寫二部、……別作攷異、以附後。其一納于官庫、以補舊本之缺。其一弆于醫學」という。この官庫本は現内閣文庫本(二〇〇五年に北京・中医古籍出版社が影印)で、當本と全同で「攷異」も附す。すると當本は醫學館本そのものだが、なぜか「攷異」を缺く。金澤文庫舊藏本の影鈔本卷三(小生藏)は蟲損も模寫するが、當本にはそうした缺損部の模寫はなく、覆刻用の版下に相違ない。しかし『醫心方』の出現で刊行成らず。嗚呼。故宮目は「日本嘉永癸丑(六年)影鈔南宋紹興……」と著錄するが、「日本嘉永癸丑(六年)跋影鈔南宋紹興……」が適切。
故宮新目下册七一八頁(外臺祕要方 存一卷一册、存卷四十。(唐)王燾撰。日本晒藍本)箱號四六九、觀字七二九號、天字〇八九一號、故觀號〇二五〇一
假綴裝。薄焦げ茶色薄手表紙、書高二三・六×幅一六・五㎝。外題に「外臺祕要 最末一册」を楊氏の筆で墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。前揭本あるいは同時に作製された仿宋鈔本の卷四〇を靑焼き(日光寫眞?)で裏焼きしている。每半葉匡郭、縱一九・三×横一四・二㎝、一三行・行二五字、小字雙行。楊氏藏印記四種のみ。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
前揭本の楊氏題識で前揭本は卷四〇を當初入手できなかったため、複寫したというが、當本のことか。あるいは前揭本を出版する豫定で、その版下目的で作製したものか。
〔宋代醫方書〕
阿部志三〇三頁・故宮新目下册七一九頁(太平聖惠方 一百卷五十册。(宋)王懷隱等撰。日本室町末期傳鈔宋本。清光緒甲申(十年)楊守敬手書題識)箱號一一六二、觀字七三三號、天字〇八〇八號、故觀號一一四七七~一一五二六
日本四鍼眼裝。厚葉押し目花紋丹表紙、書高二八・〇×幅一九・四㎝。外題は題簽に「聖惠方 一之二(~九十九之百)」を墨書。書根に題簽と同樣に墨書。後補扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。光緒甲申年の楊氏題識三葉、「大宋新修太平聖惠方一百卷排門目錄」四一葉(卷九九・一〇〇を缺)、「御製太平聖惠方序」一葉+六行、これに聯續して「太平聖惠方卷第一 凡三十門」と題し、以下目次と本文。書末に跋文なし。料紙は朝鮮(?)楮紙、烏糸欄、有界、左右雙邊、版心白口・雙黑魚尾、魚尾間に「第幾」、下象鼻に葉次を寫す。每半葉匡郭、縱二二・四×横一六・七㎝、一三行・行二五字、小字雙行。「啓迪院」「杉垣簃/珍藏記」および楊氏藏印記四種。その他書誌は阿部志を參照のこと。蟲損部を補修するが、その後も少々蟲損。
阿部志三〇五頁・故宮新目下册七一九頁(太平惠民和劑局方 十卷十册。(宋)陳師文撰。元大德甲辰(八年)余氏勤有堂刊本)箱號六二、觀字號なし、天字號なし、故觀號二四八~二五七
日本四鍼眼裝。香色厚手表紙、書高二三・七×幅一五・六㎝。外題は「〔增註〕〔太平〕〔惠民〕和劑局方」を墨書。全册を重ねた書根に一筆で「元刊/局方」を墨書。後補扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「〔增註〕太平惠民和劑局方卷之一」の内題、以下本文。跋なし。書末に「大德甲辰余志安刊于勤有堂」の刊記。料紙は不詳中國紙で、不詳茶色紙にて裏打ちする。有界、左右雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「和方幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・〇×横一三・〇㎝、一三行・行二四字、小字雙行、同行・同字數の中字もある。「野間氏/藏書印」「森氏開萬/册府之記」および楊氏藏印記四種。卷四の一〇・一一葉は裏打ち製本後に破り取られる。識語・書き入れ等ないが、第六・七・八册の表紙に「有金澤稱名寺之印/尤奇珍也」「元治元甲子年、於于柳/原書□□之」の書き入れあるが、そのような印や書き入れ部分が切り取られている。裏打ち後の蟲損少々。
故宮目は書名を「太平惠民和劑局方」と著錄するが、「〔增註〕太平惠民和劑局方」が適切。
阿部志三〇六頁・故宮新目下册七一九頁(太平惠民和劑局方 十卷五册。(宋)陳師文撰。元刊黑口十五行本。清光緒間楊守敬手書題識三則)箱號六二、觀字號なし、天字號なし、故觀號二七一~二七五
日本四鍼眼裝。艶出し丹色厚手押し目紋樣表紙、書高二四・四×幅一五・三㎝。外題は題簽に「和劑方卷幾」を墨書。書根に「一(~五) 宋槧和劑局方」を墨書。第一册は後揭本と同版の太平惠民和劑局方指南總論三卷(版式等は後揭本を見よ。但し當本は竹紙)、第二~五册が太平惠民和劑局方一〇卷で、兩者は別版。第二册見返しと扉間に楊氏寫眞藏書票を插み貼り、扉に森立之の九月二三日(明治中)の識語(版本・舊藏者)小紙を貼る。癸未年等の楊氏題識五葉、補寫の陳師文等「太平惠民和劑局方序」二葉、「太平惠民和劑局方總目」二葉、「太平惠民和劑局方目錄」一二葉。卷首に「太平惠民和劑局方卷一」の内題、以下本文。跋・刊記等なし。料紙は竹紙、日本楮紙で裏打ちし、所々の缺葉を補寫する。有界、四周雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「和方幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・九×横一三・六㎝、一五行・行二四字、小字雙行、また大字と同行・同字數の中字もある。「生起/館」「千卷唐鈔/萬卷宋槧」「曾抂(枉?)齋/陽錢/煕載印(?)」および陰刻「萁(?)日(?)晍(?)」、楊氏藏印記四種。指南總論に訓點・朱讀點あるが、それ以外の册に書き入れなし。ほとんど蟲損なし。
故宮目は「太平惠民和劑局方 十卷五册」と著錄するが、「太平惠民和劑局方十卷四册、附 太平惠民和劑局方指南總論三卷一册」が適切。
阿部志三〇七頁・故宮新目下册七一九頁(太平惠民和劑局方指南總論 三卷一册。(宋)許洪編。元刊本)箱號六二、觀字號不詳、天字〇七八五號、故觀號〇〇二五九
後補日本四鍼眼裝。濃紺色中手表紙、書高二六・三×幅一八・二㎝。外題は題簽に「和劑指南 全」を墨書。書根に「宋槧和劑指南」を墨書。序・目錄なし。卷首に「太平惠民和劑局方指南總論卷上/敕授太醫助敎前…檢察惠民局許 洪 編」と題し、以下卷上本文一一葉、卷中一〇葉、卷下一二葉。跋なし。料紙は白棉紙、日本薄葉楮紙で裏打ち。有界、左右雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「指南上(中、下)」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・〇×横一三・一㎝、一四行・行二四字、小字雙行。「博愛堂記」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記二種。書末に朱筆で「蘭軒 子見贈」の識語。卷上・中に訓點・朱引き書き入れ等あり。裏打ち後にも少々蟲損。
前揭本に補配の「指南總論」と同版。故宮目は「元刊本」と著錄するが、字體を前揭本と比較するに、阿部志に從い「元末明初刊黑口十四行本」が適切。
故宮新目下册七一九頁(重刻太平惠民和劑局方 存八卷(存卷一~四、七~十八)四册。(宋)陳師文撰。明崇禎丁丑(十年)冶城袁元照刊本)箱號一〇五一、觀字七五一號、天字〇七九九號、故觀號一〇八二~一〇八五
日本五鍼眼裝。もと四册を今は二册に綴じる。香色厚手表紙(内側に明版の原表紙あり)、書高二五・〇×幅一五・九㎝。外題に「和劑局方」を墨書。書根に「局方 一之二(~九之十)」を墨書。無記年の朱葵「重刻和劑局方序」四葉、崇禎丁丑年の袁元煕「重刻宋局方序」四葉、「炮製凡例」二葉、目錄二一葉。卷首に「重刻太平惠民和劑局方卷之一/昆明朱 葵向之父閲/冶城袁元煕汝和父較」と題し、以下本文。跋なし。料紙は竹紙、有界、左右雙邊。版心白口・單黑魚尾、象鼻に「局方」、魚尾下に「卷之幾 葉次 刻字數」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・一×横一三・九㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「人見元/德藏書」「德(圓印)」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。わずかに蟲損。
故宮目は「明崇禎丁丑(十年)冶城袁元照刊本」と著錄するが、「明崇禎丁丑(十年)冶城袁元煕序刊本」が適切。
故宮新目下册七一九頁(太平惠民和劑局方指南總論 存一卷(存卷三)一册。(宋)許洪編。日本舊鈔本。日本天保九年佞宋道人手書題記)箱號三八九、觀字七五三號、天字〇八二六號、故觀號〇一三四三
日本四鍼眼裝。澁引き茶色厚手表紙、書高二八・四×幅二〇・八㎝。外題は題簽に「太平惠民和劑局方指南總論 全」を墨書(小島寶素の筆)。序・目錄なし。卷首に「太平惠民和劑局方指南總論卷上/敕授太醫助敎前差充四川緫領所検察/惠民局許洪編」と題し、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、有界、四周單邊。白口の無版心で、魚尾なし。每半葉匡郭、縱二一・八×横一八・四㎝、一〇行・行一八字、小字雙行。「與住草屋」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記一種。書末に墨筆で「草屋老人舊藏、古鈔指/南總論一卷、丹波元昀見/贈之本也。子孫厥永葆/之。天保九年九月記/佞宋道人」の識語あり。全書に朱點・朱引き、訓點、送り假名あり。蟲損中程度。
故宮目は「存卷三」と著錄するが、「存卷上」が適切。
故宮新目下册七一八頁(蘇沈良方 八卷四册。(宋)蘇軾・沈括撰。清乾隆間武英殿聚珍本)景福宮一四九四號、故殿號三一三一四~三一三一七
錦布貼り木製帙入り。中國四鍼眼裝。濃紺色薄葉絹布表紙、書高二七・〇×幅一六・七㎝。外題は四周雙邊の黄色絹布題簽に「蘇沈良方 卷一/卷二(~卷七/卷八)」を墨書。乾隆甲午年の「御製武英殿聚珍版十韻」二葉、目錄六葉(うち後半二葉は四庫提要文)、沈括「原序」四葉。卷首に「蘇沈良方卷一/宋(以下小字雙行)蘇 軾/沈 括(以下大字)著」と題し、以下本文。跋なし。料紙は白色宣紙で襯紙に白色宣紙を插む。有界、四周雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「蘇沈良方」、魚尾下に「卷幾 葉次」を印す。每半葉匡郭、縱一八・七×横一二・六㎝、九行・行二一字、小字雙行。藏印記・識語・書き入れ等なし。蟲損なし。所々で罫線上に小字が重なって印刷されており、理由不明。
故宮新目下册七一八頁(蘇沈内翰良方 十卷。(宋)蘇軾・沈括撰。清乾隆道光間長塘鮑氏刊知不足齋叢書之一)觀字號・天字號・箱號不詳、故觀號〇一八五五~〇一八五七
中國四鍼眼原裝。茶色薄手原表紙、書高一八・五×幅一二・三㎝。帙なし。外題なし。書根に「一百/三一(~一百/三三) 蘇沈内翰良方」を墨書。扉に四周單邊で「蘇沈内翰良方」。書頭に乾隆四十一年の陸錫熊等「欽定四庫全書總目提要」文二葉、無記年の沈括「良方序」四葉、目錄一四葉。卷首に「蘇沈内翰良方卷第一」の内題、以下本文一〇卷。書末に乾隆癸丑年の歙鮑廷博「跋」二葉。料紙は楮紙、有界、左右雙邊。版心小黑口・雙線魚尾、魚尾間に「蘇沈良方卷幾 葉次」、下象鼻に「知不足齋叢書」を刻す。每半葉匡郭、縱一二・七×横九・九㎝、九行・行二一字、小字雙行。楊氏藏印記一種のみ。書き入れ等なし。識語・蟲損・破損なし。恐らく日本舊藏書に非ず。
故宮新目下册七一九頁(蘇沈内翰良方 存三卷(存卷一、八、九)二册。(宋)蘇軾・沈括撰。日本嘉永四年仿宋鈔本。日本丹波元佶手書題識)箱號三八九、觀字七三九號、天字〇八四二號、故觀號〇一四〇四・〇一四〇五
日本四鍼眼原裝。藍色厚手表紙、書高二三・三×幅一六・〇㎝。外題は題簽に「蘇沈内翰良方 一」を墨書、餘白に楊氏が「二兩(購入價格?)」を墨書。書根に「蘇沈内翰良方」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「蘇沈内翰良方卷第一/辨脉記諸藥議氣瘴勞灸法/眉山蘇軾子瞻譔」と題し、以下本文。料紙は斐紙で襯紙に厚葉楮紙を插む、卷一第二葉まで有界、後は無界。卷一のみ左右雙邊。版心白口・線魚尾、魚尾下に「内翰方幾 葉次」を墨書する。卷一の每半葉匡郭、縱一六・七×横一二・二㎝、八行・行一六字、小字雙行。「江戸醫學/臧書之記」および楊氏藏印記四種。卷一末葉に朱筆で「十一月三日初更、佶校讀」。卷九末葉に朱筆で「十一月五日夜校讀、丹波元佶」、墨筆で「嘉永四亥年九月、醫學助敎、谷邊/敏謄寫」の識語。書き入れ等なし。第二册にやや蟲損。
故宮目は「日本嘉永四年仿宋鈔本」と著錄するが、仿宋の根據なく、「日本嘉永四年鈔本」が適切。當本の版式は下揭本に近似する。
故宮新目下册七一九頁(蘇沈内翰良方 十卷六册。(宋)蘇軾・沈括撰。日本寬政十二年千之堂刊本。日本小島質墨筆題識)箱號八九、觀字七三八號、天字〇八三九號、故觀號〇一三五一~〇一三五六
日本四鍼眼原裝。香色薄手表紙、書高二六・〇×幅一七・六㎝。外題は四周雙邊の題簽に「蘇沈内翰良方 一(~六)」を印刷。書根に「蘇沈良方」を墨書。安永丁酉年の伊藤善韻(韵?)「蘇沈内翰良方序」三葉、乾隆四一年の陸錫熊・紀昀・王嘉曾「欽定四庫全書總目提要/蘇沈良方八卷」二葉、沈括(朱筆で「元豐三年岸老序 萬安方引」に訂正)「良方序」四葉、乾隆癸丑年の歙鮑「跋」二葉、寬政庚申年の良光通「蘇沈内翰良方凡例」二葉、無記年の無名氏「蘇沈内翰良方序」三葉、永嘉年の林靈素「蘇沈内翰良方序(補鈔)」一葉(程氏「六醴齋醫書」所收本より錄出)、「點穴圖」三葉、總目一二葉。卷首に「蘇沈内翰良方卷第一/辨脉記諸藥議氣瘴勞灸法/眉山蘇軾子瞻譔」と題し、以下本文。跋なし。奧附は一葉に「千之堂藏版/寬政十二年庚申十月刻成/書肆 京都二條通…/林喜兵衛發行」。料紙は楮紙、有界、左右雙邊。版心白口・線魚尾、魚尾下に「内翰方幾 葉次」を刻す。匡郭は頭注部にもあり二段、每半葉匡郭、縱一九・一(内郭一六・一)×横一二・〇㎝、八行・行一六字、小字雙行。良光通の凡例によれば、「華刻本」に「知不足齋叢書本」で校異したの頭注を刻入した、という。「小嶋氏/圖書記」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。卷一末葉に藍筆で「天保五年甲午臘月九夜、西城直舍句讀」、卷一〇末葉に墨筆で「斯刻比之淺井氏校本、頗存舊觀、而自/關以東流傳甚罕。丁亥夏四月、同僚數/原尚絅奉命之、京師嘱求斯刻。越/六月十七日、陪菊宮而還、後二日/携來見贈。子孫夫永保之。質記」の識語。所々に藍筆の讀點、朱引き、「丹波長基四花灸法」との朱筆校異あり。ほぼ蟲損なし。
故宮新目下册七一九頁(聖濟總錄 二百卷一百十册。(宋)徽宗敕撰。日本傳鈔元大德四年刊本。日本丹波元堅手書題識)箱號八四六、觀字七三四號、天字一〇一〇號、故觀號〇八九六一~〇九〇六一
日本四鍼眼原裝。澁引き焦げ茶色厚手表紙、書高二五・九×幅二〇・一㎝。外題は題簽に「聖濟總錄 序(一之上/運氣~百九十八之二百/神僊服餌)」を墨書。書根に「序(一~百九大尾)」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。大德四年の焦養直「序」二葉(前に缺葉?)、無記年の申甫ら「序」二葉、無記年・不詳氏(徽宗?)の「政和聖濟總錄序」四葉、「大德重校聖濟總錄目錄」七二葉。卷首に「大德重校聖濟總錄卷第一之上」の内題、以下目次・本文。書末に大德三年七月・同九月・同四年二月の刊行敕命から彫刻完了までの報告文あり、中にモンゴル人の名が見えるが、政和の版木を轉用したので、その大德年は補刻のはず(當本は筆寫につき、それが分からない)。料紙は楮紙で裏打ち。有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾(白字で「總錄」)の印刷烏糸欄罫紙に筆寫、魚尾下に卷次の「幾」、下象鼻に葉次を寫す。部分的には刻工名も寫す。每半葉匡郭、縱二一・〇×横一七・三㎝、八行・行一七字、小字雙行。「多紀氏/臧書印」「躋壽殿/書籍記」「醫學/圖書」「江戸醫學/臧書之記」および楊氏藏印記三種。書末に「右聖濟總錄全部二百卷、代々傳/久志本家、而經幾年矣、其書及杛破/焉。常治公悼爲損亡、而仰僕使補之、衣以繼日、其功畢矣。從來有破壞、又以/補綴之而已。/森本氏秦光義/元祿第七甲戌曆林鐘中旬」、また「此本一存元版舊樣、傳/言翠竹先生眞蹟。質之/于其十世孫中書君世/庸、定爲先生壯時筆。夫/一部二百卷、凡數千/頁、而大半不假手寫、胥能完其功、非精力過絶/人者、何能至此。其勤苦/力學、亦可想像矣。宜哉/遂擁大名、永爲醫流之/泰斗也。余既購而得之、/又懼久而失墜、仍獻之/于醫學、以爲不朽之計。/併使後之閲者、有憤悱/激發、云爾。/天保三年嘉平月/丹波元堅識/(印記)元堅之印 (印記)茝庭」の識語あり。書き入れ等はおよそなし。蟲損少々。
故宮新目下册七二〇頁(聖濟總錄纂要 二十六卷十二册。(宋)徽宗敕撰。清康熙間新安呉汝漸等校刊本)箱號不詳、觀字七三五號、天字一〇〇七號、故觀號一四〇二〇~一四〇三一
中國四鍼眼原裝。香色薄手原表紙、書高二五・四×幅一六・六㎝。帙なし。外題は表紙に「一 全十二册(~自廿四至廿六)」を墨書。書根に「一(~十二) 聖濟總錄纂要」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。無記年の徽宗「政和聖濟總錄纂要序」三葉、目錄二〇葉。卷首に「聖濟總錄纂要卷之一/程 林雲來纂/黄家珮鏘鳴/新安 呉汝漸非止 較/許承家師六/江 湘郢上 閲」と題し、以下本文二六卷。跋なし。料紙は楮紙でやや黄變。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に「聖濟總錄纂要」、魚尾下に「卷之幾 篇名 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・七×横一二・五㎝、九行・行二二字、小字雙行。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記四種。書き入れ等ないが、中に江戸期の書簡を插む。いささか蟲損・破損。
故宮新目下册七二三頁(雞峰普濟方 存二十六卷〔原缺卷二・三・六・八、凡四卷〕一〇册。扉頁有牌記「宋本雞峰普濟方 藝芸書舍藏版」「本坊精選新舊足册好板書籍倘有殘篇短缺認明興賢堂書舖唐少村無悞」。卷首前有「重刻雞峰普濟方序/道光八年戊子夏五月長沙汪士鐘撰」。高廣一九・六×一三・一㎝、十一行・行二十二字。左右雙欄、版心白口、雙魚尾。中縫中記「方幾」、下記葉數。方十六有「産圖」一幅。書中有朱筆圈點、天頭有朱墨筆批校。藏印記「星吾七十歳小像」「楊守敬印」「星吾海外訪得秘笈」「宜都楊氏藏書記」「飛青閣藏書印」「葆素堂藏驚仁秘笧」「小島氏圖書記」「醫師臣尚質印」「寶素堂考藏醫書之記」「字學士」「尚質之印」「父子鎧肯共讀書」「先知我名現見吾影委辦諸書專選書本唐少村小影」「佞宋」「尚質校讀」「江戸小島氏八世醫師」「尚質和印」「學古氏」)箱號五六七、觀字七五四號、天字〇七六二號、故觀號〇〇四二四七~二五六
中國四鍼眼原裝、角布つき。香色薄手原表紙、書高二五・三×幅一六・四㎝。帙なし。表紙に外題なく「小嶋氏/圖書記」の印記あり。書腦に「敘目一(~廿六之卅)」、書根に「一(~十) 鷄峯普濟方」を墨書。見返しに左右雙邊で「宋本雞峯普/濟方 藝芸書舍藏版/道光戊子仲夏重刊」の封面、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。遊紙あって表に「先知我名/現見吾影/委辨諸書/專選善本/唐少村/小影/(文士肖像畫)」の陽刻朱印、裏に「本坊精選新舊足册/好板書籍倘有殘篇/短缺認明興賢堂書/舖唐少村無悞」の陽刻墨印を捺す。道光八年の顧千里「重刻雞峯普濟方序」二葉、道光八年の汪士鐘「重刻宋本雞峯普濟方序」三葉。目錄は五二葉で前九葉を缺く。卷首に「雞峯普濟方卷第一/馮翊賈兼重校定」と題し、以下本文三〇卷だが存二六卷。書末に「姑蘇閶門外桐涇橋/西呉青霞齋刻字店」の刊記。跋なし。料紙は中國楮紙でやや黄變する。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾(一部は雙下向魚尾)、魚尾下(間)に「方幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・七×横一三・一㎝、一一行・行二二字、小字雙行。方名・小見出しを陰刻する。「小嶋氏/圖書記」「葆素堂/臧驚/人秘笧」「醫師/臣尚質/印」「寶素堂/攷臧醫/書之記」「字/學古」「尚質/之印」「佞/宋」「尚質/校讀」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/私印」「學/古氏」「與子鐙/前共/讀書」および楊氏藏印記五種など。一部に朱點・朱引きあり。一部欄上に朱墨の書き入れあって、多くは出典関連。識語なし。いささか蟲損あり。第一〇册後半~裏表紙は蟲損で破損甚。
故宮新目下册七二〇頁(類證普濟本事方 十卷二册。(宋)許叔微撰。清鈔本。日本丹波元胤手書題記)箱號一〇五一、觀字七四四號、天字〇七九五號、故觀號一〇七九六~一〇七九七
日本康煕綴裝。中國茶色薄手表紙、書高二八・二×幅一七・九㎝。外題は「類症普濟本事方 上(下)メ匁(四兩)」を楊氏が墨書。書根に「類症普濟本事方上(下)」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし。目錄二葉、卷首に「證類(ママ)普濟本事方卷第一」の内題、以下本文。跋なし。料紙は中國楮紙、無界、無邊、無版心。每半葉、一〇行・行二一字、小字雙行。「多紀氏/臧書印」「躋壽殿/書籍記」「醫學/圖書」および楊氏藏印記三種。書末に「右本事方十卷、清人所鈔也。校之通行本、各藥下不/疏炮製、而方□腧穴、亦多不錄。余嘗得之、以爲經後人之/劖改者。頃讀孝忠跋、始知其重雕時所補入。余於是乎、/深慙失鑒。丙子浴佛後一日、識于蒼雷(?)山房之南軒。/适可散人元胤/(印記)元胤」の識語。書き入れ等なし。いささか蟲損。
當本の筆寫底本を示す記述はないが、方名を四周單邊で囲み、それが陰刻だったことを示すので、あるいは南宋~元の版本かも知れない。
故宮新目下册七二〇頁(類證普濟本事方 十卷續集十卷五册。(宋)許叔微撰。日本享保二十一年大坂書肆刊本)箱號一〇五一、觀字七四二號、天字〇七九三號、故觀號一〇七九一~一〇七九五
澁引き紙製帙に「本事方五册 柳沜先生手訂本」の題簽を貼る。日本四鍼眼原裝。香色厚葉押し布目表紙、書高二五・八×幅一八・〇㎝。外題は四周雙邊の題簽に隷書で「普濟(以上二字、小字横書)本事方 一(~五)」を印刷。書根に「一(~五) 本事方校本」を墨書。見返しに四周雙邊で「儀眞 許叔微先生述/(以下大字)本事方/(以下小字)麑府 中正堂訓点」。無記年の無名氏「普濟本事方序」四葉(當末葉に元胤が書錄解題・宋志・四庫提要・王陳梁序から解題内容を墨筆で引用)、目錄一四葉(當部分のみ界線あり)。卷首に「普濟本事方卷第一/儀眞許 叔微述」と題し、以下本文。第四・五册は續集で、目錄八葉(當部分のみ界線あり)、卷頭は「類證普濟本事方卷之一 續集/儀眞許 學士述」と題し、以下本文。書末に享保乙卯年の泝流書于中正堂の跋文二葉、その末葉裏の奧附に「享保廿乙卯立夏良辰發行/(以下大字)享保廿一年辰四月板行出來/(以下小字)大坂新町西口小濱町/(以下大字)書林 向井八三郎刊行」。料紙は楮紙、無界、四周單邊。版心白口・黑魚尾、象鼻に「本事方(本事方續)」、魚尾下に「卷幾(以下小字で)篇名 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・四×横一三・八㎝、一〇行・行二一字、小字雙行。「管陸/主人」「多紀氏/臧書印」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。第一册末尾に朱筆で「辛未首夏、校于竹香書屋」「甲戌桂月、得清人墨本(前揭本のこと)、再勘/胤又識」「乙亥菖月、十有一日、又校。 胤」、第三册末尾に朱筆で「辛未孟蘭盆祭日、讀過。 胤記」の識語あり。また全書に宋板・王刻・鈔本・清鈔・巢源・局方・鄭昭道重證本草單方・本草綱目・廣韻・千金・金匱・外臺・書錄解題・宋志を引用した朱墨の校異と注あり。蟲損少々。
故宮目は「多紀元胤朱墨手訂」を追記するのが適切。
故宮新目下册七二〇頁(普濟本事方 七卷(缺卷一~三)二册。(宋)許叔微撰。日本傳鈔江武官庫本)箱號一〇五一、觀字七四五號、天字〇七九四號、故觀號一〇八〇〇・一〇八〇一
日本五鍼眼裝。ベージュ色中手表紙、書高二六・〇×幅一九・二㎝。外題は「本事方 二(三) 三匁(兩)」を墨書。書根に「本事方 四之七(八之十)」を墨書。見返しに楊氏が題識の草稿を記す。第一册は楊氏購入時すでに缺。卷首に「普濟本事方卷第四」の内題、以下本文。書末に乾道庚寅年の張郯(?)の題一葉、淳煕乙巳年の孝忠跋二葉、辛亥年の左昌時の題一葉、「武庫 第十六帋」より引用(?)の許叔微傳半葉。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記二種。書末に「以江武官庫御本寫之」の識語あり。跋文に訓點・讀點・朱引きあるが、本文に書き入れ等なし。いささか蟲損。
書風・料紙・裝訂形式などより、江戸前期の筆寫と認められる。
故宮新目下册七二〇頁(類證普濟本事方續集 十卷二册。(宋)許叔微撰。日本鈔本)箱號一〇五一、觀字七四六號、天字〇七九六號、故觀號一〇七九八・一〇七九九
日本五鍼眼原裝。香色中手表紙、書高二七・六×幅一九・〇㎝。外題は「類證本事方 上(下)」、また各册の目次を墨書。書根に「類本事 上(下)」を墨書。見返しに「續本事方」を墨書。序なし、目錄一一葉。卷首に「許學士類證普濟本事方卷之一 續集/(以下補筆)儀眞許 學士述」と題し、以下本文。跋なし。料紙は楮紙。無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記二種。識語なし。全書に一本・印本・華本による朱墨の校異あるが、無記年。少々蟲損。
故宮新目下册七二〇頁(許學士類證普濟本事方 十卷一册。(宋)許叔微撰。日本鈔本)箱號三八九、觀字七四三號、天字〇八四五號、故觀號〇一四〇九
日本四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二六・六×幅一九・五㎝。題簽は剝離して無し。書根に「本事方 全」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし、目錄一三葉。卷首に「許學士類證本事方卷之一(「許學士類證普濟本事方」に作る卷もある)」の内題、以下本文。跋なし。料紙は薄葉楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一四行・行二〇字、小字雙行。「弘前毉官澁/江氏藏書記」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。蟲損ごく僅か。
故宮新目下册七二〇頁(三因極一病證方論 十八卷十册。(宋)陳言撰。日本元祿六年越後屋治兵衛刊本、日本小島質手校竝題識)箱號五六七、觀字號なし、天字〇七七〇號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。濃靑緑色厚手表紙、書高二六・〇×幅一七・九㎝。外題は四周雙邊の題簽に「三因方 序目(一 二~十七 八)」を印刷。書根に「一(~十) 三因方校本」を墨書。無記年の陳言序二葉、目錄二六葉。卷首に「三因極一病證方論」の内題、以下本文。跋文なし。書末に「元祿六癸酉/六角通柳馬場東入町/越後屋治兵衛」の刊記あり。料紙は楮紙、無界、四周雙邊。版心白口・雙線魚尾、魚尾間に「三因方 卷之幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・二×横一四・六㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「九折堂山田/氏圖書之記」「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「(鼎型印の胴に)佞宋」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。識語は、見返しに朱筆で「校例/宋 宋本。元 元版。紅 官庫古鈔。南 南溪書院古鈔。家 家藏古鈔」。陳言序末尾空欄に朱筆で「宋槧本 每半面十二行、行廿三字河野氏所藏(この模寫が下揭本)。/紅葉山御本 古鈔本。/古鈔南谿書院本 吉氏家藏。後帰聿修堂、今現藏於醫學(この左に南谿書院刊本の封面を模寫)。/明代重修元版 每半面十三行、行廿三字、削去卷首三因極一病證方論八字、補刊南北經驗醫方大成八字、明代書帕所爲。現存卷一至卷六。/潢紙古鈔殘本 卷三 卷四 卷九 卷十 卷十三 卷十四 存六卷三册 尚質家藏(これ下揭本)」。朱筆で卷一末葉に「天保十三年壬寅正月廿二日、照宋元二刻及古鈔南谿書院本、與諸子同讀/於寶素堂中。質誌」、卷二末葉に「天保十三年壬寅二月十二日、照宋元二本及舊抄本一校於葆素堂中。質」、卷三末葉に「天保壬寅二月十七日、校宋元二刊及古鈔本二通、與諸友同校。/質誌、兒沂侍」、卷四末葉に「天保壬寅四月十二日、照宋刻、元刊及重鈔南溪書院本、家藏舊鈔本、與兒沂曁及/門香山文石、吉田樅谿、福光遵甫、高木全齋、同校於葆素堂中。質志」、卷五末葉に藍筆で「天保壬寅初夏下澣七日、據宋槧、元刊及古鈔南溪書院本、與諸友/曁及門生同校。質誌」、卷六末葉に朱筆で「天保壬寅五月十一日、據宋元二本及古鈔南谿書院本、與瀧埜長伯、/大渕元東、小森西倫、川口良庵、同校於葆素堂。兒沂及門諸生同讀」、卷八末葉に朱筆で「天保十二二(十四のこと)年春二月初六日、與小森叔方、瀧埜長伯、片山宗元、同參/宋本及古鈔南谿書院校勘。質誌。去秋在京師、得覩伊良子/氏所藏宋槧、文字頗鮮且大、與河野所藏本自異。旅窗忽々、不遑借/校爲憾耳」、卷九末葉に朱筆で「天保癸卯二月十一日、照宋槧本及古鈔南谿書院本、家藏舊鈔本校/於葆素堂。瀧野長伯、片山宗元、森杏林(宗竹?)、小森叔方、兒沂及門生數輩/同讀。質誌」、卷一〇末葉に朱筆で「天保癸卯三月初六、照宋槧本及南谿書院本、家藏硬黄紙本、與田村/安仙、兒沂及門生同校讀。質誌。時風雨尤急」、卷一一末葉に朱筆で「天保十四年癸卯春三月廿一日、據宋本及重鈔南谿書院本、與/及門諸生同讀。質誌。是日沂兒遊墨提(堤?)後至、又讀此卷」、卷一二末葉に朱筆で「天保癸卯後九月既望、照宋槧及重鈔南谿書院本、與瀧野長伯、片山宗元、/森杏林、小森西倫、曁兒沂同讀於葆素堂。質記」、卷一三末葉に朱筆で「天保十五年、歳舍閼逢執徐如月初四、照家藏古鈔本。與森杏林及兒/沂弟子(福光)時行同讀。質識」、卷一四末葉に朱筆で「天保甲辰二月望前一日、照宋本及南谿書院本影寫、及家藏硬黄紙舊鈔/對校。小森叔方、瀧野長伯、兒沂、及門福光時行同讀。質識」、卷一五末葉に朱筆で「天保十五年甲辰三月十四日、據宋槧及古鈔南谿書院/本校訖。小森叔方、片山宗元、及兒沂、弟子福光時行/同讀」、卷一六末葉に朱筆で「天保十五年甲辰三月十九日、據宋本及古鈔南谿書院本、與小森叔方、森/杏林、及兒沂、弟子時行同校於蒼槭簃。質誌」、卷一七末葉に藍筆で「天保十五年五月廿四日、據宋本及南谿書院重鈔古本一校。瀧埜長伯元寬、小森西倫頼常、/兒沂、及門稻村端安、渡邊宗信同讀。質誌」、卷一八末葉に朱筆で「天保十五年甲辰復月廿七日、照宋槧本及古鈔本南谿書院本、同兒沂、/及門福光時行、稻村爲貞、校讀於寶素堂。質誌。古鈔本卷末記云。/此本與坊本有小異同、庚午五月十日購之、以徯他日對勘。元簡記」あり。全書に藍筆の讀點、朱引き、朱筆校異、あり。蟲損なし。
故宮新目下册七二〇頁(三因極一病證方論 十八卷七册。(宋)陳言撰。日本影鈔元坊刊巾箱本)箱號三八九、觀字號なし、天字〇八三四號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。茶色中手表紙、書高二二・七×幅一四・八㎝。外題は題簽に「三因極一病證方論 序總目(~十六之十八)」を墨書。書根に墨書なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。陳言序二葉(欄外に朱筆で「伊良子主税助家藏宋槧十三行本、不載此序。蓋後來偶失者耶」)、目錄二二葉。卷首に「三因極一病證方論卷之一/靑 田 鶴 溪 陳 言 無擇 編」と題し、以下本文。跋なし。料紙は斐紙、無界、四周雙邊。版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「三因(因方・方)幾(時に)刻字數」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一四・五×横一〇・七㎝、一二行・行二三字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「與子鐙/前共/讀書」「葆素/所臧」「江戸小/島氏八/世醫師」「寶素堂/收臧醫/書之記」「好寫/留眞」「尚質/校讀」「臣/尚質」および楊氏藏印記三種。目錄末葉欄外に墨筆で「此頁宋闕、據坊刻補。弘化二年孟夏」、卷三末葉に墨筆で「宋槧原刊比校、兼參/十三行宋本朱校。 (印記)尚質校讀」、卷一八末葉欄外に朱筆で「弘化二年仲秋廿一日、照宋槧原本審校。 沂」の識語。欄上に朱筆で十三行本との校異あり。蟲損少々。
當本は仿宋寫本で、同一底本の曲直瀬正健仿宋寫本(森立之舊藏)が北京圖書館にあるのみで、底本の宋版も別な寫本も散佚している。故宮目は「日本影鈔元坊刊巾箱本」と著錄するが、「日本影鈔宋坊刊巾箱本」が適切。
故宮新目下册七二〇頁(三因極一病證方論 存六卷(存卷三、四、九、十、十三、十四)三册。(宋)陳言撰。日本舊鈔本)箱號三八九、觀字七六五號、天字〇八六〇號、故觀號〇一四三八~〇一四四〇
日本四鍼眼原裝。ベージュ色薄手表紙、書高二五・九×幅一八・九㎝。外題は朱の四周單邊で囲み「古鈔本三因極一病證方論 三 四(九 十、十三 一四)」、また第一册に「零本三册」を墨書。第二册表紙に楊氏の墨筆で「八匁(兩)」を記入。書根に記載なし。序・目錄なし。卷首に「三因極一病證方論卷之三」の内題、以下本文。跋なし。料紙は黄蘗染め楮紙、烏糸界、四周單邊。白口・無魚尾、無版心。每半葉匡郭、縱二〇・八×横一六・六㎝、一三行・行二三字、小字雙行。「寶/□」「久昌院/藏書(奈須恒德)」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記二種。識語なし。訓點・朱引き、篇名上に朱の圓印を捺すが、他に書き入れ引用書なし。いささか蟲損。
裝訂・書風・書式・古びより、およそ室町後期の筆寫だろう。
故宮新目下册七二一頁(易簡方 不分卷一册。(宋)王碩撰。日本室町間鈔本、日本丹波元簡手書題記)箱號三八九、觀字七五八號、天字〇八二〇號、故觀號〇一三二八
日本四鍼眼原裝。ベージュ色薄手表紙、書高二六・二×幅一八・四㎝。外題の題簽剝離してなく、「一匁(兩)」を楊氏が墨書。書根に「易簡方」を墨書。序・目錄なし。書頭に「{口+父}咀生藥料三十品性治」五葉。卷首に「校正註方眞本易簡方論」の内題、以下本文五八葉。跋なし。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行二〇字、小字雙行。「邨田/氏臧/書印」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記二種。書末に「右易簡方一卷、蓋天正以前人、所鈔寫校之、于/望氏刻本。文字端正、最可貴重。文化二年乙丑、/桂月下浣偶購之、因書其後爾。丹波元簡」の識語あり。「{口+父}咀生藥料三十品性治」部分の一部に永正本による朱筆校異がある以外、書き入れなし。蟲損なし。
當本は多紀元簡が文化二年に入手した天正以前の古鈔本から、江戸後期に轉寫したもの。故宮目は「易簡方 日本室町間鈔本」と著錄するが、「〔校正註方眞本〕易簡方論 日本江戸〔後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七二一頁(易簡方 不分卷一册。(宋)王碩撰。日本寬延戊辰(元年)戶倉屋喜兵衛生白堂刊本)箱號三八九、觀字七五七號、天字〇八二三號、故觀號〇一三四〇
日本四鍼眼原裝。灰肌色中手表紙、書高一九・二×幅一二・九㎝。外題は「易簡方」を墨書、また楊氏が「一兩」を墨書。書根に「易簡方」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。寬延元年の望(月)三英「重刻易簡方敍」二葉、無記年の王碩「易簡方論敍」二葉、「{口+父}咀生藥料三十品性治」約六葉(この末葉ウラに四周單邊で「是春堂註方善本/楊氏純德堂重刊」の木記)、「增損飲子藥三十方綱目一」四葉(その末葉ウラに四周單邊で「四明楊伯啓見於平準庫/相對開置書籍總鋪打發/郎行 收書君子幸鑒」の木記)、「市肆圓子藥一十種綱目」二葉(その末尾に刊行凡例樣の文章)、「易簡方論藥目」約六葉。卷首に「校正註方眞本易簡方論/東都 海齋 望正的君鵠校」と題し、以下本文。本文末葉に四周單邊で「{陻-土+貝}城楊伯啓父/刊于純德書堂」の木記。さらに「市肆圓子藥治法」一三葉。跋なし。奧附は四周單邊で「望月正的校正/玉蕐子謹書/寬延改元季戊辰秋九月/江戸日本橋通二丁目/戸倉屋喜兵衛梓」。料紙は斐紙、有界、四周單邊。版心白口・單黑魚尾、象鼻に「易簡方」、魚尾下に「葉次」、下象鼻に「生白堂」を刻す。每半葉匡郭、縱一三・四×横九・六㎝、一二行・行一六字、小字雙行、一二點・レ點なし。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記四種。書末に朱筆で「天保四年癸亥十二月十二日、照二通古鈔本。與井上廷明、及及門生相庭元煕、三浦文載、和田養春、同校於寶素堂燈下」の識語。全書に朱筆で永正本・天正本との校異あり。蟲損ほぼなし。
故宮目は「易簡方」と著錄するが、「〔校正註方眞本〕易簡方論」が適切。
故宮新目下册七二一頁(易簡方論 一卷一册。(宋)王碩撰。日本寬政九年丹波元簡手鈔本)箱號五六七、觀字七五九號、天字〇七六九號、故觀號〇四二七〇
日本四鍼眼原裝。薄焦げ茶色中手表紙、書高二六・六×幅一九・七㎝。外題は題簽に「易簡方論 永正古鈔本傳寫」を墨書。書根に「永正本 易簡方」を墨書。無記年の王碩「易簡方論敍」二葉+四行、「{口+父}咀生藥料三十品性治」約二葉、「增損飲子藥三十方綱目一(以下小字雙行)半枚書也/是春堂註方善本、楊氏純德堂重刊」約四葉、「市肆圓子藥一十種綱目」約二葉、この後に「劉山 是春堂 鋟梓」、「易簡方論藥目」約五葉。卷首に「校正註方眞本〔易簡〕(朱筆で補足)方論」の内題、以下本文。上卷二三葉、中卷二五葉、下卷一五葉。跋なし。料紙は楮紙、無界、無邊。無魚尾、無版心。每半葉、八行・行約二一字、小字雙行。「邨田/氏臧/書印」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印」「字/學古」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記一種。書末に「永正拾四天丁丑五月十二日、書寫畢」、また「寬政丁巳夏六月、每直手影抄于/官舍。起初二日、訖廿九日。/丹波元簡 揮汗書」の識語あり。前半部分欄外に朱筆で一本・坊刻・天正本による校異あり。蟲損なし。
當本は多紀元簡の寬政九年寫本から、さらに江戸後期に轉寫したもの。故宮目は「易簡方論 一卷一册。日本寬政九年丹波元簡手鈔本」と著錄するが、「〔校正註方眞本〕易簡方論 三卷一册。日本江戸〔後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七二一頁(續易簡方論後集 五卷二册。(宋)盧祖常撰。日本影宋鈔本)箱號三八九、觀字號なし、天字號なし、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。薄紺色厚手表紙、書高二三・〇×幅一六・一㎝。外題は題簽に「續易簡方論後集 影鈔宋槧本 上(下)」を墨書。書根に「宇 盧氏續易簡方」を墨書。序なし、目錄六葉。卷首に「續易簡方論後集卷之一/永嘉砥鏡老人盧 祖常 纂次」と題し、以下に無記名(盧祖常?)の序と本文。書末に無記年・無名氏の後序二葉。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一一行・行一九字、小字雙行。「邨田/氏臧/書印」「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記一種。上册末葉に朱筆で「文政壬午正月念一日、讀。章記」、下册末葉に藍筆で「壬午正月念六日讀了。/章誌」の識語。およそ全書に讀點・朱引きあり。ほぼ蟲損なし。
故宮目は「日本影宋鈔本」と記すが、影宋鈔本というほどのレベルではない。
故宮新目下册七二二頁(楊氏家藏方 二十卷十册。(宋)楊倓撰。日本安永六年活字本)箱號三八九、觀字七八〇號、天字〇八一四號、故觀號〇一二八八~〇一二九七
錦布貼り新製一帙に收め、四鍼眼康煕綴改裝。薄空色中手表紙、書高二六・三×幅一八・七㎝。外題は四周雙邊の題簽に「楊氏家藏方」を印刷、また目次大要を記した紙片を貼る。書根に「一(~十)楊氏家藏方」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。安永丁酉年の前田春筞「楊氏家藏方序」一葉(整版)あり、こう記す。「蓮池侯之家老、松枝元亮与余相善。其人尊金仙氏之道、曾讀大蔵三遏、而與世之念佛、誦經生慾未盡死、慾繼熾者不同。唯濟衆之務、經濟諸餘、延及醫藥、廣募方書、手親書寫聖惠方百卷、亦與世之書寫佛經、希求作佛者、萬萬不同矣。余家舊藏楊氏家藏方、元亮活版飜刻、以廣其傳也。楊氏自序云。將使人家有是書、集天下良醫之所長、以倉卒之用、不亦慈父孝子之心乎。其先得松枝氏心、同然者乎。安永丁酉五月、江戸前田春筞序。/玖珂・源千秋書」。淳煕五年の楊倓「楊氏家藏方序」三葉(模寫を插む、未綴)、目錄三六葉。卷首に「楊氏家藏方卷第一」の内題、以下本文。跋・奧附なし。料紙は中葉楮紙、有界、四周單邊、白口・無魚尾、無版心、版心部位に「卷幾 葉次」を印す。半葉の匡郭で、版心部位を除き縱二〇・一×横一四・七㎝、九行・行二〇字、小字雙行。「龍崔/松方/所藏」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。いささか蟲損。
丸をすべて圓に作り、底本は南宋版だろう。故宮目は「日本安永六年活字本」と著錄するが、「日本安永六年序活字本」が適切。
故宮新目下册七二三頁(葉氏錄驗方 存二卷(缺卷上)二册。(宋)葉大廉撰。日本舊鈔本)箱號一〇五一、觀字七八七號、天字〇七八一號、故觀號一〇七六四・一〇七六五
日本四鍼眼原裝。紺色厚手表紙、書高二七・一×幅一七・八㎝。外題は題簽に「葉氏錄驗方 中(下)册」を墨書、そこに楊氏が「≡匁(三兩)」を墨書。書根に「中(下) 葉氏錄驗方」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし、目錄なし。卷首に「葉氏錄驗方中」の内題、以下本文。書末に淳煕丙午年の葉大廉跋一葉、嘉泰甲子年の李景和跋一葉。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行一八字、小字雙行。「邨田/氏臧/書印」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。識語なし。朱筆で誤字を訂正する。蟲損なし。
當本に古びはないが、字體は室町頃を模している。故宮目は「日本舊鈔本」と著錄するが、「日本鈔本」が適切。
故宮新目下册七二三頁(備全古今十便良方 存三十一卷(缺卷十三~二十一)八册。(宋)郭坦撰。日本鈔本)箱號三八九、觀字號なし、天字〇八一六號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。香色薄手表紙(第二册のみ澁引き茶色厚手表紙)、書高二七・二×幅一八・三㎝。外題は題簽に「十便良方 序目錄須知(~三十七之四十)」を墨書。書根に「一(~八)十便良方」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。慶元二年の宋德之「十便良方序(著者は郭坦という)」二葉、當序末尾に「武夷□(空格)氏鋟/木于安樂堂」の刊記。「十便良方總類」四葉、「備金古今十便良方目錄」多量葉、「十便良方須知」三葉。卷首に「備全古今十便良方卷第一/六十四藥本草節用」と題し、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉一二行・行二二字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。識語なし。所々で誤寫を朱筆で訂正、また本書が引用する本事方・鷄峯方・聖惠方とも校異する。卷四〇末葉前に「此間、官本有空紙一枚」と朱記するので、紅葉山本からの轉寫だろう。蟲損少々。
當本は江戸後期の筆寫。故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本〔江戸後期〕鈔本」が適切。なお當本の卷一~六は「本草節用」、卷七は炮炙論、卷八以下は醫學全書。
故宮新目下册七二三頁(方氏編類家藏集要方 存一卷(存卷上)一册。(宋)方導撰。日本鈔本、日本丹波元簡題記)箱號三八九、觀字號なし、天字〇八五一號、故觀號〇一二八六
日本四鍼眼原裝。淡紺色薄手表紙、書高二六・四×幅一八・六㎝。外題は題簽に「方氏編類家藏集要方」を墨書。書根に墨記なし。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。慶元丁巳年の方導自序一葉、目錄一葉。卷首に「方氏編類家藏集要方上」の内題、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一一行・行二〇字、小字雙行。「奚暇齋/讀本記」および楊氏藏印記三種。書末に朱筆で「原本訛誤頗多、今釐訂其一二。若精校正、在異日/獲善本焉。丙辰孟春十有三日、元簡記」「陳日華經驗方云、…丙辰臘月初五日簡再記堪」の識語あり。朱筆で誤字訂正あるのみ。蟲損なし。
『方氏編類家藏集要方』
故宮新目下册七二三頁(方氏編類家藏集要方 存一卷(存卷上)一册。(宋)方導撰。日本影宋鈔本、日本小島尚絅手書題識)箱號三八九、觀字七八六號、天字〇八一二號、故觀號〇一四二七
日本五鍼眼原裝。薄靑色中手表紙、書高二八・六×幅二〇・五㎝。外題は題簽に「影宋本方氏家藏集要方」を墨書、また楊氏による「六匁(兩)」、右下に「題簽劉茝庭書」の墨書。書根に墨記なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。慶元丁巳年の方導「自序」一葉、目錄一葉。卷首に「方氏編類家藏集要方上」の内題、以下本文。跋なし。薄葉上質楮紙に筆寫し、襯紙に楮紙を插む。無界、左右雙邊、版心白口・雙黑魚尾、魚尾間に「集要方上」、下象鼻に葉次を寫す。刻工名は馬念三・丘四・呉子立・{立-丶}五・張八・胡□・方・呉友・長念四・朱永□・呉元。每半葉匡郭、縱二四・八×横一八・七㎝、一一行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「學/古氏」「江戸小/島氏八/世醫師」「寶素堂/收臧醫/書之記」および楊氏藏印記三種。書末に「萬延紀元庚申八月十有七日、寫于醫學舍中、曝籍叢裏、/小島尚絅」と識語して多紀元堅の識語と印記を模寫する。江戸後期の筆寫。書き入れ引用書なし。蟲損わずか。
故宮新目下册七二二頁(新刊續添是齋百一選方 二十卷五册。(宋)王璆撰。日本寬政十一年濯纓堂覆元建安劉氏刊本)箱號一〇五一、觀字號なし、天字〇七八二號、故觀號なし
日本四鍼眼康煕原裝。空色厚手表紙、書高二六・六×幅一七・五㎝。外題は四周雙邊の題簽に「是齋百一選方 一(~五)」を印刷。書根に「是齋百一選方 一(~五)」を墨書。見返しに四周雙邊で「宋王璆孟玉撰/(以下大字)是齋百一選方/(以下小字)寬政己未仲夏開鐫 濯纓堂藏版」の封面、寬政一一年の丹波元簡「新雕百一選方敍」四葉、慶元丙辰年の章楫「是齋百一選方序」一葉、宋・陳唐卿「江湖長翁集」卷三一から転載の「百一選方序」半葉、目錄一一葉。目錄頭に癸未年の建安・劉承父の四周雙邊木記。卷首に「新刊續添是齋百一選方 卷之一」の内題、以下本文。書末に寬政一一年の千田恭・子敬「是齋百一選方跋」二葉。奧附なし。料紙は上質楮紙、有界、四周單邊。版心白口・黑魚尾、象鼻に「是齋百一選方」、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・八×横一四・六㎝、一〇行・行二二字、小字雙行。「澹寧齋/圖書記」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。新本同樣。わずかに蟲損。
故宮新目下册七二二頁(新刊續添是齋百一選方 二十卷三册。(宋)王璆撰。日本鈔本)箱號一〇五一、觀字七七一號、天字〇七八三號、故觀號一〇七七一~一〇七七三
日本四鍼眼裝。澁引き茶色中手表紙、書高二六・七×幅一七・三㎝。外題は「古鈔本新刊續添是齋百一選方 上(中、下)册」を墨書。書根に「百一選方一之六(七之十三、十四之二十)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。慶元丙辰年の章楫「是齋百一選方序」一葉(これのみ仿宋・仿元樣の筆寫で四周雙邊、九行・一六字、縱一九・二×横一三・〇㎝、四周雙邊「細川氏藏」の印記も模寫)、目錄二〇葉。卷首に「新刊續添是齋百一選方卷之一」の内題、以下本文。跋文なし。料紙は薄葉上質楮紙、無界、四周單邊。白口・無魚尾、版心に「卷之幾」、下象鼻に葉次を墨寫する。每半葉匡郭、一〇行・行二四字、小字雙行。「井氏/藏」「皆川氏/□山□/圖書記」「亨明堂」「直」「掃藥/山樵」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」および楊氏藏印記四種。卷二途中まで藍筆の讀點および朱筆の校異あり。蟲損なし。
筆寫は早くて江戸前期だろう。
故宮新目下册七二二頁(新刊續添是齋百一選方 二十卷五册。(宋)王璆撰。日本鈔本)箱號一〇五一、觀字號なし、天字〇七八四號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。香色厚手表紙、書高二五・七×幅一七・五㎝。外題は題簽に「是齋百一選方 一之三(十七之二十)」を墨書。書根に「一~五」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼り、そのウラに「已摹」と墨書した紙片を貼る。慶元年の「是齋百一選方序」一葉(前揭本と行・字詰同)、目錄一三葉(宋元間刊本の樣式)。卷首に「新刊續添是齋百一選方卷之一」の内題、以下本文(宋元間刊本の樣式)。跋なし。料紙は薄葉斐紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一四行・行二四字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「(鼎型印の胴に横書きで)佞宋」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ引用書等なし。蟲損なし。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本鈔本〔仿宋元間刊本〕」が適切。
故宮新目下册七一八頁(孫眞人備急海上仙方 一卷一册。(唐)孫思邈撰。日本丹波叔方鈔本)箱號三八九、觀字七二五號、天字〇八五二號、故觀號〇一四二八
日本四鍼眼原裝。澁引き薄茶色薄手表紙、書高二六・五×幅一八・四㎝。外題は「孫眞人備急海上仙方」を墨書、その下に楊氏が「=匁(二兩)」を墨書。書根に「海上仙方」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。永樂十二年の黄吉「孫眞人備急海上仙方序」一葉、「孫眞人枕上記・孫仙養生銘」一葉半、目錄四葉半、永楽四年の「劉希誠集/孫眞人海上備急仙方」一葉半。卷首に「孫眞人備急海上仙方」の内題、以下本文。書末に無記年の無名氏跋一葉。料紙は上質楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、七行・行一五字。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。書末に墨筆で「此卷友人丹波叔方、據久昌院(奈須恒德)儲藏舊鈔本手錄、/見饋。余家別有胡文煥校本(下揭「新刻溫隱居海上仙方 二卷一册」のこと)、而同異頗夥。不復/爲就彼而校是也。小島質、誌於寶素堂。時辛/卯花朝」の識語あり。書き入れ等なし。蟲損少々。
故宮目は「(唐)孫思邈撰」と著錄するが、「舊題(唐)孫思邈撰」が適切。
故宮新目下册七二一頁(新刻溫隱居海上仙方 二卷一册。(宋)溫大明撰。日本傳鈔明錢塘胡文煥校刊本)箱號五六七、觀字七五六號、天字〇七六三號、故觀號〇四二五七
日本四鍼眼原裝。黄土色中手表紙、書高二二・六×幅一六・〇㎝。外題は「海上仙方」を墨書し、下部に「一匁(兩)」を楊氏が記入。書根に「海上仙方」を墨書。無記年の温大明「海上仙方序」二葉、「新刻溫隱居海上仙方前集目錄」四葉、「新刻孫眞人海上仙方後集目錄」四葉。卷首に「新刻溫隱居海上仙方前集(新刻孫眞人海上仙方後集)/錢塘 胡文煥 德甫 校」と題し、以下本文。跋文なし。料紙は薄葉三椏紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行二〇字。「邨田/氏臧/書印」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。少々蟲損。
故宮新目下册七二一頁(溫氏隱居助道方服藥須知 不分卷一册。(宋)溫大明撰。日本影抄中和書堂刊本)箱號三八九、觀字七八一號、天字〇八五五號、故觀號〇一四三二
日本四鍼眼原裝。灰色中手表紙、書高二二・〇×幅一六・〇㎝。外題は題簽に「溫氏助道方服藥須知」を墨書。書根に「助道方」を墨書。見返しに封面模寫があり、四周單邊で上段に「中和書堂」、次の段に「溫隱居助道方」を横書き、その下に縱書きで「<・助醫胗無一毫之差・/(以下大字)服藥須知/病源詩括/(以下小字)<・俾服餌有十全之效・」。嘉定丙子年の温大明「溫氏隱居述病源詩括服藥須知序」一葉、無記年の温大明「醫士感應篇」序一葉、「溫氏隱居助道服藥須知目錄」二葉、その末尾に「右杭州 德夫 刊行」とある。卷首に「溫氏隱居助道服藥須知」の内題、以下本文。跋文なし。料紙は薄葉楮紙で襯紙に楮紙を插む。無界、無邊、無魚尾、無版心。見出し以外は小字で、每半葉、一四行・行二六字。「小嶋氏/圖書記」「(鼎型印の胴に横書きで)佞宋」および楊氏藏印記一種。目錄末尾に醫學源流から温大明の傳を引き、「…天保乙未夏 五書 佞宋道人 花押」の識語、全書欄外に朱筆で誤字等の指摘あり。蟲損なし。
故宮新目下册七二一頁(溫氏隱居助道方服藥須知 不分卷一册。(宋)溫大明撰。日本影抄中和書堂刊本)箱號三八九、觀字七八二號、天字〇八五六號、故觀號〇一四三三
日本四鍼眼原裝。香色薄手表紙、書高二二・五×幅一五・七㎝。外題は「助道方服藥須知」を墨書。書根に記載なし。薄葉三椏紙に前揭本から小島寶素の識語も含め轉寫したもの。但し見返しの封面模寫、および朱筆の誤字指摘は寫さない。楊氏藏印記一種のみ。
故宮新目下册七二三頁(活人事證方 二十卷六册。(宋)劉信甫撰。日本影鈔宋建安余恭禮刊本)箱號三八九、觀字號なし、天字〇八二八號、故觀號なし
日本四鍼眼康煕原裝。ベージュ色薄手表紙、書高二六・四×幅一八・二㎝。外題なし、書根に「活人事證方 目錄(~五)」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。「活人事證藥方總目」(冒頭に四周雙邊の木記樣内に劉信甫の自序らしき文)二葉、嘉定丙子年の惠民和劑局・葉麟之・棠伯「序」二葉(末尾に四周雙邊で「建安余恭禮宅刻梓」の木記)、無記年の「劉居士活人事證方目錄」二七葉(冒頭に木記風の四周雙邊内に「藥性四百餘件」を卷首に附すことを記す)、「□□劉居士活人事證方」(藥性篇)一三葉。卷首に「活人事證方卷之一」の内題、以下本文。跋なし。上質薄葉楮紙に筆寫し、襯紙に楮紙を插む。有界、左右雙邊、版心線黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「方(卷)幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・二×横一二・九㎝、一一行・行二一字、小字雙行。楊氏藏印記四種のみ。識語・書き入れ等一切なし。蟲損なし。楊氏の印記のみ。
日本人の識語等もないが、紙質・裝訂から日本人の筆寫。すると當本は楊氏が來日時に依頼して筆寫させたものらしい。
故宮新目下册七二三頁(活人事證方後集 二十卷一册。(宋)劉信甫撰。日本影宋鈔本)箱號五六七、觀字七八九號、天字〇七六六號、故觀號〇四二六〇
日本四鍼眼原裝。香色厚手表紙、書高二二・九×幅一六・二㎝。外題は四周雙邊の題簽を裏返して貼り、「影宋本活人事證方 四兩」を墨書。書根に「全影宋本活人事證方」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし。「活人事證方後集/總目」二葉、「桃谿劉居士活人事證方後集目錄」多数葉(冒頭に前集が好評だったので劉居士に依頼して本書を編集してもらった云々とある)。卷首に「活人事證方後集卷之一」の内題、以下本文。跋なし。料紙は薄葉斐紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一一行・行二一字、小字雙行。楊氏藏印記四種のみ。識語・書き入れ等一切なし。少し蟲損。
故宮目は「日本影宋鈔本」と記すが、影宋鈔本というほどのレベルではない。古びから楊氏來日以前の筆寫は明白だが、舊藏者は不明。
故宮新目下册七二二頁(魏氏家藏方 存九卷(缺卷三)四册。(宋)魏峴撰。日本鳳鳴堂鈔本)箱號三八九、觀字號なし、天字〇八四九號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。香色薄手表紙、書高二八・二×幅一九・四㎝。外題は四周雙邊の題簽に「魏氏家藏方、自一至二(~自九至十畢)/三卷原闕/一(~四)」を墨書。書根に「魏氏家藏方 一(~四止)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。寶慶丁亥年の魏峴「魏氏家藏方序」一葉、目錄一七葉。卷首に「魏氏家藏方卷第一」の内題、以下本文。跋なし。料紙は楮紙に薄茶で印刷した罫紙、有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、下象鼻に「鳳鳴堂藏」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・七×横一五・六㎝、一二行・行二〇字、小字單行。「足達(速?逮?)/珍藏」および楊氏藏印記三種。卷二末葉に藍筆で「安政四丁巳年三月廿七日、以寶慶間刊本校正畢/越智恒明誌」の識語。藍筆で宋本と、朱筆で筆寫底本と校異する。少々蟲損。
故宮新目下册七二一頁(續易簡方論 六卷三册。(宋)施發撰。日本鈔本、日本村田章手校竝題記)箱號三八九、觀字號なし、天字〇八二一號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。紺色厚手表紙、書高二三・六×幅一六・三㎝。外題は題簽に「續易簡方論 序目 一(二 三、四 五 六)」を墨書。書根に「續易簡方論 上(中、下)」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を插み入れる。無記年の雨巖老人「序」二葉、目錄七葉。卷首に「續易簡方論卷第一/(類序文)王德膚作易簡方、…/…、…/永嘉施 發 政卿 撰」と題し、永嘉(年は無記)の施發序半葉、以下に本文。書末に淳祐癸卯年の施發跋文半葉。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行一八字、小字雙行。「邨田/氏臧/書印」「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「江戸小/島氏八/世醫師」および楊氏藏印記三種。卷一末葉に藍筆で「文政辛巳九月朔、校訂了。/章志」、卷二末葉に「文政辛巳季煉朔日、句讀了。/夜二更 誌」、卷三末葉に「文政辛巳九月三日、校過。/博古記」、卷四末葉に「文政辛巳季秋初四、於燈下校訂、/及句。章記」、卷五末葉に「辛巳九月六日、校訂」、卷六末葉に「文政四年、歳在辛巳、季秋七日、校正畢。/村田章記」の識語あり。全書に藍筆讀點、朱引き、朱墨藍の校訂注あり。少々蟲損。
故宮新目下册七二一頁(續易簡方論 六卷三册。(宋)施發撰。日本文政丁亥(十年)松屏舍刊本)および(續易簡方論後集 五卷附錄一卷二册。(宋)盧祖常撰。日本文政丁亥(十年)松屏舍刊本)箱號三八九、觀字七六〇號、天字〇八一九號、故觀號〇一三二三~〇一三二七
前本。日本四鍼眼原裝。薄靑色中手表紙、書高二六・三×幅一七・八㎝。外題は四周雙邊の題簽に「續易簡方論 一二(三四、五六)」を印刷。計五册の書根全體に「續易簡方」を墨書。見返しに四周單邊で「宋 施氏著/(以下大字)續易簡方論 (以下小字)三卷/松屏舍藏板」の封面。無記年の雨巖老人「續易簡方論序」一葉、目錄七葉。卷首に「續易簡方論卷第一/王德膚作易簡方、…(計六行の序文)/永嘉施 發 政卿撰」と題し、以下本文。書末に淳祐癸卯年の無名氏(施發?)書于寓室桂堂の跋文半葉。料紙は楮紙、有界、四周單邊。版心白口・雙黑魚尾、魚尾間に「施氏續卷之幾」、下象鼻に葉次を刻す。欄上に醫方類聚・三因方・澹寮方・醫學綱目・本事方・局方・傷寒論・永類鈴方・婦人良方・活人書・醫壘元戎・嚴氏濟生方・楊氏(家藏方)・聖惠方・百一選方・千金方等による校異を匡郭に囲んで刻す。每半葉匡郭、縱一九・六×横一五・三㎝、一一行・行二〇字、小字雙行。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種のみ。識語・書き入れ等なし。少々蟲損。
後本。前本と同一書誌は省略。題簽に「續易簡方論後集 一二(三四五)」を印刷。見返しに四周單邊で「宋 盧氏著/(以下大字)續易簡方論後集 (以下小字)二卷/松屏舍藏板」、目錄六葉、卷首に「續易簡方論後集卷之一/永嘉砥鏡老人盧 祖常 纂次」と題し、以下に無記名(盧祖常?)の序、以下本文。書末に無記年・無名氏の後序二葉、「盧氏續易簡方論後集附錄」六葉(醫方類聚所引の「孫氏增修易簡方傷寒簡要十説」を轉錄)、文政丁亥年の東都侍醫尚藥啓俊院法印張惟直識時年八十「合刻施盧續易簡方論跋」二葉。版心は魚尾間に「盧氏續後集卷之幾」、下象鼻に葉次を刻す。印記は「朱師/轍觀」のみ。識語・書き入れ等なし。蟲損少々。
故宮新目下册七二一頁(續易簡方脉論 一卷一册。(宋)王暐撰。日本影宋鈔本)箱號四六九、觀字七六九號、天字〇八九五號、故觀號〇二五一八
日本式四鍼眼裝。濃紺色中手表紙(楊氏裝)、書高二七・三×幅一八・九㎝。外題なく、書根に記載なし。序なし、目錄五葉(存第四・五葉)。卷首に「續易簡方脉論/東嘉王 暐 養中撰」と題し、以下本文計四二葉。書末に淳祐甲辰年の順齋趙希邐の跋文(存末尾一葉)。料紙は薄葉楮紙で、襯紙に中葉楮紙をあてる、有界、左右雙邊、白口・無魚尾、版心には葉次のみ。每半葉匡郭、縱二一・九×横一六・八㎝、八行・行一八字、小字雙行。楊氏藏印記二種のみ。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
脉診部位の圖あって、所々に黒地の白字があるので底本は南宋版らしいが、字體は建刊本にみえない。楊氏の印記のみなので、來日時に筆寫させたものらしい。
阿部志三〇七頁・故宮新目下册七二一頁(嚴氏濟生方 十卷五册。(宋)嚴用和撰。宋刊影抄配本、卷一中十七葉爲宋刊、餘卷影鈔配)箱號三八九、觀字號・天字號・故觀號なし
日本四鍼眼康煕綴原裝。香色厚手表紙、書高二三・三×幅一五・五㎝。外題は「嚴氏濟生方 一(~五)」を墨書。書根に「一(~五)宋本濟生方」を墨書。見返しに「已影摹」と墨書の紙片を貼り、扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。寶祐癸丑年の嚴用和「嚴氏濟生方序」五葉、目錄一三葉。卷首に「□(嚴)氏濟生方卷之一」の内題、以下本文。跋なし。卷一冒頭宋刻部分一七葉は楮紙で裏打ち、他は全て薄葉上質楮紙(阿部志云、斐紙)に影寫し襯紙に楮紙を插む、有界、四周雙邊、版心線黑口・黑魚尾、魚尾下に「方(卷)幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・六×横一二・八㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「養安院藏書」「杉垣簃/珍藏記」「愛陰書屋」および楊氏藏印記四種。識語なし。蟲損なし。
宋刻部分に朱墨の古い書き入れあるが、影寫部に書き入れなし。幕末前後の筆寫。
故宮新目下册七二二頁(嚴氏濟生方 存六卷(缺卷七~十)二册。(宋)嚴用和撰。日本鈔本)箱號三八九、觀字七六七號、天字〇八四三號、故觀號〇一四〇六・〇一四〇七
澁引き厚葉楮紙製紙帙入り。帙上に「古鈔本嚴氏濟生方二册/自一至六、第七以下缺/博愛堂」「四兩(これ楊氏の書き入れ)」の墨書。日本四鍼眼裝、澁引き茶色中手表紙、書高二四・九×幅二〇・九㎝。外題は題簽に「古鈔本濟生方 一之三(四之六)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「嚴氏濟生方卷之一」の内題、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、ごく一部に裏打ち、無界、無邊。版心白口・雙黒魚尾、魚尾間に「濟生(卷)幾 葉次」を墨書。每半葉、一五行・行二二字、小字雙行。「博愛堂記」「小嶋氏/圖書記」、不詳印記三種および楊氏藏印記四種。帙に墨筆で「此本相帋質墨光、當是二三/百年前鈔本。卷末天明識/語、蓋後人所記、非抄寫時/月也。甲寅小春、城東寓居、/書檉陰生、尚眞」「文政八年插架」、第二册末に「天明戊申仲冬/奉 東州平忠世」、各卷末に朱筆で「一校了」の識語。他に書き入れなし。蟲損少々。
室町後期の筆寫らしく、全體にある朱點は小島のものだろう。故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本舊鈔本」が適切。
故宮新目下册七二二頁(新刊黎居士簡易方論 存一卷(存卷十二)一册。(宋)黎民壽撰。日本鈔本、日本天保八年小島質朱筆手校)箱號五〇三、觀字六七九號、天字〇七二八號、故觀號〇三四四八
日本四鍼眼原裝。香色中手表紙、書高二四・九×幅一六・七㎝。外題は題簽に「决脉精要/簡易卷十二重鈔/王月軒書本」を墨書。書根に「决脉精要」を墨書。序・目錄なし。卷首に「新刊黎居士簡易方論卷之十二/决脉精要」と題し、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、八行・行一五字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「佞宋(横書き)」「(鼎型印の胴に横書きで)佞宋」および楊氏藏印記三種。書末に墨筆で「旹 龍飛天正二年甲戌春三月十日書。/時寓治下大明國/王月/軒筆」、また朱筆で「天保八年丁酉復月望後一日、課津島佶、照聿修原鈔本一掃焉焉。/此書片山宗元手鈔、見惠 佞宋處士質記於燈下」の識語あって天保八年の筆寫。所々に朱筆で校字あり。僅かに蟲損。
故宮新目下册七二二頁(黎居士簡易方論 十一卷六册。(宋)黎民壽撰。日本鈔本)箱號四六九、觀字七六八號、天字〇八九四號、故觀號〇二五一二~〇二五一七
日本四鍼眼原裝。灰薄靑色中手表紙、書高二三・六×幅一五・四㎝。外題は「黎居士簡易方論 序目(一二~十一)」、また朱筆で「六號」、墨筆で「共六册」を記す。書根に「黎居士簡易方論 一(~六)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。景定改元年の包快「序」九葉、景定改元年の陳宗禮「序」三葉、景定改元年の鄧坰「序」二葉、開慶己未年の馮夢得「序」四葉、景定元年の陳謙亭「序」四葉、以下目錄。卷首に「黎居士簡易方論卷之一/盱 江水 月 黎 民壽 景仁撰」と題し、以下本文。跋なし。料紙は斐紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一二行・行二二字、小字雙行。「奚暇齋/讀本記」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ引用書なし。わずかに蟲損。
阿部志三〇二頁・故宮新目下册七二二頁(新刊仁齋直指方論 二十六卷六册。(宋)楊士瀛撰。宋末建安環溪書院刊本。日本丹波元堅跋)箱號六二、觀字號不明、天字〇七八八號、故觀號〇〇二六〇~〇〇二六五
後補日本五鍼眼裝。紺色艶出厚手表紙、書高二九・四×幅一九・三㎝。外題は題簽に「仁齋直指方論 序目(一之二~廿二之廿六)」を墨書。書根に「一(~六) 宋槧仁齋直指方論」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。景定甲子年の楊士瀛「序」二葉、「仁齋直指方論綱目」四葉、「新刊仁齋直指方論目錄/環溪書院刊行」二八葉。卷首に「新刊仁齋直指方論卷之一/三山名醫仁齋楊 士瀛登父 編撰/建安儒醫翠峯詹 宏中 洪道 校定」(卷二以降は題署なし)と題し、以下本文。跋なし。料紙は黄變竹紙で、綴じ目附近の蟲損著しく、楮紙で裏打ちする。卷一・二のみ薄葉斐紙の仿寫本。左右雙邊、小黑口・雙黑魚尾、上魚尾下に「仁直方(仁方直、仁直、仁方)(卷)幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・九×横一三・二㎝、一四行・行二四字、小字雙行。「武田文庫」「多紀氏/臧書印」「江戸醫學/臧書之記」「東京溜池靈/南衢第六號/讀杜艸堂主人/寺田盛業印記」「天下/無雙」「讀杜/艸堂」および楊氏藏印記三種。卷二末葉欄外に墨筆(澁江抽齋)で「右二卷、依京都福井氏崇蘭館所藏宋槧本補抄。如其漫漶不/鮮處、則依朝鮮國刊本填補、與兒恒善對讀校訖。癸卯閏月」年の識語。裏打ち後の蟲損少々。
故宮目は「宋末建安環溪書院刊本」と著錄するが、阿部志は「〔元〕刊環溪書院」に判断し、眞柳も版式(處方の黒地に白字、門名を跨行の大字に記して墨蓋子を載せる)・字體と紙質より建安刊の元版と判断する。裝訂からして、もと故宮新目下册六九一頁「類證增注傷寒百問歌四卷四册(箱號六四、觀字號・天字號なし、故觀號〇〇六七六~六七九)」、同目下册七〇八頁「新刊仁齋直指小兒方論五卷二册(箱號六二、觀字號なし、天字〇七八九號、故觀號〇〇二六・〇〇二七)」、同目下册七一五頁「醫學眞經察脈總括一卷一册(箱號六二、觀字號なし、天字〇七九〇號、故觀號〇〇二六八)」と同帙本。
故宮新目下册七二二頁(新刊仁齋直指附遺方論二十六卷 傷寒類書活人總括七卷 小兒方論五卷 醫脉眞經一卷 藥象一卷 十二册。(宋)楊士瀛撰。明嘉靖庚戍(二十九年)新安朱氏刊本)箱號一〇五一、觀字七七三號、天字〇七八六號、故觀號一〇七七九~一〇七九〇
日本四鍼眼原裝。黄色中手表紙、書高二五・〇×幅一五・九㎝。外題は靑緑の題簽に「直指方 一(~十一~傷寒總括)」を墨書。書根に「直指 一(~十二)」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。景定甲子年の楊士瀛「仁齋直指序」三葉、「仁齋直指附遺方論綱目」五葉、「新刊仁齋直指方論目錄/新安 歙西 虬川 黄鍍 刊行」四四葉。卷首に「新刊仁齋直指附遺方論卷之一/三山名醫仁齋楊 士瀛登父 編撰/新安後學惠齋朱 崇正宗儒 附遺」と題し(卷二以降はなし)、以下本文。跋なし。料紙は竹紙、有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「篇名」、魚尾下に「惠齋附遺卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・七×横一三・三㎝、一四行・行二四字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「久昌院/藏書(奈須恒德)」「奈須/恒德」および楊氏藏印記三種。卷二六末葉に墨筆で「天保戊戌五月廿日句讀、玄盅散人 「奈須/恒德」印記」の識語。
第九・一〇册は新刊仁齋直指小兒附遺方論。景定庚申年の楊士瀛「仁齋小兒方論序」二葉、「新刊仁齋直指小兒附遺方論目錄/(ここに文字なし)刊行」一二葉。卷首に「新刊仁齋直指小兒附遺方論卷之一/三山名醫仁齋楊 士瀛 登父撰次/新安後斈(學)惠齋朱 崇正 宗儒附遺」と題し、以下本文。跋文なし。
第一一册は新刊仁齋直指方論醫脉眞經。景定壬戌年の楊士瀛「醫學眞經序」一葉、「新刊醫學眞經目錄」三葉。卷首に「新刊仁齋直指方論醫脉眞經/三山名醫仁齋楊 士瀛 登父撰次/新安後學惠齋朱 崇正 宗儒附遺」と題し(卷二以降はなし)、以下本文。跋なし。
第一二册は新刊傷寒類書活人總括で、序なし、「新刊仁齋傷寒類書活人總括目錄」二葉、卷首に「新刊傷寒類書活人總括卷之一/三山名醫仁齋楊 士瀛 登父編撰/新安後學惠齋朱 崇正 宗儒 附遺」と題し(卷二以降はなし)、以下本文。跋なし。
全書に藍筆の讀點、欄上に朱筆で宋本・元本との校異あり。蟲損なし。
故宮新目下册七二二頁(新刊仁齋直指方論 二十六卷六册。(宋)楊士瀛撰。日本傳鈔朝鮮活字本。近人楊守敬手書題識)箱號六四、觀字七七五號、天字〇七八七號、故觀號〇〇七一五~〇〇七二〇
日本四鍼眼原裝。濃靑緑色厚手表紙、書高三二・〇×幅二一・五㎝。外題は題簽に「直指方 序目至三(~自廿三至廿六)」を墨書。書根に「一凡六(~六) 直指方」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼り、そのウラに楊氏自筆で宋本と元本の卷頭書名の角書「新刊・新編・增補」の比較を墨書。宣統庚戌年の楊氏「影鈔宋仁齋直指方二十六卷」の題識三葉、景定甲子年の楊士瀛「序」一葉、「仁齋直指方論綱目」三葉、「新刊仁齋直指方論目錄/環 溪 書 院 刊 行」四五葉。卷首に「新刊仁齋直指方論卷之一/三山名醫仁齋楊 士瀛登父 編撰/建安儒輩翠峯詹中 洪道 校定」と題し(卷二以降はなし)、以下本文。跋なし。薄葉斐紙に寫し、裏に厚葉三椏紙をあてる。原本での黒地白字は朱字で書く。有界、四周雙邊、版心白口・雙花魚尾の印刷罫紙で、魚尾間に「直指方論幾 葉次」を墨書する。每半葉匡郭、縱二〇・八×横一六・〇㎝、一二行・行一九字、小字雙行。「邨田/氏臧/書印」「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印(二種)」「字/學古」「學/古氏」および楊氏藏印記三種。卷一末葉に朱筆で「文政十三年十月二日、句讀於 西城直舍。質記」、卷二末葉に朱筆で「十月廿七日、直於 西城公暇讀訖。質」また藍筆で「文政辛巳臘月初六日、原本對讀。 邨田章記」、卷七末葉に朱筆で「文政辛巳十二月二十有一日、對校。 邨田 章識」、卷一四末葉に朱筆で「文政五年、歳在壬午閏月初五、原本對校。章記」、卷二〇末葉に朱筆で「文政四載仲春念五日、原本對校。 章誌」、卷二二末葉に朱筆で「文政壬午仲夏十三日、原本対校。 章記」、卷二六末葉に朱筆で「文政五年、歳次壬午初秋念六日、原本對讀了。章誌」の識語あり。一部欄上に朱筆で元版との校異書き入れ引用書。蟲損なし。
堂々とした大本で、朝鮮本の風格を伝える。また朝鮮本は環溪書院版を底本とすること、小島は環溪書院版を元版と判断していたことも分かる。
『芝田余居士證論選奇方』
故宮新目下册七二三頁(芝田余居士證論選奇方 存四卷(缺卷一)二册。(宋)余綱撰。日本傳鈔京師伊良子氏千之堂藏宋刊本、日本小島尚質手校竝題記)箱號一四六八、觀字九〇六號、天字〇九四二號、故觀號一三八五四・一三八五五
日本四鍼眼原裝。靑色中手表紙、書高二六・〇×幅一八・一㎝。外題は題簽に「影宋本證論選奇方後集 卷二卷三(卷四卷五)」、また楊氏が「=匁(二兩)」を墨書。書根に「選奇方後集 二三(四五)」を墨書。序・目錄なし。卷首に「芝田余居士證論選奇方後集卷之一(蟲損のため一に見えるが、実際は二、と小島が注記)」の内題(當一葉のみ影寫)、以下は普通レベルの筆寫。跋なし。料紙は上質薄葉楮紙で、楮紙で襯裝。無界、無邊、無魚尾、無版心。影寫部分は左右雙邊、有界、版心白口、黒魚尾、半葉匡郭、縱一八・一×横一二・六㎝、一〇行・行一九字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「醫師/臣尚質/印」「尚質/之印」「學/古氏」「葆素/所臧」および楊氏藏印記二種。卷三末葉に朱筆で「天保十四年五月廿四日、讀於西城侍醫廨舍。質識。是歳六月五日/校於葆素堂、又記」、卷四末葉に「天保癸卯六月初九日、西城公暇校訖。質記」、卷五末葉に「五月廿四日、官局中讀訖。質記。/六月初九日、西城公暇照校、又記」の識語。所々に朱筆で誤字訂正等あり。蟲損なし。
故宮目は「芝田余居士證論選奇方」と著錄するが、「芝田余居士證論選奇方後集」が適切。また「日本傳鈔京師伊良子氏千之堂藏宋刊本」と記すが、その根據の記載なし。あるいは別に後集ではない芝田余居士證論選奇方存四卷本があり、それが「日本傳鈔京師伊良子氏千之堂藏宋刊本」なのか。
故宮新目下册七二二頁(簡要濟衆方 一卷一册。(宋)周應等撰。日本攷古齋鈔本。日本丹波元堅跋)箱號不明、觀字七七九號、天字〇七六四號、故觀號〇四二五八
日本四鍼眼原裝。澁引き薄茶色中手表紙、書高二三・〇×幅一六・〇㎝。外題は「簡要濟衆方」、その下に楊氏が「一兩」を墨書。書根に「簡要濟衆」を墨書。見返しを剥がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし、目錄二葉。卷首に「簡要濟衆方/宋 周 應 等 撰」と題し、以下本文。書末に「書濟衆方後(東坡大全集より引用)」一葉、天保十二年の丹波元堅跋文一葉+二行(非自筆、云「醫方類聚」からの錄出)。料紙は楮紙に印刷した稿紙で欄外左下に「攷古齋鈔本」、有界、四周雙邊、白口・黑魚尾、版心に書き入れなし。每半葉匡郭、縱一七・四×横一二・五㎝、一〇行・行二三字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。識語・書き入れ引用等なし。蟲損少々。
故宮新目下册七二三頁・阿部志二六〇頁(本草集方 存八卷(存卷一~三、五~九)八册。不著撰人。金刊本)箱號六八、舊景陽宮本
後補中國四鍼眼裝。濃黄色艶出し薄手表紙、書高二六・九×幅一九・二㎝。錦布貼り二舊帙に收める。外題なし。序・目錄なし。卷首に内題以下を「本草集方卷之一/婦人門上(黑地に白字)/治百病諸虛不足/當帰四兩(以下小字雙行)味辛…/生地黄二兩(小字雙行)味苦…/右二味研爲細末…/…/治室女月經凝滞心煩恍惚/用銳白霜(小字雙行)性極/冷/細研爲末每服…」の書式で記す。跋等なし。料紙は朝鮮楮紙に似る藁繊維交じりの中國薄葉楮紙、破損部・版心切れを裏打ちし、中國襯紙を插む。字體は北方系(金版?元版?)。有界、左右雙邊、版心白口・雙黑魚尾、象鼻に刻字數、魚尾間に「卷幾」、下象鼻に葉次と刻工名を刻す。刻工は方(萬?)、劉二□、方榮、方祐、方人など。どうも缺筆なく、丸に圓を使う。每半葉匡郭、縱二〇・三×横一四・七㎝、一〇行・行一六字、小字雙行。「北山/墨荘」の藏印記一種のみ。識語・書き入れ等なし。補修後の蟲損なし。
婦人門・小兒門・傷寒門と編じる通常の方書で、所載處方の藥味の個々にほぼ全て「性・味・七情・別名・加工」等が記される。それ故、書名に本草を稱すると判斷される。中國大陸亡佚書で、日本等にもない孤本。
故宮新目下册七二三頁(新刻全補醫方便懦 存一卷(存卷一)一册。(金)李杲撰。日本傳鈔明書林喬山堂刊本。日本天保八年小島質手書題識)箱號四六九、觀字七九四號、天字〇九一三號、故觀號〇二五七三
日本四鍼眼原裝。靑綠色中手表紙、書高二二・六×幅一六・五㎝。外題は四周雙邊の題簽に「醫方便懦」を墨書。書根に墨記なし。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。本來の封面に、四周雙邊で上段に横書きで「喬山書舍」、下段に縱書きで「(以下大字)精鐫全補/(以下小字)大醫院校刊/(以下大字)醫方便懦」あり。序・目錄なし。卷首に「新刻全補醫方便懦卷之一/東垣 李 杲 撰輯/後學 呉望皐 校正/書林 喬山堂 刊行」と題し、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行二五字。「小嶋氏/圖書記」「東井文庫」および楊氏藏印記四種。書末に「天保八年丁酉八月六日、寶素南樓閲此卷、/佞宋道人識」の識語。書き入れなし。蟲損なし。
故宮目は著者を「(金)李杲撰」と著錄するが、「傳(金)李杲撰」が適切。
故宮新目下册七二四頁(癸巳新刊御藥院方 十一卷五册。(元)許國禎撰。日本寬政戊午(十年)精思堂活字本)箱號不詳、觀字八〇八號、天字〇八三七號、故觀號〇一三九五~〇一三九九
日本四鍼眼原裝。濃靑綠色菱目押し紋中手表紙、書高二七・〇×幅一八・四㎝。外題は四周雙邊の黄色題簽に「御藥院方 一(~五)」を印刷。書根に「御藥院方 一(~五)」を墨書。至元丁卯年の高鳴「御藥院方序」一葉、目錄二〇葉。卷首に「癸巳新刊御藥院方卷之第一」の内題、以下本文。書末に重九歳の丹波元簡跋一葉、寬政戊午年の千賀芳久跋一葉、また當版は乾隆聚珍の活字方式で二五〇部を刷るという刊行跋を附す。奧附なし。料紙は黄蘗(鬱金?)染め薄葉楮紙、有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「御藥院方」、魚尾下に「卷幾」、下象鼻に「葉次 精思堂」を刻す。每半葉匡郭、縱二一・〇×横一五・六㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「炑□/茶寮/之記」「朱師/轍觀」「千賀書/庫印記」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。表紙の蟲損は著しいが、黄蘗染めの紙部分で停止する見事な效果。中に東京日本橋・須原屋茂兵衛の先哲叢談續編(二・二五圓)・東坡尺牘(〇・八圓)・操觚字訣(一・八五圓)の宣傳紙一枚を插む。
故宮目は「日本寬政戊午(十年)精思堂活字本」と著錄するが、「日本寬政戊午(十年)跋精思堂活字本」が適切。
故宮新目下册七二四頁(仁存孫氏治病活法祕方 存九卷(缺卷一)五册。(元)不著撰人。日本文化二年丹波元簡手鈔本)箱號五六七、觀字八一二號、天字〇七六七號、故觀號〇四二六一~〇四二六五
日本四鍼眼原裝。澁引き薄茶・茶色艶出中手表紙、書高二四・三×幅一六・一㎝。外題は題簽に「仁存孫氏治病活法祕方 九十」(前四册は剝離して缺落)を墨書。書根に墨記なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし。綱目三葉、目錄多數葉。卷一缺。卷首に「仁存孫氏治病活法祕方卷之二」の内題、以下本文。跋なし。料紙は上質薄葉楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一二行・行二四字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「尚質/校讀」「江戸小/島氏八/世醫師」および楊氏藏印記三種。卷三末葉に朱筆で「癸卯五月、因福鴻臚晉附簽見還、朱筆記於此方(朱以下の文字は蟲損し、推定)。/斯書謄寫未校之故耳」、卷七末葉に「據京鈔、朱筆校補」、「癸卯夏五、據福鴻臚標記見還、朱筆校補」、卷一〇末葉以下に墨筆で文化乙丑の丹波元簡識語を轉寫。まれに誤寫・誤字等を朱筆で訂正。いささか蟲損。
故宮目は「日本文化二年丹波元簡手鈔本」と著錄するが、「日本〔江戸後期〕傳鈔日本文化二年丹波元簡手鈔本」が適切。
故宮新目下册七二四頁・阿部志三〇八頁(新編醫方大成 十卷(卷三、四抄配)九册。(元)孫允賢撰。明初鄭氏宗文書堂刊本)箱號六四、觀字號なし、天字號なし、故觀號なし
日本四鍼眼裝。香艶出厚手表紙、書高五・六×幅一八・二㎝。外題は題簽に篆書で「醫方大成」、右下に「見存八册」を墨書。書根に「醫方大成 一(~十)」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。扉前に薄葉斐紙に「據坊本大成論、漫補半面」と注記した序文頭半葉(當本の缺落部)、また當序末尾の缺落半葉も模寫して該當部に插む。辛酉至治初元年の王元福「序(模寫各半葉二枚を含む)」二葉。目錄二〇葉(途中の各二葉は半葉を缺)、その冒頭に四周單邊の刊行序、末尾に四周單邊の木記「鄭氏宗文書堂新刊」(本文と違い、明初の字形、また補刻のため界線の切れが見える)あり。卷首に「新編醫方大成」の内題、以下本文。卷三・四は中葉斐紙で襯紙に楮紙を插み、精緻な仿寫。跋なし。料紙は竹紙で全體を日本楮紙で裏打ち、有界、左右雙邊、版心線黑口・三黑魚尾、上魚尾間に「醫方(卷)幾」、下魚尾間に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・三×横一三・一㎝、一四行・行二四字、小字雙行。「啓廸院」「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「江戸小/島氏八/世醫師」「與子鐙/前共/讀書」「葆素/所臧」「杉垣簃/珍藏記」および楊氏藏印記四種。序文末尾に墨筆で當版書名中の「大」字は修刻(確かに大字の一は他の字より右肩上がりが少ない)につき、本來の書名は醫方集成だった等と論ずる識語(案此本、每卷大字似後人改補、則知舊本必是集字。然未錄宣明拔粹諸方、猶在于彥明重修之前必矣。野樵溪白雲續藏及福榕亭崇蘭堂本皆題新編南北經驗醫方大成、而每門未有宣明瑞竹拔粹諸方者、則熊彥明所加也。/又案序文及目錄前木記中大字、亦後人補改)。卷一末葉に墨筆で「據明初重修本、補塡刓缺」、卷二末葉に「據明初重修本、補字」、卷四末葉に墨筆で「弘化二年乙巳之秋、借鈔平安典藥大允高階眞人經宣家藏明代改補元刊本。/開卷題目、大字係後人改刻、卷末集字(卷四末尾は「新編醫方集成卷之四」に作る)猶是舊觀也。余家所藏本與此/本行款不同、則知元代刊不止一種而已行。觀棊生小叟誌」、卷五後表紙見返し部に文安三年に記された處方簽(中間が切斷される)を貼り、「是僅片帋、舊插此本中、裝背時工人截失中間、亦可惜耳。聊取貼于茲。是亦/與寬正剳記筆跡相同、當是鰡流所記者耶。丁未十二月七日識。質」、卷八册末尾に寬正三年の處方簽(苦參丸)を插み貼り「此紙插貼卷中、今背裝時附于末。寬正距今三百八十餘年、亦足證此本傳于吾之久焉」の識語。全書に江戸以前の朱點、墨筆音訓あり。卷六末尾に室町期の處方簽(葉氏消氣散等)を插み貼る。蟲損なし。
小島の判定に間違いなく、當本は元刻・明初修印本と認められる。故宮目は「明初鄭氏宗文書堂刊本」と著錄するが、「明初鄭氏宗文書堂修印本」が適切。
故宮新目下册七二四頁(醫方大成論 不分卷一册。(元)孫允賢撰。日本江戸間鈔本)箱號三八九、觀字八〇五號、天字〇八四四號、故觀號〇一四〇八
日本四鍼眼裝。澁引き茶色厚手表紙、書高二五・九×幅二〇・四㎝。外題は「古鈔本醫方大成論」を墨書。書根に「大成論」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。目錄一葉、無記年の「南北經驗醫方大成 宗文書堂新刊(序)」七行、辛酉至治初元年の王元福「序」は前の刊行序も含め二葉。卷首に「醫方大成論 文江孫允賢編集」と題し、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、無界、四周單邊二段、白口・無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行一六字。「博愛堂記」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。書末に「辛巳十月二十三日、多紀安長所贈。源質藏」の識語。全書に鼇頭注および書き入れあり。蟲損なし。
故宮目は「日本江戸間鈔本」と著錄するが、「日本舊鈔本」が適切。
故宮新目下册七二四頁(瑞竹堂經驗方 十五卷三册。(元)薩德彌實撰。日本江戸末期鈔本。日本小島質手校竝題記)箱號三八九、觀字八〇〇號、天字〇八二九號、故觀號〇一三五八~〇一三六〇
日本四鍼眼原裝。澁引き茶色厚手表紙、書高二三・三×幅一六・三㎝。外題は「瑞竹堂經驗方 影鈔元板 一之六(~十之十五)」を墨書。書根に「瑞竹堂 上(中、下)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。泰定丙寅年の王都中「瑞竹堂經驗方序」二葉(末尾に寶素の墨筆で「右王都中序、元本缺、模明高濂刊本補」の注記)、目錄なし。卷首に「瑞竹堂經驗方卷之一」の内題、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一〇行・行二三字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記四種。卷一末葉に朱筆で「天保二年秋盡日、照山本子恭碧梧亭藏元版影鈔原本、與/奈須菊庵同校、更參高深甫校刊本、朱筆補字。時夜/未央矣。質誌」、卷六末葉に藍筆で「辛卯十月朔、據碧梧亭原鈔本、一校於寶素堂/中。奈須菊庵對讀。質記」、卷七末葉に朱筆で「十月二日、照碧梧亭鈔本、及高深甫校刊本、與奈須柳邨及/其嗣菊庵同校、於奈須氏之久昌院。質志」、卷九末葉に朱筆で「十月三日同校畢。花押」、卷一五末葉に朱筆で「天保辛卯孟冬初四日、據山本子恭惟直碧梧亭影鈔元版本對校、旁參/高深甫校刊本、及御書樓唐板書中所載永樂大典採輯本、補塡缺文。/友人奈須柳邨、其嗣菊庵、爲予同讀。質誌於奈須氏之久昌院」「壬辰三月廿六日謁山本子恭先生、問以此書元刊藏誰氏家。曰、是典藥頭/半井氏儲藏、予私從其門人某、借鈔也。先生時年八十、而手不釋/卷、殆可嘉尚耳」の識語。また書末に「天保壬辰正月十八日夜半、筆記。質」の墨筆で臨川呉澄集より「瑞竹堂經驗方序」半葉强、程文海鉅夫雪樓集から薩德彌實の一文、醫學源流から薩氏の傳を引用。各所に朱筆の校異あり。蟲損ほぼなし。
當本はいわゆる影鈔元板というほどのレベルでもない。
故宮新目下册七二四頁(永類鈐方 二十二卷九册。(元)李仲南撰。日本傳鈔明正統間晉州官刊本。日本丹波元堅朱校)箱號四六九、觀字號なし、天字〇八九二號、故觀號なし
日本五鍼眼原裝。薄綠靑色中手表紙、書高二九・七×幅二〇・一㎝。外題は「永類鈐方 卷一卷二(~卷二十卷二十一卷二十二)」を墨書。書根に「一(~九) 永類鈐方」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。延祐丙辰年の官滕賓「錫類鈐方序」二葉、至順二年の李仲南「序」二葉、「永類鈐方類目」八葉半、以下「仙翁葛君施食捷法」約一葉半、「集錄簡要方便濟利實驗十事」二葉、「靈寶度人經法」五葉、「診候六脈(脈診部位圖あり)」一葉。卷首に「永類鈐方卷第一/碧 山 李 仲南 集成/靑 原 孫 允賢 校定」と題し、以下本文。書末に正統戊午年の昌山成跋一葉。料紙は斐紙、有界(一部無界)、四周單邊、白口・無魚尾、無版心。每半葉匡郭、縱二二・七×横一六・一㎝、一三行・行二七字、小字雙行。「奚暇齋/讀本記」および楊氏藏印記三種。卷二末葉に朱筆で「辛丑三月廿五日校讀。堅」、卷一〇末葉に朱筆で「辛丑歳首夏三日、校讀于西城醫局」、卷五末葉に朱筆で「辛丑三月廿九日校讀。堅」、卷八末葉に朱筆で「辛丑四月二日校過」、卷一二末葉に朱筆で「天保十二經年四月七日、校讀一過」、卷一三末葉に朱筆で「天保十三年四月十一日、校于醫局」、卷一六末葉に朱筆で「辛丑首夏十四日、校」、卷一九末葉に朱筆で「天保十二年四月望、校于西城直舍」、卷二二末葉に朱筆で「天保辛丑初夏十九日、校」の識語。處々に原本との朱筆校異あり。少々蟲損。
故宮新目下册七二四頁(世醫得效方 二十卷(卷十九、二十抄配)十册。(元)危亦林撰。明翻刊元至正三年陳志本)箱號六四、觀字號なし、天字號なし、故觀號なし
日本四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二二・七×幅一三・〇㎝。外題は「世醫得效方 目錄(自一至二~自十九至二十)」を墨書。書根に墨記なし。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る(第二册以降の扉等には目次を墨書)。至元五年の太醫院「序」三葉、至元四年の王充耘與耕「危氏世醫得效方序」四葉、至元三年の危亦林「世醫得效方序」四葉、至正三年の陳志「序」二葉、至元三年の太醫院申行文二葉(斐紙に補抄、「癸卯四月十九日、據中川氏藏元版舊人/補鈔、錄焉。「尚質/校讀」の印記)、「世醫得效方綱目」一葉、目錄六九葉。卷首に「世醫得效方卷第一(跨行)/建寧路官醫提領陳 志 刊行/南豐州醫學敎授危亦林 編集/江西等處官醫副提擧余 賜山 校正」と題し、以下本文(ここに薄葉斐紙に卷一半葉を『留眞譜』樣に模寫した習書一枚を折り疊み插む)。卷一九・二〇は日本楮紙に補寫。跋なし。料紙は竹紙、有界、四周雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「得效方(卷)幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一七・八×横一一・三㎝、一一行・行二二字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「醫師/臣尚質/印」「寶素堂」「尚質/校讀」「寶素堂/收臧醫/書之記」「江戸小/島氏八/世醫師」「葆素/所臧」および楊氏藏印記四種。まれに朱點、墨筆で元版との校異あり。いささか蟲損。
版式・字形から明・成化~正德頃の刊本らしい。故宮目は「卷十九、二十抄配」と著錄するが、「卷十九、二十日本〔江戸後期〕抄配」が適切。
故宮新目下册七二四頁(世醫得效方 存二卷(存卷十七、十八)一册。(元)危亦林撰。日本傳鈔元建寧路陳志刊本)箱號不詳、觀字八〇三號、天字〇七六〇號、故觀號〇四二四六
日本四鍼眼原裝。香色中手表紙、書高二六・〇×幅一八・三㎝。外題は題簽に「世醫得效方 拾柒拾捌」、また楊氏がそこに「一匁(兩)」を墨書。書根に「得效方 拾柒拾捌」を墨書。卷首に「世醫得效方卷之十七/建寧路官醫提領陳 志 刊行/南豐州醫學敎授危 亦林 編集/江西等處官醫副提擧余 賜山 校正」と題し、以下本文。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、一二行・行一九字、小字雙行。「邨田/氏臧/書印」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記二種。識語・書き入れ等なし。蟲損わずか。
故宮目は「日本傳鈔元建寧路陳志刊本」に作るが根據不足、「日本傳鈔〔元建寧路陳志刊〕本」が適切。
故宮新目下册七二四頁(世醫得效方 存六卷(存卷三、四、八、九、十、十一)三册。(元)危亦林撰。朝鮮舊刊本)箱號六四、觀字號なし、天字〇七六一號、故觀號〇〇六八〇~〇〇六八二
日本四鍼眼裝。茶色中手表紙、書高二三・七×幅一五・二㎝。外題は題簽に「世醫得效方 三四(十十一)」、そこに楊氏が「三兩」を墨書。表紙右下に「零六卷三册」、書根に「世醫得效方」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。卷首に「世醫得效方卷第三(跨行)」の内題、以下本文。料紙は朝鮮楮紙、有界、四周單邊、版心線黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「得效方(卷)幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・二×横一一・六㎝、一一行・行二二字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。識語なし。ごく一部欄上に墨筆書き入れあり。少々蟲損。第一册は日本薄葉楮紙で裏打ち、第二・三册は同紙で破損部を補修。
版式の一致より、當版の底本は前々揭の明・成化~正德頃刊本と推定される。
故宮新目下册七二四頁(新刻官板祕傳加減十三方 一卷一册。(元)徐和用撰。明刊本)箱號五六七、觀字八一〇號、天字〇七六五號、故觀號〇四二五九
日本五鍼眼裝。鶯色菱目押し紋厚手表紙、書高二四・一×幅一四・二㎝。外題は「加減十三方/外科經驗良方」、その下に楊氏が「一兩」を墨書。書根に「加減十三方」を墨書。書頭に楊氏寫眞藏書票を插み貼る。序なし。「新鍥官板加減十三方目錄」二葉。卷首に「新刻(これは當部を破り去り、後で補綴した紙に墨書された文字。本來は「新鍥」と刻されていたか?)官板加減十三方卷之四/茭山 呉 球 校」と題し、以下本文一二葉。さらに「新刻官板祕傳外科經驗良方卷之五」の内題、以下本文四〇葉。跋・刊記等なし。料紙は竹紙、有界、四周雙邊、版心白口・雙黑魚尾、象鼻に「十三方(外科方)」、魚尾間に「卷四(五)」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・四×横一三・二㎝、一一行・行二五字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記四種。識語・書き入れ等なし。蟲損わずか。
故宮目は「新刻官板祕傳加減十三方 一卷一册。(元)徐和用撰。明刊本」と著錄するが、「新刻官板祕傳加減十三方一卷(卷之四)、新刻官板祕傳外科經驗良方一卷(卷之五) 合一册。〔(元拯)徐和用撰〕。明刊本」が適切。
故宮新目下册七二四頁(新鍥官板祕傳加減十三方 一卷一册。(元)徐和用撰。日本影鈔明萬曆鄭氏刊茭山呉球校本。日本小島質手校竝題記)箱號三八九、觀字八〇九號、天字〇八三五號、故觀號〇一三八四
日本四鍼眼原裝。澁引き茶色中手表紙、書高二四・一×幅一六・九㎝。外題は「加減十三方/影鈔鄭繼華梓/茭山呉球校本」を墨書。書根に「加減十三方」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし、「新鍥官板祕傳加減十三方目錄」一葉。卷首に「新刻官板祕傳加減十三方/明 徐和用撰 茭山 呉 球 校」と題し、以下本文。書末に四周單邊の花木記で「萬曆新歳穀/旦鄭繼華梓」とある。料紙は薄葉斐紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉一一行・行二五字、小字單行。「小嶋氏/圖書記」「尚質/校讀」および楊氏藏印記四種。目錄裏面に朱筆で校勘書の書誌を以下のように記す。
「己丑校勘諸本/拯急遺方本 永嘉葉、尹賢合斯書及急救卅九方爲一帙、刊而傳之。宣德三年秋、臨江/府清江縣儒学訓導、汪賓序。同年十一月奉訓序、慶州儒学/敎授官尹尚信跋。十三方後附。永樂十一年八月、蔣蘷呈進表、聿修堂影鈔朝鮮本。/別本 聿修堂鈔本。題祕傳加減十三方。茭山呉球校、與斯本同種、別刊行者。/享和本 享和二年、奈須恒德刊而行之。題隨身備用加減十三方。首載蔣蘷表文、末附蔣蘷跋/文、大略與葉本同。唯每藥味下注性味炮炙法、頗似煩冗。恐 皇朝慶元(慶長元和)間人所加/耳。吾家藏古鈔拯急遺方本一通、亦注文與享和本小同大異。益知注文續附也。/成化本(以下無記文)」。
書末木記餘白に辛巳年の丹波元胤識語、以下宣德三年の汪賓「拯急遺方序」、永楽一一年の蔣蘷「識語」、宣德三年の尹尚信「跋」、無記年の蔣蘷「識語」、文政一一年の小島質題識二葉强あり。全書に朱筆で校異あり。蟲損なし。
〔明代醫方書〕
故宮新目下册七二五頁(祕傳證治類方 十二卷一册。(明)戴元禮輯。日本武村新兵衛翻刊明王肯堂本)箱號三八九、觀字八一八號、天字〇八四一號、故觀號〇一四〇三
日本四鍼眼原裝。濃紺色厚手表紙、書高二五・七×幅一七・九㎝。外題は四周雙邊の題簽に摩滅で不詳文字を印刷。書根に「證治類方」を墨書。序・目錄なし。卷首に「祕傳證治類方卷一/太醫院使戴元禮 集/漆園世人陳 岐 校刻/念西居士王肯堂重校刻」と題し、以下本文。跋なし。卷一二末葉に「二條通大恩寺町/書肆武村新兵衛刊行」の刊記、奧附に「弘化三年丙午初夏/皇都書林 御幸町御池下ル町/菱屋孫兵衛」とある。料紙は楮紙、無界、四周單邊、版心白口・白魚尾、象鼻に「證治類方」、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・四×横一三・五㎝、一〇行・行二一字、小字雙行。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
故宮目は「日本武村新兵衛翻刊明王肯堂本」と著錄するが、「日本武村新兵衛翻刊日本弘化三年菱屋孫兵衛後印明王肯堂本」が適切。本書を戴元禮の所輯とするのは假託で、元末明初一四世紀後半の作。
故宮新目下册七二五頁(魁本袖珍方大全 四卷十册。(明)朱橚撰。明正德丁卯(二年)楊氏書堂刊本)箱號三八九、觀字號なし、天字〇八一〇號、故觀號なし
日本四鍼眼裝。澁引き赤茶艶出中手表紙、書高二五・四×幅一六・〇㎝。外題は題簽に「袖珍方(墨) 幾(朱)」を書す。書根に「一(~十) 袖珍方」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし、目錄一册(卷二首に岐伯、卷三首に扁鵲・王叔和、卷四首に孫思邈の繪圖あり)。卷首に「魁本袖珍方大全卷之一(跨行)」の内題、以下本文。卷四末に四周雙邊で「皇明正德丁卯季春/楊氏□□(空格)書堂重刊」の木記、跋なし。料紙は竹紙、日本楮紙で裏打ち、有界、四周雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「袖珍方大全幾卷」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・二×横一三・七㎝、一七行・行三〇字、小字單行。「奚暇齋/讀本記」「東京溜池靈/南衢第六號/讀杜艸堂主人/寺田盛業印記」「天下/無雙」および楊氏藏印記三種。識語なし。處々に朱墨で誤字訂正等あり。中に「袖珍方」と墨書した英文紙片が挾まれている。いささか蟲損。
故宮新目下册七二四頁(急救仙方 存二卷(存卷十、十二)一册。不著撰人。日本鈔本)箱號四六九、觀字九一四號、天字〇八九六號、故觀號〇二五一九
日本四鍼眼原裝。ベージュ色薄手表紙、書高二七・三×幅一八・八㎝。外題は四周單邊の題簽に「急救仙方 十 十一」、右下に「共四册」を墨書。書根に「四 急救仙方」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。卷首に「急救仙方卷之十」の内題、以下本文。卷一一末に洪武二十九年の劉潣(?潤?)然の跋(靑嚢雜纂中本より轉錄と記す)半葉强。これ以降に灸四花穴法・圖四葉を附す。料紙は上質楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、九行・行一九字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。書末に朱筆で「文政辛巳九月十四日、與彥庵同校過。/博古主人記」の識語。處々に朱筆で誤字訂正等あり。蟲損なし。
『衛生易簡方』
故宮新目下册七二五頁(衛生易簡方 十二卷附錄一卷四册。(明)胡濙撰明刊黑口本)箱號五六七、觀字號なし、天字〇七六八號、故觀號なし
日本五鍼眼裝。ベージュ色厚手表紙、書高三一・九×幅一八・三㎝。外題は四周雙邊の題簽に「易簡方/元(~貞)/一之三(~十之十二)」を墨書。書根に「易簡方元(~貞)」を墨書。嘉靖四一年の李春芳等「刊行敕文」二葉、宣德丁未年の楊士奇「衛生易簡序」二葉、永楽二一年の胡濙「進衛生易簡表」八葉、目錄五葉。卷首に「衛生易簡方卷之一」の内題、以下本文。書末に永樂甲辰年の胡濙「跋衛生易簡方後」二葉、宣德丁未年の夏原吉「跋」四葉、宣德二年の楊榮「衛生易簡方後」三葉、宣德二年の黄淮「書衛生易簡方後」三葉、宣德二年の金幼孜「書衛生易簡方後」三葉、宣德丁未年の楊溥「書衛生易簡方後」二葉、金華貝「衛生易簡方後題辭」三葉、宣德二年の曾棨「書衛生易簡方後」三葉、無記年の王英「跋」二葉、無記年の王直「題衛生易簡方後」二葉。料紙は白棉紙、部分的に日本紙で裏打ち、有界、四周雙邊、版心大黑口・黑魚尾、魚尾下に「易簡方元(~貞) 葉次(册每)」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・八×横一六・四㎝、一〇行・行二〇字、小字なし。「方啓院」「小嶋氏/圖書記」「寶素堂」「江戸小/島氏八/世醫師」「佞宋」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記二種。識語・書き入れ等なし。裏打ち補修後も蟲損少々。
故宮目は「明刊黑口本」と著錄するが、「明嘉靖四十一年序刊黑口本」が適切。
故宮新目下册七二五頁(新刊京本活人心法 二卷一册。(明)涵虗子撰。朝鮮刊本)箱號一四六八、觀字八一三號、天字〇九八〇號、故觀號一三九四一
中國(楊氏)四鍼眼原裝。濃紺色薄手表紙、書高二七・三×幅二〇・三㎝。外題は四周雙邊の印刷題簽に「臞仙活人心法/涵虗子撰/朝鮮刊本 二兩」を楊氏が墨書。書根に「活人心法」を墨書。新補の扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。無記年の臞仙「臞仙活人心序」二葉、目錄二葉。卷首に「新刊京本活人心法上卷/玄州 道人 涵 虗子 編」と題し、以下本文。書末に無記年の竹溪山人「跋」半葉。料紙は朝鮮楮紙、有界、四周雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「心(上)下 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二三・六×横一六・八㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。楊氏藏印記三種および不詳印記三種。識語なし、處々に訓點・送り假名・音訓の書き入れ(江戸初前後か)あり。蟲損なし。
當本は朝鮮整版で、日本の舊藏書。
故宮新目下册七一八頁(千金寶要 六卷二册。(唐)孫思邈撰。日本影抄明嘉靖間本)箱號三八九、觀字七三二號、天字〇八一五號、故觀號〇一二九八・〇一二九九
日本四鍼眼原裝。薄ベージュ色薄手表紙、書高二七・〇×幅一八・八㎝。外題は四周單邊の朱線枠に「千金寶要 一之四(五之八)」を墨書。正德一一年の郭勛「重刊千金寶要序」四葉、宣和六年の郭思「千金寶要序」三葉、嘉靖丁酉年の陸深「重刊千金寶要序」二葉、目錄一葉。卷首に「千金寶要卷之一/前徽…河陽郭思纂/陝西西安府…劉整補校重鐫石」、以下本文。書末に正統甲子年の張楷「千金寶要後序」二葉、嘉靖一六年の張翰「跋千金寶要後」二葉。料紙は薄葉斐紙、册頭數葉は有界・四周單邊(他は無界・無邊)、版心白口・雙黑魚尾、魚尾間に「千金寶要卷幾」、下象鼻に葉次。每半葉匡郭、縱二〇・九×横一五・四㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「與子鐙/前共/讀書」「臣尚質」および楊氏藏印記三種。卷一末葉に朱筆で「弘化二年三月廿二日、據刊本校讀於西城直舍樓上。質記」、卷二末葉に「三月廿三日、原刻校讐」、卷三末葉に「孟夏二日、西城直舍讐校」、卷四末葉に「孟夏二日、直舍樓上日西、又校斯卷。後一日/更照孫淵如重校隆慶本、即爲朱校」、卷五末葉に「弘化三季丙午復月十又一日、奉敎宿於日比谷/醫局、公暇校過第十八第十九兩板。原本鈔補、/審定明末清初人筆蹟。質挑燈火記」、卷六末葉に「後□(復月?)十一日、□比(?)參醫局本/校此卷」、卷七末葉に「丙午十一月望前一夕、宿於日比谷醫局、/半夜挑燈校過此卷。時寒凍呵筆記。質」、書末に「此初棗本、係平安福井晉崇蘭館所藏。借鈔/已畢、手校於日比谷之醫署。兼照孫淵如校刊/隆慶本朱補缺文。時丙午十一月望日也。質呵凍/識」の識語、また讀書敏求記より本書の解題を引用朱記する。上欄に朱筆校異あり。少々蟲損。
故宮目は「(唐)孫思邈撰」「日本影抄明嘉靖間本」と著錄するが、「傳(唐)孫思邈撰」「日本〔江戸後期〕影抄明嘉靖間本」が適切。
故宮新目下册七二五頁(太醫院經驗奇效方 存五十四卷(缺卷四~八、四十三~五十一、六十三)十六册。(明)方賢撰。明正德六年劉氏日新堂刊本)箱號三八九、觀字八四五號、天字〇八〇九號、故觀號なし
日本四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二五・一×幅一四・九㎝。外題は「奇效良方 序目(~六十五)」を墨書。書根に「一(~十六)奇效良方」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。成化六年の商輅「奇效良方序」四葉、成化六年の萬安「奇效良方序」四葉、成化七年の姚蘷「奇效良方序」四葉、成化七年の陳鑑「奇效良方序」四葉、方賢以下太醫院の纂集者計七名を列記一葉、總目二葉、目錄九〇葉。卷首に「太醫院經驗奇效良方大全卷之一/奉政大夫大醫院 使呉興方賢 纂集/脩職郎太醫院御醫臨江楊文翰校正」、以下本文。「奇效良方瘡疹論卷之六十五」に紹定庚寅年の無名氏「奇效良方瘡疹論序」を前附する。卷六九末葉に四周雙邊で「正德六年辛未孟夏吉旦/書房劉氏日新堂謹依官/本謄寫募工繡梓行於天/下公共觀焉」の木記、書末に成化九年の岳正「奇效良方後序」三葉あり。料紙は竹紙(日本補寫部分は中葉斐紙)、有界、四周雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、上魚尾下に「奇效良方幾卷」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・二×横一二・九㎝、一三行・行二四字、小字雙行。第二・三・四序および纂集者名・總目、卷一・二・三・四二後半・卷六四冒頭半葉は日本補寫。「與住草屋」「野間氏/臧書印」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。識語なし。各所に訓點・朱點・朱引き、欄上に墨筆で音訓あり。少々蟲損。
故宮目は「太醫院經驗奇效方」と著錄するが、「太醫院經驗奇效良方大全」が適切。
故宮新目下册七二五頁(群書鈔方 不分卷一册。(明)丘濬撰。日本江戶間鈔本、日本小島質手書題識、竝過錄丹波元堅題識)箱號三八九、觀字八四二號、天字號なし、故觀號〇一四二〇
日本四鍼眼原裝。紺色中手表紙、書高二三・一×幅一五・八㎝。外題は四周單邊の題簽に「群書鈔方 全」を墨書、その餘白に楊氏が「一兩」を墨書。書根に「群書鈔方」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。成化戊戌年の海澄「群書鈔方引」二葉、目錄なし。卷首に「群書鈔方」、以下に甲午年の丘濬の自序と本文。書末に成化一八年の誠庵老人「跋群書鈔方後」三葉。料紙は斐紙で襯紙に楮紙を插む、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、八行・行一八字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「寶素堂」「葆素/所臧」および楊氏藏印記六種。跋文以下に天保戊戌年の丹波元堅の識語を轉寫、次に墨筆で「壬寅冬月、觀斯書刊本、於京師之千山萬井樓中。樓者、/大醫博士源需之所棲也。需號(福井)榕亭、齡九十一、亦醫仙也。質/識」、朱筆で「天保辛丑初夏、雨(兩?)□校訖。佞宋道人、質誌」、墨筆で天保一二年四月二五日の識語あり。全書に朱點と朱引きあり。少々蟲損。
故宮目は「日本江戶間鈔本」と著錄するが、「日本〔江戶後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七二五頁(簡易普濟良方 六卷三册。(明)彭用先撰。明嘉靖辛酉(四十年)贛州知府胡慥刊本)箱號三八九、觀字八四一號、天字〇八一八號、故觀號〇一三二〇~〇一三二二
日本四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二七・〇×幅一七・一㎝。外題なし。書根に「上(中、下) 簡易普濟良方」を墨書。序なし、目錄五葉。卷首に「簡易普濟良方卷之一/廬陵彭用光編集」、以下本文。卷六末葉に嘉靖辛酉年の彭用光「跋」半葉、書末に嘉靖辛酉年の胡慥「書簡易普濟良方後」一葉。料紙は中國楮紙、有界、左右雙邊、版心白口・白魚尾、象鼻に「簡易普濟良方」、魚尾下に「卷之幾 葉次 刻工名」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・四×横一二・七㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「人見元/德藏書」「德(丸陽刻)」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れなし。ほぼ蟲損なし。
故宮目は著者を「彭用先」と著錄するが、「彭用光」が適切。
故宮新目下册七三〇頁(古今醫統 存八十五・三十四册、缺卷六・卷六十六~七十九卷。(明)徐春甫撰。明隆慶四年葛守禮等刊本)箱號四六九、觀字八四三號、天字〇九二四號、故觀號〇二六四〇~〇二六七三
日本四鍼眼原裝。香色薄手表紙、書高二五・七×幅一六・三㎝。外題は無邊の題簽に「古今醫統 序一(~九十九百)」を墨書。書根に「醫統 一序(~九十九百)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。見返しに四周單邊で「太醫院攷訂/古今醫統/金陵唐氏藏版」、無記年の湯世隆「古今醫統序」二葉、無記年の沈一貫「古今醫統序」二葉、無記年の頴陽許「古今醫統序」二葉、隆慶庚午年の王家屏「古今醫統序」二葉、無記年の沈一貫「古今醫統序」二葉、無記年の孟麟「古今醫統序」二葉、「古今醫統採摭書目」一七葉、目錄三三葉、凡例三葉、助梓縉紳諸公氏號二葉。卷首に「古今醫統大全卷之一」、以下本文。また卷二には嘉靖丁巳の徐春甫「内經要旨序」があり、「古今醫統大全卷之二/都察院掌院事左都御史前刑部尚書葛 捐 俸 梓/新安徐春甫編集/太倉支秉中校正」とし、以下本文。跋文なし。料紙は中國薄葉楮紙、有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「古今醫統 篇名」、魚尾下に「卷之幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一九・六×横一三・八㎝、一〇行・行二六字、小字雙行。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記五種。一部に薄藍點・朱點ある以外、書き入れ引用書等なし。いささか蟲損。卷四六末・八七・九〇目錄一部が日本の補寫につき日本舊藏書だが、日本の藏印記はなし。
故宮目は書名を「古今醫統」と著錄するが、「古今醫統大全」が適切。
故宮新目下册七二五頁(醫方考 八卷(末二卷爲清代增刊本)七册。(明)呉崑撰。明萬曆乙酉(十三年)歙縣汪躍德等刊配補清代增刊本)箱號三八九、觀字號なし、天字〇八三〇號、故觀號なし
日本四鍼眼原裝。中葉丹表紙、書高二二・七×幅一四・九㎝。外題は灰緑の題簽に「醫方考 一(~七八/終)」を墨書。書根に「一(~七) 醫方考」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼り、その見返しに四周單邊で「(以下小字)呉鶴皐先生編輯/(以下大字)醫方考/(以下小字)友益齋發行」(當部に「翻刻/必究」の陰刻角印)。萬曆乙酉年の汪道昆「醫方攷引」四葉、萬曆一二年の呉崑「自序」二葉、目錄二葉。卷首に「醫方考卷之一/歙邑 呉崑 著/同里 方處厚 閲」、以下本文。卷七・八は「醫方考脉語」で清前期の補刻。跋なし。料紙は中國楮紙、有界、左右雙邊、版心白口・白魚尾、象鼻に「醫方考目次細目」、魚尾下に「卷之幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・七×横一三・四㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「九折堂山田/氏圖書之記」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
〔清代醫方書〕
故宮新目下册頁七二六(種福堂公選良方 四卷二册。(清)葉桂撰。清乾隆間崇德書院刊本)箱號不詳、觀字八四九號、天字〇八五三號、故觀號〇一四二九・〇一四三〇
中國四鍼眼原裝。黑藍色薄手表紙、書高二三・九×幅一五・五㎝。外題なし。書根に「種福堂良方 十一(十二)」を墨書。見返しに四周雙邊で「古呉葉天士先生著(以上小字)/(以下大字)續刻臨證指/南温熱論/(以下小字)後附 精選良方 崇德書院藏板」、乾隆四〇年の杜玉林「序」二葉、目錄二葉。卷首に「種福堂公選良方兼刻古呉名醫精論卷一/古呉葉桂 天士先生論 錫山華南田岫雲較」、以下本文。跋なし。料紙は中國薄葉楮紙、有界、左右雙邊、二段、版心白口・黑魚尾、象鼻に「種福堂公選良方」、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・八(外郭)、一七・一(内郭)×横一三・五㎝、一〇行・行二二字、小字雙行、上段には小見出を刻す。「□(香?)□(雪?)山□/臧書画印」および楊氏藏印記一種。識語なし。一箇所に中國人の墨記あるも、日本人の印記・書き入れ等なし。蟲損なし。
故宮新目下册七二六頁(彙集良方 四卷一册。(清)黄體端撰。清乾隆三十九年京都琉璃廠漱芳齋刊本)箱號四六九、觀字九四三號、天字〇八八六號、故觀號〇二五〇〇
中國四鍼眼原裝(糸斷裂)。香色薄手表紙、書高二一・二×幅一二・四㎝。外題に「女科祕方」、また下方に「匁」のみを楊氏が墨書。書根に墨記なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。次半葉に全書の目次を墨書(日本人の筆か)、乾隆三九年の黄體端「彙集良方序」三葉、目錄なし。卷首に「女科祕方/湖南桂東黄體端硯楷氏甫輯 男開性校」、以下本文。卷一末葉に「京都琉璃廠漱芳齋存版」の刊記、跋なし。料紙は中國薄葉楮紙、有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「女科祕方」、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一七・二×横一一・二㎝、一〇行・行二二字、小字雙行。楊氏藏印記三種のみ。識語なし。目次項目を本文から選擇時に附けられた水滴狀記號が墨書され、日本のらしい蟲損(蟲穴小)少々。
確證はないが、楊氏の購入價格記入、墨書目次の筆跡、小さな蟲穴から、あるいは楊氏が日本で購入の可能性もある。故宮目は書名を「彙集良方」と著錄するが、「女科祕方」が適切。
故宮新目下册七二六頁(武彝山應道人祕傳諸病藥方 一卷一册。清黄瓊編刊栖園彙餘本。日本佞宋道人(小島質)手書題記)箱號不詳、觀字九一六號、天字〇八九七號、故觀號〇二五二〇
日本四鍼眼原裝。香色中手表紙、書高二四・三×幅一四・六㎝。外題は題簽に「武彝山應衜人祕傳諸病藥方」を墨書。書根に墨記なし。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。無記年の黄瓊朋「小引」一葉、目錄なし。卷首に「武彝山應衜人祕傳諸病藥方」、以下本文一一葉。跋なし。料紙は中國楮紙、有界、四周雙邊、版心白口・無魚尾、「栖園 錄 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・八×横一二・一㎝、八行・行二三字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。書末に藍筆で「應道人祕方、世罕刊行、此本頃得一友生、/披閲一過、聊記卷末。佞宋道人」、墨筆で「此册係栖園彙錄中所收、今特章以藏/經方凾中。時天保五年、秋九月望日也」の識語。書中より俗藥名を拔粹した紙片を插む。やや蟲損。
日本本草書
故宮新目下册七三四頁(本草和名 二卷一册。(日本)深江輔仁撰。日本慶長五年博愛堂鈔本)箱號一一四二、觀字九八五號、天字〇六四五號、故觀號一三一二九
三目鍼眼裝横版。薄カーキ色薄手表紙(楊氏が後で掛けたもので、元は表紙なく、二册本)、書高一五・二×幅二二・八㎝。外題は「博愛堂鈔本艸和名」を楊氏が墨書。書根に墨記なし。舊第一册表紙に「文庫拔書 上/如見君」、第二册表紙に「文庫拔書 中」、下に相當の第三册なし。序・目錄なし。卷首に「慶長五年十二月四日/江戸御文庫醫書拔之/意安」と題し、次いで葉氏錄驗方・衛生家寶方・續易簡方・太平聖惠方・十便良方(本書からは五葉にわたり本草の選品・炮炙を拔粋)・外臺祕要(本書からは七葉にわたり醫方・藥性を拔粋)・楊氏家藏方・頓醫抄・延喜式につき、卷數・著者・序年・刊年を記錄。以下は本草和名で頭に「本草和名 上下卷/合一千廿五種/本草内藥八百五十種/諸家食經一百五種/本草外藥七十種…」、以下引用文獻、本文。舊第二册は「本草和名下卷/木下四十五種」、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、約一四行・行約一八字、小字雙行。「博愛堂記」「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記一種。識語・書き入れなし。少々蟲損。
故宮目は「日本慶長五年博愛堂鈔本」と著錄するが、「日本慶長五年〔吉田〕意安鈔本」が適切。
故宮新目下册七三四頁(本草和名 二卷二册。(日本)深江輔仁撰。日本寬政八年刊本)箱號一四四二、觀字九八四號、天字〇六四二號、故觀號一三一二五~一三一二六
日本四鍼眼原裝。厚葉丹表紙、書高二六・五×幅一八・五㎝。外題は四周單邊の題簽に「本草和名 上(下)册」を印刷。書根に「上(下) 本草禾(ママ)名」を墨書。寬政八年の丹波元簡「刻本草和名序」四葉、元簡「提要」四葉(後に萬葉假名一覽半葉を附す)、目錄なし。卷首に「本草和名上卷/大醫博士深江輔仁奉/敕新撰」と題し、以下簡目・引用書目・本文。跋なし。奧附に「江戸淺草新寺町/和泉屋庄次郎發行」。料紙は上質楮紙、有界、四周單邊・二段、白口・無魚尾、版心に「本草和名幾卷 葉次」を刻す。每半葉匡郭、上下段縱二一・〇(下段一七・九)×横一四・一㎝。下段は九行・行二二字、小字雙行。上段は無界に小字で行七字。不詳舊印記一種・「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
故宮目は「日本寬政八年刊本」と著錄するが、「日本寬政八年序刊本」が適切。
影写『本草和名』の森立之識語
故宮新目下册七三四頁(本草和名 二卷二册。(日本)深江輔仁撰。日本萬延元年今尾道醇影寫古鈔本。日本森立之手校竝題記)箱號六九五、觀字九八三號、天字〇六三二號、故觀號〇六五三二~〇六五三三
日本四鍼眼原裝。茶色中手表紙、書高三五・五×幅二五・七㎝。外題は題簽に「本草和名 上(下)」(下册題簽脱落)を墨書。書根に「本草和名 乾(坤)」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序跋なし。目錄三行と引用書目で一葉弱。卷首に「本草和名上卷/(以下に目錄・引用書目)合一千廿五種/…」と題し、以下本文。料紙は斐紙で襯紙に楮紙を插む。無界、無邊、無魚尾、無版心。每半葉、九行・行約二〇字、小字雙行。「問津館」「森/氏」「森立之印(回文印)」等および楊氏藏印記五種。書末に「右本草和名二笧、楓山祕府所藏二百季前舊鈔、/眞天壤間無二之寶典。寬政年間、劉桂山先生/鏤槧行之、綴學之士、咸被其澤。然已非景刻、時有/譌繆、未無遺憾矣。近日躋壽館醫庠刻醫心方、而/今桂山先生之曾孫棠邊先生、復以祕府原本校/之其醫心方。於是余亦得景寫一本、永爲我家之寶/用。謄寫者、弟子足利人今尾道醇也。萬延紀元庚申/六月下旬比讐一過、併爲之記。華佗術人森立之/四種の印記」の識語。書き入れなし。僅かに蟲損。
故宮新目下册七三四頁(穀類抄 一卷一册。不著撰人。日本元享間傳鈔保元間卷子本)箱號六二、觀字號なし、天字一〇一二號、故觀號〇〇四五二
日本卷子原裝。書高二九・四㎝。外題は「穀類抄 遍智院」を墨書。序なし。卷首に「穀類抄 米穀部惣三十四種」と題し、目錄一紙、以下本文、每穀類に一圖。卷末に墨筆で「保元元年七月廿五日申時、於南岳房此面書寫了。/清原□筆也、/一二又了」、朱筆で「高野本。/元亨三年癸亥十月五日、於窌靜院妙智坊、/以明珠房寬成自筆本令書寫之、校合了。/金剛弟子定惠五十/三戈/本云、/保元三年四月十八日、於二橋書寫了寬成本」の奧書。料紙は楮紙に裏打ち、無界、上下墨邊、天地二三・五㎝。每紙、縱二九・四×横約三六・八㎝、約一七行・行一八字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記二種。第一紙に朱筆で「高野本粘葉裝題、西光院 明範」の識語。欄上に朱筆で高野本との校異あり。紙背文書も寫す。江戸後期の筆寫。蟲損なし。
故宮目は「日本元享間傳鈔保元間卷子本」と著錄するが、「日本江戸〔後期〕影寫元亨間傳鈔保元間卷子本」が適切。
故宮新目下册七三四頁(香要抄 二卷二册。不著撰人。日本元享間傳鈔保元間卷子本。末有元享三年定惠手書題記)箱號六二、觀字號なし、天字一〇一三號、故觀號〇〇四五三・〇〇四五四
日本卷子原裝。書高二九・四㎝。
第一本の外を卷く包紙の外題に「香要抄 本 遍智院」を墨書、その内側に朱筆で「高野本題簽下記西光院三字、右隅記明範二字」。序なし。卷首に「香要抄本」と題し、目錄半紙、以下本文と圖。卷末に墨筆で「保元元潤九月十八日書寫了」、朱筆で「高野本。/元亨三年癸亥九月十九日、於一心院妙智坊/令書寫之、一校了。/定惠五十/三戈/香本一」の奧附。紙背文書(概ね本文と關聯の内容)も別紙に墨書し、該當位置に貼り、朱筆で校異する。料紙は楮紙に裏打ち、無界、上下墨邊、天地二三・九㎝。每紙、縱二九・四×横約三八・一㎝、約一九行・行一七~二一字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。第一紙以降、欄上・欄内・圖に朱筆で高野本・香藥抄・本草和名との校異あり。また全文にヲコト點を打つ。蟲損なし。
第二本の外題は包紙に「香要抄 末 遍智院」を墨書。卷首に「香要抄 末」と題し、目錄半紙、以下本文と圖。卷末に墨筆で「保元元十月十七日申時許書寫了」、朱筆で「香末一」の奧附。紙背文書(概ね本文と關聯内容)も別紙に墨書し、該當位置に貼る。料紙は楮紙に裏打ち、無界、上下墨邊、天地二三・九㎝。每紙、縱二九・四×横約三八・一㎝、約一九~二〇行・行一七~二四字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。第一紙以降、欄上・欄内・圖に朱筆で本草和名・天平本新修本草との校異あり。また前半にヲコト點を打つ。江戸後期の筆寫。僅かに蟲損。
故宮目は「日本元享間傳鈔保元間卷子本。末有元享三年定惠手書題記」と著錄するが、「日本江戸〔後期〕影寫元亨間傳鈔保元間卷子本。上卷末有元亨三年定惠題記」が適切。
故宮新目下册七三四頁(藥種抄 二卷二册。不著撰人。日本元享間傳鈔保元間卷子本)箱號六二、觀字號なし、天字一〇一一號、故觀號〇〇四五〇~〇〇四五一
第一本の外を卷く包紙の外題に「藥種抄 本 遍智院」を墨書。序なし。卷首に「藥種抄 本」と題し、目錄半紙、以下本文と圖。卷末に墨筆で「保元元年潤九月廿一日申剋書寫了 一交了」の奧附。紙背文書も別紙に墨書し、該當位置に貼る。料紙は楮紙に裏打ち、無界、上下墨邊、天地二五・八㎝。每紙、縱二九・二×横約三八・三㎝、約一九行・行一九・二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。第一紙以降、欄内に朱筆で傍訓・誤字訂正を記す。全文にヲコト點を打つ。蟲損なし。
第二本包紙の外題に「藥種抄 末 遍智院」を墨書。卷首に「藥種抄 末」と題し、目錄半紙、以下本文と圖。卷末に墨筆で「保元元年十一月廿二日 書寫畢一交了」、朱筆で「保元二年四月二日 校之畢」の奧附。紙背文書(本文と關聯内容)も別紙に墨書し、該當位置に貼る。料紙は楮紙に裏打ち、無界、上下墨邊、天地二五・八㎝。每紙、縱二九・三×横約三七・〇㎝、約一七~一九行・行一九・二〇字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記三種。第一紙以降、欄内に朱筆で傍訓・誤字訂正を記す。全文にヲコト點を打つ。僅かに蟲損。
故宮目は「日本元享間傳鈔保元間卷子本」と著錄するが、「日本江戸〔後期〕影寫元亨間傳鈔保元間卷子本」が適切。
故宮新目下册七二七頁(治淋方 不分卷一册。(日本)不著撰人。日本天正辛巳(九年)鈔本)箱號不詳、觀字九一八號、天字〇九六五號、故觀號一三九〇一
日本四鍼眼原裝。澁引き焦げ茶色中手表紙、書高二六・九×幅一九・九㎝。外題は「治淋病(病を方に訂正) 全」を墨書。書根に墨記なし。序なし、目錄なし。本書頭に「治淋方」とあるが、これは石菖の效能。内題なく、本文のみ全一〇葉で、效能を略記した本草書。書末に「天正九辛巳年、/泉刕目根郡佐野中□(応?)上分(?)三善玉代丸盛家。花押/三月廿七日八時云之」「嘉永元戊申年三月廿九日、於城南書肆購得之。/同日加一見畢、爲寶。花押」の奧書。料紙は楮紙、界・邊・魚尾・版心なし。每半葉、六行・行一七字、小字雙行。楊氏藏印記二種のみ。識語・書き入れ等なし。蟲損少々。江戸中期寫。
故宮目は本書を醫方書に分類して「治淋方。日本天正辛巳(九年)鈔本」と著錄するが、「〔藥書〕。日本江戸〔中期〕鈔本」が適切。
慶長13年古活字版『藥性能毒』卷頭
故宮新目下册七三四頁(藥性解毒 二卷。(日本)一溪翁撰。日本慶長十三年山田意齋道啓刊本)箱號一四六八、觀字九〇二號、天字一〇一四號、故觀號一四〇四三
日本四鍼眼原裝。焦げ茶色押し目模樣中手表紙(裏表紙を脱落して新裝)、書高二八・六×幅二〇・七㎝。外題は四周雙邊の題簽に「藥性能毒」を印刷。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序なし、目錄二葉。卷首に「藥性能毒上」の内題、以下本文。書末に「道三法印門下生 山田意齋道啓梓行」および「意齋道啓刊行」の刊記、また玄朔の識語を寫刻體(整版)で刻す。料紙は楮紙、有界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「藥性能毒幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二三・一×横一六・五㎝、一一行、上段一字、下段一八字。古活字版。「小嶋氏/圖書記」「葆素/所臧」および楊氏藏印記四種。書末に墨筆で「天保十二年四月購藏 花押」、これに重ね「葆素/所臧」の印記。僅かに朱點あるが、書き入れ等なし。少々蟲損。
故宮目は「藥性解毒。(日本)一溪翁撰。山田意齋道啓刊本」と著錄するが、「藥性能毒。(日本)一溪翁〔曲直瀬道三〕撰。慶長十三年山田意齋道啓古活字印本」が適切。
故宮新目下册七三四頁(南蠻阿蘭陀流膏藥拔粹 一卷。不著撰人。日本鈔本)箱號一四六八、觀字九〇一號、天字〇九四九號、故觀號一三八六二
日本五鍼眼原裝。濃靑色中手表紙、書高二五・四×幅一九・一㎝。外題は題簽に「南蠻流外科書 諸膏拔粹」を墨書。序・目錄なし。卷首に「南蠻阿蘭陀流膏藥拔粹」と題し、以下本文。書末に「南蠻阿蘭陀流膏藥拔粹終」。料紙は楮紙、界・邊・魚尾・版心なし。每半葉、一一行・行一九字、小字雙行。楊氏藏印記二種のみ。識語なし。江戸前期の筆寫。朱引きと上欄に墨筆注記が僅かにある。やや蟲損。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本江戸〔前期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七三四頁(東洞先生藥徴 四卷二册。(日本)吉益東洞撰。日本鈔本)箱號一四六八、觀字八七八號、天字一〇一五號、故觀號一四〇四四~一四〇四五
日本四鍼眼原裝。淡靑色厚手表紙、書高二六・五×幅一八・一㎝。外題は四周雙邊の題簽に「東洞先生藥徴 村井杶校定/上之上 上之下(下之上 下之下)」を墨書。書根に「藥徴」を墨書。序跋なし、目錄二葉。卷首に「藥徴上之上/東洞吉益先生 著 村井杶 校定」と題し、以下本文。石膏から始まり、龍骨で終わり、計五三品を記す。料紙は上質中葉楮紙、界・邊・魚尾・版心なし。每半葉、九行・行二〇字。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記一種。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
故宮目は「日本鈔本」と著錄するが、「日本江戸〔後期〕鈔本」が適切。
故宮新目下册七三四頁(藥雅 一卷一册。(日本)丹波元胤撰。日本聿修堂鈔本)箱號不詳、觀字八七七號、天字一〇二四號、故觀號一四〇五六
日本四鍼眼原裝。香色厚手表紙、書高二三・〇×幅一六・〇㎝。外題なく、楊氏が二兩を墨書。書根に「全 藥雅」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。序跋なし、目錄一葉。卷首に「藥雅/東都 丹波元胤紹翁著」と題し、以下本文。料紙は薄葉楮紙、有界、四周雙邊、白口・黑魚尾、下象鼻に「聿修堂藏」を刻した烏糸罫紙に筆寫する。每半葉匡郭、縱一七・四×横一二・五㎝、一一行・行一六字。楊氏藏印記五種のみ。書末に「丙寅秋八月念日卒業」の識語。全書に朱點・朱引き、誤寫の訂正あり。蟲損なし。
故宮新目下册七三四頁(藥雅 一卷一册。(日本)丹波元胤撰。日本鈔本。日本小島質手書題記)箱號一四六八、觀字八七六號、天字一〇二三號、故觀號一四〇五七
日本四鍼眼原裝。薄焦げ茶色中手表紙、書高二三・五×幅一六・五㎝。外題は「藥雅」を墨書、また楊氏が「五兩」を記入。書根に「藥雅」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「藥雅卷一/東都 丹波 元胤紹翁 著」と題し、以下本文。跋なし。料紙は楮紙、界・邊・魚尾・版心なし。每半葉、一一行・行二〇字、小字なし。「小嶋氏/圖書記」および楊氏藏印記四種。書末に墨筆で「右劉柳沜藥雅借鈔、井上廷明。友人劉茝庭曾謂余曰、伯兄作藥雅在/年少時、而當時識見未定、其書屬不全。就者中年顬心於醫籍攷、其/他雜著多不加重修、忽歸泉下良焉、可惜矣。嗚呼、先輩少年時所著/之書、予儕讀了、或不能領大意。□(蟲損)賢不肖、固有天稟、然亦何相隔/之天壤哉。校讀一過、不覺三嘆。□□□□、質誌。時甲午九月廿七日」年の識語。書き入れ等なし。蟲損わずか。
『藥治通義』
故宮新目下册七三四頁(藥治通義 十二卷五册。(日本)丹波元堅撰。日本天保己亥(十年)刊存誠藥室叢書本)箱號一四六八、觀字八九二號、天字〇九七七號、故觀號一三九二七~一三九三一
日本四鍼眼原裝。紺色厚手表紙、書高二五・八×幅一七・六㎝。外題は四周單邊の題簽に「(脱落で判讀不能)」を印刷。書根に「藥治通義 一(~
五)」を墨書。四周單邊に「多紀茝庭先生著(中字)/藥治通義(大字)/江戸書林英氏萬笈堂發兌(中字)」を印刷した書套あり。見返しに四周單邊で「天保己亥鐫(中字)/藥治通義(大字)/存誠藥室叢書(中字)」、扉位置に楊氏寫眞藏書票を插む。天保丙申年の丹波元堅「藥治通義序」一葉、目錄四葉。卷首に「藥治通義卷第一/丹波元堅亦柔撰」と題し、以下本文。書末に「弟子來里醫員堀川濟舟庵校」と記す。跋なし。奧附は四周單邊で、上段に「三都/發行/書林」、下段に「京都三條通升屋町/出雲寺文次郎/……/同(江戸)本石町十軒店/英 大助板(計九書店)」。料紙は楮紙、有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「藥治通義卷幾 葉次」、下象鼻に「存誠藥室叢書」を刻す。每半葉匡郭、縱一七・六×横一三・六㎝、一〇行・行二四字、小字雙行。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記四種。識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損。
故宮新目下册七三一頁(本草經考註 三卷十九册。(日本)森立之撰。日本安政五年著者手稿本)箱號一四四二、觀字號なし、天字〇六三九號、故觀號なし
後補中國四鍼眼裝。濃紺綠色薄手表紙、書高二四・〇×幅一六・六㎝。外題は黄色の題簽に楊氏が「森立之本草經考注 序目(~本經下之一、以下題簽なし)」を印刷。書根に「一(~十九) 森立之本草經考注」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。安政五年の森立之「本草經攷注序」四葉、目錄なし。卷首に「本草經攷注卷一/東都 森立之學」と題し、以下本文。跋なし。薄葉三椏紙、界・邊・魚尾なく、版心に藥名と葉次を墨書する。每半葉、一三行・行二三字。「千卷唐鈔/萬卷宋槧」および楊氏藏印記五種。書末に墨筆で「本草經攷注、起稿于天保癸巳、方在廿五年前、而落鬼相陽十餘/年、殆廢披閲。嘉永庚戌再補綴、夜以繼日草稿始成。然未免/魯魚之訛、當不日而脱稿矣。曩刻本草經、今攷注亦成、不/耐歡喜、回錄其始末如此。丁巳朧月十二日、源立之書北岐華佗庵」の識語。書き入れ・蟲損なし。
當本は立之の自筆本を忠實に模寫したもの。故宮目は「日本安政五年著者手稿本」と著錄するが、「據日本安政五年著者手稿模寫本」が適切。
故宮新目下册七三七頁(黄氏醫書八種 八〇卷一二册。(清)黄元御撰。清同治七年江夏彭崧毓成都刊本)箱號四六九、觀字一五九〇號、天字〇九一八號、故觀號〇〇二六一二~六二三
中國四鍼眼康煕裝。濃香色薄手原表紙、書高二九・七×幅一七・九㎝。帙なし。外題は四周雙邊の題簽に各書名を印刷。書根に「一(~十二) 各書名」を墨書。濃緑の扉に四周雙邊で「黄氏遺書/八種七十/七卷(以上大字)/呉郡顧復初/題首」の封面、裏に四周單邊で「同治七年歳在/戊辰栞于成都」の木記。四周雙邊で「四聖心源/十卷」の封面、八書名・卷數と校訂者名を記す總目一葉、同治七年の彭崧毓「重刻黄氏醫書序」二葉、同治七年の顔崇實「黄氏遺書序」二葉、同治七年の顧復初「重刻黄氏遺書序」二葉、以下八書一二册。
第一~二册は四聖心源で、癸酉年の黄元御「四聖心源自敘」二葉、目錄四葉。卷首に「四聖心源卷一/昌邑黄元御坤載著」と題し、以下本文一〇卷。書末に道光一二年の張琦「四聖心源後序」二葉あり。
第三册は四聖懸樞で、見返しに四周雙邊で「四聖懸樞/五卷」の封面。壬申年の黄元御「四聖懸樞序」二葉、目錄六葉。卷首に「四聖懸樞卷一/昌邑黄元御坤載著」と題し、以下本文五卷。跋なし。
第四册は玉楸藥解で、甲戌年の黄元御自序一葉、目錄四葉。卷首に「玉楸藥解/昌邑黄元御坤載著」と題し、以下本文八卷。跋なし。
第五~六册は金匱懸解で、見返しに四周雙邊で「金匱縣解/廿二卷」の封面。戊辰年の黄元御「金匱懸解自序」二葉、目錄一五葉。卷首に「金匱懸解卷一/昌邑黄元御坤載著」と題し、以下本文二二卷。跋なし。
第七~九册は傷寒懸解で、見返しに四周雙邊で「傷寒縣解/十四卷」の封面。同治元年の歐陽兆熊「序」二葉、同治丙寅年の黄濟序一葉、無記年「傷寒懸解自序」二葉、「傷寒論原序」二葉、目錄一〇葉、卷首八葉。卷頭に「傷寒懸解卷一/昌邑黄元御坤載著」と題し、以下本文一四卷。書末に「傷寒懸解卷末」として王叔和傷寒例一七葉を附し、道光一二年の張琦「傷寒懸解後序」四葉あり。
第一〇册は長沙藥解で、見返しに四周雙邊で「長沙藥解/四卷」の封面。乾隆一八年の黄元御「長沙藥解自序」三葉、目錄三葉。卷首に「長沙藥解/昌邑黄元御坤載著」と題し、以下本文四卷。書末に無記年の張琦「長沙藥解後序」二葉あり。
第一一册は傷寒鋭意で、見返しに四周雙邊で「傷寒鋭意/十卷」の封面。序なく、目錄六葉、卷首一六葉。卷頭に「傷寒鋭意卷一/昌邑黄元御坤載著」と題し、以下本文一〇卷。書末に道光一四年の趙汝毅「跋」一葉あり。
第一二册は素靈微蘊で、見返しに四周雙邊で「素靈微蘊/四卷」の封面。道光九年の張琦「素靈微蘊序」一葉、目錄一葉。卷首に「素靈微蘊卷一/昌邑黄元御坤載著」と題し、以下本文四卷。跋なし。
料紙は薄葉中國楮紙でやや黄變する。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に書名、魚尾下に「卷幾 篇名 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・二×横一三・二㎝、九行・行二三字、小字雙行。句點を刻入する。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損・破損あり。
故宮新目下册七三七頁(醫林指月 二十三卷十二册。(清)王琦編。清乾隆丁亥(三十二年)寶笏堂刊本)箱號一四六八、觀字一六一二號、天字〇九八九號、故觀號一三九六二~一三九七三
後補中國四鍼眼康煕裝。灰薄茶色薄手表紙、書高二五・三×幅一六・四㎝。外題なし。書根に「一(~十二) 醫學眞傳(~學古珍則)」を墨書。見返しに黄色紙に四周單邊で「空行/醫林指月/空行」を印刷。乾隆丁亥年の王琦自序一葉、「醫林指月總目/胥山老人訂較合刊」二葉。卷首に「高士宗先生手授醫學眞傳/受業門人/八名を四行二段に小字で列記/述」の題、以下刊行序四行、本文。全書に高士宗先生手授醫學眞傳・質疑錄・醫家心法・易氏醫案・芷園臆草存案・敖氏傷寒金鏡錄・芷園素社痎瘧論疏・芷園素社痎瘧疏方・達生編・扁鵲心書・本草崇原・侶山堂類辯・學古珍則の一三書を收める叢書。各書末に王琦の寫刻體跋文あり。竹紙、有界、左右雙邊、版心は小黑口・無魚尾で、「書名(質疑錄・易氏醫案・芷園臆草存案・傷寒金鏡錄・痎瘧論疏・痎瘧疏方・達生編・扁鵲心書は象鼻に書名) 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一七・二×横一三・三㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損。
故宮目は「清乾隆丁亥(三十二年)寶笏堂刊本」と著錄するが、「寶笏堂」の刊記等は本書に見えず、「清乾隆丁亥(三十二年)序刊本」が適切。日本舊藏書にあらず。
故宮新目下册七三七頁(徐氏醫書六種 十六卷六册。(清)徐大椿撰。清乾隆間呉江徐氏半松齋刊本)箱號不詳、觀字一五六一號、天字〇九九〇號、故觀號一三九七四~一三九七九
後補中國四鍼眼康煕裝。灰薄茶色薄手表紙、書高二四・六×幅一五・五㎝。外題は表紙に「醫書六書 禮(~數)」また各書名を墨書。書根に「一(~六) 徐靈胎醫書六書(第一册のみ) 難經經釋(~蘭臺軌範)」を墨書。見返しに四周雙邊で「呉江徐靈胎著(中字)/醫書六書(大字)/(以下三行二段の小字)難經經釋 醫論/神農本草 醫貫砭/傷寒類方 蘭臺軌範/(中字)半松齋藏板」。乾隆丁亥三二年の徐靈胎「引」一葉、以下本文。全體で愼疾芻言・難經經釋・醫學源流論・神農本草百種錄・醫貫砭・傷寒類方・蘭臺軌範の七書を收める。各書の多くに色紙に刷った見返しあり。本文卷首の記載は各々異なる。料紙は竹紙、有界、左右雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「書名」、魚尾下に「卷幾(ないし篇名)」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉の行數・字數は各々異なる。小字雙行。不詳印記三種および楊氏藏印記四種。識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損。
故宮目は「清乾隆間呉江徐氏半松齋刊本」と著錄するが、「清乾隆丁亥(三十二年)序半松齋刊本」が適切。日本舊藏書にあらず。
故宮新目下册七三七頁(當歸草堂醫學叢書初編 四一卷一〇册。(清)丁丙編。清光緒戊寅(四年)錢塘丁氏當歸草堂刊本)箱號一四六八、觀字一五八八號、天字一〇〇八號、故觀號〇一四〇三二~〇四一
中國日本四鍼眼原裝。香色薄手原表紙、書高二四・七×幅一五・六㎝。帙なし。外題なく、書根に「甲(~癸) 醫學叢書初編 所收書名」を墨書。黄色扉に四周雙邊で「醫學叢/書初編」の封面、裏に四周單邊で「光緒戊寅錢唐丁/氏當歸草堂栞行」の木記。光緒戊寅年の李芝綬「醫學叢書序」一葉、總目一葉。以下一〇書を收め、各書每に封面・木記の一葉を前附する。
顱顖經は四庫提要文二葉、無記年無名氏の「原序」二葉、目錄なし。卷頭に「顱顖經卷上」と題して本文二巻、書末に乾隆五三年の陳鱣「跋」二葉。
傳信適用方は四庫提要文一葉、序・目錄なく、卷頭に「傳信適用方卷一」と題して本文四卷(卷二まで第一册)、跋なし。
衛濟寶書は四庫提要文二葉、無記年の董璉「原序」一葉、無記年の東軒居士序一葉、目錄なし。卷頭に「衛濟寶書/卷上」と題して本文二卷、無記年の徐文禮「後序」一葉(以上第二册)。
太醫局諸科程文は四庫提要文二葉、序・目錄なく、卷頭に「太醫局諸科程文卷一」と題して本文九卷(卷四まで第三册、第四册に卷五~九)、跋なし。
産育寶慶集方は無記年の劉四垣・王晉・寓齋老人・冀致君・李師聖の各序を一括した「原序」五葉、四庫提要文二葉、目錄なし。卷頭に「産育寶慶集方卷上/宋李師聖編/清丁 丙校刊」と題して本文二卷、跋なし(以上第五册)。
濟生方は四庫提要文二葉、無記年の嚴用和「原序」一葉、目錄なし。卷頭に「濟生方卷一/宋 嚴用和 撰/清/丁 丙校刊/陳其智覆審」と題して本文八卷(卷四まで第六册)、跋なし。
産寶諸方は四庫提要文二葉、無記年の無名氏「原序」二葉、目錄なし。卷頭に「産寶諸方」と題して本文一卷、跋なし(以上第七册)。
急救仙方は四庫提要文二葉、序・目錄なし。卷頭に「急救仙方卷一」と題して本文六卷、跋なし(以上第八册)。
瑞竹堂經驗方は四庫提要文二葉、無記年の王都中「原序」一葉、目錄なし。卷頭に「瑞竹堂經驗方卷一/元 沙圖穆蘇 撰」と題し本文五卷、補遺四葉、跋なし(以上第九册)。
痎瘧論疏は四庫提要文一葉、序・目錄なし。卷頭に「痎瘧論疏/明 廬之頤 撰/清 丁 丙校刊」と題して本文一巻。書末に當書を編纂した意圖の跋文半葉あって、別に書名「總校官編修臣呉裕徳/編修臣呉敬輿/校對生員臣祝孝承」あり(以上第一〇册)。
料紙は中葉竹紙でやや黄變する。有界、四周雙邊、版心大黑口・雙黑魚尾、魚尾下に「書名 卷幾 葉次」、下象鼻に「當歸草堂」を刻す。半葉匡郭、縱一六・〇×横一一・九㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「朱師/轍觀」の藏印記のみ。識語・書き入れ等なし。蟲損・破損なし。
故宮新目下册七三七頁(周氏彙刻醫學叢書 一一三卷四〇册。(清)周學海編。清光緒辛卯(十七年)池陽周氏刊本)箱號一四四二、觀字一五八九號、天字號、故觀號〇一三一七〇~〇一三二〇九
中國四鍼眼原裝。焦げ茶色薄手原表紙、書高二四・三×幅一五・七㎝。帙なし。外題は四周雙邊の題簽に所收書名を印刷。書根に「一凡四十(~四十)」を墨書。見返しの黄紙に四周雙邊で「周氏彙刻/醫學叢書」の封面、扉に四周單邊で「神農本草經」の封面、裏に「光緒辛卯中秋/池陽周氏校刊」の刊記。光緒辛卯年の周學海「新刻神農本草經序」二葉(末尾に楊守敬の識語「輯神農本草經自明廬復始。廬所據者李氏綱/目、其中不少誤注〔説見顧観光本/草輯本序〕。孫氏博采群書、/考正源流、一洗?歷代岐黄家之陋。爲據御覽引、多有/生山谷、證爲本經原文。而所有後世郡縣名目者、係後人/所加。此免□□黄門之惑」)、無記年の邵晉涵「本艸經序」二葉、嘉慶四年の炯「本艸經序」二葉、無記年の孫星衍「本艸經序」三葉、總目一葉に續けて無記年の周學海序三葉あり。總目は本草類(神農本草經三卷、繆仲醕本草經疏三〇卷)・脈法類(王叔和脈經一〇卷、戴同甫脈訣刊誤集解二卷、汪石山脈訣刊誤附錄一巻)・經論類(増輯滑伯仁難經本義二卷、華元化中藏經三卷、増輯中藏經附方一卷、華元化内照法一卷、巣元方病源候論五〇卷)・方論類(朱丹溪脈因證治四卷)・兒科類(錢仲陽小兒藥證直訣三卷、増輯小兒藥證直訣附方一卷、閻季忠小兒方論一卷、董及之小兒{疒+斑}疹方論一卷)を記す。
第一册『神農本草經』。卷首に「本草經卷一/呉普等撰述 孫/星衍/馮翼/同輯」と題し、以下本文三卷二册。跋なし。
第三册の扉に四周單邊で「本草經疏」の封面、裏に「光緒辛卯中秋/池陽周氏校刊」の刊記。光緒辛卯年の周學海「新刻本草經疏序」二葉、無記年の繆希雍「自序」二葉、天啓乙丑年の繆希雍「梓行本草經疏題辭」一葉、凡例二葉、總目三葉、目錄一四葉。卷首に「本艸經疏卷一/東呉繆希雍仲醕甫著」と題し、以下本文三〇卷一四册。跋なし。
第一七册の扉に四周雙邊で「王叔和脈經」の封面、裏に「光緒辛卯中秋/池陽周氏校刊」の刊記。無記年の王叔和「脈經序」一葉、無記年の陳孔碩「宋廣西漕司重刻脈經序」一葉、紹聖三年の「宋刻脈經牒文」一葉、煕寧元年の林億等「宋校定脈經進呈箚子」二葉、泰定四年の柳贇および謝縉「元刻脈經序」三葉、泰定四年の朶列禿「元刻脈經移文」一葉、萬暦三年の徐中行「校脈經手札」一葉、萬暦三年の袁表「袁校脈經書後」三葉、道光辛丑年の錢煕祚「跋」三葉、道光二三年の黄鋐「跋」二葉、目錄六葉。卷首に「脈經卷一」と題し、以下本文一〇卷四册。書末に光緒一七年の周學海「重刻脈經書後」二葉。
第二一册の扉に四周雙邊で「脈訣刊誤」の封面、裏に「光緒辛卯中秋/池陽周氏校刊」の刊記。光緒辛卯年の周學海「新刻脈訣刊誤序」二葉、嘉靖癸未年の汪機「脈訣刊誤序」一葉、無記年の呉澄「脈訣刊誤集解序」一葉、目錄なし。卷首に「脈訣刊誤集解卷上/龍興路儒學教授戴起宗同父 學/翰林侍講學士休寧朱升允升節抄/祁門朴墅汪機省之補訂」と題し、以下本文二卷二册。書末に汪機輯の附錄二〇葉あり。
第二三册扉に四周單邊で「増輯難經本義」の封面、裏に「光緒辛卯中秋/池陽周氏校刊」の刊記。光緒一七年の周學海「難經本義増輯序」二葉、至正二六年の掲汯「難經本義序」一葉、至正七五(?)年の張翥「難經本義序」一葉、「引用諸家姓名」二葉、「難經彙攷」六葉、「闕誤總類」二葉、凡例一葉、目錄なし。卷首に「増輯難經本義卷上/(跨行)周盧國扁鵲秦越人撰/元許昌滑 壽伯仁本義/建 德周學海澂之増輯」と題し、以下本文二卷二册。跋なし。
第二五册扉に四周單邊で「華氏中藏經/附方一卷内照法一卷」の封面、裏に「光緒辛卯中秋/池陽周氏校刊」の刊記。甲寅年の鄧處中「中藏經原序」一葉、「四庫未收書提要」一葉、嘉慶一三年の孫星衍「孫刻中藏經序」二葉、辛卯年の周學海「新刻中藏經序」二葉、目錄なし。卷首に「中藏經卷上/漢華佗元化著」と題し、以下本文二卷二册。書末に跋なく、「附方/漢華佗元化著」「内照法/漢華佗元化著」を附錄する。
第二七册扉に四周雙邊で「病源候論」の封面、裏に「光緒辛卯中秋/池陽周氏校刊」の刊記。無記年の「巣氏諸病源候論序/翰林學士…史館修/撰判館…臣宋綬奉 勅撰」二葉、光緒辛卯年の周學海「新刻病源候論序」一葉、「巣氏諸病源候總論綱目」二葉、目錄五一葉。卷首に「巣氏諸病源候總論/隋太醫博士巣元方撰」と題し、以下本文五〇卷八册。跋なし。
第三五册扉に四周單邊で「脈因證治」の封面、裏に「光緒辛卯中秋/池陽周氏校刊」の刊記。乾隆乙未年の呉趨繆「序」一葉、卷一目錄一葉。卷首に「脈因證治卷一/元丹溪朱震亨著」と題し、以下本文四卷四册。書末に辛卯年の周學海「跋」一葉あって舊本は二卷本という。
第三九册扉に四周單邊で「小兒藥證直訣/閻氏方董氏斑疹方各一卷」の封面、裏に「光緒辛卯中秋/池陽周氏校刊」の刊記。無記年の閻季忠「小兒藥證直訣原序」二葉、劉跂撰「錢仲陽傳」三葉、乾隆四五年の王嘉會ら「四庫全書目錄提要」一葉と光緒一七年の周學海の解題一葉、目錄六葉。卷首に「小兒藥證直訣卷上/宋錢乙仲陽著 閻孝忠編次」と題し、以下本文二卷二册。書末に「小兒藥證直訣附方」六葉、「閻氏小兒方論/宋大梁閻孝忠箸(ママ)」一五葉を附錄。また無記年の孫準平「董氏小兒斑疹備急方論序」一葉、無記年の董汲「自序」一葉、目錄なく、卷頭に「小兒斑疹備急方論/宋東平董汲及之箸(ママ)」と題し本文八葉を附錄。末尾に元祐癸酉年の錢乙「後序」一葉あり。
料紙は竹紙。有界、四周雙邊、版心白口・單黑魚尾、象鼻に所收書名、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一六・四×横一一・八㎝、一一行・行二一字、小字雙行・行二一字。「朱師/轍觀」および楊氏藏印記三種。全書に書き入れ等なし。表紙は修理中(二〇〇六年九月一八日)で大破。蟲損なし。
故宮新目下册七三五頁(延壽第一紳言 一卷一册。(宋)愚谷老人撰。日本考古齋傳鈔學海類編本)
故宮新目下册七三五頁(修齡要指 一卷一册。(明)冷謙撰。日本考古齋傳鈔學海類編本)
故宮新目下册七三五頁(攝生三要 一卷。不著撰人。日本考古齋傳鈔學海類編之一)
故宮新目下册七三五頁(養生膚語 一卷。(明)陳繼儒撰。日本考古齋傳鈔學海類編之一)
故宮新目下册七三六頁(二六功課 一卷。(明)石室道人撰。日本考古齋傳鈔本學海類編之一)
故宮新目下册七三六頁(攝生要語 一卷。(明)息齋居士撰。日本考古齋傳鈔學海類編之一)箱號一〇五三、觀字一二六三號、天字一三一七號、故觀號一一〇九八
日本四鍼眼原裝。澁引き栗皮薄手表紙、書高二二・七×幅一五・八㎝。外題は題簽に前揭六書名を墨書。書根に「修養六書」を墨書。全體の序・目錄なし。第一書卷首に「延壽第一紳言/宋 愚谷老人 編」と題し、以下本文八葉。第二書は目錄一葉、卷首に「修齡要指/明 武林冷 謙啓敬著」と題し、以下本文一八葉。第三書は卷首に「二六功課/明 石室道人 撰」と題し、以下本文三葉。第四書は卷首に「攝生要語/明 息齋居士 述」と題し、以下本文三葉。第五書は卷首に「養生膚語/明 萃亭陳繼儒仲淳著」、以下本文一五葉。第六書は卷首に「攝生三要/明 嘉善袁 黄坤儀著」と題し、以下本文八葉。跋なし。楮紙に印刷した攷古齋鈔本の稿紙に寫す。有界、左右雙邊、白口・黑魚尾、各書卷首の版心象鼻に書名を墨筆する。每半葉匡郭、縱一七・五×横一二・六㎝、一〇行・行二一字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「寶素堂/收臧醫/書之記」および楊氏藏印記四種。「延壽第一紳言」書末に朱筆で「天保八年丁酉十月九日夜、定(?)校句、佞宋道人」の識語。處々に朱引き・讀點あり。蟲損なし。
故宮目は上揭各書を養生之屬に分出して著錄するが、實際は叢編につき當彙編之屬に一書として移す。また全体の書名がなく、「日本考古齋傳鈔學海類編本」「攝生三要。不著撰人」と著錄するが、「〔修養六書〕 六卷一册。(日本)天保八年考古齋〔小島寶素〕據學海類編傳鈔編」「攝生三要。(明)袁黄坤儀著」が適切。
これまで台北・故宮博物院圖書文獻館所藏の醫藥古典籍書誌を、同館藏書目錄の子部・醫家類に著錄される書から、主に『四庫全書』本以外について報告してきた。一方、同館には日本醫家の舊藏書が醫家類以外にもあり、それらにも幕末・明治初期までの漢方醫家が研究対象とした學問分野と成果が反映されている。そこで上記に該当する非醫家類古典籍について、管見が及んだ範圍で以下に附錄として報告したい。
また同館のウェブページ「善本古籍資料庫」http://npmhost.npm.gov.tw/tts/npmmeta/RB/RB.htmlでは近年、同館藏書目錄に大きく補遺した書誌情報を徐々に公開し始めている。それらについては同ウェブページおよび同館藏書目錄の記載情報を、これまでと同樣に( )内に整理して転錄したが、句讀點等を日本式に改めた以外の專門用語は原文のままとした。
經部
禮類
故宮新目上册七七頁(大戴禮記孔校補正 三卷一册。(日本)小島知足撰。日本萬延元年鈔本。日本森約之手校)箱號一〇三二、觀字七九號、天字〇一二九號、故觀號一〇三一五
後補日本四鍼眼裝。茶色中手表紙、書高二六・三×幅一八・八㎝。帙なし。外題は表紙に「大戴禮記孔校補正」を墨書。書根に記載なし。天保屠維大淵獻之歳の福山源知足「大戴禮記孔校補正序」一葉、引據各本目錄一葉。第三葉オモテ第六行に「大戴禮記孔校補正卷一」と題し、以下本文三卷。書末に萬延元年の森約之の跋あって、小島知足(成參、伯止)の原著という。料紙は日本薄葉楮紙に墨印した枡目用紙でやや黄變し、蟲損後に總裏打ちする。有界、四周單邊、版心白口・無魚尾、版心記載なし。每半葉匡郭、縱二〇・八×横一六・一㎝、一〇行・行二一字、小字雙行・行二一字。「小嶋氏/圖書記」「森/氏」および楊氏藏印記。全書に朱墨點、欄上に森約之の朱墨書き入れ多し。卷一・二末尾に森約之の安政四年・萬延元年の識語。裏打ち後の蟲損なし。
『夏小正考注』
故宮新目上册七七頁(夏小正考注 一卷一册。(清)畢沅撰。日本鈔本。日本小島質朱筆手校竝題記)箱號一〇三二、觀字八二號、天字〇一三〇號、故觀號一〇三一六
日本四鍼眼原裝。澁引き薄茶薄手表紙、書高二六・五×幅一八・三㎝。外題は題簽に「夏小正攷注 畢沅」を墨書。書根に「夏小正攷注」を墨書。乾隆四八年の畢沅「夏小正攷注敍」三葉、目錄なし。卷首に内題なし。跋なし。料紙は日本中葉斐紙で、界・邊・魚尾・版心なし。每半葉、一一行・行二二字、小字なし。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」「東井文庫」および楊氏藏印記二種。書末に朱筆で「天保六年九月十九日、與及門津島佶同校。質誌」の識語。まま朱筆で誤字訂正あるが、書き入れ等なし。少々蟲損。
孝經類
故宮新目上册一〇九頁(古文孝經 一卷一册。舊題(漢)孔安國傳。日本室町末鈔本)箱號五七九、觀字一〇八號、天字〇一五六號、故觀號〇四六六〇
後補中國四鍼眼裝。濃紺中手表紙、書高二七・〇×幅一九・四㎝。帙なし。外題・書根の記載なし。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。目錄なし。卷首に「孝經直解第一/古文孝經序/(以下小字割注)…」、以下一〇葉。第一一葉オモテ八行に「古文孝經/開宗明義章第一 孔子傳」、以下第三〇葉まで本文。書末に「古文孝經終 勝貞」を記し、跋・識語なし。料紙は薄葉日本楮紙で黄變し、襯紙に中葉日本楮紙を插む。有界、四周單邊、版心白口・無魚尾、版心記載なし。每半葉匡郭、縱一八・三×横一四・七㎝、九行・行二〇字、小字雙行・行二〇字。全書に朱點・朱引き・傍訓、欄上二箇所に小島尚質の朱筆で高野本などによる校異の書き入れあり。蟲損なし。「小嶋氏/圖書記」「尚質/之印」「字/學古」および楊氏藏印記四種。
故宮目は書名を「古文孝經」と著錄するが、插み込まれた日本人の調査カードに「孝經直解」が適切と記す。
故宮新目上册一〇九頁(古文孝經一卷 附孝經直解一卷 一册。舊題(漢)孔安國傳。日本室町末鈔本)箱號五七九、觀字一〇九號、天字〇一五一號、故觀號〇四六六一號
後補日本四鍼眼裝。香色厚手表紙、書高二四・八×幅一六・〇㎝。帙なし。外題に「古鈔本古文孝經孔氏傳」を墨書。書根に墨記なし。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄なし。卷首に「古文孝經」と題し、以下本文二七葉。書末に「古文孝經終/經一千八百五十字/注八千七百六十四字」と記す。跋なし。孝經直解は附錄されない。料紙は日本楮紙で黄變し、中葉楮紙で總裏打ちする。有界、四周單邊、版心白口・無魚尾。版心記載なく、あたかも卷子本の罫紙で線裝本としたが如し。每半葉匡郭、縱一九・二×横一三・一㎝、七行・行一九字、小字雙行・行一九字。全書に朱點・朱引きとレ點・傍訓あり。「小嶋氏/圖書記」「弘前醫官澁/江氏藏書記」および楊氏印三種、書末に「楚弓」の墨印。室町末寫本。識語なし。裏打ち後もやや蟲損あり。
故宮目は「古文孝經一卷 附孝經直解一卷 一册」と著錄するが、「古文孝經一卷一册」が適切。
故宮新目上册一一〇頁(古文孝經一卷 附孝經直解一卷・孝經正義一卷 一册。舊題(漢)孔安國傳。日本江戸影鈔永祿三年鈔本)箱號五七九、觀字一一一號、天字〇一六〇號、故觀號〇四六六六
日本四鍼眼原裝。香色中手原表紙、書高二七・一×幅一九・〇㎝。帙なし。外題は「影古抄古文孝經」を墨書。書根に「孝經影古抄本 全」を墨書。扉に楊氏寫眞藏書票を貼る。目錄なし。卷首に「孝經直解卷第一/(以下小字割注)孔安國孔子十一世之孫漢武帝之國子博/士也字孔國武帝之時臨淮大守卒此傳蓋/與書同/時之/古文孝經序(以下小字割注)…」、以下一〇葉あって「孝經直解終/(小字)註此字異本ニ在リ」。第一五葉末尾に「孝經正義終」。第一六葉に「古文孝經 孔子傳」と題し、以下本文一九葉(第三五葉)あって書末に「古文孝經之終」。跋なし。料紙は薄葉日本楮紙、無界、四周單邊、版心白口・無魚尾、版心記載なし。每半葉匡郭、縱二一・七×横一六・三㎝、八行・行二四字、小字雙行・行二四字。「小嶋氏/圖書記」「強進□/事□堂」「(回文印)森立之印」「字/立之」「□□(陰刻)」「□/齋」等および楊氏藏印記種。第一葉にのみ朱點・朱引き、他に書き入れ等なし。書末欄外に「于時永祿十二己巳季十二□(月?)十三日牛刻書写…」、「森立夫舊藏本、辛丑夏五購」の識語あり。江戸後期の筆寫。僅かに蟲損。
故宮目は「日本江戸影鈔永祿三年鈔本」と著錄するが、「日本江戸〔後期〕鈔永祿十二年鈔本」が適切。
小學類
『釋名疏證』
故宮新目上册一五〇頁(釋名疏證八卷 續釋名一卷 補遺一卷 二册。(漢)劉熙撰。日本江戸間小島尚質鈔本。日本明治四年小島尚絅朱筆手校竝題記)箱號九五一、觀字一六七號、天字〇二一六號、故觀號〇九四二一・〇九四二二
日本四鍼眼原裝。澁引き赤茶栗皮中手表紙、書高二六・四×幅一七・六㎝。外題は「釋名疏證 一之四(五之八)」を墨書、第二册に「附 補遺/續釋名」も朱記。また楊氏が「メ匁(四兩)」を墨書。書根に「釋名疏證 上(下)」を墨書。乾隆五四年の畢沅「釋名疏證序」二葉、無記年の劉熙「釋名序」一葉、目錄二葉。卷首に「釋名疏證卷第一/漢 徴 士 北 海 劉(この間に朱筆で「字成國」)熙 撰/皇清兵部…畢沅疏證」と題し、以下本文。跋なし。料紙は中葉斐紙、界・邊・魚尾・版心なし。每半葉、一一行・行二二字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「博愛堂記」「尚絅/校讀」および楊氏藏印記二種。卷一末葉に朱筆で「明治辛未十一月十二日、照呂刻本一校。尚絅」。卷三末葉に寶素の墨筆で「此本向介伊憺甫、屬一士人鈔寫、分爲三册。其第一册被/張恭庭持去。恭庭没後、松屏書樓蕩爲灰燼、而/其本亦倶爲烏有。今新補寫、合裝以臧于家焉」。卷四末葉に墨筆で「文政辛巳四月二日、被擢爲直醫。後六日/宿于/西城直舍、夜半讀過。小島質燈下記」、朱筆で「辛未十一月廿三日、據呂仲木本、硃筆/校讀了。小島尚絅識」。卷五末葉に朱筆で「辛未十一月廿三日、校了。尚絅」。卷七末葉に朱筆で「十一月廿四日校了。菉灣尚絅」。卷八末葉に朱筆で「明治四年辛未十一月廿四日、照家臧明呂仲木刊本、/一校了。尚絅鐙下書」。書末に墨筆で「文政四年七月十日、讀完。是日侍于經筵、/聽學士林皝講魯論。源質記于直舍」、朱筆で「明治四年辛未十一月廿四日夜、讀于攷古齋鐙下。不肖孤尚絅」の識語。全書に朱墨の書き入れあり。蟲損わずか。
政書類
外國史類
故宮新目上册六三四頁(東國史略 六卷二册。(朝鮮)柳希齡撰。扉頁有星吾七十歳小像。朝鮮舊刊本。二一・二×一五・四㎝、十二行・行十九字、小字雙行・字數同。四周單欄、版心黑口、雙魚尾。中縫中記「東國史略卷次」及葉數。卷末有手書題記、天頭有墨筆校字、天頭有箚片。藏印記「星吾七十歳小像」「楊守敬印」「宜都楊氏藏書記」「星吾海外訪得祕笈」「養安院藏書」)箱號一二五四、觀字四九三號、天字〇四六三號、故觀〇一二〇二三~〇二四
朝鮮五鍼眼裝、茶色厚手朝鮮原表紙。書高三二・六×幅一九・七㎝。帙なし。外題は「篇名/東國史畧上(下)」、書腦に「廿二」、書根に「上(下)東畧」を墨書。見返しを剝がして楊氏寫眞藏書票を貼る。序・目錄葉なし。卷首に「東國史畧卷之一」と題し、以下本文六卷。跋なし。料紙は朝鮮中葉楮紙で黄變する。整版本。有界、四周單邊、版心黑口・雙内向花魚尾、魚尾間に「東國史畧幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・八×横一五・二㎝、一二行・行一九字、小字雙行・行一九字。一部キーワードを陰刻する。書き入れ等なし。書末に墨筆で「此書有明萬曆丁巳刻本、易其款式、/頗有訛字、又改稱朝鮮史略。是以後喪/之、國稱蒙屢代之名矣」の無名識語。僅かに蟲損。
當本は朝鮮一六世紀の整版本。あるいは文祿慶長役での將來か。
子部
兵家類
故宮新目下册六七五頁(黄石公三略 三卷一册。(秦)黄石公撰。正文卷端題「黄石公三略卷之上略」。日本元龜元年鈔本。一九・三×一五㎝、九行・行二十字。卷末手書題記「元龜元年庚午八月七日制心源藏主□□□化□□三□□書」「文祿二年癸巳卯月二日源□」「右本清家以正本校正之者也」。有朱筆句讀。藏印記「惺吾海外訪得祕笈」「森氏」「問津館」)箱號六九五、觀字五六〇號、天字〇六一〇號、故觀〇〇六四〇六
後補中國四鍼眼裝。濃紺薄手表紙、書高二七・二×幅一九・五㎝。帙なし。外題・書根の記載なし。舊表紙に「制心源藏主。花押」の墨書、見返しに漢字・片假名混じりで本書解題の識語あり。序・目錄なし。卷首に「黄石公三畧卷之上畧」と題し、以下本文三卷。跋なし。料紙は中葉三椏紙でやや黄變し、薄葉中國楮紙で襯裝する。有界、四周單邊、版心白口・無魚尾で、版心に記載なし。每半葉匡郭、縱一九・一×横一六・三㎝、九行・行二〇字。全書に朱引き、朱墨點・レ點・一二點・送り假名、書き入れあり。書末に墨筆で「元龜元年庚午(一五七〇)八月七日、制心源藏主。花押/……/文祿二年癸巳(一五九三)卯月二日。源□□(清家?)」、また別筆で「右本清家以正本校正之者也」の識語。蟲損・破損なし。
故宮目は「日本元龜元年鈔本」と著錄するが、「日本文祿二年鈔本」が適切。
農家類
故觀號06463本『齊民要術』
故宮新目上册六八一頁・阿部志九三頁(齊民要術 十卷六册。(後魏)賈思勰撰。明萬曆間海鹽胡震亨刊、祕册彙函本。日本嘉永辛亥(四年)小島質手校竝題記)箱號六九五、觀字五七八號、天字〇六二六號、故觀號〇六四六三~四六八
日本四鍼眼裝。ベージュ色中手表紙、書高二六・三×幅一六・七㎝。外題は「齊民要術 一(~十)」を墨書。書根に「一(~十) 齊民要術」を墨書。無記年の賈思勰「齊民要術序」七葉、「雜説」四葉、紹興甲子年の葛祐「齊民要術後序」二葉、嘉靖甲申年の王廷「齊民要術後序」二葉、無記年の胡震亨「書齊民要術後」二葉。卷首に「齊民要術卷第一/後魏高陽太守賈思勰撰」と題し、以下目錄と本文一〇卷。跋なし。料紙は竹紙。有界、左右雙邊、版心白口・白魚尾、魚尾下に「齊民要術卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・一×横一三・九㎝、九行・行一八字、小字雙行。「小嶋氏/圖書記」「江戸小/島氏八/世醫師」「尚質/之印」「字/學古」「尚質/校讀」「朱師/轍觀」および楊氏藏印記二種。卷一末葉に朱筆で「辛丑二月望前一夕讀。案師古注文、當是/後人妄添蛇足也」、卷五第四葉欄上に朱筆で「壬午夏初、據影鈔北/宋本補脱簡一葉。/向榮記」、卷五末葉に朱筆で「嘉永辛亥九月廿七日、據宋本訂正誤脱。宋本、高山寺所藏天聖/原刊本也。尚眞識」の識語。一部に朱引き、讀點、校異の書き入れあり。僅かに蟲損。
類書類
故宮新目下册八六一頁(事類賦 三十卷八册。(宋)呉淑撰並注。卷首有「事類賦序」紹興丙寅仲夏廾三日右迪功郎特差監潭州南嶽廟邊惇德謹序。正文卷端題「事類賦卷之一宋博士渤海呉淑 撰註 皇明都事錫山華麟祥校刊」。卷末有「刻事類賦敘」呉華雲著。卷末有「宋紹興丙寅右迪功郎特差監潭州南嶽廟邊惇德 左儒林郎紹興府觀察推官主管文字陳綬 右從政郎充浙東提舉茶塩司幹辦公事李端民校勘 皇朝嘉靖壬辰常州府無錫縣學生倪奉 施漸 浦錦 陸子明 苗子寔 秦采 兪寰 華復初 安如石重校」。明嘉靖壬辰〔十一年〕無錫崇正書院〔開封郡齋白石岩〕覆宋刊本。刻書年・出版年、明嘉靖甲午〔十三年〕。一九・五×一五㎝、十二行・行二十字、小字雙行・字數同。左右雙欄、版心白口、單魚尾。中縫上記崇正書院、中記事賦類卷次、下記葉次及刻工名。刻工名「王輝書(王輝、王、輝)、周慈、章元、雇迁、李清(青)、唐瓊、陸淮、章悅、潘祺、祁、何表、陸儒、陸宣、潘祈、顧銓、李澤、何球(求)、何鳳、何恩、何瑞、何忠、何文、何子榮(子榮、何榮)、陸臣、章享、何良、周允日、章守中、何鉦(正)、周永日、李受(綬)、方敖、明之、唐璚、方何、葉瑧(蓁)、秦鋆、瑞恩、何受、莫拙、陸鏊」。版框書耳刻有篇目名。書中有藍筆圈點。卷首有「進注事賦類狀」。扉葉有楊守敬肖像。藏印記「子孫永保雲煙家藏書記」「森氏開萬册之記」「星吾七十歳小像」「楊守敬印」「宜都楊氏藏書記」「星吾海外訪得祕笈」「綠靜堂圖書章」)箱號五〇八、觀字一一三六號、天字一一八三號、故觀〇〇三七〇五~七一二 『五百家注音辯昌黎先生文集』
故宮新目下册一〇二三頁(五百家注音辯昌黎先生文集 四十卷十五册。(唐)韓愈撰、(宋)魏仲舉編。三函。封箋題「韓文公全集」。全書無總目錄,每册前有抄錄該册詩文細目頁。卷端題「五百家註音辯昌黎先生文集」。日本元和間活字本。二二・二×一七㎝、九行・行十七字、小字雙行・行亦十七字。無界欄、雙欄、版心大黑口、雙魚尾。中縫中記「韓文」卷次、下記頁次。各家註解「孫曰」「祝曰」等以黑底白文醒目、「補注」以黑框醒目。全書通卷朱筆(或墨筆)句讀圈點、墨筆塗校。天頭偶有墨筆批校。藏印記「飛青閣藏書印」「星吾海外訪得祕笈」「伊澤氏酌源堂圖書記」「勝鹿文庫」「松本氏暴書印」)箱號七九九、觀字號未詳、天字一三六〇號、故觀〇〇七五六五~五七九
日本四鍼眼原裝。香色薄手押し目紋様表紙、書高二八・九×幅二一・二㎝。帙なし。外題は「所収篇名/韓文公全集一(~三十七之四十)」を墨書。書根に「韓文一(~卅七之卌)」を墨書。扉に各册所收篇名を墨書。序・目錄なし。卷首に「〔新刊〕五百家註音辯昌黎先生文集卷第一」と題し、以下本文四〇卷。跋なし。料紙は日本上質薄葉楮紙で黄變する。古活字版で無界、四周雙邊(匡郭の四角切れ)、版心大黑口・雙内向黑魚尾、魚尾間に「韓文幾 葉次」を印す。每半葉匡郭、縱二二・一×横一八・〇㎝、九行・行一七字、小字雙行・行一七字。小字の引用文獻名は陰刻。「勝鹿文庫」「松本氏/暴書印」「伊澤氏/酌源堂/圖書記」および楊氏藏印記二種。全書に朱引き、朱墨點・レ点・一二點・送り假名あり。識語・書き入れ等なし。いささか蟲損。
故宮目は「日本元和間活字本」と著錄するが、「日本〔元和間〕古活字本」が適切。
故宮新目下册一〇三二頁(孫可之文集 十卷一册。(唐)孫樵撰。明崇禎十六年黄燁然閩中刊本。日本小島質及小島瞻淇各手書題識、近人楊守敬手校竝跋)箱號一一八六、觀字一三三三號、天字號不詳、故觀號一一五九七
日本四鍼眼裝。焦げ茶薄手表紙、書高二四・八×幅一五・四㎝。外題と書根に「孫樵集」を墨書。扉部位に楊氏寫眞藏書票を插み貼る。正德丁丑年の王鏊「孫可之集序」二葉、無記年の孫樵「序」一葉、目錄四葉。卷首に「孫可之文集卷第一」の内題、以下本文。跋なし。料紙は中國楮紙、無界、四周雙邊、白口・無魚尾、無版心。版心部に「孫樵集幾卷 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一七・三×横一二・八㎝、七行・行一六字、小字雙行。「宜爾/子孫」「小野韓(?)/家藏書」「向黄□/珍臧印」「小嶋氏/圖書記」「葆素/所臧」「與子鐙/前共/讀書」「葆素堂/臧驚/人祕笧」および楊氏藏印記三種。見返しと書末に朱筆で楊氏の題記。また書末に朱筆で「天保甲辰長夏、讀完句以朱圏、蓋別先儒句/讀也。質記」「據海保漁村翁讀本、與廣瀬仁卿同校第七卷已下、舊元/句逗。今亦圏點別之、於先/儒□安政六季十月朔也。葆素/後人瞻淇」年の識語。全書に朱の讀點、朱引きあり。蟲損なし。
舊北平圖書館本
これまで臺北・故宮博物院圖書文獻館に所藏される醫藥古典籍等の書誌を、主に『四庫全書』本以外について報告してきた。それらは清代さらに一九一一年の辛亥革命以降から一九四九年の新中國成立以前まで、北京の故宮博物院に收藏されてきた文獻だった。一方、現在の臺北・故宮博物院には來歷の異なる舊北平圖書館本も所藏されている。
北平圖書館の前身は京師圖書館で、清末の宣統元(一九〇九)年から北京に建て始められた。二年後の辛亥革命で中華民國に移管され、一九一二年から正式に一般公開、一九一六年からは納本を受け入れるようになる。一九二八年に國立北平圖書館と改名され、翌年に北海圖書館も吸収、その主要な古典籍藏書の多くが國民黨の中華民國政府とともに臺灣に渡ったのである。ちなみに北平圖書館は殘された建物(今の中國國家圖書館舊館、普通古籍を收藏)と藏書を基に、新中國成立後の一九五〇年に北京圖書館となり、一九八八年からは中國國家圖書館と改名されている。
舊北平圖書館本は臺北に運搬された後、南京から移轉された中央圖書館(今の國家圖書館〔臺北〕)に收藏された。のち一九六八年に臺北・故宮博物院に一括移管され、現在にいたっている。ついてはこれら舊北平圖書館本のうち、日本關聨や貴重な醫藥古典籍の調査結果を本報告に附錄することにした。
凡例
一 以下の報告で「北平善目○○頁」と略記する文獻は、『國立北平圖書館舊藏善本書目』(國立中央圖書館編刊、臺北、一九六九)の○○頁に、當該書が著錄されることを示す。
二 「中圖善目○○頁」の略記は、『増訂二版 國立中央圖書館善本書目』(國立中央圖書館特藏組編、國立中央圖書館刊、臺北、一九八六)の○○頁にも、當該書が著錄されることを示す。
三 「阿部志○○頁」の略記は、阿部隆一『増訂 中國訪書志』(東京・汲古書院、一九八三年)に當該書の記載がある場合の所在頁を示す。
四 上記の北平善目○○頁・中圖善目○○頁・阿部志○○頁以下の( )内には、「北平善目」および「國立故宮博物院善本古籍資料庫」(http://npmhost.npm.gov.tw/tts/npmmeta/RB/RB.html)に記載の書誌を整理して轉記した。句讀點などの記號は日本式に改めたが、專門用語はそのままとした。
五 ( )以下の例えば「平一一〇一(一五七二)、五八六六/北平六三、平圖〇一一五二一~五二六」は、當該書ないし當該册につけられた歷代の整理番號。平一一〇一(一五七二)は北平圖書館時代の架藏號、五八六六は中央圖書館時代の架藏號、北平六三は現臺北・故宮での箱號、平圖〇一一五二一~五二六は現臺北・故宮での各册の架藏號を示す。マイクロフィッシュで調査した文獻には、フィッシュのケース番號を「マイクロ一三一八」のように記した。
醫理之屬
北平善目一三〇頁・中圖善目四六七頁(重廣補註黄帝内經素問 二十四卷六册。(唐)王冰註。明嘉靖庚戌(二十九年)武陵顧從德覆宋刊本)平一一〇一(一五七二)、五八六六/北平六三、平圖〇一一五二一~五二六
後補中國四鍼眼裝。淡紺色中手表紙、書高二八・一×幅一八・七㎝。外題なし。書頭に目錄四葉、林億等「重廣補註黄帝内經素問序」二葉、寶應元年の王冰「重廣補註黄帝内經素問序」三葉(末尾に孫兆・高保衡・孫奇・林億の列銜)。卷首に「重廣補註黄帝内經素問卷第一/(小字の新校正注一〇行)/啓玄子次註林億孫奇高保衡等奉敕校正孫兆重改誤/四篇名」と題し、以下本文二四卷。卷二四末葉ウラ第五行に「明修職郎直 聖濟殿…上海顧定芳校」の刊記一行あって、これは埋め木の修刻。書末に顧從德の復刻文二葉。料紙は薄葉白棉紙。有界、左右雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「内經幾 葉次 刻工名」を刻す。每半葉匡郭、縱二一・四×横一五・六㎝、一〇行、行二〇字、小字雙行・行三〇字。一部の刻工名を黑地白字にする。「趙銕/留鐵/賞印」「□氏珍臧/書畫記」「李」「留」「桂經/樓藏」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。全書の經文に朱點を打つが、おおむね注文にはなし。卷二〇末尾に朱筆で書き入れ二行あるが識語なし。卷三~六の版心部破損を裏打ち。補修後の蟲損なし。
當本は眞の顧從德本。
北平善目一三一頁・中圖善目四六七頁(補註釋文黄帝内經素問 十二卷、遺篇一卷 七册。(唐)王冰註。明趙府居敬堂刊本)平二二二五(一五七三)、五八六八/北平六四、平圖〇一一五九三~五九九
中國四鍼眼原裝(第一册のみ後補)。香色薄手表紙、書高三〇・三×幅一九・三㎝。外題は四周單邊の題簽に「黄帝素問内經」を印刷。書頭に林億等「重廣補註黄帝内經素問序」三葉、寶應元年の王冰「重廣補註黄帝内經素問序」五葉、總目四葉(末尾に「元本二十四卷今併爲一十二卷八/十一篇」)。卷首に「補註釋文黄帝内經素問卷之一/啓玄子次註林億孫奇高保衡等奉敕校正孫兆重改誤/(小字の新校正注一八行)」と題し、以下本文一二卷・遺篇一卷。跋なし。料紙は厚葉白棉紙で部分的に黄變する。有界、四周雙邊、版心白口・雙白魚尾、象鼻に「趙府居敬堂」、魚尾間に「黄帝素問卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・八×横一三・九㎝、八行・行一七字、小字雙行。「國立北/平圖書/館收藏」ほかの藏印記。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
當本は以下の靈樞と同帙本。
北平善目一三一頁・中圖善目四六七頁(補註釋文黄帝素問靈樞經 十二卷三册。(宋)史崧校正竝音釋。明趙府居敬堂刊本)平二二二六(一五七四)、五八七五/北平六四、平圖〇一一六〇〇~六〇二
中國四鍼眼原裝。香色中手表紙、書高三〇・三×幅一九・二㎝。外題は四周單邊の題簽に「黄帝素問靈樞經」を印刷。紹興乙亥年の史崧「黄帝素問靈樞經敍」二葉、「黄帝素問靈樞經目錄」六葉。卷首に「黄帝素問靈樞經卷之一」と題し、以下本文一二卷。跋なし。料紙は厚葉白棉紙で部分的に黄變する。有界、四周雙邊、版心白口・雙白魚尾、象鼻に「趙府居敬堂」、魚尾間に「靈樞經卷幾 葉次」、下象鼻に刻工名を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・〇×横一三・三㎝、八行・行一七字、小字雙行。「國立北/平圖書/館收藏」ほかの藏印記。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
當本は上記の素問と同帙本。
明版『仲景全書』趙開美序
北平善目一三一頁・中圖善目四六九頁(仲景全書 二十六卷五册。第一・二册:傷寒論。第三册:註解傷寒論。第四册:註解傷寒論・傷寒類證。第五册:金匱要略。第三册論圖「婁東仁宇楊士成校圖」。正文卷端題、第一册「傷寒論卷第一 仲景全書 第一、漢張仲景述、晉王叔和撰次、宋林億校正、明趙開美校刻、沈琳仝校」、第三册「註解傷寒論卷第一 仲景全書 第十一、漢長沙守張仲景述、晉太醫令王叔和撰次、宋聊攝人成無巳(ママ)註解、明虞山人趙開美校正」、第四册「傷寒論類證卷上 仲景全書 二十一、明虞山人趙開美校刊」、第五册「金匱要略方論卷上 仲景全書 二十四、漢長沙守張機仲景述、晉太醫令王叔和集、宋尚書司封郎中充秘閣校理臣林億詮次、明虞山人趙開美校刻」。序跋「刻仲景全書序/萬曆己亥三月穀旦海虞清常道人趙開美序」「傷寒論序/太子右贊善大夫臣高保衡、尚書屯田員外郎臣孫奇、尚書司封郎中祕閣校理臣林億等謹上」「傷寒論後序」「註解傷寒論序/時甲子中秋日洛陽嚴器之序」「傷寒類證序/時大定癸未九月望日河内宋雲公述」「金匱要略序/後至元庚辰樵川玉佩鄧珍敬序」「金匱要略方論序/太子右贊善大夫臣高保衡、尚書都官員外郎臣孫奇、尚書司封郎中充祕書閣校理臣林億等傳上」。明萬曆己亥(二十七年)海虞趙氏刊本。高廣一九×一二・五㎝、十行、行十九字。小字雙行、行亦十九字。單欄、版心白口、單魚尾。中縫上記「仲景全書」、中記卷次與葉次。牌記「世讓堂翻刻宋板趙氏家藏印」「世讓堂翻宋板」。卷首題記兩則「傷寒論世無善本、余所藏治平官刊大字景寫本而外、惟此趙清常本耳。友宗室伯兮祭酒曾懸重金購此本、不可得。僅得日本安政丙辰覆刻本(近蜀中又有刻本、亦從日本本出)今夏從廠賈魏子敏得此本完好無缺、惜伯兮不及見矣。(印記「翁」)時戊申中秋日戊辰」。又「北宋人官刻經注皆大字、單疏皆小字、所以別尊卑也。治平官本傷寒論乃大字經也、千金方、外台祕要皆小字、疏也、林億諸人濔於醫矣、南宋已後、烏足知此。矩菴又記(印記「大徐」)」。有墨筆圈校、朱筆句讀。藏印記「務本堂」「神農遺業」「姜問岥印」「秋農」「東海仙蠹室藏」)平二二二二、五八九二/北平六四、平圖〇一一六〇三~六〇七
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二六・八×幅一六・六㎝。清代藍布貼り一帙に收め、橙色題簽に「仲景全書 萬曆己亥趙清常/景宋刻本 坊」と墨書。外題なし。書根に「金(木・水・火・土) 仲景全書」を墨書。書頭に戊申年の矩庵(徐氏?)題記二文一葉、萬曆己亥年の趙開美「刻仲景全書序」四葉、無記年の林億等「傷寒論序」二葉、「醫林列傳」二葉、治平二年の鏤版施行文および列銜五葉、仲景全書目錄一九葉。卷首に「傷寒論卷第一 仲景全書第一/漢 張仲景述 晉 王叔和撰次/宋 林 億校正/明 趙開美校刻/沈 琳仝校/辨脉法第一 平脉法第二」と題し、以下本文一〇卷。第一册、卷四末葉に四周雙邊で「世譲堂/翻刻宋/板趙氏/家藏印」の木記。第二册目、傷寒論卷八・一〇末葉に四周雙邊で「世譲堂/翻宋板」の木記、および卷一〇末葉に「長洲趙應期獨刻」の刊記、また傷寒論後序一葉を附す。
第三册に甲子年の陽嚴器「註解傷寒論序」二葉、(仲景)「傷寒卒病論集」二葉、運氣論圖一三葉(末尾に「婁東仁宇楊士成校圖」の校記)、卷首に「註解傷寒論卷第一 仲景全書第十一/漢 長沙守 張仲景 述/晉 太醫令 王叔和撰次/宋 聊攝人 成無己註解/明 虞山人 趙開美校正」と題し、以下本文一〇卷。
第四册途中より大定癸未年の宋雲公「傷寒類證序」一葉、「傷寒活人略例」一葉、卷首に「傷寒類證卷上 仲景全書二十一/明 虞山人 趙開美校刊」と題し、以下本文三卷。
第五册に後至元庚辰年の鄧珍「金匱要略序」一葉、林億等「金匱要略方論序」二葉、卷首に「金匱要略方論卷上 仲景全書二十四/漢 長沙守 張 機仲景 述/晉 太醫令 王叔和 集/宋 (以下小字雙行)尚書司郎中/充祕閣校理臣(以下單行大字)林億詮次/明 虞山人 趙開美 校刻」と題し、以下本文三卷。跋なし。
料紙は竹紙でやや黄變する。有界、四周單邊、版心白口・白魚尾、象鼻に「仲景全書」、魚尾下に「卷幾(當該書) 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・三×横一三・三㎝、一〇行・行一九字、小字雙行。一部版木に割れある後印本だが、美本。墨丁の未刻文字は發見できない。宋板傷寒論の一部に墨筆讀點あり、識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
當本は眞の趙開美版で、修刻第二版の後印本。第一版は中國中醫科學院圖書館・上海圖書館・上海中醫藥大學圖書館に、第二版の先印本は瀋陽の中國醫科大學圖書館(滿洲醫科大學舊藏)にある。日本の内閣文庫本(紅葉山文庫舊藏)は趙開美第一版に基づく明清間の坊刻で、一部に誤刻や文字未刻の墨丁があり、『傷寒論』研究の底本には不適切。『經籍訪古志』以來の定説は改められねばならない。
北平善目一三一頁・中圖善目四七二頁(幼幼新書四十卷、拾遺方一卷 二十四册。(宋)王曆、王湜撰。明萬曆十四年古呉陳氏刊本)平二二二七(一五八二)、五九二九/北平六四、平圖〇一一六一六~六三九
中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二八・四×幅一八・一㎝。外題なし。書根に「首(~四十) 幼幼新書 一(~二十四)」を墨書。無記年の王世貞「序」八葉(首一葉缺)、無記年の劉鳳「重刻幼幼新書序」八葉、萬曆一四年の張應文「校刊幼幼新書序」四葉、紹興二〇年の李庚「幼幼新書古序」二葉、萬曆一四年の陳覆端「重刻幼幼新書敍」三葉、凡例九葉、目錄三六葉(三三葉ウラ以後補寫)。卷首に「幼幼新書卷第一 求端探本 凡一門/後學古呉陳覆端于始輯/錫山華承美以彰校」と題し、以下本文四〇卷、拾遺方一卷。書末に紹興□(空格)年の石才孺「幼幼新書古後序」二葉、無記年の樓璹跋一葉、無記年の王問卿「刻幼幼新書後序」三葉、無記年の余然「幼幼新書後題」二葉。各卷末の多くに樣々な刊記あり。料紙は中葉白棉紙。有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「幼幼新書」、魚尾下に「卷幾 葉次」、一部下象鼻に刻工名を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・三×横一三・〇㎝、九行・行二〇字、小字雙行。「眞州呉氏/多福讀/書堂藏書」「三立/齋」「袁氏/□□」「國立北/平圖書/館收藏」ほかの藏印記。識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損。
元版『新刊仁齋直指方』卷頭
北平善目一三一頁・中圖善目四七二頁・阿部志三四〇頁(新刊仁齋直指方 存五卷〔卷一~五〕一册。宋楊士瀛撰。元環溪書院刊本)マイクロ一三一八、平二二一九(一五八九)、五九三四/北平六四、平圖〇一一六四〇
マイクロ閲覽。裝訂・表紙・書根・書高幅・帙・外題・料紙は未詳。序なく、目錄は卷一三の後半から存一八葉。卷首に「新刊仁齋直指□□□□(方論卷之)一/…三山名醫仁齋楊 士瀛登夫 編撰/…建安儒醫翠峯詹 宏中洪道 校定」と題し、以下本文存五卷。左右雙邊、小黑口・雙下向黑魚尾、上魚尾下に「仁方幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉、一四行・行二四字、小字雙行。方名等を陰刻する。舊藏印記不詳。書き入れ・識語等なし。版心部の破損甚。
當本は版式他が臺北・故宮本の「宋末建安環溪書院刊」新刊仁齋直指方と同じだが、目錄頭の「環溪書院刊」部分を缺く。また臺北・故宮本は元刊本と判斷される。それゆえ北平善目・中圖善目は「元環溪書院刊本」と著錄するが、「元〔環溪書院〕刊本」が適切。
北平善目一三一頁・中圖善目四七三頁(蘭室祕藏 三卷三册。(金)李杲撰。元刊本)平二二一三(一五八六)、五九五〇/北平六四、平圖〇一一六四一~六四三
中國四鍼眼裝。芥子色薄手表紙、書高二三・〇×幅一三・九㎝。見返し・扉・序文なし。「蘭室祕藏目錄/東垣老人 李杲撰」一一葉。卷首に「蘭室祕藏卷上/東垣老人 李杲撰」と題し、以下本文三卷。料紙は黄變した竹紙。有界、四周雙邊、小黑口、雙黑魚尾間に「蘭室祕藏卷上(中・下) 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・五(外郭二〇・七)×横一二・一(外郭一二・八)㎝、一〇行・行一八字。「學部圖/書之印/以下は滿洲語」「京師圖書館收藏之記」「京師圖書/館收藏之印」「明善堂/覽書/畫印記」「安樂堂/藏書記」「伯寅藏書」の藏印記あり。識語・跋文・書き入れ等なし。全葉が裏打ちされる。
當本は臺北・故宮本の蘭室祕藏(新目下册六九二頁、三卷三册。明刊黑口本、箱號六一)と同版。故宮本の文字は肉太、當本は肉細だが、故宮本が柔らかめの白棉紙、當本が硬め竹紙のため、印刷の具合と墨の吸收度が違い、文字の太さの相違を生んでいる。また當本の匡郭は故宮本よりやや大きいが、裏打ちにより伸張した結果。匡郭・界の破損部等も一致するので、兩本ともに明遼藩の第二版たること疑いなし。北平善目・中圖善目は「元刊本」と著錄するが、「明〔前期〕刊黑口本」が適切。
北平善目一三一頁・中圖善目四七四頁(心印紺珠經 二卷一册。(元)朱撝撰。明嘉靖二十六年嘉興知府趙瀛刊本)平二二一七(一五九二)、五九六八/北平六四、平圖〇一一六四四
後補中國四鍼眼裝。薄紺色薄手表紙、書高二五・六×幅一六・二㎝。外題なし。嘉靖二六年の趙瀛文海「重刊心印紺珠經序」二葉、無記年の朱撝「心印紺珠經序」三葉、目錄なし。卷首に「心印紺珠經(缺「上卷」)」と題し、以下本文二卷。跋なし。料紙は白棉紙。有界、四周單邊、版心白口・線魚尾、魚尾下に「幾卷 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・七×横一四・一㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「徽國/杏齋」「朱子環/小之印」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
北平善目一三二頁・中圖善目四七五頁(元敖氏傷寒金鏡錄 一卷一册。題 元杜本撰。明嘉靖己未(三八年)北海馬崇儒校刊本)マイクロ一三二一、平二〇一二(一五九九)、五九九八/北平六五、平圖〇一一七六五
マイクロ閲覽。裝訂・表紙・書根・書高幅・帙・外題・料紙は未詳。無記年の陳楠「續刊傷寒金鏡錄序」一葉、嘉靖己丑年の薛己「傷寒金鏡錄論」四葉(末尾に「良醫馬崇儒校刊」の刊記)、至正元年の杜先生「元敖氏傷寒金鏡錄」二葉、至正元年の蕭璜鳴「傷寒用藥説」約一葉、目錄なし。卷首に「元敖氏捷徑傷寒金鏡錄」と題し、以下本文一卷で、舌圖は小柴胡湯から涼膈散まで三六ある。書末に無記年の湯紹恩「傷寒金鏡錄後序」一葉、その末行に嘉靖己未年の「北海堯崗馬崇儒校刊」の刊記あり。有界、四周雙邊、版心白口・下向雙黑魚尾、魚尾間に葉次を刻す。每半葉、九行・行一七字、小字雙行。「國立北/平圖書/館所藏」の藏印記のみ。書き入れ・識語等なし。蟲損・破損未詳。
北平善目一三二頁・中圖善目四七五頁(玉機微義 存九卷二册。(明)徐用誠撰。明初刊黑口十行本)平二二一一(一五九〇)、六〇〇一/北平六四、平圖〇一一六四五~六四六
後補中國包背裝。濃紺艶出し中手表紙、書高二七・二×幅一五・〇㎝。外題なし。序・目錄等缺落。現存部分は卷首に「玉機微義卷之二十一」と題し、以下本文。現存は卷二〇(前缺)・二一・二二・二三・二四・二五・二六・二七・二八・二九(後缺)の計一〇卷。料紙は繊維の見える竹紙で黄變・破損し、竹紙と薄葉楮紙で二重に裏打ちする。有界、四周雙邊、版心大黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「玉機卷幾 篇名 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・一×横一二・七㎝、一〇行・行二四字、小字雙行。「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記のみ。識語・書き入れ等なし。補修後の蟲損なし。
北平善目・中圖善目は「存九卷」と著錄するが、「存一〇卷」が適切。
北平善目一三二頁・中圖善目四七五頁(玉機微義 五十卷十六册。(明)徐用誠撰。明正統己未(四年)陳有戒等陝西刊本)平二二二四(一五九一)、六〇〇七/北平六四、平圖〇一一六四七~六六二
後補中國包背裝。紺色薄手表紙、書高二九・九×幅一六・七㎝。外題なし。正統己未年の楊士奇「玉機微義序」六葉、總目一葉、目錄六六葉。卷首に「玉機微義卷之一」と題し、以下本文五〇卷。書末に□□(破損、洪武)丙子年の莫士安「玉機微義序」三葉、洪武丙子年の劉純「玉機微義序」二葉、洪武□□(破損)年の王暹「書玉機微義後」四葉。料紙は薄葉白棉紙で大部分黄變し、破損部を裏打ちし、襯紙に宣紙を插む。有界、四周雙邊、版心大黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「方 葉次幾(卷一からの通し)」を刻す。每半葉匡郭、縱二二・四×横一四・〇㎝、一〇行・行二五字、小字單行。「京師圖書/館收藏之印」の藏印記のみ。識語・書き入れ等なし。補修後の蟲損なし。
北平善目一三二頁・中圖善目四七六頁(全幼心鑑 四卷十二册。(明)寇平撰。明成化四年寶幼堂刊本)平二〇四三(一五九八)、六〇一五/北平六五、平圖〇一一七六七~七七八
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二五・〇×幅一五・六㎝。外題の題簽あるが記入なし。書根に「一凡十二(~十二) 全幼心鑑」を墨書。成化四年の宼平衡美「全幼心鑑序」三葉、目錄八葉の末尾に幼兒を描き寶幼堂と記す。卷首に「全幼心鑑卷之一」と題し、以下本文四卷。跋なし。料紙は繊維の見える竹紙で黄變、宣紙で襯裝し、破損部を補修。無界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「春(夏・秋・冬)幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・八×横一三・〇㎝、一二行・行二四字、小字單行。「明善堂/覽書/畫印記」「安樂堂/藏書記」「煕徽/私印」「徽」「□□/堂印」「誠□/居士」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語なし。一部に朱點。補修後の蟲損なし。
北平善目一三二頁・中圖善目四七八頁(醫學綱目 四十卷二十四册。(明)樓英撰。明嘉靖乙丑(四十四年)曹灼校刊本)平二〇一三(一六〇一)、六〇四四/北平六五、平圖〇一一七七九~八〇二
後補中國四鍼眼裝。紺色中手表紙、書高二九・一×幅一七・四㎝。外題なし。嘉靖乙丑年の曹灼「醫學綱目序」四葉、無記年の樓英「醫學綱目序」二葉、序例一葉、目錄七二葉。卷首に「醫學綱目卷之一」と題し、以下本文四〇卷。跋なし。料紙は中國楮紙で、破損部を裏打ち。有界、左右雙邊、版心白口・白魚尾、魚尾下に「醫學綱目卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱外郭一九・〇(内郭一七・二)×横一四・八㎝、上段行三字、下段一三行・行二二字、小字雙行・行二二字。「□/品」「戟眉/鑑賞」「湯□彬印(回文印)」「適/□」および「國立北/平圖書/館收藏」藏印記。識語なし。一部に朱點・朱引き、朱筆書き入れあり。蟲損なし。
北平善目一三二頁・中圖善目四七九頁(痘疹世醫心法十二卷、痘疹格致要論十一卷 六册。(明)萬全撰。明萬曆辛丑(二十九年)刊本)平二〇二二(一六〇六)、六〇五三/北平六五、平圖〇一一八〇三~八〇八
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二七・八×幅一七・一㎝。紺布貼り舊一帙に收める。外題なし。萬曆一三年の曹繼孝「重刻痘疹心要序」三葉、萬曆辛丑年の蘷舜卿「重刻痘疹心要引」二葉、嘉靖二八年の萬全「痘疹世醫心法序」一葉、目錄二葉、痘疹碎金賦一四葉。卷首に「痘疹世醫心法卷之一」と題し、以下本文一二卷三册。痘疹格致要論は序・目錄なく、卷首に「痘疹格致要論卷之一/羅田縣密齋萬全 著」と題し、以下本文一一卷三册。書末に萬曆乙酉年の張鶴鳴「刻痘疹心要後序」二葉、萬曆辛丑年の龔景福跋一葉。料紙は白棉紙で一部黄變する。兩書とも有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「痘疹心要卷幾 葉次」、下象鼻に刻工名を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・七×横一四・九㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記のみ。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
書名が紛らわしいが、痘疹世醫心法と痘疹格致要論の二書の叢書名が「痘疹心要」ということになる。
北平善目一三二頁・中圖善目四七九頁(痘疹格致要論 十一卷五册。(明)萬全撰。明嘉靖間羅田萬氏原刊本)平二〇一四(一六〇七)、六〇五五/北平六五、平圖〇一一八〇九~八一三
後補中國四鍼眼裝。黄綠色薄手表紙、書高二四・七×幅一七・〇㎝。外題は第一表紙だけに「痘疹格致要論」を黑ボールペンで記す。書根に「壹(~
伍)」を墨書。無記年の無名氏「痘疹格致要論序 萬密齋全書」一葉、目錄なし。卷首に「痘疹格致要論卷之一/羅田縣密齋萬全 著」と題し、以下本文。跋なし。料紙は竹紙で黄變し、襯紙に宣紙を插む。有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「痘疹心要卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・九×横一四・七㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「明善堂/覽書/畫印記」「安樂堂/藏書記」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語・書き入れ等なし。やや蟲損。
前掲の痘疹格致要論は當本の模刻だろう。
北平善目一三二頁・中圖善目四七九頁(祕傳經驗痘疹 不分卷二册。(明)黄廉撰。明嘉隆間刊本)平二〇二七(一六〇八)、六〇五八/北平六五、平圖〇一一八一四~八一五
後補中國四鍼眼裝。薄紫色薄手表紙、書高二四・一×幅一五・四㎝。紺布貼り新一帙に收める。外題なし。序なし、目錄三葉。卷首に「祕傳經驗痘疹」と題し、以下本文。跋なし。料紙は中國楮紙でやや黄變し、破損・蟲損・版心切れの部分を裏打ちする。有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、魚尾下に「小兒痘科葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一八・〇×横一一・五㎝、九行・行一八字、小字雙行。「明善堂/覽書/畫印記」「安樂堂/藏書記」「□城□氏瞿□/□堂圖書印記」「奅?陵□土縣臧書印」「□/仁徐?」「江城和/書樓」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語・書き入れ等なし。補修後の蟲損なし。
明〔嘉靖〕刊『醫家二要脈寶決疑』
北平善目一三二頁・中圖善目四八〇頁(醫家二要脈寶決疑 二卷一册。(明)嚴治撰。明刊本)平二〇二六(一六〇五)、六〇六二/北平六五、平圖〇一一八一六
後補中國四鍼眼裝。薄紺色薄手表紙、書高二三・七×幅一五・三㎝。紺布貼り新一帙に收める。外題なし。崇禎庚辰年の嚴起恒「醫家二要序」二葉、無記年の無記名「醫家二要自序」一葉、「醫家二要隨圖脉賦/瀀川傅滋著」五葉、目錄なし。卷首に「醫家二要脈寶決疑卷之上/太醫院醫官山陰嚴治朝重甫編輯」と題し、以下本文三卷。跋なし。版木割れある後印本。料紙は竹紙でやや黄變し、蟲損部を裏打ちする。有界、四周單邊、版心白口・無魚尾、象鼻に「醫家二要卷幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・三×横一二・一㎝、九行・行一八字、小字雙行。「明善堂/覽書/畫印記」「安樂堂/藏書記」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語なし。一部に墨點あり。補修後の蟲損なし。
北平善目・中圖善目は「二卷」本と著錄するが、「三卷」本が適切。また「明刊本」と著錄するが、字體・版式からすると「明〔嘉靖〕刊本」が適切だろう。本書は大陸にも日本にも現存が確認されない孤本。
北平善目一三二頁・中圖善目四八一頁(經絡箋註 二卷二册。(明)韋編撰。傳鈔明崇禎丙子(九年)刊本。)平二〇一〇(一六〇九)、六〇八八/北平六五、平圖〇一一八一七~八一八
後補中國四鍼眼裝。薄芥子色薄手表紙、書高二七・五×幅一八・〇㎝。外題なし。書根に「上(下) 女科萬金方」を墨書。寫本。崇禎丙子年の男・明輔「小引」二葉、凡例二葉、目錄二葉。卷首に「經絡簽註卷上/西呉韋 編勤甫 纂述 男/明輔 訂正/明傑 同較」と題し、以下本文。跋なし。料紙は竹紙で黄變し、襯紙に白棉紙を插む。界・邊・魚尾なく、版心に「經絡簽註 卷上(下) 葉次 文字數」を記す。每半葉、一〇行・行二二字。「安樂堂/藏書記」「明善堂/珍藏書/畫印記」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語なし。全書に朱點、欄上に墨筆書き入れ少々あり。蟲損なし。
北平善目・中圖善目とも書名を「經絡箋註」と著錄するが、「經絡簽註」が適切。
醫方之屬
北平善目一三三頁・中圖善目四八四頁(葛仙翁肘後備急方 八卷八册。(晉)葛洪撰。明嘉靖間襄陽知府呂容刊本)平二二一五(一五七六)、六一二八/北平六四、平圖〇一一六六三~六七〇
後補中國四鍼眼康煕裝。香色(一部後補で淡紺色)薄手表紙、書高二七・八×幅一六・八㎝。外題なし。至元丙子年の叚成己「葛仙翁肘後備急方序」と無記年の葛洪「葛仙翁肘後備急方序」と庚辰年の陶弘景「華陽隱居補闕肘後百一方序」で計六葉、無記年の無名氏「鹿鳴山續古序」半葉、皇統四年の楊用道「附廣肘後方序」一葉半、目錄四葉。卷首に「葛仙翁肘後備急方卷之一」と題し、以下本文。跋なし。料紙は白棉紙で黄變し、中國襯紙を插む。有界、四周雙邊、版心白口・雙白魚尾、象鼻に「備急方」、魚尾間に「元(亨~) 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱一九・三×横一四・三㎝、一〇行・行二〇字。「學部圖/書之印/以下は滿洲語」「京師圖書/館收藏之印」「袁□愷/臧書」「葉石?臧印(回文印)」「完/□」の藏印記。識語・書き入れ等なし。僅かに蟲損、版心切れ。
北平善目一三三頁・中圖善目四八四頁(千金翼方 三十卷十册。(唐)孫思邈撰。明萬曆乙巳(三十三年)金壇王肯堂校刊本)平二二二三(一五七七)、六一三五/北平六四、平圖〇一一六七一~六八〇
後補中國四鍼眼裝。金銀箔散らし薄クリーム色薄手表紙、書高二六・八×幅一七・〇㎝。外題なし。書根に「一(~十) 千金翼方」を墨書。萬曆乙巳年の王肯堂「新刻千金翼方序」四葉、無記年の林億等「校正千金翼方敍」二葉、無記年の孫思邈「千金翼方敍」二葉、綱目四葉、目錄四七葉。卷首に「千金翼方卷第一 (小字)藥錄纂要/宋朝奉郎守太常少卿充祕閣校理林億等校正/明翰林院檢討國史纂修官王肯堂重校/孫雲仍王廷鑑同校」と題し、以下本文三〇卷。料紙は白棉紙。有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「千金翼方」、魚尾下に「卷幾 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・三×横一四・三㎝、一〇行・行二〇字、小字雙行。「曾閤?源室徃?臧(回文印)」「歸實□」「臣□□印(回文印)」「憲/奎」「仔/浦」「惟?悳堂」「顧高塁?印(回文印)」「□之/私印」「顧□/之印」「顧藝台印(回文印)」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。書末に墨筆で「乙酉年八月黄翰閲」の識語。書き入れ等なし。蟲損なし。
〔南〕宋刊『外臺祕要方』
北平善目一三三頁・中圖善目四八五頁・阿部志三四〇頁(外臺祕要方 存二〔卷一~二〕卷二册。(唐)王燾撰。宋兩浙東路茶鹽司刊本)マイクロ一三三五、平二八四六(二六〇二)、六一三六/北平九三、平圖〇一八六二九~六三〇
マイクロ閲覽。裝訂・表紙・書根・書高幅・帙・外題・料紙は未詳。無記年の孫兆「校正外臺祕要方序」一葉、缺落につき不詳年の王燾「外臺祕要方序」存二葉、目錄なし。卷首に「外臺祕要方卷第一/傷寒上一/十二門/朝散…林 億等上進」と題し、以下に卷別目錄と本文存二卷。卷一末尾に「右從事郎充兩浙東路提擧茶鹽司幹辦公事趙 子孟 校勘」の銜名を刻す。料紙未詳。有界、左右雙邊、版心白口・單黑魚尾、版心記載は破損で不詳。每半葉、一三行・行二五字、小字雙行・行二九?字。舊藏印記不詳。書き入れ・識語等なし。版心附近の破損甚大。
當本は諸特徴が靜嘉堂文庫・宮内廳書陵部・中國國家(北京)圖書館所藏本と一致する南宋版につき、「〔南〕宋兩浙東路茶鹽司刊本」が適切。
北平善目一三三頁・中圖善目四八七頁(新刊婦人良方補遺大全 存十六卷〔存卷三至卷六、卷十三至卷二十四〕 三册。(宋)陳自明撰。明天順八年刊本。日人朱墨校註。清宣統庚戌(二年)楊守敬手書題識)平號不詳(一五八三)、六一六二/北平六四、平圖〇一一六八五~六八七
後補日本四鍼眼裝。薄色薄手表紙、書高二五・三×幅一六・七㎝。外題なし。書根に「一(~三)婦人良方」を墨書。見返しに楊氏寫眞藏書票を貼る。日本楮紙に烏絲欄を引く楊氏の題記一葉を插む。序・目錄なし。卷首に「新刊婦人良方補遺大全卷之三/臨 川 陳 自明 良甫編集/鼈 峯 熊 宗立 道軒補遺」と題し、以下本文存卷三~六、卷一三~二四。料紙は中國薄葉楮紙で黄變する。有界、左右雙邊、版心小黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「良方卷幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱一八・〇×横一二・三㎝、一二行・行二二字、小字雙行。「朱師/轍觀」「國立北/平圖書/館收藏」およびの楊守敬の藏印記五種。識語なし。全書に朱墨點・朱引き、欄外に朱墨の書き入れあり、いずれも江戸中期以前の所筆。蟲損相當に大。
日本舊藏本。北平善目・中圖善目ともに「明天順八年刊本」と著錄するが、これは楊氏の題記が當書を森志著錄の天順八年刊本の殘本か、と推測することに據る。そうした刊記等はないので「明〔天順八年〕熊宗立道軒刊本」が適切。
〔元末明初〕刊『永類鈐方』
北平善目一三三頁・中圖善目四八八頁・阿部志三四一頁(永類鈐方 存五卷(存九~一三卷)一册。(元)李仲南撰。元刊本)マイクロ一三四〇、平二二二一(一五八七)、六一七七/北平六四、平圖〇一一六九〇
マイクロ閲覽。裝訂・表紙・書高幅・帙・外題・書根の狀態未詳。序・目錄なし。卷首に「永類鈐方卷第九」と題し、以下本文は卷一三第四〇葉まで存、合五卷。跋なし。料紙未詳。有界、四周單邊、版心白口・雙内向(又は下向)黑魚尾、魚尾間に「卷幾 葉次」を刻す。每半葉、一八行・行三〇字。病門を跨行大字で墨蓋子下に、出典と處方名を( )内(一部は陰刻)に記す。出典は和劑・御藥院・直指・濟生・楊氏・本事・浩(澹?)寮・簡易・百一選・三因・活人・事證方・秘傳・西川石刻・究原・經驗・夷堅志など。藏印記不詳(なし)。全書に書き入れ・識語等なし。蟲損・破損甚。
李仲南撰を示す部分なく、〔(元)李仲南撰〕が適切。阿部志は實見により〔元末明初間〕刊本と審定する。
北平善目一三三頁・中圖善目四八八頁・阿部志三四一頁(濟生拔粹方 存六卷〔卷一~六〕三册。(元)杜思敬撰。元至正辛巳(元年)眞定白楡刊本)マイクロ一三四一、平二二一二(一五八八)、六一七八/北平六四、平圖〇一一六九一~六九三
マイクロ閲覽。裝訂・表紙・書根・書高幅・帙・外題・料紙は未詳。□二年の寶善老人「不詳序」(概ね破損)存一葉、至正辛巳年の眞定後學白楡「濟生拔粹方(序)」三葉、總目二葉(全一九卷)。卷首に「鍼灸節要 濟生拔粹方卷第一」と題し、以下本文は卷六「醫學発明」末葉まで存。有界、四周雙邊、版心黑口・雙下向黑魚尾、象鼻右に刻字數、上魚尾下に所收の書名、下魚尾下に葉次を刻す。每半葉匡郭、一二行・行二四字、小字雙行。方名等を陰刻する。藏印記未詳。一部缺葉を補寫する。識語・書き入れ等なし。書頭および版心附近の破損大。
北平善目・中圖善目は「杜思敬撰。…白楡刊本」と著錄するが、「寶善老人〔杜思敬〕撰。…白楡序刊本」が適切。
北平善目一三三頁・中圖善目四八八頁(袖珍方 四卷十六册。(明)朱橚撰。明正德四年御用太監廖氏中州刊本)平二二二九(一五九三)、六一八一/北平六四、平圖〇一一六九四~七〇九
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高三〇・一×幅一八・二㎝。外題は全册表紙に「袖珍方 聖與臧」、書根に「一凡十六(~十六)」を墨書。正德四年(一五〇九)の陳杰「重刊袖珍方序」三葉、乙未年の無名氏「序」二葉、目錄一四葉。卷首に「袖珍方卷之一」と題し、以下本文四卷。書末に正德四年の丘永後序二葉。料紙は白棉紙で一部黄變。有界、四周雙邊、版心大黑口・雙黑魚尾、魚尾間に「袖珍方幾卷 葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二一・四×横一五・九㎝、一一行・行二〇字、小字單行。「繩品二/識」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
北平善目・中圖善目は「(明)朱橚撰」と著錄するが、正しくは明・太祖帝の第五子・朱橚(周府定王)の命により、洪武年間初に太醫院で良醫の官にあった李恆が編纂した書。が、そうした記載部分は當本にないので、「(明)〔李恆〕撰」が適切。本書は洪武二三年(一三九〇)に初刊されたが、傳本はない。永樂一三年(一四一五)刊本が北京大學圖書館に、成化九年(一四七三)熊氏中和堂重刊本が武田・杏雨書屋に、弘治五年(一四九二)楊氏清江書堂重刊本が内閣文庫と龍谷大學大宮圖書館に所藏される。
北平善目一三三頁・中圖善目四八八頁(魁本袖珍方大全 四卷八册。(明)王永輔撰。明刊黒口本。清顧之逵手書題識)マイクロ一三四三、平二二一四(一五九四)、六一八二/北平六四、平圖〇一一七一〇~七一七
マイクロ閲覽。裝訂・表紙・書高幅・帙・外題・書根の狀態未詳。序なく、目錄四葉。卷首に「魁本袖珍方大全卷之一」と題し、以下本文四卷。跋なし。料紙不詳。有界、四周雙邊、版心黑口・雙下向黑魚尾、魚尾間に「袖珍方大全幾」、下象鼻下に葉次を刻す。每半葉一五(一六)行・行三〇(三一)字、小字單行。處方名を陰刻する。彫りは劣。書末に「新刊袖珍方大全卷之四 畢」と題し、顧之逵の識語半葉あって當本を宋麻沙刻本という。缺葉は補寫する。一部上欄に書き入れあり。「京師圖/書館藏/書之記」「京師圖書/館所藏之印」の藏印記あり。朱墨點なし。いささか破損する。
當本は「魁本」や「新刊」を書名に冠し、「大全」まで附すが、内容は前揭の『袖珍方』と同じ。また當本に著編者の記載はないが、北平善目・中圖善目は「(明)王永輔撰」と著錄する。これは明の一五三〇年代以降に著された王永輔『簡效惠濟方書』が、一六世紀後半頃の坊刻時に『袖珍方』の序文を轉載して書名も『簡選袖珍方書』に改められたため、著編者を記さない『魁本袖珍方大全』が逆に王永輔撰とされた混亂による。したがって當本は「(明)〔李恆〕撰」の著錄が適切。
北平善目一三四頁・中圖善目四八九頁(衛生易簡方 十二卷十二册。(明)胡濙撰。明嘉靖四十一年太醫院刊本)平號不詳(一五九六~一、二)、六一八五/北平六五、平圖〇一一八二一~八三二
後補中國四鍼眼裝。灰色薄手表紙、書高三〇・二×幅一九・〇㎝。外題なし。紺布貼り二帙に收める。宣德丁未年の楊士奇「衛生易簡方序」三葉、永樂二〇年の胡濙「進衛生易簡方表藁」八葉、嘉靖四一年の李春芳「衛生易簡方題稿」二葉、目錄五葉。卷首に「衛生易簡方卷之一」と題し、以下本文一二卷。書末に永樂甲辰年の胡濚(ママ)「跋衛生易簡方後」二葉、宣德丁未年の夏原吉の跋四葉、宣德二年の黄淮「衛生易簡方後序」六葉、宣德二年の金幼孜「書衛生易簡方後」三葉、宣德丁未年の楊溥「書衛生易簡方後」二葉、無記年の金華貝「衛生易簡方後題辭」三葉、宣德二年の曾棨「書衛生易簡方後」三葉、無記年の王英跋二葉、無記年の王直「題衛生易簡方後」二葉。料紙は白棉紙で一部黄變し、中國襯紙を插む。有界、四周雙邊、版心大黑口・黑魚尾、魚尾下に「易簡方元(亨~)葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・六×横一六・二㎝、一〇行・行二〇字。「人見元/德藏書」「德(圓印)」「奚暇齋/讀本記」「中□/洞門」「天竟/先生/獨志/堂抮?」「宜爾/子孫」「小野韓?/家藏書」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語・書き入れ等なし。破損・蟲損部を日本楮紙で裏打ちし、後の蟲損なし。
當本は多紀元堅らの日本舊藏本。北平善目・中圖善目は「明嘉靖四十一年太醫院刊本」と著錄するが、「明嘉靖四十一年序刊本」が適切。
北平善目一三四頁・中圖善目四八九頁(仁術便覽 四卷八册。(明)張浩撰。明萬曆乙酉(十三年)恆山郡守王再聘刊本)平二〇一一(一六〇三)、六一九七/北平六五、平圖〇一一八四三~八五〇
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二六・七×幅一六・六㎝。外題なし。萬曆乙酉年の王再聘「仁術便覽序」一葉、萬曆乙酉年の方應選「仁術便覽序」三葉、目錄二葉。卷首に内題なく、直接本文。書末に萬曆乙酉年の周九臯「題仁術便覽後」二葉。料紙は竹紙で黄變する。有界、四周雙邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「仁術便覽」、魚尾下に「卷幾 葉次」、ごく一部の下象鼻に刻工名を刻す。每半葉匡郭、縱一九・九×横一四・三㎝、九行・行一八字、小字雙行。「安樂堂/藏書記」「明善堂/覽書/畫印記」および「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語・書き入れ等なし。版心切れ、少々蟲損。
北平善目・中圖善目は「萬曆乙酉(十三年)恆山郡守王再聘刊本」と著錄するが、「萬曆乙酉(十三年)序刊本」が適切。
北平善目一三四頁・中圖善目四九〇頁・阿部志なし(蕃牧纂驗方 二卷一册。(宋)王愈撰。元刊本)平二〇二五(一六一五)、六二〇七/北平六五、平圖〇一一八五一
後補中國四鍼眼裝。紺色薄手表紙、書高二四・六×幅一五・八㎝。外題なし。序なし。「蕃牧纂驗方目錄卷八(上下二卷の内容)」二葉。卷首に「蕃牧纂驗方卷上/奉議即提擧京西路給地馬牧馬王 愈 編集」と題し、以下本文二卷。各篇名は墨蓋子を冠し、跨行で大書する。書末には目錄にない「駞患黑瘡病第一」から「駞患胸黄病三十四」までがあり、各疾患の駱駝圖と症狀・治療法を半葉に二圖を描き附す。跋なし。料紙は繊維混じりの竹紙で黄變し、襯紙に宣紙を插み、版心を中心とした破損部を繊維混じる黄色の竹紙で裏打ちする。有界、四周雙邊、版心黑口・雙黑魚尾、版心の記載は破損で不明。每半葉匡郭、縱二〇・〇×横一三・二㎝、一四行・行二五字、小字なし。「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記のみ。識語・書き入れ等なし。補修後の蟲損なし。
北平善目・中圖善目は「元刊本」と著錄するが元版の字體・彫刻ではなく、明らかに明前期までのもの。「明〔前期〕刊本」が適切。
北平善目一三四頁・中圖善目四九〇頁・阿部志三四二頁(新刊監本安驥藥方 存一卷〔卷七〕一册。(宋)不著撰人。元刊本)マイクロ一三四八、平二〇二四(一六一六)、六二〇九/北平六五、平圖〇一一八五二
マイクロ閲覽。裝訂・表紙・書高幅・帙・外題・書根の狀態未詳。序・目錄・卷首なく存一六葉。書末に跨行大字で「新刊監本安驥藥□(方)卷之七」と題す。跋なし。料紙は繊維混じりの竹紙で黄變し、版心部の破損甚。有界、四周雙邊、版心黑口・黑魚尾、版心記載不詳。每半葉、一四行・行二四字、小字雙行。方名を( )に入れて陰刻する。藏印記未詳。書き入れ等・識語なし。蟲損不詳。
十分な古びが感じられ、北平善目・中圖善目は「元刊本」と著錄する。阿部志は〔元末明初間〕とするが、錢の俗字が多く見え、字體・彫刻からも「明〔前期〕刊本」が適切だろう。
藥物之屬
蒙古刊『重修政和經史證類備用本草』
北平善目一三四頁・中圖善目四九一頁・阿部志三四二頁(重修政和經史證類備用本草 存二〇卷(缺卷一、二、一〇、一三、二四~二六、二八~三〇)二三册。元李仲南撰。宋唐慎微編。金刊本)マイクロ一三四九、平二二三二(一五七九)、六一二五/北平六四、平圖〇一一七一八~七四〇
マイクロ閲覽。中國四鍼眼裝。表紙、書高幅・帙不詳。外題は表紙に「一五七九/重修政和經史證類備用本草/一/存廿三册」を墨書。序なし。卷三目錄二葉。卷四首に「重修政和經史證類類備用本草卷第四/己酉新/増衍義/成 都 唐 慎微 續 證 類/中衛…臣曹孝忠奉/敕校勘/玉石部中品總八十七種…/…」と題し、以下本文存二〇卷。跋なし。料紙未詳。有界、四周雙邊、版心白口・雙下向黑魚尾、魚尾間に「本草幾」、下魚尾下に葉次、一部下象鼻に刻工名を刻す。每半葉、一一行・行一七字、小字雙行・行二六字。「國立北/平圖書/館所藏」「延古堂李氏珍臧」「毛晉」ほかの藏印記。書き入れ等なし。識語なし。一部はかなり破損。
當本は諸特徴の一致より中國國家(北京)圖書館所藏の蒙古定宗四年(一二四九)平陽張存惠晦明軒刊本と同版だが、これを北平善目・中圖善目ほかが「金刊本」と著錄するのは四庫提要以來の失考。當本は各卷首に「己酉新/増衍義」とあるのみで晦明軒の牌記等部分を缺くので、「〔蒙古定宗四年平陽府張存惠晦明軒〕刊本」が適切。
北平善目一三四頁・中圖善目四九一頁(重修政和經史證類備用本草 三十卷二十四册。(宋)唐愼微撰。明成化戊子(四年)山東巡撫原傑重刊本)平二二三三(一五八〇)、六二一七/北平六四、平圖〇一一七四一~七六四
後補中國四鍼眼裝。紺布貼り四帙に收める。濃黄薄手表紙、書高三一・九×幅二〇・二㎝。政和六年の曹孝忠「政和新修經史證類備用本草序」一葉、泰和甲子下己酉年の晦明軒牌記半葉、「證類本草所出經史方書」三葉、目錄三七葉。卷首に「重修政和經史證類備用本草卷第一(以下小字雙行)己酉新/增衍義/(以下大字)成 都 唐 慎微 續 證 類/中衛……/敕校勘/」と題し、以下序例と本文三〇卷。版木割れある後印本で、文字不鮮明等多し。料紙は白棉紙で多數黄變し、襯紙に宣紙を插み、蟲損・破損・版心切れを補修するも、その後のムレあり。有界、四周雙邊、版心白口・雙白魚尾、魚尾間に「本草幾」、下象鼻に葉次を刻す。每半葉匡郭、縱二五・三×横一六・八㎝、一二行・行二三字、小字雙行。「學部圖/書之印/以下は滿洲語(大印)」「京師圖書/館收臧之印」の藏印記。識語・書き入れ等なし。補修後の蟲損なし。
各册頭に民國一三年の書誌調査票を貼る。第一册に民國一四年の北京圖書館協會圖書展覽會時の展示紙を插み、「歸安姚氏舊藏」と記す。當時は元覆金刊本と鑑定するが、料紙・字體・彫刻より明刊本は間違いない。ただし北平善目・中圖善目に記す成化四年山東重刊を證す刊記等は見當らないので、「明〔成化四年山東重〕刊本」が適切。
北平善目一三四頁・中圖善目四九二頁(本草綱目 五十卷、卷首二卷、附脈學奇經八脈一卷 四十册。(明)李時珍撰。明萬曆癸卯(三十一年)江西重刊本)平二〇一六(一六〇二)、六二三三/北平六五、平圖〇一一八五三~八九二
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高二八・六×幅一七・三㎝。外題は表紙に「本草綱目 一(四十)册」、また篇名を墨書。癸卯年の夏良心「重刻本草綱目序」四葉、萬曆庚寅年の王世貞「本草綱目序」三葉、萬曆癸卯年の張鼎思「重刻本草綱目敍」六葉、萬曆二四年の李建元「進本草綱目疏」四葉、總目・凡例九葉、以下附圖。卷首に「本草綱目序例第一卷上」と題し、以下本文五二卷。第四〇册は書頭に癸卯年の張鼎思「重刊脉學奇經八脉序」三葉あり、以下は瀕湖脉學(嘉靖甲子自序)・脉訣攷證・奇經八脉攷(隆慶壬申年の呉哲題、萬曆丁丑年の岩顧問引)。跋なし。料紙は中國楮紙で黄變し、破損葉を中國楮紙で總裏打ちする。有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「本草綱目」、魚尾下に「卷之幾 葉次」、下象鼻に刻工名・刻字數を刻す。每半葉匡郭、縱二二・二×横一五・四㎝、九行・行二〇字、小字雙行。「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記のみ。一部に朱點あるも識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
北平善目・中圖善目は「附脈學奇經八脈一卷」と著錄するが、「附瀕湖脉學一卷・脈訣攷證一卷・奇經八脉攷一卷」が適切。
北平善目一三四頁・中圖善目四九二頁(本草原始 十二卷八册。(明)李中立撰。明萬曆壬子(四十年)原刊本)平二〇二三(一六〇四)、六二三六/北平六五、平圖〇一一八九三~九〇〇
後補中國四鍼眼裝。香色薄手表紙、書高三二・三×幅一九・五㎝。外題は表紙に「明板本艸原始 卷一草部上(~十一蟲魚部/十二人部)」を墨書。萬曆四〇年の羅文英「本草原始敍」三葉、無記年の馬應龍「本草原始序」三葉、卷一目錄一葉。卷首に「本草原始卷之一/雍丘正宇李中立纂輯竝書畫」と題し、以下本文一二卷。跋なし。繪圖は比較的寫實的で、葉の表裏を陰刻・陽刻で區別する。料紙は白棉紙でやや黄變し、多く版心切れ。無界、四周單邊、版心白口・線魚尾、象鼻に「本草原始」、中間に「草部」等、下象鼻に「幾卷葉次」を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・〇×横一二・七㎝、八行・行二四字、小字雙行。「學部圖/書之印/以下は滿洲語(大印)」「京師圖書/館收臧之印」の藏印記。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
北平善目・中圖善目は「萬曆壬子(四十年)原刊本」と著錄するが、「萬曆壬子(四十年)序刊本」が適切。
北平善目一三四頁・中圖善目四九二頁(食物輯要 八卷四册。(明)穆世錫撰。明萬曆甲寅(四十二年)婁東穆氏原刊本)平二〇一五(一六一〇)、六二三七/北平六五、平圖〇一一九〇一~九〇四
後補中國四鍼眼康煕裝。芥子色薄手表紙、書高二七・二×幅一七・三㎝。外題なし。無記年の陳繼儒「食物輯要敍」三葉、萬曆干支年無記の穆世錫「自敍」四葉(丁未年に成立、甲寅年に刻という)、目錄一五葉。卷首に「食物輯要卷之一/太倉雲谷穆世錫輯/華亭眉公陳繼儒正/男天谷穆士清編」と題し、以下本文八卷。跋なし。料紙は中國楮紙で少々黄變する。有界、四周單邊、版心白口・黑魚尾、象鼻に「穆氏食物」、魚尾下に「卷之幾 葉次」、下象鼻に刻字數を刻す。每半葉匡郭、縱二〇・四×横一四・六㎝、八行・行一八字、小字雙行。「宋三宅」「國立北/平圖書/館收藏」の藏印記。識語・書き入れ等なし。蟲損なし。
完