真柳 誠*2
1.1 歴史と特徴
中国では医療の記録を甲骨文字まで遡ることができる。これによると治療は祭祀で行われているので、巫が医療も担当していたらしい。その痕跡として、醫の古字は下半分を酉(酒壺の象形)でなく巫に作ること、『史記』扁鵲伝は「六不治」の一つとして、「巫を信じて医を信じない病人は治らない」と記すことなどがある。
一方、文献上では『周礼』天官の医師に「食医・疾医・瘍医・獣医」の医官4種を挙げるので、専門職として巫から医が分化し始めたのは先秦時代に遡ると思われる。むろんこれに類した歴史経過は、一人中国文明に限るまい。しかし以後、今日まで続く中国伝統医学には独自の特徴と体系が築かれてきた。その初期の要因として、第1に経絡の発見と針灸療法の開発、第2に処方の固定化(命名)と経験の蓄積、第3に本草における薬物知識の蓄積を挙げておきたい。
1.2 範囲と基本古典
中国伝統医学の範囲には様々な体系が含まれる。とはいえ、その主体は基本古典の面から、医経(医学理論と針灸−『素問』『霊枢』『難経』『明堂』等)・経方(薬物治療の処方−『傷寒論』『金匱要略』等)・本草(薬物の鑑別と作用−『神農本草』等)の3分野に大別しえよう。またその他にも、運動療法・食事療法・煉丹服石術・房中術など、予防医学的色彩の濃い養生の分野がある。
2.中国本草学について
2.1 呼称の由来と初期の記載
本草の呼称は『漢書』芸文志に「経方者、本草石之寒温、量疾病之深浅…」、とあることに由来する解釈もあるが、定説はない。しかし、『漢書』郊祀志の成帝(前33〜前7)条に「本草待詔」、楼護伝に「護誦医経・本草・方術数十万言」などの記述があるので、遅くとも前漢時代には「木草待詔」という職称や、数十万言を暗誦する一部をなす書物のあったことが知られる。ただし『漢書』芸文志には「本草」と付けられる書の記録がなく、唯一経方の部に「神農黄帝食禁七巻」と記録される書が、あるいは本草書の系統かと疑われるのみである。
2.2 歴代本草書
現在に伝えられる『証類本草』は、500年頃に陶弘景が当時あった『神農本草』と『名医別録』を合編し加注した『本草経集注』を核とし、以後歴代政府の薬局方として『新修本草』→『開宝本草』→『嘉祐本草』→『証類(大観)本草』と宋代まで、順に注釈や薬物を追加した階層的編成となっている。したがって一定の規則に従えば順番に本草書を遡り、各時代ごとの発展状況を知ることができる。また『証類本草』以前の古本草を復元することも不可能ではなく、これまで『神農本草』『名医別録』『本草経集注』『新修本草』などが、日本・中国の研究者により幾度も復元されてきた。
ただし『証類本草』の階層的編成は臨床の利用に不便な体裁である。そこで明代に至り、李時珍は各薬物の形状・作用等の別に歴代の記述を再編成した『本草綱目』を著し、以後の本草学に強い影響を与えた。しかしそこに引用された『証類本草』など先行文献の文章には省略・誤謬が少なからず、利用に当たっては十分な注意が必要である。
3.中国本草の目的と科学技術及び思想
3.1 基原の解明と品質の保証
本草学の目的は、第1に薬物の真偽と良劣を判別し、各々の基原を解明することにある。そのため同名異物・異名同物などの考証と出典調査が要求され、これは後に名物学として発展してゆく。また産地名や産出地の特徴と採取時期・部位(→物産学)、生態・形状の自然科学的観察(→植・動・鉱物学)、乾燥・加工・保存法(→炮製学)、重量・体積の基準換算率の設定(→度量衡)なども品質を保証するために必要であり、いずれも本草学の主要分野として歴代の記録が集積されている。
3.2 作用の網羅と整理
本草学の第2の目的は、各薬物の作用を網羅し整理することにある。これには「五味」「四気」「毒」の3概念が、『神農本草』の段階より用いられてきた。
薬物の味を酸・苦・甘・辛・鹹の「五味」で表現することは、五行説と古代中国の栄養思想が大いに関与している。つまり「五味」は薬物自身の持つ栄養素−成分の象徴的表現といえるが、同時に品質の鑑別も兼ねていることは無視できない。一方、陰陽思想からは、病態に対する薬物の暖めたり冷やす作用を、寒・熱・温・涼の「四気」に帰納する。しかしそれは概念上の規定にすぎず、個々の薬物では寒・平・温の3類に大と微を前付し、実際は5〜6段階に規定されている。さらに薬物の生体に対する有用性は、有毒と無毒に総括して表現される。ただし有毒とは、長期ないし大量の服用を前提とした有害作用のことで、必ずしも致命的な毒性のみに限らない。以上の3概念は、薬物自身の特性、病態に対する特性、生体に対する特性より各々が規定されている点で興味深い。
しかし薬物の臨床応用にとりわけ必要なのは、具体的な効能の記述といえよう。そして歴代の記載には、現代の薬理スクリーニングの参考にすべき点も多い。かつそこには主作用ばかりでなく、副作用も短期服用と長期服用に分別して観察する視点が見られる。
他方、薬物の効能を古くは「下痢を治す」のように症状で表現していた。唐代頃になると医学理論の体系化と並行し、「胃腸の冷えを治す」のように、病理・臓腑概念を介した記述が徐々に増加してくる。そして宋末頃より「四気」「五味」概念を組み合わせた多様な薬理説が提唱され始め、明代には薬理的表現が主流となり現代の中国に至っている。しかし日本では江戸中期以降、それら薬理説の思弁的傾向を排撃する考えが主流である。
3.3 応用
本草学の第3の目的は、各薬物の具体的な使用方法を指示することにある。一般にその指示には、単味で投与する場合と2〜3味の簡単な処方を投与する場合がある。
後者については他薬との相乗作用を、「七情(単行と相須・相使・相畏・相悪・相反・相殺)」から規定することが、六朝時代以前より盛んに議論されていた。また各薬物や病状に応じた製剤(煎剤・散剤・丸剤・膏剤・霜剤)、服用法(時間・分量・年令・体力・症状)の指示も早くから議論されている。とりわけ製剤方法には、六朝時代までに精緻な技術が開発されていた。いうまでもなく、それらの目的は主作用の増強と副作用の軽減にあり、現代も使われる漢方処方が後漢時代に開発されていた最大の要因といえよう。
3.4 薬物の分類
本草では多種の薬物を整理する都合上、それらを何らかの方法で分類しなければならない。
まず『神農本草』で行われたのは上薬(無毒で長期や多量に服用可能の長生薬)、下薬(有毒で短期のみ服用可能の治療薬)、中薬(上薬,下薬の中間的性格の薬物)の3品分類である。これは三才思想や神仙思想を背景に持つとはいえ、人体に対する作用面から自然を類別するという中国本草に独自の視点である。次いで5世紀末の陶弘景からは、玉石・草木・獣禽・虫魚・果穀菜などの自然分類も3品分類内に併用された。しかし16世紀の『本草綱目』が自然分類のみで整理し、3品の類別をただ記述するにとどめて以来、3品分類は名目上の価値も失われた。
ただし3品分類に代わり、より細分化した効能面からの類別が12世紀末頃から自然分類に併用され始めてくる。それが発展し清代に至ると、自然分類は用いず、補火・滋水・温腎・散寒などの薬理面からのみ分類した本草書も出現した。これは上述の効能表現法の変化と呼応した傾向であり、現在の中国では近代薬理学的観点も加味した効能分類法が一般に採用されている。
3.5 新薬の開発と収載
中国本草の薬物数は、漢代頃の『神農本草』365種から現代の『中薬大辞典』5767種まで、徐々にその数量を増加させてきた。そして歴代の新収薬は、どの本草書の段階で採録したかを明記するのが原則なので、その由来を時代的に把握することも可能である。それらを見ると新収薬は、民間薬の収載、国内(南北)や外国(ペルシヤ・インド・タイ・ベトナム・朝鮮・日本・欧米)との交流によるのが大部分だが、類似薬や偽薬の収載と分条による場合も少なくない。
4.中国本草学の現代的意義
中国本草学は約2000年にわたり積み重ねられてきた体系であり、その現代的意義は多面に及んでいる。すなわち第1には中国の中薬学や日本の和漢薬学など、伝統医療の基礎分野として。第2には生薬学・天然物化学・薬用資源開発など、現代薬学の資料として。第3には医学史・薬学史・生物学史・農学史・科学技術史など、中国史の史料として。そして第4には博物学・文献学・文字(字形・音韻)学など、中国学の史料としてである。以上のごとく本草書はそれ独自の研究にとどまらず、諸分野の研究にも限りない価値を提供している。