東京裁判2021
Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen. Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.  (Otto von Bismarck)(注1
Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce.(Karl Marx/Friedrich Engels - Werke, Band 8, "Der achtzehnte Brumaire des Louis Bonaparte")(注2

耐え難きを耐え
私は大本営2020から発せられたスローガンの数々を覚えている.最初は「あと2週間の辛抱」「あと3週間の我慢」だとの放送が繰り返し聞こえてきた.しかし,その2週間後なり3週間後なりの状況は,2週間前なり3週間前なりの状況と比べて全く変わっていないか,あるいはむしろ悪くなっていた.すると間もなくしてまた,「あと2週間の辛抱」「あと3週間の我慢」だとの放送が繰り返し聞こえてきた.しかし,その2週間後なり3週間後なりの状況は,2週間前なり3週間前なりの状況と比べて全く変わっていないか,あるいはむしろ悪くなっていた.

同じようなことが何度も繰り返された後,初めて,「あと2週間の辛抱」「あと3週間の我慢」との言葉の後に,「じゃあ,訊くがな,その2週間後なり3週間後なりの後に,状況はどうなってんだよ?変わらないのか?良くなっているのか,それとも悪くなっているのか?はっきりしろ,この野郎!!」という質問(注3)に対する明確な答えが全くなかったことに気づいた.私がようやくそれと気づいたことを見計らったかのように,スローガンは「長い闘いになる」と変更された.「待っていれば(いいことあるかもしれないよ)」から,「耐え難きを耐えろ.いつかは終わるなんて贅沢は敵だ」との開き直りである.

賢者は歴史に学ぶ
「長い戦いになる」とは随分と悲観的な見解のように聞こえるが,当の大本営にとっては,「大本営よ永遠に」という「希望的観測」である.そもそも長い戦いとは,どんな長い戦いなのだろうか.誰も自分を愚者とは考えたくないから,ここは歴史に学ぶことにしよう.我が国で「長い戦い」と言われて真っ先に思い浮かぶのが4年近くにわたった大東亜戦争である.なるほど大本営2020から発せられるスローガンも往時を彷彿とさせるものとなっている.そう考えると,「85万人が重症となり42万人が死ぬ」という「青年将校の警鐘」が「本土決戦」という恫喝と重なってくる.そして大本営2020の多士済々(たしせいせい)ぶりも,元祖のそれと重なってくる.

東京裁判2021
いくら「長い闘いになる」と言っても,所詮は「踊る阿呆に見る阿呆」のお祭り騒ぎに過ぎない.大本営2020が解体された後に東京裁判が開かれる時期は,オリンピックが2021年に開催されるよりも遙かに高い確率で,2021年となる.大本営2020がそうであるように,マルクス/エンゲルスの言う通り(注2),東京裁判2021も悲劇とはならない(注4).だからあなたも安心して,自分独自のシナリオを描いてもらいたい.

注1:冒頭に掲げたのは、一般に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ 」と訳されている言葉の出典である.非常に有名なビスマルクの格言だが、意訳の方が知られている。ビスマルク本人の言葉を直訳すると「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」.ここで注意されたいのは、ビスマルクの元の発言にはGeschichte 歴史という言葉が出てこない。しかし、これは誤訳ではないと私は思う.むしろ,時間という偉大な審査員の判定を受けた貴重な他人の経験を「歴史」の二文字で置き換えた訳者のセンスの良さに感心する.この場合,愚者と賢者は相容れない存在「ではない」常に自分を愚者であると考える謙虚な人間だけが,自分の失敗はもちろん、他人の失敗をも貪欲に自分の歴史として学び成長していける。ビスマルクの格言の本当の意味はそこにある.

注2:Google翻訳ではHegel noticed somewhere that all the great historical facts and figures happen, so to speak, twice. He forgot to add: one time as a tragedy, the other as a farce. つまりヘーゲルの言葉にマルクスが注釈をつけたものが→それ全体がマルクスの言葉のように捉えられているのが実情のようだ.さらに,この一節自体もマルクス・エンゲルス書簡集に由来するとのことで,そうなるとヘーゲルの原曲をマルクス,エンゲルスが共同で編曲したということになろうか.(以上,東京大学 泉谷 昌志先生からの御教示による 2020/5/4)

注3:35年前に受像機が故障して以来,テレビジョンで報道番組を見る機会のない私には,実際に記者会見の場でこのような質問が大本営2020に向かって投げかけられたかどうか,検証する由もない.しかし,近年,この質問に見られるような人物は,全て「反社会勢力」と見做され,日陰者どころか絶滅危惧種となり,晴れやかな記者会見の席なんぞにはとてもじゃないが加われないことは知っている.

注4:アビガン事件の裁判は別

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