予測マニア

その「人工原子」とは何か?
シュレーディンガーの猫、救われる」:「人工原子」なんて言われても,元祖と何が同じで何が違うのか,それがどうやって担保されているのか全然わからない.問題は,鉄人28号並に不細工なのか,フランソワーズ・アルヌールみたいにぶっ飛んでいるのかだが,一切言及されていない.まあ,そこが本題じゃないから無理も無いんだが,

その「予測」とは何か?
そんでもって本題に戻ると,やっぱり地震予知は不可能,でも緊急地震速報は今より最大25秒早くできる位の話のように思える.そうなると,その「予測」って一体何よって,話になるんだがが,そもそも「遷移がいつ起こったのか」ってどうやったらgold standardができるのだろか.素人目には,必ず「観測」という介入があるのだから,その観測による修飾・誤差は不可避だと思うのだが.それとも「この時遷移が起こっていた」って記録が,観測とは独立して残り,その記録をretrospectiveに観測結果と比較し,予測の再現性を検証するのだろうか?

「わからない」という幸福の原点
猫は予測に拘らない.もし猫が人間にツッコミを入れるとすれば,「その予測の意義は何か?」だろう.地震,交通渋滞,アルツハイマー病・・・・人間以外にはどうでもいいことを,人間達だけが,寄ってたかって,膨大な労力と時間と予算を使って,あらゆることを予測しようとする.神に近づこうとして競争が行われる.予測は幸せになるための手段に過ぎないのに,多くの予測が目的化している.幸せになるという目的を失った予測は人を不幸にするだけだ.

自分がいつアルツハイマー病になるかだって?そんなことを知ってどうする?ミッドウェー島攻撃隊の運命が待っているだけだ.予測なんか止めておくのが身のためだ. 「わからない」を「使い倒す」.これこそが幸せへの王道である.

二条河原へ戻る