医療費の伸びが鈍った理由

医療経済に関しては、バイアスの少ない、まともな議論にお目にかかることは滅多にないのだが、財務省との折衝の窓口となる厚労省担当者という経験が生きている論説なので紹介した。
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虎ノ門で考える医療の未来〈3〉 医療費の伸びはなぜ緩やかになったか―近年のデータを読む Medifax digest 2015/6/18

医療介護福祉政策研究フォーラム理事長(元内閣官房社会保障改革担当室長) 中村 秀一
 やや教科書的になるが、医療費の種類から始めよう。2011年度の日本の医療費である。
  「医療保険本体の医療費」は36.1兆円。これに生活保護等の公費負担の医療費を加えた「医療保険制度等の医療費」は37.8兆円。これに労災医療費、全 額自費の医療費を加えた「国民医療費」が38.9兆円。OECDでの国際比較のために妊娠分娩費用、予防に係る費用等を加えた「総保健医療支出」が 47.5兆円だ。

●OECD平均を超えた日本の医療費
 医療費の国際比較は、OECDが公表しているHEALTH DATAで知ることができる。少し前までは、「日本の医療費は外国よりも低く、日本の医療の効率性を示すもの」として、医療界が盛んに強調していたもので ある。HEALTH DATA 2009では、加盟国の平均8.9%に対し、日本は8.1%(05年)で平均を下回っていたからだ。
 ところが HEALTH DATA 2012では、日本の医療費(09年)の対GDP比は9.5%とOECD加盟国の平均と並び、以後、平均を上回る状態となってきている。最新版の HEALTH DATA 2014では、日本の総保健医療支出(12年)の対GDP比は10.3%で、加盟国の平均9.3%を上回っている。加盟国34カ国中10位であ り、スウェーデン9.6%(12位)、イギリス9.3%(16位)、イタリア9.2%(19位)といった国々より上位に位置している。
 対GDP 比が上昇したのは、日本の医療の質や量が飛躍的に充実したからではなく、「分母」であるGDPが大きくならず、他方、医療費は着実に増加を続けたからにほ かならない。筆者はかねて「単純に医療費の対GDP比だけで議論していると、将来足をすくわれることになる」と警告していた。懸念していたとおり、昨今の 「医療費削減」議論では、日本の医療費がすでにOECD加盟国の平均を上回る高さになっていることを根拠に、「効率化が足りず、切り込みが必要だ」と従来 の議論とは逆に利用されているのである。

●「医療省」は巨大官庁
 15年度の厚生労働省予算の医療費の国庫負担額は11兆1631億円となっており、年金の国庫負担額11兆527億円を抜いて、同省予算中最大のシェア(37.6%)を占めている。
  国の公共事業予算が5兆9111億円、文教・科学振興予算が5兆3613億円、防衛費が4兆9801億円であるから、もし厚生労働省から「医療省」を独立 させると、予算では国土交通省、文部科学省、防衛省をはるかに上回る巨大官庁となる。医療費は国の予算にとっても極めて影響が大きく、財務省が神経をとが らすのは当然である。
 筆者は1996年に厚生省保険局企画課長(現・総務課長)を務め、省内の医療費を統括する立場であった。当時は、政府管掌 健康保険の収支は社会保険庁が、国民健康保険の収支は保険局国民健康保険課が、老人医療費は老人保健福祉局が、それぞれ自分の都合の良いように主張するの で、その調整は困難を極めたことが思い出される。今日では、この作業は保険局内で完結するので、当時よりは作業は円滑になっているはずだ。

●14年度の医療費は「1.6%増」
  国の予算編成や保険者の財政で問題になるのは、医療費の伸びである。最近の医療費の伸びはどうであろうか。国民医療費の統計は2012年度までしか公表さ れていないので、15年1月分まで公表されている厚生労働省保険局のメディアス(医療保険制度等の医療費)を見ると、目につくのは近年の医療費の伸びの低 さだ。
 12年度の伸び(対前年同期比)は1.7%、13年度の伸びは2.2%である。14年度は15年1月までの医療費であるが、対前年同期比 で1.6%となっている。従来、わが国の医療費は毎年3~3.5%程度伸びていると考えられてきた。その根拠は、医療保険制度や診療報酬改定の影響の少な い年の医療費の伸びを見ると、05年度:3.2%、07年度:3.0%、09年度:3.4%、11年度:3.1%であったからである。12年度以降の医療 費の伸びは、それ以前の医療費の伸びに比べ、極めて低いと言わざるを得ない。
 12年度、14年度は診療報酬改定年であり、12年度は0.004%のプラス改定、14年度は消費税対応分を加えると0.1%となっているので、なおさらこれらの年の伸びの低さが目立つ。
  医療費の伸びについては、診療報酬改定や、患者負担の見直しなどの制度改正の影響を除くと、「人口の高齢化」と「医療の高度化等」の要因に分解される。か つての「毎年3~3.5%程度の伸び」の枠組みの中では、「人口の高齢化」で1.5%前後の影響が見込まれてきた。08年以降、わが国の人口が減少に転じ ているので、それ以前は0.1%程度あった「人口増の影響」が近年はマイナス0.2%程度となっている。これで0.3%程度の低下は説明できるが、最近の 伸びの低下はそれ以上である。
 なぜ、医療費の伸びが低下しているのだろうか。ジェネリックの普及の議論がやかましいので、薬剤比率の推移を調べ てみた。09年から13年まで、医科の薬剤料は23.5%から24.1%へ、薬局調剤の薬剤料は74.0%から74.4%へと横ばいないし微増であり、削 減されているとは言い難い。

●「患者数減少」が医療費を抑制
 そこで、医療費を「1日当たり医療費」と「受診延日数」の要素に分けて検討してみた。
  「1日当たり医療費」の対前年同期比の伸び率は、10年度:3.8%、11年度:3.2%、12年度:2.6%、13年度:3.1%、14年度(15年1 月分まで。以下同じ):2.0%と若干変動しながら、横ばい、ないし微減である。医科入院については10年度の伸びが5.9%だが、13年度は2.1%に 低下しているのが目立つ。入院を重視した10年の診療報酬改定の影響が出ている。これに対し、医科入院外はこの間2%前後で比較的安定した伸びとなってい る。
 一方、「受診延日数」の伸びは、10年度は0.1%の増加であったが、11年度はマイナス0.1%、12年度マイナス0.9%、13年度マ イナス0.8%、14年度マイナス0.4%と減少を続けている。医科については入院・入院外を問わず、11年度以降マイナス続きである。
 病院報 告で見ると、1日平均在院患者数は、1991年の140万7260人から2012年の128万7181人へと、この間8.5%減少している。1日平均外来 患者数は2000年の181万0990人から12年の139万7864人へと22.8%減少している。患者数が減っているのである。
 患者数の減少の原因は何か。一つは、入院期間が短縮している。医科の1件当たり入院日数は、10年度の16.2日が14年度には15.7日となっている。この4年弱の間に3.9%の減少である。その背景にはDPC対象施設の増加があるのではなかろうか。
  医科入院外の1件当たり日数も、10年度の1.75日から13年度には1.65日まで低下した。この間、5.7%の減少である。その原因としてはさまざま あるのであろうが、「内服処方せん1枚当たりの薬剤料」を見ると、1種類当たりの投薬日数は13年度でも3.5%の伸びを示している。長期投薬による通院 件数の減少も背景にあるようだ。

●診療所に迫る調剤薬局の医療費
 医療費の議論のもう一つの焦点は、その配分である。30年前で あるが、保険局医療課で課長補佐として1985年および86年の診療報酬改定を担当した。当時(1985年度)の医療費を診療別に見ると、医科87%(入 院44%、入院外43%)、歯科11%、調剤2%という構成だ。医科の機関別では病院57%、診療所30%であった。
 現在(2013年度)で は、医科75%(入院40%、入院外35%)、歯科7%、調剤18%となり、医科の機関別では病院54%、診療所21%となっている。医薬分業の進展に よって調剤が急増し、診療所21%、調剤薬局18%と両者の差が3ポイントまで近接してきていることに、あらためて驚かされる。医療費の配分もこの30年 間で大きく変化したのだ。
 2011年から12年にかけて医療保険医療費は6021億円増加したが、うち65歳以上の者の医療費の増加が5895 億円で増加額の97.9%を占めている。医療費の伸びのほとんど全てが高齢者の医療費の増加なのだ。政府の予測では、25年までに医療給付費が12年の 35.1兆円から54.0兆円と1.54倍増加するという。周知のように、25年までに増加する65歳以上の6割は大都市圏で生じるとされる。だとすれ ば、医療費の増加状況も地域によって大きく異なってこよう。その医療機関がどこに立地するかは、医療経営を考える上でますます重要になってくる。
  筆者が信頼する数理の専門家によれば、「現状投影型」で25年の外来ニーズを推計すると、全国平均で15年と比べてわずかに1.4%の増加しかない。さら に40年には25年と比べ6.1%減る結果になるという。これから外来は25年までほとんど増えず、その後は減るのだ。その推計の確度については議論があ るにしても、最近の医療費の動向からして「そうなのか」と思わず、うなずかされる話だ。
 医療ニーズは大きく変化してきているのだ。これまでと同じ医療を漫然と続けていく医療経営者には、明るい未来はなさそうだ。

<profile 中村 秀一氏 Nakamura Shuichi>
  東京大法学部卒業後、1973年に厚生省入省。厚生労働省では大臣官房審議官、老健局長、社会・援護局長を歴任。2008年に厚労省退職後、社会保険診療 報酬支払基金理事長に。10年10月から14年2月まで内閣官房社会保障改革担当室長を務め、社会保障制度改革国民会議が13年8月に発表した報告書の取 りまとめを事務方として支える。現在は医療介護福祉政策研究フォーラム理事長、国際医療福祉大大学院国際医療福祉総合研究所長。
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