西行気取り

業平を気取って,つひにゆくを書いてから今年で10年になる.西行が辞世の歌を作ったのは死の10年前だというから(*1),結果的に西行気取りだったということにもなる.また今年も生き恥をさらすことになるのか,はたまた辞世と死ぬ時期の関係まで西行を気取るのか.

2005年には,若い仕事仲間を二人失った.一人は30歳.9月に北アルプスで,もう一人は34歳.12月,最上川の列車事故で.それに比べて,半世紀にわたって生き延び,四半世紀も医者をやっている自分の業を如何せん.

せめて私のできることと言えば,契約期間を短期更新とするぐらいだろうか.もはや複数年契約ができる年齢ではない,仕事も私生活も月毎に更新とすべきなのだろうが,このようなページさえ,2002年から更新を4年もさぼっているようでは,1年契約の覚悟が精一杯というところなのだろう.
(2006/1/30初出)

*1 西行が亡くなったのは,1190年2月16日.「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」自体がいつ詠まれたのかは明らかではないが,この歌が西行自撰と言われ,山家心中集が承安末年(1175)頃の成立と推定されていることから,自分の死の15年以上前に詠んでいたことになる.(2018/5/2追補)

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