日常医療危機管理覚え書き

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院内実務篇
クレーム処理の基本
携帯電話を院内で使えるようにするために
臨床検査室と院内薬局の連携の提案
救急カート内の見直し
リスクマネジメント部会長:誰が適任?
IT化の根本的な弱点
臨床検査技師の説明責任にまつわる迷信
避難訓練
看護師の賠償責任保険加入
院内リスクマネジメント組織の構成
丸紅,価格誤表示で損害2億円

賠償責任保険篇
現実的な医師免許更新制度の提案
医師賠償責任保険の破綻
医師賠償責任保険の落とし穴

あるべき事故処理の姿
裁判ではなく
協力医:質が問題→出会い系の問題点

学習篇
治療法の効果とリスクの4分割表
病院管理者にとってのメディア対応のこつ
どこまで個人,どこまで組織?
看護婦による薬剤有害事象の報告
見掛け倒しだった日医の医療安全推進者養成講座
医療事故に対する認識欠如
臨床医の疲労と患者の安全
投薬ミスから何を学ぶか
外来における処方過誤

法令篇
診断書と守秘義務
司法関連文書のまとめ
守秘義務と差押・捜索の関係について

御説教
論語謝る
早道

災害医療
震災地での診療支援活動の記録

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クレーム処理の基本
医療現場はクレーム処理というと,それだけで怖がって敬遠してパニックとなり,挙句の果てに最初の対応を誤って問題を深刻化させてしまう.ここは,クレーム対応知識の宝庫である営業現場に学ぼう.

理不尽なクレームには徹底的に事実で対抗せよ (週刊ダイヤモンドコラム)

事実で対抗するのは,本来医療者が最も得意とするところであろう.対応を誤ったばかりに,こちらに落ち度がないにもかかわらず,何か重大な隠し事があるのではないかと疑われ,裁判にまで発展するのは,誰にとっても不幸なことだ.

リンク,資料編
事故発生時の記者会見を予行演習――「医療苦情・事故対応のための実践講座」より
誤診の心理学:Redelmeier DA. The cognitive psychology of missed diagnoses.Ann Intern Med. 2005 Jan 18;142(2):115-20.
ネット講座「まさかの時の医事紛争予防学」(要無料登録)
ケアネットのリスクマネジメント:冷静な分析をしている事例集
大塚祐司.航空機内での救急医療援助に関する医師の意識調査ーよきサマリア人の法は必要か?宇宙航空環境医学 2004;41(2):57-78.公共の交通機関の中で,緊急の医療行為を求められた時,あなたはどうするか?
 

携帯電話を院内で使えるようにするために
一昔前のアナログ携帯電話と違って,現在の携帯電話は,直に接することでもない限り,医療機器に干渉するほとんどリスクがないとして,携帯電話を病院内でも使えるようにする動きが出てきている.しかし,実際には,どこまでOKなのか,科学的根拠を持った具体的な指針が見当たらない.下記を参考にしていただければと思う.私には時間がないので,日本語訳まではできません.こういうことこそ,誰かボランティアでやってもらいたい.

携帯電話などによる医療用具への有害な影響を最小化するためのMHRAによる勧告事項
FDA英国版のMHRAが指針を出している.携帯電話およびその他のコミュニケーション機器(ラジオ用具など)は病院において
患者の管理の必需品であるが,電磁波妨害(EMI)を起こし,医療用具に有害な影響
を及ぼす可能性がある。重要な医療用具を妨害するリスクを最小化するためのMHRAに
よる勧告などが記載。

臨床検査室と院内薬局の連携の提案
病院内で,この二つの部署が連携をするのは,ワーファリンの服薬量調節,ジギタリスや抗てんかん薬の血中濃度モニタリングの時ぐらいのものだろう.しかし,この連携を患者さんの安全にもっと活用できることを教えてあげよう.薬剤の副作用のモニタリングである.横紋筋融解の際のCK上昇のように,薬剤の副作用は,しばばしば臨床検査値異常として捉えられる.このような場合,異常値は医師に報告されて,薬局に報告されることはない.しかし,報告を受けた医師が,迅速に適切な行動をとれなければ,患者さんの安全が脅かされることになる.

”医師が,迅速に適切な行動をとらない”ことなんてあるのか?と素朴な疑問を抱くような人はこんなところを読んではいないだろう.”医師が,迅速に適切な行動をとらない”ことによってどんなにたくさんの事故が起こっていることか.そこを薬剤師と臨床検査技師が連携プレーでカバーしようというわけだ.

こういう連携を行えば,院外処方の普及で仕事が減って人員削減の圧力がかかっている院内薬局薬剤師に,新しい重要な任務が課せられることになる.病院薬剤師にとっても,臨床現場により深く関わって自分の知識を患者さんの安全管理に生かせることになる.服薬指導以外にも,やることはたくさんあるのだ.

一つ障害があるとしたら,何でもかんでも自分で取り仕切ろうとする旧態依然の医者だろうが,そういう人種はとりあえず無視して,素直にこの連携を評価してくれるまともな医者だけを相手にすればよろしい.何しろ,医者にとっても,この連携は,自分の負担を減らしながら,患者さんの安全を図る,一石二鳥の効果を発揮するのだから.

守秘義務と差押・捜索の関係について
たとえば,薬物依存症患者の診療に関して,警察・検察から問合せが来た時,刑法が規定する守秘義務と,刑事訴訟法による差押・捜索の関係について,相反するのではないかという疑問が出てくる.このあたりは,警察・検察関係者でも,しっかり答えられる人が少ない.下記に該当個所の条文を紹介するが,要するに,正式の令状を持った捜索でない場合に,患者の秘密を伝えれば,秘密漏示に問われる可能性があるということだ.

刑法第134条(秘密漏示)
   医師,薬剤師,医薬品販売業者,助産師,弁護士,弁護人,公証人又はこれらの職にあった者が正当な理由がないのに,その業務上取り扱ったことについて知りえた人の秘密を漏らしたときは,6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。

刑事訴訟法第105条 医師、歯科医師、助産師、看護師、弁護士(外国法事務弁護士を含む。)、弁理士、公証人、宗教の職に在る者又はこれらの職に在つた者は、業務上委託を受けたため、保守し、又は所持する物で他人の秘密に関するものについては、押収を拒むことができる。但し、本人が承諾した場合、押収の拒絶が被告人のためのみにする権利の濫用と認められる場合(被告人が本人である場合を除く。)その他裁判所の規則で定める事由がある場合は、この限りでない。

刑事訴訟法第218条(令状による差押・捜索・検証)検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、裁判官の発する令状により、差押、捜索又は検証をすることができる。この場合において身体の検査は、身体検査令状によらなければならない。

治療法の効果とリスクの4分割表:頭の体操
図のような4分割表が最近のAnn Intern Medにから借用してきた.この図を見ればいろいろなことが考えられる.授業の教材にもなるだろう.

1.それぞれの象限に入る治療にはどんなものがあるだろうか?
2.Informed consentやshared decision makingの時,問題となるのは,どの象限にある治療だろうか?その場合,どんなことが問題になるだろうか?
3.患者と医師で,あるいは,医師間,あるいは,医師と他の医療職の間で,ある治療がどの象限に入るか,判断が異なることがあるだろうか?その時,実際に治療を進める上でどんな問題が生じるだろうか?

検査についても,治療の効果を検査による利益(あるいは感度特異度などを含めた検査性能)と,リスクをコストと置き換えて4分割表を作ってみれば,これもまた面白いものが見えてくるだろう.

現実的な医師免許更新制度の提案
医療サービスの質の向上を意識した地道な,しかし優れた文筆活動を続けているジャーナリストである福見一郎氏が書いた、”英国に導入さ
れた医師免許更新制度 (治療 Vol. 85, No .9, September 2003)”は、英国で行われている医師免許更新制度は(関係者がその気になりさえすれば)すぐにでも日本に導入できる現実的な制度であり,医療事故の減少と医師賠償責任保険の構造的赤字減少にもつながる仕組みである.
医師免許更新というと、すぐに卒後研修とか、最新の診療の勉強とかいいますけど、実はそれ以前のレベルで、医者をチェックする仕組みを整える方が先だし、緊急度も高いことがわかります。一方,医道審議会は刑事事件を起こした医師,歯科医師を排除するのが精一杯で,とても免許更新の仕組みを考える余裕はないようです.日本医師会自身が、医師賠償責任保険の破綻で苦しんでいますが、その元凶としている事故リピーターの排除も、この更新制度で可能ですから、医師会にとっても、実は得なのですが、うんとは言わねえだろな。

この論文はネットでは読めませんが、私が内容をまとめてみました

医師賠償責任保険の破綻
アメリカでは高騰する医師賠償責任保険額に耐えかねて医者を廃業したり,住まいを替えたり(州による保険金の相違),医学生が訴えられやすい科を敬遠したりと,様々な悪影響が生じて社会的な大問題になっているが,すでに日本でも同様の問題が起こっている.2004年4月9日に開催された日本内科学会での講演,”医事紛争,医療安全対策の課題”で,児玉安司先生が,かねてからの私の懸念を裏付けしてくださった.医師賠償責任保険が,実質的に破綻している.一言で言うと,潜在的賠償額が年に数千億円なのに対し,それに備える医師会の金は年に70億円,保険会社でさえ,数百億円しかないのだ.

児玉先生は,医療機関における年間死亡者数72万人のうち,1%が医療事故によるもので(これは決して荒唐無稽な数字ではない),一人あたり5000万円の賠償額が必要と仮定すると,一年間に3600億円の賠償額となる.補償対象となるのは,もちろん死亡だけではない.たとえば,脳性麻痺の問題がある.どこの国でも1000人に二人の割合で脳性麻痺児が生まれる.その全てが医療過誤を原因とするわけでは決してない(下記,裁判でなくを参照).しかし,仮に,すべての脳性麻痺児に医療機関が責任を負うとすれば,国内の年間出生数120万人の0.2%が2400人が脳性麻痺児として生まれ,補償額を1件2億円として年間4800億円の金が必要となる.

アメリカの悲劇は,医療サービスの存在を根底から揺るがす.産科が訴えられやすいから,産科医の成り手がいなくなってしまうなんて,誰にとっても馬鹿げている.今すぐに補償を支える新たな仕組みを作らねばならない.虫のいい解決策はない.金がないなら,誰かが出さなくてはならない.出すのは当事者となる可能性のある人々,医療サービスを提供する側と受ける側しかない.下記の,福岡県の無過失賠償制度は医療者側,患者側と自治体の三者が金を出す仕組みになっている.

このうち,自治体の出資は,小さな政府を目指す流れの中では当てにできないし,税金から出ているのだから,それも医療者側,患者側が払っていることになる.結局は,医療者側と患者側の二者で金を出し合って補償機構を作るしかない状況に追い込まれる.

しかし,名案はない.下記は,私とある損害保険会社の方(自動車事故損害保険担当の方なのだが,同僚に聞いてくださった)とのやりとりである.
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池田:
医師賠償責任保険が破綻していますが,医者はこれ以上保険料を払いません.患者側からも保険料を集めなければ,医療事故補償の仕組みは成り立ちません.現状を放置することは医療サービスの受給両サイドにとって不幸です.

一方で医療事故裁判の問題があります.事故原因究明を補償の審理を両方とも,裁判官がやりますから,審理がひどく難航するのは当たり前です.結論が出るまで10年以上かかるのはざら.これも悲劇です.交通事故の場合と同様,原因究明と補償のシステムを分離しなければなりません.

医師賠償責任保険ではなく,自動車事故損害保険のように,患者が自分のために入る医療事故補償保険.損保会社はそういう商品を作る気はないのでしょうか?

Tさん:
おはようございます、池田さん

医師賠償責任保険が破綻しているということを初めて知り驚いています。
結局患者さんも自分の身は自分で守るしかないのでしょうか。
私は自動車の車物事故専門なので、残念ながら医療保険の動向がわかりません。
医療保険などに携わっている人に1度現状と今後の動向などを聞いてみます。

(後日)
同じ課の医師賠責に詳しい男性に聞きましたところ、池田さんのおっしゃる通りでし
た。すでに米国では破綻しており、日本も同じ傾向にあることを聞きました。
医療ミスの場合、患者さんは当然ながらより高度な治療を希望するため、健保も認め
られないことも多くそのため治療費は高騰、また慰謝料も医者という社会的地位の高
い相手となるため高額要求になる傾向とのことです。

私の勤務先では,他損保が断った医療機関まで当社の営業部門が引き受けをしているようで、今回相談
をした男性は当社営業上危険であると認識していました。
やはり自分の身は自分で守るしかないのですね。一方、もし池田さんのおっしゃる保険商品が出来た場合、健康な人がその保険に加入
するかどうかも疑問です。

池田:
池田です。本来のお仕事ではないのに、いろいろ調べ、考えていただいて、ありがとうございます。
> 一方、もし池田さんのおっしゃる保険商品が出来た場合、健康な人がその保険に加入するかどうかも疑問です。

私もそう思います。下記は、あるメーリングリストへの私の書き込みです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では、どこが金を出すか?どこも出しません。製薬会社は医薬品医療機器総合機構にもうたくさんの金を払っている。となると、自動車事故損害保険のように,患者が自分のために入る医療事故補償保険商品を作って、一般市民に買ってもらうか?それも多分駄目。

というのは、自分の自動車だと思うからこそ、自分が事故に巻き込まれた場合に金を払うのですが、医療サービスは自分固有のもんじゃない。となると、レンタカーを借りる時や海外旅行に行く時のように、pay per serviceで入るようにするしかない。これを医療保険の自己負担分に上乗せして強制徴収するか、それとも、その部分だけを、それこそ海外旅行保険のように任意加入の商品にして、損保会社と医療機関が契約して、医療機関の窓口で、家電商品の購入の時保証期間延長オプションに対する割り増し料金のようなシステムにするか、
このようにいくつかの場合を想定してシミュレーションしなければなりませんが、どの損保会社も、もちろん厚労省も、このシミュレーションにはまだ手付かずのはず。まずはそこからやらないと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Tさん:
本店の商品開発担当部署の男性へメールを入れ(池田さんのメールも添付させていた
だきました)、その後電話で補足説明をしました。
結論から言いますと、なかなか難しいという気がしています。
その男性は、池田さんのご提案の趣旨は理解はしてくれたものの、
「今現在そのような商品開発の予定はなく、また今後商品開発するとしてもすぐには
難しいだろう」という回答でした。

私も専門分野ではなくわからない事も多いのですが、気づいた点をいくつか書きま
す。

1.加療ケースの主な損害は「治療費」・「慰謝料」・「休業損害」です。ここで問
題になるのは「慰謝料」です。
自動車事故の場合は「慰謝料」の認定基準がありますが、医療事故のケースは「慰謝
料」の認定基準がまだ確立されていないのではないでしょうか? 訴訟により判例が
多く出てこないと認定基準を策定するのは難しいと思われます。しかし医師側は極力
訴訟は避け示談や調停で和解することを望むでしょうし、内容が専門性の高い分野で
あることからしても、判例が増えるのを待つというのは現実的ではないのでしょう
ね。保険商品とするならば、1事案ごとに訴訟は出来ませんので、「慰謝料」は自動
車事故と同基準or定額保障とする、または対象外にするしかないと思われます。

2.次に「治療費」ですが、確か5万位/月(だったでしょうか?)超えると国から
還付される制度があったはずです。
5万/月程度の生命保険や損保の医療保険に加入していれば、通常の治療費は保険で
カバーができるのではないでしょうか。
ただ、医療事故という特異性から患者が高度治療を希望した場合、それから既存の商
品が医療事故を免責としているかは不明です。
池田さんはお詳しいですか?

3.「休業損害」の計算は容易です。死亡ケースでは「逸失利益」となり今後生きて
いる間に得るであろう所得を支払います。
「逸失利益」は自動車事故では表が用意されていますので、医療事故でもそれを準用
できるのではないかと思います。
損保では休業損害を補償する「所得保障」という保険もありますが、加入率は低いよ
うです。

4.もっとも問題になるのは「後遺障害残存ケース」ではないでしょうか。自動車事
故では認定基準がありますが、医療事故の場合は患者の心情から考えてもハードルが
高そうです。保険商品とするならば、やはり自動車事故と同基準にするしかないで
しょう。

5.いずれにしても、保険で上記損害を全額補償しない限り、また全額補償しても患
者が了解しないならば「患者vs医師」の構図は回避できないと思います。もし全額
補償の保険商品が出来たとしても保険料が相当高額になり、加入率は低いでしょう。

6.自動車保険では契約者へ治療費・慰謝料等の保険金支払い後、加害者へ保険金の
求償を行います。医療事故の保険が出来たとして、患者は救済されても、医師はその
責任を免れません。

7.医療事故が多いという事実、医師賠責保険が破綻し医師側から十分な補償が得ら
れない事実などの情報がもっと一般の人々の目に触れることが大切だと思います。マ
スコミは取り上げないのでしょうか? と、簡単に言っても難しい話なのでしょう
ね。

私の後輩のお父様が数年前に他界しました。彼女は医療事故だと言いますが、実際は
何も行動を起こさず泣き寝入りしています。
多くの人がそうであるようにそれを証明する術を持ち合わせないためです。中立な立
場の調査機関があると良いのでしょうね。
保険会社がその立場を担えるとさらに良いのでしょうね。
池田さんが日本の医療事故を危惧されている思いはよくわかりますので、私も機会が
あればまた社内にて提案していきたいと思います。

池田:
ご丁寧な調査,お返事,ありがとうございました.商品開
発の技術面だけでもこんなにたくさんの問題があるのですね.担当以外の分野の問合
せで,随分と余計なご負担をかけてしまったのではないかと心配です.でも,おかげ
さまで新たな問題がわかったことは大きな収穫です.医療サービス提供サイドはもち
ろん,法曹側も,これらの問題点を正確に把握していない可能性が高いからです.
> これからも医者や弁護士,患者団体と議論していきますが,その際に大いに参考に
させていただきます.

裁判ではなく
よりよい医療紛争解決の手段として,裁判外の紛争処理制度(ADR:Alternative Dispute)の実現に向けて、加藤良夫弁護士を初めとして、精力的に活動している方々がいらっしゃいます。
医療被害防止・救済センターの実現に向けて

無過失賠償責任の考え方は,薬の副作用のことを考えてもらえばわかりやすいだろう.医療者側に何の落ち度がなくても,ある確率で副作用は起こる.その被害者を救おうというのが,医薬品機構であり,薬の副作用に関しては無過失賠償制度ができている.

2004年1月には,福岡県医師会が,産科での脳性麻痺に備えて,国内初の無過失賠償制度を設立した.出産の際、妊産婦と産婦人科医、県がそれぞれ1万円ずつ負担する3者負担で制度を維持するという。こういう動きは大いに歓迎したい.

しかし,こういう仕組みを作っても,単なる紛争処理期間ではなく、事例から学んだノウハウを事故防止、安全確保に役立てなければ意味がありません。このあたりは米国でも、まだ模索がはじまったばかりのようです。Stephen C. Schoenbaum and Randall R. Bovbjerg. Malpractice Reform Must Include Steps To Prevent Medical Injury. Ann Intern Med 2004;140 51-53

ADRを育てるためには、医療事故の客観的な検証作業が必要ですが,実はここが最大の問題点です。このような検証活動に貢献できればと、私もADRの真似事を細々とながら関わってきました。一つは、患者さん本人やその家族が、医療過誤を疑うケースの相談を受けること。ある患者団体の仲介で、弁護士と二人一組で面談を受けます。もう一つは、これもその患者団体の仲介で、さらに踏み込んで、証拠保全をした診療録(必ずしも裁判を前提とはしていません)を詳細に検討し、症例報告としてもおかしくない、きちんとした意見書を書くこと。

学会を含めて鑑定に関与する医師が増えるのは歓迎ですが、問題は鑑定の質です。鑑定書は裁判資料だから公開が原則ですが,それだけでは,一般市民がアクセスしづらい.もっと、誰でも自由に批判できるようにすることが、鑑定の質を上げることになる。さらに,長年の泥沼闘争になりがちな裁判に至る前に,診療録をもとに,過誤があったかどうか検証する第三者機関が望ましい.

このように、第三者の立場から検討することによって、過誤があったと思っていたのが誤解だったり、全く逆に、気づかれていなかった、あるいは隠されていた過誤が見つかることもあります。もちろん、判断に苦しむケースも多々あります。その意見書は世間一般に公開することを前提に書かれたものですから、学会誌レベルの学術定期刊行物として発行しようと、ここ数年苦労していますが、経済的な問題もあって、なかなか実現しません。

現在の医療事故裁判とその報道には次のような問題点があります。

1.裁判所の判断が常に正しいとは限らない.医療者側の有罪が確定した場合でも,常に医療者側に非や,責任があるとは限らない:李 啓充先生も指摘しています.
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(前略)さらに,HMPSは過誤訴訟の帰結がどうなったかを10年間追跡したが,賠償金が支払われたかどうかという結果と,HMPSの医師たちが客観的に認定した事故・過誤の有無とはまったく相関しなかった。事故や過誤はまったく存在しなかったと考えられる事例の約半数で賠償金が支払われている一方で,過誤が明白と思われる事例の約半数でまったく賠償金が支払われていなかったのである。それだけではなく,賠償金額の多寡は医療過誤の有無などとは相関せず,患者の障害の重篤度だけに相関したのだった(NEJM 1996;335:1963)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2.裁判所の判断と同様,報道も必ずしも客観的事実だけを伝えているとは限らず,誤りや憶測が多く混じっている.

したがって、判例から何かを学ぼうとするなら、判決やその報道だけに注目せずに,論文を吟味するのと同様、判決文、できれば公判記録の批判的吟味を行うべきです.さらに、事実関係が明らかでない逮捕や起訴の時点での、報道記事だけを頼りにした議論は、電話での医療相談以上の頼りない井戸端会議だと、私は考えています。

3.医療事故検証を行う仕組みとそれに参加する医師の欠如
かかわる医師の質ももちろん問題ですが、それ以前に数さえ足りない.医療事故裁判が”僻地医療”になっている.裁判にかかわる医師の不足は,医療事故裁判が遅々として進まない原因にもなっている(*下記)民事はまだしも、刑事なんて,僻地医療どころか無医村そのものでしょう.
逮捕、起訴にまで踏み切るには、臨床医の判断が絶対に必要ですが、進んで刑事事件に関与しようとする医者はいません。一方で、警察、検察が、しかるべき質の臨床医に依頼するルートを確保しているとは到底思えません。そういう警察や検察が逮捕、起訴できる事件の真相が、警察発表の垂れ流し報道の通りだとは、私は考えていません。上述のように、医療事故に関して、裁判は効果、効率両面で、原告/被告いずれの利益にもなっていません。まず、裁判以前に事実を明らかにすることが大切です。専従とは言いませんから、多くの医師が少しずつ、事故の検証に関与する仕組みが必要です。

*医事関係訴訟の円滑かつ適正な解決について(協力依頼):平成14年10月1日 医政発第1001006号 (厚生労働省医政局長から,日本病院会会長への依頼)

丸紅,価格誤表示で損害2億円
こんなところを読んでいるあなたは,下記の記事を読めば,何か言いたいことがあるだろう
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大手商社の丸紅が運営するインターネットのショッピングサイト「丸紅ダイレクト」で、10月末にパソコンの販売価格を一ケタ誤って1万9800円と表示し、約1500台の注文が殺到。丸紅は「信用を裏切れない」とし、販売を受け付けた客に表示通りの価格で販売することを決めた。
 このパソコンはデスクトップの新型で、本来の価格は19万8000円。サイトには先月31日掲載された。ネット掲示板で「激安パソコンが売られている」と書き込まれたこともあり、注文が集中。担当者がミスに気付いて今月3日に価格を訂正し、注文した客に契約の取り消しを依頼するメールを送ったが「丸紅を信用して買ったのに」などとの抗議が相次いだ。
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いろいろ応用できる教訓である.
1.このような事故を起こした原因分析と,その予防策,
2.医療現場では類似の事故にはどのようなものがあるか
3.丸紅側の事後対応,顧客対応はどうあるべきか.
4.法律はどうなっているのか?損害保険は適用されるのか?

いつも”これからそういうことが起きないように,みんなが注意しましょう”で終わっているリスクマネジメント部会の眠気覚ましのケーススタディという使い道もある.

どこまで個人,どこまで組織?
しばしば個人を責めずにシステムの欠陥を正すことが重要だと言われるが,常識はずれの個人の注意義務違反が医療現場で皆無とは言えない.それをどうやって認定するのか,どこまでを個人の責任とし,どこまでをシステムの問題とするかという難しい問題を考察している.
W.B. Runciman, A.F. Merry, and F. Tito. Error, Blame, and the Law in Health Care?An Antipodean Perspective. Ann Inern Med 2003;138:974-979

医療関連文書
萬有製薬のサイトで,医療文書の書き方と題した素晴らしい実用書が公開されている.下記の書籍も大いに参考になる。

医療文書の正しい書き方と医療補償の実際 (日野原 重明、加我 君孝 編)
ISBN978?-4-307-00456-5 AB判 272頁  定価5,040円(本体4,800円+税5%)

看護師による薬剤有害事象の報告
医者よりも数が多いし,患者に接する機会が多いから,看護師にも薬剤の有害事象を報告してもらえば,有害事象の発見がより効果的に行われるはずである.その報告の質に疑問を抱く向きがあるかもしれないが,病院のリスクマネジャーをやった経験から言えば,医療行為による有害事象の発見,報告は,医者よりも看護師の方がよほどしっかりやっている.下記の論文はそういった経験論を裏打ちする実証的な臨床研究である.

Morrison-Griffith S and othes. Reporting of adverse drug reactions by nurses. Lancet 2003;361:1347

救急カート内の見直し
ささやかなことだが,病棟や外来に置いてある救急カートの内容は常に見直す必要がある.喉頭鏡の電池切れ,薬品の期限切れといった消耗品の補充はもちろんだが,備品や薬品のメニューの見直しも大切だ.私の経験では,テラプチック(呼吸補助剤と称して大昔に使っていた薬)とか,ノルアドレナリン(アドレナリン=ボスミンと間違えて使うと大事故.限られた場面でしか使い道がなく,救急カートに入れておく意味はない)とか,役に立たなかったり,危険極まりない薬が入っていたりして,大幅な見直しを強いられたことがある.

見掛け倒しだった医療安全推進者養成講座
2003年2月から,日本医師会の医療安全推進者養成講座を受講している.リスクマネジメントの通信教育である.日医と聞くとそれだけで胡散臭いと思う向きもあるかもしれないが,まあ,物は試しとおもって受けてみた.2004年1月で修了した.

費用は安かった.これはとても大切なことだ.84000円もの受講料をはじめに払い込まねばならなかったが,削減前の厚労省の教育訓練給付制度の適用があるので,あとで8割のキャッシュバックがあるから,結局は16800円だけで済んだ.現在は4割給付に削減されたから,6割の支払いで,5万円以上になる.これでは多くの人が二の足を踏むだろう.私は幸運だった.

次の問題はその内容だ.まだ,第一回目,医療政策概論を受講した当初は,なかなか勉強になると思った.というのは,第一回目の講師が,一橋大学卒業のわずか3年後にはMBAを取得してしまった川渕孝一先生という,一流の学者であることにもよるのだが,現場の問題点がどこにあり,実現可能な対策をどこに求めるべきなのかを非常にわかりやすく解説してくれた.

ところが,その後,化けの皮が剥がれてきた.各講座の講師の質と講義内容に差がありすぎる.川渕先生のような優秀な方から,医療現場のことを全くわきまえずに,安全や事故防止に全く役立たない話をする人もいた.その原因はわかっている.生徒からのフィードバックが効いていないから.この点については,機会を改めて述べたいが,その一部はこちら→模範解答

リスクマネジメント部会長:誰が適任?
あちこちで愚痴をこぼしているから,もうご存知の方も多いと思うが,私は病院のリスクマネジメント部会長を,もう,2年近くやらされている.私の正式職名は生化学研究室長であり,診療とは直接関係がない.院内の規定でも,わが大本営(厚労省)の指針でも,リスクマネジメント部会長は診療科の医師ということになっているので,生化学研究室長である私がやっていること自体が,規則違反であり,大本営の支持にも違反している.なのに,監査と称して大本営からやってくる小役人は,そんな重大違反に見向きもしないで,当直の医者の飯をペーストにしろなどという嫌がらせをするばかりだ.ただし,私がここで本当に文句をつけたいのは,小役人の嫌がらせではなく,もっと本質的なことだ.

リスクマネジメント部会長に医者は最も不適な職種である.医者は,その唯我独尊的性格のゆえに,自分の過ちを認めたがらない.医療従事者の中で医療事故防止にもっとも不熱心なのは医者である.実際に,当院のリスクマネジメント部会で,医者自身からヒヤリハットの事例報告をしたのは私だけだ.

診療を進めていく上で絶対の権限を持っている医者をチェックすべき立場にあるリスクマネジメント部会長に医者を据えるのは,どうぞ不正を見逃してくださいと言わんばかりで,警察に警察の不正をチェックさせる,泥棒に泥棒の見張りをさせる,建築会社に施工監理をさせる,と同じぐらい滑稽なことである.

と,愚痴をこぼしていたら,先日の医療事故防止委員会で,医事課長が,新年度から着任する専任リスクマネジャーが,リスクマネジメント部会長をやるべきだと,正論を堂々と主張してくれたので,ようやく私も御役御免となりそうだ.よかった.委員会もたまには機能することがあるのだ.やはり医者がリスクマネジャーをやってはならんのだよ.

下記の文献にもそう書いてある.医者からインシデント・アクシデントの報告を出させるだけでも大変な苦労をするのだ.何しろ,事故を事故とも思っていない連中なんだから.都立荏原病院では,医者に対して,こういうことが事故なのだと,幼稚園児に諭すように基準を決めている.

1)検査,手術の合併症,予想外の緊急処置または再手術
2)退院後の予期せぬ再入院(7日以内)
3)予定手術の中止ないし延期
4)予定入院期間の大幅な延長
5)指示や処方の誤り
6)院内感染の疑い
7)患者の苦情・抗議

参考文献:服部博之.病院からー各施設におけるリスクマネジメントの取り組み(事例をふまえて)−Clinician 2002;49:454-458
李 啓充.医療過誤防止事始メ.アメリカ医療の光と影.−医療過誤防止からマネジドケアまでー p3-p75 医学書院 2000

IT化そのものがリスク
単純,かつ当然なのだが,停電があると,何もかもだめになる.電気が復旧するまで何もできなくなる.この間,院内の仕組みが電子化に依存すればするほど,停電の間の院内のリスクマネジメント能力もほとんどゼロになる.2003年1月29日,猛烈な寒波と低気圧が新潟県を襲った.同日午前中,,東北電力の送電が止まり,当院でも全く仕事にならなかった.当院はオーダリングシステムを電子化しており,カルテは手書きだが,それでも,薬局,放射線科,検査科の仕事は全く不可能になり,診療機能が麻痺した.突然のコンピュータ停止で,いくつかのデータはバックアップする間もなく消し飛んだ.非常電源は,人工呼吸器など,最低限の機器を支えられない.

決してIT先進病院とは言えない当院でも大混乱だった.これが電子カルテも含めてIT化がもっと進んでいたらさらに大きな事故が起こっていただろう.停電だけではない.2003年1月26日,SQLスラマーワームが韓国に大打撃を与えた.新しい抗生物質が次々とできても,それに合わせて耐性菌が次々と出現するように,ウイルス,ハッキングの種は尽きない.どんなに注意深い人間でも間違いを起こすように,どんなにセキュリティを厳しくしても,システムにはウイルスが入るもの,ハッカーの攻撃は受けるものとしてリスクマネジメントを考える必要がある.

医療事故に対する認識欠如:臨床医と一般市民の両者で
R.J. Blendon and others. Patient Safety: Views of Practicing Physicians and the Public on Medical Errors. N Engl J Med 2002; 347 : 1933 - 40
郵便や電話アンケートを使って調査したこの論文によって,次のような信じがたい認識不足が,一般市民と医師の両方にあることが明らかになった.

1.一般市民も医師も,医療過誤を米国の医療システムにおけるもっとも重要な問題の 1 つとはみていない.

2.臨床医および一般市民は,ほとんどの過誤の責任が個々の医療従事者にあると考えており,重大な過誤責任があると考えられる個々の医療関係者に対して処罰を行うことを支持していた.つまり,個人の責任を追及し,システムの欠陥を見逃すという態度である.

3.両群の大多数は,防ぐことが可能な過誤による院内死亡数が医学部会による報告数よりも少ないと考えていた.

以上の点は,医療過誤の問題点を明らかにした報告書,"Kohn LT, Corrigan JM, Donaldson MS, eds. To err is human: Building a safer health system. National Academy Press, Washington, D.C.200"の考え方とは全く相反する,医療事故防止が隠蔽されていた時代の旧態依然の考え方である.

これほどまでに医療事故が議論されるようになっても,なおも多くの人々の認識はこの程度かと思うと呆然とする.こりゃ,奴隷制度撤廃と同じくらい根気と犠牲が必要な戦いなのかもしれない.少なくとも,風邪に解熱剤・抗生物質の約束処方を撤廃すると同様の地道な努力が必要なのだろう.

臨床医の疲労と患者の安全
Gaba DM, Howard SK..Patient safety: fatigue among clinicians and the safety of patients. N Engl J Med. 2002 Oct 17;347(16):1249-55.

「米国では,医療専門家,とくに研修医の労働は,他の分野で容認できるとされる限界をはる かに超えている.」と紹介文にあるが,”米国では”という副詞句は不要だろう.臨床医,とくに研修医は,長時間労働し,睡眠が不十分である.人の命を預かる仕事をする人間が睡眠不足だったらどういうことになるかは誰の目にも明らかだ.

臨床検査技師の説明責任にまつわる迷信
先日,地域の臨床検査技師会の集まりで,診療チームの一員である彼らにも,インフォームド・コンセントに積極的に関与してもらおうと思って,“臨床検査技師にとってのコミュニケーション技術”と題して,話をしようと計画を立てた.医者だけが頑張ってもインフォームド・コンセントの作業には限界がある.実際に検査に携わる技師にもチームに加わってもらって,検査の必要性,リスク,結果の説明を担当してもらおうと思ったからだ.しかし,その打ち合わせの席上でとんでもない迷信が流布していることがわかった.

 “臨床検査技師は検査について患者さんに説明してはいけないと(法律で???)定められている”というのだ.しかも,彼らはそれを学生時代に教師から教えてもらったという.私がそんなバカなことがあるものかと,健康政策六法なる本をひっくり返し,“臨床検査技師、衛生検査技師等に関する法律”を丹念に調べてみたが,案の定,そんな条文は一つもなかった.

よくよく話を聞いてみたら,どうも,医師の監督の下(第二条)や守秘義務(第十九条)という文言の誤解がもとになっていることがわかった.守秘義務を,検査結果を患者さん本人に対して秘密にしなければならない(そんなら何のために検査をやるのかわからんじゃないか!!)と解釈したり,医者から具体的な指示がなければ,検査の必要性一つ説明してはいけないと考えたりしていたらしい.

この迷信の背景には,”検査のことなんか,技師に任せておけない.全部自分が取り仕切る”という,カビの生えた医者のパターナリズムがあるのではと疑っている.もちろん,CKが高いだけで,”心筋梗塞です”と説明されちゃたまらないんだが,目の前に超音波の画面が出ているのに,”検査の結果は一切教えられません”じゃあ,とても患者サービスとは言えないわな.私自身でさえも技師さんに教えてもらったことは山ほどある.心電図の不整脈の読み方,腹部超音波所見,白癬菌検出のためのKOH染色,クリプトコッカスが墨汁染色をしなくても見えること・・・

では,実際の診療の場面ではどうしたらいいのか?それは今からみんなで考えていく.何しろ,臨床現場でのコミュニケーション教育は,医者や看護師の教育でも系統的に行なわれていないのが現状である.これは日本だけではない.どこの国でも問題になっている(*).ましていわんや臨床検査技師においておや.今回は迷信が迷信とわかっただけで大きな収穫だ.

Brushing up on doctors' communication skills. Lancet 2002;360:1572

病院管理者にとってのメディア対応のこつ
福井県立病院救命救急センターの林 寛之先生が,雑誌”病院”に寄稿なさっている.その中に,マスコミ対策Tipsと題して,素晴らしいメディア対応策が載っている.被曝事故というセンセーショナルな緊急事態を想定しているので,突発した(あるいは突然露見した)医療事故の報道発表にそのまま応用が効く.病院で管理職手当てをもらっている人は必読である.その要点は,下記のようである.

1.場所:報道発表の場は,混乱している現場(外来・救急室など)とは離れた別の場所に設定すること.

2.タイミング:会見場所と報道発表時刻を事故発生後2時間以内に公表すること.いつまで待てば情報が得られるかわかれば人間は待てる.しかし,いつ,どこで会見が行なわれるかわからないと,待ちきれずに,たとえあやふやな情報でも,裏から手に入れようとする.

3.正確かつ迅速な報道発表は,根拠のない憶測を防ぐ.いたずらにマスコミを毛嫌いするのではなく,正確な情報をいち早く伝えてもらうように,マスコミの協力を要請するつもりの方がよい.

4.マスコミ対応は,実際に診療に携わっている人ではなく,院長,副院長,診療部長,事務長などの管理職が行なうこと.その中でも,特定の人に過大な負担がかからないよう,一方で重複を避けるよう,発表内容を3人で分割して一つの物語にまとまるように,無駄のない簡潔な発表にする.

5.守秘義務の原則を守る:報道発表は,必ず患者及び家族の了解を得てから内容を吟味した上で行なう.→下記児玉先生のコメント参照

6.報道発表のシミュレーションを必ず行なう

7.事故の今後の影響は直後に判断することは困難であることを伝える

8.あなたは神様や予言者ではないのだから,”もし”という質問には原則的に答えない.不安を助長するだけであり,現状の説明に留めるべきである.

9.現場で診療にあたる人間は,診療に専念するために,原則的に報道発表には加わらない.ただし,”ノーコメント”とそっけなくするのは避ける.なぜなら,相手も感情的になり,痛くもない腹を探ろうとしたり,報道内容で報復しようとしたりするからである,コメントを求められたら,しかるべき担当者が報道発表を行なう旨を伝えることが大切である.十分な吟味を行なわない段階で,具体的な内容に言及することを避ける.

10.報道機関を敵視しない.正確な情報を広めてもらうための大切な協力者ととらえ,日頃からよい記事を書いた場合は,記者を誉める.

このように考えていくと,医者も普段からメディアと付き合って,ジャーナリストの求めるものや考えていることを知っておくことが必要ではないかと思えてくる.病院の院長たるもの,地元の新聞記者と定期的に懇談したり,政治家や都道府県知事みたいに定例記者会見をやって大いに批判してもらうことを歓迎するぐらいの度量が必要だろう.

とくに社会的なパニックをきたすような事件が発生した時は,普段からMedia relationを重んじる態度が物を言う。たとえば,2004年初頭で,新型インフルエンザやBSEが問題となった時,CDCは,Press Kitと称して報道関係者向けにわかりやすい解説書をウェブサイト上で手早く用意した。日本の国立感染症センターも迅速に適切な情報公開を行った.このような迅速な動きは,あらかじめ非常事態を想定した準備を入念に行って初めて可能となる.

医療機関の場合,事故が起こってから慌てて報道発表するのではなく,報道関係者と普段から懇談会などを開いて意見を聴く姿勢が必要。そういう姿勢が,報道機関の中の良貨を育てることになる。医療関係者にまともな人がいるのとまったく同じように、報道関係者にも、霞ヶ関の役人にさえもまっとうな人がいる。組織のアウトカムが悪化していると思ったら,良識ある人々を組織の中で孤立させずに応援することが必要。良貨は組織内でしばしば悪貨から陰湿な攻撃を受ける。この陰湿な攻撃が続くと、良貨の心の中では孤立感と無力感が先にたつばかりで、希望とやりがいを見失ってしまう。良貨にとって、外部の第3者でもいい、お客様でも良い、特に味方が要ることに気づけば何よりの励ましになる。
 

参考文献

林 寛之.病院管理者が知っておきたい緊急被爆医療.病院 2002;61(9):742-746
下記のインタビュー記事も非常に参考になる.

公衆衛生対策に求められる「コミュニケーション・ストラテジー」週間医学界新聞 第2559号 2003年11月10日

医師賠償責任保険の落とし穴
ただ単に加入していればいいというものではない.下記の落とし穴に注意.

1.発生主義ではなく,発見主義
ふつう,損害保険は,事故原因が発生した時に加入していればその損害がカバーできる(発生主義).これは,保険の対象となる損害の多くは,家屋の火災のように,事故が発生するのと発見するのがほぼ同時であり,因果関係もよくわかるからだ.しかし,地震の後に起こった家屋の火災が火災保険でカバーされないことが阪神大震災の時に問題になったように,因果関係が特定しにくいや,推定される事故原因の発生と事故の結果の発見の間に時間の開きがある時は,事故原因発生時期の特定に依存する発生主義の立場が危うくなってくる.

医療行為による損害は,人間の体というブラックボックスを介して発生するだけに,原因とおぼしき医療行為が行なわれた後,しばしば長い時間がたってから目に見えてくる.そうなると,事故が発見された時に補償するという発見主義の方がより現実的になってくる.そのために,医師賠償責任保険が,他の賠償責任保険と異なり発見主義となっているのだろうと,私は推測している.

だから,次のようなケースが考えられる.20年前にあなたがやった手術で患者さんの体の中に置き忘れたガーゼが,手術の20年後に感染を起こして患者さんが腹膜炎で死亡して訴えられて負けたとする.この賠償金をカバーするのは,20年前の保険ではない.患者さんが亡くなった術後20年の保険である.また,あなたが散々こき使われた今の勤務先を円満退職して,もっと楽で安全な勤め先に転勤になったとする.そんな場合でも,もう安心と思って,医師賠償責任保険を止めるのは気が早いかもしれない.前の勤務先で気づかなかった失敗をいつ目の前に突きつけられるかもしれないのだ.

2.保険会社は,(干渉はするが)助けてはくれない:
保険会社との相談なしに,勝手に示談などをやると,賠償金が支払われないことがあるので,交渉は事前に保険会社に相談することと,契約内容に書いてはあります.しかし,これは,保険会社のおかかえ弁護士さんがあなたの代わりに示談してくれるという意味ではない.このフローチャートを見てください.ね,わかりました?保険会社はあなたと患者側の交渉には直接タッチしないのです.患者との示談,裁判ははすべてあなたやあなたの勤務先がやるのですよ.

3.刑事事件は補償対象外
刑事事件に発展したケースでは,賠償金や弁護士費用は支払われない。なぜなら、刑事告訴され検察庁が立件するような事案は、公序良俗に反する悪質な行為と位置づけられるからです。弁護士を雇用する費用などはすべて保険からの支払い対象外となり、自腹を切る羽目になる.

投薬ミスから何を学ぶか
Bates DW. Unexpected hypoglycemia in a critically ill patient.  Ann Intern Med. 2002 Jul 16;137(2):110-6.

この論文では,看護師が動脈ラインへにヘパリンでなくインスリンを入れてしまった例を取り上げている.アメリカだからといって特別な解析,防止策をとっているわけではない.病院は建設的な議論をして,システムの欠陥を訂正することに力を注ぐべきであって,スケープゴート探しをしてはならないとか,安全のための投資を怠りがちだとか,どこかの国でも繰り返し聞くような警告がここでも並べられている.だからといって,読む価値がないというわけではない.むしろ,リスクを少なくする基本的な方策は,国や保険制度が違っても同じだからこそ,こういった地味で謙虚な論文から学ぶべきことは多い.残念ながら,日本ではこういう論文はまだまだ非常に少ない.

外来における処方過誤
入院患者における処方過誤はよく研究されているが,外来患者における処方過誤の系統的な研究は非常に数少ない.下記はその数少ないすぐれた研究の一つ.
T.K. Gandhi and OthersPatient Safety: Adverse Drug Events in Ambulatory Care. N Engl J Med 2003;348:1556

看護師の賠償責任保険加入
医療事故に際し,看護師が賠償責任を問われる事例が出てきている.このため,リスクマネジャーとしては,看護師の賠償責任保険加入を進めなくてはならないと考えているが,加入率を高めるためにはどうしたらいいか,一人で考えていた.しかし何のことはない,先日,看護部長から情報をもらった.

当院では2年ほど前までは,2割の加入率だったが,痴呆病棟で患者さんの義歯が紛失して,賠償問題になった際に,看護師賠償責任保険から賠償金が支払われた事例を契機に,そういう,誰にでも,どこでも起こりうる”事故”にも,保険が役立つことが知れ渡ってから,急激に加入者が増えて,現在加入率は65%に達しているとのことだった.高尚な理論よりも,身につまされる実際の事例の方が,はるかに加入者を増やすのに役立つということだ.

院内リスクマネジメント組織の構成

都内にある有名公企業体関連病院で,昔ご一緒させていただいた先輩から,私が形ばかりのリスクマネジメント部会長をしていることから,部会の運営についてお問い合わせいただいた.その病院では,ある診療科の部長さんが部会長をなさっているので,その部長さんの診療科や医師の危機管理がいい加減になっているとの懸念から,お手紙をいただいた.下記はその返事である.

厚労省同様のお役所体質の病院でご苦労なさっていることとお察し申し上げます。私がリスクマネジメント部会長をやっているのは、ただ単に力量のある人が見切りをつけて辞めていった結果に過ぎませんから、以下の私の見解はその分大幅に割り引いて考えて下さい。臨床研究部生化学室長がリスクマネジメント部会長をやってるなんて、少しでも事情を知っている人が聞いたら、とんでもないスキャンダルです。

1.リスクマネジメント部会(こちらが実務者レベルの実働部隊)や医療事故防止委員会(部会の上部組織(あるいは屋上の屋)で管理職中心の集まり)に対して、quality controlのための実効性を認められた規則は寡聞にして知りません.例えば、厚労省は、リスクマネジメント部会・医療事故防止委員会について、ただ単に委員会の名前と構成メンバー(すべて院内)を定義しているだけです.

日本医療評価機構の評価基準には、リスクマネジメントに特化した院内組織の定義すらなく、各部署別のquality controlの基準があるのみ。大体、日本医療評価機構の評価というのは、接客サービス業の観点からの評価が中心で、切った張ったの医療現場の危機管理評価は全く考慮していない欠陥評価であり、あんなもの取得したからといって、実際の業務の屁の役にも立たない。だから、倫理委員会のように、リスクマネジメント部会に第三者が入ることを要求した規範などあるわけがないこと

2.しかし,上記の事情を考慮しても、そもそも医者、それも管理職がリスクマネジメント部会をリードするというのは、臍が茶を沸かします。infection control nurseのように、リスクマネジャーは看護師がやるべきです。理由は(言うまでもなく)医者というのは、病院の中で一番傲慢な職種で、他職種からの批判を受け入れず、インシデント報告率も一番悪い。ましてや部長がやるなんて、神奈川県警や新潟県警を笑えませんぜ。お目出度さではNTTに劣らない厚労省でさえ、来年度からは当院のような田舎の精神病院にさえも、専任のリスクマネジャー(看護師)が配置になって,来年度からはリスクマネジャーが当然リスクマネジメント部会長になってくれるので,私もヤバイ仕事から解放されるというわけです.

4.病院経営に民間企業のノウハウが必要なように,病院の危機管理は,医療従事者以外豊富なノウハウを求めるべきでしょう.リスクマネジメント部会には,倫理委員会よりももっと外部の意見が必要なはずで,倫理委員会に外部委員が必要ならば,リスクマネジメント部会には絶対に外部委員が必要なわけです.

 

ある先輩のご指摘:これから根付くことが期待される、日本型のリスクマネジメント(病院にとって医療訴訟のリスクを回避することが主目的のアメリカ型でなく、患者の安全確保を第一に考えるリスクマネジメント)を行い、達成することがゴールベテランの医師で、内科専門医程度の資格があり、このような仕事や、医療裁判の鑑定、リスク回避のための病院の指導、場合によってはセカンドオピニオン的な診療を行う仕事があってよい

ご指摘のように、医療危機管理コンサルタント会社があってしかるべきです.最近,自動車保険屋や警備会社のボスが、通常の医療サービスに株式会社も参入させろとわめいていますが,うまい汁を吸えるところなんて,もうありゃしないんだから,失敗するに決まっている.それよりも,医療危機管理コンサルタント分野にこそ参入してもらいたいですね。そして,リスクマネジメントに投資することによって、院内感染を防いだり、賠償責任保険や訴訟費用を軽減したり、有能な人材を引き留めたり、果ては見識の高い顧客を集めるといった点で、実は病院の収益に繋がることを理解できる経営者がぼちぼち出てきてもいいころです。

さらに理想を言えば、患者側に、リスクマネジメントに手間暇かけている病院に対して高い評価を与える見識の高さが求められるのです。しかし、なかなかそこまでいかない。日本医療評価機構の評価を受けたことがステータスと思われているうちはまだまだです。青木 眞先生が、たった一人で感染症コンサルタントを標榜して日本全国を回っていますよね。ああいう活動をする先駆者が、医療リスクマネジメントの分野でもまず欲しいところです。資本ゼロでできる商売ですから、借金して開業するリスクを負うだけの度胸がある人ならば、簡単にできるはずなのですが。

避難訓練:私の勤めていた病院で火災・避難訓練があった時のことです.80ベッドある神経内科病棟は,1階と2階にそれぞれ40ベッドづつに分かれていますが,その1階から出火したという想定でした.

2階はさぞかしてんやわんやと思って行きましたら,当番の職員だけが黄色いたすきを掛けて走り回っているだけで,ほとんどの職員は平常心でお仕事中でした.以下,こいつは何を言い出すのかと怪訝な顔とぽかんとした顔に囲まれての会話.ちなみに,この病棟の普段の昇降は階段とエレベーターが一つずつです.

”この病棟,避難用のシューターはあるの?”

”ええ,デイルームの窓から臨時に降ろすやつと,病棟廊下の突き当たりの非常口に,普通の非常階段とは別に,固定の滑り台式のやつ,合計2つ”

”今日は,そのシューターを展開したり,患者さんを降ろしたりする訓練はしないの?”

”しないですね”

”そのシューターで,この病棟の患者さんは自分で降りられるの?”

”・・・無理ですね・・・急傾斜で幅も人一人座ってようやくで,あたしたちだって,ちょっと怖いもの・・・”

消防署員も立会いの,年に1回の訓練だったのですが・・・40床,ほぼ常に万床の病棟ですぞ.

私はこのような職場でリスクマネジメント部会長をやっています.次の部会で私がわめいたらどうなるかな,もしかして,寝たきりの患者さんを降ろす設備の予算などないと,あっさり断られるかな.それって,人の命より金の方が大事だっていうことですよね.

当院は最高で2階ですから,職員がおんぶして降ろせってことになるのかな.ならば,そのおんぶ訓練をしなければならない.40人もおんぶして避難させるまでには,火は鎮火しているか,病棟を焼き払っているかのどちらかだと思うけどな.

新しい高層階の病院では,普通のエレベーターとは別に,防火扉に囲まれたコンパートメントに非常用エレベーターが設置されているようですが,これは消防法で義務付けられているのでしょうね?

しかし,古い建物では,それがありません.みなさんの施設ではどうですか?

論語:「過(あやま)てばすなわち改むるに憚ることなかれ」(論語・学而第一)」「過ちて改めざる是を過ちと謂う」(孔子)

謝る:深々と頭を下げる二人の姿を見た途端に,”薬の量を間違えたに違いない,絶対に許すものか”というそれまでの怒りが,嘘のように消えてしまったのだった.彼は,後になって何度も当時のことを振り返ったが,巨大な怒りが一瞬にして消えてしまったあの瞬間を思い出す度に,人間の心の不思議さを思わずにはいられなかった.(李 啓充著 アメリカ医療の光と影 より)

この状況は,主人公が医師であり,怒りに震えている家族と出会った途端に,誤りをすぐに認めた医師の勇気を率直に評価できるという特殊事情があったにせよ,非常に重要なことを示唆している.

それは,”素直に謝る”ことである.医学的にどうこうというはるか以前の常識である.間違いがあったら,それを素直に認めることは,幼稚園児でも知っている人間世界の常識である.どんな交渉術もこの常識を超えられないことを,上記の話は如実に物語っている.

病院幹部が何と言おうと,保険会社がどんなマニュアルを作ろうと,間違いが起こったら,素直に認めて謝ること.それが結局は,不幸な患者の家族の心の傷を癒し,あなたを守ることになる.

”医療者側の防御的な対応や,いくら客観的説明でも,被害者という立場から生じる心理的葛藤に無頓着な対応がとられると,被害者側の敵対感情はエスカレートしていく”(和田仁孝,前田正一 医療紛争ーメディカルコンフリクトマネジメントの提案.医学書院 p119)

”カリファオルニア州は2001年1月1日より,交通事故や医療事故発生時の謝罪を巡って,ソーリー法(Sorry Law)と呼ばれる法を導入した.これは,事故発生時に,アイムソーリーと謝罪したとしても,後の訴訟の中で,これを過失や責任を認める発言としては採用しないことを宣言するものである.(中略)この法ができたことによって,事故の当事者は,訴訟で不利になるのではないかと危惧することなく,人間の自然な感情としての謝罪の念を表すことが可能となり,その結果,不要な争いの激化や感情のもつれ,ひいては訴訟化が抑制できるのではないかと期待されている”(同上書 p132)

さらに,謝ることは,大きな実利をもたらすエビデンスもはっきり示されている.
Steve S. Kraman, MD; and Ginny Hamm, JD. Risk Management: Extreme Honesty May Be the Best Policy. Ann Intern Med. 1999;131:963-967.
上記の文献では,ケンタッキー州レキシントンのVA(Veterans Affairs:復員軍人)医療センターでは,87年から,”過誤の事実をありのままに患者・家族に告げる”ことを病院の公式規約として掲げているが,この病院の医療過誤の賠償金額は,他のVA病院に比べ,相対的に低くなっていることが示されている.

早道:「医療過誤そのものを防止する早道」というものは存在しない。医療過誤を防ぐ努力とは,日常の臨床の質をいかにして向上させるかという不断の努力に他ならない(李 啓充 医療過誤防止事始め 週間医学界新聞2378号より)

診断書と守秘義務:生命保険や損害保険会社から被保険者の病状に関する問い合わせがあった時,委任状が添付されていないことがある.また,会社の産業医になっている時など,健康診断の結果などを管理者にどう知らせるかどうかなど,迷うことが多い.このような切実な悩みに対して,医師兼弁護士である東海大学の児玉先生から貴重なコメントをいただいた.

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医師の守秘義務について、適切なガイドラインが出されていないため、さまざまな混乱が生じています。保険の診断書について、概略を思いつくまままとめてみます。

(1)根拠条文

刑法134条(秘密漏示罪)医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産婦、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以上の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

ポイントは「正当な理由」の有無です。また、この条文には看護婦も病院職員も含まれていないことに注意を要します。

(2)「正当な理由」についての例いくつか例をあげます。

イ.健康保険の支払基金に支払請求をするときに、患者さんの病名といかなる診療を行ったかを知らせますが、これは、当然ながら「正当な理由」ありとされています。

ロ.記者会見等で、患者さんの個人情報を無断で話すのは、正当な理由があるかどうか、大いに疑いがあります。最近ますますいいかげんになってきていますが。

ハ.企業内診療所や社内健康診断などで、患者=従業員の疾患、健康状態等を、患者の同意なく企業にしらせることもリスキーなはずです。アメリカではこれに関連する訴訟があり、医師側が敗訴していたと思います。

(3)生保・損保について

イ.損害保険会社が、交通事故後の診療について、健康保険と同様の立場で、損害賠償責任の範囲内(法的相当因果関係の認められる範囲などで限定)、医療機関に対する直接の支払いを担当することがあります。この場合、一般には、患者の同意書をとらずに、診断書と費目を明示した請求書を医療機関が損害保険会社に送付しています。もし、これについて、「正当な理由がない」、と考えますと、健康保険の支払基金に対する支払請求も患者の明示の同意書なしにはできないこととなりかねず、法律的にも実務的にも、このような場合は「正当な理由あり」と考えられています。

ロ.診療に対する支払の法的根拠に疑義が生じている場合不当請求等の疑いを持たれた場合など、法令により社会保険庁(機関委任事務として県)に指導・監査の権限があるので、これらの指示によってカルテ等を開示するのは「正当の理由あり」とされています。令状をもって、捜査の対象になっている場合も同様です。

一方、損害保険会社は、法的な損害賠償責任の範囲内で医療費の支払を行なっているに過ぎません。法的な損害賠償責任の範囲外の診療をするな、という権限は損害保険会社にはありませんが、医療費の支払義務はありません。例えば、多くの裁判例で、症状固定後の医療費は特段の理由がない限り、損害賠償責任の範囲外とされていますので、損害保険会社にも支払義務がありません。もちろん、・医療機関と患者の合意により自費で治療継続、・医療機関と患者の合意により支払基金の認める範囲で健康保険で治療継続などは、損害保険会社とは無関係のことです。

ただ、症状固定の有無、事故との相当因果関係の有無について疑義があるときに、損害保険会社が医療機関に問い合わせを行なうことについては明瞭な法的根拠がありません。そこで、症状固定の有無について、調査会社などが面談を求める際には、患者の同意書を持参するという実務的処理をしています。

過去の裁判例に照らして損害賠償の範囲を逸脱した医療費を保険会社に対して請求されているような場合に、患者が同意書を提出しなければ、損害保険会社は医療費の支払を打ちきることがあります。このときも、自費または健康保険での治療継続は、前記のとおり何の問題もありません。医療費全体のうち、どこまでが損害賠償の範囲内であるかは、最終的には裁判所が決定しますが、大多数は示談によって解決されています。

損害保険会社は、およそ医療費全てを支払う義務があるのではなくて、法的損害賠償責任の範囲内のみに限定されていますので、健康保険よりもカバーの範囲は法律上狭くなっていることには注意を要します。

ハ.傷害保険・生命保険など傷害保険・生命保険などの入院給付金などについては、患者=契約者・被保険者は保険契約(約款)によって保険会社に対して適正な手続で請求を行なわない限り入院給付金を受け取れないことになっています。また、患者=契約者・被保険者は、保険契約(約款)上、保険会社の調査に協力する義務があります。この場合も、患者には「入院給付金はいらないから調査をするな」という選択肢が当然あるわけで、だから、損害保険会社や生命保険会社は、患者の同意なく医療機関に医療内容に関わる情報提供を求めることができません。実務上、このような場合には、保険会社は患者の同意書を提示して医療機関に情報提供を求めるはずです。

(4)まとめと補足:保険会社が健康保険支払基金同様に医療費を一括でカバーしている場合には、一般に患者の同意書なく支払請求時に診断書と診療内容を保険会社に開示することについて、刑法134条の「正当の理由」がある、と解釈されています。それ以外の調査等については、かならずしも刑法上の医師の守秘義務に反するとは考えられないのですが、紛議をさけるため、実務上、患者の同意書を提示する取り扱いが行なわれています。

なお、犯罪に関連する情報(薬物使用、アルコール濃度など)、プライバシーに関わり社会的不利益が危惧されるような情報(エイズ、特に患者に告知していない場合など)では、調査目的に照らして不必要な情報提供を医療機関が行ないますと、たとえ同意書があっても法的問題が生じることがありますので、注意が必要です。このような場合には、調査目的と必要性を明らかにさせて照会事項を特定させた上で、保険会社の調査員ではなく、保険会社の顧問弁護士から弁護士法23条に基づく照会(通称23条照会)を行なってもらった方が、医療機関としてのちのち紛争にまきこまれないために適切であることがあります。

法律には、絶対、というものがありません。裁判所は、人権であれ守秘義務であれ、他の利益とのバランス論で判断します。ケースバイケースで一般論としてわかりにくいかもしれませんが、多くの場合、それぞれの事案ごとに、「妥当な解決をはかる」というのが基本的なあり方です。そういう意味では、臨床医学にとてもよく似ていると思います。

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