ベルリンの壁の運命を辿るHbA1c
-『既に起こった未来』を認識した医師はどう行動するか?-
 
ベルリンの壁と化したHbA1c
先日開催されたGIM Intensive Review 2019で「さよならHbA1c原理主義」と題し講演を行った.集まってくれた50人余りの医学部5-6年生と初期研修医に向けて,代用エンドポイントとしてのHbA1cの欠陥を踏まえると,糖尿病診療のリスク・ベネフィットバランス最適化のためにはHbA1cに代えてeA1c(estimated hemoglobin A1c.GMI, glucose monitoring indicatorとも)を用いた個別化医療に切り替える必要がある.それが講演の主旨だった.

プレゼンの最中,ちょうど崩壊30周年となるベルリンの壁とHbA1cの運命が重なって私の頭をよぎったが,1989年以降に生まれた聴衆に対し,世代間格差が露わになるだけだと思い,話題にはしなかった.ところが,講演後に「今までどうしてこんな大切な問題が看過されてきたのか?」「これから学会はどう動くのか?」といった疑問が,専門医どころか学会員でさえない私に投げかけられた.

「いい若いモンが,なんだ.今までがどうだったとか、他人がどうこうだとか、そんなどうでもいいことは暇を持て余している医学評論家のオヤジや爺ども任せておけ.君たちの仕事は,さっさとeA1cを使って糖尿病治療の最適化に努め,目の前の患者さんを守るんだ」と言って突き放してはみたものの,これまで世界中の学会がgold standardと認めてきたHbA1cに,「即刻見切りをつけろ」と,まるきりの門外漢の私にいきなり言われても,純朴な若者達が戸惑うのは当然である.そこで,ベルリンの壁崩壊以後に生まれた医師達に向け,グリコアルブミン(GA)あるいはeA1c (GMI)に基づく糖尿病の個別化医療が『既に起こった未来であると私が考える理由を,以下に記すこととする.

糖尿病の個別化医療は『既に起こった未来』
今なおアメリカ糖尿病学会(ADA)は,HbA1cが過去2ヶ月間の平均血糖値を正確に反映するかのようなドグマを,そのHP上で開陳している(eAG/A1C Conversion Calculator).しかし,ここに記されている線形の等式,eAG = 28.7 X A1C – 46.7 にあるのは,あくまで推算値eAG;estimated average glucoseであって,持続血糖モニタリング(CGM)によって実測した平均血糖値ではない!→Glycation gapを巡って

このAG/A1C Conversion Calculatorのページからリンクされている,ADA学会誌掲載論文(Diabetes Care 2008;31:1473-1478)の図1は,HbA1cに対応する実測平均血糖値がひどくばらついていることを示している.そして同論文の表2は,HbA1c7%, 8%, 9%に対応する平均血糖値の95%信頼区間が,それぞれ123~185mg,147mg~217mg,179~249mgであることを示している.今を去ること10年以上前,それもADAの学会誌に掲載された,この論文が示したデータから,次のような結論が導かれる.

●目の前の患者さんのHbA1cが8%だとしても,その患者さんの過去2ヶ月間の平均血糖値が150mgなのか?180mgなのか?210mgなのか?誰にもわからない.
●仮に2ヶ月間CGMをやって平均血糖値が180mgであるとの結果が得られても,その患者さんの実測HbA1cが7%になるのか,8%になるのか,9%になるのかは,神のみぞ知る.
●ゆえに自分の患者さんの血糖降下療法が適切なのか,下げすぎなのかそれとも下がっていないのか?そんな肝心要の点が,肝心の主治医にもわからない

今そこにある危機
糖尿病を専門としている教授なんて,どこの医学部にだっている.日本糖尿病学会の医師会員数は15000名を超える(2018年7月26日現在).つまり医師の20人に一人は日本糖尿病学会の会員である.それなのに,HbA1cがそんな酷いどんぶり勘定だなんて,誰も教えてくれなかった.これは一体どういうことなんだ.それが私の講演を聴いた学生,研修医達の率直な気持ちだった.彼らは学会のガイドライン変更を待てるほど無責任ではない.何しろ問題は患者さんの安全に直接関わることだから.治療強度を誤れば,片や低血糖,片や心血管イベント,どちらに行っても文字通り命を左右する事故が起こる.もはや彼らにはHbA1c原理主義の幻影に囚われている余裕はこれっぽっちもない.しかし,自分の患者さんに全員CGMをお願いするわけにはいかない.そこで登場願うのがグリコアルブミン(GA)である.

グリコアルブミンが糖尿病個別化医療の指標にふさわしい理由
CGMが糖尿病の95%を占める2型の日常診療に使われるまでには,まだまだ年余の時間がかかる.一方,HbA1cというどんぶり勘定で,自分の患者さんに対する治療が適切ではない可能性が,今,そこにある危機として存在する.



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