高度医療評価制度2

高度医療について,従来の先進医療と同様に,専門家会議で保険導入を中医協に申請する道ができるのしょうか?

確かに高度医療は,従来の先進医療と違って,薬事法承認申請の対象です.だからといって,保険導入のために,あくまで承認申請が必要であるとの立場を崩さなければ,実質的に医師主導治験と変わらず,鳴り物入りで高度医療評価制度を作った意味がありません.高度医療評価制度では,混合診療を認める=未承認薬の使用を評価療養の対象にする だけではなく,「科学的評価可能なデータ収集」も重要な目的となっています.

となると,従来の先進医療と同様に,専門家会議で保険導入を中医協に申請する道ができるだろうと,誰もが考えるわけです.

そこで問題となってくるのは,高度医療に対する規制当局の姿勢です.普通に考えれば,それまでの自分たちの「領分を浸食される」わけですから,役人のメンタリティを考えれば,許し難いことでしょう.しかし,本当にそうなのでしょうか?

私が,規制当局が,高度医療のリスク・ベネフィット,並びに保険導入の判断を専門家会議→学会に委ねてもいいのではないかと考える理由は以下の通りです.

○実際に審査できてない:高度医療のような特殊な領域の品目は,規制当局では充分な審査ができない.日本国内でも,その品目のリスク・ベネフィットの判断ができる医師が5人もいないなんて状況はざらにあります.わずか20人足らずのPMDAの医師に何を審査しろというのでしょうか.彼らは何も知りません.誰が見ても,適切な審査スタッフがいないのに,あたかも居るような建前をいつまで守るつもりでしょうか?

○審査の負荷の軽減:審査できる人材のいない品目で散々苦しむよりも,審査できる品目に人材を投入する方が,幸せになる人の数がずっと多くなります.

○エンパワーメントによるリテラシー育成:規制当局が万能の神を自認する限り,医療者や患者のリテラシーはいつまでたっても育ちません.そんなことをやっているから,未承認薬を早く承認しろと騒ぐ人が後を絶たず,その一方でその薬に何か少しでも悪いことが起こると,今度は厚労省が薬害を作ったと,またまた騒ぐことを繰り返すばかりです.彼らを成熟させるためには,そんなに文句を言うなら,お前達が自分でやってみろと申し渡す,実際には,専門家集団(具体的には学会)に,リスク・ベネフィットの判断と保険導入の判断の権限と責任を委譲することです.

○学会の社会貢献:現在の専門会会議のような,少人数では,やはり,いろいろな品目に対応できません.個々の委員も責任を持ちたくない.ですから,専門家会議ではなくて,それぞれの品目毎に,その品目が必要だと主張する学会に対して,ではあんたのところが,責任を持って審査しなさいと,市販後の規制も考えなさいと言い渡すのです.日本の学会は社会貢献が極めて少ないのですが,承認審査と市販後規制を学会にやらせれば,立派な社会貢献となり彼らのリテラシーも上昇します.

○そもそも論:規制当局は,科学的データ審査と保険適応は別だと繰り返し主張していますが,それは間違いです.日本では,承認審査が保険適応を人質に取っているのです.もしも,承認審査と保険適応が全く別個に判断されていたならば,適応外使用の問題はこれほど大きくならなかったでしょう.二課長通知に基づく承認申請という奇妙な代物も,審査が保険適応を人質に取っていることの象徴です.二課長通知に基づく承認こそ,学会がお手盛りで決めればいいことで,なぜ,本来は銭勘定の判断なのに,それを科学的判断とこじつけて審査側に押しつけるのか,私は全く理解できません.

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