済生会栗橋病院 副院長 兼 外科部長 本田 宏先生のラジオでの御講演原稿を,本田先生からご許可いただいて,掲載する.非常に勉強になります.ご一読を.
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ラジオNIKKEI「医学講座」 日本医師会 2004.8.10(火)放送
『実地医家からみた医療制度の問題点』
済生会栗橋病院副院長兼外科部長、医療制度研究会幹事
本田 宏
外科医として25年、また平成元年に開院した済生会栗橋病院で
15年間働いてきました、本日は勤務医の立場から、日本の医療制度
の問題点を概観し、その改善に向けて私達に何ができるのか私見を
述べさせていただきます。
構造改革の名のもと、『医療費抑制に加えて株式会社導入』までが
叫ばれています。果たして日本の医療は国際的にはどのように見ら
れているのでしょう。2002年12月の日経新聞に『在京外国人、大病
の治療は本国で』という記事が掲載されていました。リンクメデイア
の社長ラリー・ロイド氏によれば、東京在住の外国人は、病気になる
と日本の病院を避けて本国で治療を受ける人が多いそうです。その
理由は、言葉が通じないからではありません。『日本の病院が日本の
経済力に見合っていない』といことを長く日本にいると実感するから
です。『外来は3時間待ち3分診療、入院すれば大部屋では別の患者
さんが用をたしている隣で食事』と日本人には普通のことも、彼ら
にとっては堪え難いことのようです。
『国連やODA。イラク支援等に世界一の貢献をしている『経済大国
日本』ですが、2001年の日本の医療費はOECD加盟国29ヶ国中18位
でGDPのわずか7.6 %でした(図1)。最高のアメリカは14%、
ドイツが11%、カナダも10%で、日本はG7中でイギリスと肩を並べて
最低です。しかもそのイギリスはブレア首相が医療費を増額すること
を決断したのに対して、日本はさらなる医療費抑制を進めています。
これが日本の医療現場が外国人から見て国力に見合わないと思われる
最大の理由です。
医療費総額がいかに抑制されているかはその単価を見れば歴然として
います。たとえば済生会栗橋病院の急性虫垂炎の治療費は『8日間の
入院で平均34万円』でした。これをAIU保険会社のデータと比較して
みましょう(図2)。アメリカの私立病院で急性虫垂炎の治療をすると
『1泊入院で 240万円』と、実に日本の約6倍でした。イギリス、
カナダなどの先進国はもとより、中国、香港、韓国などのアジア地域
と比較しても日本の治療費が一番安かったのです。皆さん御存知のよう
に物価は世界一高い日本なのですが。
この極端に抑制された医療費の現実を、国民はもちろん、医療関係
者も正確には認識していません。国民は逆に日本の医療費を高いとさえ
思っています、これが日本の医療が抱えた大きな問題です。
平均してアメリカの2割程度と言われる診療報酬は、当然病院収入に
影響し、結果的に病院がマンパワーを充足することを阻んでいます。
入院ベッド300床クラスのマンパワーを日米の病院で比較すると、
全職員数で日本はアメリカの1/4-1/10しかいません(図3)。医師数
は実に日本がアメリカの1/7-1/10です。看護師も日本がアメリカ の
1/3-1/7でした。以前横浜の大学病院で1人の看護師が2人の患者さん
をオペ室に搬送したために手術を取り違えて行なった不幸な事故があり
ました。これも『患者搬送専門のスタッフ』がいて、しかも彼らは救急
救命士の資格を持っている。アメリカでは起こりがたい事故と言えま
す。取り違えに関与した医師や看護師の責任を問う裁判が現在も続い
ていますが、必要なマンパワーを見直すことなしに再発を防ぐことは
不可能です。
国内のテレビや新聞では欧米の進んだ医療現場が紹介され、それを
見た患者さんは益々日本の医療へ期待します。そして現実との落差に
不信感を高めています。『インフォームドコンセントやカルテ開示等』
「患者さんは当然の権利として要求しますから、仕事は際限なく増加
して現場は相対的な人手不足が一層深刻となっています。
私はよく「ガダルカナル島、203高地、女工哀史、蟹工船、おしん」
の気持ちですと説明するのですが、実際に医療現場で働いたことのない
人にこの雰囲気を理解してもらうのは容易ではありません。昔、武見
太郎元医師会長御自身が入院された時に「病院は大変だなー」と驚かれ
たそうですが、武見先生の入院当時より数倍も、現在の病院は忙しく
なっています。これは25年間外科医として働いて来た私の実感です。
さて現在日本は厚労省発表による医師過剰という御旗の下に医学部
定員の削減を計っていますが、日本の医師は本当に過剰なのでしょう
か。1999年のOECDデータでは(図4)、日本の医師数は『人口1000
人当たり1.9人』です。これは『OECD加盟国の平均 2.8人』と比較
して7割にも満たない数字です。つまり現在の日本の医師は26万人です
が、『もしOECD平均なら38万人』いなければならないのです。日本は
12万人医師不足の状態で現在の医療サービスを維持していることにな
ります。日本の医師は毎年3000人ずつ増加しているようですが、この
ペースでは単純計算しても世界平均の医師数に達するまで『40年』も
かかります。これでは小児科、救急、麻酔科等の充足はもちろん、
国民が望む質の高い医療を提供することは物理的に無理なことです。
医療事故の際に何度院長が『すみません』と頭を下げても、各病院で
事故を少なくするために、仕事上ヒヤリ、ハッとしたことを検討する
会議、『ヒヤリハット委員会』を何回開いても、基本的なマンパワー
を見直さない限り医療事故を減少させることは困難なのです。
日本より金もマンパワーも格段に充足している米国の医療現場では、
医療事故防止のため、どう対処しているのでしょうか。彼らは多くの
医療事故を分析して『人は誰でも間違えるの』ということを基本コン
セプトに、その対策をたてています。
先日アメリカの『MD Anderson癌センター』で、活躍中の日本人医師、
上野直人先生の講演をお聞きしました。MD Andersonでは抗がん剤治療
時の投与ミスを少なくする目的で『医者に処方箋を書かせない』こと
にしたそうです。その理由は『忙しい医者が処方箋を書くと必ず間違え
るから』でした。これは『処方箋書き、点滴路確保、場合によって
薬剤調整まで医者の仕事』という日本から見るとまさに180度違った
発想です。安全優先のためなら「医者に処方箋を書かせない」アメリ
カと「医者は聖職者、疲れていても、何でも当然医師の仕事で間違っ
たら免許剥奪すべきと責める日本」。私がガダルカナル島や女工哀史
をイメージする理由はまさにここにあります。
世界一物価が高い日本で、医療費を極端に低く押さえてきた立て役者
は、言わずと知れた『中央社会保険医療協議会;中医協』です(図5)。
中医協は厚労省の諮問機関で、そのメンバー構成を分析すると、医療
の質を担保するより、厚労省のシナリオの中、各団体がパイを奪い合
う場と言っても過言ではないようです。保険組合代表からなる支払い
側委員8名は、限り無い医療費抑制を訴えます。医療にニュートラルに
意見が言えるとされる公益委員4名は、実際には商学部と経済学部から
の教授一名ずつ、さらにNHK代表等です。なぜ商学部と経済学部が医療
のことを公平に考えられるのか理解できません。また薬剤関連から
3名、医療機器関連から3名の、計6名が加わった専門委員が8名です。
これらの20名の強敵に対して実際に医療を提供する診療側委員はたっ
たの8名です、これでは始めから多勢に無勢です。この中医協が、
『診療報酬が極端に低く、薬や器械は世界一高いというゆがんだ構図』
を作ってきました。この構図こそが先日の贈収賄事件の背景にあるこ
とを忘れてはいけません。
一方、それにも関わらず国民が日本の医療費は高いと感じているのは
なぜなのでしょうか。それは各家庭の家計に占める医療・健康費用、
すなわち自己負担分が先進各国の2倍近く高いからなのです(図6)。
その結果「よーく考えよう、お金は大事だよー」と保険が売れに売れ、
現場の医師は保険診断証明書を書く業務がうなぎ上りに増加して、さ
らに忙しくなる。医療関係者だけが損をする蟻地獄のような構図なの
です。
では日本には本当に医療や福祉にまわす予算はなく、医療費は削減
すべきなのでしょうか。毎年国会で話題になる国の予算は『一般会計』
80兆円の話しです(図7)。しかし日本は一般会計80兆に加え、その3倍
以上の266兆円という大金を『特別会計』として持っています。ただし
目的税等の名目で集められた特別会計はその目的以外には使えない仕
組みになっています。したがって一般と特別を足して、本当は347兆円
もの予算があるのに、国会は80兆円しか自由に使えないのです。この
347兆円はGDPのなんと7割にもあたりますが、こんな大金を国家予算と
して使っている国は、発展途上国以外では日本のみです。
そしてこの特別会計266兆円が特殊法人や既得権を持つ各業界に流
れています。日本の公共事業はその代表格ですが、日本の公共事業支出
はG7の中で一位、なんと他の6ヶ国すべての公共事業費用を足した
総額より多いのです(図8)。医療費はG7中最低ですから、まさに
『日本は社会保障国ではなくて社会舗装国』だということが数字の上で
も証明されました。
日本では胃癌や大腸癌の手術で約一ヶ月入院しても総医療費は120
万円程度ですが、高速道路1キロおき、両側にある緊急電話は、一台
250万円かけて設置されています。しかも実際は一台40万円のものを250
万円に水増しされて、それがすべて税金から支払われているのです。
携帯電話の時代、ほとんど使われない緊急電話1台に日本人の胃がん
や大腸がん2人分の治療費を浪費しています。最近話題の特殊法人への
補助金もそうですが、その補助金を10%削減しただけで、年に26兆円
も浮くそうです。日本の総医療費30兆円を高いと非難する前に、特殊
法人見直し等を最優先すべきです。たった10%の見直しで、日本の総
医療費に近い26兆円の捻出が可能なのです。
GDPの7割も自由に使える裕福な日本政府が、年金、医療、福祉を目の
敵のようにするのはなぜでしょう。不思議なことに国内では話題にな
りませんが、実は日本は現在世界一の債務超過国に転落しています
(図9)。日本の現在の債務超過総額約770兆円はGDPの 1.6倍にあ
たります。以前から赤字で有名なイタリアでさえ債務超過はGDPの1.2
倍、双子の赤字を抱えたアメリカでさえ、0.6倍程度です。しかし
2000年の「ワールド・ウォッチャー」という雑誌のインタビュー
記事によれば、日本の財務官僚は「債務超過は心配ない。今後税金を
上げ、年金受給を削減すればいい」と平然と答えたそうです。『今話
題の年金問題も日本のかかえた世界一の債務超過がその影にあること
を忘れてはなりません。』
私はついこの前まで日本は民主主義国家と信じて疑っていません
でした。しかしブッシュ政権が誕生した頃の米国議会筋では「日本は
表面上、民主主義を装っているが、実は『クリプトクラシー国家』だ」
と影で囁いていたそうです。『クリプトクラシーとは盗賊・収奪政治』
という意味です(図10)。年金が足りないと言うそばから社会保険庁
職員には格安のマンション建設、公共事業の談合、特殊法人への天下
り等々、世界一の債務超過を知りながら、自分達の利権はあくまでも
温存、国民の年金や医療・福祉は平気で犠牲にする。『日本の政府は
クレプトクラシー』という指摘は残念ですが当っているようです。
私の母は田舎の病院に入院中、夜間転倒骨折し寝たきりになってしま
いました。入院が長期になったため、転院を奨められて別の病院で1年
後に亡くなりました。我々医療関係者も患者の家族、そして私達も間違
いなく患者になるのです。世界一の債務超過の日本をこのまま子や孫の
代にバトンタッチしてはいけません。私達医療関係者には、患者さんの
権利を市場や社会の圧力から守るために現場の真実を積極的に伝えて活
動する義務があります。『日本をクリプトクラシー国家から真の民主主
義国に改革するのは現在生きている、私達に与えられた共通な社会的
責任なのではないでしょうか。』
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本田先生が代表幹事をなさっている:
「このままでいいの?日本の医療」医療制度研究会HP
も,是非ご参考になすってください.