欧州発大本営発表

悪用されるガイドライン
診療ガイドラインが利用されるのは,診療場面だけではない.私が関わっている国賠訴訟でも,主に原告が被告の診療を非難する際に、ガイドラインは大変重宝されている.ガイドラインを1ミリでもはずれようものなら,それが「注意義務違反」に相当するという,原告定番の論理である.裁判官にとって,こんなに分かりやすい主張はない.素人を騙すのは素人に限る.トンデモ裁判は,お互いに臨床を全く知らない同士間のやりとりを通じて生まれる.

それでもガイドラインがまともにできているのなら,まだ勝ち目はある.しかし,たとえばJikei Heart StudyやKyoto Heart Studyのような、論文に偽装した大本営発表をそのまま取り上げるようなガイドラインであったなら,目も当てられない.Jikei Heart Studyがランセットに,Kyoto Heart StudyがEuropean Heart Journal にそれぞれ掲載されたのが,2007年,2009年,そしてディオバン事件が起こったのが2013年である.仮に2010年に「原告が心筋梗塞を起こして死亡したのは,ディオバンのような素晴らしい薬ではなく,後発品のエナラプリルを処方していたからだ」と主張されていたら,たとえ私と桑島 巌大先生がタッグを組んで意見書を書こうとも,勝ち目はなかっただろう.

欧州発大本営ガイドライン
このように診療ガイドラインは医療を通して社会に重大な影響を与える.その意味でもガイドラインには決して嘘を書いてはならない.しかし,現実には大本営発表を掲載して得意げになっているガイドラインが国内外に存在する.ディオバン事件の前の高血圧学会のそれや,無症候性高尿酸血症に対してフェブキソスタットを推奨するような代物だけではない.また大本営発表ガイドラインは日本だけに存在するわけでもない.Kyoto Heart Studyを原稿受理の9日後にアクセプトしたブラックジャーナルを機関誌とする欧州心臓病学会ESCが、またまたやってくれた.

とはいっても,ESCの法螺話には種も仕掛けも無い.ガイドラインの31ページにあるFigure 3を見ればすぐわかる.この図の左側,未治療の2型糖尿病患者で心血管リスクの高い患者には第一選択として(メトホルミンではなく)SGLT2阻害薬あるいはGLP受容体作動薬を投与せよとした部分がある.これが,紛う事なき大本営発表である.

CVOTsのエビデンスはメトホルミンが第一選択であることを示している
一連のCVOTs (Cardiovascular Outcome Trials)を企業に課したFDAのお膝元,アメリカ糖尿病学会ADAは,CVOTsが示した下記のエビデンスを踏まえ,メトホルミンを第1選択薬に据えている.このことからもわかるように,ESCがどんな嘘をつこうが,(患者さんの懐具合に関係無く)今まで通り第1選択薬はメトホルミンである.
Pharmacologic Approaches to Glycemic Treatment: Standards of Medical Care in Diabetes―2019(Diabetes Care 2019;42(Supplement 1): S90-S102)

CVOTsが示したエビデンス
●これまで報告されたCVOTsのデザインは,心不全の懸念があるグリメピリドを対照薬としてリナグリプチンの安全性を検証したCAROLINA試験を除き,全てプラセボ対照である.メトホルミンを対照としてSGLT2阻害薬あるいはGLP受容体作動薬の優越性を示した試験は一つもない
●さらに,CVOTsがリアルワールドで行われたこと=被験者の70-80%が第一選択薬であるメトホルミンを服用していたこと(*)=CVOTsはメトホルミンを含めた既存治療への上乗せ試験の結果であること=ESCガイドラインが推奨するような,未治療の糖尿病にいきなりSGLT2阻害薬やGLP受容体作動薬を投与されたような事例は,CVOTsには一人も組み入れられていない
(*各試験の組み入れ患者のベースライン治療については,当該試験のSupplementary Appendixに記してある)

以上より,心血管イベントリスクの如何にかかわらずメトホルミンが第一選択薬であることについて議論の余地はない.CVOTsのどこをどうねじ曲げても,SGLT2阻害薬やGLP受容体作動薬をメトホルミンに代えて第一選択とするという発想は出てこない.その意味で今回のESCのガイドラインは,Kyoto Heart StudyFREED Studyを機関誌に載せるような学会に相応しい大本営発表と言うのだよ.

蛇足:『大本営発表』の意味がよくわからない人向けの老婆心解説アンサイクロペディアより)
台湾沖航空戦の際に皇軍が撃沈ないし撃破した米空母の数は19隻となっている.一方,ウィリアム・ハルゼー率いる第三艦隊には空母は17隻『しかなかった』.ハルゼーは,この17隻『しかなかった』空母を含め,皇軍により撃沈されてしまった全艦艇を,秘密結社の魔術を用いて萌え深海棲艦として復活させることに成功した。その後ルソン島の皇軍守備隊は沈んだはずの空母から発艦した航空機の亡霊による空襲で壊滅してしまった.

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