続・後ろめたさからの解放

健康な(と自分で信じ込んでいる)人が、病者や死に行く人に対峙した時に感じる後ろめたさ。
住む家もやるべき仕事も家族もある人が、被災者のことを思う時に感じる後ろめたさ。

そういった後ろめたさで苦しんでいる人がなんと多いことか。医者という職業がなぜ人気があるかというと、この後ろめたさを解消してくれる(と多くの人が信じ込んでいる)からです。被災地から報道する人も、その報道を見聞する人も、みんな、関心を持つことが免罪符になることを期待しているのです。

医学生が「人を助けたいから医学部に入った」というのは実は表向きの理由で、「人を助けることによって後ろめたさから解放されたい」というのが本音です。

だから、助けられない現実を目の当たりにすると医者を辞めたくなる。「こんなはずじゃなかった」って。「自分が人を助けられるなんて、思い上がりも甚だしい。自分はなんて傲慢な人間だったんだろう」って。おいおい、もっと早く気づけよな。

私は学生の時からそれがわかっていました。だから、世の中には二種類の病気しかないと学生の時から喝破して、自分を守る鎧を用意していました。その意味で私は早熟の天才でした。(今でも天才ですけど)。そんな私でも、やはり医者を辞めたくなってしまったので、医者を辞めずに済む方法なる対症療法も編み出したのですが。

医者は、後ろめたさからは解放される手段にはなり得ません。ではどうすればいいか?実は何もする必要はありません。誰も後ろめたさなんて感じる必要はないのです。だって誰もが毎日十分苦しんでいるのですから。毎日十分苦しんでいる上に、さらにテレビで被災地の映像を見て後ろめたさに苦しむ必要なんかこれっぽっちもないのです。

自分は苦しんでいないって?ご冗談でしょう。あるいは随分と物忘れがひどくなったものですね。その物忘れだけでも十分苦しみのネタになると思うのですが。

四苦八苦は誰もが持っている基礎控除です。生老病死、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦、愛別離苦。これだけの財産を持ちながら、まだ苦しみが欲しいと贅沢をおっしゃるか?なんと強欲なことでしょうか。「病」と「死」さえ使いこなせていないのに?

自分の持っている四苦八苦を忘れ、死蔵しながら、他者の苦しみまでも自分のものにしようとする強欲な人間は、決して救われることはありません。

自分にも四苦八苦という立派な成長資源がある。この資源を生かして成長していこう。そういう謙虚な気持ち、自分の四苦八苦を活用しようというエコロジカルな気持ちになって初めて、後ろめたさから解放されるのです。

「懐かしのわが家」は、この、一見困難に思える作業を誰にでも可能にしてくれます。ですから、この詩一つだけでも、寺山修司は天才の名にふさわしいのです。

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