承認審査と保険適応の分離:Empowerment(権限委譲)による一般市民の間のリテラシー育成を目指して

日本では、薬価収載は、承認とほぼ100%対応している。承認されなかったものは決して薬価収載されないし、承認されても薬価収載されないのは、ワクチンのようなごく一部の医薬品・医療機器に過ぎない。つまり、薬価収載は承認審査にほぼ完全に従属している。臨床試験データの科学的吟味の結果である承認審査と銭勘定は全く別だと言いながら、実は承認審査が薬価収載を人質に取っているのが日本の現状である。

米国・欧州での承認審査と保険適応の分離
それに対し、米国では、承認審査は政府機関であるFDA、保険償還は民間会社であるHMO(Health Management Organizations) と、明確に役割分担がなされている。米国では大部分が民間保険、日本は国民皆保険制度だからこのような体制になっていると考えるのは間違いで、国民皆保険の国々でも、科学的判断である承認審査と、銭勘定と命のトレードオフというえげつない仕事をする組織は明確に分かれている。たとえば、英国では、承認審査はMHRA(Medicines and Healthcare products Regulatory Agency、保険適応はNICE (National Institute for Health and Clinical Excellence)が(1)、費用対効果を踏まえて判断と、役割分担が明確になっているし、オーストラリアでも、審査・市販後安全を担当する医療用物品管理局(Therapeutic Goods Administration:TGA)と、保険適応を担当するThe Pharmaceutical Benefits Scheme(PBS)とに分かれている(2)。PBSは企業に対して、保険適応を取得しようとする新規医薬品に対し、費用対効果に関する資料を求める。

FDAが承認しても、HMOが保険償還を認めない薬は山ほどある。その結果、合衆国では、命を金で買う状況が続出しているのは、非常に有名な話だが、その他の国民皆保険の国でも、たとえ承認審査を通っても、保険償還が認められない薬剤が、たくさん出現することになる。その薬剤が、日本で薬価収載となるような治療薬でも、である。たとえば、英国NICEは、軽度アルツハイマー病患者へのドネペジルの使用・保険償還を認めないとして、エーザイ英国子会社と裁判にまでなっている(3)。またオーストラリアPBSは、ひどく高価な割には、延命期間を15ヶ月間から20ヶ月と、5ヶ月しか延長しないアバスチンの保険適応を見送ることを決定している(4)

日本で承認審査と保険適応の分離の可能性
PMDAの審査員は、我々の仕事はデータを科学的に吟味することだ。銭勘定は一切関係ないと胸を張る。確かに彼らの仕事の過程には、銭勘定の入り込む余地はない。しかし、結果としての承認はほとんどそのまま薬価収載につながり、承認されても保険適応にならないのは、ワクチンや勃起障害治療薬などのごく一部の医薬品に過ぎない。結果的に、承認審査が、薬価収載を人質に取っていると言われても反論できまい。実際、厚労省の中でも、承認審査を担当する医薬食品局審査管理課と薬価収載を担当する保険局医療課の両方の課を経験するのは、キャリアとして重要視されている。

同じ銭勘定である財政と金融でも分離されているのに、科学的判断である承認審査と銭勘定である薬価収載がいまだに分離されていないのは、一体どういうわけなのだろうか?費用対効果を踏まえた薬価収載の判断を、承認審査とは別に行うだけのデータも人材も育っていないからだ。と規制当局は説明するかもしれない。しかし、医薬品の費用対効果の判断モデルは、秘密の学問でも何でもない。医療経済学の人材は我が国にもたくさんいる。保険局医療課は、レセプトデータベースも持っている。これだけ資源が揃っていても、NICEやPBSのような判断をしようとしないのは、データや人材がいないのではなく、その気がないからだ。

もし、本気で医療費を抑制しようとするならば、保険局医療課は、現在のように、承認審査の下請けではなく、独自に保険適応を決めているだろう。アバスチンのように、1本20万円もするような高価な薬は、医療費高騰の元凶として、保険適応にはしないだろう。しかし、もしそんなことをすれば、十字砲火を浴びて命さえも危うくなる。「改革は痛みを伴う」と声高に主張した某総理大臣じゃあるまいし、承認審査の影に隠れて、粛々と薬価を決めていればいい。役人も人の子、大切な家族もいるから、そう思うのも無理はない。

ドラッグラグ・デバイスラグ解消の秘策
では、承認審査と保険適応の分離は誰にとっても魅力がないのか?そんなことはない。それどころか、承認審査と保険適応の分離は、ドラッグラグ・デバイスラグ解消の抜本的解決策である。たとえば、FDA/EMEAではとっくに承認されていて、日本では未承認の抗がん剤を莫大なお金を出して個人輸入しているケースを考えてみよう。現在は、臨床試験データを吟味し、日本人における有効性・安全性を科学的に審査し、承認されるまで、保険適応とならない。これがドラッグラグ・デバイスラグとなっている。これが、承認審査と保険適応の分離したらどうなるか?

承認審査は今までどおり「粛々」とやっていただいて結構。一方、審査とは独立して、薬価を決め、保険適応にする。承認審査が完了するまでは、企業と規制当局の市販後安全性部門が協力して、承認審査後の市販後よりも、より厳密な体制で市販後の有効性、安全性データを集めて、承認審査の参考にする。

そんな現実的な仕組みが見えてくる。この仕組みには次のような利点がある

1.日本の審査当局の独自の判断も尊重しつつ、FDA/EMEAの判断も生かし、ドラッグラグ・デバイスラグを解消する。
2.医師、患者、製薬企業、規制当局、誰にとっても危険な(典型的なlose/lose状態)、未承認薬の個人輸入という闇市状態を放置しない。
3.規制当局が全ての責任を抱え込まずに、現場の医師や患者にリスク・ベネフィットバランス判断の権限を委譲することによって、一般市民の間に、医薬品・医療機器、ひいては医療そのものの不確実性に対するリテラシーを育成する。

実際、多発性骨髄腫に対する有望な新薬であるボルテゾミブの場合、まだ未承認だった段階で、治験や個人輸入で投与された患者に致死的肺障害が生じ、社会に大きな波紋を呼んだ。この時は、現場、企業、規制当局の迅速な連携で、欧米では認められなかった重篤な肺障害による被害を最小限に食い止めるkとができた。

上記に私が提案したは、このボルテゾミブでの成果を生かし、一般市民の間にリテラシーを育てる仕組みだが、現在は、審査管理課・PMDA内部に存在する異常に強いパターナリズム・コントロール願望(俺達が規制しないと、企業も、現場も、何をやるかわかったもんじゃない)と、それを盾に自らの判断を放棄している保険局医療課、そして、ドラッグラグ解消を要望する患者団体なんて企業から金をもらっているに違いないと頑なに信じている人々によって、承認審査と保険適応の分離が、巷で話題になる気配は今のところ全くない。

1. インフォーミング・ジャッジメント(6ヵ国におけるヘルスポリシーと研究のケーススタディ) V. NICE とNHS によるリレンザの保険給付

2.インフォーミング・ジャッジメント(6ヵ国におけるヘルスポリシーと研究のケーススタディ) I.. 医薬品の選択におけるエビデンスの使用:オーストラリアの医薬品給付システム(PBS)

3.【アリセプトの司法審査】英国高等裁判所が「アルツハイマー型認知症治療ガイダンス」に改訂命令。薬事日報 2007年08月14日

4.Cancer drug shame. The Age. April 23, 2006

5.未承認薬による重症合併症は如何にして克服されたかボルテゾミブによる肺障害を考える

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