はじめに この数年の間に,病院の病理検査室にも,情報デジタル化の波が押し寄せてきている。とくに,高精細 CCD カメラなどの入力装置,良質で利用しやすい画像関連ソフト,ファイリング装置の低価格化は,病院の手術室や,解剖室で日々発生する病的な臓器の病理画像をデジタル化し,保管することを容易にし,膨大な病理画像情報の保管で頭を悩ませていた病理検査室にとっての朗報となっている。 また,テレメディシンの応用場面の一つとして,PACS とともにテレパソロジーが注目され,一部の大病院では,遠隔病理診断が実用化の段階に入っている。これも,画像デジタル化と,これの高速通信手段の普及を基礎としているものである。 ここでは,「病気」の形態学的表現の中で「色」がどのような役割を果たしているのかを概観し,病院での病理医の日常業務の中で「色」を含んだ画像のデジタル化することの利点と,問題点を指摘するとともに,デジタル化された画像情報の有効な利用法として,われわれが研究・開発を行ってきたコンピュータによる病理組織分類技術などの経験で得られた「色」の問題を取り上げて考えてみたい。 1.形態病理学における「色」 近代病理学の誕生以来,病理学は人に備わった高度の視覚情報処理能力を基礎に,染色技術,光学,電子顕微鏡など,新たに人類が手に入れた技術を貪欲に取り込み,駆使して,病気の形態学的表現の研究を行ない,その内容を豊かなものにすると同時に,病理診断によって医療に寄与してきた。 生物学など多くの学問で,多種多様の物質を,まずは形態の差を基礎において分類し,研究対象を特定化するとともに,相互の関連を検討するという方法がとられるが,こうした学問の発展には,形態学的情報の詳細な解析とともに,物質そのものを「標本」として保管し,これに関する知識を正しく同時代の研究者に伝達するとともに,次世代に伝承することが重要である。ミュージアムの重要性はここにある。 「形態学的」病理学も,種々の方法による病的臓器の形態学的解析とともに,対象である病的臓器の形態の伝達・伝承がその発展の基盤となるものであって,ホルマリンなどの固定技術によって色などの情報を一部失っても病的臓器を保管しようとしてきた。古い病院や,附属の大学では,その一角に病理検体用のミュージアムが静かに建っているのが風景の一部となっている。 これによって失われる病的臓器の「色」に関しては,病理医自身が,日常語での色表現を使用して記録したり,簡単な絵の具を用いた概略図を書いたり,貴重な症例では学用画家が詳細に写生してきた。こうして失われる「色」に関しての情報を保存しようとしてきたといえよう。この病理形態学的観察において「色」のもつ意味の大きさは,カラー印刷技術が開発されると同時に,病理学関連の雑誌が,画家の協力を得たカラー図をいち早く掲載していることにも象徴されている。 しかし,写真技術の開発・発展は,こうした学用画家達の一部を写真撮影技術の修得に向かわせた。カラー・フィルムの開発・普及は,第二次世界大戦後のことであり,戦前は,もっぱら,黒白の微妙な濃淡で,実態にせまろうとする努力が続けられてきたのであるが,カラー写真の開発後も,より自然の色を再現するフィルム技術開発と平行して,照明技術などが工夫され,病的臓器や組織のカラー写真撮影技術の研究・普及が進められてきた。 写真による「色」情報を含んだ病的臓器の病理形態保存することができるようになり,また,写真を介して画像情報の伝達が可能になったことは,病理学的知識の向上・普及・伝承に大きな恩恵をもたらしたといえよう。大きなミュージアムをもたなくとも,病理検体の形と,色が保管できるようになり,写真の管理システムさえ確立すれば,病理学的な写真を知識の交換や,日常的な病理学的診断のクオリティー・マネージメントに十分に利用できることが確認されてきた。 2.病理デジタル画像の利用の現状 写真の管理システムの確立といったが,これが実は大変な人的,物的資源を必要とする。以前も,また,現在も日本の多くの病院では,病院管理学とその応用が十分に確立されておらず,医療は医師と看護婦がいれば可能という,診療所がモデルとなるような医療システムが採用されており,物品,病的臓器などの生体資料,情報などの管理に十分な資源が投下されてされていない。 こうした,各種の管理にかかわる貧困な人的資源から生ずる情報の混乱状態を改善する手段として,日本では,電子カルテを中心とするデジタル化された情報管理が注目されているといっても過言ではないだろう。 病理検査部門でも,多くの病院では臓器保存用のスペースの確保が困難であり,病的臓器の形と「色」の情報保存に限っても,自然の色・形の再現性の高い現在のカラー写真技術を犠牲にしてまで,画像のデジタル・ファイリングを志向せざるをえない背景には,こうした医療経済・経営上の問題点があることを忘れてはならないだろう。 日本の多くの病院に共通する問題を抱えているわれわれも,1994年の病院システムの更新時に,肉眼的病理画像のデジタル保存に踏み切った。当時販売されていた画像入力・ファイリング・システムを検討し,使いやすさや,予算も考慮して機種を選定した。入力などで手間がかかるが,実際上で,形・色での画像の質が問題となった事例は少ない。肉眼写真の紛失,臨床側に提供するための余分な写真撮影,フィルム巻き取りなどに関連する単純なミスによる肉眼像の喪失などがほとんどなくなり,デジタル・ファイリングの利点を享受しているといえよう。 しかし,もちろん問題がないわけではない。肉眼像の場合には,黄疸,うっ血,滲出・浸出性の変化,色素沈着などの微妙な「色」変化をとらえることが重要である。デジタル化は,こうしたアナログ情報の一部を切り捨てて成立する。病理診断が,現実的には病理組織学的診断,あるいは,細胞学的診断になっていることから,臓器の微妙な色の変化があまり問題とならず,現在のシステムが許容されているのである。 一方,病理組織学的診断や,細胞学的診断の対象である顕微鏡画像に関しては,経年的な脱色はあるものの,標本スライドを比較的長期にわたり,また,限られたスペースで保存することが可能なので,その画像ファイリングに対するニーズは現在のところ低いようである。 3.テレパソロジー 平成10年11月17日から30日までの間,ホンジュラス政府からの災害救援要請に応じ,国際緊急援助隊に自衛隊医官が参加し,この際,インターネットを通じて,簡易なデジタルカメラで撮像した難治性下腿皮膚潰瘍の画像を,東京三宿にある自衛隊中央病院の皮膚科専門医に送信し,診断と,治療に関してコンサルテーションを行った。こうした利用法に関して,テレパソロジーに関して強い関心が自衛隊衛生部門から寄せられているが,現在のところ防衛医大も含め,防衛庁関連の施設で実施されてはいない。 病理・細胞診断で顕微鏡デジタル画像の質が問題となるのは,このテレパソロジーの領域である。病理組織学的診断,細胞学的診断を,画像のデジタル化,これの高速通信回線を用いた遠隔地でのモニターによる再生によって行おうとするものである。顕微鏡的な病理組織・細胞像をわれわれが観察する時,ほとんどの場合には,病理組織・細胞の上に結合した色素の織り成す像をみているのである。こうした,いわば「人工的」な色に関しては,デジタル化による微妙な変化が問題となることは,実際には少ないのではないかと予想される。実際,ほとんどの場合顕微鏡画像に対してのみ実施されているテレパソロジーの領域では,遠隔病理診断は有効との結論が相次いでいる。テレパソロジーを運用している施設は,現在日本国内に18施設あるといわれ,ほとんど日常的に術中迅速診断業務を行っているとのことである。主として,常勤病理医のいない関連病院での手術中の迅速病理組織診断に用いられている。そして,「遠隔病理診断は,実験,導入時期から普及,拡大時期に入った」とされている。現在では,実際の遠隔病理診断の体験から,個々の病理医の「労働過重」問題が論じられるようにさえなってきている。 一方,同じ H. E.染色であっても,病理医や技師の「好み」の色があり,各施設によって異なったメーカーの色素や染色法が用いられていることも忘れてはならないだろう。現在実施されている遠隔病理診断では,通信の相手が関連病院など固定的な場合がほとんどで,病理医は送られてくる画像の色などに「慣れ」ており,問題となることは少ないのであろう。全国的な通信によるコンサルテーションが普及した場合には,こうした問題が重要なものになるのではなかろうか。アメリカの陸軍所属の AFIP では,病理組織学用のホーム・ページを開き世界的なテレパソロジーへの積極的参加を呼びかけており,これにより貴重な症例の画像を集積していくようであるが,おそらく,染色の標準化への要請がこうした方面から生じるものと思われる。画像処理ソフトを用いることによって,各病理医にとっての「好み」の色に,あるいは標準化のために補正することはさほど困難なことではないとも一部で喧伝されているが,ソフトにあまり負担をかけるのは避けた方がよいと思われる。 われわれにとって,遠隔病理診断で懸念がぬぐえないのは,診断の対象となる部位が正しく標本になっているのか,という点である。最終的には,組織像の検討によって病理診断が行なわれるのであるが,通常業務ではすべての領域を組織標本にはできず,適切な場所の「切り出し」を行なわねばならない。この部位は,肉眼的な臓器の詳細な観察と,病変部の触感によって決定される。迅速診断時に,この「切り出し」は決定的な意味をもち,現在では外科医や,訓練された臨床検査技師によって代行されている。しかし,病理医自身によって肉眼像の詳細な観察や「触感」による病変部の検索ができないことは,遠隔医療での大きな問題点としてこれからも残っていくように思われる。 われわれは,アメリカ AutoCyte 社製のテレパソロジー用機器を借り,模擬的な実験を行った。この実験や,そのほかの会社の販売資料で明らかになったのは,アメリカで市販されているこうした機器の完成度は高く,十分に実用に耐えるものであるということである。 一方,問題点としては,超高精細の画素数をもったCCDカメラを使用した場合,通常のパソコンにとって入力した画像ファイルは使用メモリーが巨大過ぎ,保存,通信に要する時間がかかり過ぎるという点であった。カメラの能力を十分に発揮できる環境を整える必要を痛感するとともに,結局のところ,送信する画像は圧縮せざるを得ず,また,記憶媒体によっては保管にさえも圧縮が実際上必要であり,病理組織診断に適当な画像圧縮技術の発展が望ましいものと思われた。 4.われわれの自動病理組織分類装置開発実験で生じた「色」の問題とその解決法 細胞学的診断のスクリーニングを自動的に行なう機械が発売されているが,自動的画像処理の場合,基本的な画像特徴量の抽出の段階で,標本の「色」の量・質が問題となる。今までに開発されてきたほとんどの自動診断機械は,染色,スライド・グラスなどを標準化,あるいは,特化したものを使用している。 われわれの実験的検討でも,乳腺腫瘍病理組織像のコンピュータによる分類などで,「色」を特徴量の一つとすることにより感度・特異度が上昇することがわかり,たとえ顕微鏡的な画像であっても「色」情報がもつ重要性が確認されている。特徴量の一つとして,色と色度の平均と場所によるばらつきを用いたところ,かなりよい結果のえられる組織パターンもあった。 また,「色」を扱う場合,組織画像のパターン認識能力開発実験において,「色」に関して絶対的な色情報を利用できれば,コンピュータ処理が容易になることが確認された。しかし,実際には,病理組織標本は,1)標本作製工程における条件のばらつき,2)組織そのものの性質のばらつきのために,同じ種類の組織であってもその色にはかなりのばらつきがある。RGBが変動したとしても,それぞれが同じ比率で変動した場合には,色度(r/(r+g+b),etc.)は変動しないことになるので,色度を用いることにより処理が容易になることも経験した。 領域の抽出に際しては,絶対的な色情報だけを用いる場合よりは相対的な色情報(周囲の色との差など)を用いることでよりよい結果が得られることが多かった。たとえば,核領域の抽出に際しては,最初はニューロの出力値(0〜1の実数)を単純に閾値処理していた。その後,閾値処理した結果の核領域および非核領域の間の色の差が最も大きくなるように閾値を自動的に調整するようにしたことにより,核領域の抽出結果はかなり改善された。 胃炎の組織内でのピロリ菌の検出実験の場合には,重なっている背景がピロリ菌の色に重畳するため,絶対的色情報よりは,周囲の色との差分(相対的色情報)も重要で,対象領域の色情報そのものは,あまり役にたたなかった。色に関する問題としては,他に照明の問題がある。ピロリ菌検出の場合には領域の抽出なども含めてほとんど相対情報を用いて処理したため大きな問題とはならず,そのため輝度の規格化も行なう必要がなかったが,乳腺腫瘍の分類の場合には絶対的な色情報もかなり重要であったため,輝度の規格化を行なう必要が生じた。具体的には,画像の中の空領域を抽出し,その空領域の輝度値が予め定めた一定値になるように R,G,B それぞれの値を定数倍した。すなわち,空領域の色が照明の色であると仮定し,その色が一定になるように画像を変換することで,仮想的に常に同じ照明に対する画像が得られるようにした。実際には,画像の中の輝度の明るい方からある順番にある画素の輝度値を空の輝度値として規格化を行ない良好な結果がえられた。しかし,照明光の輝度が画像中の場所によって異常に異なる場合にはうまくゆかない場合もあった。たとえば,中心が明るくて周囲が暗くなる場合があり,これが度を越すと周囲が暗く変換され,周囲の空が空でないと認識されてしまった。理想的には,画像の場所場所における空の輝度値を用いて規格化を行なうべきだが,これををコンピュータの処理だけで相殺するのはかなり計算時間を要するものとなり,撮像時に規格化するのがよいものと思われた。すなわち,1)検体作成条件(厚さ,染色条件など)をそろえる,2)顕微鏡の照明条件をそろえる(標本のない状態で色温度,視野中の輝度を一定にする)ならば,ソフト処理にかかる負担を減らせると思われた。 おわりに われわれは,医療用画像情報のデジタル化をどのように進めるべきかを議論する時期を失いつつある。しかし,現在進行している医学・医療の論理が優先した情報システム構築における問題点を,速い流れの中にあっても見出して,患者の論理が優先したものに少しでも改善していく努力を続けねばならないのであろう。医療情報としての「色」が,患者の病気の管理にとってどのような意味をもつのか,意味ある情報としてどのように管理してゆけばよいのかなど,病気の「色」にまつわる問題を丹念に取り上げ,解決していくこともその努力の一つとなるものと思われる。 |