予防法務の観点から見た厚労省の愚行
−ハンセン病の悪夢再び:2類相当依存症のなれの果て

ハンセン病の悪夢再び

予防法務で立てる問いは「訴訟になったらどうするか?」ではなく、「たとえ訴訟になっても勝てるか?」です。なぜならば訴訟は防ぐことはできませんが、訴訟に勝つことはできるからです。その意味で下記の厚労省の対応は最悪でした。本人に何も落ち度がないのに国家試験 を受ける権利をよりによって国家が剥奪するのはハンセン病の悪夢再現そのものです。ハンセン病の悪夢再び

「新型コロナウイルス感染症に罹患し、入院中、宿泊療養中または自宅療養中の受験者は、他の受験者への感染の恐れがあるため、受験を認めない」厚生労働省 令和3年度厚生労働省所管医療関係職種国家試験*における新型コロナウイルス感染症対策について
*医師国家試験、歯科医師国家試験、保健師国家試験、助産師国家試験、看護師国家試験、診療放射線技師国家試験、臨床検査技師国家試験、理学療法士国家試 験、作業療法士国家試験、視能訓練士国家試験、臨床工学技士国家試験、義肢装具士国家試験、歯科衛生士国家試験、歯科技工士国家試験、救急救命士国家試 験、あん摩マッサージ指圧師国家試験、はり師国家試験、きゅう師国家試験、柔道整復師国家試験、言語聴覚士国家試験、薬剤師国家試験、管理栄養士国家試験

年に一度の大切な試験です。なのに救済のための追試 もないと宣言しています。そうなれば医療職でなくても想定できる最悪のシナリオは目に見えています。
●解熱剤を飲んで受験するのが横行して、結果的に感染を広める結末になる。万が一ばれたら即退場/合格後・研修開始後に密告されたら全て取り消し

●一番早い歯科医師(2022年1月29-30日)と3月に入って行われる臨床工学技士・歯科衛生士・(3月6日)救命救急士(3月13日)の間には1ヶ月以上ある。この間新型コロナの流行状況は激変する。具体的にはオミクロン株による流行が2月中に収束してしまう可能性があり、そうなった場合には職種間で受験時の感染リスクに大きな差が生じる→感染症が職業差を生じ→受験機会の差に直結する。

2類相当依存症はハンセン病に対する差別と同根同質
    98/99年シーズンにおける超過死亡は3万5000人を超えました(感染研モデルによる各シーズンごとの超過死亡者数の推定)。23年前、受験者の多くがまだ生まれてもなかった時代。タミフルもインフルエンザ診断キットもなかった時代です。その時インフルエンザにかかった受験者はどういう扱いを受けたか?
インフルエンザの前例を検討した上で判断すべきだった。国はなぜそれができなかった のか?2類相当の自縄自縛に陥っていたからだ。わずか3ヶ月余りで超過死亡が3万5000人を超えたインフルエンザが5類だった一方で、令和4年1月、令和2年2月の流行開始から2年間で死者数がインフルエンザの約半数の1万8千人余りに止まっていた事実を踏まえれば、2類相当から5類に改める機会は何度もあった
国賠訴訟で原告はそう言って国を責めてきます。こういうわかりやすい説明に裁判所と市民の両方が納得する。それをメディアが大々的に取り上げて国が惨敗する。私が「最悪」と判断したのはそういう意味です。(5類扱いを恐れてパブコメ突如中止←全ては新コロ利権のために

弱者の命を奪い・人生を台無しにしてきた「法令遵守」
    新コロバブルの中で最強の官庁だった厚労省。その厚労省が「要請」する「法令遵守」が弱者の命を奪ってきました(2類相当が招いた医療崩壊と自殺者の増加)。命とは生物学的な命に限りません。若者達の活き活きした姿こそがこれからの日本を支える生命線じゃなかったんですか?なのに公園でバーベキューやっただけで「けしからん」と言ったのが最強官庁へのご意見番と来てる(憲兵隊気取り)。
    デルタが去ってはじけたバブル。今やオミクロンは新コロ引退の象徴。そんな空気もネグレクトして、劣悪な学習環境下で・友人との交流・部活もままならない中、必死に頑張ってきた若者達に対して「受験を認めない」なんて、何を偉そうにコノヤロー。「自分の人生の岐路を決める大切な国家資格受験の機会を不当な理由で奪われて○年を棒に振った」と国賠訴訟を起こされ、一審全面敗訴で控訴もできず。それが「既に起こった未来」です。
郷原信郎 「法令遵守」が日本を滅ぼす〜「社会的要請への適応」としてのコンプライアンス〜、書籍は→こちら)。

予防訟務という言葉を知らない役人が作った立法事実が存在しない法律
    国の法務は訟務と呼ばれるので(訟務制度とその役割)、ここは「予防訟務」としたいところですが、なんとそんな言葉は辞書にありません。これは、「国は決して間違いを起こさない」という妄想が国家公務員の間で蔓延しているからです。今回取り上げた厚労省の愚行は予防法務の仕組みどころか、そもそも予防法務の概念自体が厚労省という組織の中に存在しないことを示しています。
    仮にも厚労省は行政府なのですから、ましてや実質的に法案を作成するのですから、どのような規制を行うにせよ、行政訴訟リスクを念頭に置かなくては成りません。新型コロナ関連規制の場合には特に訴訟リスクが高い。なぜならば新型コロナ関連規制の大元となっている改正感染症法にはエビデンス、つまり立法事実が存在しない(!!)からです(日本がまともなコロナ対策ができないわけ(郷原信郎弁護士)。この致命的な欠陥は、御丁寧なことに1953年らい予防法の欠陥をそっくりそのままなぞったものでした(*注)。

    予防法務の基本中の基本は「失敗から学ぶ」ことですから、そもそも失敗に対する認知障害が組織ぐるみであれば、予防法務の概念どころか予防訟務なる言葉すら存在しないのも当然です。官公署における訟務対応能力の欠如は厚労省に限りません。それはもちろん深刻な国家的問題なのですが、今ここでとてもそこまで論じている余裕はないので、興味のある方は「法的リテラシー」のページを御覧ください。そこには、警察、検察、裁判所といった国家機関、そしてそこに勤める公務員達に「失敗から学ぶ」という姿勢が完全に欠落していることをわかりやすく説明してあります。

*注 1953 年らい予防法は、法律制定の基礎に関わる社会的、経済的、医科学的事実、すなわち立法事実のもともと存在しない法律であった。ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書  第五 らい予防法の改廃が遅れた理由  第1問題の所在 P155)

弱者の命を奪ってきた「法令遵守」
新型コロナワクチン国賠訴訟で国が敗訴
かくして5類潰しは憲法違反となった
官僚利権の温故知新
日本がまともなコロナ対策ができないわけ(郷原信郎)
新コロバブルの物語
表紙へ