堀江バッシングの陰にある「シルバーデモクラシー」

 「新型コロナよりお客さまの方が怖い」「精神的に限界」―。新型コロナウイルスの感染が拡大し、ドラッグストアの店員たちは毎日のようにSNSに“声”を投稿している。店頭からマスクやトイレットペーパーが次々と消え、来店者から「いつ入荷するのか教えろ」「店の裏に隠しているんだろう」と責められては謝罪する日々。八戸市内の店員たちも同様で、その怒声が耳から離れないでいる。「いつまで謝らなければいけないのか」。苦悩は続く。【新型コロナ】店員「お客さま怖い、精神的に限界…」 マスクなど品薄に責められ、謝罪の日々/八戸  デーリー東北  2020/3/9

ドラッグストアの店員さんに向かって「マスクを隠しているだろう。出せ!!」と言って恫喝するのは決まって爺である。世界一の高齢化社会で我が物顔でマスクを求める彼らに対して、「困りまんなあ、お客はん」と優しく声をかけてくれた人々は、もうそこにはいない。「反社会的勢力」というラベルを貼られ絶滅危惧種として隠棲の身となった。今や彼らの恫喝を制止する者はいない。

「今時の若い連中」は知るまい。彼らがかつてはヘルメットを被り、マスクならぬタオルで顔を隠し、角材(「ゲバ棒」と言わないと怒りを買う可能性あり)を振り回して、機動隊(この言葉も死語か?)と渡り合う「反社会的勢力」だったことを。

彼らは「自分たちが日本を変える」と本気で考え,市街地で角材を振り回し,火炎瓶を投げた.一部の人間は,東京のど真ん中に時限爆弾を仕掛け,罪も無い民間人を殺戮した(三菱重工爆破事件).彼らは「暴力団」を超え,正に「テロリスト」だった。

そうして彼らが「変えた」日本はどうなっただろうか?1976年のロッキード事件で増長した検察は,それ以降「秋霜烈日」との傲慢極まりない旗を掲げ,大手メディアと似非ジャーナリスト(事件記者)達,そして裁判所とぐるになり,血友病HIV/AIDS福島県立大野病院事件が象徴する医師刑事訴追の数々,さらには足利事件,北陵クリニック事件を始めとする数々の証拠捏造&でっち上げで,彼らの絶大なる支持を受けるようになった.そして彼らはバブル景気の真っ只中の日本を謳歌した。そのバブルがはじけた後、日本を変えた当事者意識を遺棄し「こんな日本に誰がした」と嘆く彼らには、「あんた方がそうしたんだろ」という氷河期世代の声は届かなかった。彼らができるのは,自分たちに反省を促す世代を「今時の若い連中」と呼び捨てることだけだった.彼らが自分たちの過去を「総括」することは,もはや,ない.

冒頭の恫喝は、彼らこそがユヴァル・ノア・ハラリの言うところの“Me First”の集団であることを示している。彼らにとって、ライブハウスに集う「今時の若い連中」は「テロリスト」以外の何者でもない。堀江貴文さんは(*)、そのテロリスト集団の親玉以外の何者でもない。それが彼らの訂正不可能な認識,ヤスパースの言うところの妄想である.「検察は正義」が彼らの妄想だったように.

日本の介護職・医療職とそれを支える市民の素晴らしさが再認識されたことは、COVID-19の功績のうちの二番目に過ぎない。最大の功績は、現代日本で最も権勢を誇る集団を明らかにした点にある。 COVID-19が出現しなかったとしても,日本の介護職・医療職とそれを支える市民の素晴らしさを伝える人,伝える手段はいくらでもある.しかし,「シルバーデモクラシー組」という名の「反社会的勢力」の権勢を明らかにすることは,戸別配達制度を生命線とする新聞社やその新聞社と同じ穴の狢(クロスオーナーシップ)であるテレビ,ラジオ,そしてその新聞・テレビ・ラジオに食わせてもらっている通信社には,絶対できない仕事なのだから.

堀江:一言でいうと焼け太りだと思います。郵便不正事件で、社会的に叩かれたにもかかわらず、いつの間にか捜査権限拡大に持っていくところは、さすが検察だなと。戦後の司法制度改革すら切り抜けた検察の力の強さをあらためて、思い知ることになりました。非常に強い政治権力をお持ちなんじゃないかなと思います。(【全文】堀江貴文氏が国会で語った刑事司法制度改革の問題点(2015年07月12日)より抜粋)

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