接種を推進する先生方へ負けます。確実に。
木っ端役人の言いなりになり、将来ある子ども達に、ニュルンベルク綱領違反の注射を強制するまでに堕落した、亡国の医師達へ
勝てるわけないっしょ、ニュルンベルクなんだから。ここまで言われなきゃわからないんだから。どいつもこいつも何やってんだか。
人の道に外れるということ
双六(すごろく)の上手(じうず)といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目ひとめなりともおそく負まくべき手につくべし」と言ふ。道を知れる教(をし)へ、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。(第百十段)

I will prescribe regimens for the good of my patients according to my ability and my judgment and never do harm to anyone. *snip* If I keep this oath faithfully, may I enjoy my life and practice my art, respected by all men and in all times; but if I swerve from it or violate it, may the reverse be my lot. (Hippocratic Oath. From Wikipedia)
日本医師会 医の倫理の基礎知識 2018年版【医師の基本的責務】A-6.ヒポクラテスと医の倫理より
 養生治療を施すに当たっては、能力と判断の及ぶ限り患者の利益になることを考え、危害を加えたり不正を行う目的で治療することはいたしません。(中略)
以上の誓いを私が全うしこれを犯すことがないならば、すべての人々から永く名声を博し、生活と術のうえでの実りが得られますように。しかし誓いから道を踏み外し偽誓などをすることがあれば、逆の報いをうけますように。(大槻マミ太郎訳:誓い.小川鼎三編、ヒポクラ テス全集、第1巻、エンタプライズ、東京、1985;580-582より引用)

18.リスクが適切に評価されかつそのリスクを十分に管理できるとの確信を持てない限り、医師は人間を対象とする研究に関与してはならない。
潜在的な利益よりもリスクが高いと判断される場合または明確な成果の確証が得られた場合、医師は研究を継続、変更あるいは直ちに中止すべきかを判断しなければならない。
ヘルシンキ宣言(和文)日本医師会訳

「説明と同意」のシミュレーション

下記のリーフレットとやらに掲載するQ & Aを考えてみてください。
Q 「”子どもを通じた高齢者らの感染抑止”ってどういう意味ですか?” 少なくとも成人においては、”感染抑止効果はないが、重症抑制効果はある。だから接種が必要だ”というのが、現時点での”国の説明”だと思っていましたが、違うのでしょうか?それともワクチンによって”子どもを通じた高齢者らの感染抑止”のエビデンスが確立されているのでしょうか?さらに保育園でのクラスターが社会的に大問題になっています。百歩譲って&万が一&仮に
”小学生を通じた高齢者らの感染抑止”のエビデンスが確立されているとしても、未就学児にまでワクチンを広げなければ無意味でしょう」。この疑問に対する適切な回答例は恐らく見つからないと思います。
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子ども接種、発信は一丸で 知事会長とワクチン相が協議 日経新聞 2022年2月22日(抜粋)
 5~11歳の小児向けワクチンの配送は週内に始まるが、平井氏は「現場ではまだ困惑の声が残っている。保護者が心を決める段階にあり、早めに国・地方・専門家がワンボイスで呼びかけられるメッセージを作るべきだ」と提案。堀内氏は「ワンボイスとなるようリーフレットの作成などを検討してみたい」と応じたという。子どもは感染した場合の重症化率の低さなどを理由に、接種を敬遠する保護者らが少なくない。国は子どもを通じた高齢者らの感染抑止へ接種を進めるが、厚生労働省は先に「努力義務」を課さない方針を決めている。
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何故「適切な回答例」が見つからないのか?
次に、「このQ & Aを無視して接種を強行できるか?」というシミュレーションに移る前に、なぜ「適切な回答例が見つからないのか?」という疑問を解決する必要があります。その疑問に対する答えは当該質問の中にあります。接種が子どもを通じた高齢者らの感染抑止に有効であるエビデンスは存在しないヒポクラテスの誓いとヘルシンキ宣言の両方に違反している。つまり、適切な回答例が見つからないのは、回答が存在しないのではなく、回答はわかりきっていたことだったけれども、ヒポクラテスの誓いとヘルシンキ宣言の両方に違反している「びょうきになるちゅうしゃ」コロアンティーナの大冒険)を強行するためにはそんなことは無視するに限る(私の内なるアイヒマン。と結論したからです。この答えを踏まえて初めて「このQ & Aを無視して接種を強行できるか?」という仮説の検証に移ることができます。といっても結論は簡単です。「普通はやりません」尾身会長)。実際私は新型コロナワクチン接種、特に未成年者に対する接種に重大な懸念を抱いて私なりに警告を発してきたつもりですが(中学生相手に731部隊気取り)、残念ながら医師会の先生方には私の声が中々届かなかったようです。そして遂に事此処に至れり。ここまで言われなきゃわからないんだから。どいつもこいつも何やってんだか。

勝てるわけないでしょ。ニュルンベルクなんだから。
「このQ & Aを無視して接種を強行できるか?」もちろんできます。実際、中学生以上への接種はもう始まって久しいわけですし。今は「何を騒いでやがる。ここまで来たら毒食わば皿まで。ただ相手が中学生から小学生になるだけだろ。未就学児だってどんと来いってんだ!!」ってノリですよね? でしたら私の方もここまで来たら老爺心ついでに、裁判の蘊蓄を。ポイントはやはり、ヒポクラテスの誓いとヘルシンキ宣言ですが、当然この二つの間にある倫理規定も忘れてはなりません。この三者の中で裁判と最も密接な繋がりがあるのもこの倫理規定ですから、訴訟の内容も結末もそれに準じたものになります。すなわち、本家ニュルンベルク裁判同様、被告の全面敗訴は既に起こった未来です。

    「でも、訴えられるのは国だから、イレッサの時同様、医師会は絶対被告にならない」(イレッサの逆襲)なあんて、それこそ根拠無き確信に逃げ込んでいませんか?ちょっと待ってください。イレッサの時とはわけが違います。
●新型コロナワクチンでは、日医は有効期限延長問題も含め全面的にワクチン事業に協力してしまっている(厚労省/日医マジック)。
●そもそもヒポクラテスの誓いもヘルシンキ宣言も日医が掲げる倫理規定である。
●誰を相手取るかは原告の裁量次第。勝つためには弱い相手を選ぶのが定石だから、医師会だけを相手にするのも「あり」。国を相手取るとしても、訴訟を有利に進めるために、より弱い立場にある日医を相被告(あいひこく)にしてくるのは訴訟戦略の常識。私が原告代理人だったら、確実に勝てる案件で医師会だけを相手取った訴訟を勝ち、次の本格的裁判で国と相被告の医師会に勝つための布石とする。
●もちろん医療事故同様、ワクチンの副作用で「打ち手」となった医師会員個人が訴えられる可能性もお忘れなく→打ち手の責任追及の動き

負けに不思議の負けなし
おわかりになりましたか。裁判の結果はもう決まっているのです。そうであるならば今考えるべき事は裁判ではなく、敗因です。といっても実は簡単なことなのですが。勝てるわけがないでしょ。アイヒマンが。なお、事業に協力した日医の負けが決まっているのですから、その事業主体が被告となった場合、裁判の結果がどうなるかも自明です。訟務対応でどうにもなるものでもありません。そもそも訟務対応以前に、訟務官の確保にさえ四苦八苦しているのですが(訟務官の募集について訟務専門官の募集について

医師 and/or 公僕としてとしての本分を忘れ、利権に走った連中に天罰あれ

誰だって絶対に見たくない。「びょうきになるちゅうしゃ」を打たれてこどもが泣き叫ぶ姿を。 私たちはそう思っていた。誰だって見たい。マスクを棄てて歓声を上げて喜ぶ子どもたちの笑顔を。私たちはそう思っていた。でもそれは完全な間違いだったこ とに私たちは気づいた。不覚にも私たちは騙されていたのだ。こどもの笑顔よりも、「びょうきになるちゅうしゃ」の方が大切だと思うあなた方に。
コロアンティーナの大冒険日本でもアウシュビッツの悪夢学校でのマスク着用撤廃!歓声を上げて喜ぶ子どもたち

打ち手の責任追及の動き
法的リテラシー
私の内なるアイヒマン
コロアンティーナの大冒険
ニュルンベルク綱領
本家ニュルンベルク裁判
みんな,みんな嘘つきだった
期限切れワクチンの活用法
新コロバブルの物語
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