心配するのを止めない
永遠に正しい判断などあり得ないのだから、精神の健全性を志向するのならば、「もしかしたら自分は間違っているのかも知れない」と心配し続けること。そうやって心配し続けることが我が身を守ることになる→心配するのを止めた専門家の物語
リベラルアーツの欠如は専門家が逃れられない宿命である。だから感染症専門家の皆様にリベラルアーツが欠如しているからと言って彼らを非難するつもりは毛頭無い。大切なのは専門家自身がそれを自覚し続けること。しかし残念ながら彼らはそれができていなかった。それが専門家が陥りがちな、「凡庸な悪」である。→医学部でのリベラルアーツ
凡庸ゆえに、その悪が引き起こすのは決して新奇な悲劇ではない。コロナワクチンの悲劇も、ハンセン病、ジフテリア予防接種といった悲劇の延長線上で発生した。→ワクチン全権委任法
「イスラエルのアイヒマン」の副題は「悪の陳腐さについての報告」となっている。誰でも「凡庸な悪=アイヒマンリスク」を内に秘めている。専門家であろうとなかろうと。→私の内なるアイヒマン
→新コロバブルの物語
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