古楽と電王戦と研究と
2017/4/7 にたかまつ国際古楽祭を聴いた時のことです.そこで,この企画を主導した柴田俊幸さんの活動を記録した短編映画が上映されました.その中で,彼がやっている18世紀後半の時代考証演奏法の研究の一環として,アントワープ王立音楽院図書館にある古い直筆楽譜をPCに入力して世界の古楽研究家に公開する仕事(彼はその仕事で論文を書いているそうです)が紹介されていました.
私がその映像を見てはっと思い出したのは,その1週間ほど前,先手のPonanzaが後手の佐藤天彦名人に71手の短手数で完勝した,第二期電王戦2番勝負第一局でした.この時の先手Ponanzaの初手が▲3八金と,誰も予想していなかった相掛かり戦を思わせて大きな話題になりました.
研究とは,時代の厳しい洗礼を受けた先人の知恵を集積し→体系づけ→共有し→研究界全体のリテラシー向上に貢献することです.
2001年6月にジョンズ・ホプキンス大学病院で行われた,喘息に対するヘキサメソニウムの有効性を検証する臨床試験で,被験者となった健常ボランティアが死亡するという事故が起きました.その原因の一つに,研究者がヘキサメソニウムの安全性に関する検討する際に,MEDLINEを始めとするインターネット検索に全面的に依存したことが挙げられています.
ヘキサメソニウムの人体毒性は,MEDLINEがカバーしていなかった1950年代の文献に記されていたのです.J Med Ethics. 2002 Feb; 28(1): 3–4.
まだ研究をやったことのない人の中には,「新しいことを見つけることが研究ではないのか?」と思う人がいるかもしれません.それは勘違いです.「天の下に新しきものなし」 という教えは,研究において二面性を持っています.
1.先行研究を徹底的に調べよ.自分のやっていることが「新しいことだ」と簡単に考えるなという戒め→ジョンズ・ホプキンス大学病院の臨床研究で言えば,自分のやっていることが「新しいことだ」と思い込み,先行研究の検索が中途半端だったため=「新しい技術」に全面的に依存したため,患者さんを守れなかった.裏を返せば,先行研究を見つけるのは喜びでもあるのです.ジョンズ・ホプキンス大学病院の臨床研究で言えば,もし先行研究が見つかっていれば→研究が中止になって患者さんを守れていた.研究一般で言えば,無駄な研究をやらずに済んで,もっと大切なことに時間を使えるようになった.
2.研究仮説は,必ず先行研究=先人の知恵の集積の上に生まれる.意識障害の診断における血圧の意義の研究は,意識障害の診断,血圧測定,脳圧亢進と血圧・脈拍の関係といった先人の知恵の膨大な集積が無ければ生まれませんでした.それに対して,「男女関係で問題のあった芸能人と問題のなかった芸能人におけるCRPの値の比較横断研究」は,おそらく世界初の研究でしょうが,BMJのChristmas issueにも採用してもらえないでしょう.
「本当のところはどうなんだろう?」「もしかしたら,こういうことなんじゃないだろうか?」と疑問を持っている人が多ければ多いほど,その疑問に対する回答を提供すれば,より感謝され,より多くの人に共有してもらえるます.一方で研究のきっかけとなった疑問を抱いているのが,世界中であなただけだったとしたら,それは,この上もなく斬新で独創的なことであることは確かですが,その疑問を元にした仮説を検証した研究が多くの人の共感を得られるかどうかは,また別の問題なのです.
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