気分はフェデラー

PMDAにいるというと,三途の川を渡りきった人間を前にしたような口ぶりで,”役所勤めで臨床は止めてしまったのですか”と,決まって尋ねられる.フリーターが 世の中にあふれる時代になっても,役所に勤めながら臨床もやっている私は,いまだに変人扱いされる.まあ,実際,変人だから仕方が無いのだが.

実は,私の神経内科診療の腕がめきめき伸びた(少なくとも,自分でそう思える)のは,2003年7月(47歳)で,新潟の国立病院を辞めて霞ヶ関に勤め始めてからである.それまでの20年よりも,その後の3年間の方がはるかに伸びた.

霞ヶ関でやっている仕事の内容は臨床試験に関することだから,週に一日,臨床現場の感覚を失わないために,埼玉県の病院で研修をさせてもらっている.これまでの3年間そこでやっているのが,ライブ中継である.といっても,特別な仕掛けなど全くない.

何の事はない,優秀な(私の診察を見に来るような若い人は全て優秀だ)研修医や学生さんに,私の外来診察室に入ってもらって,私の診療を見てもらう だけだ.外来診療が一区切りしたら,二人で手早く議論する.私の診察を見に来るような若い人は,要点を突いた疑問を投げかけ,私をたじたじにさせる.特に ぶっつけ本番の初診では,私に対してどんどん疑問が投げかけられる.これをひたすら繰り返す.わかっただろうか.つねに,自分の診療を厳しい批判の目に直接晒しておくのである.これで,私の面接や診療がうまくならな いはずがない.

病棟でも,まず,カンファランスルームで担当に病歴だけをプレゼンしてもらって,そこから二人で診断を推論し,診察の要点,どの所見が診断に必要か を話し合ってから,ベッドサイドへ出かけて診察する.その後,改めてカンファランスルームで治療方針を話し合 う.そこではで診断や治療だけでなく,研修医が気づかなかった家族間にある葛藤を言い当てて,研修医がたまげる表情を見る楽しみもある.画像や検査結果は 添え物としてしか見ないが,見る場合でも,いつもどういう画像か を予想してから見る.わかっただろうか.これで臨床の力がつかないはずがない.

おまけに週末,全国各地を回って,地方巡業をやる.地域で実績を積み上げている先生方から紹 介された大切な患者さんを,休日をわざわざ潰して遠路はるばるやってきてくれた医学生,研修医,二十年選手が固唾を飲んで見つめる中で,私にとって初診としていきなり診 る.診断どころか,病歴聴取のシナリオさえない中,私の一言,一挙一動に,命のやり取りの現場を知り尽くしている数十の視線が集中する.行った先の診察室 がウィンブルドンのセンターコート,気分は1981年のジョン・マッケンロー,といってわからない人には,99年のピート・サンプラス,あるいは06年のロジャー・フェデラー,とにかく.内科医として,最も晴れがましい時である.

漫画の主人公よろしく,外科医が全国を巡回して手術をする(そういう外科医がいればの話だが)のと同じ訓練をしているのだから,これで臨床の力がつかないはずがない.

今のところ,こんなわくわくする体験を楽しんでいるのは私だけだが,特別な仕掛けは一切要らないから,やろうと思えば誰でもできる.どうです,あなたも,ブラックジャック内科系.

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