とある医学系出版社の方と面談する前に,論点整理のために出したメール
話題の「がん哲学外来」って,ひたすら愚痴を聴く外来なんですね.面接には「相談に乗る」要素と「ひたすら愚痴を聴く」要素があって,末期がんとか,神経難病では,後者の比重が極めて大きくなる.そこで医療者と患者・家族の間で葛藤が生じる背景と対策.
○根本的な解決策を提示できない&パターナリスティックに振る舞えないことを「済まない」と思う医療者が,「勝手に」自分を攻撃してしまう.患者自身は,本来は根本的な解決策などないことを理解できているのに,医療者が自己攻撃を始めると,同調して攻撃を始めてしまう.→これに対して,「病は成長の資源である」というメッセージを,如何に堂々と,自信を持って出せるかが勝負どころになってくる.
○死を意識した病者を前にして,「命を救えない」医療者というのは,絶好の攻撃対象になる.人間は神ではありえないにもかかわらず.これに対して「肉体の消滅がなんぼのもんじゃい.あなたは,”存在するとは別の仕方で”(内田 樹 穢れと葬礼)
あなたの肉体の消滅後も,愛する人に影響を与えることができる」というメッセージを,,如何に堂々と,自信を持って出せるかが勝負どころになってくる.
このあたりは,公演スライド集の,「つながり」と題したパワーポイントの後半,寺山修二の詩が出てくる部分の前後が相当します.自分の肉体の消滅に備える→”存在するとは別の仕方”で影響力を行使する準備をする→それすなわち教育という論理を展開しています.