私の方も大変刺激になりました.人数と議論の充実は全然関係なかったですね.むしろ少ないほうが各人の発言の機会が増えてよかった.地方巡業先で,どこでも感じるのですが,あのセミナー質での「場の力」はまた格別でした.学生ならではの感性の鋭さと斬新さが満ち溢れていました.
特に日曜の午後は,神経内科なんかそっちのけで,みなさんの自由な議論に参加できたことは新鮮な体験でした.話を聞いていると,面白くて,キーワードを書きとめていって,それを材料にまた議論する.かねてから憧れていた一流講師の”授業”のやり方なのですが,それが自然とできました.みなさんが,僕をそう仕立ててくれたのです.そうか,こうやって,学生さんに育ててもらうんだ.そう思いました.
その中で,いろいろ考えたことはあるのですが,まず,もらった感想に対して:
> ●全ては自分の中にある(モチベーション、軸、できる範囲、ブレインストーミング、などなど)
○答えは実は自分の頭の中にあるんですね.それをどうやって効率よく見つけるか.いや,必ずしも効率重視がいいとは限らないかな.回り道で,思いがけない発見もあるから.→最後の暗黒大陸
> ● "認知のゆがみ"の認知と笑いの重要性→笑いは認知行動療法の基本的手法.
> 「患者が生活上困っていることから診断を導く」との向きの発想は新しいものでした。(中略)「患者から教えてもらわなければ何も出来ない」
○認知行動療法では,「治療者と顧客が共同して評価と問題解決に当たる」 という姿勢で臨みます.そのことを,初診の時に明確に示すのです.これは実は医者と患者の関係でも同じ事なのです.どこが困っているかだけではなく,どのような経過でそうなったのか,患者に教えてもらわなければ,医者はどうにもならないわけです.そういう意味で,医者と患者は,相互依存の協力者同士なのです.相互依存であれば,自然とWin/Winの関係になるわけです.また,共同チームとして問題解決に当たるという姿勢は,病気を外在化することによって,困り事に対する認知の歪みを低減する利点があります.
> 「沈黙の重要性」についても少し言及されていましたが,最近,臨床実習での患者さんと会話中におそらく数秒の沈黙が生じ,内心で「沈黙になってしまったな…」と思っていたところ,患者さんの方から症状に関する新たなこちらが考えてもみなかったような情報を話し始めてくれた経験をしたばかりで,とても素直に受け入れることが出来ました。
○君は,飲み会の間中,ずっと考えていましたね.その結果が,沈黙だったわけです.翌日,いつ,どんな発言が出てくるのか,非常に楽しみでした.だから,
> 自身では取りとめもないと感じている感情を口にすることで,それを自身でもまとめることができ,非常に有益な議論に発展出来た場を経験することもでき,ラフに議論の出来る場の価値を強く感じました。
○君の発言が出た時に,どういうメッセージが含まれているのか,その場の議論の流れの中で,何を感じたのか,僕にとってもそれを考えることがとても刺激的でした.
> 自分自身の日常生活の動作を「障害を受けたときにどのような困難が予想されるか?」という視点で捉えられるようになったことは非常によかったと思います。日常から障害を受けたときの予想される困難を考えておけば、それは思いやりにつながるはずだし、将来的には診断に役立ちます。
○勉強材料は自分の生活の中にあるってことと,思いやりが診断戦略に直結するってことだね.
> また、このお話をお聞きしたとき、(僕の母は小児マヒの後遺症で右足が不自由ですが、)母が「そりゃぁ足が動くほうが歩くのも楽だし、遠くに行ったりもできるだろうから、障害はあるよりかないほうがいいんだろうけど、だからといって別に治るわけじゃないし、十分幸せに生きてるから何とも思わないよ」と言っていたのを思い出しました。
○これも身近も身近,自分のおかあさんだね.家族とのコミュニケーションは,実は最もタフなコミュニケーションだ.家族とのコミュニケーションなんて,簡単だと考えるのは間違いだ.簡単だったらできるはず.でもどうしたらいいかわからないだろう.それは,難しいから,無意識のうちに避けてしまっているんだよ.自分の家族とのコミュニケーションができれば,岡山SP研究会の前田さんとの面接だって,楽しみになるよ.
そういう意味では,最高に難しいのは,自分とのコミュニケーションだ.この点は,下記参照