行動科学と臨床

超新星爆発だとか,宇宙がどうやってできたかだとか,そういう高尚な学問ができる人が羨ましい.

私は,もっと切実な問題を抱えている.一番切実なのは自分自身の問題.今,こうやっている自分自身が,何をどうやって考え,どう行動しているのかを知りたい.

日常やっている診断一つとっても,なぜその診断に行き着いたのか,どうして他の診断を捨てたのか,筋道立てて人に説明できた試しがない.もう四半世紀も医者をやっているのに,いつまでたっても,”長年の勘”でごまかしている.

行動科学は,実学ゆえに,経済活動で重宝される学問だが,臨床の場でも,非常に重要な道具となる.実は,ヒポクラテスの時代から重要だったのだが,これまでは,臨床を生物学的側面から考えるだけで精一杯で,行動科学的な分析がほとんどなされていなかった.しかし,これからの臨床は行動科学抜きでは考えられなくなる.

というのは,臨床的に有意義なアウトカムを得るにあたって,生物学的アプローチの効率が非常に悪いからだ.たとえば,分子生物学的アプローチに,今日まで,どのくらいの人手と金が投入されて,どんな成果が上がったか考えてみるがいい.

一方,誤診の認知心理学(Redelmeier DA. The cognitive psychology of missed diagnoses.Ann Intern Med. 2005 Jan 18;142(2):115-20.)のようなアプローチは,人でも金も全く要らずに,多くの人命を救う.

適確な医療面接,適確な診察の教育に私が力を入れているのも,重症患者予知のためのお告げの研究を提案しているのも,そのためだ.

行動科学は,金も人手もかからない地味な学問だから,研究費を取ってくるには不向きである.不治の病を治すわけではないから,その成果が見えにくい.しかし,臨床現場での幾多の地雷の爆発を未然に防ぐ有力な道具であることは,こんなところを読んでいるあなたなら直感的に理解できるだろう.

医者・患者の考えと,その考え方から生まれる行動を科学することは,どんな新薬の開発にも優り,多くの人命を救うことになる.でも,今まで誰も手をつけようとしなかったのはなぜだろうか.

ケプラー,コペルニクス,ガリレイ,ニュートン・・・彼らが天体の動きなんぞに気を取られたのは,それだけ行動科学が難物に見えたからかもしれないというのは,思い過ごしだろうか.

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