田坂さんのこと
ーあれから1年経ってー

以下,個人的なやりとりなので,事情を知らない人には何が何だかわからないとは思いますが,それはそれでいいのです.
(参考:メールで毎日2,500人を指導 「生涯、研修医」と、学びを率先 日経メディカル2007年4 月号P 191
http://bizboard.nikkeibp.co.jp/kijiken/summary/20070417/NM0473H_950182a.html)

> うーん、でもちょっと違うよね、、池田さん、なんかいい説明、ないかな?
私も、アイルトン・セナだとか、長嶋茂雄だとか、いくつか候補を出したのですが、自分でそう言いながらも、「うーん、違うよなあ」っと思っていました。この宿題は面白いと思ったので、帰り道もあれこれ考えていました。難問なので、以下長文になりましたが、御容赦ください。

> あれから1年、、ですね、、やっと、私の携帯TELに登録してあった、 田坂さんの携帯番号を消去しました、。
> 携帯でなくても、”つながる”、、ということを池田さんが、みんながおしえてくれたから。
このシーン、映画になってますよね。ここにヒントがあります。田坂さんて、優秀なプレイヤーというだけでなく、臨床という現場の総合プロデューサー、それもあれこれ仕切る親分ではなく、現場のプレイヤー1人1人が、その場所で、自分で能力を引き出せるように助言してくれたり、アイディアを出してくれた。

演劇活動(音楽バンド活動でもいいですよ)を考えてみましょう。医療は地場産業、開業医は地域の芝居小屋。院長はその一座を率いて、稽古場の確保、ポスターを貼らせて貰う場所の交渉、切符のデザイン・印刷、演出、演技指導、監督、大道具、小道具、照明・・・・どれも演劇には必須の仕事です。同様に、臨床という現場に必要とされる様々な活動に、興味を持って関わっていった臨床総合プロデューサー。

彼は自分の芝居小屋、自分の地域、自分の仕事をもっともっと面白くしようと思って、つながりを広げていきました。そのつながりの活動の中で、TFCの各メンバーが、単にお役立ち情報を交換するだけに留まらず、自分の地域の舞台で、自分の仕事をもっと面白くしたり、新しい自分の役割が発見できるように手助けしてくれました。田坂さんが直接助けてくれたばかりでなく、つながりの中で、自然とWin/Winの関係が成り立つように、し向けてくれました。そして、田坂さんの活動(オンライン・オフライン両面で)を通して、Win/Winのノウハウが自然と共有されていきました。

たとえば、2003年7月、霞ヶ関に勤めることになって、もうこれから、臨床とは縁がなくなってしまうのかなと思いこんでいた私を、とんでもない、お楽しみはこれからでしょとばかりに、広島に呼んでくれました。私は、広島で、たくさんの、TFCメンバーとの対話を通して、”大判解説=囲碁や将棋のような遊びでさえもプロの頭の中を解説するのだから、命のやりとりの商売で、プロの頭の中を解説するのは、素晴らしい共育になる”という、今でも、そしてこれからもずっと使っていけるスローガンを打ち出せました。

2003年7月といいますと、翌年4月からの臨床研修必修化を控えて、研修医の教育の金をどうするだの、人がいないだの、世の中の多くの人が、うろたえたり、文句を言っている時期でした。そんな時に、TFCの先生方は、時代の最先端どころか、時代の先を行き、将来あるべき医学教育の姿を実践していたのです。それから半年も経たずに亀井道場から師範代のお誘い。ケアネットから番組作成のお誘い、そして岡山道場。あとは、もう、何も迷うことはありませんでした。今や、神経学ばかりでなく、霞ヶ関で仕入れた後発品の話まで、学生さんからリクエストが来るようになりました。

田坂さんの仕事ぶりは確かに超人的でしたが、他の並の超人と違うところは(これが、セナとか長嶋とか言っても、しっくり来なかったところでしょう、多分)、常に「共育」を意識していた点です。万年研修医という「戦略」がこれです。その共育仲間を、私のような自分と同年代や、年上、医療者以外にも対象を広げていった。そして、その人材同士のつながりを強化していった。だから、臨床総合プロデューサー。そのプロデューサーのキャッチコピーである「万年研修医」が、単なる謙遜ではなく、戦略であることは、「共育」が極めて効率的な教育・学習方法になっていることからも自明でしょう。

彼が築いたつながりが、現世ばかりでなく、現世と彼岸の間にもあることは、田坂メモリアルレクチャーでご紹介しました。参加できなかった皆様にも、後日、要旨をご紹介しますので、お楽しみに、また、田坂メモリアルレクチャーに参加できずとも、こうして、みなさん、各自に適したやり方で田坂さんとはつながっていますので、ご安心を。

> あれから1年、、ですね、、やっと、私の携帯TELに登録してあった、 田坂さんの携帯番号を消去しました、。
> 携帯でなくても、つながる、、ということを池田さんが、みんながおしえてくれたから。
仏陀やイエスの教えが、当たり前になるのと同じように、自由・平等・博愛がフランス革命当時は画期的なスローガンであったのに、今や当たり前になっているのと同じように、”デフォルトは無名化する”のです。田坂イズムが世の中に浸透すればするほど、田坂さんの影響力が自分の中で発展すればするほど、田坂さんの名前は表からは消えていきます。敢えて名前を意識する必要がないからです。だから、「田坂さんの携帯番号を消去できる自分」に安堵するのだと思います。

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