謝罪を求めてくる「奴」
ー内なる審判員の行動特性を踏まえた対応ー
「医者を辞めるのが怖くて辞められない」に対する返事は、「明るい話も書けず、前向きにも振る舞えず、心療内科への通院も抗うつ薬の服用も止められない」自分に対する謝罪だった。
> 明るい話になれずすみません。
若さ故ですね.謝るのは.誰も謝罪を求めていないのに謝るのは,「奴」つまり自分の内なる審判員に向かって謝っている証拠です.
「池田先生にありがたい御助言を頂戴したのだから,御返事には必ず明るい話を書かなくてはいけない.それができないお前はやっぱり駄目な奴だ」
「池田先生にありがたい御助言を頂戴したのだから,明日から前向きに振る舞わなければならない.それができないお前はやっぱり駄目な奴だ」
「池田先生にありがたい御助言を頂戴したのだから,次の日から心療内科の通院も抗うつ薬も必要ないはずなのに,それができないお前はやっぱり駄目な奴だ」
「池田先生にありがたい御助言を頂戴して『べてるの家の非援助論』を読んだのならば,その次の日から悟りを開かなければならない.それができないお前はやっぱり駄目な奴だ」
「そうやって俺様から散々言われて何も反論ができないお前はやっぱり駄目な奴だ」
って検察官みたいに偉そうな態度で、「奴」があなたのことを散々罵倒するというわけですね.ジャックと豆の木じゃあるまいし、人の話を聴いたから、本を読んだからってすぐに変われるわけがないのに。そうして奴に謝ると、その次に奴が言う台詞も決まっています
「やっぱりお前は駄目な奴だ.だって謝るってことは,自分でそう認めていることじゃないか.そうだ,お前はだめな奴だ.お前が医者なんてちゃんちゃらおかしい.医者なんかやめちまえ」そうして「お前なんかに生きている価値はない.死んでしまえ」って言ってくるんですよね.知っていますよ.あいつのやり口は.私も散々な目に遭いましたからね.
我々は明るい話なんか書けない.我々は前向きに振る舞うこともできない.我々は心療内科の通院も抗うつ薬もやめることはできない.『べてるの家の非援助論』を読んだ次の日に悟りを開くこともできない.そんな我々ができるのは待つことだけです.
我々は名医にはなれない.なりたいとも思わないけれど,奴はなれと言ってくる.我々は,もちろん神にもなれない.もちろんなりたいとは思わないけれど,奴はなれと言ってくる.そんな我々ができるのは待つことだけです.何を待つのか?
「ごめんなさい.名医にはなれませんでした」と謝れば「ほうら,やっぱりお前はだめな奴」というバカの一つ覚えスローガンを繰り返す.反論すれば別の欠点を探して「やっぱりお前は駄目な奴」というバカの一つ覚えスローガンを繰り返す.そんな奴にとっては,相手にされないことが一番始末に困るのです.
我々にできることは,今日一日何とか生き延びて,それを繰り返して十年,二十年かけて待つことだけです.何を待つか?「名医になれ」「神になれ」とバカの一つ覚えのように叫ぶしか能が無い,あの奴が,「俺が散々罵倒しても,こいつは絶対に謝らない.反論もしない.ただ黙って生きているだけだ.一体こいつは何を考えているんだ?」と疑問を持ち,その疑問が徐々に大きくなって,あいつのわめき声もだんだんと元気がなくなり,ついには「こいつには何を言ってもだめだ.神になろうとしないのはもちろん,名医になろうともしない.こいつには何を言ってもだめだ.本当に駄目な奴だ.こんな駄目な奴を相手にするのは時間の無駄だ」そうあきらめて,立ち去る日を十年,二十年かけて待つことだけです.
→二条河原へ戻る