医者を辞めるのが怖くて辞められない

研修医2年目の方からお手紙をいただいた.あまりできの良くない自分は進路に迷っているという相談だった.医者を辞める・辞めないという話ではなかったのだが,若い人から手紙をもらうと,どうしても自分の愚痴まみれの身の上話になってしまうのは,やはり寄る年波の為せる技か

お手紙ありがとうございました.あなたのお手紙を読んで,まず思いついたキャッチコピーが,「それで順調」(べてるの家)でした.

ご存じとは思いますが,私は医学生の時から医者になりたくないと思い続け,医者になったその日から医者を辞めたいと思い続けてきた人間です(週間医学界新聞記事).

医学部に入ったのが1976年ですから,来年で40年になります.この40年の前半20年は,この内なる審判員が発する「名医たれ」「良医たれ」との怒声に怯える毎日でした.明日にでも医者を辞めたいけれど,せっかく医師免許を取ったのだし,自分は医者でしか食べていけないから,医者を辞めるにしても,せめてクビにならないだけのスキルは身につけておかなければ.なんて,矛盾だらけの言い訳を作って,「医者を辞めるのが怖くて辞められない」状態にどっぷり浸かりながら,今日辞めたら何もかもパーになる.だから今日は医者をやっていよう.明日はわからないけれど.その繰り返しでした.

今から思えば,あんなもの「幻聴さん」(これもべてるの家のキャッチコピーです)と思って適当にやり過ごせばよかったんですが,それができないのが「若さ」なんでしょうね.

これも今思うと,上記の『べてるの家の「非」援助論』に出会った2002年が転換点でした.2002年と言えば,医者になってから20年(46歳),新潟にある国立病院で,勤務医として働いていました.当直もやっていました.救急車は10回の当直で1回ぐらいでしたが,当直の度に,病棟からの電話も含めて,対応できなかったらどうしようと,とにかく予期不安が強くてろくろく眠れなくて,何とか医者から足を洗いたいと思っていました.

そんな時,『べてるの家の「非」援助論』を読んで,医者になってから20年経っても当直室で震えている自分が「それで順調」と思えたのです.ただし,私の場合,当直室で震えている自分も「それで順調」ならば,医者を辞めたいと思い続けてきた自分も「それで順調」なんだと思い,医者を辞めて厚労省の役人になりました.

正に20年一日のごとく,バカの一つ覚えみたいに「名医たれ」「良医たれ」というスローガンを繰り返すしか能が無い「内なる審判員」に三行半を突きつけてやった.「医者を辞めるのが怖くて辞められない」状態から,きれいさっぱり足を洗った.そう表現すると随分と格好良く聞こえますが,実は内心びくびくしていました.もちろん寂しくもありました.「池田先生もついに臨床を辞めて役人ですか」と言う人も一人や二人ではありませんでした.でも,厚労省で仕事をやっていくうちに,そんなものどうでもよくなっていきました.

そうやって「どうでもいい」に対する後ろめたさから徐々に解放されていくと,「どうでもいい」の使い勝手の良さがわかってくるのです.一番ありがたいのは他者評価よりも,自分の幸福感を優先できるようになることでした.自分の幸福感は自分に内在するものです.自分の幸福感は他者には存在しません.自分を幸せにできるのは自分しかいません.岩田健太郎は「評価は必要ない.必要なのは愛だ」と言っています.評価者は自分を愛してくれません.愛していたら評価できませんから.評価される側が評価者に対して心得ておく唯一の事項は「聞いたふりしてやり過ごせ・そして相手の顔を潰すな」.

上記の内なる審判員も,巧みに自分の中に入り込んで,いつの間にか座り込んでしまった他者(親とか教師とか地域社会とか国家とかの複合体)です.ある年齢までは,この内なる審判員の助言にただ従って生きていくだけで大きな問題は起きないのですが,自分が成長するに従い,もともと他者だった内なる審判員との間に葛藤が生まれ,増大していきます.

他の人はいざ知らず,私にとっての人生(=今日一日)とは,このもともと他者だった内なる審判員や,現実世界に外在する他者との間に生まれる葛藤の最小化&自分の幸福感の最大化の作業の繰り返しに他なりません.

あなたの置かれている環境もあなたの心境も,かつての私そっくりです.迷うということは複数の選択肢が見えているということです.不安であるということは油断していないということです.迷って不安になるということは思考停止していないということです.決断力とは思考停止力の代名詞に他なりません.考えるのを止めないと決断できませんからね.だから何か決断した後も,次の決断に向けて迷い続け不安である自分に安心してください.「(今は)わからない」に中腰で耐える.その不安と迷いが患者さんを助け,自分を助ける.それが臨床の現場です.

「大切なことは目に見えない」「大切なことほど後になってわかる」←お守りにしてください.
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池田正行
高松少年鑑別所
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