冬が来れば思い出す

内科医であるQ太郎は,冬の朝,顔を洗うのに お湯が使える度に,今でも、北陸の海岸沿いの、とある国立精神療養所に勤めていた頃を思い出す.彼が住んでいたのは,国立病院ならどこにでもある ような,昭和40年代に立てられた宿舎だった.

床下換気孔を通って板子一枚の上 に乗っている畳の隙間から吹き抜けて来るのは,日本の海の遠く向こうにある、清津あたりからはるばる渡ってくる北西の季節風だったので,冬の室温は5度ほ どに保たれていた.一昔前なら倹約家,今風に言えばエコロジカルな生活を心掛けていたQ太郎は,一人住まいをいいことに,冷蔵庫いらずの地球にやさしい環境を,暖房でぶち壊す ことなど夢にも思わなかった.

しかし,Q太郎には冷え性という大きな弱 点があったので,湯たんぽは欠かせなかったし,室温5度の朝に,水で顔を洗うのは,拷問に近い所作だった.そんなQ太郎にとって,台所にある年代物の湯沸し器は,厳しい冬の力強い味方だった.ところが,赴任して3回 目の冬を迎えたある日の朝,この味方が突然いかれてしまった.

全く着火しないのだ.電池を入れ 替えてもだめ.心得のあるボイラー室勤務のP君に修理を依頼したが,どうにもならない.15年 以上も働きつづけた湯沸し器にこれ以上無理は言えない.そう思ったQ太郎は,気軽な気持ちで,やはり敷地内の宿舎に住んでいる院長に相談した.何しろ彼の部屋 は,30年前の建築当時そのままQ太郎私の部屋と違って,彼の赴任前に大改装が行なわれ、見違えるほど綺麗になって,あらゆる 設備が一新されていたのだ.湯沸 し器交換の段取りぐらいは,すぐに教えてくれるだろう.

そう思って勇躍乗り込んでいった 院長室で聞いた言葉は、規則を遵守する管理職にふさわしく、病院の事務方と全く同じだった。“宿舎の設備は,個人の費用で交換になる”.

医者になって20年.腕一本であちこちを渡り 歩き,先代の院長から三顧の礼で迎えられた、この精神療養所で も,臨床研究部の生化学室長という肩書きで,英文の研究論文を発表しつつも,精神科入院患者の内科合併症管理,当直,病理解剖当番をこなしてきた自分の価 値が,年代物の湯沸し器未満だったとは.

“上等じゃねえか.もう,ここに 義理立てする筋合いは全くなくなった” と,Q太郎は思った.

先代院長から次へ交代後,うすう す感づいてはいたものの,ここまで見事に自分の存在意義が否定されると,爽快でさえあった.新たな職場を求める確固たる決断を与えてくれた院長には,感謝 しさえこそすれ,恨む気持ちなどまったくないQ太郎なのであった.

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