またもや未来の未知性について
総合診療医になりたい・なれない・ならない・ならなくてもいい
総
合診療医になりたい。臨床推論を学びたい。という学生が時々私のところにやってくる。すると私は困ってしまう。なぜなら私は正直な話、ただの一度たりと
も、総合診療医になりたいとも、臨床推論を学びたいとも思ったことがないからだ。総合診療の教育も臨床推論の講義も受けたことがない。そもそも、総合診療
医、臨床推論なんて言葉は、私が大学を卒業してから20年以上経ってから出てきた言葉で、そういう言葉を初めて聴いた時も、意味がよくわからなくて、
ずーっと放っておいたわけだから。
実は今も意味がよくわかっているかと尋ねられると、全く自信が無い。でも、学生さんは真摯な気持ちで私
に尋ねてくれるわけだから、「そんなもん、知るか」なんて冷たく突き放すことは決してできない。ではどうするかというと、私のできることはただ一つ、いつ
ものように、学生さんに教えてもらうことだけだ。
あなたがなりたい総合診療医って、どんなお医者さん?なぜ、そういうふうになりたいの?
学びたい臨床推論って、どんな学問なの?その学問にどんなことを期待するの?そしてそういうやりとりから、かつて私が学生時代に抱いていた不安感、問題意
識と共通のことがどんどん出てきて、ああ、それならわかる、でもその不安感や問題意識って、必ずしも総合診療医や、臨床推論という言葉を知らなくても、説
明できるものなのだよ。だって、私の学生時代にも、そういう言葉はなかったけれど、同じ不安感と問題意識を持っていたもの。そういうやりとりで学生と共感
を形成することができる。
確
かに流行語は世代間格差の要素の一つではある。しかしそれは、年齢差を超えて対話する縁(よすが)となりこそすれ、流行語を使う世代を拒絶する理由にはな
らない。そう思って学生さんと対話する中で,卒後33年,様々な職場を転々として遂には塀の中を仕事場とするようになった自分の職歴で,終始一貫していた
のは臨床医という「本籍」である.これだけは変わらなかった.それが私のこだわりだったのだろう.
医
者になる前から,毎日毎日,「精進しろ」「勉強が足りない」と,私の中に棲む審査員が,私を責め続けた。そして,医者になったら,あの決まり文句。「医者
が自分の天職だと思えないのだったら,医者なんか辞めちまえ!」。彼のそんな暴言が,医者になりたてのころから,ずっと続いていた.
自分
は医者には向いていないと思ったからこそ医者になり,自分は医者には向いていないと思ったからこそ医者を続け,卒後33年経って,やっぱり自分は医者には
向いていなかったと気付く。そう気付いたときに,決して愕然とせずに,ほっとしている自分を見いだして,ああ,やっぱり自分は医者をやっていてよかったと
思える。その理由が,内なる審査員による長年の拷問に耐えた英雄気取りなのか,あるいは,彼の暴言には何のエビデンスもなかった事実に気付いた喜びなの
か,実はよくわからなかったのだが,おそらく,あの審査員の言っていたことが,私を天下の藪医者呼ばわりする,仙台地検の検察官達の意見書とか,河村俊哉みたいな嘘つきを含めた仙台地裁裁判官達による再審請求棄却決定みたいな,単なる言いがかりに過ぎなかったことがわかったからではないか,そう思えるようになってきたからだろう.
何が言いたいかというと(こっちの方が長くなっちゃんたんだが。でもしょうがないよね。だって私のキャリア、33年もあるんだもの)
●私は「優れた総合診療医になる」行動したことも、そうしたいと思ったことも一度も無い
●そもそも私は「とにかく医者を続ける・辞めない」ことで精一杯だったわけだから、「優れた総合診療医になる」なんて「高い志」を抱く余裕なんてなかった。
●だから私は、「優れた総合診療医になる」という目標に向かって突き進みたい人に、残念ながら素敵な助言はできない。
●もし何か参考になることがあるとしても、「とにかく医者を続ける・辞めない」ことで精一杯だった私の病歴しかない。
●自分が医者か医者ではないかは、自分が決めることであって、他人に決めてもらうことではない。特に誠実に診療しているのに、「医者なんか辞めちまえ」と言ってくるのは、たとえそれが内なる声であっても「言いがかり」に他ならない。
●総合診療医にせよ、刑務所の医者にせよ、キャリアを歩んでいく過程で、この種の「言いがかり」が四方八方から飛んでくる。
●たとえ法務省矯正局が「金の卵」と持ち上げてくれる矯正医官であっても、脈の取り方一つ知らない警察官が、同じ法務省の職員である検察官が、そして良心に基づいて仕事をする建前になっている裁判官た、陰湿な「言いがかり」をつけてくる。
●
私が天下に隠れもなき藪医者であり、ミトコンドリア病の診断を全面的に否定し筋弛緩剤中毒という病名を公文書ででっち上げるのは、言いがかりどころか、私
に対する名誉毀損と威力業務妨害、さらには医師でないのに病気を診断する医師法違反である。それでも奴らは言いがかりをつけてくる。
●「優れた総合診療医になる」という目標に向かって突き進みたい人は、「あなたは優れた総合診療医である」と常に他者に認定してもらうように願う。
●この「他者認定依存症」の最大の問題点は「自分がやりたいこと・言いたいこと」を持続的に抑圧する結果「自分は何がやりたいのか?自分は何が言いたいのか?」を見失う、「自己失認症」に発展することである。
●
「優れた総合診療医になる」という目標に向かって突き進める人は、その目標を大学教授のような目に見える形で達成して目出度く定年まで勤め上げ、その後
も、どこかの大きな公立病院の管理者になったり、中央官庁の審議会の委員にでもなって、勲章の一つでももらった後、癌で死ぬか痴呆になるかの二者択一とい
う人生を歩むだろう。
●しかし、「優れた総合診療医になる」という目標を設定する医学生が全てそういう人生を歩むわけではない。
●前述のように、どんなに誠実に診療をしていても、どの診療科で診療しようとも、キャリアを歩んでいく過程で、自分の中からも外からも「言いがかり」が四方八方から飛んでくる。
●こんな「言いがかり」をつけてくる奴は、「あなたは優れた総合診療医である」と認定証をくれるどころか、あなたのキャリアを全力で妨害しようとする。
●このような言いがかりを全て叩き潰して排除できるという自信(たとえ根拠のないそれであっても)があれば引き続きキャリアを歩むがよろしい。
●一方、もし、その言いがかりを全て排除できる自信がなければ、総合診療医に「なりたい」・「ならなくてもいい」自分をそれぞれ思い描く必要がある。
●それは決して特殊な想像ではなく、古来から人類が行ってきた作業だ。釈尊は「生老病死」を平等に「苦」として扱った。日野原重明先生は、次のようにおっしゃっている。
「『死
にかた上手』という本を書きたい」と言ったのですが、その出版社の社長は、「先生、『死にかた上手』というタイトルでは売れませんから、『生きかた上手』
としてください」と提案されました。確かに、死を考えるためには生を、生を考えるためには死を考えなくてはなりませんから、どちらのタイトルでも同じこと
なのかもしれません。
●軍艦の建造は、どうしたら沈みにくい船を造るかに尽きる。浮かぶ船を造るときは、沈むシナリオをどれだけ豊富に描けるか、軍艦を造るときは攻撃されたときのダメージ・コントロールを如何に最小化するかが最も大切な課題となる。
●
「優れた総合診療医になる」という目標だけを設定し、それに向かって突き進んだはいいが、何らかの理由で「自分は総合診療医にならない」と「自分が決め
る」時(*)に備えて、「優れた総合診療医になる」という目標を設定した瞬間から「総合診療医にならない」という選択肢を豊富に思い描ける。そういった
「未来の未知性」に対する謙虚さが、ロックスターを生むのである。それは明日の自分の死を意識して、今日一日を、この一瞬を生きる美しい姿に通じる。この
詳細については→未来の未知性について
(* この点を決して誤魔化してはいけない。「総合診療医にならない」と決めるのはあくまで自分である。「自分は総合診療医になれない」という表現は自己決定の結末を他者に責任転嫁する極めて卑劣な行為であり、自分自身に対する詐欺・ペテンに他ならない)
●要するに(ようやくここまできた)、「総合診療医になる」という意思は、総合診療にならないシナリオにも十分対応できる柔軟性と先見の明、リスクマネジメント、ダメージコントロールを弁えた自分に対する自信」に裏付けられてこそ、初めて意味のあることになる。
●もうわかっただろう。この「総合診療医」という言葉を「医師」という言葉に置き換えてみるがいい。
●そうすれば、「医者とは何か」という問いが自然に生まれて、その「医者」の定義を柔軟に考えることが、キャリアパスのリスクマネジメント、ダメージコントロールにつながることが、理解できるだろう。
参考→週間医学界新聞の記事
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