記憶のない脳

年を取っていいことの一つに物忘れがある.余りにもたくさんのことを忘れるので,忘れたことや知らないことが苦にならない.何でも,”忘れた.知りません”と言って平気な顔をしていればよろしい.周囲も,池田はもう年だからということで許してくれる.

私の場合,実は若い頃から記憶力が悪い.そもそも端から覚えようという気がない.覚えているだけの価値のあるものなんて,この世の中に一つもありゃしないと思っているから余計に始末が悪い.

そもそも,”忘れる”というのは,かつて覚えていたことが大前提となる.はじめから覚えなければ,忘れる後ろめたさからも解放される.

よく,加入している学会誌を封も切らずに丁寧に積み上げておく人がいる.ああいう人は,ためになる雑誌をお金を払って買っているのだから読まなくてはならないという強迫観念に勝てないのだろう.

私は違う.そんな強迫観念など,さらさらない.後で読もうなんて積んでおいても,絶対に読まないことだけは記憶に残っているからだ.届いたらその日のうちに,できればその場で,10分以内に目を通してから,再生紙用のゴミ箱へ直行させる.日本語の雑誌に覚えておくべき記事などありゃしない.どうしても必要だったら後で検索して図書館でコピーすればいいことだ.しかし,それだけの価値のある記事など年に2−3だ.それこそ後で検索すれば十分であって,机の脇の雑誌の山から探し出す労力に値するものではない.

下記の文句はフリーウェアです.お気に入りとしてご使用の際は池田堂謹製と記してくださればありがたい.間違っても養老孟司作なんてしないでね.

君がどんなこと言ったって,僕の答えは決まっている.”そんなこと覚えているわけないだろ” だ.

私の脳には記憶というものがない.堆積するのは感性の遺残物だけだ.

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