消費者の選択眼を肥やすには

医療サービス改革というと,そのサービス内容の質の向上をどうするかだけが議論されるのは何とも情けない.おそらく,医療サービスにおけるパターナリズムがまだ根強く残っているからだろう.市場原理云々を主張するならば,消費者側の選択眼を肥やすための努力が必要なのに,医療サービスにおける情報の非対称性は如何ともしがたいと,はじめから諦めてしまっている.

医療サービスの利害関係者は,3群に分けられる.
1.サービスを供給する人々(医療者)
2.サービスを受ける人々(患者)
3.その仲介をする人々(行政,メディア,および,一部の医療者)

今の議論のほとんどは,1の人々の提供するサービス内容をどうするか,行動をどうするか,そればかりだ.2や3の人々からの議論も,1の人々のへの注文に終始している.その結果,1の人々が,患者さんのための最新の治療とか,高度先進医療とか言いつづければ,情報格差はますます拡大し,パターナリズムは衰退するどころか増長するばかりだ.そんな歪んだ状況を放置したままで,インフォームドコンセントもshared decision makingもへったくれもないもんだ.

これ以上,高度先進医療が必要なのか? 最新の医療の無批判な導入は,最新のリスクの導入に過ぎないのはないか?リスクは導入しないにしても,その費用対効果はどうなのか?人口あたりのCT台数が米国の7倍,英国の10倍.そして今もPETが雨後の筍のように日本中に繁殖しつつある.これをそのまま放置するのか?

最新の診断・治療の名のもとに,高価な設備と機械だけが増殖していく.保険適応にしろとの国民の皆様の大合唱のもとに,PETも保険適応になった.そして医療費増大.厚労省は躍起になって医療費抑制.設備と機械は国民の皆様の声で常に最新の物にしておかなくてはならないから削れない.だとすれば削れるのは人件費だけ.でも,診療に直接関わる人の数は簡単に減らせないから,教育や裏方の安全管理のための人と手間を省いてコストを削減する.これが,本当に患者のためか?違う.絶対に違う.

こういう本末転倒の愚行が罷り通っているのは,医療消費者がつんぼ桟敷に置かれているからだ.消費者側のサービス選択眼を肥やさなければ,サービス内容が上記のように歪んだり,歪まないまでも,適切なサービスにたどり着けなかったりする.

”ここがいい”と決めつけるのではなく,選択眼を肥やすことが大切

”いい病院”ではなく,まともな医者を見抜く方法を教える

病院という建物や機械が診療するわけではない.
いい病院といっても,科によって,同じ科の中でも人によって,ひどいでこぼこがある.脳神経外科は腕がいいけど,神経内科はぼろぼろとか,眼科の部長はヤブだけど,ヒラの医員は粒ぞろいなんてことはザラ.おまけに,病院は人事異動がしょっちゅうあって,駄目なやつほど行き場がなくて,どこでも引っ張りだこの医者はすぐ辞めてしまうなんてこともある.だから,群盲が象をなでた結果を信用してはならない.病院ランキングなんざ,競馬新聞の予想ぐらいに思っていた方がいい.

まともなかかりつけ医を見つける.かかりつけ医は3の仲介者になる.この振り分け役は,医療サービスの効率的な配分に非常に重要な役割を担っている.
まともなかかりつけ医を見つける.相談相手,地域でネットワークを持って信頼できる紹介先を持っている医者を選ぶ

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