テーマパーク
ここでは,各々の診療科をテーマパークとして,そこにいるあなたの位置と役割を考えてみよう.科学と感情を交えて,多くの人間が一番大事に思っている命とお金のやり取りが,様々な形で行なわれるテーマパークであなたは何をしているのだろうか?
神経内科という名のテーマパークだけに限っても,意識障害救急の修羅場から,モーツァルトを聞きながらの神経病理標本観察まで,アトラクションは豊富だ.
通常は,この種の診療科別テーマパークの中の,それも一つの遊具だけを偏執狂的に愛する人が圧倒的に多い.この種のオタクが通常,専門家と呼ばれる.テー
マパーク神経内科の中では,神経内科の専門家というのはありえない.フランス語圏の失語・失行・失認の書籍の注釈ができるとか,Machado-
Joseph病の脳を20個も集めているとか,そういう人でないと,専門家とは呼ばれない.
テーマパークの中では独創性という名の差別化を図らないと相手にしてもらえない.うっかりすると仕事ももらえない.どこのテーマパークでも,たいていそういう仕組みになっているから,否が応でもオタク志向が高まる.
一方,一つのテーマパークで一通り遊び終えて,どうも性に合わないとか,他のテーマパークの方が面白そうだと思う人には,ある程度移動の自由がある.ただ
し,多くのテーマパークは厳しい入場制限があったり,遊具に使用資格制限がある.フランス語圏の失語・失行・失認の書籍の注釈なら(使いたいって人はあま
りいないだろうけど)”どなたでもご自由にお使いください”となるけど,腹腔鏡手術は誰でもってわけにはいかないよね.
翻って私は,よんどころない事情で,テーマパーク神経内科を後にしてからは,重症心身障害者,国立精神療養所,新薬審査といった,医師免許という入場券だ
けで入れるテーマパークを選んで,あちこちで遊んでは,各々のテーマパークでスタンプを押して喜んでいるのだから,これもまた他愛の無い話である.
時々,テーマパーク神経内科にも,従業員口から入って,神経病理とか,教育といった,使用制限がなく,ほとんど誰も使わなくなった遊具でも遊んでは(それなら,ガミガミ言われないから),その遊具を運び出して,他のテーマパークでも使って遊んでいる.
どのテーマパークでも感じるのは,コミュニケーション・プレゼンテーション技術,倫理,日本語文章表現能力,問題解決能力といった,テーマパークを楽しむ
ため,遊具使用のための基本的能力の教育がなおざりになっているために,遊具が有効に活用されていなかったり,避けられる事故が起こっていることだ.
現在の日本の制度で,この基本的能力を身に付ける時期は,医学部学生時代と臨床研修期間中が非常に大切だ.この時期を逃すと,それ以後,オタク養成所であ
る各診療科テーマパークに入ってしまったが最後,教育の機会も,教育を受ける受容体も失われてしまう.しかし,資金集めと病院経営に追われて教育どころで
はない大学と,診療技術そのものを教えるのが精一杯の臨床研修病院には,もはや,新たに遊具使用のための基本的能力の教育まで要求するのは酷だろう.
となると,大学,臨床研修病院とは別のプラットフォーム
and/or人材を用意しなくてはならない.そこには,学生や研修医ばかりでなく,卒後何十年たっても,例えば,コミュニケーション・プレゼンテーション
技術を学びたいという気持ちさえあれば入場できるような,入場制限のないテーマパークを作ってみたい.そんなことができるのかって?もちろんですよ.だっ
て学びたいっていう人はたくさんいるでしょ.遊具は,何も全部はじめから作らなくても,他のテーマパークで使わなくなってしまったようなものを払い下げて
もらえばいい.いい例が,快刀乱麻のDVD.あれは,病歴,診察という,テーマパーク神経内科で誰も使わなくなってしまった遊具の応用ですよ.そんなふうにしてテーマパーク作りを考えるのが,これまた面白い遊具になるんですな.
→二条河原へ戻る