ここに医師会から発行された勤務医ニュースなるタブロイド版の紙がある.そこには,これから医者として働こうとする研修医諸君に向かって,”先輩から一言”だの,”社会に貢献する医師を目指して”だの,”いよいよ本物への挑戦”だの,県医師会の副会長,大学教授,国立病院院長といった偉い偉い先生方から,ありがたいコメントが寄せられている.
研修医のために筆を取るなら,自分の研修医時代に思いを馳せるのが当然である.きっとこのお歴々は,素晴らしい研修をしたに違いない.その研修を通して,自分が先輩として一目置かれる医師,社会に貢献する医師,本物の医師,になったと確信しているのだろう.でなければこんな記事は決して書けないはずだ.
ではなぜ,この素晴らしい方々が仕事をしてきた業界が,医療事故訴訟の増加,医療費抑制政策といった現実に苦しんでいるのだろう?彼らに責任はないのだろうか?もちろんある.あると感じるからこそ,彼らは現実の問題を解決するために,悪戦苦闘しているはずである.ならば,御伽噺よりも,その悪戦苦闘の様子を,最前線に放り出されようとする彼らに率直に伝えるべきではないか.
労働基準法違反のタコ部屋労働,うつ病を発症して脱落していく仲間,実働時間に換算すれば最低賃金の基準さえ満たさない給料,リスクに対して隙だらけの現場,職場での足の引っ張り合い,嫌がらせの数々・・・
現実を伝えようと,ばら色の妄想を書こうと,どうせ明日には前線の惨状を見るのだからと,筆者たちが開き直っているのだとしたら,それこそ若者にとって不誠実な態度だが,若い人たちの方は,とっくに現実を直視しているから,実際にはこんなタブロイド版の記事になんぞ誰も目をくれずに,実害なしというのが,現実なのだろう.
では,研修制度の議論で必ず話題になる米国の研修制度はどうだろうか?下記は,私が尊敬する木戸友幸先生の手になる,週間医学界新聞の連載,”もうひとつの米国レジデント物語 第一回”からの抜粋である.
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さて,こういう厳しい(米国の)レジデンシーを,それを経験した医師はどう評価しているのであろうか? 研修医の労働条件に関する著書を著したある医療ジャーナリストと話をする機会があった。そのジャーナリストは,その本を書くために,全国の研修病院の指導医をインタビューして回ったという。その中には,米国でのレジデンシー経験者も数多くいた。そして,そのほとんどすべてが,かの地での過酷なレジデンシーを積極的に評価していたとのことであった。実際に筆者自身も,そういうインタビューを受ければ,自分がよりよい医師になるためには非常に役立ったと答えるだろうと思う。
したがって,この時代のレジデンシーの評価を経験者の意見に頼ることは,あまり意味のないことのようである。誰しも,自らの体験を,それが過酷であればあるほど,意義の薄いものとは思いたくないものである。また,過去の体験は一般的にいって美化されるものである。
しかし,どの回答者も例外なく,「あの体験は2度と繰り返したくない」と答えたそうである。
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