私がネット医療相談を止めた理由

(歴史的に意味がある文書だと私自身は考えていますので,リンク切れも含めて改訂せずにそのまま掲載しています.2017/10/4 記)

ある新聞社の方からメールで医療相談に関する取材を受けた.私がネット医療相談をやめたことに関して,ネット医療相談の問題点を取り上げようという意図だった.その回答作成の作業は,私にとってもネット医療相談を見直し,問題点を整理するいい機会になったので,その回答を掲載する.

1.ネット医療相談を始めた日時とそのきっかけ:

1996年4月に私がホームページを始めた目的が,そもそも対象を限定した医療相談だったのです.それは英国を中心とした在外邦人に狂牛病(正式には牛海綿状脳症)の日本語情報を提供し,狂牛病に関する問い合わせを受けることでした.1996年3月下旬に,英国政府が異型クロイツフェルト・ヤコブ病の原因が,狂牛病の病原体である可能性を認めてから,英国全土がパニックに陥りました.しかし,クロイツフェルト・ヤコブ病も狂牛病も非常に特殊な病気であり,かつ,病気の因果関係がはっきりしないため,信頼できる日本語情報は皆無でした.英語でさえ不確かな情報が錯綜し,英語国民が大混乱に陥っているのですから,ましてや在外邦人の恐怖感はいかばかりかと思い,狂牛病とクロイツフェルト・ヤコブ病の日本語情報と問い合わせの窓口を開設したのがきっかけです.

その後,狂牛病騒ぎが収まっても,狂牛病以外での海外からの医療相談やら,国内からも神経難病の相談などをメールで受けて回答していました.ただし,ホームページ上で”医療相談”と銘打ったのは,ようやく98/10/25になってからです.それも,医療相談実例集として,”こんな相談にはこのように回答します”という,医者の対応事例を示した形であり,積極的に相談を受け付けますという宣言ではありませんでした.相談というより,医者の診療内容の情報公開という意味合いが強かったですね.そうだん受け付けますと積極的に宣言しなかったのは,相談が殺到したり,裁判がらみのケースを相談されたりする問題を恐れたからです.

2.当時の相談状況について(多い相談内容、一日の平均相談件数、のべ相談件数、利用者の属性など):

はっきりと記録に残っている98年1月から2000年8月までで63件となっています.平均すると1ヶ月に2件ですが.一件につき一度返事をすればおしまいというのはむしろ例外的で,ほとんどのケースは最低2往復のやりとりが必要で,多い場合には5往復以上,平均3−4往復のやりとりが必要となってきます.すると,常に一週間に2通ほど医療相談の返事を書かなくてはならないことになります.その上,一つ一つの回答に膨大な時間がかかります.内容は,当初はやはり狂牛病,クロイツフェルトヤコブ病関連(牛由来の食物や製品の使用についての不安)が多かったのですが,その後神経難病の相談が多くなり,98/10/25に医療相談実例集を公開してからは,知的障害者の診療,MRSA保菌者への対応,医療経済問題といった難問奇問も寄せられるようになりました.ホームページ上で医療相談実例集の閉鎖を宣言したのは99年7月です.しかし,それ以降も医療相談のメールは閉鎖宣言前と同様のペースで舞い込んできます.ネット人口の増大が関与しているのかもしれません.

3.反響やご自身の手応えはいかがでしたか:

相談数はそれほど多いものではありませんでしたから,”反響”というほど目に見える影響はありませんでした.当初日経メディカルの取材を受けたぐらいでしょうか(狂牛病の情報を発信. 日経メディカル 1996.6.10:157.).自分自身の手応えという側面では,個々のケースで,自分が回答者として適任であると自覚できたケースでは,満足感が大きかったですね.反対に,まるきり自分が経験したことのない問題や,質問の内容が明らかに誤解や偏見に基づいているようなケースでは,返事を書くにも強いストレスを感じました.

4.「ご相談いただく前に」との注意書きははじめから掲載されていたのですか?:

いえ,これは途中で付け加えたものです.理由は次項5に書いた通りです.

5.注意書きを拝見すると、相手の素性、相談に対する真剣さなどをかなり気にされていたように思われますが、こうした注意書きを掲載した理由は?(きっかけになった具体的事例があれば、それもお書き添えお願いします):

”友人が”こういう症状で困っているのだがどうしたらいいだろうとか,夫のアドレスを使って妻が自分のことについて相談するとか,悪気はないのですが,ネット上での最低限の秘密保持の常識をわきまえない,不用意な相談事例が頻発したからです.このような不用意な相談者に対して,いちいちネチケットのイロハから教えるほど私はお人好しではありませんし,暇人でもないので,厳しく警告を発したというわけです.

7.こうして閉鎖するに至ったことについて、率直にどうお感じですか。

徒労感と後ろめたさ(ネット医療相談で時間がとられて,目の前の患者さんの診療がおろそかになっているのではないか)から解放され,正直ほっとしています.でも上記のように閉鎖を宣言しても相談してくる人はいて,適宜対応しています.相談窓口を閉鎖しても,ホームページは開いているので対応しなくてはならないと思っています.

8.問題点はどこにあったとお思いですか:

実際に顔を合わせなくて済むというネットの利点が,医療相談ではそのまま欠点になります.

実は,ネットで相談されるケースは現実の診療よりもやっかいなケースの割合が多いのです.風邪をひいたから治してくれとわざわざメールを書いてくる人はいないでしょう.何らかの事情でかかりつけの医者とか,主治医に相談できないからこそネットで相談相手を捜し求めて来るのです.このように実際の診療で行き詰まった問題をメールのやりとりで解決しようと試みること自体に無理があります.

ネット医療相談自体が,はじめからこのような本質的な矛盾を抱えた行為なのです.利用者側がその限界をわきまえていないことが一因.それから回答者側の手間の問題(下記)も一因.

9.「ネット相談が医療過誤を起こす」危険性についてかかれていますが、実際にそうした例はあるのでしょうか。ご存知でしたら、これもできる限り詳しくお教えください:

私自身は具体的な被害に至った例は経験していませんし,また実例も知りません.しかし,例えば前述のような,”友人”の医療相談や,匿名の医療相談をするということ自体が,守秘義務違反や患者取り違えに直接つながります.事故の芽が小さなうちから取り締まるという立場に立てば,このような相談を認めること自体,すでに立派な医療過誤です.

これは決して防御的過ぎる態度ではありません.ネット上では,その匿名性ゆえに,現実世界以上に犯罪・事故リスクが高くなっています.医療のように命にかかわる仕事では,現実の診療場面で最高の注意義務を意識するのですから,ネット上で防御的になるのは当然です.

10.相談件数の急増に伴い、他の医療サイトでも閉鎖に追い込まれるケースが増えているようです。この状況について、私個人としては、患者側がネット相談を過信し、かつマナーやルールが確立していないためだと思っているのですが、池田さんのお考えをお教えください。

患者側の認識はいくつかある問題点の一つに過ぎません.たとえ患者側がネットの限界をわきまえ,かつマナーやルールが確立しても,相談を受ける側の問題は解決しません.一番の問題は,実は一つ一つの相談事例に誠実に答えるためには膨大な労力と時間がかかることです.例えば私が専門とする神経内科では,初診の患者さんを実際に診察すると,一人当たり一時間かかることはざらです.ネット医療相談の情報収拾効率が実際の診療の数十分の一以下とすれば(決して大げさな表現ではありません),回答には実際の診療の数十倍以上の時間がかかることになります.これではとてもやっていけません.

11,日本では医療相談サイトは全て無償で、医師はボランティアで答えているという状況ですが、この体制自体に無理があるとの声もあります。数名の医師の善意ではもはや急増する多様な相談に応じきれないのではとも思うのですが。どのようにお考えでしょうか。

個々の善意は別として,ネット医療相談は全体としてとっくに破綻しています.上記の事情で,まじめにネット医療相談をやるには労力と時間がかかりすぎます.この労力と時間の問題は,たとえネット医療相談専門の会社を作っても解決しません.たとえお金や時間をもらっても,ネット医療相談を商売でやることなど,私はまっぴら御免です.患者さんの生の声で訴えを聞き,顔色を見て,脈を取り,体に触って,診断に悩み,治療を決断し,よくなった患者さんの笑顔を見る,そんな医者冥利を捨ててまでネット相談に力を注ぎたくないからです.これは私だけでなく,大多数の医者の気持ちです.

ただし,冒頭に述べた狂牛病の日本語情報提供のように,ネットの特長を生かし,ネットでなければできない相談,情報提供は続けたいと思っています.この場合のエネルギーは,お金ではなく,社会的に認められ(例えば優良サイトに選定されるとか),できれば腕のいい(私に知恵を授けてくれるような)実務的な協力者を得ることです.しかし,これは現実的には不可能ですね.腕がいい人ほど時間がないものです.

相談数の多さに対しては,有料の会員制にして相談数を制限するという方法も考えられます.でも,その方法はあまり現実的ではありません.なぜなら,ネット医療相談のような困難な仕事を敢えてやっている医師は,自分の知識や技術に対する誇りを持っていて,金のためにやっているのではないと考えているからです.そういう医師は,有料の会員制の医療相談にはそっぽを向くので,結局回答者が集まらないのです.また,回答者を何とか確保したとしても,回答作成の作業に見合ったお金を払うとすれば,ひどく料金が高いものになるでしょうから,誰も利用しないでしょう.

数に対抗するためには数しかない.そのためには各科ごとに多数の回答者を用意して,数ある相談を分散させるしかありません.しかし,それだけの回答者を揃えるのは容易ではありません.だいたい,医者は自分指名で相談してきてくれる患者の方がかわいいものです.誰でもいいが,たまたま御前に当たったからという相談では,回答する方も熱が冷めます.

12.医師側に、ネット医療相談のメリットはあるのでしょうか。

実利は全くないです.あえて言えば,実際の診療以外で社会に貢献している(かも知れない)という自己満足でしょうか.

13.診療として見た場合、そもそもネット医療相談には「限界」があると思いますが、ネット医療相談の正しい利用法をどう考えますか。

第8項で述べたように,ネット医療相談自体が,本質的な矛盾を抱えた行為です.最も大きな問題は,”IT革命”というような与太話に象徴されるように,まだまだ多くの人々が,”ネットを使えばすごいことができる”という幻想を抱いていることです.ネットはあくまで効率の良い通信手段に過ぎません.大切なことは,ネットは,患者と医療サービスの出会いのきっかけを作る手段に過ぎないという事実を全ての人が認めることです.そして,出会いのきっかけとしてのネットを生かすために,ネットと実際の医療サービスのやりとりをうまく結びつけなければ,ネットの利点も生かせないし,医療サービスの改善も望めません.

もし,ネットだけを使って何かやれるかという具体例をあげるなら,次のようになります.第一に,冒頭に示したように,狂牛病についての相談を在外邦人から受けるというのはネットの利点と限界をわきまえた,いいアイディアだったと思います.自分が喜んで答えられる分野にテーマを絞って(相談の数を絞り込み,回答のストレスを少なくする),ネットしかないという状況下で相談を受けたからです.第二に,実際の相談の前のスクリーニングにネットを使うというのも診療の効率化に繋がり,賢い使い方だと思います.例えばセカンドオピニオンを誰に求めたらいいかという相談をネットでして,推薦された医者に実際に受診してセカンドオピニオンを得るといったやりかたです.ただし,相談のスクリーニングにネットを使う大前提として,医療サービス側の情報公開があります.(第15項に続く)

14.お知り合いの医師で、「こうしたネット医療相談をしている方、またしていたが、池田さんのように閉鎖してしまった方」がいらっしゃれば、ご紹介ください。:

インターネット医科大学は御存知ですよね.97年からやっている老舗の部類に入ります.しばらく覗いていなかったのですが,2000年9月に一旦教授陣を全員解任して,診療科を絞り込んでいます.やはり相当苦戦していますね.苦戦理由は私の場合と同じ,相談数の多さ,回答の手間,ネチケットを無視した相談の数々であろうことは,同サイトの注意書き,インターネット医療相談存続の危機からも伺えます.

世田谷区若手医師会の神津さんは神経内科のネット相談を継続していらっしゃいます.以前ちょっとやりとりしたことがありますが,やはり時間がとられるのが悩みとか.

足立憲昭さん:活動的にやってらっしゃいますね.医学部学生の勉強のサポートも立派なものです.学生の勉強資料一応お金をとっていますが,とても商売にはなっていません.これもまるきりの奉仕活動です.

また,診療相談ではないのですが,他学部を卒業して医学部に入り直そうという方の相談に乗っていた神経内科医の蔭山さんが,やはり最近相談窓口を閉鎖しました.相談数の多さと心ない中傷で閉鎖に追い込まれたようです.彼の気持ちはよくわかります.

2000年10月時点でまだ生きているネット医療相談(グループ)の例:

アピオンホスピタル(ただし,各医師が直接質問を受けるのではなく,質問が第三者の手を経て振り分けられる),サイバークリニックモール(これもそのサイトで直接質問を受けるのではなく,各医療機関のホームページ集に過ぎない)まほろばバーチャルホスピタル

かつてあったが,2000年10月以前につぶれてしまったネット医療相談:
IHJ(インターネットホスピタルジャパン)

15.ネット医療相談全般に関してのご意見をお教えください。

一番言いたいことは13項に書きました.実際の診療を全く伴わない,純粋にネットだけを介した医療相談は,患者,医者ともに労多くして,報われることが少ないので,積極的に推進すべきではありません.それよりも,実際の診療をもっと円滑にできるようなネット活用に力を注ぐべきです.それは医療サービス側の情報公開です.それもむずかしいことではなく,ごく基本的なことなのです.何しろ外来担当医表さえ満足に公開していない医療機関がほとんどです.また,宿や列車の切符がオンラインで予約できる時代です.命の管理のための診療予約はもっと大切なことなのに,オンラインで予約できないとはなんたる医療人の怠慢なのでしょうか?ネット医療相談以外にネット上で患者のためにしなくてはならないことは山ほどあるのです.

一方,サービス利用者側も責任重大です.サービス利用者側が,ネット上の情報公開を奨励するような動きをしないと,情報公開は進みません.ちょうど無着色たらこに人気がなくて,着色たらこが幅を利かすように,いいサービスが評価できるように,医療消費者側も賢くならないと,せっかくの良質なサービスが淘汰されてしまいます.結局は相手とする患者の方が変わってくれないと医者も医療サービスも変わりません.サービス利用者が変わらないとサービスも変わらないのは,当然でしょう.ネット医療相談も,実際の診療の質が向上するように使われるべきなのです.ネット医療相談が実際の診療に取って代われるものではないのですから.

サービスだけではありません.私は政治の水準と医療の水準の決まり方はよく似ていると思います.その国の政治の水準は,その国の国民の水準で決まります.政治家は国民が選ぶからです.自分たちが選んだ政治家を他人事のように非難している限り,その水準以上の政治を期待できないのと同じように,肝心のユーザーである患者の方が,””自分たちは医学に素人なのだから,どのお医者さんがいいのかわからない”なんてのんびりしたことを言っているうちは,日本の医療サービス水準は現在のままに止まると思っています.

15−2.なぜ不確かなネット医療相談(相談相手が本当の医師なのかすら分からない)に、重大な問題などを安易に相談してしまうのかと考えてみると、私は,1)ネットという匿名性・簡便性のなせる技であるとともに、2)実際の医療現場への不信感、少なくとも医師と患者が対等に相談できる関係にない事も原因のように思っています。池田さんの上記のお考えは、医療情報を開示することで、こうした不信感を取り除こうとのお考えなのでしょうか。

いいえ,医療側からの情報開示は最低の義務に過ぎません.どんなに医療情報を開示しても,不信感や,溝,医師と患者の間にある上下関係の意識を取り除くことはできないと思います.これらの障害の原因は情報不足だけではなく,非常に雑多な要素から成り立っていて,かつ個々のケースで事情が全く異なるからです.ですから,どんなに情報公開しても,ネット相談の数は減りません.このバーチャル需要にどうやって対処するかと悩む方もいらっしゃるでしょうが,それはネット上ではなく,医療サービス従事者一人一人が目の前にいる患者さんの診療に貢献することで対処するしかありません.ネットは,バーチャル需要を実際の診療に結びつけていくための手段に過ぎないのです.

参考:メールでの医療相談はやっていません

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