才能と金儲け

私 の適性は警察官僚とか政治家とか諜報活動とかにおいては間違いなく爆発的に開花したであろうが、私がそのような仕事につかず毒にも薬にもならない文学研究 などにかかわって一生を終えたせいで獄窓や窮死から救われた人もきっと多いはずである。なまじ適性に合った仕事に就いたせいで、世の人々がいっそう不幸に なるということだってあるのである。人生はミスマッチ(@平川克美)。(内田 樹の研究室 より)

自分の才能を生かそうと思ったら,その才能を金儲けに利用してはならない.ましてや他者の金儲けに利用させてはならない.なぜなら,その才能が嫉妬に殺されるからである.下手をすると自分そのものも殺される.古来よりそういう事例は枚挙に暇が無い.

佳 人薄命と人は言う.自分が佳人でありながら天寿を全うしたいと思えば,ニコラウス・コペルニクスのように死ぬまで佳人であることを隠すに越したことはない.しかし誰もがコペルニクスのように 一生ストイックに振る舞えるわけではないし,コペルニクスとてカトリック教会司祭の身で地動説を主張すれば日本の刑事裁判並みの確率で死刑になることが わかっていたからこそ,そんなストイックな芸当ができたのだ.

コペルニクスが,もしもヨハネス・ケプラーのように,三十年戦争に翻弄される単なるプロテスタントの一人に過ぎなかったら,決して『天球回転論』を自分の死後に出版するような,贅沢な真似はできなかっただろう.

住 み慣れた街からの追放,魔女扱いされた母の弁護といった,山中鹿之助並の艱難辛苦に遭遇し続けていたケプラーは,地動説に基づいた占星術で大勝利を保証 しますとばかりに,カトリックであろうとプロテスタントであろうと,とにかく仕事にありつこうと自分の売り込みに必死だった.そして彼が売り込み成功した のは,カトリックの総大将,神聖ローマ皇帝フェルディナント2世皇帝軍総司令官のヴァレンシュタインだった.しかしそのヴァレンシュタインも失脚し (1630年)同年にケプラーは58歳で亡くなった.

自 分の才能に自信があればあるほど,自分の才能が多彩であればあるほど,嫉妬に殺されるリスクが高いわけだから,自分の天賦の才があると思ったら,それはあ くまで趣味として用い,日々の糧を得る手段は別に用意するのが自分の才能と命の両方を守る道である.たとえば矯正医官をやりながら,検察と裁判所の両方に 喧嘩を売るように.

二条河原へ戻る