「論文を書かないってことは、批判されずに済むってことだからね」。当時大学院生だった私に、西川 徹が私に向かって放った警句である。彼のおかげで、五十半ばを過ぎた今日でも、自分で論文が書ける。
教授だからといって、論文を書かずに済むわけにはいかない。むしろ教授だからこそ、世界中の人が読むトップジャーナルに論文を出すことによって、自らの主張を公にして、自分を常に批判される立場に置いておかなくてはならない。そして、五十五になって論文書く段になって初めて、ある化学研究者から、論文執筆・投稿・掲載に関わる基本的なお作法を学ぶこととなった。
そこで初めて、医学系の研究者のほとんどは、カバーレターの書き方から始まって、投稿先選び、reviewerやエディターとの付き合い方(個人的なやりとりではなく、審査を受ける側と審査側という意味)を知らないことに気づいた。研究者として生きていくためのそういう基本的な作法を学び、教える文化が、日本の医学系研究の世界にはなかったことに気づいた。
BMJにも、Lancetにも、NEJMにも、Ann Intern Medにも掲載論文がある人間が言うのだから間違いはない。トップジャーナルに論文を載せることと、研究者としてキャリアを歩むための作法を学ぶことは全く別なのだ。今まで自分は、箸でフランス料理を食べていたようなものだったことに気づいて呆然とした。
日本人はどんどんノーベル化学賞を取るのに、未だに医学・生理学賞を取れない(仕事の場所はずっと海外で国籍が日本というだけの利根川さんは除外)のは、日本の医学研究の分野では、学問の基本的なインフラができていないことも原因の一つなのかもしれない。