他者評価依存症
学校でも家庭でも、関係者の総力を挙げて展開されている、才能ある若者を他者評価依存症患者に貶める活動、それが「教育」と呼ばれている。そこで
の代表的な評価指標は、決まって偏差値や試験の点数のような、目に見える数値である。
他者評価依存症(*1)の本質的な問題点は、他者評価へ注意を転動させ(*2)、本来最優先すべき自分が抱える問題に対して当事者意識を失わせる
ことにある。つまり、自分の悩み、自分の不安、自分の問題意識が見えなくなる。「困り感」を消失させる。病識を失わせる。(例:偏差値が高くな
ると自分のコミュニケーション能力の障害が引き起こす問題が見えなくなる)
当事者意識が失われて他者評価ばかり気にするようになると、自分の本質的な問題点が見失われ、学校を卒業した後も、肩書き、収入、地位のような目
に見える代用エンドポイントにこだわる、歳ばかり取った未成熟なガキができあがり、周囲に大きな迷惑をかけながら世に憚ることになる。
そういうオヤジ、ジジイどもの最大の特徴が「今の若い人」・「こんな日本になってしまった」である。「こんな日本」にしたのはてめえらだろう
が!!おめえらのおかげで、こちとら大迷惑だ。少しでも反省する気持ちがあるのなら、黙って引っ込んでろ!
ただし、「専門医資格なんてどうでもいい」「学会なんて無駄なことばかりやっている」と宣言してしまうと、他者評価依存症患者を作ることが教育の
本質だと思っている人々に喧嘩を売ることに
なって、手間が十倍にも二十倍にも増えるので、オヤジ、ジジイどもに対しても、表向きは「第三者評価って大切ですよね」というような「思いやり」を忘れな
いように。でないと自分が損をします。
*1.ここで言う「他者」とは、「自分は生徒・学生・研修医に対して客観的な評価ができる(=つまり無責任な)と偉そうに宣うクソ面白くもない奴
ら」のこと。
*2.特にADHDを負っている私のような人間は、その疾患特性として、容易に他者評価へ注意が向かってしまう。
参考→今の若い者は
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