Massie's Scotland:hairrods

シルクロードを感じた時

かつての同僚デビーから,スーが結婚したとのメールが届いた.そうか,だとしたら,あの日の秘め事,遠い東洋の国の言葉でなら,もう,話していいだろうか.

スーザン・ブラウンはイーストアングリアの田舎町,イプスウィッチで生まれて,育って,地元の高校を出て,グラスゴー大学に来て,デビーの指導のもと,博士取得のため研究にいそしんでいた.夏のホリデーには人並みにIbizaあたりに出かけることはあっても,イタリアより東に出かけたことなんてなかった.だから,彼女が僕にシルクロードを感じさせるなんて,思ってもいなかった.

人々が,どんな小さな自然の変化にも,春の訪れの意味付けを見逃しはしまいとしている3月,スコットランドはグラスゴー郊外.こじんまりした研究所の一室.僕とスーはいつもの昼下がりの情事,ではなく雑談中だった.ただ,その日は特別だった.彼女の言葉があまりにも衝撃的だったので,なぜ,そんな話になったのか,その経緯を思い出すことは出来ない.その話題以外,その日の記憶は全くないのだ.

”ねえ,Massie, the rock-paper-scissors gameって知ってる”

”えっ?”

”面白い遊びなのよ.こうやって,手で形を作ってね.(握り拳をつくって)これが石,(親指と人差し指でL字を作って)これがはさみ,(手をひらいて)これが紙.紙は石を包んでしまうから紙は石より強くて,はさみは紙を切るからはさみは紙より強くて,石ははさみでは切れないから石ははさみより強くて・・・”

”ちょっと待って,スー,君は僕の他に日本人の知り合いがいるの?”

”どうしてそんなこと聞くの?”

”日本の伝統的な遊びを誰に教えてもらったのかっていうこと”

”何言ってるの?これはイングランドの伝統的な遊びよ.誰でも子供の頃から知ってるわ.なんで日本の遊びなの?私はあなたが知らないと思って話したのに.”

”・・・・・・”

”どうしたの,Massie,あなたもこの遊び知っているのね”

スーが冗談を言っているのでないことはすぐわかった.僕を惑わせようとするなら,最高の冗談だけど、週末にボーイフレンドに手料理をごちそうするのを無上の楽しみとする彼女が、そんなところにまで頭を回すとは到底思えなかった.

僕は呆然となった.一体全体,このイングランド娘が,どうして”じゃんけん”を知ってるんだ.それも,イングランドの遊びだって言いやがる.もし,それが本当なら,この謎を解明すれば,僕は大民俗学者だ.ノーベル民俗学賞だ.ええっ,そんなものはないって.大丈夫,これだけすごい仕事をすれば,僕のために新しい部門が創設されるに決まってる.きっとシルクロードを通って伝わったに違いない.アジャンタの壁画と法隆寺の壁画が似てるどころの騒ぎじゃない.アルツハイマー病の研究なんてくそくらえだ.僕の心は,はや,サマルカンドに飛んでいた.

しかし現実にはサマルカンドに行く暇もお金もなかった.心はコンスタンチノープルから敦煌までさまよっていたけれど,体はスコットランドの曇り空の下にいたまま,昼下がりに,やはりシルクロードなんて行ったこともないデビーやマリーから聞き込み調査をするのが関の山だった.

”じゃんけん(僕がその話ばかりするので,研究室でもそう呼ぶようになっていた)は,別にイングランドに限った遊びじゃないわ.スコットランドにもあるわよ”

(そうだろうな,何しろ日本にもある位だから)”それで,どんな時に使うの”

”あんまり使わないわね.遊びで,勝った方がこうやって相手の手を叩く位よ”

と言って,デビーは他の指は折り曲げて,人差し指と中指だけを伸ばし,そこに,はーっと息を吹きかけて,ぱしんと相手の手を叩く真似をした.何てこった,これだって”しっぺ”そのものじゃないか!!

”でも,日本と英国で,伝統的に全く同じ手遊びがあるなんて,ひどく不思議 だと思わないかい.”

”そうね,不思議ね.どこからどうやって伝わったんでしょう.ニンテンドーやカラオケみたいに,世界中でじゃんけんが大流行した時代があったのかしら”

”コーヒーやタバコみたいな嗜好品ならともかくなあ.じゃんけんは目に見える形のあるものではないから,大流行なんてするのかなあ”

”大流行があったかどうかわからないけど,どこかに起源があってそこから広がっていったのは確かでしょうね.英国と日本のどちらか一方に発生して,もう一方に伝わったというのは非常に考えにくいでしょ”,と,いつも理詰めのマリーも議論に参加してきた.

”じゃあ,マリー,その起源はどこだろう”

”やっぱり中国ではないかしら”

”どうして?”

”周囲の国に対する影響力がすごく強くて,伝統的に世界中に文化を広めてきたでしょ.じゃんけんの”紙”も中国での発明よ.それに,紙が石を”包む”から,紙の勝ちという発想がとても東洋的だわ”,と,いつも理詰めのマリー.

”でも,世界中に文化を広めたという点では,イスラーム文化の方が影響が強いでしょう.数字,言語,自然科学と,範囲も広いわ”デビーも触発されて刺激的なコメントをする.

シルクロードか,イッソスか,カタラヌウムか,ツール・ポアティエか,それともタラス河畔で捕虜になった紙職人が,紙を伝えるついでに石もはさみも伝えたのか?はたまたサラディンがリチャード獅子心王に,じゃんけんでエルサレムの扱いを決めようと提案したのか.僕はますます興奮して,頭の中は20年前の代ゼミの教室みたいに若返っていた.

しかし,シルクロードを踏破することなく月日は過ぎ去り,ついにはその道のはるか上空を音速で飛び去って,もう一方の果てに住み着いてから,早や4年がたった.

学問は遅々として進まない.韓国,タイ,中国にはある.カリフォルニアで,スペイン系の子供がじゃんけんで遊んでいたという未確認情報がある.”ぐー,チョキ,パー”の,古典的なじゃんけんに限っても,世界各地に散在しているらしい.でも個人的な聞き込み調査では限界がある.ユダヤ人は?ハンガリーとフィンランドのどちらにもあるのか?インディオは?アボリジニーは?疑問は尽きない.

じゃんけんがどこで生まれて,どういうふうに広がったか,なんとしても突き止めてやる.時間はある.1994年大江健三郎がノーベル賞をとったから,次に日本人がとるまで,それから10年以上はかかるだろう.それまでに間に合えばいい.

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