事故調の出口で待ち構える人々
~三無の神器と空想医学物語~
私
には、再生医療のように多くの人が参入する分野で独創的な仕事ができると思うほどの自信はありません。それよりも、人気のない分野で、競争に負けるリスク
が低い分相対的に成功率が高い仕事を選んで業績を上げ、より好条件の職場へ移る。私はそんな目論見で矯正医官の職を選んだわけですが、思わぬところで足を
すくわれる結果となりました。
検察官による矯正医官の評価とその意義
矯正医官不足に悩む法務省への助言を盛り込んだ矯正医療の在り方に関する有識者検討会による報告書は「矯正医官へのリスペクトの形成」を謳っています。昨年矯正局の全面的な協力をいただき、総合診療医ドクターGの中で私が刑務所で診療する様子を放送したのも(*1)同様の主旨で、「矯正医官なんて勤め口にあぶれた藪医者揃い」という偏見を是正する活動の一環でした。お陰様で各方面から大変な反響をいただき、矯正局内でも高く評価されました。今国会に提出された矯正医官の待遇改善に関する法案にも、微力ながら貢献できたのではないかと密かに自負していました。
ところが、同じ法務省の職員である加藤裕、金沢和憲、荒木百合子の3人の検察官の方々から私にいただいた評価は、
私のそんな自負に対して、思い上がりにも程があるとばかりの散々なものでした。彼らは、医学常識を全く無視した数々の独自見解に基づき(後述)、北陵クリ
ニック事件に関する私の意見書を「失当である」、つまり出任せに過ぎないと片付けました。そこには矯正医官に対するリスペクトのかけらも見られませんでし
た。
こうした検察官による手厳しい評価が私のキャリアパス展望を狂わせたのです。今時国家公認の藪医者を
雇うような間抜けな病院はありません。社会的信用を失った医者のところに患者さんが来てくれるわけがありませんから、開業しようにも銀行がお金を貸してく
れません。つまり、これからの私には、矯正医官として地道に働きながら、公文書による誹謗中傷だけはどうか止めてくださいと、丁重にお願いし続ける道しか
残されていないのです。
矯
正医官に敬意を払うのではなく、逆に藪医者呼ばわりすることによってその流出を防ぐ。そんな倒錯した発想は、生意気な被疑者は(特別公務員暴行陵虐罪との
録画証拠を残さないために)机の下で向こう脛を蹴って自白させるような、検察官ならではの教育の賜物でしょう(市川 寛 『検事失格』 毎日新聞社)。
医事裁判における三無の神器とは
医療事故調査制度(事故調)の出口で待ち構えるのは、このように誠実に働いている同省内の職員さえも誹謗中傷する人々です。たとえ脈の取り方一つ知らなくても、たとえ御用学者が一人も現れなくても、ミトコンドリア病患者をベクロニウム中毒と平然と「診断」し、誤診されたまま適切な診療を受けさせずに放置できるぐらいなのですから、事故調査報告書から業務上過失致死を導き出し有罪率99.9%を実現することなど、彼らにとって朝飯前なのです。
一
方で彼らは以下のようにお茶目な面も見せてくれます。医事裁判で相手となる医師と論争して勝つためには,まず医学と無縁の論争空間を設定する。その空間の
中で、医学に対する無知、医療の基本の無視、そして患者を誤診したまま放置する無恥(医療倫理観の欠如)という「三無の神器」により、医学も科学も無視し
た意見書を作成する。これが医事裁判に臨む検察官の常道です。私が常道と呼ぶ理由は、北陵クリック事件再審請求審以外でもこの作戦が常用されるからです。
袴田事件、東電女性会社員殺人事件、飯塚事件等、数々の冤罪事件を戦っている孤高の法医学者、押田茂實(しげみ)日本大学名誉教授も、幾度となくこの三無
の神器の被害に遭っています(法医学者が見た再審無罪の真相 祥伝社)。「法医学教授の主張さえも排除できる我々にとって、ヒラ矯正医官の意見書など紙く
ずも同然」。検察官達のそんな高笑いが聞こえてくるようです。
それでも彼らがお茶目だと私が思うのは、上記の三無の神器が、私の大好きなコメディ「ジョニー・イングリッシュ」のキャッチコピー、He
knows no fear. He knows no danger. He knows nothing. を彷彿とさせるからです。実際,検察官意見書には、どんな脳病変に対しても100%の感度を発揮するX線CTを始めとする奇想天外なアイディアが満載です。執筆者の3人の検察官のうち1人でも私が誰かを知っていれば、こんな空想医学物語は決して日の目を見なかったでしょう。たとえ脈の取り方一つ知らなくても、専門医の診断を全面的に否定できる。そんな超人的な自信に満ちた神々が、三無の神器を使って創造した神話が検察官意見書なのです。
事故調を裁判につなげないために
河村俊哉(裁判長)、柴田雅司、小暮紀幸の3人の裁判官連名の北陵クリニック事件の再審請求棄却決定は検察官意見書とうり二つです。この決定を読めば、裁判官と検察官が三無の神器を仲良く共有していることがわかります。このような検察官・裁判官達が仕切る医事裁判に,真相究明能力を求めるのが、そもそもの間違いです(関連記事)。そんな裁判の構造が理解できれば、事故調査報告書を裁判に結びつけることが医療の安全性向上に役立たないばかりか、関係者の心を傷つけ、不幸な人々を新たに生み出すだけではないかとの疑念が湧いてきます。
「事
故調により医事裁判が減る」との能天気な思考停止を「事故調を裁判につなげないようにするためにはどうしたらよいか?」という建設的な問い掛けに変換す
る。事故調関係者がこの作業を一致協力して行わなければ、事故調はトンデモ医事裁判の拡大再生産装置になるだけです。そのような悲劇を回避するためには、
検察官や裁判官と並んで三無の神器を所構わず振り回す、大手メディアへの対抗策を関係者の間で共有していく必要がありますが、この点については稿を改めて
説明します。
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