市民の不幸を願う役人
−目的化した医療費削減−

喫煙した方が早く死ぬから医療費がかからないし税収も上がる。だから、みんなでたばこを吸おう

これが税金で食っている財務省の役人の立場である.そんなことは誰でも知っている.だから,そんな彼らが目の色を変えて展開する「医療費削減キャンペーン」も市民の不幸を願ってのことだ.
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医療費削減の幻想 医療経済学者・康永秀生さん 朝日新聞 2019年6月12日

「自戒をこめて言えば、研究者は仕事を政策にどう生かすか考えることが少ない」=東京都文京区、迫和義撮影
 「人生100年時代」と言われるように、超高齢化社会に突入した日本。病気を予防して「健康寿命」を延ばせば、長生きしても医療費は減らせそうだと考える人は多い。政府もそういう期待を振りまいてきた。でも、それは間違いだという。いったいどうして? 医療経済学を専門とする東京大学大学院の康永秀生教授に聞いた。

 ――病気を予防しても、医療費は減らせないのですか?

 「大前提として、予防医療は絶対に推進すべきです。健康というかけがえのない価値を得られるのですから。しかし、それによって医療費を減らすことはできません。長期的には、むしろ増える可能性が高いといえます

 ――なぜでしょうか。

 「長生きすると、誰しもいずれは病気にかかります。その結果、生涯にかかる医療費は減りません。つまり予防医療は、医療費がかかるタイミングを先送りしているだけで、医療費を減らす効果はないのです。たとえば禁煙対策により肺がんになる人が減れば、短期的な医療費は減ります。でも寿命も長くなるので、一生にかかる医療費の総額はむしろ増えます。メタボ健診、がん検診なども同じことがいえます。これは専門家の間ではほぼ共通認識です」

 ――「ほぼ共通認識」ということは、反対する専門家も?

 「たとえば、日本のある地域に住む住民の健康状態を長期間にわたり追跡し、歩行などの運動をした人の方が、しなかった人よりも長生きして生涯の医療費も低かったという論文があります。大変、貴重なデータですが、学問の世界では、世界中の論文を総合的に評価して『予防には医療費を下げる効果はない』という結論が出ています。一つの論文だけで、その結論を覆すことはできません」

 ――なんだか「予防しないで早死にした方が、医療費は減る」と言っているようにも聞こえます。

 「喫煙した方が早く死ぬから医療費がかからない。だから、医療費を減らすためにみんなでたばこを吸おう――というのは、まったく本末転倒な議論です。予防医療は健康寿命を延ばすためのもので、医療費を削減するためにやるものではありません。健康という価値を得るための『投資』であり、お金がかかるのです。もちろん、投資に対してより効率のよいやり方を選ばないといけません」

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 ――効果があり、医療費も削減できる予防はないのですか。

 「そういう予防医療はごくわずかです。子どもへのワクチン接種やHIV(エイズ)感染予防のコンドーム使用は、病気にかからずに済むので、医療費を削減する効果があるとされます。でもほとんどの予防医療は、効果があるものの、医療費も増えます」

 ――ワクチンで救われた子どもたちも、長生きすれば医療費はかかりますよね。

 「医療費という観点だけ見れば、何もしないのが一番お金がかかりません。でも、子どもが大人になり、天寿を全うするまでの間に働いたり、余暇を楽しんだりする効果と、ワクチン接種のコストをはかりにかければ、当然、効果の方が大きく上回ります」

 ――医療費が減らせる予防にだけ取り組むのはどうでしょう。

 「コストを削減できれば善、それ以外は悪という向きがありますが、かけがえのない健康を勝ち取るためにも投資は必要です。ただ、本当に効果があるのかどうかをみなければいけません。たとえばメタボ健診。費用対効果の有無を議論する前に、健康を改善する効果があるという前提を満たしているのかさえ、怪しい部分があります」

 ――そうなのですか。

 「健診自体の効果がどの程度あるのか、科学的根拠はまだ十分ではありません。男性85センチ、女性90センチという腹囲の基準にも論争があります。厚生労働省は2006年、メタボ健診によって25年に約2兆円の医療費を削減するという目標を掲げました。この推計値にも科学的根拠は全くありません。元官僚が著書で、何らかの指標が必要という小泉元首相の言葉を受けて仕方なく『えいやっ』と設定しただけの代物と証言しています」

 ――政府はたびたび、医療費削減の手段として、予防医療の推進をスローガンに掲げてきました。

 「予防医療の推進自体はよいと思います。しかし、たとえば経済産業省が次世代ヘルスケア産業協議会の作業部会で出したグラフ。若い頃の予防により、高齢期の医療費を大幅に削減できるイメージですが、根拠がありません」

 ――財務省が昨年、康永さんが書いたコラムを引用して「予防医療による医療費削減効果には限界があり、むしろ増大させる可能性がある」という資料を作成し、日本医師会長が猛反発しました。

 「財務省の資料には、肝心の『予防医療は絶対に推進すべきだ』という点が抜けていたので、そこに立腹されたのだと思います。財務省も予防医療を否定してはいないでしょうが、ニュアンスの違う形で引用されており、恣意(しい)的といえば恣意的です。コミュニケーションに問題があったと思います。予防医療の現場で尽力している方々の仕事は貴く、水を差すことがあってはなりません」

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 ――そもそも、医療費はどうして増えるのでしょうか?

 「最も大きい要因は医療技術の進歩です。医学の進歩の初期は、感染症に対する抗生物質など少ないコストで大きな効果を得られました。しかし現代のように生活習慣病が中心になると、劇的に病気が治ってしまうことはなくなりました。とくにがん医療がそうで、新しい薬や技術のコストは非常に高いのに、完治は難しい。医療技術の進歩は不可避で、政治判断でコントロールできません」

 ――医療費の増加を国の財政は支え切れますか。

 「医療費を自分が健康になるための投資であると考えれば、自分のお財布からいくらまで出せるでしょうか? いま、日本のGDP(国内総生産)あたりの医療費は約11%。国民の財布から11%の医療費が出ていることになり、現状、それが受け入れられています。米国は17%超です。個人的な印象ですが、2割近くになると耐えられなくなるかもしれません」

 ――限界が来る前にすべきことは何でしょう。

 「公的な医療費を、経済成長率の範囲内に抑制するという議論がありました。でもムダな部分を削減せずに、全体を一律に強制カットするというやり方は乱暴です。医療費を払うなら、質の良い、効果の高い医療を受けたいですよね。効果のないムダな医療には、一銭も支払う必要はないですが、どこにムダがあるかは医療者にしかわかりません。大事なところは投資をするが、ムダはやめますと、医療者自身がアピールすることが必要でしょう」

 ――どんなムダがありますか。

 「たとえば、認知症の薬は85歳以上の人にはほぼ効果がないという科学的根拠があります。ところが全国のレセプト(診療報酬明細書)データをみると、85歳以上の人にもたくさん処方されています。おそらく、惰性で続いているのでしょう。フランスは昨年、認知症薬を公的保険の対象から外しました。効果はわずかなのに、コストは膨大だという理由からで、大英断だったと思います。個々の医療サービスが現実にどう使われ、どんな効果を上げているのか。ビッグデータを活用して検証し、費用対効果の優れないものはなるべく使わない。そうした線引きの議論をすべきです」

 ――言うは易しですが……。

 「医療には、アクセス、質、費用という三つの要素があり、同時に三つを改善することはできません。費用を抑えて、質を犠牲にしないとすれば、アクセスを制限するしかありません。ただ、医療の根幹は患者に安心を与えることで、それに逆行するようなことは現実的ではないでしょう。大病院を受診する際、かかりつけ医の紹介状がないと特別の料金がかかるなど、アクセスを制限する方策が段階的に入ってきています。一歩ずつ進め、一つずつ対立を乗り越えていくしかないでしょう」

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 ――AI(人工知能)などの技術革新が進めば、医療費は劇的に減らせませんか。

 「AIが医師の代わりになれたら費用を削減できますが、患者の不安をくみ取り、サポートするという医師の本来的な役割は担えません。というか、AIが代替できるような医師なら要らないですよね。診療の支援により効率化が進み、生産性を上げられるかもしれませんが、医療費の削減はできないと思います」

 ――「人生100年時代」は色々としんどそうですね。

 「どこまで公的医療を死守すべきなのか、という難しい議論をしなくてはいけません。『長生きは本当に幸せか』という問いも、自ら考える必要があると思います。いずれにせよ超高齢化社会で一番大切なのは、高齢者が自立できず他人に頼らざるを得なくなっても、その人と共に生き、尊厳を守ることだと思います」(聞き手 編集委員・浜田陽太郎)

 *やすながひでお 1969年生まれ。専門は臨床疫学・医療経済学。医学部を卒業後、外科医として6年間勤務した経験も。著書に「健康の経済学」など。
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