パイの分け方

私が生まれたのが1956年.国民皆保険制度の達成が1961年.私は死ぬ前に,自分より後に生まれた国民皆保険制度の死を見届けなくてはならないのでしょうか.最近そんなことばかり考えている人間の独り言です.

英国の国民健康保険National Health ServiceNHSにおいて,保険適用を決める審議会(National Institute for Clinical ExcellenceNICE)は,多発性硬化症に対する治療薬として,インターフェロンβと酢酸グラチラマーの保険適用を認めませんでした.

UK regulator rejects MS drug. Lancet 2002;359:416.

これら薬剤の効果のエビデンスは明らかで,米国でも欧州の他の国々でも,多発性硬化症に対する治療薬として(保険適用は別として)認められています.日本でもインターフェロンβはすでに保険適用,酢酸グラチラマーは治験中です.

なのに,どうしてNICEが保険適用を認めないのかというと,逼迫するNHSの財政を考えたからでしょう.インターフェロンβも酢酸グラチラマーも,エビデンスがあるとはいえ,その効果は,再発率を2−3割低下させるに過ぎない.その程度の効果の割には値段がひどく高い.さらに,英国では,多発性硬化症は,400人に一人が,一生に一度は罹るという,非常に頻度の高い疾患で,こんな病気に高い薬をどんどん使われたのではNHSの財政が持たないと考えたのでしょう.保険適用を巡ってNICEの判断が批判されているのは,こればかりではありません.

Is the NICE process flawed? Lancet 2002;359:2119-20

翻って日本でも医療に費やせるお金がどんどん少なくなっていく中で,その少なくなっていくパイの分け前である保険適用を決める過程の公平性,透明性はどうやって確保されているのでしょうか?私は全く知りません.臨床医であり,厚労省職員である私の不勉強なのでしょうか?

おっかさんに朝鮮人参を買ってあげるために娘が身売りをする話は,時代劇の中だけにまだ留まっていますが,滋養強壮の意味で,米の籾殻に埋めて大切に保護された卵が,病人へのお見舞いの品だったのはそれ程昔ではありません.私の幼い日の記憶に残っています.結核の治療薬としてのストレプトマイシンの保険適用を巡って侃侃諤諤の議論が戦わされたのも同じ頃です.日本が再びそんな貧しい時代に向かっています.

現代でも,骨髄移植に必要な骨髄液に保険の適用がないのは,医療費抑制のためだと思いますがいかがでしょうか.一方で,各施設での手術例数や高度先進医療の適用など,制限がありながらも臓器移植に保険が適用されるのは,絶対数が少ないので,保険財政を脅かしにくいからと役人が読んだからでしょうか?それとも,血液内科医にくらべて移植外科医のロビー活動がうまかったからでしょうか?

医者よりも仕事熱心な人々にとって保険適用の有無は,さらに死活問題です.既得権勢力である薬品会社,医療機器会社は保険適用のパイを必死に守ろうとするでしょう.それに対し,再生医療・遺伝子治療・生殖医療の後発分野から,ベンチャー企業が保険適用に割り込む余地があるのかどうか.それとも彼らは,“健康食品”と同じく,自由市場で命と金の取引をするのでしょうか?

普通の公共事業のリストラ対象は,道路や建物ですが,医療サービスという名の公共事業のパイを決めることは,これすなわち,人の命に鉈を振るうことです.このパイを切り取り自由,早い者勝ち,強い者勝ちとするのが,小泉某・宮内某・飯田某の推進する医療改革,医療サービスへの市場原理の導入であります.

金と命をてんびんにかける仕事は誰かがやらなくてはなりません.しかし,そんな大事なことを,どこの誰がどうやって決めているのか? 決める前に誰の意見を参考にしているのか? 一旦決まった後でも不服を受け付けるシステムがあるのか? みなさんご存知ですか?

役人の方ものんびりしたものです.薬剤や医療材料の有害事象で訴えられることを心配する前に,保険適用にならなかったから命を奪われたという訴訟が起こることは全く心配していないのでしょうか?中央薬事審議会に責任を被せられるのなら,血友病HIVでも脳硬膜CJDでも,厚労省は無事だったでしょうに.

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