ディオバン「事件」の誇大広告って?~その1~
(日経メディカルオンライン 2016/2/11 掲載)
2012年某月某日、熱帯病治療薬・ワクチンの開発に携わる某大学医学部教授室にて。
秘書「先生、ノバルティスの方が『先日お留守の時にお届けした学術論文について、ぜひご紹介したいことがある』と見えているんですが、いつものようにお断りしましょうか?」
教授「いや、通していいよ」
秘書「えっ、いいんですか!?もうすぐ講義の時間ですけど……」
教授「なあに、そんなに時間はかからんさ。それに学生だけじゃなく、製薬企業の営業社員の教育も、時には必要だろうから」
秘書「(またまたかっこつけちゃって。大丈夫かしら……)承知しました」
営業社員が教授室に入って来る。
営業社員「先生、ディオバンに『降圧を超えた効果』が証明されました!」
教授「ああ、あれね。あんな論文が出てたなんて、全然知らなかったよ」
営業社員「読んで頂けたんですね!!」
教授「(あんなもん、読むわけねえだろ)表紙見ただけだけどね」
営業社員「いやあ、お忙しいでしょうから表紙を見ていただければ十分です。Kyoto Heart Studyからまたもや素晴らしい結果が……」
教授「『素晴らしい』ってのは、どうかな。表紙を見ただけでゴミだと分かるからね」
営業社員「そんな……」
教授「こ
の『Clinical and Experimental
Hypertension』って雑誌ね。生まれて初めて聞く名前なんだよ。PubMedには載ってるけど、Impact
Factorはずーっと1点台ね。まあ、Kyoto
Heartの後付け解析の焼き直しじゃあ、そんなところがせいぜいだったんだろうよ。いずれにせよ、これ、ゴミね。でも、ここで捨てるとエコじゃないか
ら、持って帰ってまとめて資源ゴミにしてね」
営業社員「はは、先生の見識には恐れ入りました。では、もう一方はいかがでしょうか?」
教授「こっ
ちも同じ。『American Journal of
Cardiology』は確かにある程度名の通った雑誌で、僕も以前総説を2、3読んだ記憶はあるよ。でも、雑誌の格やImpact
Factor以前に、論文そのものの質が問題だよ。これもKyoto Heartの後付け解析の焼き直しだろ。やっぱりゴミなんだよ」
営業社員「僭越な言い方かもしれませんが、先生にはなぜ、Kyoto Heart Studyを評価して頂けないのでしょうか」
教授「(十分僭越だよ)だってKyoto Heartって、臨床試験じゃないよね。悪評紛々たるJikei Heartの弟分、GCPがかからない『大規模使用経験』に過ぎないだろ。ロサルタンのRENAAL試験みたいにGCP準拠でまともな試験をやっていれば、その効能効果で承認申請しているはずじゃないか!」
営業社員「れなうんしけん??ですか?」
教授「(こ
いつ、嫌がらせに来たのか)れ・な・あ・る!まあ、他の薬の試験なんてどうでもいいや。いいかい、Jikei
Heartがランセットに出てから5年、Kyoto
Heartが出てから3年も経つのに、バルサルタンは未だに効能追加の承認申請さえもしてないんだろ?『イカサマ試験でした』って、自白しているのも同然
なんだよ」
営業社員「お言葉ですが、ランセットに載ったものをイカサマ試験とはいくら何でも……」
教授「(ふん、お決まりのトップジャーナル真理教かい)イカサマだって言っているのは、僕だけじゃないさ。Jikei HeartだってKyoto Heartだって、イカサマだってことは論文発表直後から桑島巌先生がWebで明言しているんだ。僕みたいな診療に関わっていない人間だって、とっくの昔にお見通しなんだよ。だからこんなもんが広告だなんて、臍が茶を沸かす!」
営業社員「お言葉ですが、これは広告ではなくてれっきとした学術論文です。その証拠に別刷一部につき数十ドル以上の料金がかかっています。表紙だけでなく、中身までお読みいただければ……」
教授「(もうこんな奴に遠慮することはない)確かに広告ではない。でも広告ではない理由は金がかかっているからじゃない。中身がゴミだから、広告の意味がないということだ。ランセットだろうとNew England Journal of Medicineだろうと、イカサマはイカサマだ。今やトップジャーナルそのものに日本の新聞同様の紙資源ゴミとしての価値しかないんだ。だからこいつも広告でも論文でもない。ただの紙クズだってさっきから言ってるだろ。僕は忙しいんだ。さっさとこのゴミを回収して帰ってくれ!」
***
秘書「お帰りになりました。『論文は広告じゃない。ましてや世界に誇る業績を紙クズだなんて、ひどい……』っておっしゃって、随分と憤慨した御様子でした。あれが先生の『教育』ですか?」
教授「いや……。でもあんまり頑固なもんだから……」
秘書「(どっちが頑固なのよ)先生は自分に反論する人間に全部『頑固』のラベルを貼るんですね」
教授「いや……。議論の時はだね……。柔軟性が……」
秘書「もう講義開始の時間もとっくに過ぎています.先生の話が分からない学生さんには,どうか『頑固』のラベルを貼らないでくださいね!」
2015年12月に公判が始まったバルサルタン問題の裁判で、たった一人の被告人、つまり単独犯と断定された白橋伸雄氏は、かつてノバルティス社に所属し
ていた生物統計家です。医師は誰一人として起訴されませんでした。その白橋氏が問われている罪は、医薬品医療機器等法(旧薬事法)66条違反の誇大広告で
す。その証拠とされているのは、ノバルティス社の宣伝チラシではなく、れっきとした2報の医学論文でした。Clin Exp Hypertens. 2012;34(2):153-9、Am J Cardiol. 2012;109(9):1308-14、いずれもKyoto Heart Studyの事後サブ解析論文です。
気になる別刷の値段ですが、該当するウェブサイトによればClinical and Experimental
Hypertensionの論文は54ドル、American Journal of
Cardiologyの論文は31.5ドルです。合計で1万円近く(上記のやりとりが行われた2012年のレートを1ドル80円とすると当時で6800
円)払わないと読めない論文が、件の大学教授の言う通りただの紙クズなのか、それとも東京地検の検察官の主張通り日本中の医師の処方行動を劇的に変えてし
まった霊験あらたかな「誇大広告」なのか?その「真相」がどのように究明されるのか、今後の公判から目が離せません。
→目次へ戻る