コラム: 池田正行の「氾濫する思考停止のワナ」

マスメディアは一体誰の味方なのか?

2015/12/17  池田 正行

 20151022日に放送されたクローズアップ現代「なぜ医療事故は繰り返されるのか~再発防止への模索~」は、「報告する死亡事故の判断基準が曖昧な上、その判断が医療機関に委ねられていることから実効性に疑問の声も上がっている」として、医療事故調査制度(事故調)を批判しました。しかし事故調はまだ発足したばかりで、評価に足るアウトカムもまだ出ていません。そんな時期にあえて事故調を批判する背景には、一体何があるのでしょうか?

 事故調があれば、北陵クリニック事件、杏林大割り箸事件、東京女子医大事件、福島県立大野病院事件は、全て「事件」とはなりませんでした。刑事訴追が事故原因を隠蔽した高濃度カリウム製剤誤投与事故ウログラフィン誤使用事故でも、事故調が正常に機能していれば、事故原因が解明されその後の事故防止に多大な貢献をしたに違いありません。事故原因の隠蔽と再発する事故によって成り立ってきた医療事故報道と事故調とを比べて、どちらが市民に貢献するかは自明なはずです。

 失敗は次の失敗リスクを低減するための貴重な糧です。失敗から学ぶのは世間の一般常識です(関連記事)。失敗の連続である医療事故報道は、学びの宝庫のはずです。だとすれば、クローズアップ現代が最も優先すべきは、発足からまだ3週間しか経たず、成功も失敗も見い出せない事故調を批判することよりも、北陵クリニック事件で世論形成に重大な影響を与えたような、自らの報道の失敗を振り返ることだったはずです。そうしなかったのは、自分たちの使命は何か?自分たちは一体誰の味方なのかという根本的な問いかけを忘れている何よりの証拠でしょう。

報道に見る利益相反の例
 マスメディアは商業的利益を追求する立派な企業である。これはメディアリテラシー教育における大切な基本概念の一つです(関連記事)。ところが、日本ではメディアリテラシー教育そのものが行われていないので、マスメディアが企業であると明確に認識している人はまだまだ少数派に属します。裏を返せば、自分たちが奉仕すべき相手を忘れたマスメディアの利益相反のエビデンス、事例検討のための教材が日本の報道には豊富に存在することになります。

 <与党>たばこ増税検討 軽減税率の財源 (毎日新聞 20151024日)
 自民、公明両党は23日、生活必需品の消費税率を低く抑える軽減税率を導入する財源として、たばこ税を増税する案の検討に入った。(中略)ただ、 20174月の消費増税と同時にたばこ増税に踏み切れば「喫煙者に二重の負担を強いる」(自民党幹部)との反発の声もあり、実現するかどうかは不透明だ。(後略)

 新聞各社は日本たばこ産業(JT)に対して伝統的に利益相反を抱えてきました。「今日も元気だタバコがうまい」という、今では想像を絶する衝撃的なキャッチコピーを掲げた広告が紙面を飾ったのは1957年です。たばこ事業そのものの露骨な新聞広告はなくなりましたが、「マナーキャンペーン」という名の、世界でも類を見ないタバコの「ステルスマーケティング」は、今なお新聞紙上を飾っています。

 上記の記事は、2013年にノバルティス社を徹底的に叩くキャンペーンを展開した新聞各社にとって、JTがどういう位置付けにあるかをよく表しています。たばこ増税が禁煙に対する最強の動機付けになる周知の事実を踏まえた上でこの記事を読むと、新聞各社の報道姿勢が、バルサルタンとたばこのどちらが市民の健康に貢献するかという科学的判断に基づくのではなく、ノバルティス社とJTのどちらが大切なスポンサーかという経済的判断に基づくことがよく分かります。

 本来マスメディアは市民の味方のはずでした。しかし、事故原因を究明するどころか逆に隠蔽して事故再生産構造を温存する医療事故報道や、製薬会社を叩く一方で禁煙の動機付けに反対する姿勢は、市民を守るという本来の使命を忘れて、利益相反にまみれた過ちを繰り返してきたマスメディアの姿を浮き彫りにしています。

危機感欠如?
 我々医療者の多くは、警察・検察が正義の味方であり、裁判が事故原因を究明し事故防止に役立つかのような誤謬(ごびゅう)に満ちた報道から、患者・家族、市民、そして我々自身を守るために、事故調運営に協力していこうと考えています。

 医療者だけではありません。長年にわたり続いていた医療事故報道の誤りに気づいた市民は、サイレントクレーマーとなって、空洞化したマスメディアからの距離を拡大しています。彼らが声を上げないのには立派な理由があります。市民に奉仕するという本来の使命を忘れたジャーナリストたちに大声で抗議するのは、時間の無駄としか思えないからです。それでもテレビの場合には、視聴率によってサイレントクレーマーの実力行使を感度良く検出することができます。

 一方、新聞の場合には、世界に類を見ない個別配達制度が、各紙に対するサイレントクレーマーのサボタージュ行動を隠蔽してしまいます。各戸に毎日届けられる新聞のどのページがどれだけ読まれているかを的確に把握できる指標は存在しません。しかし、新聞広告の媒体価値が発行部数の減少をはるかに凌ぐ速度で低下していることに敏感な広告主からの圧力で、広告単価も落ちています(関連記事)。そんな切羽詰まった状況にもかかわらず、警察・検察の宣伝ビラを「知識」と称し、能天気に軽減税率の利権漁りにうつつを抜かしている新聞社の姿は、テレビ局の記者からも嘲笑の的となっています。

 事故調さえ骨抜きにすれば従来型の医療事故報道が継続可能だと、いまだに彼らは思っているのかもしれません。しかしそれは滑稽な勘違いです。マスメディア崩壊の原因は、外因によるのではなく、内在するからです。脈の取り方一つ知らず、最も重要な一次資料である診療録も読めない人々が、業過罪立証は医療事故原因を究明するなどと嘘八百を並べて、裁判官を、市民を、だまし続ける。そんな報道がこれからも市民に受け入れられるとでも思っているのでしょうか?自分たちが闊歩している豪勢な社屋が、今やタイタニック号と化していることにも気づかずに。

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