2015年10月の制度施行を控えて、医療事故調査制度(いわゆる事故調)の施行に係る検討会が最終回で物別れに 終わりました。それを受けた大手メディアは「事故調に反対して “真相究明”を妨害するようなけしからん医者どもは正義の裁きを受けよ」式の論調で、事故調の医師委員を悪党一味に、医事裁判を「お白州」に見立てて国民 感情をあおっています。事故調査報告書が導く出口である医事裁判で冤罪(えんざい)に陥れられてはたまったものではない、そう考える医師たちが、冤罪リス クを少しでも下げようとする気持ちは理解できますが、2014年12月の本コラムで解説した通り、事故調査報告書の証拠保全を阻止する手段はありませんから、現行のトンデモ医事裁判による冤罪リスクは回避不可能です。

野放しにされる医事裁判の冤罪リスク
  裁判全般の真相究明能力と冤罪リスクについては、すでに「裁判は真実発見の場ではない」「刑事裁判はすべて冤罪である」と元裁判官が認めています(森 炎『教養としての冤罪論』岩波書店)。さらに元最高裁判事の瀬木比呂志氏は、日本の裁判は本当に中世並みだと評しています(『ニッポンの裁判』講談社)。そして脈の取り方一つ知らない検察官・裁判官が仕切る医事裁判は、他の裁判よりもはるかに冤罪リスクが高くなることは、本コラムでも再三指摘してきました。

 そんな医事裁判の冤罪性を象徴する北陵クリニック事件に対し、2014年3月25日、何らの予告もなく、仙台地裁の河村俊哉(裁判長)、柴田雅司、小暮紀幸の3人の裁判官らは、再審請求棄却を決定しました。予てから決定期日を1週間から10日前に事前に連絡すると約束していたにもかかわらず、嘘をついて騙し討ちに及んだのです。検察官・裁判官の倫理教育の必要性を痛感させるエピソードです。

大手メディアが15年間完全黙秘を続ける中、裁判所自らが「北陵クリニック事件を忘れるな!」と檄を飛ばしたのです。弁護団はそれに応えて即時抗告を行いました。再審請求棄却決定で、上記3人の裁判官らは、先に裁判所に対して提出された仙台地検の加藤裕、金沢和憲、荒木百合子の3人の検察官の連名になる意見書と全く同様に、ミトコンドリア病であるとの私の診断を「こじつけ、非科学的」として全面的に否定しました。この棄却決定に対する私の反論はすでに抗告審の場である仙台高裁に提出済みです。なお、上記の検察意見書、再審請求棄却決定が裁判官、検察官名も含めて全て公開されているのは、いずれも公文書であり、裁判官も検察官も、すべて市民の払う税金で養われ、市民に奉仕する義務のある公務員として自らの業務に透明性と説明責任を求められるからです。

「無法地帯」と化した再審請求審
  北陵クリニック事件に関する一連の裁判での検察官・裁判官の異様な行動の数々は、医事裁判全般における科学・医学の欠如ばかりでなく、彼らの良識さえも疑 わせるものでした。一番有名なのは当時の大阪府警科捜研土橋均吏員(現大阪医科大学法医学)による犯罪捜査規範第186条違反、鑑定資料の全量消費です。 この違反によって土橋氏は、弁護側による再鑑定の請求阻止という大手柄をたてました。ところが再審請求審では、それを上回る大事件が起きました。検察官た ちが自分たちは土橋氏にだまされていたと主張したのです。実は「廃棄予定の僅かな資料」が冷凍庫に残っていたことをめでたく見付け出したので、弁護側には もちろん、裁判所にも一切連絡せずに黙って勝手に分析したところ、ベクロニウムが検出された、だから守大助は真犯人だと正々堂々と再審請求審で主張したの です。

 裁判官たちも負けてはいませんでした。河村裁判長は、決定日は事前(1週間ないし10日)に通知すると弁護団に約束していまし た。これは決して特別の配慮ではありません。裁判所の決定に不服がある場合には決定後3日以内に抗告する必要がありますが、3日間はあまりにも短いからで す。しかし実際には何の通告もなく、河村裁判長はいきなり棄却決定を出しました(小関眞, 阿部泰雄 季刊刑事弁護 2014;79:97-101)。日本国憲法によれば裁判官は良心に基づいて裁判を行うことになっています。良心があれば嘘はつけませんから、河村裁判長 は嘘をついたのではなく、大切な約束をすっかり忘れる重大な記銘力障害を患っていたことになります。

 河村裁判長からは私にも大いなるご 配慮がありました。仙台にいつでも出かける用意があった私に対し、一度もお呼びがからなかったのです。私の診断に反論する御用学者は一人も現れなかった上 に、脈の取り方一つ知らない裁判官でも理解できるようにと、私の意見書も非常に分かりやすく書かれていたので、私の話を聞く必要がないと判断したのかもし れません。しかし河村裁判長を含む3人の裁判官は、棄却決定の中で私のミトコンドリア病との診断を全面的に否定し、ベクロニウム中毒との診断は完全無欠で あるとして、医事裁判には科学も医学も良識もないことを実証したのです。

 さらにこの棄却決定は、国家権力による患者の人権侵害という極 めて重大な問題も黙殺しました。急性脳症で発症したミトコンドリア病がベクロニウム中毒と誤診され、以後今日まで15年間にわたって誤診のラベルを貼られ たまま病の床にある患者さんから、難病申請して適切な治療を受ける機会がまたもや奪われたのです。医事裁判の犠牲者は被告人だけではない。それがこの棄却 決定が明らかにした唯一の「真実」です。

医学なき医事裁判の冤罪性
 「市川君ね、僕が特捜部にいたころなんかはね、生意気な被疑者がいると、机の下からこうやって被疑者の向こうずねを蹴るんだよ。特別公務員暴行凌虐罪をやるんだよ」。部長は自ら机の下の隙間から足を突き出しながらこう言った(市川 寛『検事失格』毎日新聞社)。

 こんな特高(特別高等警察)気取りの“武勇伝”が、21世紀に白昼堂々とまかり通るぐらいですから、検察にとっても裁判所にとっても、北陵クリニック事件裁判の無法地帯化は至極当然の成り行きだったわけです。

  今回の棄却決定は、医事裁判が決して真相究明の場ではないどころか、その極めて高い冤罪性が誠実な医療者に対する重大な脅威であることを改めて示してくれ ました。「我々は裁判所や大手メディアと一致協力して、引き続き業務上過失により、時には北陵クリニック事件の経験を生かして殺人被疑により、我々に抵抗 する生意気な医療者達を徹底的に統制する」。今回の棄却決定は、そんな検察による不退転の決意を満天下に示したものです。そして大手メディアは北陵クリ ニック事件に対して完全黙秘を貫きながら、あらゆる医療事故の原因が全て特定の個人のヒューマンエラーに帰せられるかのような空想によって国民感情をあお り、事故調を冤罪に結びつけようとしています。

 真相究明能力の欠如した現行の医事裁判の冤罪性は、有効性が消失し致命的な副作用だけを 持った薬、つまり毒薬と同様です。ならば事故調は、そんな毒薬を誰が飲まされるのかを決めるロシアンルーレット。事故調検討会が物別れに終わったのは、良 識を持った委員たちがそれを分かっているからかもしれません。