前回のコラムでは1)北陵クリニック事件に おける宮城県警のでたらめな捜査を例に取り、警察官たちには医療事故の真相究明能力がないことを説明しました。彼らの大失態が15年経った今日まで何ら批 判されることなく見逃され、誰も何の責任も取っていないのは、なぜなのでしょうか?理由は簡単です。本来、警察・検察に対して厳しい審査員であるべき法医 学者たちに医療事故捜査のチェック能力がないからです.それどころか、トンデモ捜査に迎合するトンデモ法医鑑定が冤罪(えんざい)を生み出してしまうので す2)

法医学者たちの不思議なガイドライン
 日本法医学会は、診療関連死を警察に届けることを義務付けるかのような不思議なガイドライン3)を、学会ホームページに堂々と掲げています。私が不思議だと思う第一の理由は、法医学者たちの神様気取りです。臨床医に向かって「お前らみたいなやぶ医者は、俺たち全能の神が裁いてやる」と宣言するガイドラインは、同様に神様気取りで私をやぶ医者呼ばわりする検察官たち5)の自己無謬(むびゅう)妄想が“感染症”であることを示しています。

 第二の理由は、そもそも彼らの本来業務である異状死の解剖率が、行政解剖と合わせてもたかだが1割、法医解剖に限れば5%に過ぎないという点です6)。解剖できていない9割の異状死に対する責任の取り方も示さずに、診療関連死も自分たちが裁いてやる4)というのです。売り上げの10倍20倍の在庫を抱える餅屋が、その在庫を抱えたまま「魚屋もやる!もちろん餅屋も止めない!」というのですから、このガイドラインは落語そのものです。落語が現実化すれば事故が起こります.

トンデモ鑑定が冤罪の引き金に
 心臓血管外科医の西田博氏は、ある誤診のおかげで、20回も警察・検察から取り調べを受けました2)。インターン(1968年まで存在した卒後1年間の初期研修制度)しか臨床経験のない法医学教授が、西田氏を含めた臨床医による肺炎との診断を、法医鑑定により尿毒症性肺水腫とひっくり返したのです。

 臨床医が肺炎を尿毒症と誤診すれば、たちまちのうちにお縄を頂戴します。しかし法医学者が本来業務の解剖・鑑定で同じ誤診をしても、決して「業務上過失」に問われることはありません。それどころか、その誤診が、警察・検察にとって無謀極まりない銃剣突撃捜査1)2)の「軍旗」となってしまう。北陵クリニック事件と全く同じ構図です。法医学教授の鑑定により業務上過失致死容疑がミスリードされるぐらいですから、一科捜研職員による鑑定7)が1件の殺人・4件の殺人未遂を創作しても何の不思議もありません。3人もの専門家の意見書や弁護士への支払いなど、500万円もの費用を自腹から支払って、辛うじて懲役刑と医師免許剥奪を免れた西田氏の場合は、まだ運が良かったのです。

診療を知らずして診療関連死の真相究明はできず
  法医学会のガイドラインが出てから今日までの20年間はもちろん、それ以前からも臨床は日々進歩してきました。チーム医療の中で複数のシステムエラーと ヒューマンエラーが組み合わさって生じる医療事故の原因解明は、ITや医療技術の進歩により一層複雑化するばかり。当該分野の専門医が複数集まっても困難 を極めます。こういった今日の診療実態を知らずして診療関連死の真相究明はできません。では、法医学者が診療を学ぶ機会はあるのか?残念ながら全くありま せん。

 日本法医学会の認定医制度8)における研修機関は、全て大学法医学教室となっており、法医学者が一般病院 や大学の臨床教室で研修する仕組みは一切ありません。謙虚に臨床医に教えを請うことなど論外の神様気取り。肺炎を尿毒症と誤診しても一切お咎めなし。その 誤診のきっかけとなったガイドラインも20年間放置されたまま。通知一枚出しただけで「現場を知らない」と非難されるだけでなく、業務上過失致死に問われ るリスクまで抱える厚生労働省の医系技官に比べて、法医学者とはなんとお気楽な商売なのでしょうか。診療関連死まで「俺たちにやらせろ」なんぞと大層な余 裕が生まれるのも納得がいきます。

 サッカーのルールブックを読んだだけではサッカーの審判員にはなれません。たとえプロの一流プレー ヤーでも、引退してすぐに公式審判員になれるわけではありません。ましてや臨床のルールは、サッカーのルールよりもはるかに複雑で、しかも医学の進歩を反 映して日々変わっていく。その臨床のルールを知らない人間が、臨床医に対して無謬の審判員を気取って行動すれば、大事故が起こるのは当たり前です。

法医学者達の責任
  脈の取り方も知らずに医師を恫喝する警察官、国の認定基準に基づきミトコンドリア病の診断をした神経内科医をやぶ医者呼ばわりする検察官、X線CTに病変 がなければ全ての急性脳症が完全に除外できると主張する裁判官……。医事裁判の品質を中世の魔女裁判レベルに留めているこういった輩を野放しにしてきたの は我々医師の責任です。しかし、全ての医師が等しく責任を負うわけではありません。

 法医学者たちの本来の仕事は、全能の神を気取り、脈 の取り方一つ知らない警察官・検察官達に迎合するガイドラインで臨床医を恫喝することではありません。彼らが警察官や検察官に対して科学捜査の基本を教 え、その活動を監視さえしていれば,逮捕後9日も経ってから診療録を証拠保全したりするようなでたらめ捜査や1)、世界中の誰一人として追試もできず再現性もない杜撰な鑑定7)、そしてそんな捜査や鑑定による冤罪は、決して生まれなかったのです。

【参考資料】
1)トンデモ医事裁判を支える人々〜その2〜警察に真相は究明できない
2)納得いかない鑑定でぬれぎぬ「事故調」は絶対創設すべき
3)日本法医学会 異状死ガイドライン
4)石原憲治,武市尚子,岩瀬博太郎. なぜ警察取扱死体数が減ったのか 日本医事新報 No. 4697:14-17, 2014.
5)“天下のやぶ”と呼ばれて
6)京都府医師会. 医療現場における死因究明制度のあるべき姿
7)科学なき科学捜査
8)日本法医学会認定医制度規定