コラム: 池田正行の「氾濫する思考停止のワナ」


トンデモ医事裁判を支える人々〜その1〜

2014/6/13

 車を運転する人が保険に入るのは、好むと好まざるとに関わらず、交通事故に巻き込まれることを心配しているからです。東日本大震災以来、地震、原発、津波の心配をする人も増えました。では、医事裁判についてはどうでしょうか?

科学も医療を知らずに医師を裁く人々
  今国会に関連法案が提出された医療事故調査制度では、制度設計に関わった厚生労働省の医系技官に対して、大いに不満を持っている読者もいるでしょう。「医 師免許を持っていても、現場を知らない役人どもが何を言うか」というわけです。しかし、そんな読者も、医療事故調の出口である医事裁判が、医師免許はおろ か、解剖学一つ学んだことのない人々によって支配されている事実を明確に意識しているでしょうか?

 警察官も検察官も裁判官も、解剖学を 学んだこともなければ、家庭医学書を通読したこともありません(35万人に及ぶ日経メディカルオンライン読者の中で、彼らに系統的に科学や医療を教えた経 験のある人がいたら、ぜひ私に教えてください)。その彼らが、100年以上前にできた刑法を使って、医師を業務上過失で逮捕し、取り調べ、送検し、起訴 し、有罪とならないまでも、キャリアに取り返しのつかないダメージを与える1)。それが現代の医事裁判です。言われてみれば当然の、そんな事実に今まであなたが気付いていなかったとしたら、それは取りも直さず、医事裁判に対するあなたの当事者意識の欠如・思考停止の結果です。

業務上過失では医療過誤の原因究明はできない
  例えば、自分が突然出張先で倒れた場面(もちろん原因不明)を考えてみれば、どんな診療行為にも複数の情報源、複数の人による複数の判断が関わることが容 易に理解できます。ましてや裁判沙汰になるような医療過誤では、必ず複数のシステムエラーと複数のヒューマンエラーが複雑に絡み合って生じます。ところ が、業務上過失はあくまで特定の個人を罪に問うものです。

 業務上過失では、病院や病棟というシステムや、検査機器を逮捕し取り調べるこ とはできません。医療過誤の際に、患者やその家族が求める真相究明と事故再発防止は、業務上過失では不可能なのです。それどころか、業務上過失は、チーム 医療の中で生じる医療過誤の責任を、すべて特定の個人だけに押しつける冤罪(えんざい)を必然的に創り上げてしまうのです。にもかかわらず、警察官も検察 官も裁判官も、業務上過失により全ての医療過誤の原因が完全に究明できて、患者やその家族の期待に応えられると本気で信じています。このような誤った使命 感・万能感により、自分は科学や医療のことは何も知らないという自覚を喪失したまま、彼らは一路立件・有罪にまい進するのです2)

 肋骨が何本あるかも知らない刑事が業務上過失致死でベテラン心臓血管外科医を取り調べ3)、調書を自作し(肋骨の本数も知らないのですから、本人から調書が取れる訳がありません)、肋骨が何本あるかも知らない検察官・裁判官が、起訴し判決文を書く。それは決して、三谷幸喜の書いた脚本の筋書きではなく、現実です。今日も同様の悲劇が日本国中で起こっています.

  科学も医療も知らない警察官・検察官・裁判官たちが一旦走り始めたら、だれも彼らを止めようとはしません。それどころか、多くの人々が彼らをあおり、彼ら の誤った使命感を自らの利益確保のために利用します。扇情的な見出しで売り上げ増を目論むメディアはもちろん、逮捕者周辺の医師たちも、問題となった医療 過誤の原因究明などそっちのけ、見て見ぬふりをするのはまだいい方で、これ幸いとばかりに逮捕者だけに責任を押しつけて自分たちの利益を守ろうとする輩も 出る始末です3)

こんな裁判にだれがした?
  こんな医事裁判に誰がしたのでしょうか?一義的な責任はもちろん警察官や検察官や裁判官達に給料を払い、彼らの仕事から利益を享受するはずだった「出資者 =納税者=一般市民」、つまり我々自身にあります。裁判という極めて重要な社会インフラから利益を受けるのは我々自身です。そもそも警察官も検察官も裁判 官も全て公務員ですから、我々一般市民に奉仕する義務があります。にもかかわらず彼らは特高(戦前の特別高等警察)気取りで被疑者を締め上げ4)、創作した自白調書だけで業務上過失致死、時には殺人に被疑を切り替えてまで5)血祭りに上げようとします。

  彼らをそこまで増長させたのは我々自身です。ジャーナリストたちではありません。警察や検察の報道発表を垂れ流し、イレッサの教訓から何も学ばず、ノバル ティス社を刑事告発するような脳天気なオンブズパーソンを褒めたたえ、製薬企業に対する攻撃記事を売りつける一方で、いかがわしい民間療法業者から広告料 を巻き上げて収益を確保する6)

 そんな彼らを「バカなマスコミ」と言いつつも、我々はそのばか者たちに警察・ 法曹の監視を丸投げしてきました。解剖学一つ学ぶことなく特高気取りで悪徳医師物語創作に励んできたトンデモ公務員たちと、彼らを褒めたたえ、彼らの創作 物語を売りまくってきた卑劣なジャーナリストたち。トンデモ医事裁判を支えてきた一義的な責任は、そんな連中を野放しにしてきた我々自身にあるのです。

【参考資料】
1)刑事訴追、そのとき医師は… 不起訴でも医師の代償大きく.日経メディカル.2008年7月号
2)刑事訴追、そのとき医師は… 医師の刑事免責はあり得ない.日経メディカル.2008年7月号
3)佐藤 一樹.刑事事件の経験を語る(1)事故責任を押し付けた大学に最も怒りを感じる 日経メディカル 2008年7月号.
4)市川 寛.検事失格〜私はこうして冤罪をつくりました〜.毎日新聞社 には次のような下りがあります。
「市川君ね、僕が特捜部にいたころなんかはね、生意気な被疑者がいると、机の下からこうやって被疑者の向こうずねを蹴るんだよ。特別公務員暴行凌虐罪をやるんだよ」。部長は自ら机の下の隙間から足を突き出しながらこういった。
5)岸 和史 刑事事件の経験を語る(2)安全管理システムに欠陥 死因究明の前に世論形成 日経メディカル 2008年7月号
警察官が創作した調書への署名を岸氏が拒否すると、「業務上過失致死を殺人の被疑に切り替える」と恫喝されました
6)池田正行「氾濫する思考停止のワナ」.ノバルティス社刑事告発が意味するもの

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