コラム: 池田正行の「氾濫する思考停止のワナ」

医師主導冤罪(えんざい)事件〜丹下段平の敵前逃亡〜

2014/3/18

「公判検事ってのは、ボクサーみたいなものだ。弁護人にどんなに殴られても終わりのゴングが鳴るまで必ず立っていなければならない」1)


「医学の素養の全くない検事が、私(池田)を“やぶ医者”呼ばわりするのはむしろ当然である。真に糾弾されるべきは、自分たちの保身のために検事を使い捨てた卑劣極まりない医師たちである」。前回の私のコラム2)に対する読者からの指摘です。

  医師の世界では、自らの保身を何よりも大切に考える人が出世しますから、偉い“お医者さま”が刑事事件絡みで自分の地位が危ういと感じた時、検事をうまく 利用してやろうと考えるのは当然です。そんな“お医者さまたち”にとって、検事はあくまで使い捨ての用心棒に過ぎません。形勢不利となればいつでもハシゴ をはずして、知らぬ顔の半兵衛を決め込みます。

業務上過失と検事の“利用法”
 業務上過失は、法人ではなく必ず個 人が対象になります。ジャーナリストたちの攻撃と法人としての責任の両方をいっぺんに逃れようとする病院幹部にとって、事故の責任を個人の業務上過失にす り替える手法の効率性は大きな魅力です。幹部が主導して描いたシナリオにより、その病院の勤務医が冤罪に問われる事例が特に目立つようになったのは、横浜 市立大病院での患者取り違え事故と都立広尾病院事件が立て続けに起こり、医師・病院たたきががぜん人気メディア商品となった1999年以降です。

 2001年に騒がれた東京女子医大事件で、同大心臓血管外科(当時)の佐藤一樹氏は02年6月に逮捕、3カ月もの間勾留、起訴されました(05年11月に無罪判決)3)。その直接の原因となったのが、同大の調査委員会による内部報告書でした。その内容は、特定機能病院指定剥奪を免れるため、事故を佐藤氏個人の責任にし、業務上過失致死に問わせることを意図したものでした(11年1月、病院側が『衷心から謝罪する』ことによって和解)。

 07年1月に岸和史氏(当時、和歌山県立医大放射線科助教授)が逮捕されたきっかけは、報道対応に慌てた同大病院幹部が、臨床経過の詳細を確認しないまま行った記者会見で「岸氏の過失による過剰照射が死因」と発表したことでした4)。 警察が作成した自白調書に岸氏が反論したところ「業務上過失致死容疑から殺人罪の被疑に切り替える」と恫喝されました。幸いにも、第三者の立場にある放射 線治療専門医からの意見書が提出されたため起訴は免れましたが、病院側は決して岸氏を守ろうとしなかったどころか、民事訴訟の解決まで岸氏個人に押しつけ ました。

 北陵クリニック事件の本質も上記と同様の医師主導冤罪事件であり、関係者達は一致協力して筋弛緩剤中毒説を作成し、医師よりも はるかに弱い立場にある守大助氏を、業務上過失致死ではなく、殺人罪で刑務所に送り込むことに成功しました。では、彼らをそこまで追い詰めた問題とは一体 何だったのでしょうか?

北陵クリニックにおける臨床研究と診療体制
  北陵クリニックは東北大の学外施設として、院長の半田康延氏(現、仙台クローバークリニック理事長)が主導する機能的電気刺激(Functional electrical stimulation;FES)と呼ばれる臨床研究を行うため設立された特殊な診療所でした。FESは麻痺した手足の皮下に埋め込んだ複数の電極に電気 刺激を加え、動かそうとする「治療法」でした5)6)。検事と違って医学の素養が豊かなはずの半田氏も、私を天下の“やぶ医者”と公言しています7)

  外科的侵襲により体内に異物を埋め込む未承認治療が、大学ではなく市中診療所で行われるという研究体制自体が異常ですが、当時の科学技術庁(後に科学技術 振興機構:JST)と宮城県が共同で出資した「地域結集型研究事業」に認定され、1998年から2003年までの6年間に33億円もの研究費が投入されま した。結局、何ら見るべき成果は上げられませんでしたが、ここで私が問題とするのは「莫大な血税の浪費」ではありません。

 病院ではない診療所で外科侵襲を伴う臨床研究を行えば、一般診療に重大な影響及ぶ可能性が高まります8)。“被 害者”の一人のA子さんはミトコンドリア病による急変で北陵クリニックを救急受診しましたが、挿管ができず、転院したものの重篤な脳症が残りました。00 年当時の医者たたきの嵐を考えると、守氏を無期懲役にできなければ、挿管できなかった担当医は(熱心なFES推進者でもありました)6)、民事訴訟を起こされたばかりでなく、業務上過失傷害に問われていたでしょう。

 FES研究は倫理面でも重大問題を起こしました。やはり筋弛緩剤中毒と誤診された脳性麻痺の4歳男児例は、実はFESの重篤な副作用例でした5)。 この男児は、全身麻酔下で右上下肢に合計15本もの電極を埋め込む手術を受けた後にてんかん発作を起こしましたが、誤診の霊験はあらたかで、オンブズパー ソンや医学ジャーナリスト達の厳しい監視の目(あるいは節穴)をかいくぐり、今日に至るまでFESによる重篤な副作用例としての報告を免れ、誰一人として 臨床研究倫理違反に問われていません。それに比べて、同じ研究倫理問題でも、ノバルティス社刑事告発騒動9)の何と牧歌的なことでしょうか。

使い捨てられても“寛大な”検事たち
 私を“やぶ医者”と公言した半田氏7)率 いるFESチームの面々も、今や「完全黙秘」を決め込んだままで、再三再四にわたる検事の要請に対しても、意見書一つ書いてくれません。たとえ彼らに使い 捨てられようとも、健気に私を“やぶ医者”呼ばわりし続け、ついにはパンチドランカー、丹下段平が試合中に敵前逃亡してしまった、矢吹ジョー。そんな喜劇 のヒーローを気取るだけの冷静な自己洞察力と、ハシゴをはずした人々を許す寛大さを兼ね備えた検事たちには、先般の刑事告発者9)もまた、善意の一般市民と見えこそすれ、決して自分たちを使い捨てるような悪意ある人間たちには決して見えないのでしょう。

【参考資料】
1)市川寛.検事失格〜私はこうして冤罪をつくりました〜.毎日新聞社
2)天下のやぶと呼ばれて
3)佐藤一樹.刑事事件の経験を語る−(1)事故責任を押し付けた大学に最も怒りを感じる 日経メディカル 2008年7月号.
4)岸 和史 刑事事件の経験を語る−(2)安全管理システムに欠陥 死因究明の前に世論形成 日経メディカル 2008年7月号
5)FES臨床研究における研究倫理と利益相反問題 
6)半田郁子 博士論文審査(主査は夫の康延氏)

7)「医学的根拠ない」意見書に反論 仙台筋弛緩剤事件(河北新報 2010年07月21日)
8)「真実のカルテ」の真実とは?(1)
9)ノバルティス社刑事告発が意味するもの

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