コラム: 池田正行の「氾濫する思考停止のワナ」

“天下のやぶ”と呼ばれて

2014/2/21

池田正行

 「池田意見書がA子の容体急変の際の症状を考慮する前提を決定的に誤っていることは明らかであって、その意見が失当であることは論を持たないのである」1)


 これは、北陵クリニック事件に関連し、被害者の1人とされたA子さん(当時11歳)の診療録を検証して筋弛緩剤中毒を完全に除外し、ミトコンドリア病と診断した私の意見書2)に対する仙台地方検察庁の検事の評価です1)。検事にとっての“名医”とは、臨床判断の妥当性とは何の関係もなく、自分たちの主張を支持してくれるお医者様なのであって、診療録を検証して真実を明らかにするような不埒者は、天下に隠れもなき“やぶ医者”にほかならないというわけです。

 私が北陵クリニック事件に関わるようになってから3)4)、 早くも4年の歳月が経ちました。それまで民事訴訟に備えて証拠保全された診療録を10例以上検証していた私にとっても、A子さんの診療録検証作業は、わが 目と耳を疑うどころか、それまで私が科学捜査や医事裁判に対して抱いていた無邪気な思い込みを、根底から木っ端微塵に吹き飛ばすような事実の連続3)4)でした。お蔭さまで“やぶ医者”呼ばわりにも驚かなくなりました。

 ベクロニウム中毒という虚偽の診断をA子さんに貼り付け、今日まで14年もの間、国の難病指定を受ける機会を奪い、正しい診断の下に必要な治療を受ける権利を踏みにじり続けてきた検察当局2)に とって、公文書上で医者一人を“やぶ”呼ばわりするぐらい朝飯前です。北陵クリニック事件の問題点は多岐にわたりますが、今回は、ミトコンドリア病の患者 を診断し、必要な治療を受けてもらおうとした神経内科医を“やぶ医者”呼ばわりしてまで、自分たちと、今は高位の職にある先任者たちの面子を守ろうとした 検事の行動・心理について考えてみます。

医学無用の医事裁判
 取り調べをしていた刑事が突然、号泣し始めたのです。そして、こう叫びました。「これだけ社会問題になると、だれかが悪者にならなきやいけない。賠償金も遺族の言い値で払われているのに、なぜこんな難しい事件を俺たちが担当しなきゃいけないんだ」5)

 2001年の東京女子医大事件で、業務上過失致死容疑で逮捕・起訴され、無罪となった佐藤一樹氏が、取り調べ途上で起こった印象的なできごととして語っています。

  ヒトの肋骨の本数さえ知らない刑事が、限られた拘留期限の中で、中立的な立場にある医師の助言一言もなしに、ベテラン心臓血管外科医を逮捕し取り調べ、有 罪の証拠を固めて、検察庁に身柄を送検する。そして検事が何の躊躇(ちゅうちょ)もなく起訴する。それは決して空想科学物語でも吉本新喜劇のシナリオでも なく、現実に起こった悲劇です。そしてこの医事裁判の悲劇の構造は、今日まで何ら修正されることなく、連綿として維持されています。

助言無用の神々たち
 745 人(13年度末時点)もの職員を擁する医薬品医療機器総合機構(PMDA)は、医薬品・医療機器の専門家集団です。そのPMDAですら、開発、承認申請や 審査に関連する多くの分野で1200人を超える外部専門家を委嘱しています。医薬品や医療機器のように人間の命に関わる評価では、広く外部専門家の意見を 取り入れて透明性・中立性を高め、PMDAの独善や偏向のリスクを最小化しようというわけです。

 医療過誤は医薬品や医療機器以上に関係 者の人命や人生に大きな影響を及ぼしますから、その捜査に際しても、中立的な立場にある専門家の助言は欠かせないはずです。ましてや刑事・検事には医学の 素養は全くありません。しかし、全国のどこの警察にも検察にも、常勤の臨床医はいません。それどころか医療過誤関連事案の際に相談できる臨床医を委嘱する 制度すらありません。

 我々医師から見ると、中立的な立場にある専門家の助言を受けずに医師を逮捕し、取り調べ、起訴するのは無謀の極み です。ましてや難病患者の犠牲の上に組織防衛を図ることなど、医師には決してできません。しかし、スーパー刑事・検事ドラマの熱狂的な支持者であり、検察 の無謬(むびゅう)性を固く信じて疑わない多くの国民の皆さまや、EBMが何の略号かも知らない検事たちに絶大な信頼を寄せてノバルティス ファーマ社を告発するような能天気な人々6)の支持を受けた刑事や検事は、自分たちと組織の無謬性を信じて疑いません。そこに外部専門家による助言が入る余地が生まれるわけがないのです。

虚構の維持とその崩壊
  私を“天下のやぶ医者”と断じる意見書を書くに当たっては、さすがに検事も味方になってくれる医師を必死で探し回りましたが、そのような泥縄で彼らが望む “名医”が見付かるべくもありません。ただ一人、あるナショナルセンター研究所の部長だけがコメントを寄せてくれましたが、その内容は、やはり筋弛緩剤中 毒を否定し、私の診断を支持するものでした2)。自分たちの面子を守るために難病患者を犠牲にするような人々に、一体だれが加担したいと思うでしょうか。

 ミッドウェー海戦や台湾沖航空戦に代表される大本営発表の虚構7)が 敗戦後に至るまで暴かれなかったのは、多くの国民が帝国陸海軍の不敗神話を黙認していたからこそです。北陵クリニック事件では、もはや検察を支持する医師 はこの世に存在しないにもかかわらず、誤診の虚構が14年を経た今日でも維持され、A子さんが必要な治療を受けられずに放置されているのも、検察ドラマを 愛する国民の皆さまや正義の味方を自認するオンブズパーソン・ジャーナリストが、検事を“無謬の名医”、検察は一点の曇りもない“正義の殿堂”と崇めてい るからに他なりません。

【参考資料】
1)検事意見書 (2)2012年6月14日
2)池田正行意見書
3)医事裁判における“検査万能教”〜その1〜
4)医事裁判における“検査万能教”〜その2〜
5)佐藤一樹 刑事事件の経験を語る−(1) 日経メディカル 2008年7月号.
6)ノバルティス社刑事告発が意味するもの
7)辻 泰明, NHK取材班. 幻の大戦果・大本営発表の真相 日本放送出版協会

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