国との喧嘩:S君の場合

夜,床に入ると空咳が止まらないとの訴えでS君(25才)が初診した.大学を卒業して一旦就職したが,理学療法士がやりたくて学校に入り直したという新入生だ.学校付属の寮に入ったはいいが,毎晩床に着いたとたん,空咳が止まらず,自分は苦しいは,同室者に迷惑をかけるはで,何とかしてもらいたいと来院した.

熱もなく,身体所見では特に問題はなかった.同日にあった入学時健康診断での胸の写真と血算を後日調べることとして,ひとまず,寝具を含めてアレルギーの原因物質となりそうなものを日常生活の中でどうやってチェックするかと相談し,一日一箱吸っているたばこを止められるかどうか尋ねた.

”止めたいんですわ.ニコチン中毒なおしとうて”と言う,彼の表情は真剣そのものだった.

”寮の同室者は吸わないのかい”

”一人もおりません.2年生の人なんか入学した当初はずいぶんおったみたいですけど,喫煙者の肺の標本見せられたり,実習で,たばこでどのぐらい運動能力が落ちるか見せられて,ほとんどの人がたばこ止めた言うとりました”

”じゃあ,これを機に君も止めてみるか”

”ええ,でも,わて,ニコチン中毒やないかと思いますから,ニコチンガムとかパッチとか,ありますやろ,あれ,処方してもらえませんやろか”

私もニコチンガム・パッチの類を処方するのは初めてだった.院内には置いてないことはすぐわかり,院外の薬局に電話した.ニコチンガムは硬くて評判が悪い.パッチの方がお薦めで,早速問屋から取り寄せるという.しかし,大きな問題があった.そう,保険適応がないのである.

”一日一枚貼って430円だと.これを4週間.あと,一日400円を2週間,380円を2週間”

”ほな,たばこ吸うてた方が安い”

”その通り.国はニコチン依存からの足抜けは許さないということだ.それでも抜けようとする人間は国と喧嘩することになる.ニコチン依存から抜け出そうとする人間に国は喧嘩を売ってるんだ.止められるもんなら止めてみろってね.喧嘩してみるかい?”

”ええ”S君の表情は静かな決意に満ちていた.

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