独断徒然草

自分が特に気に入ったところだけを,少しずつ拾っていこうと思います.徒然草を全文入力するという素晴らしい仕事をした松田史生さんは,当時17才.現在京都大学農学部で生命科学の研究者をしているらしい.

以下の数字は段数:3784113117143152153

■第三段

(ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ・・・そう,このダンディズムなんですよ.言うは易く,行うは難し)

万(ヨロヅ)にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵( サカヅキ)の当(ソコ)なき心地ぞすべき。

露霜(ツユシモ)にしほたれて、所定めずまどひ歩(アリ)き、親の諫(イサ)め、 世の謗(ソシ)りをつゝむに心の暇(イトマ)なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さ るは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこ そ、あらまほしかるべきわざなれ。

■第七段

(命長ければ辱(ハヂ)多し・・いい言葉ですねえ.こういうことをはっきり言える医者でありたい)

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部(トリベ)山の煙(ケブリ)立ち去らでのみ住 み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみ じけれ。

命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の 蝉の春秋(ハルアキ)を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ヒトトセ)を暮す ほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(チトセ)を過 (スグ)すとも、一夜(ヒトヨ)の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿 を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱(ハヂ)多し長くとも、四十(ヨソヂ) に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思 ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末(スヱ)を見んまでの命をあらまし、 ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさまし き。

■第八十四段

(一休宗純は臨終に,”死にとうない”と言ったとか.本物の坊主というのは素晴らしい.坊主にこう言ってもらうと,医者の方も,”命長ければ辱(ハヂ)多し”と,患者に向かって堂々と言えるってもんです.)

法顕三蔵(ホツケンサンザウ)の、天竺(テンヂク)に渡りて、故郷(フルサト) の扇(アフギ)を見ては悲しび、病に臥(フ)しては漢の食(ジキ)を願ひ給ひける 事を聞きて、「さばかりの人の、無下(ムゲ)にこそ心弱き気色(ケシキ)を人の 国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都(コウユウソウヅ)、「優(イ ウ)に情ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心に くゝ覚えしか。

(蕎麦通を自認する御隠居が「一度でいいからつゆをたっぷりつけて蕎麦を食べたかった。」という噺を連想しました.御隠居の場合には,”そばつゆなんてもんは,ほんのちょっとばかりにしねえと,蕎麦の味がわからなくなっちまう”と薀蓄を垂れていた点が,三蔵に及ばないところなんですが)

■第百十三段

(四十を過ぎたら,自分は老いぼれと自覚し,若い人の邪魔をしたり出しゃばらないようにしなくてはいけない)

四十(ヨソヂ)にも余りぬる人の、色めきたる方(カタ)、おのづから忍びてあ らんは、いかゞはせん、言(コト)に打ち出でて、男・女の事、人の上(ウヘ)を も言ひ戯(タハブ)るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。

大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人(オイビト)の、若き人に交りて、興(キ ヤウ)あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさ まに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人(マラウト)に饗応(アルジ)せんと きらめきたる。

■第百十七段

(気前のいい,腕のいい医者でありたいと願うのは,決して悪い事じゃないんだ.よかった.)

友とするに悪(ワロ)き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二 つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つ には、たけく、勇(イサ)める兵(ツハモノ)。六つには、虚言(ソラゴト)する人。 七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師(クスシ)。三つに は、智恵ある友。
 

■第百四十三段

(死人は”そうじゃない”って抗議できないのをいいことに,臨終の時どうだったかなんて,勝手に脚色して面白おかしく言ってもらいたくないもんだ.卑怯者のやることだ."Leave me alone" Lady Diana Spencer)

人の終焉(シユウエン)の有様(アリサマ)のいみじかりし事など、人の語るを 聞くに、たゞ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚(オロ)かなる 人は、あやしく、異(コト)なる相(サウ)を語りつけ、言ひし言葉も振舞(フル マヒ)も、己れが好む方(カタ)に誉めなすこそ、その人の日来(ヒゴロ)の本意( ホンイ)にもあらずやと覚ゆれ。

この大事(ダイジ)は、権化(ゴンゲ)の人も定(サダ)むべからず。博学(ハクガ ク)の士も測(ハカ)るべからず。己れ違(タガ)ふ所なくは、人の見聞くにはよ るべからず。

第百五十段 西大寺の静然上人、腰かがまり

 西大寺の静然上人(じやうねんしやうにん)、腰かがまり、眉白く、まことに徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、西園寺内大臣殿、「あなたふとの気色(けしき)や」とて、信仰(しんがう)の気色(きそく)ありければ、資朝卿(すけとものきやう)これを見て、「年の寄りたるに候」と申されけり。

 後日(ごにち)に、尨犬(むくいぬ)のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるをひかせて、「この気色(けしき)尊(たふと)く見えて候」とて、内府(だいふ)へ参らせられたりけるとぞ。

(日野資朝の面目躍如といったところでしょうか)

第百五十三段 為兼大納言入道召し捕られて

為兼大納言入道(ためかねのだいなごんにふだう)召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率(ゐ)て行きければ、資朝卿(すけとものきやう)、一条わたりにてこれを見て、「あな羨まし。世にあらん思い出(い)で、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。

(公衆の面前でこう言い切る日野資朝が好きです.結果の如何にかかわらず,自分の信念に基づいて振舞うことへの憧れ,それを隠さない率直さですね.)