神経内科専門医
研修している病院に神経内科専門医がいないので、神経内科の勉強ができないと嘆く、長崎時代の教え子に宛てたメール
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急性化膿性髄膜炎の患者を前にして「感染症専門医へのコンサルテーション」を要求していたら患者は死にますから、神経内科医がその場で治療を始めます。これは私が駆け出しの時も、今でもそうです。
神経内科医がいようといまいと、外来にはパーキンソン病の患者はやってきます。そしてALSの患者もやってきます。その時に、パーキンソン病の患者をうつ
病と誤診して抗うつ薬を始めない。ALSの患者に対して体重減少の原因検索のために、悪性腫瘍除外のフルコースメニューを提供しない。こういうスキルは、
直ぐ隣の外来ブースに神経内科医がいたら決して育ちません。なぜなら、すぐに相談してしまうから。
急性化膿性髄膜炎と違って、幸いなことに、パーキンソン病の患者さんもALSの患者さんも待ってくれます。神経内科専門医のいない場所でこそ、神経疾患診療のスキルが身につくというのはそういう意味です。
「重症心身障害者・精神障害者の臨床ノート」は93年4月から99年10月までの6年 半、埼玉県の重症心身障害者・重度知的障害者施設にいた時の診療で学んだことを綴った記録です。
私と二人の小児科医の常勤3人で(ちなみに診療対象に未成年者は皆無でした。昭和40年代にできた施設で、事実上死亡以外での退所がないからです)、重症
心身障害者60人のベッドと、寮生活をしている重度知的障害者300人を預かっていました。皮膚科医、耳鼻科医、精神科医、整形外科医が週1あるいは週2
で外来に来てくれていました。血算、生化学、検尿などの一般検査と通常のレントゲン撮影以外には検査はできませんでした。絞扼性イレウス、胃癌、肺癌、慢
性硬膜下血腫、Urosepsisによる急性腎不全・・・救急車同乗も随分と経験しました。私の「総合診療スキル」はここで育ちました。
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